電撃憂歌作戦 | 皆見つかさ 公式ブログ 〜ソロアーティストの脳内と日常

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電撃憂歌作戦・アイキャッチ画像(昔、確かに存在した名も無いバンドの話)

 

この記事は6377文字です。(読破予想時間:約15分11秒)

 

今から、26年ちょっと前の話になるが、1989年の春の話

僕がドラムボーカルでギター二人、ベース、キーボード(主にピアノ)と言う編成の男ばかりの5人組のバンドがあった。

 

このバンドを組んだのは、もっと前になる。


ちなみにメンバーチェンジをいくつか経て、解散時は4人組だったが。

そのバンドの名前が『電撃憂歌作戦』。

 

『電撃憂歌作戦』と書いて「でんげきゆうかさくせん」と読む。


特に、実績らしい実績は残していないので、この名前で検索しても何も出て来ない。

僕は、当時、母の名字を名乗っていたので、今の僕と繋がる点はない。

この名前をつけてるとよく「憂歌団好きなの?」と聞かれたが、憂歌団とこの名前は特に関係はない

まぁ、憂歌団は好きなので、「うん、好き」とは答えてたけど。(・・;)

 

 

ブルースを基調にしたバンドだったのと、日本人なので漢字で名前をつけたいと思っていた事もあって、ブルースを漢字で表現したかったのだが、BLUESを日本語にしても、カタカナになるだけで、ブルースもしくはブルーズ。

なので、中国語の辞書でブルースを調べてみると、『憂歌』と出てきたのだ。

憂歌団と言う名は中国語で、直訳するとブルースバンドって意味らしい。

そんなビッグワードなら、誰が使ってもいいだろうと、使う事に決めた

そして、次にこの名前で誤解をよく受けたのが、ウケ狙いだと思われた事

どうやら、電撃と言うフレーズが、当時既に売れていた、電撃ネットワークを連想させるかららしいのだが、これもまた、全然関係ない。

世間を震撼させるエレクトリックなブルースサウンド

僕の造語でエレクトリック・ショック・ブルース

それを漢字に直すと、電撃憂歌が妥当だと思って付けた名だ。

作戦はそのまま、そういうプロジェクトで組んだユニットだから漢字で『作戦』

通して、『電撃憂歌作戦』。

パクリでもウケ狙いでもなく、大真面目に考えたオリジナルネームだ。

でも、パクリでなくても、今まで世間で使われてなかった言葉を2番目に使うと、どうしても最初に使った人達のイメージを払拭できないというのは、実に厄介な事実だったが、まぁ、勉強にはなった。


このバンドを組む前も他の人間がリーダーをしているバンドで、ライブハウスに出たりした経験はあったのだが、自分が歌う自分が作った自分のバンドでライブハウスに正式にキチっとブッキングされたのは、このバンドが最初だった。

それまでもいくつか自分のバンドを作っては、解散していて、いろんな形でライブは何だかんだで、やってはいたが、ライブハウスの箱バンになった最初の自分が作ったバンドが電撃憂歌作戦だと言った方が分かりやすいのだろうか?

そして、電撃憂歌作戦として、いくつかのライブをこなした後、最初に進出したライブハウスが、京都の拾得(じっとく)と言う、老舗のライブハウス

 

◇京都のライブハウス/拾得の公式ホームページです


ここも他のバンドでは出た事が何度かある慣れ親しんだライブハウスだ。

今や日本一古いライブハウスになるらしい。

そして、僕自身、最も思い入れのある箱である。

しかしながら、電撃憂歌作戦、初出演の時は、二度と思い出したくないくらい、散々だったのを覚えている。

忘れもしない、1989年の4月。

このバンドを組んで、もうすぐ1年になろうかと言う頃の話だ。

 

当時は、対バンと言えば、2バンド対バンが普通で、持ち時間はセッティング込みで何処の箱も、1バンド大体60分以内。

 

この日も2バンド対バンだった。


その対バンが、あまり有名でもなく、そんなに人気もないが知る人ぞ知る実力のある、メジャーから既にデビューも果たしているプロのベテランバンドだ。

今でも、ググれば、いくらでも情報は出てくる。

こっちは、ライブハウス自体初めてのメンバーもいる、完全に格下のアマチュアバンド。

どうして、こんな組み合わせになったのか、いまだに、この件に関しては首をかしげる。

リハで演奏をちょっと聴いただけで、抜群にうまいし、素晴らしい演奏なのはすぐに分かった。

うまいバンドと一緒に出来る事を喜ぶメンバーもいれば、ライバル意識むき出しで空回り気味のメンバーもいるし、急にガチガチに緊張して萎縮しているメンバーもいる。

対バンのリハが始まってから、メンバーの様子が明らかにいつもと違う

やたら落ち着かず、浮き足立った感じだ。

こういう時、バンドってヤツは人数が多い分、うまく作用すれば、メンバー同士のフォローなどもあって、それがいい方向にいく場合もあるが、その逆にどんどんバラバラになって収集がつかなくなる場合もある。

