すっぴんマスター

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)読んだ小説などについて、かってにべらべらしゃべってます。基本ネタバレしてますので、注意。異論反論、論理的矛盾、誤った知識などありましたら、コメントにて指摘していただけるとうれしいです。

小説家志望です。

範馬刃牙、闇金ウシジマくんの感想を毎週書いてます。

基本的に読み終えた書籍についてはすべて書評のかたちで記事をあげていっています。

ちなみに、読む速度は非常に遅いです。

その他、気になる小説やマンガ、映画など、いろいろ考察しています。

あと、宝塚歌劇が好きです。


リンクについては、ご自由にしていただいて構いませんが、コメントなどを通して一言ありますとうれしいです。



■最近の私的ベスト本

【2017】

・『幼年時代』レフ・トルストイ

https://ameblo.jp/tsucchini/entry-12272875998.html

・『道徳を基礎づける』フランソワ・ジュリアン

https://ameblo.jp/tsucchini/entry-12333833916.html

・『蒲団・重右衛門の最後』田山花袋

https://ameblo.jp/tsucchini/entry-12306274031.html


【2016】

・『オールドテロリスト』村上龍

https://ameblo.jp/tsucchini/entry-12129358722.html

・『宝塚・やおい、愛の読み替え』東園子

https://ameblo.jp/tsucchini/entry-12154707895.html





バキ感想最新・刃牙道

http://ameblo.jp/tsucchini/theme-10079104494.html


  



ウシジマ感想最新

http://ameblo.jp/tsucchini/theme-10099471132.html

 ・逃亡者くん

 →http://ameblo.jp/tsucchini/theme-10094429374.html


 ・ヤクザくん

 →http://ameblo.jp/tsucchini/theme-10085446424.html






※週刊連載の感想は発売日翌日以降の更新です(現在、特に更新期限は定めずにやっていますので、ご了承ください)。



記事の内容によってはネタバレをしています。ご注意ください。

(闇金ウシジマくん、範馬刃牙は、主に本誌連載の感想を掲載しています)

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■コメントを承認制にしました。(2009/07/01から)

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7月某日にわたくしの勤務している書店が三十余年の歴史に幕を下ろした。閉店については前にも記したし、あんまり暗い記事ばかりになってもしかたないのだが、おもったより精神的なダメージが大きかったので、じぶんのなかでどういう事態になっているのか点検するために、ちょっとなにかを書いてみたい。仕事がなくなることについては、別に人並みの不安しかない。基本的に気楽な人間なので、なんとかなるだろうとおもっている。そういうことではなく、このやり場のない喪失感、そして作業にあたってのショックが、想像していたものよりはるかに大きかったのである。だから、自己治癒と、あの店を弔うという意味もこめて、しばらくこの手の無秩序な、日記的なものを綴ることになるとおもう。

 

 

じゅんばんにはなしていこう。閉店に至るまでの作業としては、たとえば、定期購読のお客さんに閉店を告げて、他の店に引き継ぐか否か、また引き継ぐとすればどこにするか、話し合って手続きをする、ということがある。定期購読のなんたるかを説明するとすればそれは、お客さんのほうからは必ずこの店で購入するという約束をしてもらい、同時に、こちらは、発売日後であればいつでも購入できるように取り置いておく、という契約である。であるから、閉店の告知は、この契約を続行させることができなくなった、という報告になるわけである。したがって、お客さんはそんなバカな、約束したじゃないかと、原理的には怒ってもいい。だが大半のお客さんは深い理解を示してくださり、それどころかそのことによって仕事を失うわたしたちに同情をしてくださるかたばかりであった。

閉店にあたっては、あまり事細かには書けないが、基本的には在庫を減らしていくことになる。最終営業日まで新刊はふつうに入ってくるし、お客さんからすれば関係のないはなしでもあって、売れるものまで返してしまってはもったいないし、だいたい、最近はそもそも入荷の制限が非常に厳しいから、返品するまでもないということもある。が、いずれにせよ整理はする。その作業は、前も書いたが、まさしくじぶんでじぶんの墓を掘っているようであり、作業が落ち着いてふと我に返ってみて暗い気持ちになってしまう、などということがずっと続いていたのだった。7月からはバキやハイスコアガールなどのアニメが始まり、個人的には熱い夏になるはずだったが、それもほんの少しのあいだしか展開できない。というか、たぶん本来であれば、これらのアニメ化作品であっても入荷をおさえ、閉店ぎりぎりまでもつ程度の在庫にすべきなのだろう。しかし、逆にいえば、もうこの店は終わりが決定しているのだ、という気持ちにもなれた。だったら好きにやらせてもらおうと。売り上げを気にしたり、返品率を細かく計算したり、人件費を調整したり、それらの努力は、つきつめれば「この店を存続させるため」行われるものである。しかし、それはさえぎられた。となれば、それらの努力を(優先的に)する必要はもはやない。そういうわけで、バキとハイスコアガールにかんしてはずいぶん早い時期から大展開させてもらった(4月のアニメがまだやってる段階で・・・)

 

 

 

僕の担当は在庫の3割くらいを占めるコミックだったのだが、その他在庫管理的な業務などもちまちまやっていた。あとは、男のスタッフが僕しかいないので、やっかいなもの、あやしいものがきたときに威圧したり声をかけたりして追っ払ったりとか、アダルトエリアで盛り上がる中学生たちに「わかるよね?」と問いかけたりとか、女性のスタッフに対して横柄にふるまってわがままをいうひとに整然とものの道理を説明してさしあげたりとか、蛍光灯換えたりとか、そんな感じ。あやしいもの、やっかいなものの定義にもよるが、そういう仕事は毎日ある。音楽や清掃などを意図的に緊張感のあるものに徹底することで、この数年、そういうのはだいぶ減ったが、以前までは複数のヤンキーが平台に座り込んで堂々とアダルト誌のひもやビニールなどをはずして読み出す、なんてこともしょっちゅうあった。そういう連中を追い払うのにひょろひょろではいけないので、そうした理由もあって僕は筋トレに励んできたわけだが、それでも、こういうのはまだましなほうであった。

その他のスタッフも、バイトの女の子にいたるまでそれぞれ担当があったのだが、出版社によく電話するひととか、お客さん対応だとお年寄りメインのひととか(相方)、振り分けられた仕事ではない、慣習法的な、これはいつも誰々がやっている仕事、というようなものがあったのである。閉店にあたってもそれは同じで、いつもより特別たいへんだったということはなかったはずだ。まあ、ぜんたいの仕事量としては棚卸しと大差ない。しかしながら、通常であれば明日につながる効果的なふるまいが、無意味であるということがときどき思い出されて、どうしても腹の底からパワーが出てこない、その結果として、より大きなエネルギーを必要とするのであった。どういうことかというと、たとえば接客において、わたしたちがお客さんを笑顔でむかえて気持ちよく送り出すのは、次回もうちで本を買ってもらいたいからだ。ところが、もううちには次回がない。そうなると、どういうモチベーションで「気持ちのいい接客」をすればよいのかわからなくなる。これが会社所属の派遣された社員なのであったら、はなしは別だろう。店はつぶれても会社はある。その人物の仕事は、閉店後も続く。「気持ちのいい接客」は、会社の明日につながるのであり、評価はその人物に属するのである。しかし、閉店後無職が決定している我々にはそういう気持ちのよるべがない。にもかかわらず、我々は、まるで次回が、明日があるかのような仕事内容を要求される。これは地味に辛かった。なぜ、仕事のなくなるじぶんたちが、会社の明日につながる努力をしなければならないのか? 閉店作業に必要な人員や想定される返品額などを概算する作業は、まるで墓石の見積もりをするようであった。ここからはもう「ひととして」という動機以外見つけることができなかった。要は、お世話になったお客様なのだ、感謝の気持ちをそこに含めるのは当然のことであり、それがもしお世話になっていないお客さん、トラブルメーカーの人物なのだとしても、「ひととして」は、閉店が決まっているから適当にやっていい、と判断したとはとらえられたくないわけである。

こうした葛藤を救ってくれるのもまたお客さんである。なにもかも、すべての閉店業務をわたしたちがやっていることを知って、「は?なんで仕事失うみんながそんなことしなきゃいけないの?」みたいなことをいってくださるかたもいた。また、そういう具体的なことではなく、純粋に閉店を惜しむ多数のお客さんの言葉にも、救われたというよりずいぶん報われた。閉店の告知のポスターの前でしばらく立ち尽くすオタク、子どものころから通ってたとくちにして半泣きになる子連れの女性、いつもはなんとなく無愛想なのに、最終営業日にケーキをたくさんもってきて、「とてもいいお店だったから・・・」と赤くなりながら小声でいってさっと帰ってしまったシャイなおじさん、はなしを理解したのち、「なんて馬鹿げたことでしょう」とようやく宣言するインテリのおばあさん・・・。原因をどこか別のところ(たとえば会社、たとえば地主。たとえば、です)に求めるわけではないが、それでも、とりあえずわたしたちのやってきたことはまちがってはいなかったと、それらの反応を通しておもうことができたのである。

シャイなおじさんがくれたように、こうしたお客さんはたいがいなにか贈物をくれた。はなしには聴いていたが、最後の一週間くらいは誰も食事いらないんじゃないかというほど、たくさんのお菓子やケーキをもらった。手作りの雑貨なんかをくれたかたもある。そして、うっかりすると見過ごしそうなのだが、それはきちんと人数分あるのだ。どういうことかというと、うちの店に何人働いているのかを、そうしたお客さんは把握しているのである。それほど通ってくださったお客さんがたくさんいた、そのことが、山になったお菓子類を通して痛感されたのである。そうなれば、次には、納得できる理由がひとつもないまま一方的に閉店を告げられて、合理性のかけらもないなかで理不尽な閉店作業をしていても、被害者意識より申し訳ないという気持ちが強まっていく。そうやって、最後の一週間くらいは、使命は果たせたという納得と、30年以上も続いた店をつぶしてしまったという罪悪感のはざまにたゆたっていたのである。

