真理質問箱 聖書 | 不幸のブログ 

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。



地震について触れようと思いましたが
脳の回転が追いつきません。


今日は前回のHAARPの仕込みの残りと見られる
小刻みな地震がありました。


茨城あたりで震源地のとても浅い地震が頻発したようです。
http://www.jma.go.jp/jp/quake/quake_local_index.html


私が指摘した、前回大きくHAARPが揺れた時の
仕込みの有効期限の可能性があります。


それとHAARPが静か過ぎるので
前回のメンテナンスの時の工作と関係あるとすると
密かにそれが動いている可能性もありますし


他の設備での地震への関与や
レーザー兵器などでの狙い撃ちの可能性もまだ残っています。


万が一の事を考えて
一応明日も世界と日本の地殻変動に警戒してください。


こないだの記事にあるように
今日夜間から一応は警戒してください。


明日も彼らの好きな日だからです

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


最初に私事です。


今朝私が自分のブログを検索したところ、
GOOGLE検索サイトの私のブログの小見出しの紹介に


”飯島愛さんはなぜ死んだ?”
と並んでほかの記事紹介が乗っているのですが、
そこに”社会問題”なる記事が並んでいました。


そこをクリックしても該当記事は存在していませんし
私はそんな記事を書いた記憶もありません


もしかしたら私の寝ている夜間限定で
私の書いていない記事が私のものとして紹介されている可能性を危惧しました。


気がついた方がいましたら是非お知らせください。

管理者ページまで入り込んでいる工作員は
何でも改ざん可能です。


だからこそ私が倒れたときの成りすましを危惧しているのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



実は今日は三次元と四次元の関係を
例えばなし交えて”想像力の世界”で説明しようとしたのですが


脳への思考妨害攻撃が激化していて仕上げることが出来ません。


記事を書いている最中に思考妨害が強まりましたし、
要するにその記事を書き上げて公開する事が気に入らないようです。


と言うことで今日は用意してあった
キリスト教の聖書に関しての記事を公開します。


私は今の日本の現状を一気に変えることができるのは
日本にも、そして韓国にも馴染みの深いキリスト教の理解者達が
創造主の法を正しく理解してくれることが近道だと思います。


そんな人間達が宗教や民族の枠を取っ払って
人間としてのあるべき生き方を理解して実践してくれれば
この社会はきっと変わります。


闇政府の傀儡達に利用され続けることは、
イエスの教えの信憑性をどんどんと陥れる事に繋がります。


クリスチャン達は、キリスト教社会を腐らせようとしている
人間達の実態に今こそ気がつくべきです。

今日の記事は聖書を理解できる方には大切な話です。


是非読んで参考にしてみて欲しいです。


そして多くのクリスチャンが
真のイエスの教えに気がつくきっかけになりますように。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


最初に久しぶりに触れておきたいことがあります。


生命の科学でアダムスキーが”意識”と表現していたものを
私は以前、ブログでは”精神”と表現していましたし
今では”魂”と表現しています。


生命の科学の中でアダムスキーが触れている”意識”と
私の記事の中の”精神=魂”とは
同じものである事を認識して記事を読んでください。


自分は理解が深まることもありますし、
適する表現に変えているつもりでも


読む方の立場では誤解がありそうなので触れて起きます。


そして私が”意識”と表現するのは
日本語で使用する時の”意識”そのものです。


「意識を意識する」という重複表現を避けたかったために
アダムスキーの言っている”意識”を”精神=魂”と置き換えて説明しています。


私の理解はあくまでアダムスキーを参考にしたものです。


生命の科学を作り上げたアダムスキーとブラザーズは、
もしかしたらイエスキリストの時と同様に、
私達に自ら思考しての理解を求めたのだと思います。


でも、そのままでは
おそらくは多くの人間の理解を求めるのは
難しいと私は判断しました。


私はそれがおせっかいであっても

結果的に私の説明がきっかけで一人でも多くの人間の理解が得れれば
そして創造主の法へと導かれればと思います。


この社会はアダムスキーの時代と比べても
私達の置かれている環境は更に過酷なのです。


この中では多くの人間が、”生命の科学”と言う
新たな天使の教えに躓く事になると思います。


私の記事が、そのハンデを埋めるきっかけに成れる事を願っています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

①イエスキリストの福音書を書いた人間は
イエスキリストのことを生まれたときからずっと観察していたのですか?


