すっぴんマスター2017‐映画 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

今年は映画もかなり観たのでいちおう記事にしておこう。

 

 

 

なにより今年はものすごい久々に映画館で映画をみた(といってもたった2回だが)。1度目は4月21日に実写版『美女と野獣』、『トレインスポッティング2』、そして10月6日に『スイス・アーミー・マン』である。

なにもかもをユアン・マクレガーに感謝しなければならない。もともと僕は映画大好きである。僕の批評の原点にあるのはたぶん淀川長治で、たぶん僕世代はその意味ではみんなそうだろうけど、週末にやってる映画はぜんぶみていた(ただ、ジャッキー・チェンだけは、なにかつまらなそうにおもえて見てこなかった)。中学生、高校生くらいのときには、家でWOWOWが見れたので、誰もいないときは学校サボってずっと見てたりもした。深夜にやってる、ぜんぜん聞いたこともないようなわけのわからない映画とかもよく見てた。大学生くらいからレンタルで借りることを覚えて、あまり見てこなかった大衆ヒット作系も教養としてちゃんと見るようになっていった。そういうわけだから、相方にもたくさん映画を見せることになる。きっかけはスターウォーズである。美女と野獣を見に行ったときにくわしく書いたのでここは適当に済ませるが、ともかく、相方はボバフェットにはまってくれた。で、ボバ&ジャンゴ目当てで何回もスターウォーズをループするうち、今度は若いほうのオビワン、というか厳密にはユアン・マクレガーにはまっていったのである。我々の関係においては、いつでも最初に提供するのは僕で、それをありえないほど深めるのが相方である。相方はユアン・マクレガーをディグりはじめた。なかにはすでに僕の見たことのあるものもあったが、ぜんぜん聞いたことすらないものもあった(ベルベット・ゴールドマインとか)。そうすると、自然に目が肥えていくので、相方は映画そのものが好きになっていった。かくして、週に最低3本、多いときは5本の映画をレンタルで見る生活がはじまったのである。なかでも、ユアンはもちろん、ジェームズ・マカヴォイやダニエル・ラドクリフ、トム・ホランドなど、イギリスの俳優が好みで、彼らを中心に作品がチョイスされる。じぶんのブログに検索かけて調べてみたが、どうもやはりこの生活をはじめたのは今年のことらしい。ずっと続けているのでもう何年もやっている感じがする。

 

 

『美女と野獣』『トレインスポッティング2』は、むろんどちらもユアン目当てである。美女と野獣ではルミエール役で、T2はいうまでもなく伝説的なユアンの出世作である第1作目の続編である。で、ここまで映画を見てきた経緯を示しておいてアレだが、実は第1作は見たことなかった。ぎりぎり2を見る前に見ることはできたが、あまりにも有名で、カルト的な人気作ということもあって、うまく論じることができるか自信がないうえにまだよく知らないので、感想を書くことはやめたのだった。

 

 

いつだったか、宝塚観劇の帰りである。多くの観劇者同様、劇場向かいのシャンテにいって、宝塚のグッズ販売店であるキャトルレーヴをのぞくのがわたしたちも習慣になっているが、ついでに上の階の本屋にいくことも多かった(いまはなくなってしまったが、それいらい行ってないので、かわりになにが入ったかは不明)。その道すがら、妙な人形が工事中のテナント脇に置かれていたのである。僕は最初買い物に疲れたオバサンがマネキンをどけて勝手に椅子に座っているように見えたのだが、そうではなく、『スイスアーミーマン』のメニーくんだったのである。彼は、こうして全国をまわることで、映画の宣伝をしていた。たまたまそのときはシャンテにいたというわけである。

その無造作に放置されている不憫な様子に加えて、どういう映画なのか見当もつかない雰囲気に、我々は反応しないわけにはいかない。実に説明が難しい映画だったが、自殺しようと無人島に流れ着いた(それともたまたま流れ着いた先で自殺することに決めたのだったかな)青年が死の間際に出会ったのは、ダニエル・ラドクリフ演じる水死体だった。青年は(名前忘れた)この死体の登場に喜んで一応自殺を思いとどまるが、やがてこの死体がいろいろなことに使えることに気がつく。歯で髭がそれるし、死後硬直でかたまった指をつかえば火がつくし、口からたくさん飲み水が出てくるし、腐敗したガスはおならとなって発射して、ジェットスキーみたいに大海原を進むのである。要は、スイスアーミーナイフのようにいろいろと用途のある死体だったのだ。しかも、この死体はやがてしゃべりはじめる。彼はメニーという名前になった。そうして、青年とメニーくんの奇妙な友情関係がはじまるのである。

ナンセンスといえばそうだが、じっさいどういう見方をすれば正しいのか、というようなさかしらな問いを最初から拒んでいるところのある映画で、たとえばごくふつうに見ると、孤独な青年が分裂して死体の人格としてあらわれていると見ることもできる。が、そういう見方を当然している「賢い鑑賞者」をあざ笑うように、この手の映画でポイントとなる他者が、しっかりとメニーくんの発話を目撃する。ある人物が、別の人物の妄想なのではないかとおもわれるとき、ポイントはその妄想の人物が第三者と会話をしているかどうかというところにある。それが行われるのである。

相方はこの映画がいたく気に入り、ひとりで映画館に出かけてリピートしていたが、僕は、青年の抱える孤独と闇がひとごととはおもえず、当初の鑑賞からなにか気恥ずかしさのようなものが強くて、また見たいという気分にはちょっとなれなかった(ついていかなかったのはたんに仕事だったからだが)。日本での封切りじたいがけっこう時間がかかっていて、ラドクリフ主演でありながらずいぶん長いあいだDVD発売の予定もなかったのだが、最近ようやく決まったようである。みっともないじぶんの青春時代をつきつけられるようでなんだか気が重いが、いい映画ではあるので、きちんと直視してみたい。

