すっぴんマスター

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

小説家志望です。


バキ道、九条の大罪の感想を毎週書いてます。


基本的に読み終えた書籍についてはすべて書評のかたちで記事をあげていっています。


ちなみに、読む速度は非常に遅いです。


その他、気になる小説やマンガ、映画など、いろいろ考察しています。


あと、宝塚歌劇が好きです。







原則リンクフリーですが、コメントなどを通して一言ありますとうれしいです。







【noteをはじめました(有料記事)】↓



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安いものだと100円くらいで読めます。携帯料金に加えて支払うこともできます。無料で読めるものもあり。いちどのぞいてみてください!週1~2本ペースで更新中。


漫画家批評①福満しげゆき


漫画家批評②押切蓮介


漫画家批評③真鍋昌平


漫画家批評④板垣恵介


ほしい物リストつくりました


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■最近の私的ベスト本




【2020】


・『店長がバカすぎて』早見和真


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・『近代立憲主義と他者』江藤祥平


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【2019】


・『82年生まれ、キム・ジヨン』チョ・ナムジュ


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・『言語接触』嶋田珠巳ほか


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【2018】


・『田舎教師』田山花袋


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・『戦後的思考』加藤典洋


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バキ感想最新・バキ道


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 ・過去記事・刃牙道



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ウシジマ感想最新(最終章ウシジマくん)



http://ameblo.jp/tsucchini/theme-10099471132.html








※週刊連載の感想は発売日翌日以降の更新です(現在、特に更新期限は定めずにやっていますので、ご了承ください)。




記事の内容によってはネタバレをしています。ご注意ください。


(闇金ウシジマくん、範馬刃牙は、主に本誌連載の感想を掲載しています)


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第145審/承認の欲求④




冒頭、ドンキ的なところで心愛(ここあ)と姫愛羅(てぃあら)がお買い物。バブみの甚だしい、いとかわちいものを購入。


九条に深泥池を紹介して帰っていく八幡。

事務所に入る前にすれ違った薬師前が騒ぐ。薬師前の髪型が少し変わってる感じがする。八幡はキラキラ投稿のフーディ弁護士、SNS世代としてはすごい有名人ということみたいだ。八幡本人はフーディ弁護士といういわれかたを気に入ってはいないようだが、薬師前は悪い感情は持っていないっぽい。


九条への依頼で、薬師前は丸山という男をつれてきている。てっきりてぃあらが言っていたあの買春男かと思ったが、あれは村田だった。

丸山は禁止されている本番行為をデリヘルで行い、もろもろ180万請求されている。仕事だから連れてきたが、薬師前の丸山への表情は軽蔑を隠さないものだ。

お金はまだ払ってない、小遣い制だから、ということだが、よくそれでデリヘル呼んだなと薬師前がもっともなことをいう。


九条が機械的に説明して烏丸がわかりやすくひとことで伝える、という流れで、金を払う必要はないということになる。そもそも公序良俗違反で契約が成立していない可能性があるから、違約金もない。休業損害も、休業が立証されないと認められるとは限らない。もちろん、九条はちょっとはなしを聞いただけだし、これは一般的にそうだということで、しかも可能性のはなしである。


丸山がこわいのは周囲にバレることだ。払わなければ家族に言う、になどといえば相手は恐喝罪になるが、それをおそれてくれるならともかく、恐喝だと訴えたらどちらにしろ表沙汰になってしまう。

この店「ニュルルポンポン」はほかにも似たような相談があり、店長は田中、キャストはバブミというところまで一致、さらに薬師前から、そのバブミがAV女優の雫ぴえん、つまり笠置雫にそっくりだという情報が出る。これを受けて丸山が本人だと請け合う。憧れの女優と本番ができて夢のようだと。じゃあ180万払えよ。たぶん、雫ぴえんが所属してるらしいといううわさが、店からか客からか出て、行ってみたのだろう。丸山はアホだからその説明はないが、九条が田中の名前を出していることもあり、違約金目当てで店長指示で雫のほうから誘導した可能性もある。


深泥池が心愛と会う。一ノ瀬貴族の売り掛けを肩代わりするかわりに心愛を丸ごと深泥池が預かるというはなしだ。来週から海外で仕事だ。仕事というのは、ふつうに売春だとおもうが、心愛の反応は「ふひぃ なんて?」というよくわからないものだ。深泥池もそれを受けて目を見開き、よくわからない反応をしている。コイツはなしわかってるのか、わかってるはずだが、だとしたら人生なめてるのか?みたいなことだろうか。


たぶん外で待ってた貴族が、スカウトってズリーなと言っている。これから心愛が稼いだ金の2割が深泥池のものになるのだ。そこには、心愛への感情も、罪悪感もない。

心愛は言葉少なに立ち去り、てぃあらと合流。たぶん冒頭で買っていた小さくてかわいいもの机に広げて写真を撮っている。

そして、これはなんだ、わからん、なにかを握りしめ、すさんだ気持ちのじぶんにいまはバブみがないと心愛はいうのだった。



つづく



バブみとはどういう意味か。

語からして赤ちゃんっぽいという意味に思われたが、どうももとは違ったらしい。




https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%90%E3%83%96%E3%81%BF




もとは、自分より年下のものに甘えたいと感じる母性がみえたときに使用した言葉のようである。つまり、この時点ではバブーとなるのは語の使用者のほうだ。それが誤用、もしくは転用され、たんに赤ちゃんっぽいものを指す、さらにそれに対して母性本能的なものが生み出されてしまうときに使う語になった。要するに逆転しているのである。当初は、バブ化、つまり赤ちゃん化するのは「こちら」だったのが、やがて「あちら」のバブ化を指す語になったのだ。