 

 

こうした感傷はいまようやく文章になっているものであって、それまでは前景化していなかった。感情面においては、個人的には、「じぶんは泣くのか」という、へんな好奇心みたいなものもあった。だいたい相方と出会ったのがこの店だし、僕の読書ライフが、ということはブログがいまのスタイルになったのも、完全にこの店があったからである。10年近く働いて、残業もいっぱいしてきたから、事務所はほぼ家みたいになっていて、食料やなんかがたくさん常備されており、餓狼伝とかバキとか、その手の何回でも読める漫画がつねにおいてあった。日によっては閉店後に筋トレさえしていたのである。はなしでは最後の最後、商品をつめた何百というダンボールをトラックに積むときがいちばん精神的にきつい、ということだったが、しかし、僕は非常に近い親類の葬式でもぜんぜん泣かない男である。30過ぎてから宝塚では泣けるようになったが、悲しいことがあっても、うれしいことがあっても、涙は出てこない。あ、あと子猫の動画見ててなんか涙出てきたことがあったな。

結論からいうと、僕は少しも泣かなかった。しかし、それはほかのスタッフも同じである。相方は泣いてしまっていたが、まあよく泣く子なので、例外といってもいいかもしれない。とはいえ、きつくなかったかといえばうそになる。とりわけ、閉店後の作業である。営業を終了したのち、何日かかけて、われわれはお店の片付けをすることになる。中心となるのは本をダンボールにつめる単純な作業だ。それと、30年間かけてためられたゴミ類の処分である。この30年のあいだのあるとき、誰かが、分別が面倒でストッカー(引き出し)につっこんで思考停止した拡材のたぐいが、数え切れないほど埋もれているのだ。しっかり計算して行ってきたので、時間はたっぷりあった。こうしたことを、ゆっくりと、おしゃべりしながらみんなで行っていったのである。その時点でも、まだあまり実感はなかった。本が次々消えていくから、景色もどんどん変わっていく。ここの棚の向こう、こんなに見通しがよかったのかとか、この通路こんなに広かったのかとか、行方不明だった本がストッカーの下からで出てきたりとか、そういうさびしい発見もないではなかったが、まだ笑っていられた。完全に閉店なのだ、この店はなくなるのだとつきつけられたのは、最終日である。それでも、うわさに聞いていたダンボールの搬出は、僕にはなんでもなかった。それよりも暑くって、重くって、たいへんだっただけである。本をぎっしり詰めた大きなダンボールは軽くて15キロくらい、文庫とかノートをみっちりだと22、3キロくらいにはなる。それを、今年の例外的な暑さのなかでせっせと運ぶのはたしかにたいへんだったが、逆に言えばそのおかげで、閉店感を味わうことはなかったのだ。問題はその前後に行われた、棚や台を動かす作業だ。最終日には、僕が想定していた人数をはるかに上回る男達が本部からやってきたので、作業面では非常に助かった。助かったといいつつ、けっきょく何人くるのかよくわからないまま最終日をむかえているという現実が、この業界の甘さを伝えるとおもうが、それはともかくとして、助かったことは助かった。しかし、彼らはうちの店の人間ではない。ほとんどが店舗で接客しているものですらない。そのことが、残酷な光景を生む。スタッフによっては勤続30年のものもいる。いちばん短い僕なんかでも10年近い。そういう人間の前で、無神経に、乱暴に、少しの配慮もなく、店が破壊されていくのである。ふだんの僕であれば、メンタル的な配慮にかんしてはけっこう気がつくほうなので、バイトちゃんとかはこころ弱いし、相方もすぐ泣くから、みんなあっち行ってなさい、くらいのことは言えたはずである。しかし、僕自身が、その光景がショッキングすぎて、引きつった笑いを浮かべるだけで動けなかったのである。

 

 

最終日となると、引渡しということになるから、鍵をぜんぶ担当のものに預け、店から出た場所で解散ということに当然なる。そんなわけだから、店のスタッフともゆっくり話してもいられなかったのだが(そのうち落ち着いたらご飯でも食べに行きましょうとは約束した)、家に帰ってひと眠りし、営業中や閉店後にたくさん撮影しておいた写真や動画を見ていて、ようやく実感がわいてきた感じだ。いまでもあそこにいけばじぶんの並べたバキやハイスコアガールがあり、そっと集めた筋トレ漫画コーナーがあり、オヤジ客向けにつくった棚で歴史漫画やグルメ、ギャンブル漫画が窮屈そうに並び、僕が文庫担当に無理いってつくらせた古典や文芸の硬派な棚があって、相方が文句言いながら並べた児童書の夏のセットや課題図書が色鮮やかに展開されていて、誰かに買われるのを期待している感じがするのである。ストッカーを開ければ、歴代のドジ担当がためこんだ岩波のストック(岩波書店は返品できない)が、宝の山として、誰より僕に買われるのを埃をかぶりながらいつも待っていた。店員として、またひとりの常連客として、熟知した店内がもう存在しないということが、まったく受け容れられないのであった。

 

 

コミックにかんして最近はアニメ化など珍しくなく、ある時期から5分アニメが大量につくられるのが日常化して、ひとつのクールに何十というアニメが放送されるのが常態になっていた。僕なんかは常にリサーチ不足だから、アニメが始まる直前などにツイッターで「これアニメ化なのかよ!」と知って青くなり、あわてて注文しようとするが時すでに遅し、やむを得ず知り合いの店からもらう、ということがよくあった。もうそれであわてる必要はない。だが、たぶんまだしばらくは、アニメ化情報とかをタイムラインで目撃して、「やばい、うち置いてない!」などとなるんだろうなとおもう。

 


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すっぴんマスターの雑談掲示板をつくりました。



ウシジマくんやバキの掲示板では微妙にとりこぼす感じの話題向けです。
また、返信があるコメントなんかでは言いにくいことを書き込んでもかまいません。
そういう要望は経験的にあまりありませんが、こういうこと書いてほしいとか、そんなのでもいいです。あったら。要するに、なにを書きこんでもいいです。
しかし管理人も人間なので、あんまりひどいディスりコメントがついたときは、削除するとおもいます。
ウシジマくんの掲示板は、いまのところすごくいい感じです。管理人からの返信は不要、しかしすっぴんマスターの文脈でウシジマくんのはなしをしたい、こういうかたは、ぜひ掲示板をご利用ください。僕も楽しく読んでいます。
バキは…
おや…?書き込みがねぇな…?

テーマ:

第472話/ウシジマくん58

 

 

 

 

 

 

 

あらゆる点で作中最強・最凶とおもわれた獅子谷に拘束され、いよいよ丑嶋もおしまい、死が目前に、というところまできていたが、丑嶋はなにもかもをコントロールしたうえでこれを乗り切ったのだった。爆弾は事前に準備されていたのであり、事前に準備されていたということは、必ず獅子谷と滑皮はじぶんを殺す前に隠し金を要求してくると確信していたということだ。そして、拘束されて動けない状況でも、丑嶋は、誰もが見落としていた椚という要素を有効に生かし、決定打としたのである。ポイントは、滑皮が丑嶋の隠し金を要求することを丑嶋がわかっていたことだ。

だが椚爆弾はセンダを即死させはしなかった。大やけどを負いはしたがまだ動けるセンダは、拘束されたままの丑嶋を刺そうとする。これを阻むのは柄崎である。柄崎は、滑皮たちの手によって剥ぎ取られた丑嶋の超人性の、ひととしての象徴である。柄崎が丑嶋を尊敬しつづけるそのふるまいが、日光と影がそこにいるひとを示唆するように、丑嶋の超人としての輪郭を明らかにする。同時に、彼は足かせでもあった。これは、滑皮が、意図しているのか、あるいは想定を超えたものなのか未だに不明だが、丑嶋がじぶんのことしか考えていない自分勝手な人間だとした状況は、もはやない、という可能性を示す。かつてはたしかにそうであったかもしれないが、丑嶋がもしほんとうにじぶんのことしか考えていない自分勝手な人間であったなら、高田や小百合のことで獅子谷にしたがうことはなかったかもしれないし、いまの状況も、拘束されたとしても、またちがうものになっていただろう。そして、駆けつける柄崎は、丑嶋のその成長のようなものにこたえるものだ。丑嶋が、ある意味「大人」になり、自分以外の人間にも配慮するようになることは、ある程度彼の動作を限定することになるが、それは同時に、今回の柄崎のような不確定ではあるが希望のもてる要素を呼び込みもしたのである。丑嶋の全能性は、仲間によって毀損されるが、時間をかけて補修される。センダが丑嶋に襲いかかろうとする場面の恣意性というか、先週は冗談のつもりで書いたが、「そんなの運じゃん」というような、柄崎がほんの数秒遅ければ丑嶋は終わっていたという状況は、丑嶋の全能性が丑嶋個人のものではなく、カウカウのもの、会社の目線になりつつある、あるいはずっとそうだったものが内面化されつつある、ということなのかもしれない。

 

 

 

ものすごい爆発だったから通報されているにちがいない、すぐ逃げようと、丑嶋の拘束を解いた柄崎はいうが、丑嶋は誰もこないという。前の爆破の実験もこのあたりでやったのだろう、近所で2階実験をしたが、なにもなかった。いちばん近い集落で車で30分くらい、それも老人ばかりで、猪の駆除してるくらいにおもってるんじゃないかと。猪獅子ね。半分当たってるね。

死体はどうするか。丑嶋はセンダ(しばらく様子をみていたが、名前の字は潜舵で確定ということでいいだろう)が鳶田に連絡をしていたのを聴いていた。鳶田は篠田の死体を処理している。同じように処理させようというはなしだ。

 

 

潜舵はまだ生きている。ころっと態度をかえて命乞いをするところがいかにも彼らしい。こう見えて娘がいるのだという。丑嶋はいつもどおりの落ち着いた様子で、潜舵に地下の掃除をさせる。強盗のときには、なにがあっても対応できるように、細々したものをいっぱい積んでいるのだ。丑嶋は、どこに置いてあったのか、鍋爆弾をリュックにいれて潜舵に背負わせる。ワンタッチで大爆発である。

