作詞にまつわるエトセトラ | 皆見つかさ 公式ブログ 〜ソロアーティストの脳内と日常

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この記事は5466文字です。(読破予想時間:約13分0秒)

 

■「君(キミ)」と言う言葉は使われている

歌詞に使われている言葉を、普段実際に使うかどうかを話題にする場面に遭遇する事がある。

 

ネットで、「君(キミ)」と言う言葉なんて普段、使わないと言う意見を目にした事が何度かある。

 

しかし、僕は「キミ」と言う言葉を使う人を何人か知っているし、その他でも、実際に何度も耳にしている

 

確かに、そんなに頻繁に聞くものではないが、それでも、それ程珍しい言葉でもない。

 

そして、僕の父も母に対してだけ「キミ」と言う言葉をいつも使っていた

 

日常会話ではないが、上方漫才ではよく「キミ」と言う言葉を使う

 

もしかしたら、この言葉は関西限定なのかも知れない。

 

或いは、もっと狭い範囲で大阪だけなのかもしれない。

 

しかし、もしそうだとしたら、甘い愛の囁きが全く似合わない関西弁の中でくらいしか使われてない言葉なのだとしたら、甘いラブソングなどで「キミ」と言う言葉が頻繁に使われているのが、少し面白い。

 

勿論、関西でも愛の囁きの様な場面では「キミ」などと言う言葉は、おそらくほとんど使われていない筈だ。

 

■詩歌の世界での「君(きみ)」

そもそも、詩歌の世界では「キミ」と言う言葉は、恋人など好きな異性を指す言葉である。

 

なので、「キミ」なんて言葉は、普段使わない言葉だから歌詞に使うのもおかしいなんて話は、こんな風に議論する事すら論外な話である。

 

でもまあ、ここはいいとしよう。

 

■ドラマではよく耳にするのに東京で「キミ」は使われてないの?

でも、ネットで「キミ」と言う言葉なんて現実に使う人間はいないなどと、その場の皆が賛同していたのを見ると、東京は勿論の事、全国でもあまり使う人はいないのかもしれない。

 

そう言う僕も、ツッコミ以外ではあまり使った記憶がない。

 

ドラマや映画などで頻繁に耳にするので、てっきり東京では、男性が女性に呼びかける時や上司が部下を呼ぶ時などに、頻繁に使われてる言葉なんだと思っていた。

 

このドラマや映画でもよく耳にしてる気がする感覚は、気のせいなのだろうか?

 

そう言えば、東京じゃ皆はどんな言葉を使ってただろう?

 

何か、余り思い出せない・・・。(-""-;)

 

名前で呼ばない場合、「お前」も使うがそれは誰にでも使える訳じゃないし、「あんた」も相手と場面が限定される。

 

「お前」「あんた」より、スマートな呼び方を必要とする場合、どう言ってただろう?

 

何度考えても東京では「キミ」と言う言葉を使ってる印象がある。( ̄_ ̄ i)

 

まぁいい。

 

次にまた東京に行った時にでも、注意して聞くとしよう。

 

■「おいら」「あたい」と言う一人称について

そういや、随分昔、僕の後輩が歌詞に「おいら」と言う一人称が使われてる曲があるが、それが嫌いだと言っていた。

 

そんな言葉を使う人を見た事がないからだそうだ。

 

最近は、あまり「おいら」などと言う言葉を使う歌詞は見かけなくなったが、80年代くらいまでには、よく歌詞の中で耳にした言葉だ。

 

戦後の古い映画などでは、劇中でもよく使われている。

 

この言葉は、昔はきっと関東の方では現実によく使われてた言葉なんだろう。

 

それと同じ様なものには「あたい」と言う言葉もあるが、これも同じく、最近は聞かない

 

どんな言葉も使い様によっては生きてくるものではあるが、確かに「おいら」や「あたい」など、実際に廃れていった今は使われなくなった言葉を、今、歌詞の中で工夫も必然性もなく、普通に使うと違和感がある

 

しかし、歌詞に日常会話で使わない言葉を使ってはいけないなどと言うセオリーもルールもない

 

■文語と口語の存在が素晴らしい文化を作り上げた

日本語には、日常会話で使わない言葉など数えきれない程ある

 

単純に分ければ、文語と口語と言う事になる訳だが、僕も普段は使わない言葉をブログでは普通に使っているし、小説などでもあちこちに使われていたりするし、論文などでは、日常会話で使ってる言葉で使ってはいけない言葉の方がたくさんあるのではないかと思えるくらいだ。

 

