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この記事は3600文字です。(読破予想時間:約8分34秒)
◇作曲、ワンパターンから抜け出せない時。楽器変更編
◇作曲、ワンパターンから抜け出せない時。理論編
作詞って、同じ“言葉”と言うものを使って“うた”をよむ仲間の俳句や和歌や川柳ほど、こうでなくてはならないってルールが、明確にある訳ではないですよね。
それだけに自由な様で、逆にルールをはっきり言って貰えないからこそよくわからないって人も多いと思います。
僕もそうでした。
歌詞を自分で書いてはいるものの、昔はこれで本当にいいのだろうか?って不安を抱えたまま続けていたのです。
それもけっこう長い期間だったと思います。
そういう不安をどこかに抱えたまま、だましだましやって来ても、人前で発表するって事は、どうしても、人の評価を受ける事を避けられない不安がつきまとうものです。
その不安を抱えたまま、更なる高みを目指すと言う事は、事実上困難だと言えます。
まず、どこを直して、どこへ向かえばいいのか分からないじゃないですか。
でも、自分の中では、戦後の歌謡曲が生み出した名曲の歌詞を書いた人達の詞は、理屈は分からないまでも素晴らしいと感銘を受けるものが多い中、音楽を始めた当初の10代の頃は、その頃、シンガーソングライターと呼ばれた人達の詞も今までになく、自由で、前衛的に感じたのも事実でした。
その頃には、曲作りの主流も詞先<しせん> からメロ先<めろせん>(曲先<きょくせん>とも言う) へと極端にシフトした時期でもありました。
今の様に、ネットがある訳でなく、情報が溢れてる訳ではなかったし、自分の勝手な直感めいたイメージで、「詞先と言う作り方の枠に限界が来ているのではないか、そして、詞のルールががんじがらめすぎるのではないか」と、いまいち、詞のルールにどんなものがあるのかも分からずに、そんな事を考えていました。
そして「詞のルールに縛られてはいけない」と何のルールも知らない癖に、初期のうちから、作詞の理論やセオリーを身につける事を拒んでしまったのです。
でも、不安はつきまとう。
先へ進めない。
自信が持てない。
結局、いろいろ考えて、作詞を勉強する事に決めたのですが、やってみての結論は作曲理論を学んで知識を身に付けた時と、全く同じ物でした。
知らなくても、曲作りは出来るが、知っておいた方が何倍も有利だし、自分の助けになるもであると実感したし、どうしてもっと早く、作詞としっかり向き合わなかったのかと、自分の愚かさを痛感する事になりました。
理論やいろいろな作詞法ともいえるセオリーは、先人達の知恵の宝庫であり、決してルールでガチガチに縛る物ではありませんでした。
勿論、ルールは存在しますが、イメージ程多くはなかったのが実感です。
むしろ、何も知らない方が、幅も狭く、勝手に自分の世界に閉じ込めて狭くしてる印象は否めません。
結論=作詞の絶対的なルールは少ないが、セオリーやテクニックは知っておいた方が圧倒的に有利。
ただ一つ残念な事は、知識を身につけると言う事は、どんな分野でも共通する事ですが、鑑定眼を身につける事でもあり、耳が肥えてしまうのです。
今まで、感動するいい詞と思ってたものが、凄く幼稚な小学生の作文の様に感じてしまう事があると言う事です。
例えるなら、空手や柔道を習いに行って、黒帯を締めるくらいになった頃、凄く強いと思ってた町内の喧嘩番長の動きがスローモーションに見えて、スキだらけで全然強くなかったんだと分かってしまった時の感覚とほぼ同じと言えるかもしれません。
女の子には番長の例えより(^▽^;)、美味く出来たと思ってた我流で作ったケーキが、本物のケーキ作りを知ってる人の本当に美味しいケーキを味わってから、我流の自分のケーキがあまり美味しく感じなくなったって方が分かり易いのでしょうか?(・・;)
芸術もスポーツもそして文学にも共通して言えるのは、見て楽しむ側にも最低限の知識がいるって事でしょうか。