クリスチャンなどはそれが精霊のお告げによって
書かれたものであるとか、神の意志で書かれたものだと
信じている方もいるようです。


イエスが一人で40日間の断食をしていた時の事も含めて
イエスと常に一緒にいた人間がいないのですから
通常は誰も福音書の内容は書けないからです。。


私はそれを神の記述とは考えていません。


イエスキリストを365日24時間
見守っていた人間達がいるからです。


其の人間達はイエスキリストを
遠くから観察し続けそれを助け続けていたと思います。


いうまでも無く天使達、スペースブラザーズです。


科学的に考えれば彼らは小型偵察機も持っていましたし、
そんなものが常にイエスキリストの事を観察していて


其の画像や記録を誰かに見せたか
脳へでもイメージとして送ることで書かせたものが
マルコ、マタイ、ルカの福音書だと思います。


ヨハネの福音書に関しては異質である事と
あまりにも文章内容が美化されていることからも
私は人間の創作の可能性を疑ってもいます。


今であれば脳にイメージや映像や音声を送りつけることも
技術的に説明できますが


当時はそれが説明できませんから
当然神のお告げとか聖霊の導きと
表現されたのではないでしょうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
②其の聖霊って頻繁に出てきますが一体なんですか?
御霊と言う表現も頻繁に眼にしますがオカルトに感じます。


霊とか御霊とか聖霊と聖書で表現されているものは
想念であり私達の魂であり
そこから感じることになる創造主の意志の事のようです。


イエスキリストは三次元と四次元を区別して
時にはそれを”天”と”地”(これは宇宙と地球と言う区分にも使われています)
の様に表現していましたが、弟子のパウロも同様でした。


私達の認識できる感覚はいつもいうように
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、そして触覚の一部です。


私達は魂が器官として受け止める想念を感じることが出来ません。


其の想念を時には霊という言い方をして
創造主の意識からの想念を感じたときには
聖霊が降りると言う表現をしたのだと思います。


御霊と言うのは聖霊といわれる感覚を感じるための
器官である私達の魂の事であり


私達の肉体は”魂の神殿”であり
私たち誰もが自分の中に”御霊”を持っていることになります。


特定の人間が与えられるものではなくて
それは私達の魂そのものだからです。


しかしそこから創造主の意識を感じることの出来る人間は少なく
感じた時にはそれを聖霊が降りたと表現していたと
認識して頂ければと思います。


”地上の霊”と表現していた時にはそれは私達が三次元で発し、
周囲に存在している想念の事であり、


”聖霊”と表現していた時には
それが四次元から魂へと伝えられた創造主としての想念だと
理解して頂ければ良いと思います。


”肉の想い”、”御霊の想い”と呼んでそれを区別していたのは
其の発生元が私達の心なのか魂なのかの違いだと言うことになります。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11228934059.html
普遍的真理 VOL3 御霊なるもの

-----------------------------------------------------


③イエスが悪霊払い?や病の人間から悪霊を
追い払っていましたがあれは何ですか?
悪霊って存在するのですか?