そんな言葉をたくさん使っている小説を読んでも、特に違和感などは感じない。

 

そして、歌詞でも同じで「キミ」以外にもあちこちに頻繁に日常会話では使わない様な言葉が使われている。

 

特に人の台詞ではない部分には、普段使わない表現がたくさん使われる

 

例えば、日常会話で「めくるめく」などと言う表現を使う人も余りいないと思うが、歌詞の中ではよく使われる

 

日本語の場合、大昔から文章にする時は、文語体が使われると言う文化が発達していたせいもあるのだろう。

 

言文一致などと言って、話し言葉と文章で使う書き言葉を一致させようとし始めたのは、明治になってからだ。

 

そのおかげで、文字での表現の幅が広がって、それが日本の素晴らしい文化となり得たのだろう。

 

文語体のみでは、書く側も読む側もそれなりの知識が必要になってくるし、口語体のみでは、表現の幅が狭く、表現より内容のみが重視される事になるだろう。

 

そうなると今程、歌詞の鑑賞が楽しく味わい深いものにはならなかっただろうと思う。

 

普段使わない言葉もいろいろ発達してくれたおかげで、表現の幅は相当に広がっている

 

ネットが普及する以前から、そして、現在のネット上でもよく、実際にそんな言葉を使うかどうかが焦点になって歌詞を否定する様な意見を見かけるが、それは、口語体・文語体と言う日本語独特の文化の存在を無視した、言葉は悪いが無知な意見と言わざるを得ない意見だ。

 

そこの所を押さえた上で歌詞を鑑賞するだけで、鑑賞の幅が広がる事は間違いない。

 

■詞と言うもの

作詞する場合は、文法に従って書く必要もないし、普段使う言葉でなくても問題はないし、何なら、実際には存在しない言葉を作ってしまってもかまわない

 

こう言うと語弊があるので一応注釈を入れておくが、文法が間違っててもいいと言う意味ではない

 

間違うのと、分かった上で文法に従わずに書くのは違う。

 

より良い歌詞を書く為なら、例えば、「てにをは」なんてなくても構わない訳で、きちんと伝わるのなら、主語・述語・修飾語など、文章の構造が文法通りでなくても問題はない。

 

前にも書いたが、歌詞とは、自分の主張を文章で書いた原稿ではなく、音楽パーツなのだ。

 

 

歌詞は、詩(ポエム)や作文など、文筆の世界とは似て非なる物であり、共通点はたくさんあるものの、基本的には別物なのだ。

 

 

これを勘違いしている人は本当に多い。

 

■歌詞にダメ出しをする小説家の話

別に未だに腹を立てている訳ではないが、とある文筆家の、思い出すと怒りが込み上げてくるエピソードがある。

 

とある文筆家と言うのは、ぶっちゃけ元カノの事だ。

 

その事を思い出すとその時の気持ちに戻ってしまうだけで、別に恨みにも思っていないし、トータルでは今でもいい印象が勝つそんな元カノだ。

 

文筆家と言ってもいろいろあるが、彼女は小説家志望だ。

 

彼女は、当時まだ小説を出した事はなく、日々、雑誌のライターなどで生計を立てていた。

 

彼女の文筆家としてのプライドは相当なもので、その部分への他人の介入は許さないし、他人の高慢な自信も決して許しはしない

 

その気持ちは僕もよく分かるし、僕もある意味同類だと思っていた。


僕は、作品の制作過程の途中を見られるのが大嫌いだ。

 

しかし、ある時、書きかけの歌詞の話が出た時にしつこく見せて欲しいとせがまれて見せた事がある。

 

すると、彼女はあろう事か、僕の書きかけの歌詞にダメ出しを始めたのだ。

 

そして、赤ペンで上から添削をしたのだ。

 

これは絶対にやってはいけない事だろ!と今でも強く思う

 

僕も彼女の仕事や作品に口出しやダメ出しはした事がない。

 

それは最低限のルールだと思ってた。

 

しかも、彼女のそのダメ出しの解説は、いかにも文筆家目線の解説だ。

 

添削も、音楽パーツとしての物の見方は一切入っていないし、音楽要素を音楽要素として意味のなさない言葉に置き換えたりと、とにかく無茶苦茶な添削だ。

 

文筆の世界と作詞の世界は似ているが全然違う

 

言葉を駆使して何かを表現すると言う部分が共通しているだけで、全く異質なものなのだ。

 

作詞を勉強した事もない彼女の意見は、作詞の世界では寧ろやってはいけないとされる様な内容を正しい事の様に解説してたり、まさに、ど素人の意見なのだ。

 