由来的には年下の女性キャラクターに甘えたくなる感情が出てきたときのものであるから、図像的には、この年下女性は誤用の意味でそもそも「バブみ」があったと思われる。赤ちゃんっぽいかわいさがあったのだ。おそらくそのように読み取り、さらにそこで頻用されるもとの意味での「バブみ」という表現を目にした者たちが、そのように意図せず転用していったものと思われる。


心愛らがつかう「バブみ」や雫が名乗る「バブミ」はもちろん誤用のほう、「赤ちゃんっぽい」という意味のものだ。そして、これはさらに意味を転じている。世の中に「バブみメイク」が存在することからもわかるように、いまではみずからにバブみをほどこすことが志向され、逆転した意味が一周して戻ってきているのだ。


ややこしいので番号をふる。まず第①の意味たる「バブみ」は、相手に母を感じ、じぶんが赤ちゃん化する。これの誤用の②は、赤ちゃんっぽいものをみたり、そうした傾向を見たとき感じるものだ。冒頭、なにか小物を買っているときの心愛たちがいうバブみは②である。そして③、わたしたちはその赤ちゃんっぽい、かわいいもの、守られるべきものになろうとする。これが「バブみメイク」的なものである。最後に心愛が、すさんだ気持ちのまま、じぶんに「バブみない」としているときは、②と③をあわせたような、②を感じるときのあたたかな気持ち、満たされた気持ち全体を指しているようでもあり、「バブみ」はもはや感情のベクトルだけを指すものではなくなっている。それは感じ、感じられるもので、瞬間的な関係性全体のことなのである。こうした「状況のタイトル」としての「バブみ」は④としておこう。


相手の母性により赤ちゃん化してしまっていたものが、その過程で赤ちゃんのかわいさを再発見し、そのかわいい赤ちゃんにみずからなろうとするようになっている、というのは実におもしろい現象だが、意味変化の原因などにはこれ以上踏み込まず、彼女らが③もしくは④を望むものであることがわかればここではじゅうぶんである。それは、庇護される赤ちゃんでいたい(③)、また、赤ちゃんを愛でるような平和な環境にまどろんでいたい(④)という欲望にほかならない。深泥池が目を見開いていたのはこの欲望である。


こう書くとわかることだが、この欲望じたいは特段目新しいものでもない。現代人の症状としてはありきたりともいえるかもしれない。つまり、③や④のような衝動は、誰であれ強度のちがいはあれ、抱えているものだ。


②から③への経過というのは、言葉にしてみれば自然なものである。バブみがあるものを愛おしく感じるのだから、愛されたくばバブみを宿せばよい、というのは、かんたんな理屈である。

問題、というか、問題でもないかもしれないが、注目すべきは、③や④のような欲望が、外形的には②であるということだ。つまり、たんにちいさいもの、かわいいものを見て感極まる、という、たぶん太古の昔からある人間の感情・ふるまいが、本人がそうなりたい、またそうした小さく弱いものが無条件に存在できる空間にいたいという欲望を覆い隠しているということなのである。だがそれはあくまで転用であり、一体のものではない。しかし、心愛らの言動を見る限り、これらはアナログに連続している。ここに理屈は用いられていない。つまり、バブみのあるものを持つ、また愛でることそれじたいが、じしんのバブみに直接つながっているのだ。


これは、「消費の産物」でも描かれた、モノを通じた自己のプライシングだ。





「家」をもたない現代人は、消費を通じて自己を飾り立て、自他両面から何者かであることを強制される世界に対抗する。「家」は、そうでない場所のことだ。これは物理的なものばかりを意味するのではない。だから、八幡のような強者ですらがモノを通じて自己を形成する。それは外形的なものにとどまらない。プライド、つまり自己認識の面にまでこうした自己暗示は作用し、安心をもたらす。それほどまでに「なにものでもないこと」、つまり「社会的に無価値と評価されること」への不安が人間には深くあるのだ。ここで価値とは、計測可能な数量的なにかであるのではない。「無価値」と書くと誤解が生じるかもしれない。もっと厳密には、「評価不可能と社会から告げられる不安」といったところだろうか。


それほどまでに現代人はうつろなのだろうか。そうなのかもしれない。しかし個人的には、自己生成的に、「家」を取り繕う行為そのものがさらに内面を空家化しているように感じられる。それは、何度か書いたが、主語/述語、原因/結果のうち、述語的結果のみがフォーカスされる時代だからだ。これは心愛らの刹那的感受性からも見てとれる。経過ではない。物語はわずらわしい。一ノ瀬貴族の売り掛けは心愛が原因だが、瞬間的にはただ貴族が店に金を払えていないだけなので、深泥池が立て替えてくれて「良かった」。だから彼女は、わからないのか理解を拒否するのか、含みをもたせた深泥池の依頼にあのような反応をする。