この”霊”なるものが曲者で、
其の記述のために多くの人間が輪廻転生を理解することを妨げています。


更に聖書の記述をオカルトにしているのです。


イエスキリストは多くの場合、
病人から”悪霊”を追い立ててその結果病を治していました。


その他には映画で見られるような悪霊払い?をしている場面もあります。


私は後者は後の人間の捏造
もしくはイエスキリストの演技だと思います。


イエスキリストは”想念”を地上の霊と認識していたからです。


想念の中には良いものと悪いものが存在していて
悪いものは人間の精神や肉体に悪影響を齎します。


それを悪霊として表現し、それを治癒することで
病を改善していたと想像できます。


もしかしたら当時の人間達が、
病や素行不良が”悪霊の所為”であると信じていたので
それに併せて演じて見せた可能性もあると思います。


悪霊払いの正体は悪しき想念を
身体から消し去る行為だったのではないでしょうか。


そのまま治癒行為につながります。


現代社会で悪霊つきとか悪魔つきと騒いでいるのは
多くは特定の宗教の人間達だと思います。


クリスチャン社会でも以前は悪魔付きと表現して
それをお払いで払うなどと言う話もありましたし


悪霊オカルト映画の先駆けは
”エクソシスト”のような悪魔祓いの映画です。


なぜにクリスチャン圏には悪魔がいて
日本では悪魔でないのかを考えれば、
それが先入観や独自の価値観、更には思い込みに
根ざしたものであることも想像できます。


日本には悪魔はいませんでしたし
キリスト教の布教と共に悪魔が日本でも
語られるようになりました。


もしも悪霊が豚に乗り移って崖から落ちていったと言う話が
現実にあったものだとすれば、


それは何らかの科学力でももってした
演出ではないでしょうか。


イエスキリストは病を治す技術に関しては
12使徒にも伝えていたと思います。


もしかしたら当初の12使徒はそこまでの力がなくて
彼らを見守っていた大勢の天使たちが
最初は宇宙船から彼らに助力を与えたかもしれません。


イエスキリスト自身は勿論その能力を持っていたはずです。


彼らが齎していたのは、悪しき想念の影響から
人間を改善する事だったと私は想像します。


つまりは悪霊=負の想念です。


以前見たクリスチャンの悪霊払いの儀式には呆れました。


悪霊に付かれていると思い込んでいる人間達が、
自ら教会に集まっては神父の祈りの声に苦しんでいるのです。


しかも其の人間の語る悪霊の肉体への介入は、
私が体験している電磁波被害そのものだったからです。


背中に傷が出来たとか、足の先から痺れが上がってくるとか
後頭部や肩が重くなるとかと言う話もありましたが、
それは悪霊や悪魔の仕業でも想念の介入でもありません。

------------------------------------------------------


④想念=霊に関して教えてください。


”想い”というのはそれぞれがエネルギーとして
三次元社会に発せられる事になります。


今ではこの”想い”を計測する研究も進んでいますし
日本国内でも既にエネルギーとして認識している人間たちもいます。


アダムスキーはアメリカに”想念を写す技術”をも紹介していますし


その使用で、例えば事件現場に残された想念から
犯人を映像として映し出すことも可能だと言っていました。


アメリカは其の技術を公開せず隠蔽していますが
霊=エネルギーは科学的に計測可能なのです。


私達は思考する時に全身からエネルギーを発することになります。


これは全身から放射線のように発するそうです。


オーラと言われる物がそれとどう関係あるかは不明ですが
おそらくはオーラは其の人間の精神や肉体を反映していて
そのために様々な色をしているのだと想像できます。


私達人間の個別の周波数が色となって現れている可能性です。


想念に関しても同様に意識の低いものから
高いものまで存在しています。


私達が”心”のエゴで発する想い、
つまりは悪意や憎しみ、妬み、嫉み、怒り、闘争本能、差別、分離、情欲
その他の悪い思いはそのまま負の想念として存在することになるようです。