 

 

丑嶋たちは柄崎の車に乗って潜舵を待っている。柄崎は、丑嶋と同じ車種に変えたらしい。それよりも、柄崎は丑嶋の指が心配だ。いちおう落ちた指を冷やしてもってきはしたが、急いだほうがいいのにちがいはないだろう。しかし、なんといって治療してもらうのか。滑皮のヤクザ病院にいったらつかまる。そこで柄崎はいっしゅん考えて、客に淀橋という精肉屋のものがいることを持ち出し、ここの従業員ということにして、仕事中に指を切ってしまったことにしようという。丑嶋もほめているので、なかなかいい考えのようだ。

丑嶋が柄崎のスマホをみる。潜舵から奪ったスマホと同じ機種だ。ちょっとした考えがあるようだ。

 

 

作業の終わった潜舵がもどってくる。死体をゴミ袋につめたようだが、みんな甲児みたいにバラバラになったわけじゃないだろうし、切ったりしたんだろうか。丑嶋は潜舵にスマホを帰して、鳶田に回収依頼をするようにいう。信じていいかという丑嶋に、潜舵は、スマホをいじりながら、丑嶋にかかわったらヤバイと噂を広めると約束する。スマホをいじっている動作との整合性をとった発言だろうか。

だが、潜舵が送ったのは、鳶田への救援要請だった。仲間を呼んで丑嶋たちを殺してくれというような内容だったようだ。具体的になにをしたのかよくわからないが、潜舵と柄崎のスマホを交換したということだろうか?交換しなくても、鳶田の偽アカウントを柄崎のスマホでつくって潜舵のスマホに登録すれば同じ状況にはなるが、それだと「同じ機種」のくだりがあんまり意味ないよな・・・。もし潜舵に柄崎のスマホわたしたのだとすると、LINEの画面がぜんぜんちがうわけで、前の会話とかが消えてたりあるいはぜんぜんちがってたりするわけだよね。さすがにそれだと潜舵も気づいてしまうかも。LINEやらないうえにそういうセキュリティー的なこともいまひとつ理解していないから、よくわからないなあ・・・。

まあ細かいことはともかくとして、潜舵はあっさり裏切ったわけである。丑嶋が潜舵のナイフを右の三本指で握って迫る。直接描写はないが、刃物で殺したようである。

 

 

 

ゴミ袋からは、鉄也が処理されたときのように、特徴的なイレズミの甲児の左手が伸びている。鳶田が死体を確認した。廃墟に1体、山奥に放置されていた車に4体ということだ。姿が見えないので気になっていたが、椚もあの火で死んでしまったようだ。滑皮は、車の死体は獅子谷とその子分かと念を押す。鉄也から甲児へつたわった例の首飾り、あれを指にさげながら、滑皮はちょっといままで見せたことのないような空洞の表情で座り込むのであった。

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

煽り文の「獅子谷でも殺せなかった丑嶋」が秀逸だ。まさに、滑皮の心中はそれだろう。どうなるかわからないし、結果起こったことはそれとして引き受ける、つもりではあったろうが、それでも、マジか、という感じだろう。だって、あの獅子谷、ちょっと天然というかドジなところはあるけれど、単独の腕っ節ではおそらく東京最強レベルで、兄の遺志を継いで必要以上に慎重で、ひとを殺すのをためらわない部下を何人も抱えたうえにチームワークもとれていて、めちゃめちゃ資金もある、あの獅子谷が、圧倒的優位の状況で殺されるなんて、考えられないよ。予想はしてても絶句しちゃうよね。

最後に滑皮がいた場所は、鉄也を処理したときと同じところだ。その前のページには鳶田のセリフと、シルエットが三つあるので、最初読んだときには、鳶田が業者のふたりといっしょにいて、電話してるのかとおもったが、そうではなく、回収してもってきて処理したあとに、鳶田が、やってきた滑皮に説明している感じなのだろう。そこには甲児の首飾りと時計が落ちている。落ちている場所と滑皮が拾っている場所がいっしょなのかどうかはよくわからない。だが、どちらも無傷なので、解体したときにとれたということだろうか。ゴミ袋から伸びる甲児の左手にはすでに時計がない。だから、潜舵が、これをつめるにあたって解体し、そのときにすとんととれて、袋のなかにあったかして、この処理場まで運ばれ、なにかの拍子に落ちた感じなのだろう。

 

 

このことを滑皮はどうあつかうべきか。まず、滑皮は甲児が丑嶋を今夜殺す気だったということを知っている。強盗のことはどうだったかな・・・。忘れたが、ともかく、甲児がそうするというのを、彼は許可したのである。それが、甲児とその部下の死体という結果だけ残した。洞察力を駆使しなくても、ものの道理として犯人は丑嶋である。だが、そのことを滑皮は表明できるのだろうか。甲児はじっさい、滑皮から許可をもらったということと丑嶋にいっている。だから、甲児を殺したのが丑嶋である、ということを指摘することは、そのまま、甲児が丑嶋を殺すことを許可した事実を認めることと、等しいとはいわないまでも、直接つながっているのである。「甲児が死んだ、殺したのはお前だろ?」と問い詰めるのだとすると、当然、なぜそうおもうのかということになる。すると、あの夜、ふたりがいっしょにいたと知っていたことを、滑皮は認めることになる。ここと、滑皮の殺しの許可との間に、あとで盗聴の件などが出てくるかもしれないが、証拠のようなものはとりあえずいまはない。だから、「ふたりがいっしょにいたことは知っているが、甲児に殺意があったことは知らなかった」と、滑皮が強弁することは可能だろう。だが、げんに丑嶋は殺されかけ、「ふたりがいっしょにいた」ことを知りながら、滑皮は丑嶋が殺されかけた現場にはいなかったことになるのである。なにがいいたいかというと、例の、守ってやる発言が、ここで薄っぺらなものになりかねないということなのである。

ただ、滑皮の理屈としては、いま本職になれば、おれが守ってやる、ということなので、げんに丑嶋は、したがってはいるものの、ヤクザになったわけではないので、むしろ好機ととることもできる。ほれみろ、というわけだ。しかし、実感としてはどうだろう。戌亥の見立てでは、金を奪ったあと丑嶋は滑皮に殺される。しかし、“あの獅子谷”が、あの条件で殺せなかった丑嶋を、その獅子谷なしで、滑皮は殺すことができるのだろうか。たぶん、そういうことを滑皮はいま考えている。彼は、ヤクザとして天下をとろうとしているが、それは、最強の男を目指すことと同義ではない。暴力で丑嶋を制圧できなくても天下はとることができるだろう。現段階の滑皮は、考えられる最凶の男としての獅子谷が通用しない丑嶋を殺すべきではない、殺そうと画策すべきではないと、クールに計算するのではないかとおもわれるのである。ヤクザになれ、守ってやる、というのは、ひとつの口実で、裏側には金を奪ったあと殺すという意図があったのかもしれないが、その計画は、ここでいったん白紙になるのではないか。

丑嶋の全能性は、金が介在することで起動する。今回それがはっきりわかった。だから、このまま滑皮が丑嶋の金を、小銭レベルではなく、全財産というかたちでねらい続ければ、彼もまたいずれ知らず知らず丑嶋の制御下におかれることになり、殺すどころか殺されることになってしまうかもしれない。それを、甲児が証明した。最初に書いたように、ここでのポイントは、動機はどうであれ、金を経由して丑嶋にコミットしようとすると、そのものは丑嶋の制御下におかれるということなのである。これは丑嶋じしんが求めたことだ。奪う側に立つためには、なにより奪われないものになることである。「奪う側」というポジションは、流動的だ。ライオンが百獣の王で、つねに奪う側でいたとしても、いつかは老い、弱って、奪われる側になる。そうでなくても、眠っているところを襲われればひとたまりもないし、弱い動物も束になってかかればこれを超えることができるかもしれない。そしてもうひとつ重要なことは、奪う/奪われるの摂理を受け容れたうえで世界を認識した場合には、わたしたちはどちらかいっぽうだけにいるということはできないのである。わたしたちは、奪われると同時に、奪っている。こういうことを考えたとき、つねに奪う側でいるということは、つきつめれば「奪われない側」である、ということになるのである。いってみれば、ヤクザは、つねに「奪う側」でいようとする存在だ。だが、そのことが同時に、みずからが奪われる存在になりうることを受け容れることになる。「奪う側」に立つということは、奪う/奪われるというこの世の摂理に与することの承認にほかならないからである。バキでもよくテーマになっていることだが、相手を殺そうと覚悟を決めてたたかいにのぞむものは、じぶんが殺される覚悟も決めなくてはならないのだ(ハブはおそらくそれができていた、だから彼は、特に腕っ節がどうのというタイプではないのに、印象としては暴力のヤクザなのである)。丑嶋はそのような流動的価値を求めているのではない。その結果、金融業が選択された。金がすべてではないが、すべてに金は必要だ。むろん、そうでないひともいる。お金持ちが全然うらやましくなく、生きる最低限だけあればあとはどうでもいいというひとは、この世には山ほどいる。だが、ここで重要なのは、その摂理に与するものしか、この問題には関与しないということだ。そうした仙人タイプの人間は、丑嶋の人生とはなんのかかわりもない。存在が確認されていないはるかかなたの惑星で人権革命が起こっても、地球に生きているものには少しも問題ではないのと同じことだ。と同時に、金は、金に関わるものを必ず拘束する。この機能を、丑嶋は若いころから見抜いていた。世の中に、金に関係のあるものと、ないものとがいる。ないもののことは考えなくていい。そして、関係のあるものは、必ず、深くこれと関係している。このことが、それを支配する立場である丑嶋に、全能性を与える。

