すっぴんマスター -2ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第134審/日常の犯罪⑰




タイに潜伏中の菅原と壬生がもぐもぐデートである。

壬生はタイにも知人がいるらしく、菅原はそれが少し引っかかったようだが、ふつうに仕事に使えるからいつか紹介するつもりらしく、あやしいはなしではないっぽい。壬生が九条に電話だ。


九条は運転中。助手席の烏丸と、例の「日本一のたこ焼き屋」のはなしをしている。隣に「世界一のタコス屋」ができたらしい。このはなしは、定義が曖昧なまま、なんなら空語のまま、それを拒むか、存在としてとにかく認めてしまうかという点で、蔵人の排中律的ロゴスと九条の星の王子さまスタイルのパトスの、対立として読み取ることができた。烏丸もタイプとしては蔵人側なのだが、「だからこそ九条に魅力を感じる」のが彼である。

これまで「日本一のたこ焼き屋」は九条や烏丸のなかに葛藤があるとき出現することが多かった。言葉による「定義」とは、ある種の抽象であり、したがって捨象が行われているからだ。運転中に壬生からの電話が鳴り、目的地の警察署についてから九条が電話に出ているが、烏丸はなにをおもうか。


曽我部は井出と大麻部屋から出てきたところを嵐山に捕まり、取り調べを受けている。テレグラムでの買い手らとのやりとりはきちんと消してきたが、警察が解析すればわかってしまうらしい。大麻部屋はのらが指示をした髭鼠の行動でからっぽだったが、思わせぶりにカメラもある。そして買い手の証言もあるらしい。物証はないわけだが、嵐山はおどしもこめて言っているから、現在の曽我部のほんとうのまずさはいまいちわからない。嵐山の目的は黒幕、要するにのらだ。カメラからたどれないのかなという気もするが、まだ嵐山はなにもつかんでいないらしい。突き上げ捜査とやらで買い手からたどり、売人の曽我部までたどりついた、リーダーまであと一歩、という段階だ。


カンモクは証拠がないときに有効な戦略だ。逃げ場はないと嵐山はいうが、現実どうなのだろう。まだなにかたりなくてカンモクされると困るのか、それとも黒幕をつきとめるために取引するつもりなのか? ともかく嵐山は、曽我部の人物を知ってもいる。出所したばかりで、また捕まっていいのかと、複雑な思考が苦手な曽我部を攻めていく。

嵐山は、今回押収した、曽我部が刑務所で書いていた日記みたいなノートも読み込んでいる。曽我部を落とすためだ。そこには、行きたいところ、食べたいものがたくさん書いてある。そこには「二度と悪い事しない。起こさない。」という宣言もみえる。お前は悪いやつじゃない、ひとの悪意を読み取れないからすぐ信用して利用される、それだけだと。しかし、曽我部は、カンモクの一環か、とにかくわからないを貫く。金本に五十音言えと言われてまず五十音がわからなかったと、こんなところにも金本が出てくる。戦略としても、金本の呪いの強さがわかる。


嵐山的には、曽我部は頑固だが口を割ったことがあるからもう少しという感覚だ。しかし厄介なのは九条だ。九条はやはりカンモクを指示している。ということは、証拠も決定打にはなっていないということかな。


曽我部はとにかくのらと娘を心配しているらしい。だから口を割ることはできないと。しかし曽我部は再犯で、実刑は避けられない。少しでも刑を軽くするために、九条はのらのことを正直にはなすよう、指示を変える。このとき、九条はのらの住まいを知っているかと訊ねている。キャラ弁を届けたから曽我部は知っている。九条はそれを聞いてカンモクから指示を変えているのだ。のらが捕まるのもしかたないと。たんに嵐山に伝えるための住所を知ってるか?という事だろうか。



曽我部はしゃべったらしい。買い物帰りののらを嵐山らが捕まえる。家で待つ娘のご飯を買ってきたところだが、帰ることはできない。じゃあと、のらは九条を呼ぶようにいうのだった。



つづく



ああ…いやな展開だ…

のらが九条を呼んだとして、九条が仕事を受けることは可能だろうか。ポイントは利益相反だが、どうだろう、相反という状況でもないのかなという気もする。それに、曽我部にのらを告発させる九条ものらの状況をもちろん知っている。たしかに九条はそんなのらの事情を完全に無視することもできる人間だが、今回はどうだろう。


少し考えられるのは、のらの事情を知っていればこそ、彼女が犯罪者であることが引っかかるのではないかということだ。それは和解前の烏丸母も言っていたし、それは正論でもあった。九条は、弁護を引き受けるにしても、のらに犯罪から足を洗わせ、罪を清算させようとしているのかもしれない。


しかし、のらが黒幕であることはもともとわかっていたことだ。なぜ九条はいまこの指示をするのか。以上のような考えがあるのだとしても、それなら曽我部にはカンモクの指示の前にこのことをいいそうである。それが、曽我部の葛藤を聞いてから急にそうなっているのだ。