一方、私達が発する良い思いは”魂”を由来としていて
それは、慈愛、平和、寛容、理解、平等といった
創造主の意志に由来するものとなるようです。


それぞれはイエスキリストやパウロが表現していた
”人間を汚すもの”であったり、”肉から出るもの”であったり
”肉や御霊の想い”であったりします。


私達はこれを発することで、其の想念を自分の肉体にも付着
もしくは記憶させる事になるようですし
一方発した想念はそれを受け止めた人間にも影響を与えます。


似たような想念を発している人間は
似たような想念を受け止めやすい、引き寄せやすいようで
その影響を更に受けることにもなります。


いわゆる波動の法則、引き寄せの法則です。


負の想念は肉体細部にも悪影響を齎し
病などの不健康の原因にもなりますし私達の精神にも影響を齎します。


そして想念は時には他人によって
”イメージ”として受け止められることもあります。


悪魔を想像した想念を受け止めてそれをイメージとして
認識すると其の人間はそこに悪魔の姿を見ることになります。


これは一種のテレパシーです。


普段私達は心の暴走が激しいためにそれが収まる時間帯、
つまり眠気を感じるような時間帯ほど
想念を受け止めやすくなるはずです。


丑三つ時に幽霊を見るのはそのためと説明ができます。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11153006971.html
真訳聖書 VOL24
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

⑤聖書で”天”とか”地”と読んでいるのは一体何のことですか?


天と地と言う時にイエスキリストもパウロも


”天空”と言う意味での宇宙と”地球の地上”という分類と、


”四次元世界”と”三次元世界”という分類を想定していたようです。


「あなた方は”地”から出ましたが、
私は地から出たのではなくて”天”から出た」


とイエスキリストが言っていたのは


アダムスキーも触れていましたが


イエスキリストは自分は本当は地球の人間ではないと言う意味で
言っていたと思います。


この場合の”天”は四次元や神に関する意味ではなくて
地球から見て”天空の世界”を意味していたことになります。


ここで天を四次元と解釈すると
イエスは四次元の神の意志の世界から来たことになってしまいます。


”天国”と言ったときも、
私達はそれを霊魂の世界と受け止めることになりますが
実はこの場合も地球から見て”天”にある国と言うことで理解すべきです。


そして”天使”も霊界の使いではなくて
地球から見て天である上空から降りてきた使いと認識すれば
良いのだと思います。


私達にしてみれば創造主の意志の世界である”四次元”も
”天空の宇宙の惑星”も認識できませんし


結果的は両者を混同する事になったのではないかと想像できます。


当時の人間に三次元や四次元を説明しても理解できないでしょうし
天使を美化しておくほうが彼らを誘導しやすかったこともあり
聖書の記述のように説明したのではないでしょうか。


今彼らがやって来て詳細を説明してくれれば
私達は其の事を容易に理解できるはずです。


パウロが使用する時にもある時は”天”という言葉で
魂の領域の四次元を説明したり


ある時は天の国という言葉で
私達から見た天空の世界を表現していたために


私達は両者を混同する事になったのだと思います。


”肉”と”御霊”という分類も同じように使われています。


”肉”の意味するのは三次元における私達の肉体
もしくは其の肉体を司る心の事です。


”御霊”と言うのは私達の魂の事。


ローマ人への手紙やコリント人への手紙の中で
パウロは其のことを懸命に説明しています。


私達は通常が三次元にとらわれていて
四次元的なもの、つまりは霊的なものを認識できません。


そして私達が通常認識している三次元での現象に関して
肉体や心に関しての行動やその想いと、


四次元的存在である創造主の意志と
それを受け止める魂と言う私達の実態を区別することで


私達が認識して理解すべきものが
心の他にもあるのだと言うことを
説明しようとしていたのだと思います。

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11225946064.html
普遍的真理VOL2 使徒の教え

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11230383689.html
普遍的真理 VOL4  天と地の語るもの。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
⑥御霊の役割とか機能はどんなものなのでしょうか?