こういう視点を思い返してみたとき、滑皮がなぜ丑嶋じしんというより、丑嶋の金にこだわるのか、ということも了解できるようになる。甲児にもそういう面はあった。彼らほど稼いでいるものであれば、いくら丑嶋が大金を隠していても(予想以上に隠していたようではあったが)、金額としてはどうでもいいぶぶんがあり、じっさい甲児は、わざわざ部下をつかって丑嶋の回収金をとりにいかせながら、額さえ確認しないのである。通常、貨幣というものは、交換に用いる道具なのだから、それじたいを交換しても、貨幣という概念のうえでは、なにも起こらない。わたくしがもっている1万円札と、あなたがもっている1万円札を交換しても、せいぜい、わたくしがもっていた1万円札がくしゃくしゃになっていてATM通らないとか、そんな程度のちがいであって、貨幣ということにかんしては、そこではなにも起こっていないと解釈できるのである。しかし、丑嶋にかんしては(少なくとも滑皮たちにとっては)そうではないのだ。「丑嶋の金」は、下部構造としての金が世界を支配する、「金の世界」を制御する媒体なのである。むろん、ここには象徴的な意味しかない。丑嶋が十日五割で10万円を貸して、債務者の欲望をコントロールしても、その10万円札をつかえば誰でも同じ債務者を支配できるようになる、わけではないからだ。だが、逆にいえば象徴的な意味は含まれている。丑嶋を殺す、なにより、丑嶋の金を奪うという、その動作は、「金の世界」を超越することにほかならないのである。甲児はより複雑であり、滑皮はまだ語られないぶぶんが多いので、なんともいえないぶぶんはあるが、こころの奥底では、そういう感覚があるのではないかとおもわれる。丑嶋を、なにより金の文脈で奪い、殺す、もしそれが達成できれば、それは、金の支配者であり、「金の世界」の構造そのものである丑嶋を超えることであり、その世界を掌握することにつながっていくのである。

 

 

しかし、甲児は丑嶋に敗北した。この文脈でいうと、甲児は、圧倒的暴力を備えながら、丑嶋の暴力に屈した、のではないことになる。彼は、金を奪おうと(滑皮の指示で)決意した瞬間から、丑嶋の手中におちた。だから、つきつめれば、甲児は金の力に、それが支配する世界の堅固さに、敗北したのである。

 

 

 

ところが、である。今回丑嶋は、おそらく潜舵を刃物で殺している。丑嶋はいままでいろんな悪党を殺してきたが、刃物で、刺すか切るかして殺すというリアリティは、これまでちょっとなかった種類のものだ。ヤクザにかんしていえば、ハブ一味は爆弾だし、熊倉は銃である。甲児たちも爆弾だ。いちばん近いのは安里のタクティカルペンだが、あれは生死不明であるし、殺意に重点が置かれた行動でもなかった。いままで丑嶋が「一線を越えた」ことは幾度もあったが、刃物というのは、さすがに最後の一線という感じがする。

潜舵にチャンスを与えていることについてはどう受け止めればよいだろう。爆発による死者は、いってみれば「自然に」発生したものだ。丑嶋は、電話をかけると爆発する爆弾を設置して、椚に電話のかけかたを教えただけである。場面をつくる、という具体的な発言もしていたが、スマホをとられて焦っていたことからして、椚はあくまで不確定要素として利用されただけであり、シナリオを書きはしたが、訪れた結果は、丑嶋の手を離れたものだったととらえることはできるだろう。金と欲望をベースに人間の行動を予測する丑嶋がたてた「だいたいこんな感じになるだろう」という図面があって、その結果、細部までは予期できないしかたで、予想通りの結果がおとずれたわけである。しかし、潜舵はこれを免れた。この時点で、彼は丑嶋の「金と欲望」をベースにした計画からはずれている。全能にみえる丑嶋の見立てに瑕疵があることが、これで判明したわけである。それは、じっさいそうなのである。それが、カウカウファイナンスという、両面的なかかわりだ。柄崎が拉致されたとき、自業自得だとしながら、けっきょく丑嶋は柄崎を助けに行った。その丑嶋に、甲児は、こんなやつは自業自得なのだから見捨てるべきだった、というのだ。これが、丑嶋の全能性を損なう。彼に人間性が宿ることで、神の視点がじゃっかん次元を下げたものになっているのだ。その結果が潜舵、というわけである。

丑嶋は潜舵にチャンスを与えた。信用していいのかと問いかけ、スマホを預けた。そして、潜舵が予想通り裏切ったことを見届けて、これを殺した。これはどういうことかというと、爆発を免れた潜舵を殺す理由が、人間・丑嶋にはないのである。甲児たちは、どこまでも「金の世界」の内側で、闇金ウシジマくんの図面のなかで爆死した。これがとりこぼした潜舵は、もはや図面に含まれていない。だから、「金の世界」の摂理のもとに、“自然に”死ぬということが、もうない。したがって、丑嶋は、カウカウでのかかわりがもたらした人間性を足場にして、潜舵と接しなければならない。だから、理由を求める。小川純のときのように、「金の世界」の内側で、債務者に選択をさせる、ということはこれまでもあり、潜舵とのやりとりはその相似形になっている。が、底流しているものがここでは金ではなく、人間性なのである。人間・丑嶋は、制御できない場所にいる他者の潜舵を、なんの理由もなく殺すことはできない。殺してやるとかヤクザ呼ぶとかいって騒いでいれば、それもできるが、潜舵は態度をころっと変えて、許しを請うのだ。そうして、丑嶋は潜舵の裏切りを見届け、人間としてこれを殺す。凶器が刃物であることは、そのリアリティ、丑嶋が、人間として潜舵を殺した、ということをあらわしているだろう。金の流れで“自然に”ひとが死ぬのでなく、ハブのときのように身を守るために策を弄したというのでもない。そうしてみると、これは丑嶋にとってはじめての、人間としての殺人なのである。

潜舵生還はカウカウファイナンスでのかかわりと遠く表裏一体だ。彼の図面が潜舵をとりこぼすのは、全能性に瑕疵があったからであり、それはカウカウがもたらしたものだ。そして、それを回収するのもまた、カウカウでのかかわりに含まれる柄崎との友情関係である。カウカウがとりこぼさせた潜舵を、カウカウがきちんと制圧したのである。したがって、この瑕疵ということにかんして、清算は済んでいる。目を覚ました潜舵とのやりとりは、ゼロからスタートしたものなのだ。こうしてみても、潜舵殺しがかなり逸脱したものであることがわかるだろう。

 

 

 

滑皮がもし丑嶋は殺すことができないと悟ることがあるとすれば、それは、最終的には金、という丑嶋の立場を認めるということになる。彼は、丑嶋を求めているが、それはいまふたつの意味をもっている。ひとつは、熊倉殺しの犯人として、大きな矛盾としてである。これ以上ない「丑嶋を引き入れる」という矛盾をクリアすることで、彼はヤクザ社会を超越することができる。そして、次に、丑嶋というより「丑嶋の金」である。もし彼が丑嶋を心底屈服させるか殺すかできれば、それは、「最終的には金」という丑嶋の立場をも飲み込むことになるからである。金を超越することになるのだ。このあたり、例の黒河内との件とかがそろそろ響いてくるんじゃないかという予感がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


テーマ:

第471話/ウシジマくん57

 

 

 

 

 

 

 

 

丑嶋の最後の金を獅子谷甲児が探っているところだ。

ずっと前に丑嶋が滑皮を案内した貸し倉庫には、海老名がシシックから盗んだ金を横取りしたものと、隼人が持って逃げたかばんふたつが置かれていた。しかし、おそらく同じところだとおもうのだが、そこには地下があって、床にあるふたを開けると、かなり大きい、丑嶋いわく核シェルターが広がっていたのである。縛り上げた丑嶋をセンダに任せて、警戒した甲児は椚を先頭にし、金髪くんとなかに入っていく。そこには、封のされたダンボールがいっぱいに積んであって、少なくとも甲児が開けた箱には金が入っていた。とても三人では運びきれない。だいたい車に入らないだろう。そういうわけで、外にでて応援を呼ぼうとする甲児だが、その前に、いつもとはちがう表情の椚がたちふさがったのである。

 

 

甲児は落ち着いたものである。まあまあ強い五体満足の成人男性でも、甲児にはとてもかなわないだろう。両手のない椚なんか、反抗したところで問題ではないのである。甲児は、一から教育しなおしてやる、などといつものペースでいっている。

椚が急に叫び始める。ほとんどなにをいっているのかはわからないが、甲児のもっている丑嶋のスマホはそれを聞き取る。「Hey Siri」といっているのである。椚のことばを、ことばの主であるところの人間は受け取ることをせず、柔軟な情報技術が速やかに受け取って、正しいかたちにしているわけである。

椚の発音が妙なのは歯がないせいだろうか、この場面で、慎重な甲児が即座に作戦に気づいてしまわないよう、「ぶっ壊れた人間」を演じている、という可能性ももちろんないではないが、たぶんそんな余裕はじっさいないだろう。椚は、必死で、指定された言葉をいっているだけだ。Siriを呼びだし、「電話」という。スマホは、誰に電話をかけるか、という状態になる。ここで椚は、なんとか「ぼんぼんぼん」という言葉を発する。丑嶋が爆弾に装着している電話の番号が、そのように登録されているのである。

甲児と金髪は、ただ椚がぶっ壊れたとしかおもっていない。泣きながらふぉんふぉんいっているのだから、それもしかたがないのかもしれない。

ここで、丑嶋と椚のやりとりが回想される。椚のおしっこを丑嶋が処理した場面だ。あのとき、丑嶋は椚が言葉を理解していることを知った。しかし、椚の返事は「あぅー」という感じで、滑らかなコミュニケーションが可能というわけではないようである。だが、言葉は理解している。丑嶋は、今回の強盗にじぶんが呼び出されたのは、頭数をそろえるためではないということをわかっていた。今日じぶんは殺される。わかっていてふつうにくるというのもすごいが、ともかく、丑嶋は椚を煽る。甲児は椚にはなにもできないとなめている。じぶんが場面を作るから、最後はお前がケリをつけろと、このように丑嶋はいったのである。おそらくこのときに、地下の爆弾の仕組みと、いわばその暗号を、椚に伝えたのである。

