転勤前最後の休日出勤 サノヤスの巡視船「おき」から歴史を遡る | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

本日は、梅田で最後の休日出勤。転勤の準備です。

梅田で3年間勤務してきましたが、来週火曜日からは新大阪での勤務になります。

今日は良い天気でしたね。

 

梅田スカイビル前の地下道入口から見た大阪駅方面

 

昼食は、休日出勤ではいつもの阪急梅田駅高架下のカレーハウスでチキンカツカレースパゲティ

 

カレーハウスK2のチキンカツカレースパゲティ

 

いつもの休日出勤と同じく車で行ったので、帰りに新来島サノヤス造船に寄ってみます。

2隻の巡視船がいました。

 

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令和3年5月29日の新来島サノヤス造船大阪製造所

 

左は「あぶくま(PM-31)」、右が「おき(PL-01)」です。

今回は、島根県に属する島である「隠岐諸島」から命名された「おき」を取り上げてみましょう。

 

「おき(PL-01)」は、それまで野速力の要求を緩和した汎用型の巡視船として、既存巡視船の老朽取替のために建造された「くにさき(PL-09)」型の17番船として三菱重工業下関造船所で平成27年2月に起工され、平成29年4月に就役しています。

【要目(「くにさき」)型】

 総トン数:1,700トン、船質:鋼、全長:96m、幅:11.5m、深さ:5.2m

 機関:ディーゼル機関×2、推進軸:2軸、速力:23ノット以上

 兵装:20mm多銃身機銃×1

 ※引用:世界の艦船、No.881、2018年7月、海人社、P.54

 

令和3年5月29日・新来島サノヤス造船大阪製造所の巡視船「おき(PL-01)」

 

「おき(PL-01)」は、平成27年1月に退役した先代「おき(PL-01)」との入れ替わりで、第8本部海上保安本部の境海上保安部に配属されています。

 

その先代「おき(PL-01)」は、ヘリコプターとの連携能力や潜水作業の支援能力などを強化した、救難強化型巡視船のプロトタイプとして計画されました。

昭和63年8月に石川島播磨重工東京工場で起工され、平成元年9月に「のじま(PL-01)」として就役し、第三管区海上保安本部の横浜海上保安部に配属されました。

その後、平成9年11月に第八管区海上保安本部の境海上保安部に転配され、「おき(PL-01)」と改称されます。

【要目(新造時の「のじま」)】

 総トン数:933トン、常備排水量:1,500トン、船質:鋼、全長:87.0m、幅:10.5m、深さ:5.5m

 機関:ディーゼル機関×2、推進軸:2軸

 出力:7,000馬力、速力:20ノット、最大搭乗人員:39名

 兵装:20mm多銃身機銃×1

 ※引用:世界の艦船「海上保安庁全船艇史」増刊第62集、No.613、2003年7月、海人社、P.149

 

巡視船「おき(PL-01)」(引用:Wikipedia)

(Saigen Jiro - 投稿者自身による作品, CC0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=47444935による)

 

「おき(PL-01)」は平成29年1月に解役されますが、南シナ海でのマレーシア海上法令執行庁(MMEA)の海上警備能力強化を支援するため、「えりも(PL-02)」とともにマレーシアに供与されることとなります。

ジャパンマリンユナイテッド因島工場で整備を終えた後、平成29年3月にマレーシアのポートクランに到着し、「ペカン (KM Pekan 9203)」 と改称されます。

 

マレーシア海上法令執行庁、「ペカン (KM Pekan 9203)」

(引用:公益財団法人 日本海難防止協会「情報誌 海と安全」No.573、2017年2月)

 

さらに先代の「おき」も存在します。昭和54年11月に広島・福山市の常石造船で竣工した、巡視船「しれとこ(PL-101)」型の14番船「おき(PL-114)」で、第8管区の境海上保安部に配備されますが、平成9年11月に第5管区の高知海上保安部に転属し「とさ(PL-114)」と改称され、平成21年1月に解役されています。

【要目(「しれとこ(PL-101)」型)】

 総トン数:965トン、常備排水量:1,200トン、船質:鋼、全長:77.8m、幅:9.6m、深さ:5.3m

 機関:ディーゼル機関×2、推進軸:2軸

 出力:7,000馬力、速力:20ノット、最大搭乗人員:40名

 兵装:40mm単装機銃×1、20mm単装機銃×1

   ※引用:世界の艦船増刊「海上保安庁全船艇史」No.613、2003年7月、海人社、P.144

 

巡視船「とさ(PL-114)」(引用:HP「Vessel and Ships Photo Gallery」)

 

「おき(PL-114)」の写真は手元の資料では見当たりませんでしたが、「とさ(PL-114)」の写真はリンクを貼った「Vessel and Ships Photo Gallery」というホームページに「Patrol Vessel Large PL-114 巡視船とさ(退役)」というページがあり、そちらで見ることができます。

 