またこれは、そうしたい主語/述語のいわば責任関係とは無縁の赤ちゃんとも裏側でつながる。刹那的感性はまさに赤ちゃんのものだ。これへの憧れと、何者かでなければならないことへの不安を同時に解消するのが「バブみ」なのである。


雫はどうやら悪い方向にすすんでしまっているらしい。九条は彼女にその「家」を提供するつもりがあることを示していた。それではあってはならないということなのか、いまはまだわからない。その生き方でなければならない理由が雫にはあるのかもしれないし、もしくは自罰的なものかもしれない。はやめに九条と会ってもらいたいところだ。










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第144審/承認の欲求③



スカウトグループ幹部の深泥池が弁護士・八幡の画像投稿系SNSをみている。

前回は食べ物ばかりだったが、今度は車や腕時計もみえる。どれも例のポエムつき。体言止めや、「変わる」「決める」などの言い切りで、妙な解釈を許さない印象が強烈だ。なにがここで表現されるているか伝わらないという状況を許さない手つきである。


深泥池だが今回「みぞろがいけ」ではなく「みどろがいけ」というふりがながくりかえし使わられている。その彼が、九条を紹介してほしいと八幡に持ちかけたのだった。


直接会って、深泥池は八幡のSNSの羽振りの良さを指摘する。八幡的には、貧乏弁護士よりは金回りのいいほうに依頼したくなるだろうというはなしだ。

深泥池がさっそく九条について聞いてくるので、じぶんでは不足かと八幡はいう。八幡は会社の顧問らしい。それとは別で依頼したいことがあるのだと。悪い奴らに人気の九条に依頼したいのだ。八幡はゴミ弁護士呼ばわりだが深泥池ははやく会いたくてしかたないらしい。

司法試験も何度も落ちた落ちこぼれだし商売は下手くそ、八幡的には見るところのない男だ。でも勝つんでしょ?と深泥池はいう。


少し黙ってから八幡は、黒谷という会社の幹部が大金を持って失踪したという件をはなしに出す。いちおう内緒らしく、深泥池は八幡が知ってるとは思ってなかったみたいだ。

で、なぜだか深泥池はここで「預かり金」として1億2千万を八幡の口座に振り込むという。これもあとでわかるが、黒谷が持ち逃げしたとされるのも1億2千万だ。

その金がなにかは深泥池は教えてくれない。額が額だから八幡もいちおう聞いたけど、知らないほうがいいのかもしれない。「預かり金」じたいはよくあることらしく、誰からのものかもはっきりさせたうえで処理すると。八幡もわかったうえで事情のある金をよく預かってるんだろう。ただ、黒谷の件、さらに九条まで呼び出そうとしている深泥池の身振りからして、ちょっと気になったと。じっさい、よくわからない金だ。


八幡が九条の事務所を訪れる。「鞍馬に連絡した」という八幡に、烏丸が猫のスフィンクスみたいな顔で「鞍馬?あ、旧姓か」と、たぶんわりとでかい声で言う。九条なら屋上だ。


九条は屋上でグラタンを作っている。噂通りテント暮らしでふつうにグラタンをすすめてくる九条を、相変わらず変人だなと八幡はいうが、案外いやな感じはない。大学の男どうしの関係という感じだ。

八幡が顧問先を紹介してやるとえらそうにいうのを、内容も聞かず即答で九条は忙しいからと断る。この乱暴な感じ、やっぱり大学のあの感じだ。


せっかく来たんだからと八幡がわたす電話で、九条は深泥池と初めて話をはじめる。まず深泥池は電話がスピーカーでないことを確認する。八幡には聞かれたくないみたいだ。八幡も八幡で、これは九条への話ということで、気になりはするだろうけど、スピーカーにはせずに九条に電話を渡したのだろう。


はなしは黒田の横領だ。弁護士ではなく警察では?ということだが、それには表に出せない金が含まれているので相談できない。だいたい、深泥池は黒谷を捕まえたいわけではない。スカウトとしての深泥池を育ててくれた恩人が黒谷で、彼から直接「盗んでない」という連絡があったのだという。一時的に押さえただけだと。一時的に押さえるとはどういうことか、また目的はなにか、深泥池もまだ聞かされていない。だが彼は黒谷を信じており、会社の顧問である八幡はこの件では利益相反になるから頼れない。そもそも、黒谷は八幡の能力を信用していないとも。誰から評判を聞いたのか、複雑に絡み合った関係性をほどくのは九条しかいないとまで黒谷は言っているのだった。


九条は受けることにしたようだ。めんどくさいはなし持ってくるなよという九条に飯奢ると八幡はいう。やっぱり想像よりぜんぜん悪くない関係っぽい。



ホストの貴族と心愛が歩いている。心愛の売り掛け200万を深泥池が立て替えることになったというはなしだ。心愛はひとごとみたいによかったねと言ってる。じぶんはいま払えないのだから負債はなく、現時点で客観的に顧慮すべきは貴族の立場のみ、これが立て替えで改善されるのだから「良かった」のだろう。反対給付義務や負債感は通時モデルにしか現れない。きわめて刹那的に生きるものには無縁の情動なのだろう。