 

 

 

地下室に郷ひろみが鳴る。甲児はすぐにその場所を探しだしてダンボールを開けた。ふつうに、いちばんうえにあるダンボールだったようだ。たまたまそれを最初にあけなくてよかったな。

そこには例の鍋爆弾がふたつ入っていた。すさまじい爆発。丑嶋のいる地上の通路みたいなところにまで爆風がきている。描かれてないけど、丑嶋はたぶん、縛られて地面に倒れていたことが幸いした感じなのだろう。殺傷能力を高めるねじや、なにかガラス片のようなものが全方向にとんでいく。たぶん目の前で爆発を受けた甲児が地面に倒れている。椚は背中が燃えていて、右目などにねじやガラス的なもののかけらがささっているが、甲児の様子を見て笑っている感じなので、いちおう生きているようだ。

むろん、すべて丑嶋のしわざである。甲児が丑嶋の名を叫ぶ。と同時に激しく血も吐く。目の前といっても眼前ではなく、たぶん腰くらいの高さに爆弾はあった。その爆発で、甲児の胴体はふたつにわかれてしまったのである。

 

 

センダはどこにいたのか、横たわる丑嶋を背後にしながら、倉庫の入口あたりに立って地下の様子をうかがっていた感じなのだろうか。顔の右側に大やけどを負っているが、生きている。日常と非日常のあいだに差のない彼が、丑嶋を殺すことをためらうはずはない。でかい刃物をとりだし、もぞもぞ動く丑嶋を刺そうとする。地味に丑嶋最大のピンチである。

 

 

が、そこにやってきた柄崎が、例のライトでセンダを殴ってそれを阻止する。柄崎はなぜか背中向きに丑嶋と会話する。柄崎がもう3秒くらい遅かったらたぶん社長は死んでいたが、丑嶋は悪態をつくことを忘れない。

さらに柄崎は、ポケットから拾ってきた指を氷に浸したものを出してみせる。じぶんの耳もそうやって社長に保管してもらったのだ。ともあれ、柄崎は生きている社長の姿をみて、涙ぐむのだった。

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

すさまじい展開だった。甲児がすんなり寿命で死ぬとは考えられなかったが、こんなリアルな死に方をするとは・・・。まあ、まだ死が確認されたわけではないけど。

 

 

柄崎は、戌亥の指示にしたがってあの山奥の廃墟に向かった。甲児の車にGPSをつけていたからである。ところが、そこにはもう誰もいなかった。たぶん、いないぞと、戌亥に電話したのだろう。そこで移動していることがわかり、すぐにそこに向かったと。倉庫に到着してから爆発まで、長くてもせいぜい20分というところだろうから、柄崎と甲児たちとのすれちがいもそんな程度だったのかもしれない。あの廃墟は山奥だったし、そこから倉庫までが遠ければ遠いほど、柄崎が飛ばせば、追いつける可能性は高まる。そういうことで、どうにか間に合った感じだろう。

 

 

椚にかんしては驚愕だった。あのおしっこの場面でなにかしら仕込んでいるだろうとはおもったが、ここまで具体的だとは考えなかった。だが、丑嶋はどこまで予想していたのだろう。

椚との会話の回想では最後まで描かれていないのだが、あのあと、丑嶋はSiri

を呼び出して「ぼんぼんぼん」に電話すれば、地下にある爆弾が爆発する、ということは伝えていたはずである。さすがに、そのタイミングまでは、丑嶋も予測できてはいなかったのではないかとおもわれる。だが、「ぼんぼんぼん」にかんしては、椚が発動させるのに合わせて、発音がたやすく、しかも覚えやすいものに変えた可能性がある。あのおしっこの場面で、爆弾の番号の登録を変更したのである。あるいは椚の目の前でやったのかもしれない。音声の問題もある。Siriは、最初に持ち主の声を登録した記憶があるが、ふたりぶんの声を登録することは可能だろうか?椚がそれができているわけだから、できないとしても、丑嶋の登録を解除してしたということかもしれない。

丑嶋は、強盗のあとに、おそらくじぶんが拘束され、金の場所を聞かれ、あの倉庫に案内することになる、というところまでは予測していた。だから、おそろしいことに、指二本落とされて、観念したように見せたあのくだりも、芝居だったことになるのだ。なぜなら、地下室に甲児たちを案内して爆弾で殺す計画じたいは、強盗出発前からあったことになるからである。金を奪われたら殺されるということが明らかな状況で、あっさり場所を吐いたら、逆に甲児が不審がる。あくまで、「なんとなく臭う、なんとなくあやしいけど、とりあえず進んでみよう」という気にさせなければならないのである。丑嶋が強者であり、キレものであり、油断ならない男であるということは、本人は認めないだろうが、甲児もよく知っている。丑嶋に対しては、「ちょっとあやしい」と感じていることが、甲児くらい慎重な男だとむしろ常態なのである。これは、じつに複雑かつ繊細な芝居である。なんとなくあやしい、この道の先にはなにかがあるということを、甲児ほどの慎重な男に感じさせながら、それでいて、大丈夫だと確信させるようなシチュエーションを要求するからである。なんにもあやしくない、この道の先はクリアである、という感覚がもし甲児に訪れたら、彼はかえって立ち止まってしまうだろう。丑嶋にかんしてそんなシチュエーションがあるとは考えられない、ということは、じぶんははめられていると、甲児なら気づいてしまうのだ。

だが、この状況、つまり、指二本で観念したというポイントさえ突破すれば、道は開ける。甲児が倉庫で丑嶋をあやしんだとしても、それは術中のことだからである。爆弾のあるところに甲児がたどりついている、という状況は、丑嶋の計画のうちでは、甲児が「ほんの少しあやしみつつも大枠信じて着いてきた」という状況が成立していることを示している。こう考えると、あるいは椚が地下に行くことになったのも、丑嶋は予測していたのかもしれない、とおもえてくる。なぜなら、甲児は、丑嶋が「ちょっとあやしい」からこそ、「臭う」として、椚を先に行かせたのである。加えて甲児は、無意識下にある丑嶋への恐怖か警戒心のようなもの(戌亥がマグネターにたとえて表現したもの)を押し隠すように、丑嶋を取るに足らない存在であるとし、じっさいくちにしてきた。このことが、むしろ丑嶋に甲児をコントロールしやすくさせる。丑嶋を激しく殴打し、縛り上げて、指を落とす、これらの行為は、すべて甲児の領域である。甲児は、あの丑嶋が、じぶんの方法によって完全に自由を奪われ、意のままになっている、という感覚を抱えていただろう。それが、丑嶋への「ちょっとあやしい」の感覚と同居し、かつこれを中和させる。こうして、丑嶋の計画を隠す「ちょっとあやしい」の感覚を抱えながら甲児が前進する、という状況が成立するのである。

椚が計画をどこまで知らされていたかはわからないが、ともあれ、「爆弾のあるところに、じぶんと、甲児がいる」ことになった。椚は、いまがそのときだと、丑嶋が意図したかどうかにかかわらず、感じたのだ。そうして爆弾を起動させた。起爆は、椚が行った。甲児たちは、椚がなにかをいっても、喃語かうわごとのようにしか受け取らない。精神の失調が医学的にあつかわれるようになるまで、正気ではないひとのことばを神の声と受け取っていた時代があった。ピラミッドの時代のエジプトを描いた映画とかでも、よくなにか薬物でラリっている処女がくちにしたことばを神官が聴いて、解釈するような場面が出てくるが、既存のロゴスから逸脱したものの発することばは、文脈や構造を欠いているぶん、なんらかの啓示を含みやすい、少なくともそうとらえやすいぶぶんがあるのだ。じっさいのSiriがどこまで音声面で有能かどうか、試したことはないが、現代の情報技術は、椚のことばを「正気を欠いた人間のうわごと」とは受け取らなかった。事実は、椚はまだ正気なぶぶんはあったろう。しかし、発音・発声面では、なかなか、正常であるといえるほど明瞭ではなかったこともまたたしかだ。これを、Siriは丁寧に受け止める。ここで、仮に、Siriの世界のとらえかたを、形而上学的なものだとしよう。数学者が万物を数学でとらえるように、Siriは、「正気である」とか、「正気でない」とかいう区別をせず、ただ一元的に、統一的な世界観のうちで、ことばを受け取るのである。この世界観のうちでは、「ふぉん」といおうが、「ヴぉん」といおうが、また正しく「ぼん」といおうが、Siriは、パターンの解析等含めて、「ぼん」だと解釈しているのである。これが、丑嶋の金を経由した世界の解釈と酷似しているのである。

まず、甲児たちの属する地上の世界がある。地上の世界では、椚は「正気ではないもの」であり、そのことばは、かたちをなさないうわごとのようなものである。赤ん坊のことばを母親が理解するように、この、かたちになっていないことばからも、たとえば神官は、神からのメッセージを掬い上げるだろう。そこには、爆弾を爆発させろ、というメッセージが含まれている。じっさいには、椚はただの媒体である。このメッセージそのものは、丑嶋が発したものだ。こうしてみると、いよいよ、丑嶋がなにもかも予測したうえで行動していたのではないか、という可能性が高まってくる。地上からの理解を絶したメッセージを、椚を通して発し、地上のものには理解されないまま、それは、情報技術によって形をなし、実在化することになったわけである。処女と神官のイメージでいえば、ラリった処女は椚であり、神官はSiriであることになるが、では翻ってメッセージを発したものは誰かというと、それは、神であり、丑嶋なのである。ここでいう神とは、宗教的な意味合いではなく、オールマイティであるという点においてである。丑嶋が全能だった(全能にみえた)のは、その世界の受け取り方が、徹底して一面的だったからである。彼には金がすべてであり、金を経由してひとびとの欲望にコミットすることで、そのありようを確立させてきた。ヤクザくん以降崩れかけたそのありかたは、いま、持続していたか復活したかして、むかしのありようをとりもどしていることが知れたわけである。考えてみれば、どこまでほんものかわからないが、ここは金の隠し場所なのである。甲児は、金を求めてここにやってきた。この時点で、彼は丑嶋の手中なのである。

