歌詞で自分語りをしてはならない | 皆見つかさ 公式ブログ 〜ソロアーティストの脳内と日常

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歌詞で自分語りをしてはならない(皆見つかさ)・アイキャッチ画像

 

この記事は8070文字です。(読破予想時間:約19分12秒)

 

前回、短歌入門についての記事を書いたのですが、途中でつい横道へそれて、自分の作詞理念について長々と語り過ぎたなと、今更になって思えてきたので、その部分を元記事から削除して、新記事へ書き直してはどうかと言う事で今回の記事を書くに至りました。

 

◇短歌入門・音楽アーティスト皆見つかさの場合

 

そもそも、音楽好きの僕のブログの従来の読者さん達には、僕が書く短歌記事はあまり人気がありませんので、せっかく作詞の事を書くのなら読みたい人に読んで貰える所へ書かないと意味がないですからね。

 

この記事のこの先の本文での表現はちょっと辛口でキツく感じるかもしれませんが、僕の中身は文面から感じる程、厳しい心持ちではありません。( ̄▽ ̄)

 

そう言う訳で、参考になるのかどうかは分かりませんが、僕の作詞理念の1つにすぎないこの話を、まあ、聞いて下さいって事で始めたいと思います。

 

 

まずはじめに誤解の無い様に言っておきたいのが、「自分語り」と「自分の体験した実話」とは全くの別物であり、体験をそのまま歌詞で表現する事を否定している訳ではなく、単に独りよがりな自分が聞いて欲しい事を何のテクニックも工夫もなくダラダラと書いているだけの歌詞とも呼べない文章を「自分語り」と表現しているという事である。

 

前回の記事で短歌について、穂村弘さんが「体験した事をそのまま歌っていくのでは五七五七七の形をとった日記にすぎない」と言う事をおっしゃっておられたと言う話をしたのだが、これが、僕の作詞理念に近い物があると言う所からこの話は始まった。

 

そこを原文から抜き出して、更に修正して広げてやろうと言うのが今回の主旨だ。

 

他人が書く詞がどうあるべきかなんて僕にはどうでもいい事なので、これは自分が作詞する上での理念に過ぎないのだが、「知らないおじさんの日記や記念撮影や結婚式のビデオなど、どんなに上手な文章でもどんなに優れた映像でもどんなに感動的な結婚式であっても、誰も興味などないだろう」と言う思いがまず僕の中にある。

 

おじさんが人に見せる訳でなくどんな日記を書こうが、好きで勝手に自分の写真やビデオの編集をどんな風にしようがそれは自由なのだが、 そんなどこの誰だかわからないおじさんの人生を長々と聴かされたり見せられたりした日には、こっちはたまったものではない

 

いや、例えその人が知っている人であっても、迷惑な場合も多い事だろう。

 

これは、直接捕まって話を強制的に聞かされる訳でもないブログであっても、やはり知らないおじさんの昼ご飯が何だったかなどを読まされるのは苦痛なのだから、直接聞かされるとなると尚更だ。

 

◇3ヶ月続けるとブログのアスセスは本当に一気に増える?

 

勿論、ブログの場合も趣味だったり、仲間内同士で見せ合うだけのものならそれでも問題はない。

 

有名人なら皆がその人の日常も知りたがるだろうが、無名の人間がそんな事を書いても需要はほぼない。

 

趣味でなく僕達の様に何かしら明確な意図を持ってブログを書いているのなら、単なる日記では書く意味もなくなってしまう。

 

僕は、それは音楽であっても同じだと言うポリシーの様なものを持っていつも作詞に挑んでいる。

 

ちなみに自分の理念であると言う事やポリシーとして持っていると言う事は、それが自分が正しいと信じた作詞のセオリーと言う事でもある。

 

音楽の場合も、趣味で好きに作って楽しんでる分にはどんな風に作ろうがそれはかまわない。

 

それを同じ趣味を持つ友達同士で互いに聴かせ合うのも、何の問題もない。

 

しかし、公の場で音楽を発表するとなると、それとは状況が少し違う

 

そんな独りよがりな曲を我がままに、僕自身も誰かに聴かせたくはないし、従って、そんな曲作りは僕のポリシーに反すると言う訳だ。

 

言うなれば、「歌詞で自分語りをしてはならない」と言うのが僕の作詞理念の一つなのだ。

 

ただ、家に呼ばれて自分語りをされるだけならこっちも口を開く機会も多く、それなりに会話は成り立つだろうし、そう言う状況ならば、まあ、少しはマシな状況と言えるだろう。

 

しかし、音楽の場合、公の場、つまりはライブなどで曲に込めて自分語りを公開するとしたのならどうだろう。

 