しかし現実は甘くない。そのかわり、心愛は丸ごと深泥池のものだ。心愛はふつうに嫌がるが、貴族は土下座して今日から働いてくれとたのむ。いったいなんの仕事をさせられるのか。てぃあらと合流したあとで心愛はためいきをつくのだった。



つづく



また今回も複雑なはなしだ。作中人物から複雑という語が出ちゃったよ。


九条と八幡の関係は、前回想像したよりずとずっと好ましいものにおもえる。だが、その好ましさは、ふたりが親しいことから現れ出ているものではない。というか、ふたりは別に親しくないだろう。くりかえすが、彼らの関係はいかにも大学の友人どうしという感じである。もう少年ではなく、大人になる最終段階の訓練を受ける場所での、刺々しさすら含む関係だ。ときにそれはストレスフルなものでもあり、人生に不必要とさえ感じられることもある。だが、このときに構成されるある種のサークルと、そのサークルを築いた事実そのものは、のちの人生に大きな影響をもたらすことがある。ぼくはここにホモソーシャルを想定している。男どうしの絆のことだ。念のため急いでくりかえすが、九条と八幡のあいだにそうした絆があるということではない。ホモソーシャルとは、同性が、その性であることを有効に社会で行使していくためのすべであり道具である。男性なら、男性が支配的なこの国で、男性のみで構成され、また運用される語や身振り、遊び方稼ぎ方を通じて、絆をかたくすることで特権を享受することができる。この紐帯は恋愛関係と外形的には近いので、ホモフォビア、同性愛嫌悪が生じる場合、彼らは意図的に肉欲に向かうことになる。会社の若手が通過儀礼的に上司とキャバクラや風俗にいくのはそうした背景がある。幸い、ぼくにはそんな関係性はなかったが、ステレオタイプ的に描かれがちなホモソーシャルと肉欲の親和性にはそうした原因があると考えられる。


参考記事↓




ともかく、ホモソーシャルというものがある。親しげだがとげとげしい、ふたりのやりとりは、いかにも大人の世界に足を踏み入れつつある男子学生が、サークルのつくりかたを学ぶときの“あれ”に見えるのだ。

じっさい、八幡のようなタイプは、これをしっかり使ってきた人間だろう。そうして、能力的には九条を下に見ようとしている。であるのに、ふたりの関係はふしぎと対等だ。九条も、意地を張るでもなく、ごく自然に対等だ。なぜかというと、九条が変人だからである。ホモソーシャルなんかどうでもいいからである。


おそらく九条は、落ちこぼれであることもあり、そのような「男どうしの絆」とは距離を置き、また置かれていたはずだ。九条も八幡も、互いに必要としなかったはずなのである。しかしホモソーシャル的語法は一種の共通言語として、好むと好まざるとにかかわらず通用していたにちがいない。それが当時の空気感を呼び戻す。他方で、九条はぜんぜんそんなものを必要としない。それならば八幡は、彼が考えるとおり九条を見下げるところ、そうならないのは、九条が八幡的なものをまったく求めず生きているからなのである。九条にはホモソーシャルも、高い腕時計も必要ない。八幡はそれを馬鹿だと感じている。が同時に、おそらくうらやましくもある。前回見たように、八幡がモノで武装するのは、自信喪失を恐れているからだ。「家」をもたないものは「モノ」で武装する。「家」とは、なにものかでなくても無条件で存在が認められる場所だ。内側に家をもたない八幡はモノで縁取って自尊心という「家」を仮構する。だから、腕時計どころか家すら必要としない九条には、価値観がひっくりかえる感覚を覚えるだろう。それが彼らのあいだにあの若い時代のような距離感を呼び戻したのだ。



心愛のひとごと感は実に興味深い。金を払っていないのは心愛である。であるのに、謝罪や心苦しさの表明もなく、ふつうに、すなおに、良かったという。貴族の取り立てが優しいせいもあるだろうが、これはやはり彼女たちの刹那的な生き方が現れていると見た方がいいだろう。心愛が払わないから貴族が怒られる、それをみて、利益を見込んで深泥池が払う、という因果関係を、心愛は見出すことがない。いま彼女に関係があるのは、彼女が金を払っていないことではなく、貴族が「客から金を回収できず困っている」ということだけなのだ。だから「良かった」のだ。


しかし、お金とはそもそも流動と信用で成り立つものである。また、利益を見込んだり、売り掛けをしたりということは、未来をみたものだ。お金を完全に静止した状態で観察することは難しいのである。このままでは心愛は大きく状況を見誤る。もちろん、心愛はあたまが悪いということはないようなので、じっさいには恐怖を感じてもいる。しかしあまりにも刹那的な生き方をくりかえすうち、世界を静止画のようにとらえがちであるということは、現代人には等しくいえることかもしれない。述語には主語がともない、結果には原因があるのである。











