帝国海軍第一号艦?「観光」と長崎の復元船「観光丸」 | 艦艇・船舶つれづれ

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 先週、長崎県へ家族で旅行してきました。長崎市では港巡りの観光丸を予約したのですが、悪天候のため代船できず…。しかし、出航前に見学させてもらえることに。復元されたものとはいえ、優美ですね。

観光丸
復元された観光丸

 
【要目】
排水量:300トン、長さ:51.0m、幅:7.5m
出力:100馬力、速力6.0ノット
備砲:12門
(出典:日本海軍史 第7巻)

 実際の「観光丸」ですが、1853年(嘉永6年)にオランダで建造された船で、開国前の日本における権益を守りたかったオランダのウィレム3世より、1855年に日本へ来航した際に徳川13代将軍家定に対して贈呈されたものです。元の名をスームビング(Soembing)号といい、翌年に「観光丸」と命名されました。
 その後は、幕府海軍の練習艦として長崎海軍伝習所で使用され、同所の廃止後は佐賀藩の三重津海軍所で運用されました。
1865年(慶応元年)に艦名から「丸」を外して「観光」とされます。明治元年に明治政府の所管となった際にはすでに老巧化のため横須賀に係留され、明治6年に石川島へ係留替された後に明治9年に除籍されます。


観光丸(絵)
当時の観光丸(絵)(出典:Wikipedia)


 今回要目の出典とした「日本海軍史 第7巻」や昨年復刻された「幕末以降 帝国軍艦写真と史実」などの帝国海軍の艦艇に関する書籍では、その最初に登場する艦となっていて、帝国海軍の歴史の最初の1ページを飾った艦といえるのではないでしょうか。