理由と思われるものは住まいについてのやりとりしかない。ただ「のらさん」だけでは嵐山も捕まえられない。でも住まいがわかるならはなしは別だと。曽我部は苦しそうにしているし、嵐山も取引をする気はありそうだ。そういうことを、とりあえず曽我部がカンモクしているあいだに見てとった。そこで、少しでも曽我部の誠実さを示すために、こういう運びになったのだろう。


「日本一のたこ焼き屋」は判断にくもりが生じそうなときや、特に九条と烏丸で見解がわかれそうなとき、またたんに烏丸が九条を心配しているときなどにこれまで出現してきた。それは、言葉による「定義」のとりこぼしを体現するようなエピソードだからである。「日本一」の含意は、たこ焼き大会みたいなもので優勝したという事実を示すものかもしれないし、「おいしい」ということについてのおおげさな表現かもしれない。もっといえばこれはなにが日本一か書かれていないので「日本一小さい」のかもしれない。そのコノテーションはあまり重要ではない。問題はそのように名指されたものをどう受け取るかである。「日本一」の含意はともかく、これを言葉のままに受け取るということは、論理的にはそのたこ焼きが「非日本一ではない」と受け取るということなのである。

だがこの言葉の論理的性質を正面から受け取るばかりが人間ではない。「日本一」でもないし「非日本一」でもないたこ焼きも存在しうる。なぜなら、言葉は主観と客観のあわいにたゆたうものだからだ。恋人の作ったたこ焼きはどちらかにあてはまるだろうか。全日本たこ焼き大会に出場しない地元の超うまいたこ焼き屋は非日本一だろうか。そうして、わたしたちは主観と客観の「落とし所」を瞬間的に見定めてふだんから会話をしているのである。


しかし法律文書はそうあってはならない。日によって、ときによって、ひとによって解釈がわかれてしまっては法治は実現しない。だから法的思考は論理的になる。排中律になる。そしてその権化が蔵人というわけである。

だが、その言葉による定義も万能ではない。言葉の定義もまた言葉によって行われているからである。だから、どこかでわたしたちは、幻想としての公理にたよることにはなる。それは悪いことではないだろう。そんなことにいつまでもこだわっていたら社会生活が成り立たない。しかし取りこぼしは起こる。そして、「どこかで幻想にぶつかる」ことを自覚しないままでいるものには、この取りこぼしじたいが目に入らない。九条はそれを拾うもの、というわけである。九条にとっては、言葉の前に世界がある。内実がある。だから、味の検証というはなしになる。これは、言葉が差異でもって世界の凹凸を生み出すソシュール的言語観以前の、人間がすでにあるものを名付ける、創世記的な世界観に近いが、現前する世界に直面する弁護士としては自然な哲学なのだ。


そして、カフカの『城』みたいに、このたこ焼き屋に彼らがなかなかたどり着けないのも象徴的だ。九条も蔵人もスタイルとしてどちらにも理由がある。その道の探究、たこ焼き屋への漸近が、この仕事の使命なのだろう。







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2022年末までは、観た映画や読んだ本を数え、振り返るのと同じく、筋トレについてもまとめ記事を書いていた。前回書かなかった、くらいの気持ちでいたが、3年前である…

どうしてやらなくなったかというと、別に記録をやめたわけではなく、「書く時間がなかった」がいちばんなのだが、いつかも書いたように、別に年末にこだわらなければいつでも書けたはずだし、もっといえばそもそも読書や映画の記事だって「書く時間がなかった」状況でなんとかひねり出しているのである。

どうしてそうならないのか? それはたぶん、成長が感じられないからである。もちろん、トレーニングそのものには長けていっている。からだが大きくなっている感覚もある。しかし、まとめ記事を書くにあたって体重を測ったり身体の各部を調べたりすると、ほとんど変化がない、なんなら小さくなっているのである。たぶん、無意識にだが、それに直面したくないのだ。


なぜ大きくならないのか…。ひとつにはもちろん、自重だからだろう。ぼくの現在のトレーニングは『プリズナートレーニング』のポール・ウェイドにしたがうものだ。




プリズナートレーニング、正確にはコンヴィクト・コンディショニング(CC)は、筋肉どうしの連携とそれがもたらす出力を重視するが、ウェイドによれば筋肥大も可能である。ぼくも実感としてはそれを理解している。だが、分離エクササイズであるウェイトトレーニングと比較したら、筋肥大という面に限れば、おそらく効率は悪いのだろう。筋トレ者はみんなそうだが、キツいのはまったくかまわない。からだも、たぶん長い時間をかけて彫琢され、雪がつもるようにゆっくり大きくなっている。しかし、目に見えてはわからない。それがモチベーションをそぐ可能性を、ぼくはどこかで気がついているのである。がんばったのに成績があがらない、売上がついてこない、そういうのと同じ、一般的な感覚である。ふつう、それが勉強や仕事なら、やりかたが間違っているのでは、というはなしになるが、自重トレは時間がかかるものだし、個人差もある。ぼくは太ってはいないが、自覚できないレベルの脂肪が同時に落ちているだけなのかもしれない。またその「やりかた」にしても、完全に、完璧に、ポール・ウェイドに見せてサムズアップとともに「いいね❤️」がもらえるくらい禁欲的かつ正確にトレーニングができているのかという自問に、ぐっと黙ってしまうぶぶんはあるのである。


