今回は艦艇ではなく造船所について書いてみたいと思います。前回の駆逐艦「杉」の回に出てきた「藤永田造船所」について、あの後色々調べてみたのですが、所在地は現在の大阪市住之江区、奈良から流れてくる木津川の河口にあたります。
現在では、三井E&Sパワーシステムズ、阪神ゴルフセンター住之江店、アサヒ飲料販売などとともに、藤永田倉庫が存在し、その名残があります。
(出典:国土地理院地図・航空写真閲覧サービス)
藤永田造船所は、その起源を船小屋「兵庫屋」に持ち、元禄2年(1689年)の操業という長い歴史を持っています。明治維新後には西洋式船舶の建造を始め、明治7年に現在の大阪市西区千代崎に移転し「藤永田造船所」と改名します。さらに17年には大正区千島に移転します。
そして、大正6年に住之江区柴谷に敷津工場を建設、近代的な大型船舶の建造が可能となり、大正8年に海軍指定工場となります。そして、大正10年5月に最初の建造艦艇として樅型駆逐艦の「藤」が竣工します。
【要目(新造時)】
基準排水量:770トン、全長85.3m、幅:7.9m、吃水:2.4m
機関:艦本式オール・ギアードタービン×2、缶:ロ号艦本式×3、推進軸:2軸
出力:21,500馬力、速力:36ノット
兵装:45口径12cm単装砲×3、6.5mm単装機銃×2、53cm連装魚雷発射管×2
(出典:世界の艦船別冊「日本駆逐艦史」)
大東亜戦争が近づくと駆逐艦の増産に追われ、陽炎型、夕雲型、松型などの駆逐艦を量産し、昭和19年には軍需工場に指定されますが、昭和20年6月の第二次大阪大空襲で被災します。
建物の再建も進んできている
(出典:国土地理院地図・航空写真閲覧サービス)
戦後は漁船の建造により再出発となります。その後貨物船、LPG運搬船などを建造、海上自衛隊のうみたか型駆潜艇「くまたか」なども建造します。
昭和37年に化工機部門の藤永田エンジニアリングを分離した後、昭和42年10月に三井造船に吸収合併されます。残る藤永田エンジニアリングも昭和52年3月に三井造船エンジニアリングに吸収合併され藤永田の歴史を閉じます。
ちなみに、藤永田造船所の東隣には名村造船所の跡があります。この造船所も戦時中には特設掃海艇などを建造しています。昭和47年に手狭になった大阪工場に代わる新工場を佐賀県伊万里市に建設します。移転後の大阪工場は現在大阪クリエイティブセンターとなっています。そして平成26年には佐世保工廠の後身である佐世保重工業を傘下に収め、船舶シェアで国内3位の規模となっています。
さらにその東側には佐野安造船所があり、戦時中は二等輸送艦などを建造しています。現在もサノヤス造船の社名で造船を行っています。
戦前の大阪府住之江区周辺は造船業の華やかりし土地でありました。また、写真を撮ることができれば掲載したいと思います。