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さすがにブログを書かなすぎなのでなにか書きたいがなかなか時間と体力が確保できず悲しい。ウシジマ連載時代、刃牙と合わせて、さらには読んだ本の感想全部書いて、宝塚や映画行ったらそれも書いて、あれはほんとうにぼくがしていたことなのか? 考えられない。ひとつには、パソコンが壊れてからスマホで書くようになったというのが大きいのだけど。



映画だが、この2ヶ月くらい連続して見ることができている。Xで、#映画館とタグをつけて、いつなにを見たかだけでもわかるようにしているのだが、何年か前からそうであるようにうまく出てこなくて苦労した。プロフィールから「#映画館」やたんに「映画館」などと検索しても出てこないものがあるのである。期間を今年の元日からにしたらきれいに並んだので、たぶんこれでいいのだとおもう。が、その結果を信じるならば、ぼくは7月18日のトイストーリー5まで、今年は映画館にでかけていないことになる。そんなことあるか?とも思ったが、たしかに6月頃、見たい映画目白押しの時期に、仕事の疲れで、予定していたのに行かない、ということを何度かした記憶がないでもない。退職や異動が続いて、1年くらいずーっとだれかの新人教育してるのだ…。ロングウォークも劇場では見れなかったな。キングの『死のロングウォーク』は、中学生くらいのときの愛読書で、ほんとに楽しみにしてたんだけど、疲れてむりだった。



↓映画化にあわせて復刊された。『バトル・ロワイヤル』の元ネタでもある。めちゃくちゃおもしろいからおすすめです。



7月30日にはちいかわをみて…、8月4日にはスパイダーマンか。とりあえず、最低限抑えるべきは抑えている、という感じではあるが、どうあれこれだけ大好きな作品が続くのはうれしい。あれからちいかわのセイレーンにとりつかれたようにハマっている。


そして8月27日には『オークストリートの異変』を鑑賞、これがよかったので、今日は久々にユアン・マクレガーのことを考えていた。









長いけどおもしろいから読んでね。『オークストリートの異変』はユアン・マクレガー得意の巻き込まれ型だった。さらにそこに、年齢を重ねて身につけた頑迷さみたいのも出てきて実に人間くさい。アン・ハサウェイもとても良かった。あんなくたびれた感じもできるのね。


最近は、SNS疲れかなという感じが少しある。政治、災害、炎上、差別…。デマと、それを嘲笑するひとと、聞き入れないひと。行き交う攻撃的言説はなにも生み出さず、断絶を深めるばかり。建設的でないから攻撃的言説を厭うのではない。むかしならそう書いていたかもしれないが。別に建設的でなくてもいい。ただ、愚かさのなかにみずからすすんでとどまろうとはしたくない。したくないし、それはよくないよといいたい。ではどうすればよいか。常に、じぶんは愚かなのかもしれないと考えることだ。これを受けて、読者のかたに、「そうだそうだ、あいつらはじぶんの愚かさに気づくべきだ」と、批判対象を見てほしいわけではない。「陰謀論者には陰謀論者の正義がある」ともいわない。いま言ってしまったが、これははなしをわかりやすくする例と見てもらいたい。そうではなくて、これはカントの格率のようなことだ。各自が、つまりわたしやあなたが、そのような自己規範、自己抑制のもとにいなければ、もうこの断絶は回復しない。そうおもう。それは精神的負担を強いるわけだが、相手もまたそうした生き方にいつかたどりついてくれるよう、祈るしかない。現代ではもう説得や止揚ということは現れが困難になっていると、そのように感じるのだ。それなら、まずじぶんから、じぶんの愚かさを知り、知っていることを示していかなければとおもう。これはいつか見た景色、そういう「わかりあえなさ」を超えたところで多様性を容れようとした結果が断絶なんじゃないかと言われそうだが、やっぱり根気強くそうしていくしかないんじゃないかなとおもう。

明日7日、月曜のスピリッツは九条の大罪掲載予定。もうだいぶ忘れちゃってるけどまたがんばって書きます。



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第68話/いざ尋常に



もう何回目かわからん、連続勇次郎回記録更新中。単発もいいけどそろそろまとまったはなしも読みたいな…



夜のお散歩、河川敷。勇次郎は別に散歩を堪能してるというふうではない。どこか目的地があるかのようだ。そこへ、約束していたかのようにひとりの男が現れて、立ちふさがる。立ち合うつもりだ。


男は狩場乙(かりば おつ)と名乗る。すごい名前だ。道に入ってきたというより待っていた感じなので、勇次郎がよくここを、この時間歩くことを知っていたのかもしれない。それが遠くにいる勇次郎からも見えたから、勇次郎に散歩のくつろぎが感じられなかったのだ。


狩場は「地上最強の生物」という勇次郎の異名をわざわざじぶんからくちにして笑いをこらえてみせる。勇次郎を煽るとは、久しく見なかったタイプの人類である。つまり、狩場は勇次郎が誰か、なにものかわかったうえで来ているということだ。しかし、ひとは手持ちをものさしを超えるものは計測できないのだし、ふつうはそうしたものに対しては敬意をはらい、計り知れないものがあることを想定する。そうしないと、恥をかくだけならまだいいが、命に危険が及ぶこともある。

狩場がそうしないのはなんらかの事情で確固と完成してしまった自信があるせいだろう。勇次郎は狩場の余裕のみなもとが腰に備えた拳銃であるとあっさり見抜く。においから、オイルが2種類、2丁拳銃だとも。オイルって、整備するときにつかうやつかな。銃じたいが2種類なのか、これだけではよくわからない。ぱっと見同じ銃のようだが、それぞれ別のオイルを使っているということか? 