椚がなぜ正気を失っているのか、事実のレベルでいえば、ひどい拷問を受け、人権を剥奪されてきたからだが、同時に、彼が生き地獄を味わっていることも無関係ではない。もろもろの事情から、甲児は椚を殺さない。かといって生かしもしない。生きることも死ぬこともできない、それが、甲児が椚に課す罰である。このとき、椚はひとではなくなった。地上のものではなくなったのだ。してみれば、古代の価値観でいえば、このとき椚は、神の声の媒体になる可能性をもったことになる。ひとではなくなり、人語を失ったとき、椚は地上の構造、そこに生きるものの文脈からははずされるようになった。そして、皮肉なことに、そのことが、甲児には致命傷になった。結果として、甲児は10年かけて爆弾をそばに生きていたことになるのである。

 

 

 

甲児の最後は衝撃的である。あそこまで露骨な大ダメージを負って倒れたものがかつてあったろうか。ウシジマくんは露骨な描写ばかりではあるが、考えてみると死の瞬間に内臓が出てくるような死に方はなかったのだ。だが、これは必要な描写だった。なぜなら、彼の兄の鉄也が、同じように、滑皮によって、死後、胴体を切断されているからである。

そういう絵の描写ばかりではない。鉄也と甲児は、寒気がするほど同じ死にかたである。まず、直接手を下したのが、どちらも椚である。そしてその椚の背後にいるのが丑嶋である。これは、甲児が無意識におそれていたことでもあった。兄の死にかんして、丑嶋は、無関係ではないとしても、犯人であるわけでもない。だが、兄の死をめぐる物語の、どの頁をめくっても、丑嶋は登場する。無関係であるわけがない、というのが、甲児の正直な感覚だろう。その湿っぽい違和感のようなものが、必要以上に甲児に丑嶋を敵対させる。そして事実、丑嶋は鉄也の死に無関係ではない。椚が決意したのは、親友が死んだからであり、その死は、丑嶋の指揮によって柄崎が運転した車によってもたらされたものだ。だいたい、海老名たちの強盗が、丑嶋の手のひらで行われていたようなものなのだ。これと同様に、今回の椚も、丑嶋が扇動したものなのである。そして、おそるべきことに、死んだあとまで同じである。鉄也は、みずから熊倉に依頼した死体処理の一体として、つぶされた。同じく、甲児は、篠田と丑嶋の死体処理を滑皮に依頼し、げんに鳶田が動き出している。だが、丑嶋は死ななかった。鉄也は、まるでじぶんの死を最初から数えていたかのように、滑皮によってスムーズに処分されたが、おそらく甲児も、同様にして鳶田が処分することになるにちがいないのである。

 

 

いったい、このようなショッキングな描写から、なにを読み取ればよいのだろう。

まず、甲児が鉄也をなぞるような死に方をしたのは、どういう意味においてだろうか。毎回見てきたことだが、甲児のふるまいは、鉄也と同じではない。鉄也のシシックでの失敗を踏まえたうえで、いまの彼はある。だが、それは、兄の否定するしかたで成り立つものではない。兄を肯定し、かつ進化させるかたちで、それは達成されてきた。たとえば、兄は裏社会を暴力で牛耳ってきた。これを甲児は、警備会社と格闘イベントのふたつを通して社会化し、彼の領域のものとした。生前、ふたりは、ちょうど表と裏のように活動していた。兄が裏社会でかせぎまくるいっぽう、弟は、アマチュアボクシングのインターハイに出場するような「優等生」だったのである。兄の死後、完全に裏社会の住人となった甲児は、そのどちらをも含む、ひとりで「獅子谷兄弟」を体現するような存在になっていったのだ。

ごくたんじゅんに見ても、甲児は部下たちとうまくやっていたし、ヤクザと敵対することもなかった。というか、敵対したけど、取り込まれて、それでもうまくやっていた。半グレとしてこれ以上は考えられないというポジションを獲得していたのである。それが、兄と同じ結末を迎えるのである。両者の共通点はなにか。むろん、丑嶋を敵にまわしたことである。戌亥が絶望的に疲れきった表情で指摘したように、丑嶋は近づくものを破滅させるのだ。丑嶋にとっては、エリートだろうがニートだろうが、同じ額の借金をしていれば、等価の債務者である。あるひとつの原理にしたがって価値を判定するその視点が、彼に全能性を与える。だから、甲児が「正気ではないもの」とする椚も、有効に利用してしまう。丑嶋が、あの廃墟で、指二本で済んだのは、隠し金があったからである。それ以前から、滑皮の意図も含めて、丑嶋はそうなると予想していた。金があり、そしてそれを経由して滑皮や甲児の考えを読むことで、彼の意図は成立している。だから、隠し金がどうのと言い出した瞬間から、実は丑嶋の計画は始まっていたのである。そして事実、もし甲児がただ殺意だけに動かされ、滑皮の指示に反して金のことを持ち出さなかったら、丑嶋はたぶん死んでいたのである。

 

 

だが、それでも、甲児と鉄也が“同じ死にかた”をする説明にはならない。丑嶋は、彼らを「結果、死ぬ」ということにはしたかもしれないが、その内容まで決定しているわけではないのである。

甲児の鉄也にかんするこだわりは尋常ではなかった。上半身裸になることの多い格闘家をやりながら、よく見える胸に兄の名を彫り、子どもたちはすべて鉄也か徹子で統一している。これを、半グレのありよう、また会社の運営という点で、弁証法的なものとして、いままではとらえてきた。さっきも書いたように、甲児は兄の失敗を踏まえつつも、否定はせず、保存して、進化させて、新しい展開をはじめていった。だが、椚も含めて考えると、これは、「兄を死なすことができない」と言い換えることもできる。おもえば鉄也は、いまじぶんを殺そうとしている椚に、「地獄で待ってるぞ」といっていた。その椚を、甲児は死なせない。復讐には、終わりはないからである。兄を殺した犯人を、憎しみから殺しても、兄がもどってくるわけではない。だから、復讐者は、際限なく復讐を続けるか、あきらめるほかない。むろん、甲児にあきらめることなどできない。だから、復讐を持続させる。椚を死なせず、生きていることそれじたいが復讐になるかのような方法をとる。もし椚が死んでしまったら、復讐は完結してしまう。甲児はそのとき、復讐が終わった、あきらめるときがきたと感じてしまう、そう予感していたのかもしれない。いずれにせよ、椚の命で、あの兄の命とつりあいがとれるはずがない。あきらめきれない以上、甲児は復讐をやめることができなかった。だが、それが、兄を死なせなかった。「地獄で待ってるぞ」がここで思い出される。鉄也のいう「地獄」は、むろん、死んだあとの世界のことのはずだ。もし兄のことばに真にしたがうのであれば、甲児は椚の息の根をとめ、地獄に送るべきだったのである。ところが、甲児は復讐をやめることができない。そして、それを「生き地獄」に変容させる。このときに椚は「ラリった処女」、あの世とこの世のはざまに住む媒介者のようなものになる。だがその前に、甲児が、椚の「生き地獄」こそが、兄のいう「地獄」だと解釈していたらどうだろう。事実、椚は、生きつづけることで鉄也の生を完結させないまま担保する。とすれば、甲児は、復讐どころか、その行為を経由して、間接的に兄に会っていることになりはしないだろうか。

死んでしまったものにできなくて、生き残ったものにだけできる唯一のことは、その死者を弔うことだと、内田樹は書いている。(高橋源一郎『ジョン・レノン対火星人』解説) 弔いは、死者を「きちんと死なせる」ということだ。きちんと死なせることは、死んでしまったものにはできない。だから幽霊が生じる。甲児は、兄を尊敬するあまり、これを忘れてしまった。きちんと死なせるどころか、内面化し、取り込んで止揚し、あらたな生を授かった鉄也、ネオシシックを展開していったのである。

椚を生かし続けることで、復讐は持続する。これが、甲児に「兄をあきらめる」ということをさせなかった。さらに、「生き地獄」に住む「正気ではないもの」である椚は、甲児的には兄と対面するものでもある。ここまできたら、もはや甲児に椚を殺す理由などない。椚がいる限り、兄は、生きていないにしても、死ぬこともないのである。だが、結果的には、それが、神の視点を宿した丑嶋に利用された。椚と地獄で会話するのは、兄ではなく、丑嶋だった。そして、「獅子谷兄弟」は、もういちど、確認するかのように、同じしかたで死ぬ。じっさい、「きちんと死ぬ」ことのなかった鉄也は、甲児の血となり肉となり、生きている。彼は兄を決して否定しなかったからである。これが、結果としては依代となった。そして、鉄也は、新しい肉体で、その生をまっとうすることになる。生が完結したとき、甲児は鉄也になっているはずである。なぜなら、死ぬことのなかった兄が、弟の肉体を通して止揚されたものが、甲児の生だったからである。じつに皮肉なことに、また悲しいことに、鉄也はその生から死を確認するかのように甲児を依代としたのであり、甲児は、死を経験することで、ついに、尊敬する兄とその生を一致させることになるのである。

 

 

丑嶋にはまだ滑皮という最大の敵が残っている。そろそろ、彼がどういうつもりで甲児を取り込み、どういうつもりで丑嶋をあつかっているのか、わかってきそうなものだ。豹堂問題と辰也問題もある。まだしばらくはかかりそうだが、それでも、終わりが見えてきたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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第470話/ウシジマくん56

 

 

 

 

 

 

 

 