この「おき(PL-114)」は、海上保安庁の巡視船としては2代目で、初代の「おき」が存在します。

昭和25年度に建造が計画され、三井造船玉野造船所で昭和26年2月に竣工した「れぶん(PM-04)」型巡視船の3番船「おき(PM-06)」です。

【要目(「れぶん(PM-04)」型)】

 総トン数:387トン、常備排水量:495トン、船質:鋼、全長:52.4m、最大幅:8.1m、深さ:4.5m

 機関:ディーゼル機関×2、推進軸:2軸

 出力:1,300馬力、速力:14.6ノット、最大搭乗人員:40名

   ※引用:世界の艦船増刊「海上保安庁全船艇史」No.613、2003年7月、海人社、P.32

 

巡視船「おき(PM-06)」

(引用:「海上保安庁 船艇航空機整備の歩み」海上保安協会編、1990年11月、P.688)

 

初代巡視船「おき(PM-06)」は、GHQの兵装は小火器のみに制限されたことから就役時は非武装でしたが、その後の制限の緩和により、昭和28年度以降に順次3インチ単装緩射砲と20mm単装機銃各1基を搭載しています。

また、搭載艇用ダビットの位置・型式の変更、後檣の新設などの改装が施され、竣工時と比べその姿は少しずつ変化していきました。

そして、昭和54年10月に解役されています。

 

ちなみに、帝国海軍にも「隠岐」の名を持つ艦が損坐していました。

帝国海軍の「隠岐」は、「択捉」型海防艦の4番艦として昭和17年2月に浦賀船渠で起工され、昭和18年3月に竣工しています。

【要目(新造時の「択捉」型)】

 基準排水量:870トン、全長:77.7m、水線幅:9.10m、吃水:3.05m

 主機:艦本式22号10型ディーゼル機関×2、推進軸:2軸

 出力:4,200馬力、速力:19.7ノット、乗員数:147名

 兵装:12cm45口径単装砲×3、25mm連装機銃×2、94式爆雷投射機×1、3型爆雷装填台×1、

     爆雷投下台×6、95式爆雷×36、93式水中聴音機×1、93式っ水中探信儀×1

 ※出典:世界の艦船「日本海軍護衛艦艇史」増刊第45集、No.453、1992年7月、海人社、P.10

 

海防艦「隠岐」(引用:Wikipedia)

(大日本帝国海軍 - 潮書房刊「丸スペシャル・海防艦」, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=42753686による)

 

「隠岐」は竣工後、第四艦隊・第二海上護衛隊に編入され、昭和18年4月に横須賀からトラック諸島行き船団を護衛し、トラック泊地に進出します。その後も一貫してトラック~横須賀間の船団護衛に従事します。

昭和19年3月には、中部太平洋方面に対する陸軍部隊と資材の緊急輸送作戦であるう「松輸送」に参加しサイパンへまで船団護衛をしています。

 

戦局の悪化により、昭和19年6月からは小笠原方面への船団護衛に従事しますが、昭和19年11月21日、八丈島近海で米海軍潜水艦「スキャバードフィッシュ(SS-397)」の雷撃により艦前部に被雷して艦橋より前の艦首を喪失する損傷を受けます。

「隠岐」は「第十二号」海防艦に曳航されて横須賀に到着し、横須賀海軍工廠にで昭和20年3月まで修理を受けた後、対馬海峡から黄海方面の船団護衛に回され、朝鮮半島南部で終戦を迎えます。

 

昭和20年8月19日には、釜山で触雷し小破、佐世保に入港し修理を受けます。11月に帝国海防艦籍から除かれたのち、特別輸送艦に指定され復員輸送に従事します。

 

復員輸送後に賠償艦として昭和22年8月に中華民国に引き渡され、固安(Gu-An)と命名、帝国海軍の武装を施して海防第一艦隊に編入されます。


賠償艦として出港直線の「隠岐」(引用:Wikipedia)

(アメリカ極東海軍司令部 - 共同出版社刊「終戦と帝国艦艇」, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=42753747による)

 

昭和24年2月、機関の損傷により青島港で停泊中に中国人民解放軍が青島に入城し鹵獲され、機雷敷設艦に改造されます。

ソ連製の10cm砲を3門、37mm機銃を3丁、機雷40個を装備し、巡防艦「長白(Chang-Pai、230)」と改称されます。

昭和30年には南海艦隊に編入され、中国東南部沿岸への機雷敷設に従事していますが、昭和57年に除籍されたようです。

 

今回は、新来島サノヤスの巡視船「おき(PL-01)」から三代にわたる巡視船「おき」と帝国海軍の海防艦「隠岐」までさかのぼってみました。

 

ちなみに、「隠岐諸島」は明治4年6月の廃藩置県の際に浜田県に属しますが、11月に浜田県は島根県に統合され、12月には鳥取県に移管されます。

明治9年8月に鳥取県が島根県に併合されると、隠岐諸島も島根県に復帰し、明治14年9月の鳥取県の再置時に島根県に残され、現在は島根県隠岐郡海士町、西ノ島町、知夫村、隠岐の島町となっています。

 

隠岐諸島(引用:Wikipedia)

(BehBeh - 投稿者撮影, GFDL-no-disclaimers, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=1890867による)

 

鳥取県出身の私としては、隠岐諸島が一時的ではあれ鳥取県だったことを不思議に思います。一からして島根県の方が近いですから。

 

【参考文献】

 

 

 

 

 

「海上保安庁 船艇航空機整備の歩み」海上保安協会編、1990年11月

 

【Web】

HP「Vessel and Ships Photo Gallery」