絵の鑑賞をしていても、その技術がうまいのかどうかさえ分からないのに、楽しいも何もあったものじゃありません。
音楽も、楽器の技術を自分はうまくなくても、自分にはとてもマネ出来ないと感じる事が出来るだけの知識(経験)があれば、何もない人より、いろんな部分で感動する事が出来ます。
スポーツもそうです。
そのテクニックやパワーや戦術が通常と比べてどうなのかも分からなければ面白さは半減どころではありません。
確かに、何も知識がなくても、この絵は凄く奇麗だとか、このメロディーがもの凄く好きだとか、この選手は凄くうまいなとか、誰でも分かる部分は確かにあります。
それだけに、鑑賞して楽しむには最低限な知識が必要である事に気付きにくいとも言えると思います。
でも、知っている方が、知らない人より、本当の意味で広く深く楽しめて、知らない人より人生を絶対に得していると僕は思います。
何も知らない素人からプロまで、どんな人でも感動させる事ができてこそ、一流の芸術家だって意見を本当によく聞きます。
言いたい事は分かりますが、それは理想でしかありません。
人類史上、そんな人は一人もいません。
何も分かってない人の屁理屈と言っても過言でもないと思います。
先ほど、文学という言葉をいきなり出しましたが、文学で例えると非常に分かり易いと思います。
ほとんど、学問も世の中の知識もない子供が楽しめる様な童話と、大学の文学部レベルの専門知識がないと半分も理解出来ない様な難しい言葉だらけの文学作品があったとします。
これは、誰にでも分かるから上だとか、凄い専門知識を使ってるから上とか、上下はない筈です。
名作か否かという判定に、簡単で分かり易いかどうか、或いは、どっちが難しいかなんて関係ありません。
いいものがいい。
ただ、それだけなのです。
誰にでも分かる作品は、誰にでも理解出来る反面、もっと難しい知識が理解出来る様になった読み手には、物足らなくなるという傾向があります。
そして、難しい作品は、子供や知識のない人に分からないから駄作って訳でもありません。
この『童話』って言葉を『童謡』に、『難しい作品』って言葉を『ジャズ』や『クラシック』と置き換えると、音楽をしている人にはより分かり易くなるかも知れません。
楽しめるかどうかで言うと、楽しめる層は知識の度合いや好みの違いで分かれますが、理解出来るかどうかで言うと、簡単な作品しか楽しめないくらいの知識量の人は、難しい作品は半分も理解出来ないが、知識と経験を豊富にもってる人は簡単な作品を全て理解出来ると言う事です。
楽しめるかどうかは好み次第ですが。
そう言いながら、いまだに僕は、作詞は最も苦手で、曲作りの中で最も時間がかかる行程であり、いつ出来るのかも全く予測が出来ず、いつも産みの苦しみを味合わせてくれる天敵が、作詞なのです。
そんな何も知らない頃の作品は、今、読み返すと恥ずかしいものも多いですが、中には、今より、秀作もあったりで、よく分からないものです。ヾ(@°▽°@)ノ
ただ、作曲ワンポイントアドバイスと同じく、僕が使った作詞の本はAmazonなどでも、既に、扱われていないようです。
上の行で作詞の本へリンクを貼らせて貰った中にある、阿久悠
先生の『作詞入門-阿久式ヒットソングの技法』という本は既に僕も購入して読んで、オススメの素晴らしい本なのですが、作詞の技術や基本やテクニックの話は一切出てきません。
何故、作詞入門と言うタイトルがついてるのか不思議です。
作詞を勉強しようって人には、おそらく全くと言っていい程役に立たないと思います。
要注意です。
大作詞家・阿久悠先生の人生やその考え方に触れてみたいって人には是非、読んで貰いたいオススメの一冊です。
とても面白かったと僕は思います。
別々の記事で書こうと思ってた作詞の話と、芸術・文学の鑑賞の話が、何故だか、書いてるうちに自然に一つの話にまとまってしまいました。(@ ̄Д ̄@;)
毎度、無計画に流れに任せてMacのキーを叩いてるもので。(^^ゞ
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