私は船に関するブログを書いていますが、単なる趣味の世界なので「船の歴史」について体系的に学んだことがありません。
とはいっても、本棚に行くとそれなりに厚みのある書籍はあるのですが、持ち歩くには重すぎるので、一番時間のある通勤時に読むわけにはいかず。
図書館でもいろいろ見てみましたが、比較的持ち歩きに堪え、内容も取っ付きやすい1冊を選びました。
「図説・船の歴史」庄司邦昭、2010年7月、河出書房新社
縦はA5版、横は17cm弱と少々大きいですが、100ページほどの薄めの書籍なので通勤で使用しているリュックの中でも邪魔にならないサイズです。
この書籍の中からひとつ話題を。
船が人口の動力機関である「蒸気機関」を用いて初めて商業運行を行ったのは、米国のハドソン川でニューヨークとオルバニー間に運航された「クラーモント」だとされています。
【要目】
排水量:80トン、長さ:46m、幅:3.7m、深さ:2.1m
主機:蒸気機関×1、推進軸:1軸
出力:19馬力、帆装:マスト×2
※引用:Wikipedia・英語版
1909年に復原された「クラーモント」のレプリカ(引用:Wikipedia・英語版)
(By Detroit Publishing Co. - This image is available from the United States Library of Congress's Prints and Photographs divisionunder the digital ID det.4a16094.This tag does not indicate the copyright status of the attached work. A normal copyright tag is still required. See Commons:Licensing., Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9948737)
この船は、船の左右に大型のパドルが円形に配置された「外輪」の原型のようなものが付いた形をしていました。
以降、蒸気機関を搭載したいわゆる「蒸気船」は、外輪船の形態が主流となりました。
黒船来航時のペリー提督の旗艦「サスケハナ」
外輪船の形態であった(引用:Wikipedia)
(published by 東洋文化協會 (The Eastern Culture Association) -
The Japanese book "幕末・明治・大正 回顧八十年史" (Memories for 80 years, Bakumatsu, Meiji, Taisho),
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=333621による)
これに対し、船を螺旋推進機(スクリュー)により推進させる研究も1800年代初めから進められており、1839年には「アルキメデス」というスクリュー推進船が竣工し、英国ロンドンからブリストルの間でデモンストレーション航行を行います。
これに注目した英国の造船義姉であるブルネルが、外輪船として建造中であった世界最大の鉄製客船の「グレート・ブリテン」を急遽螺旋推進に設計を変更し、1845年に竣工します。
【要目】
排水量:3,400トン、長さ:98m、幅:15.39m、深さ:9.9m
主機:蒸気機関×1、推進軸:1軸
出力:1,000馬力、帆装::スクーナー帆装×5、スクエア帆装×1
※引用:Wikipedia・英語版
博物館として公開されている「グレート・ブリテン」(引用:Wikipedia・英語版)
(By mattbuck (category) - Photo by mattbuck., CC BY-SA 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7335238)
「グレート・ブリテン」は1845年8月に英国・リバプールから米国・ニューヨークへ向けて航海を行い、初めて大西洋を横断したスクリュー船となりました。
現在では、外輪は姿を消し船舶の推進には一部を除きスクリューが使用されています。
なぜそうなったのか?これにはある出来事が関係しています。
その出来事とは、1845年4月3日に英国・ロンドンのテムズ河口で英国海軍が行った、とある実験でした。
その実験は、1843年9月に建造されたスクリュー推進の軍艦「ラトラー」(木造、867bmトン(※1))と、外輪推進の軍艦「アレクト」(800bmトン)をロープで繋いで「綱引き」をするというビックリするような実験です。
この2隻はともに蒸気機関の公称馬力(カタログや銘板に記載されている馬力)は200馬力で大きさ、機関出力ともに互角な艦を使用して行われました。
まず「ラトラー」が機関を停止し、「アレクト」が全速で「ラトラー」の曳航を開始します。
2ノットの速力で曳航された「ラトラー」ですが、機関の運転を開始すると5分後に「ラトラー」は停止します。
しばらくすると、全速を出している「アレクト」は2.8ノットの速力で「ラトラー」に引きずられていきました。
綱引きをする軍艦「ラトラー」(左)と「アレクト」(右)の絵画
(引用:「図説・船の歴史」庄司邦昭、2010年7月、河出書房新社、P.65)
これにより、外輪推進よりスクリュー推進の方が優位であることが証明され、その後の英国海軍の軍艦はもとより、大半の船舶がスクリュー推進を採用することとなりました。
ただし、この実験で使用された図示馬力(実際の機関の効率を示す馬力)は、「ラトラー」が360IHP(※2)に対し、「アレクト」が280IHPであり、最初からスクリュー船を勝たせるための実験であった、との見方もあります。
船の機関の優劣を「綱引き」で決めるとは、なんとも直接的でわかりやすい方法ですが、今の世の中では考えにくい方法ですね。今では、コンピュータによる解析で結果を出すのかな?
この世紀の一戦、この目で見てその迫力を感じてみたかったですね。
今回は、船の歴史におけるターニングポイントのひとつとして、「図説・船の歴史」の記載をきっかけとして取り上げてみました。
1970年に引き揚げられ再整備のうえ博物館船となった
「グレート・ブリテン」号のスクリュー
(By "Derbyshire Dale" - Derbyshire Dale's photostream, flickr.com., CC BY 2.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8035148)
※1:bmトン:全長と全幅から船の積載量を計算する推定法で、英国で1720年から1849年まで使用されていたもの。
※2IHP:図示馬力を示す単位。
【参考文献】
Wikipedia・英語版 および