自信満々の狩場もさすがにこれにはたまげる。しかし自信がゆらぐわけではない。会話から間髪入れず左腰の銃を抜くが、いつのまにか目前に迫っていた勇次郎に手首をキャッチされる。

どれだけ実力差があっても、向かってくるものに勇次郎は容赦がない。軽く掴んだ手首を捻って肩を外し、くるくると操作して腕を結んでしまう。骨はバキバキに折れているに違いない。


壮絶な痛みのはずだが、銃を出している以上、この立ち合いが命に関わるものであることを、さすがに理解してはいるのだろう、狩場はすぐに右の銃もぬく。しかしその手を勇次郎の前蹴上げが切り裂く。手首が切断、皮一枚でつながっている。


じっさいには切ったというより切れてしまった感じなのかも。蹴り上げた銃が落ちてきて狩場の頭頂部に激突。それが勝負ありの合図になった。ようやく激痛を感じて丸くなる狩場を置いて、勇次郎が去っていくのだった。




つづく




わりと久しぶりな勇次郎の対人間勝負なのであった。

とはいえ、銃をふたつ持っているくらいであの余裕は、狩場もわかってるようでぜんぜんわかっていないのである。もっとずっとでかくて連射できる銃が無数にある状況で無双してた人物なんだから…。遠くからねらうならまだしも、正面切って決闘の形式でやるのはいくらなんでもむちゃすぎる。だいたい、オリバがショットガンをものともしない例もある、あたまやのどを撃ち抜くのでない限り1発2発弾を受けたところで結局は同じことだろう。


しかし考えてみれば、このような市井のハンターみたいなひとというのは、勇次郎にとってもひまつぶしくらいにはなるのかもしれない。特に日本では、勇次郎を仕留めらるような火器は原則国が所持している。つまり、その使用に際しては国の意図が関わることになる。勇次郎は世界のパワーバランスを保つ存在であり、仮に撃ち殺せば、それはどこかの国が突如消滅することと同レベルの事件を意味するのであり、たいへんな混乱は避けられない。たぶん戦争もはじまる。それがわかるから、勇次郎に果たして通用するのかということとは別に、たとえば彼を狙撃しようとする国は現れないのである。ところが狩場タイプの、勇次郎が好物とする武術家たちに匹敵する火力を持ってしまっている、いわば素人には、そんな外交問題は関係ないのである。いまでも勇次郎がたたかいを求めるなら、彼のようにアウトサイダー的な、国が管理するレベルの火力をうっかり所持してしまっている、そしてそれを向けてくるものは、得難いかもしれない。



冒頭、続く勇次郎回を単発モノとみなしたけど、これらがじつは単線で結ばれるという可能性はないだろうか。

この流れが勇次郎人間化計画であるということじたいはくりかえし書いてきた。タイミング的に狩りというよりおそらく熊退治と思われる行動、イノシシに感謝、老婆を親切心で救い、加納の疑問にしっかり応え、「ノリ」を感じ取って、ランマー相手にたわむれのようなこともしっかりやり、総理のような人物には愛のなんたるかを教える。そこでは、依然として「腕力」が基本になっているとしても、かつて見られたような粗暴さや理不尽はもうない。しかしそれでもこれらが単発であることはまちがいない。なぜこうなるのか。そして狩場の役割はなんだろう。


こういうことの意味が、狩場のアウトサイダー的ありよう、部外者的立場を省りみると、明らかになるかもしれない。要するに勇次郎は、人間として未熟で、ふつうの人間がふつうに生きていたら獲得できている視点というものをもたない。これをつぶしていく作業が勇次郎人間化計画なのである。そして、事実としては、いかに勇次郎が未熟でも、彼の生活はそれじたいで成立しており、たとえば「弱者の気持ちがわからない」のだとしても、問題なく生きていけるのだ。ではどうやってこの最強者は「弱者の気持ちがわからない」を克服できるのだろうか。それが結局、「アウトサイダーを見逃さない」というところにつながるのかもしれない。ふだん見落としている物事を拾おうとしても、ふつうにしていては見えないから見落とすわけである。だから、ある種のほころび、生活のなかの違和感を見つけたら積極的に向かっていく、これが手っ取り早いのである。これは勇次郎の意図でもあるかもしれないし、作品の意図ともいえるかもしれない。だから、騒ぎを聞いて熊を退治し、目前でおばあさんが転びそうになれば率先して助け、知人の疑問には本気で対応し、むかしなら殺していたであろう襲撃者を教育的に再起不能にするのである。