この場合のライブとは勿論、同じサークルや同人で開かれる身内同士のライブパーティーなどは、これには含まない。

 

自分が知らないおじさんでも知り合いの兄ちゃんでもどちらでもいいのだが、わざわざ時間を作ってライブを観に行って、更には入場チケットまで買って、その曲を聴かされるのだ。

 

これは、最早「金と時間を返してくれ!」と言いたくなる様な典型的なライブだ。

 

大体、こう言った作詞をする人に共通して言えるのは自己顕示欲の強さと言うものがある。

 

◇自己顕示欲が強い事を自覚してコントロールする事が必要

 

基本的にミュージシャンは皆、ステージに立って自分の歌や演奏や作品を誰かに聴かせてやろうって人種なので、自己顕示欲は高い

 

◇僕が音楽を続ける訳・自己満足か自己顕示欲か承認欲求か

 

ただ、この自己顕示欲をコントロール出来ていないと、周りから敬遠されたり痛々しい存在となったりするのだ。

 

自己顕示欲によって、会う人会う人に「チケット買って!」「CD買って!」なんて事ばかり言ってると、周りから敬遠される様になるし、自分の事を分かって欲しさに自分の事ばかり押し付けがましく歌詞に書いて、変に感情込めて歌う様な人は、見ていて痛々しく思われる様になる。

 

◇バンドマンやミュージシャンのSNSは、正直面白くない

 

これは、結局、「自分!自分!自分!」と言う自分の事ばかりで相手の立場に立てない自己中心の人間が行き着く当然の着地点と言えるだろう。

 

「聴いて!聴いて!」「分かって!分かって!」ばかりでは、流石に誰も魅力を感じてくれたりはしない。

 

くどい様だが、念の為もう一度書いておくと、これは他人の作詞に対して押し付けるものではなく、僕個人の作詞における理念でありポリシーなのである。

 

だから僕の書く詞は体験からくる真実ではあるのだが、実話と言うのとはちょっと違う

 

◇実話じゃないけど真実を書いている

 

全てが体験なくしては書けない詞であるので、僕の書く詞は全て真実なのである。

 

しかし、実体験をそのまま日記や作文のごとく書いている訳ではない。

 

実話がダメだと言う訳ではないが、アマチュアの曲作りには、こう言った実話物が非常に多い

 

実話であっても、その中にきちんと詩的表現などを駆使し、しっかりとした音楽作品として作り込まれた上での実話なら何も問題は無い

 

だが、ほとんどのアマチュアの曲というと、その内容は例えばラブソングだと恋愛日記の様なもので、事の経緯から顛末、そして自分の気持ち、自分の希望と、自分が理解して貰いたい事、知って欲しい事が余す事なく書かれていたりする。

 

言ってみれば、その内容は説明文であったり、作文であったりと、いわゆるほぼ散文と言えるものがほとんどである。

 

これを作った作者は、その全てを聴いて欲しくて、言うなれば全てがサビの様なテンションで書かれているのだ。

 

たかだか1曲聴くだけの事だが、人間、そこまで隅々まで集中力を発揮して聴けたりするものではない。

 

ある程度の強弱がないと、ずっと、緊張しっ放しでは疲れて集中力も落ちるし、結局、そういう作りの曲は聴き手には伝わらないと言う事なのだ。

 

 

更に言うと、これに痛々しさを増す要因として、実話をそのまま歌う人には、泣かんばかりに変な感情の込め方をする人がけっこういるのだ。

 

これは以前も書いた事だが、これでは見てる側としては、まるで以前話題になった、西宮の某兵庫県議の号泣会見に近い物があるのは事実だ。

◇兵庫県議・号泣記者会見

 

 

何故だかこの手の自分語り目的の人は、歌詞を書く時にしても歌う場合においても、感情の込め方や感情の伝え方を分かっていない人がほとんどだ。

 

歌う事にしても、発声法や伝え方にはセオリーがあり、作詞に関してもセオリーやノウハウが存在するので、キチンと学んだ上で経験を積めば、どんどんその力は向上するものなのだが、こういう人達は、絶対と言っていいくらい何の勉強もせずただ歌い、その歌に自己満足し、ただ独りよがりの歌詞とも呼べない下手な歌詞を書き続け、その内容に酔い続け、第三者に押し付け続けるのだ。

 

以前、どこかで話したと思うが、上手い下手は別にして歌は誰でも歌えるし、いい悪いは別にして詞は誰でも書けるだけに、歌う事や作詞はどうにも舐められがちだと僕は昔から感じている。

 

しかも根拠のないセンスだけでどうにかなると思っている人間がやたら多い様にも感じるのだが、一部の天才は除いて、普通は、ボーカル・楽器・作詞・作曲、全てにおいて、センスだけでどうにかなる程音楽とは甘い世界ではない