ディカプリオがタイタニック以降多種多様な役に挑戦していったように、ハリーポッターの印象が強烈すぎるダニエル・ラドクリフは、これが完結してからさまざまな役柄をつとめていった。次にわれわれがディグりはじめたのはラドクリフである。そうして、休日前に借りる3本の内、ひとつはハリーポッター、ひとつはラドクリフの過去作、ということになる週が続いた。僕はロードオブザリングは大好きだったが、同時期にやっていたハリーポッターのシリーズは実はひとつも見たことがなかった。端的に興味がわかなかったからである。しかしいつまでもこれを見ないままでいるわけにもいかない。ジャズファンを名乗るものがソニー・ロリンズを聴いたことないというのでは格好がつかないのである。ロードオブザリングが戦争映画的な哲学とアクションのスリルを含んだ大人向けだとすれば、想像した以上にハリーポッターはファンタジーであった。だが、僕はもっと子供向けのものを想像していたので、次々とハリーの師匠となるべき誠実な人物たちが死んでいくのはなかなかこたえた。

ダニエル・ラドクリフはそれ以降、けっこういろいろ、いってしまえば変な映画に出まくっているのだが、どれも秀作である。とりわけ『ホーンズ』と『アンダーカバー』である。『ホーンズ』の原作はスティーブン・キングの息子であるジョー・ヒルである。小さなころから親密にしてきた恋人にプロポーズをしようとしていた矢先、主人公はなぜか彼女にふられることになるのだが、その翌日、彼女は死体で発見される。なぜそうなったのか忘れたが、状況から彼氏であった主人公が疑われることになり、愛する彼女を、喧嘩したとはいえ殺すわけがない彼は、自暴自棄になって彼女の死んだ場所に置かれたマリア様をひっくり返して小便をかける。その翌日から異変が始まる。彼のあたまに、ちょっとずつ角みたいなものが生え始めるのだ。異様な症状だが、なぜか周囲のひとたちは、それを見ても別にへんなことだとおもわない。角が見えないということではない。見えているのに、それがなに?みたいなことをいうのである。加えて、角の生えた彼を前にすると、誰もかれもが、不気味な行動をとりはじめる。幼馴染のグラマーな女の子は、延々とドーナツにかぶりつき、角をとってほしいとやってきた病院では、待合室でうるさく泣き叫ぶ子供を受付の女が口汚く罵り、医者は手術を中断して看護婦とセックスをはじめる。どうも、彼を前にすると、誰もが、内に抱え、抑圧している強い欲望を我慢できなくなるようなのである・・・。彼はこの異様な状況を一種のチャンスととらえる。それを使えば、真犯人がわかるかもしれず、冤罪だということが証明できるかもしれない。かくしてこの微妙に使えるのか使えないのかわからない悪魔的パワーを用いて、彼は犯人を探すのである。こうした設定もたいへんおもしろかったが、加えて明らかなキリスト教的暗号が各所に忍ばされており、実に解釈のしがいがある。いろいろ相方とも話し合い、考察サイトなども見てみたが、けっきょくわからなかったのは、場面が転じるさまざまな箇所で、丸太を積んだトラックが画面にうつりこむということだった。この謎はいまも解けていない。しばらくしたらまた借りてみて(なんなら買って)、なんとか解いてみたいとおもう。

『アンダーカバー』ではインテリFBIの役で、専門では潜入操作を行う役柄だった。ナチズムやKKKなどの過激な組織が近々大きなテロを企てるかもしれない、という予測が別の捜査官によって立てられ、ナショナリストとして彼らに接近し、その計画や黒幕を暴いていこうというものだ。ひとくくりに過激派といっても思想的には各々対立しており、一枚岩ではない。この映画がじつに素晴らしいのは、この手の通常感情移入不可能な異物として描かれるものたちにもあたたかな血液が流れているということがくっきり描かれたことである。少なくとも僕はそんな映画を見たことがなかった。もちろん、彼らの行動が肯定的に描かれているということではない。だが、彼らには彼らの動機があり、家庭や当たり前の生活もある。そういうことを、観察者ではなく当事者としてクリアに描いたのである。見事だったとおもう。

 

 

それ以外に系統的にみたものといえばマーベルである。きっかけはたぶんトム・ホランドだ。ユアン・マクレガーとナオミ・ワッツ主演の『インポッシブル』という映画がある。スマトラ島沖地震とそれが起こした津波による災害を描いた力作で、ユアンたちはそこに滞在していた観光客だった。ユアンはもちろん、ナオミ・ワッツの役作りもすばらしかったが、彼らの三人の子供の長男役だったトム・ホランドが、じつにけなげで涙を誘うのである。で、かわいらしい彼がいまどうなっているのかを調べたら、なんと8月に公開予定だった、アベンジャーズの系譜に連なる新作スパイダーマンの主演だったのである。ところが、どうやらこのシリーズは最初から通してみないことには魅力を最大化することはできないようだった。それまでの作品からつながら長大な物語として鑑賞することで、各所に仕込まれた小ネタを楽しむことができるという仕掛けだったわけである。そこで、真面目な我々は『アイアンマン』からじゅんばんに見ていくことにしたのだった。キャプテンアメリカのシビルウォーまでは、『アントマン』を除くと一通りみたのだが、残念ながら肝心のスパイダーマンは見に行くことができなかった。しかし、これもまた実にすばらしい世界観であって、コミットしてよかったとおもっている。

 

 

ほかにも、単純に計算してたぶん150から200本くらいは見てるはずなのだけど、漫画などとちがって記録をとっていないので思い出せない。来年もたくさん映画見るぞ!

 

 

 

 

 

 

 

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