”御霊”とは魂の事で、その機能は
一つには想念を受け止める事、
そして更には創造主の意志つまり聖霊を受け止める事です。


触覚という器官としては
四次元的なものを認識するのが魂の役目です。


ただそこからの受け止める感覚は複数あって
印象であったり閃きであったりイメージでもあります。


更に其の感覚を通じて与えられるのは想いであったり
知恵であったり知識であったりする事にもなります。

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10990861572.html
テレパシー入門 VOL1
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-10995048837.html
テレパシー入門VOL2
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11004349218.html
テレパシー入門VOL3
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11074252410.html
テレパシー入門VOL4

----------------------------------------------------


⑦聖書はどのように読めば良いのですか?


時代背景をまず理解する事が大切だと思います。


指針としては、
旧約聖書は紀元前の人間が少しばかり無法で野蛮だった時代に


そんな人間たちに人として守るべき最低限の決め事を
戒律として天使達が与えたものだと認識して、
(少し複雑なので詳細は避けます)


新約聖書は旧約聖書の時代よりも人間の意識が向上した時代に、
人としてあるべき道徳としての守りごとを守れるようになった人間達に対して
天使達が更なる指針として与えたと認識すれば


その教えが進化している事も理解できると思います。


争いごとが当たり前の社会の中で
いきなり「隣人を愛せよ」とは言っても
人々はいう事を聞かないでしょうし


いさかいごとで殺し合いまでしていた時代には
「悪いことをしたら自分が痛い目に遭うのだ」


と知らせることがその当時の人間たちには有効で
ハムラビ法典では目には目をと厳しく定めていますし、


聖書には”裁く神”が登場する事になったと認識すべきです。


人間同士の社会の中で、特定の決め事が共通のルールとして認識され
実践されるようになったことで
更なる指針として「自分を愛するように隣人を愛せよ」とつげて、


自分のエゴのためだけに生きてはいけないと言う事を
創造主の慈愛の意識として私達に伝え学ばせ様としたのが
イエスキリストだと言うことです。


2000年の間には人々の意識も改善され、裁く神は必要なくなったために
真の創造主の想いをイエスキリストが語ってくれたのだと思います。


私達は宗教と言う形で聖人達の言葉を受け止め
その言葉を文字通り受け止めてはそれを戒律として来ましたが


その教えは時代と共に進化すべき物だったという事になります。


私達はイエスの教えにしても形式ばかり拘って来た為に、
それが時代の変化とそぐわないものへと変貌してしまっているのです。


もしもイエスの教えの実質を理解できていれば
それはどの時代にも応用ができたはずなのです。


気がついて欲しいのは、
旧約聖書は、まずは指針として戒律を作り上げ民にそれを守らせる事、


そして神とされた存在の言葉を守ることが教えとされていますが、


新約聖書は人間のあるべき心のあり方を
説いたものであると言うこと。


両者は似て非なるものですが
前者の上にこそ後者は存在しているのです。


私達人間の意識と共に彼らの教えは変わっているのです。


そして、もしかしたら50年前に、私達の社会には
天使達の手によって新たな教えが齎される事になったかも知れないと言う事。


私達が”宇宙の法則”とか”創造主の法”と呼んでいるものがそれで

”生命の科学”はそれを学ぶ時の基本となっています。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11363884269.html
進化する天使の教えと逆行する地球環境

http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11364404299.html
指導者の導きと共に進化する

-------------------------------------------------------------

⑧有名なヨハネの黙示録は
地球社会の崩壊を予言しているのですか?
それは実現するのでしょうか?