 

◇センスと知識と経験と

 

しかも、どう見ても天才ではなく努力が必須だろうと言う人に限って、こういった傾向が見受けられるのだ。

 

ずっと昔は、歌う事や作詞がどうにも舐められがちな件に腹も立ててはいたのだが、いつの間にか、今は、所詮他人事なのでどうでもいいと思う様になったので、この記事に怒りは一切込められていない

 

◇ギターリストが弾くベース

 

そして、先程も触れたが、この手の人が書く歌詞は、歌詞の内容も順にあった事を説明して感情を説明して自分の希望を切々と訴えると言うダラダラとポイントを絞れていない場合が大半を占めている。

 

例えばこんな歌詞。

 

♪僕とキミはどこどこで出逢ったねぇ〜

あの頃のキミはこうだったよねぇ〜

そして、こんな事で二人はすれ違ったよぉ〜

土砂降りの雨が降ってた日ぃ〜

傘もささずにずぶ濡れでぇ〜

雨と涙でキミの姿もはっきり見えずぅ〜

僕はキミを追いかけたのさぁ〜

あの日に戻ってぇ〜

出来ればキミともう一度ぉぉぉぉ〜♪

 

これは、ちょっとちょけた感じがしないでもないが(笑)、今即興で僕が書いた詞で、大方のイメージではこんな詞が自己陶酔型の作詞の典型例だ。

 

実際はより長いものなので、大抵の場合、行間はどうでもいい経緯の説明でもっと詰まっているものなのだが。

 

これが作詞と言うのなら、誰でもいくらでも書けるのではないだろうか。

 

少なくとも、僕は、こんなのでいいのなら短時間で大量に作る自信がある。

 

作る気もないし、時間の無駄なのでそんな事をするつもりはないが。ε- (´ー`*)フッ

 

こういう事を書くと実績など根拠のない自信に満ちあふれた困った人達が怒り出す事もある。

 

まあ、相手をせずに無視するか、黙ってブロックするかって所なので、どうでもいいと言えばどうでもいいが。

 

言いたい事をただダラダラ言うだけなら、直接話をしたりブログや手紙に書いた方が手っ取り早いし、わざわざ曲に乗せる必要などない。

 

故に、これは歌詞の形になってはいるが、作詞と呼べるものではないと僕は考えている。

 

こんな歌詞を目の前で聴かされた日にゃあ、何だか聴いてる方が気恥ずかしくなってきて、しかも、やたら変に感情を込められたり涙ながらに歌われた日にゃ〜ってヤツだ。

 

ストレートに言わせて貰うと「痛い」「さぶい」とはまさにこう言うケースの事だろう。

 

プレバトの俳句コーナーでも夏井いつき先生が、「凡人はすぐにこういう表現をしたがる」と言う様な例をよくあげていらっしゃるが、歌詞の中でも、すぐに雨を降らしたり、雨の中ずぶぬれで傘をささなかったりって歌詞は本当に多い。

 

なので、スラスラと典型例として書けた訳なのだが。

 

で、この手の詞は、ただダラダラとストーリーを追いかけていて、大した比喩がある訳でなくカットの切り替えもなければ、五感に訴える表現もなく、具体と抽象の描き分けもない。

 

映画で言うと、カメラを引いたりアップにしたり、匂い立つ様な映像やカラーの対比、明暗の対比、気持ち良さそうだったり痛そうだったり美味しそうだったりといろいろと意味のある映像にさりげなく切り替わるものなのだが、この手の詞は、まるで、いつまでもヘタクソなナレーションが続いた結果、ダラダラとワンカットのみのシーンで終わる、観ると損をする物凄くつまらない退屈な映画の様なものだ。

 

そこまで酷い映画は実際観た事もないのだが、そういう曲ならば掃いて捨てる程存在するのは事実だ。

 

ただ、先程の即興作詞例の様な、一つ一つの細かいフレーズがダメだと言っているのではなく、もし、読者の中に自分もこれと似た様なフレーズを使って曲を書いていると言う人がいても、そこは気にしなくてもいい。

 

そして、ありがちなフレーズであってもそれも別に構わないのだ。

 

結局は全体の中でそのフレーズが生きてるのなら、それは問題ないのだから。

 

その点は誤解しないで欲しい

 

 

ここで夏井先生風に言わせて頂くとして、では、名人と凡人の表現の差とはどういったものなのだろう。

 

はっきりと違いの分かる例を2つあげてみたいと思う。

 

例えば、「涙でにじんで相手の顔も見えない」と言う様な内容の歌詞は凄く多いのだが、それを松山千春さんは「銀の雨」と表現している。

 

『銀の雨(jasrac作品コード:024-6720-8)』と言う曲の中での「♪窓の外は銀の雨が降る」と言う一節だ。

 

これは僕の解釈で、実際にはどう言う意味で書かれた歌詞なのか確認をした訳ではないのだが、歌詞を聴いて初めて気付いた事ではあるが、言われてみれば確かに、涙に濡れた瞳で雨が降る窓の外を見た時、涙で滲んでその雨はぼんやりギラギラとまるで銀色に光ってるかの様に見える

 

そう言う状況を書いたのではないだろうか。

 

「銀の雨」の一言で、「涙」と言う言葉を使わずに「泣いている」と説明もせずに、主人公は泣いているのだと言う事を分からせるこの表現力!