巻頭カラーの扉絵は、懐かしいフルメンバーのカウカウファイナンスだ。加納もいるし、高田もマサルもいる。明らかにフルメンバーを想起させるための絵であるのに、なぜか小百合の姿がない。しかし、みんなカメラ目線になってこちらを見ている。ということは、これは小百合のとった写真かもしれない。

 

 

隠し金の場所を獅子谷甲児に問われて拷問されていた丑嶋だが、右手の小指、薬指を切り落とされたところで、場所を教えることになった。丑嶋は椚といっしょに車の最後部に押し込められる。

着いた先は、少し先に滑皮を案内した貸し倉庫みたいなところである。話のとおりなら、金の場所を教えろといわれて滑皮を連れてきて、じっさいに金を出したが、そこにまだ金があったということになる。ほんとうに丑嶋は、底の知れない男である。フリーエージェントくんで天生翔が、幽遊白書の蔵馬と黄泉の名セリフ、「切り札は先に見せるな。見せるならさらに奥の手を持て」を引用していたが、丑嶋もそういう男である。おもえばそのときの天生も隠し金にかんしてそういっていたんだよな。天生は、女を通じて樺野にぜんぶもって行かれてしまったわけだが、丑嶋はこの隠し金のことを文字通り誰にもいっていないだろう。

 

 

降りろといわれた丑嶋は、もう指一本も動けねェという。ちょっと笑っているようにも見えるし、ジョークのつもりかな。

それを金髪くんがキレながらひきずりおろす。もぞもぞする丑嶋を、芋虫みたいと、センダが撮影する。と、センダがなにかを思いつく。丑嶋の頭に足をのせて写真を撮り、フェイスブックで、丑嶋にムカついていたものたちからいいねをもらおうと。金髪くんは「いいね」といって撮ろうとする。このひとたちほんとになに考えてるかわからない。怒りと笑いのポイントがまちまちで、しかも落差が激しすぎる。そして、今回のはなしではなぜか急にセンダに口ひげが生えている。なにかこう、センダの怖さって、あのつるんとした感じにあったのだけど、ひげ生えた途端急に小物っぽく見えるから不思議だ。最新刊にはぎりぎりセンダも登場しているが、この時点ではひげはない。なので、途中で、なんらかの事情で生えていることにした、というわけではなさそうだ。ウシジマくんってたまにこういうことあるけど、どういう経緯でこうなるのかな・・・。

しかし、獅子谷たちは金を手に入れ次第丑嶋を殺すことになっているのだから、それはまずい。甲児が軽い調子でそれを止めて、金髪くんに丑嶋を運ばせる。といっても、丑嶋を縛っている縄をそのまま引っ張っていく感じだ。丑嶋はがちがちにかためられているから、ちからがまったく逃げない。よく小柄な女性でも死体になると重いというが、丑嶋ならもっと重いわけである。それを、センダが楽しそうに撮影している。彼らに共通しているのは、じぶんたちがアウトローで、悪いことをしている、という自覚が薄い、ということだろうか。日常のエンターテイメントの延長で、ひとが死ぬのだ。それは、甲児のもとにいれば自然なことかもしれない。豹堂が仁義仁義とうるさくいっていたことが、それを相対化して浮き上がらせる。このことはあとで考えよう。

 

 

倉庫の前に到着する。最新刊の滑皮の描写と見比べてみたが、おなじ場所のようだ。まず、スマホでドアを開ける。ここで、どうも丑嶋は、じぶんの手でそれをやるつもりだったようだ。しかし慎重な甲児は口頭で説明させる。つまり、このとき丑嶋のスマホは甲児が手にもつことになった。

扉を開くと、床の真ん中に蓋が見える。やはり最新刊を確認してみたが、このときは見当たらない。これだけの描写ではなんともいえないが、滑皮を連れてきたときには、奥の奥まで滑皮が入りはしなかったので、この倉庫が見た目より広くて、左側のほうにいくと隣の部屋に通じているとか、そういうことかもしれない。あるいは、もっと金のかかったしかけで、扉が二重であるように、床も二重になってるとか。

蓋のすぐ横に顔認証のキーがあるので、センダたちが丑嶋を持ち上げて解錠する。階段は狭い。丑嶋をずるずるひきずっていくのは難しそう。丑嶋は、たぶん甲児がもっているスマホを見ている。例の鍋爆弾だ。丑嶋は、これの機能と威力をすでに実験でたしかめている。どこかの原っぱに携帯電話をくくりつけた状態で置き、これに電話をかけることで、郷ひろみが流れる。いや、郷ひろみじゃなくてもいいんだけど、とにかく、どういう仕組みか、それをきっかけに着火するようで、しばらくしてから大爆発を起こすのだ。たぶん、このしたには、なんらかのかたちで爆弾が仕掛けられている。だが、それにはスマホが必要だ。だから丑嶋は、最初のドアをじぶんであけようとしたのだ。とはいえ、電話をかけさえすれば爆発するなら、丑嶋の話術で、その番号に電話をかけさせれば、爆発はする。スマホがもどらないようならそれしか方法はない。

 

 

丑嶋を置いて甲児は行こうとするが、すぐに思いなおし、なにか臭うと、椚を先にいかせることにする。

 

 

 

 

 

 

「おい、丑嶋ァ。

世の中持つ者が勝つ。

 

 

お前にはもう何もない。

やられてダセェなァ」

 

 

 

 

 

椚がくるのを待つあいだ、甲児はそんなことを丑嶋にいっている。

 

 

 

たほうで、さっきまで丑嶋たちがいた山奥の廃墟だ。柄崎が到着したところだったが、すでに丑嶋はいない。篠田の死体があるだけだ。そこに何者かがやってくる。鳶田と、たぶん業者のものだ。甲児から連絡を受けて、処理する死体を回収しにきたのだ。しかし、二体と聞いていたのがひとつしかない。一個は連絡待ちだと鳶田はいう。甲児が丑嶋を今夜殺す気でいることを、鳶田は知っているのだろうか。としたら、丑嶋は生きていることになる。鳶田はなにを感じたのだろう。柄崎は見つからずに隠れてやりすごしたようだ。

 

 

 

椚を先頭にして甲児たちがしたに進む。地下の倉庫はびっくりするほど広い。核シェルターということだが、てっきり四畳半くらいの、倉庫と同じくらいの広さかとおもっていた。しかしじっさいは、へたすると地上にあるすべての倉庫覆うくらいの広さだ。もしかするとあれは貸し倉庫ではなくて、土地も含めてぜんぶ丑嶋のものだったりして。

そこに、搬出前の閉店した本屋のように、ところ狭しとダンボールが積まれている。なかには万札がぎっしり。10年前の回想シーンでも、丑嶋は同じようにダンボールにくしゃくしゃのままのお金を詰めていた。あれが、10年かけてこの規模になったということだろうか。だとしても、これはいったいいくらになるのだろう。1000円札とかが混ざっていたとしても、数百億くらいあるんじゃないのか。それとも、すぐに開封できるいちばんうえとか、手前の列のもの以外はダミーなのだろうか。

甲児がいくら力持ちでも、とても運びきれない。応援を呼ぼうと、地上に上がろうとする甲児だが、その前に椚が立つ。ぼうっと立って邪魔なのかと思いきや、そうではない。椚は、明確な殺意を宿した目で、甲児をにらんでいるのである。

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

切り札を隠してきた丑嶋も、いよいよ、最後の最後というところにきているようだ。

 

 

丑嶋に揺さぶられて、精神薄弱のふりをしてきたのか、あるいは生存戦略的にそれを選んだのか、ともかく表面的には思考停止しているように見えた椚は、殺意をよみがえらせた。それがここで生きている。しかし、椚が殺意をよみがえらせたところで、甲児には問題ではない。ここで重要なことは、椚の行動が丑嶋の計画にあることなのかどうか、ということだ。

丑嶋としてもっとも望ましい結果は、じぶん以外のこの場の全員が爆弾で死ぬことである。爆弾は、たぶんこの倉庫のどこかに隠されている。核シェルターというくらいだから、爆発の衝撃は外部には漏れない。万が一爆風で死ぬことがなくても、たくさんしまいこまれている(それも燃えやすい感じにくしゃくしゃな)金に燃え移れば、ふたをとじるだけで、焼けるか窒息するかして、勝手に死んでいくだろう。だが、あの場でスマホをもった丑嶋だけを残して全員がなかに入るということはまずありえない。ありえる状況でいちばん好ましいのは、センダか誰かが丑嶋(スマホをいじるためにほとんどの拘束は解かれている)の見張りに残り、特に甲児がなかにはいって、これを殺すことだ。しかしこれも、甲児の慎重さをおもえば、なかなか難しい。少なくとも、ある程度動ける状態の丑嶋と部下をふたりきりにはしないだろう。なんのかんのといっても、丑嶋はふつうに強いからだ。

こういうことを考えると、丑嶋は、じぶんがなかに入って案内する状況を考えていたのかもしれない。なにしろ、滑皮を道ずれにして事故を起こそうとしたことからわかるように、奪われるくらいなら死を選ぼうとする人間である。金をとられるなら、金ごと、そしてじぶんごと甲児を殺す、くらいのことは考えそうである。そのうえで、状況しだいで、じぶんだけ脱出ということも可能になるかもしれないが、とにかくその覚悟だけはおそらくできているのではないかと考えられる。

甲児は椚を先頭に、ということにしたが、ここまでを丑嶋が予測できていたかどうかはあやしい。もし予測できていなければ、椚と爆弾は、少なくとも作戦のうちでは結びつかない。だとすると、あの思わせぶりな、椚の殺意をよみがえらせるささやきはなんだろう。それは、トリックスターとしてである。