問題を「弱者の気持ちがわからない」のただひとつと仮定して、たとえば「弱者になってみる」という方法もあるだろう。しかしそれはあまり現実的ではないし、効率も悪い。ひとはなぜ争うかという疑問に、戦場に飛び込んでみるのもひとつの行動だし、じっさい勇次郎はそういうタイプだった。しかしそれで得られるものも結局彼の尺度により解釈されるものだ。銃弾をよけることのできる彼に「戦争」を一般にかたることができないのと同様、たとえば貧困、孤独、身体の不自由などに身を置いても、彼が感じることはいわゆる「弱者」のそれとは異なるだろう。鍛えられたからだは多少の貧困をものともせず、孤独はいつものことであり、狩場をポケットに手を入れたまま葬ることができるのだから。

こうした上で、彼の解釈の及ばないものは、ある種のほころびとともに現れるのを待つしかないのである。これは少し読書の感覚に近い。本屋にいき、意外性とともに当初探していたものではない本と出会い、世界が広がるあの感覚だ。この流れが単発になるのは、勇次郎にとっての本屋での出会いのようなアウトサイダー的ほころびを、彼が毎日待っているからなのである。


勇次郎の強さは全知全能的ふるまいをもって表現される。最大トーナメント、襲いくる参加者をそれぞれの流儀で圧倒し、刃牙の胴廻し回転蹴りふうのカウンターには、同じ技のカウンターでこたえ、郭海皇が消力を見せれば、まねたのかもともとできたのか、消力をやってみせる。「おまえにできておれにできないことはない」、これを突きつけ、こころを折るのが勇次郎のやりかただ。だから刃牙は、全知全能が見落とす「未知」を探した。ひとつが師匠、ゴキブリである。さらに上位の存在価値を探す成長衝動の過程で、誰もが目を背けるゴキブリから究極の脱力を見出す柔軟性は、刃牙を最強たらしめるもっとも言及すべき美点である。達人中の達人である武蔵でさえ「師匠」は見抜けなかった。そして、作品外から、作者からのギフトのように送られたのが、『餓狼伝』からの奥義、「虎王」である。バキはかつて加納戦でこの動きをしたことがあったが、そういうはなしではない。ポイントはこれが作品外、つまり全知全能が知り得ないところから来ているということなのだ。

このように、勇次郎には「未知」が効く。だがげんに全知全能に近い彼にとってそうそう「未知」など見つからない。だいたい、探しても見つけられるものではない。かくして彼の未知との遭遇待ちが開始したのである。









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第143審/承認の欲求②




新章2話目、登場人物たちの複雑な名前が次々と明らかになるぞ。


まず、前回から出ている女の子ふたり、仕事辞めたいと言っていた黒っぽい服の子は姫愛羅(てぃあら)で、リボンの、路上で客をとり、ホストに掛けもあった子が、だいぶ名前は出ないのだが、どうやら心愛(ここあ)だ。たぶんそう。違ったら教えてください。

定着していると言ってもよいほど代表的なキラキラネームであり、本名と思われる。調べたら「姫愛羅」はちがう読みも多数あるようだが、ひとまず名前の読みとしては「あり得る」程度のものにはなっていると思われる。


で、その黒っぽいほう、仕事を辞めたいと言っていた姫愛羅はじっさい辞めたらしい。服屋の販売員をやっていた。いまふたりでスマホで見ているのは、ひつじちゃんというひとのプロデュースしたコンカフェの写真だ。てぃあらは従業員募集に申し込んだ。服屋で働いていたくらいだし見た目は申し分なさそうだが、1000人受けて30人ということで、落ちてしまった。

前回、お金を稼がなきゃというはなしはあった。とりあえずパパ活だが、パパ活は本業があったほうが人気あるのだという。そんなの、適当に前にやってた仕事ということにすればいいような…。やったことある仕事なら嘘もバレにくいだろう。そういうはなしではないのかな。

てぃあらはホスト通いなどについては不明だが、占いで詐欺にあっている。1000万預けて毎月5万ずつしか返ってこない。よくわからないが、1000万出せるちからがありながら、なんというか、不安定で不確定な毎日である。

次はてぃあらのパパ活のはなし。村田という、ふたりでよく話題にする60過ぎの男だ。見た目カタギの役職者感のある人物だが、なかなかのものである。かばんのなかみは大金に宗教くさい本、うがい薬。かばんのなかはあたまのなかということだ。村田は女のことしか考えていない。うがい薬は避妊だか性病だかに効くみたいな都市伝説がかつて、そしておそらくいまもあり、それを信じてるっぽい。大金は、いつでも未成年を買えるように持ち歩いている。だからすぐ目をつけられ、美人局にあう。すると、なぜかてぃあらに連絡がくる。金を借りるとかでなく、行為もなく、ただ「怖い」と連絡がくるのだ。村田はいま携帯をロッカーに預けて逃げ隠れしているが、ヤクザが出てくるはなしでもない、キモいだけだとてぃあらが慰める、それで5万くれる、みたいな流れだ。異様な世界だが、てぃあらがそのように村田の状況を相対化しているのは興味深い。てぃあらはそういうことが難なくできるくらいあたまが働くし、経験もあるわけだ。


