第117審/最悪の駆引④
仕事に向かうところの九条と烏丸を出雲が待ち伏せだ!
出雲は京極とお務めが入れ違いで、出所から会ってはいない。敬愛する京極が弁護してほしいと思っていたのが九条というわけだ。しかし九条も同時期に捕まっていた。すごいよなこのひとたち。
だが、出雲の用事はあいさつではない。腑に落ちないと。京極は、壬生が武器庫の武器を嵐山に渡して逮捕されたわけだが、その手際がよすぎる。悪知恵のはたらく弁護士が背後にいるんじゃないかと。どう思うか訊ねる出雲は、それほどこわい感じではない。むしろ刑事みたいだ。
九条は、ヤクザがよくいう勘繰りじゃないかと、なんでもなくかわす。それ以上出雲にできることはない。今回は、「こうして見張ってるぞ」というアピール、正しくあいさつだ。出雲はブラサンの毛並みをほめて去っていく。烏丸は九条の冷静さにじゃっかん引き気味である。
久我といる宇治が壬生に出雲について電話で警告する。売人と直接接触してまでして壬生の場所を探っていると。勘も鋭い。ふたりとも出雲のことをなめてはいない。たいへんな脅威と認識しているようだ。しかし、売人って、百井のことだよな。あのくだりってそういうことだっけ?
久我の運転する車を煽り運転で停車させるドジな輩。煽りっていうか、ぶつかりそうになった感じか。久我もちょっと焦っているが、ショボい輩が出てきたところで逆に冷静になってるのがおもしろい。見た目普通っぽいけど久我も悪党だからなあ。
車を蹴ってまでくる佐々木求馬という輩なのだが、久我は今ならまだ許すという。大サービスだとおもうが、急いでいるっぽい。
だが佐々木は引き下がらない。久我の言い方も挑発を含んでいる。佐々木は、伏見組の若頭がケツモチだと言ってイキがる。若頭って、京極かな? よくわかんないけど、ヤクザではないみたい。
久我はもちろんビビらない。久我自身が伏見組であり、知らない相手ということははるか格下ということだからだ。だから、彼らは、なにはともあれ「誰?」という反応をするのである。知らないというアピールがそのまま相手より上だという表明になるのだ。しかし、佐々木的には知っていて当然という感じだったらしい。こういう掛け合いが、ときどきわからない。日本もそれなりに広く東京は人が多い。ヤクザどうしならまだしも、半グレの、それも下っ端とかだと、「知らない」ってぜんぜんありえるよね。
そこに佐々木の連れが慌てて割って入る。あれは伏見組の久我だと。佐々木が知らないのは、アホだからだろう。
車内にいる宇治は、これから組長と食事なのだからと、早く終わらせるようにいう。久我は佐々木に膝蹴りをかまし、あとで事務所にくるようにいうのだった。
百井と曽我部がヤクの整理をしているホテルの部屋。洗面台の水があふれて曽我部が大騒ぎするのを醒めた目で百井がみている。ルームサービスを呼べるわけはない。中からは髪の毛がいっぱい出てくる。百井は、それを食えと曽我部にいう。馬鹿なんだからからだで覚えろと。なにを覚えさせようとしてるんだろう。曽我部は異様なサディストを引き寄せるなにかがあるのか…。
しかし百井に電話。久我にスタンガンでお仕置きされている佐々木からだ。伏見組の名前を出して恐喝してた佐々木に、久我は300万要求していて、それを、知り合いの百井に頼もうとしているのだ。百井は出雲の息がかかっている。これはややこしいことになりそうだ。
釣り堀にいる出雲のところに井出という手下がやってくる。久我のスマホを調べた際、出雲はこっそり追跡アプリをいれていて、その結果を井出が出雲に送ったところだ。
さらに、もらったことになっている宇治の車に、出雲はGPSと盗聴器を仕込む。ダミーのものをわかりやすくしかけるという周到さだ。これを宇治に返す。宇治も当然しかけを疑う。そこでダミーを発見させて安心させ、それ以上探させないというわけだ。
九条もあやしい。出雲は九条に探偵をつけるようにいうのだった。
つづく
出雲がただの残虐ヤクザではないのは最初から明らかだったが、思った以上にキレものだ。もう嵐山と区別つかなくなってきた。
あげた車が戻ってくるのだから、宇治なら必ずしかけを疑ってくる。だが出雲は、疑われることもこみで二重にしかけをしてくるのである。宇治ならそれも見抜きそうだが、そうすると三重も考えられることになるから、結局廃車にすることになるかもしれない。
宇治はまだいいが、問題は久我だろう。久我は壬生とは会っていないので、追跡アプリでバレることはないかもしれない。しかし今回彼は佐々木をしめている。これは百井の連れで、百井は出雲の息がかかっているのだ。まあ、ヤクザとして誤っているわけではないので、それでどうということはないかもしれないが、もめそうではあるし、そういうところからほころびも生まれてきそう。ただ、久我が積極的に伏見組としてあのようにふるまうというのは、真実を隠すためとか、また宇治への恩とかいうことを考えても、ちょっと意外な感じはする。
出雲は人望の男だ。どことなく、暗躍する感じからは豹堂的なぶぶんも見受けられるが、多くの人から慕われているという点で決定的に異なる。きっとお務めもヤクザ的自己犠牲だったんだろう。そういう人物が、兄貴分のためにみずから縦横無尽に動き回る。「兄貴分のために」というところが、それじたいでいかにも出雲らしいぶぶんであり、しかもそれを強化するものだ。これが生きるのがヤクザ的文脈である。出雲が出雲として評価される世界、ひとを殺していながらその後始末を部下に喜んでさせることのできる世界、それが出雲の属する世界だ。これを出雲は、彼自身の行動と、それに伴う周囲からの好意によって再生産するのである。これは壬生の現実主義にはなかったちからだ。これは物語のちからに近い。そこにほんらいない、義に基づく人工的な秩序を、金でもちからでも物理法則でもないルールにしたがいながら増幅させていくのである。公理を打ち立てて問答をくりかえし、あらたな規律を生み出す宗教の相似形と言ってもいいかもしれない。
だが、この規律も、実は法律という、一般に合意形成のされた正統的物語に基づいてもいる。道路交通法を知らない宇宙人は赤信号の意味を解さないのである。法のないところに義はないのだ。ヤクザは、法律や警察が現れることではじめて存在可能になる。アルカポネの台頭は禁酒法とセットなのだ。とりわけヤクザの基本理念たる「義」は、正しさを実現する思想である。しかし、じっさいには、正しさはその以前からあり、それを律するルールも存在している。「義」は、“にもかかわらず”、正しさが実現しない世界ではじめて姿をみせる。ただの正義と義のちがいはそこにある。義は正義や法秩序の副産物なのだ。そうであるからこそ、出雲も九条相手には慎重になるのだ。
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