僕は「ポエム(詩)を書いてるんじゃない、作詞をしてるんだ」とやんわり彼女に告げたがそんな事は伝わらないし受け付けない。

 

歌詞を文章の仲間だと思ってる彼女は、高いプライドをかざして引こうとはしない。

 

そして、作りかけの作品を見られたくない僕の性格なんて、全く汲もうとはしていない

 

完成型であっても、ダメ出しなんてされる謂れはないのだが、ましてや、自分でもまだまだ納得していない部分もたくさんある未完成作品なのだ。

 

 

しかし、彼女はプロが無料で有り難いアドバイスをしてあげたと言わんばかりの、誇らしげで満足げな態度だ。

 

ライター業では、確かに勤め人では考えられない程の収入と実績がある彼女だが、作詞に関しては、プロどころか、趣味でバンドをやっていて作詞作曲を少しした事があると言う程度の素人であるにも関わらずだ。

 

その時は、余りにいろいろな思いが入り交じって、それ以上何も言えずじまいだった。

 

それだけに、未だに思い出すと腹が立つのかもしれない。

 

その後、赤ペンで添削された書きかけの詞を一人で眺めながら、物凄い怒りと悔しさが込み上げて来たのを覚えている。

 

そして彼女は間違いなく、そんな事は忘れている。

 

もし、彼女が今、このブログを読んだとしても自分の事だと気付きもしないだろうし、酷い話だと、こちら側に立って感情移入する可能性すらあるそんな子だ。

 

その分、彼女は余り根に持たない性格で、もし、これは彼女の事だと説明したとしても、疑いもせずすんなり受け入れて、間違いなく楽しそうに大笑いする。

 

あまり間を開けずにこんな話をすれば口論になるかもしれないが、彼女が忘れるくらいの時間が過ぎた場合は、口論にはならない。

 

そして、忘れるまでの時間も僕の何倍も短い。

 

後から話を聞いて、有り得ない様な自分のえげつなさや立ち居振る舞いに大爆笑する、そんな子だった。

 

ハチャメチャな様ではあるが、そういう所は、好きな所の一つだったし、間違いなく長所だと思う。

 

今となっては、他人の嫁だしどうでもいいと言えばどうでもいいのだが。

 

とにかく、文筆のプロでもそんな勘違いをしてる人間がいるんだから、世の中の理解なんて夢のまた夢ってところだろう。

 

と言っても、世の中に分からせてやろうと思ってる訳ではないが。

 

■作詞が作文や詩を書く事とは違うと言うその根拠

小学校の頃から国語は好きで、得意な科目だ。

 

作文や詩が、校内で優秀作品として選ばれた事も何回かあるし、市のコンクールに送られて何か賞をとった事もある。

 

子供の頃から、文章は読むのも書くのも好きで得意な事の一つだった。

 

今も、ブログを含めて、文章をほぼ毎日、それも何年も書き続けているが、特に苦痛はない。

 

しかし、作詞はどちらかと言えば苦手ジャンルだ。

 

 

苦手ジャンルと言っても、作文より作詞の方が下手とかそう言う意味ではない。

 

ブログなどの文章を書くのが得意と言ってもアマチュアだし、作詞よりはレベルが低い。

 

特に作詞のレベルが高いと言っている訳ではなく、あくまで自分の中での対比で、よくCMである「当社比」と同じ様なものだ。

 

そして、苦手=下手でもなければ、得意=上手と言う意味でもない

 

苦手と言うと精神的な部分も含めた表現だ。

 

でもこの場合、嫌いと言う意味は含んではいない

 

産みの苦しみを味わう苦痛を思うと、僕の音楽作りの中で、最も苦手としているのが作詞なのだ。

 

こういう事からも、作文や詩を書くのと作詞とは、全く異質なものであると言う事が分かる

 

両者が同じ物なら、一人の人間の中で得手不得手が分かれたり、違う感情が沸き起こったりする筈はない。

 

似てるものだが、バスの運転と電車の運転くらい違うものだと言っても過言ではない。

 

電車の運転の仕方も知らず、こんな例えを出して大丈夫か?と言う思いも少しよぎりながら書いているのだが。(-""-;)ウ~ン

 

■結び

僕がこのブログの記事を書くときは、文章の構成をある程度考えて書く場合と、その時のあたまの中をどんどん文章にしていって、構成も何も考えずに書く場合があるのだが、今回は後者の方だ。

 

なので、今回は、余りまとまりもないが、特にオチもなければ結論もない。ヽ(;´ω`)ノ

 

 

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