最後に、ふたりは笠置雫の目撃情報について話し合う。雫が殺した修斗のことも知っていたらしい。雫と面識はなく、行き場がなさそうな彼女を立ちんぼしてるのかなと想像する。ひとを殺しているわけである、怖いといいつつ、かなり近いところにいる雫を、我が身と合わせて心配するような感覚っぽい。


ひとりになったてぃあらは八幡聡明(やわたとしあき)という弁護士にあう。SNSでなにやら高そうな料理の写真に名言みたいのを添えて投稿する、いままでなかったタイプの弁護士だ。

てぃあらは八幡に、どこか高い店でのパーティーに連れて行ってもらったらしい。八幡はてぃあらを人間として下に見る感じをまったく隠さない。SNSの投稿をみても、そのように畜群を想定することで自身の位置高めようとする傾向が感じられる。この部屋はてぃあらの家らしいが、八幡が与えているもので、無料で飼ってるんだからきれいにしてよと、露悪的な感じすらなく、当たり前のことをいうようにモラハラをくりかえす。そうすることで自身の「別格」を確認しているのである。



そこへ誰かから連絡がくる。知人に同期の九条を紹介してほしいという内容だ。八幡も九条は嫌いらしい。すごいな九条先生は。このタイプにも嫌われてるのかよ。



一ノ瀬貴族というREIGNグループのホストだ。太客から売り掛けが回収できなくて店長に殴られ、大切な顔を腫らせてしまっている。この太客というのが、流れからしてリボンの女の子、心愛である。

話し相手は深泥池哲也(みぞろがいけてつや)、「ゴールデンGUY」というスカウトグループの幹部だ。八幡に連絡していたのは深泥池である。

深泥池は貴族の状況を理解しており、ここあのことも知ってるっぽい。合計500万近いここあの借金を肩代わりすると深泥池はいう。かわりに人生を預かる。見た目がよくて依存する、そんな彼女たちは、彼らにはかっこうの売り物なのだった。



つづく



名前がぜんぜん覚えられない。どうしよう…


八幡は深泥池とつながりがあるわけだが、以前弁護したことがあるのか、それとも八幡も九条や山城のようにためらいなく悪人を弁護する人間なのか、そのあたりはわからない。九条について毒づく内容ははやくバッジを飛ばせというもので、九条的なスタンスについてはどちらかというと否定的なように見えるが、こんなタイプだから、金になるならなんでもという山城的ぶぶんもありそう。まだ弁護士としてのスタンスはわからないが、少なくとも九条を能力的に下に見てそうだなという感じはする。


八幡は九条と同期だそうなので、30代半ばか後半くらいかなという感じがするが、そのSNSは一時的に大金を手にした若い成金みたいに露骨である。弁護士であるから学はあり、年もそれなりにいっていてこれをするのは、効果の面で成功体験があるからだろう。もしくは精神面でそれをしないではいられないなにかがあるということだ。


彼がSNSで何をしているかというと、じぶんが選ばれた人間であるということの表現である。すべて食事の写真みたいだが、食べているものとそれを出している店を、高い腕時計のようにじぶんのイメージに着せて、それがいかに特殊な状況であるか示すのである。

ただ、これらはあくまで外部にあるものだ。前回振り返ったように、これは笠置雫の「消費の産物」にも見られたもので、「家」のない世界で何者かであろうとする近代人が意図せず行う、モノを通じた自己のプライシングである。

現代人なら誰しもしていること、言挙げすることでもほんらいはないのかもしれない。しかし、ほとんど無邪気ともいえるてぃあらへのあのような物言いを「ふつう」とするのは抵抗がある。


彼はそこに名言的なひとことまで添える。たんに、たとえば「高そうな腕時計」は、そこに含まれる意味をにおわせるにとどまる。要するに伝わらないひとには伝わらない。そういう状況を許さないから身も蓋もないあのような言葉が添えられるのだ。高そうな食事、高そうな店というモノだけでは伝わらないかもしれないという状況を彼は許さない。ある人物に、腕時計が高いこと、つまり金持ちだということが伝わらないのは、その人物がそこに価値を見出さないからである。八幡はそれを認めない。そこに格差や選民があるということを、すべてのものに認めさせたい。わざわざ言葉が添えられるのはそのためだ。


しかしそれは逆に、彼がそうしたちがう価値観のものの出現を恐れているということでもある。雫らにおける「氾濫するモノ」は、彼女らが「家」をもたないがゆえのことだった。ここで「家」とは、「『存在」をなにか別のものに言い換えなくてもよい場所」である。彼もまた、彼のままでいられる、真にリラックスできる場所をもたないものなのかもしれないが、貧困などの状況を考えれば、構造としては相似でも、雫と同じ状況だとはいえないようにおもえる。となると彼はなにをしているのか?自尊心の保持である。八幡は、自信喪失を恐れているのだ。彼の場合の「家」は、彼のなかにある。もちろん、八幡も人間だし、それがゆえモノで武装するわけだが、雫ほどに他人を求めるというタイプでもない。この武装は彼じしんに向けられたものなのだ。写真の言葉は、価値観を異にする人間の胸ぐらをつかんでわからせるためのものだ。そしてそうした行為を通じ、八幡はじぶんが選ばれしものだということを自己催眠的に確認しているのである。



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