その点、一人の場合は、一人ででテンパっても誰も助けてくれない分、ある意味自分さえ何とか取り戻せばいいだけなので、きっかけやコツでどうとでもなるソロの利点と欠点がバンドでは真逆になる

その日のセットリストは、ほとんどがオリジナルで、2、3曲だったか、洋楽のカバーが少しというラインナップ。

出だしから案の定バラバラで、何とかしようと思えば思う程空回る

しかも、拾得というライブハウスは、アメリカなど海外の旅行のガイドブックに同じ京都の磔磔(たくたく)と並んで、2大老舗ライブハウスとして、紹介されているらしく、突然、外国のお客さんが入って来られたりする。

 

◇ライブハウス磔磔 [takutaku]


その日も、僕らの演奏中にステージの前を横切る様に入ってきて、数人の外国人の観光客が席についたのが、はっきりとステージの上から確認出来た。

しかも、そのタイミングが悪すぎた。

洋楽のカバー曲のうち、一曲だけ歌詞をきっちりコピーせず、何となく聞こえるがままに、カタカナで適当に歌ってる曲があったのだが、まさに、その曲を歌ってる最中におそらく英語圏の観光客であろう、外国人が入ってきたのだ。

とうとう、リーダーである自分までテンパって撃沈

そして、そのライブは、全然まとまらないままに終わった。

まさに、プロとの対バンで、プロフェッショナルの洗礼を受けたという印象だった。

この時の事は、長い間、思い出すのも嫌な体験になった。

そんなライブの後、もう呼んで貰えないかとも思えたが、その年の6月にまた出演する事が決まった

その6月のライブでは、驚く程スムーズにいい演奏が出来て、観客を惹き付けた手応えをステージ上でヒシヒシと感じ取る事が出来た

その時の対バンは、残念ながらどんなバンドだったか一切覚えていない。

とにかく、バンドの嫌なムードを払拭出来た、最高のライブだったと思う。

しかし、その嫌なムードと気分が払拭されたのには、ライブが上手く行った事以外に、もう一つの要因がある

ライブ後にその嫌な気分の払拭が出来た重要な要素の1つとして、拾得のスタッフのお姉さんの話は欠かせないので、書いておきたい。

拾得には、当時、唯一の女性スタッフで、ちょっとイカした年上のお姉さんがいたのだが、そのお姉さんのメッセージ入りの封筒と、もう一枚初めて拾得に出てコケた時の、この2回のライブのそれぞれのチャージバックが入ってた封筒は、今でも持っている

そのお姉さんとはほとんどまともに話した事はなかったのだが、一言、書いてくれてたのが、何か嬉しくて処分出来ずに今でも持っているのだ。

どっちが1回目でどっちが2回目なのかちょっと記憶が揺らいで来てるが、それぞれお姉さんの「私は「やな女」って歌が好きです」って言葉が2回目で、おそらくお姉さんの言葉ではない「漢字ばっかりの名前が新鮮です」って言葉が書かれてある方が1回目だ。

 

漢字ばかりの名前を意識してつけたので、漢字ばかりの名前が新鮮と言われた事もとても嬉しくて印象には残っているのだが、嬉しいと言う理由で残しておいた記憶があるのはお姉さんのメッセージ入りの方だけなので、もう一枚はおそらく、自分のバンドでの初ブッキング初チャージバックの記念にとっておいたものだと思う。

この二つの文字の癖が違う事からも、おそらく、お姉さんの書いてくれた封筒は手作り封筒の方だけだと思うのは間違いなさそうだ。

 

拾得封筒ウラ・メッセージ入り
1989年4月、電撃憂歌作戦・拾得ライブ
メッセージ入りチャージバック封筒ウラ

 

拾得チャージバックの封筒オモテ
1989年4月、電撃憂歌作戦・拾得ライブ
チャージバック封筒・オモテ

 