以前までの、ヤクザくんより前の丑嶋は、金で万物を読み取ることで、あの全能感を保持してきた。あれもこれも、なにもかも、丑嶋の読み通り、計画の範疇ということばかりだったのは、丑嶋には人間の欲望というものが金を通して見えていたからである。これが、ハブの襲撃以降、さまざまな理由から崩れてしまった。たぶんこのことが、椚を要請する。世界は、丑嶋の手を離れて、自律的に動き出している。予測のできないこと、すなわち他者が、丑嶋のまわりであたまをもたげはじめているのだ。この時点で丑嶋に可能なことは、相手を予測できないぶん、相手からも予測されないように動くことである。その「切り札」にかんすることもあてはまるが、つねに相手の予測をちょっとだけ上回っていくように行動すれば、すっかり把持されることなく、出し抜ける可能性が出てくる。たぶん、椚はそういう要素を背負って、鎖から解き放たれたのではないかとおもう。丑嶋的には、椚がどう動いてもよいのである。できれば、予測できない動きをとってもらいたいということはあるかもしれないが、どう動いても、少なくともそれを甲児が受け止めるのには時間がかかる。この点で、丑嶋は甲児を出し抜ける。椚がなにをするかわからないという点で、丑嶋と甲児は同じ条件だが、「なにかをする可能性がある」ということを丑嶋だけが知っていることが、両者の差異を生み出すのである。甲児も、丑嶋への警戒はゆるめない。なにか切り札をもっているかもしれない、という考えを、たぶん甲児は丑嶋が死んでしまうまで捨てないだろう。だが、このとき椚のことは忘れられている。いまこの瞬間、丑嶋に勝機があるとすれば、もうそれしかないのである。

 

 

 

甲児は、動けない丑嶋に、「持つ者が勝つ」という。これはどういう意味だろう。続けて、丑嶋にはもう何もないという。つまり、いまの状況の丑嶋に対してじぶんは持っているということであり、またかつての丑嶋もそれを持っていたということになる。いま丑嶋の最後の隠し金を奪おうとしているところなので、表層的には、それは金のことになる。むろん、間接的に、人材だとか、機会だとか、金に接続するもろもろもそこには含まれる。だが、ここは直前の、はしゃぐセンダたちとの関連で読み取りたい。センダたちにとって丑嶋は、もはや動画のネタでしかない。以前から、甲児は、必要とはおもえない場面で、丑嶋の価値を落とすようなことをいったりやったりしてきた。ここには、同族嫌悪的なものが見て取れた。たいがいの同族嫌悪は、じぶんとよく似ている相手の嫌なぶぶんが見えてしまったときに生まれる。じっさい、甲児と丑嶋の状況はよく似ている。どちらも、主体的に拒んでいるのかどうかはともかくとして、ヤクザにならず、それでいてヤクザの影響下にある半グレなのである。だから、滑皮という影響力のもとでは、甲児と丑嶋は等価だ。もし甲児が、滑皮からの評価を求めようとしたら、丑嶋を落とすことにはそれなりに意味がある。けれども、ただ半グレとしての、単体の価値ということを考えたとき、甲児がわざわざ「じぶんは丑嶋を評価しない」というふるまいをおおげさにとってみせることは、あまり意味がないだろう。丑嶋には、三蔵をつぶしたという、暴力的な価値がある。だから、そこに価値を見出すものは、鉄也のように吸収しようとするか、若い不良だったら倒してじぶんのものとするかしようとするのだろうが、甲児はすでにそんなものを必要としないほど強大な半グレなのである。

にもかかわらず、甲児は、ちまちまといじめのような行為を通して、丑嶋の無価値を証明しようとする。柄崎が丑嶋への忠誠を示せば、別に柄崎が欲しいわけでもないのに、この男にはそんな価値はないということにこだわるし、ほかの誰でもいいような買い物まで丑嶋にやらせることで、パシリ扱いを強調する。虫けらだとか、その手の呼び方も、わざわざそう呼ぶべき局面でもない場所で使ってみせる。ここには、合理性、つまり、なんらかの目的があったうえでのふるまいではない、感情的なものが感じられるのである。すなわち、嫌悪感である。両者が異なるのは、心の底から滑皮に屈服したのかどうか、ということだけだ。こうしてみれば、甲児の感情も見えてくる。まだまだ反抗的な丑嶋の態度は、屈服したじしんの姿を鏡となって映し出す。と同時に、動画のネタにまで落ちた丑嶋の姿は、ありえたじぶんの姿でもある。「持つ者が勝つ」というセリフが含むことは、持つことと持たないこと、その差だけが、勝敗を分かつということでもある。いまの丑嶋には「もう」何もないと甲児はいう。つまり、かつての丑嶋には、そのなにかが、丑嶋にはあった。ちょっとした入力のちがいで生じるその持つか持たないかの差が、このように大きな影響を与えうる、そのことを、甲児は丑嶋を通して見ているのである。もしそうとらえることが有効だとすると、甲児の丑嶋に対する評価は、すべて自己評価ということになる。なにしろ、勝ちにつながる評価は、持っているかどうかだけで決まるのである。仮に丑嶋がそのなにかを持っていたら、ここで丑嶋は勝っていたのだ。だとするなら、それを所持するものの差異は、少なくとも持っているかどうかという文脈では、ないことになる。甲児は、丑嶋がみせる「ダサさ」が、本質的にじぶんにもあるものだということを直観している。虫けらが嫌悪すべき存在であることは自明である。しかし、自分自身も虫けらなのだとしたらどうだろう。そういう、自己嫌悪に支えられた感情が、丑嶋への嫌悪感の正体なのではないだろうか。

そうした場面で、センダが椚を呼びに行っているあいだ、甲児は「持つ者が勝つ」という真理について語る。これは、甲児の奥底にくすぶる恐怖心のようなものがくちにさせたのかもしれない。くどいようだが、持っているかどうかということには、属人的な意味合いが弱い。極端ないいかたをすれば、そこには偶然的な要素さえある。その真理を、甲児はくちにする。そこに、なにか半グレとしてのあきらめと、もっと奥底に、小さな恐怖のようなものも、見えなくはないのである。

ただ、その真理が正しいものだとして、丑嶋はほんとうに「何もない」のだろうか。問題は、甲児が、じぶんと丑嶋のなにが異なり、どこで分岐したかということを理解しているかどうかである。むろん、それはカウカウだった。柄崎が襲われ、高田と小百合の位置が知られてしまったことが、丑嶋の行動の9割がたを制限してしまい、それこそが、丑嶋が甲児にしたがう理由なのである。たしかに、柄崎や高田は、「持ち物」としては、金より属人的である。なぜなら、特に柄崎がそうだが、彼らは、丑嶋が「丑嶋」だったからこそ、ついてきたのである。丑嶋は、その「持ち物」ゆえに、すべての「持ち物」を失いつつある。甲児もまた、人望面では丑嶋に負けず劣らずなところはある。だが、丑嶋についての理解にかんして見落としがあるようにおもわれるのだ。

 

 

この見落としがどうして起こるかというと、ネオシシックの体質が関係あるかもしれない。今回の強盗は、豹堂が黒幕となって失敗しかけたわけだが、はなしをもってきたのはセンダである。ところが、甲児はセンダを責めない。そればかりか、センダも、じぶんに責任があるとはぜんぜん感じていない。これを、当ブログでは兄のシシックの社会化という軸で読み取った。細部は省略するが、後期のシシックで、暴君と化した鉄也は、従業員を手足と見ていたために、個々の区別がほとんどついていなかった。椚と、椚の親友の価値が等しいので、どっちが死んでも同じことだし、問題にならなかったのである。これは、シシック崩壊の大きな原因のひとつだった。甲児は、これを踏まえたうえでいまの体制を築いている。ただたんに兄の失敗から学ぶ、ということではない。「警備会社」「格闘イベント」という項目が示すように、ネオシシックは、暴力の裏社会を支配した兄の方法を、陽のあたる場所でつかえるものとした、つまり社会化したものである。甲児は、鉄也を、そして鉄也のありかたを否定しはしない。含み、より高い次元のものとして、新しく展開させるのである。だから、この、従業員間の区別がない、という状況も、脱構築され、責任がひとに返っていかないシステムが作り上げられることになった。センダの行いは、センダがしているのではなく、ネオシシックがしているのであり、したがって、そこにミスが生じたとしても、それは会社のミスなのである。

ここにカウカウとのちがいがある。カウカウでは、最終的には社長が解決してくれるとしても、重大なミスはじぶんで解決しなければならなかった。顔が商売道具だった高田がぼこぼこに殴られたときが印象的である。けれども、それは暴力で支配している、という構造ではなかった。なぜなら、丑嶋は部下を信頼していたからである。信頼しているから、責任を最後までとらせる。ここに、同じように人望あつい甲児と丑嶋のちがいがあるのだ。

 

 

センダと金髪くんの、日常と非日常の差がない雰囲気は不気味だ。だが、ここには彼ら半グレの本質があらわれているようにおもえる。じしんどこまでまっとうできているのかはともかく、豹堂はヤクザの本質を仁義に求めているようである。それは、アウトローとしての自覚である。これも長くなるので省略するが、義の行いは、法の外でしか顕現しない。「義」は、正しさをまっとうすることだが、きちんと赤信号で停車して青信号で発車することを「義」と呼ぶひとはいないのである。法がとりこぼし、しかし黙っていられない出来事を前にして発動するのがルソーの「憐れみの情」であり、義はそれに近いものと考えられるのである。しかし、それは正しい行いであるいっぽうで、違法でもあるわけである。そのことを自覚しなければ、そもそも「義」は成立しない。法があり、それがとりこぼす悪事を目にし、たえることかなわず、手が出てしまうことが義なのであるから、仁義は違法の観念が成立した先にしか存在しないのである。そして、これがヤクザと半グレの精神性をわかつことにもなる。むろん、豹堂も悪党で、行うことすべてが義に基づくわけではないし、そもそも半グレは義なんかどうでもよい。ここで問題にしているのは、その輪郭のようなものである。ヤクザは、違法の行いをする。たほう、半グレは、違法も合法もなく、やりたいことを行うのである。それが、仁義を経由して合法/違法のラインを持ち込むかどうか、というところから発展的に生じる両者のちがいなのだ。

 

 

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