 

この解釈が正しいのかどうかは知らないが、そんな状況を凡人が書けば、「♪窓の外が涙で滲むぅ〜」と言うくらいがおそらく精一杯なのではないだろうか。

 

僕は涙で滲んで見える雨を「銀の雨」と表現しているのだと気付いた時の「何て秀逸な表現なんだ!」と言う驚きと感動を今でも覚えている。

 

ここまでの表現はなかなか出来るものではないし、それを万人に求める訳でもないのだが、「表現」とはこういう事なのではないのかと理解して貰うにはとても分かりやすい例なのではないかと思って「銀の雨」を取り上げさせて頂く事にした。

 

そして、『銀の雨』は、表現者とは何たるかも分からせてくれる作品だ。

 

前回の短歌の記事でも同じ様な話があったのだが、「♪窓の外は銀の雨が降る」と「♪窓の外が涙で滲む」の差は前者はこれこそまさに「表現」であり、後者はただの状況説明にすぎないと言う所だろう。

 

そして前者こそ、これを詩的表現だとか詩の欠片と言うのだろう。

 

◇詩の定義、詩の欠片、詩的表現を更に追究してみた

 

これこそが名人と凡人の差だと言えるのではないだろうか。

 

 

前回の短歌入門の記事に紹介させて貰った岡井隆さんの、「詩歌とは、いわば、紋切り型の日常語から断絶した世界。手あかのついていない、自分だけの言葉を探して歩く作業」と言う言葉があるが、作詞の場合は、全てがそうである必要はない

 

短歌や俳句の様に僅かな文字数の中に全てを込める世界と違って、一曲まるまる全てが新しい表現なんてものが、夢物語なのであって、たくさんの人に共感して貰う為にこそ、分かりやすくありふれた日常的で感情的な言葉でその思いをぶつけなくてはならない場面も1曲の中には出て来るのだ。

 

そして、その中にも自分だけの言葉が急所急所に散りばめられていると尚いい。

 

念の為に一言付け加えておくと、勿論、「自分だけの表現」が分かりにくくていいと言う意味ではない。

 

 

ここまで読まれた皆様、お疲れ様でした。

 

ありがとうございます。(。-人-。)アリガタヤ~

 

ようやく後書きになりますが(笑)、作詞に関して、僕は、独学ですが一応勉強はしています

 

◇作詞の本質を知る、そして、芸術鑑賞の本質を解く。

 

今回の記事は、勉強して覚えた知識もあり、その知識を土台に経験で悟ったものもあり、全く、僕独自の考え方もありと言う記事です。

 

なので、これが答えだと言うものではありません。

 

しかしながらもう一度言いますと、僕が学んで経験を積んだ結果出した答えなので、僕の中ではこれが正しい作詞のセオリーであり正解であり答えなのです。

 

痛々しく感じるアマチュアのライブ例についても、あくまで、「僕の感覚では」と言う事であり、皆が皆、間違いなくそう思うと言う話でもありません。

 

ただ、そんな風に感じる人もここにいるのだと言う事実をどう捉えるのは読者の皆さん次第です。

 

僕は僕の答えがありますので、特に誰かとこれについて議論したいとも思わないですし、するつもりもありませんし、ましてやこの記事は議論する為に書いたものではありません

 

読んだ人が、それぞれ、この意見を無視するのか、咀嚼して受け止めるのかを決めていただけばいいだけの話なのです。

 

正直な所、僕としては人それぞれなので、他人がどんな詞を書いてどんな歌い方をしようが実はどうでもいい事なのです。

 

そして、それがダメだとも思いません。

 

矛盾している様ですが、本人が楽しけりゃそれでいいじゃないって言うのも、僕の本心です。

 

しかしまあ、せっかくですから、まだまだ発展途上の僕ではありますが、そんな僕の知識と経験の発信で何かが変わる人がいるのならって事で書かせて頂きました。

 

僕としては、これが誰かの参考になったりお役に立てたのなら、それはやっぱり嬉しい事だと言うのは言うまでもない事です。



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*

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