拾得のお姉さんの手作り封筒メッセージ入り

1989年6月、電撃憂歌作戦・拾得ライブ、チャージバック袋
拾得のお姉さんの手作り封筒・お姉さんの自筆メッセージ入り


1回目スベって2回目に何とかライブが成功して、この第三者であるお姉さんのメッセージで、やっと1回目のライブの悪夢が払拭された気がしたと言う流れなら、この曖昧な記憶の全ての辻褄が合う。

こんな小さな出来事、お姉さんは、きっと覚えてないだろうけど、お姉さんに会えるものなら、是非会ってお礼が言いたい

お姉さんの許可なく、メッセージ入りの画像をアップする事にためらいもあったが、金額部分だけ消してアップさせて貰う事にした。

今もいてたりするのかなってふと思うが、拾得にはいつかまた出たいと思っているので、その時の楽しみにおいておこう。


そしてその後、一年程の活動を経て、いつの間にやら活動休止に入って、その活動休止中に僕の口からメンバーに解散を告げたのが、そのバンドの最後だった。

結成から解散まで約3年、活動休止があったので、実働は2年くらいだったかな?

メンバーチェンジもあったが、関わったメンバー全員が印象深く、今でも感謝をしている

 

 

至らないリーダーで、当時未熟な自分には、抱えたものが大きすぎて抱えきれずに終わったけれど。

頭の中に描いた音楽を表現しきれずに終わったけれど。

今の自分に最も影響を与えたバンドは、あの『電撃憂歌作戦』だったと言える。

当時は、そんな事は全く分からないし、今だからこそ分かる事なのだが。

あれから数えきれない程のライブを経験したが、はっきりと細かい所まで覚えてるライブは数える程だ。

箱もライブもメンバーすらも全く思い出せないものも、実はけっこう多かったりする。

そんな中、ハッキリ覚えているそのうちのいくつかが、何故だか、電撃憂歌作戦のライブなのである。

あの時、表現出来なかったものも今になって表現出来たり、あのバンドのコンセプトが今のソロ活動の根源、或いは、原点と言ってもいいと思う。

今まで、いくつのバンドを組んだり、入ったり、手伝ったりしたか、ありすぎて正直数えるのも不可能な状態ではあるが、その全てが勿論自分の血肉にはなっている筈である。

でも、自分の今の音楽の延長線上を過去へさかのぼると、そこと今が一直線にしっかりと繋がるのだ。

僕のソロのナンバーで『やな女(1988)』と言う曲があるが、セルフライナーノーツの説明で出てくるバンドがまさにこの『電撃憂歌作戦』なのである。

 

◇やな女(1988)/皆見つかさ

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拾得のお姉さんが封筒に「私は「やな女」と言う歌が好きです」と書いてくれたそのやな女を出来るだけ当時のイメージに近付けてレコーディングしたのが、僕のソロでのファーストアルバム『解放』に収録されている『やな女(1988)』なのである。

 

 

レコーディングのイメージも拾得でのライン録音のイメージに近づける様、ボーカル録りにダイナミックマイク(SM58)を使ったりして、そこにこだわってレコーディングを進めた。

 


うまく、ライブ風の録音が出来たとけっこう満足している

 

各パートのアレンジやフレーズも基本的には、当時もほとんど僕が作ったので、全体的なイメージは自分が作ったままでいけるし、各パート担当が自分なりに作った細かいフレーズは全て、僕自身のオリジナルフレーズに置き換えて演奏・録音しているので、当時のイメージにかなり近いとは言うものの、『やな女(1988)』は、100%皆見つかさのオリジナルで他人のセンスや要素は皆無な曲である。


ソロでのファーストシングルの曲であり、アルバム『解放』にも収録されている『Stranger in X'mas Town』も実は、1988年のクリスマスに、この電撃憂歌作戦にゲストミュージシャンを招いたユニットで演奏して、多数の有志であるミュージシャンが参加したオムニバスのクリスマスアルバムに収録・発表した曲である。

 

 

 

◇Stranger in X'mas Town (album version)/皆見つかさ

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この曲は、その後、いろんなユニットでいろんなバージョンが出来るが、今回、ソロで発表したバージョンと電撃バージョンしか正直、印象には残っていない。

今の自分があるのは、『電撃憂歌作戦』のおかげであり、『電撃憂歌作戦』を語らずして、自分を語る事は出来ない

何も出来なかった負い目と感謝の気持ちを抱きながら、ここまで来た事を、もう伝える機会もないので、ここに記しておきたいと思う。

 

 

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