これに関しては少し難しいのですが
おそらくはこの章を作り上げたのはユダヤ教徒です。


内容に旧約聖書の延長の選民思想がそのまま盛り込まれています。


ユダヤ人こそが救われて
そしてその数は民族毎に決まっているという記述からも
旧約聖書の彼らの教えがそのまま引用されています。


イエスキリストはユダヤ人に限らない布教を示唆していましたし
12使徒はいろんな民族に対してキリストを述べ伝えていました。


つまり彼らの教えには選民思想は無かったという事です。


古き選民意識が盛り込まれているこの章は
元々が聖書外伝として存在していたものが


ある時から聖典とされたもので、


つまりは聖書の一部とされたことで
クリスチャンが信じなければならなくなったお告げだと言うことです。


しかし一方ではこの予言通りにこの社会は変貌しています。


まるでこの予言を実現させるかのようにです。


私の想像ではこの章は、
ユダヤ教徒のメシア待望の意識が詰まっているもので


それを実現させるためにも、彼らはこの社会の中
とりわけ日本の中を世紀末のサインで満たしているのだと思います。


つまり黙示録は予言ではなくて闇政府の予定であると言う可能性を
ぜひ感じて欲しいということです。


私達の審判は個々の人間一人一人が死ぬたびに
受ける事になるものです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11320208573.html
最後の審判と転生の法則

---------------------------------------------------------------


⑨複数の解釈が存在していて
争いになっていることも多いようですが
そんなところはどう解釈すれば良いでしょうか?


言葉尻を捉えて争っていても私達には前進はないと思います。


部分的に解釈できないことがあったとしても
イエスの教えは新約聖書の中からその趣旨の全体像が見えてくると思います。


創造主の法を実践すること。


創造主を師とすること。


創造主に魂を切られる事こそを恐れること。


創造主の意識がそうであるように
万物(他人)を愛すること。


私達が求められているのは形式ではなくて心のあり方であり
そのために創造主の意志を理解すること、
そしてその生き方を実践することです。


その全ては一言で言い表すことができて、
「自分を愛するように他人を愛しなさい」といったイエスの教えは


創造主の意志そのものを一言で語ったものだと思います。


天使達は神に似る事を目的としているそうです。


私達もいずれはそれを目指すことになるのだと思います。

-----------------------------------------------------------

⑩聖書を学ぶために参考になるものってありますか?


私達が学んでいる”生命の科学”が参考になると思います。


これは、アダムスキーが亡くなる一年前に
天使達(スペースブラザーズ)監修の元で記し


彼の理解者達に配った小冊子を日本のアダムスキーの理解者が
一冊の本にまとめたものです。


中央出版 新アダムスキー全集 の中の一冊として
発売されています。


この中の知識はそのままイエスの教えや
12使徒の手紙の内容、更には聖書のイエスの神の国の奥義に繋がる物です。


聖書のイエスの言葉や12使徒の手紙を読むにあたって
間違いなく必要な知識ですし


聖書がより良く理解できるようになります。


そしてこれは、もし地球社会が50年前に天使達を受け入れていれば
旧約聖書、新約聖書に続く天使達の新しい教えと
なっていたはずの物でもあります。


私達は、まずは人間と言うものが一体何なのか?


そして私達が三次元と四次元を同時に生きている存在である事を
理解せねばならないのです。


遠くない未来で、
不毛の記憶を失っての転生のローテーションから抜け出して
永遠の生を感じるためにも是非学んで見てください。


私達はほんの少しだけ向くべき方向を間違っていたのです。


【貴方に無限の力の祝福がありますように】

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
P.S.

⑪イエスキリストの再臨はありますか?


とても難しい話です。


実質的に地球の権力者達が軍隊含めて
彼らの宇宙船を狙っているとすれば
彼らは地球から締め出されている事になります。


そんな中でもイエスの転生がやってくるとすれば
アダムスキー時代の様に宇宙船で。。。


という事になるのでしょうか。


アダムスキーはスペースブラザーズは
もう地球には介入しないという内容を側近に語っていたようですし、


それが地球社会との決別と理解すれば
イエスはやってくる事もないと受け止めることもできます。


しかし彼らと決別をしたのは
地球の特権階級権力者達であって一般市民の私達ではありません。


私達がイエスの再臨を待ち望んでいる以上
天使達は私達に何らかの印を見せてくれるはずだと信じています。


一般市民にとってイエスの再臨は
まだ実現してはいないからです。


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11106785529.html
イエスの転生
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11108616691.html
宇宙の法則 番外編 イエスの言葉 前編
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11108619928.html
宇宙の法則 番外編 イエスの言葉 後編