しかし、2025年は、計測以外の面で目に見えてわかる成果を得た年だった。アンイーブン・プルアップ、また片手エクササイズへの移行である。そういうわけなので、計測とともにまたいちからやっていこうと考えたしだいである。ただ、計測は、首とかふくらはぎまで測っていたのをやめて、簡略化しようとはおもう。



直近の記事は以下↓




ともあれ、からだの各部位を測っておく。左側が左。



・体重 67(身長 171.9)

・胸囲 105

・前腕   30 29

・上腕   35 35

・大腿 51 51



忘年会でお腹壊して、この3,4日あまりものを食べれていなかったのだが、それで67キロあるならじゅうぶんかも。

まあ小さなからだだが、ここまで左右差が狭まることもいままでなかったようにおもう。アンイーブン・プルアップの左右差が気になっていたが、うまくできているようだ。思ったよりよい結果でよかった。毎月やろうかな…



上の記事にくわしく書いたとおり、2025年はアンイーブン・プルアップができるようになった年だ。9月くらいだったかな…。片手でぶらさがり、もういっぽうの手で手首をつかんで補助とし、プルアップをする。バーをつかんでいる手のグリップには片手プルアップと同じだけ、つまり全体重の負荷がかかるが、背中や腕に関しては手首を掴んでいる手にある程度分散される。ただ、前も書いたが、このちからの分散をコントロールすることが難しく、特に後半のセットでは手首をつかむちからが強く、あるいは弱くなりすぎてしまい、消耗が不均衡になるから、あまりこの種目に長居すべきではないとも感じている。あくまでブリッジ、片手でからだを上げるためのグリップや肩帯を育むための準備だと考えたほうが良さそうだ。


しかし、とはいえ、達成感は相当なものだった。前にくわしく書いたように一筋縄ではいかないものだが、なかなか成長が見られないなかでようやくここまでこれたと実感できたのである。


現状では、1セット目にぎりぎり10回できるかな…という感じである。昨日は、左から始めて、左が80点くらいのフォームで10回、右が8回くらいで限界がきて残り2回をチートでやった感じ。2セット目は各5回くらいだったかな。この手の片手片足エクササイズは、弱いほう、不得意なほうから始めて、そちらに回数を合わせないとからだが不均衡になる。だがアンイーブン・プルアップは完全には片手ではないため、「弱いほう」をはっきり確定できないのが悩ましい。左から始めても、手首をつかむ右手を使っていないわけではないし、心拍数的な意味での消耗もある。いまのところまでの観察では、結局どちらから始めても、最初にやった側がいい数字になっているようである。今年の目標は、どちらからはじめても各10回、2セットできるようになることだ。この感じならおそらく最初のセットで13回できる筋力がつけば、1セット目で左右10回は達成できる。そこからさらに2セット目で同じことをするためには、いま5回だとしたら倍だから、最初のセットで20回できなければいけなくなるが、それはまず1セット目各10が達成できてから考えよう。インターバルのとりかたも研究していかなければならない。いまは、寒いし、時間節約のためもあり、かなり積極的にスーパーセットでディップスやバーを使った易しいタイガーベントをやってインターバルを短縮しているが(ボーっとしてるとすぐ冷えてしまう)、これらも分離エクササイズではなく、二頭筋や背中をいっさい使わないというものではないので、死角なしというわけにはいかず、スーパーセットとはアイソレーションとセットの思考法だよなあ、などと息を切らしながらいつも考えている。長い道のりになるな…


こういうわけで、公園でプルアップをやる日は必ず同セットのディップスやタイガーベントをやっているので、いまはもう胸や腕単独の日というものがない。公園トレは通常のプルプルアップやホリゾンタル・プル、そしてディップスで背中と胸を鍛える日と、アンイーブン・プルアップとクローズ・プルアップ、それに擬似タイガーベントで腕を鍛える日、それにハンギングでグリップと肩帯、それから逆さまになってシュラッグをやる日の3通りになる。そのあいまに、ハンドスタンドの日と首の日が入る感じだ。プッシュアップはいまはほとんどやっていない。公園トレは雨などに左右されることもあるし、忙しくてできないときもある。そういうとき、ダンベルを使ったあっさりめの背中や腕トレに混ぜ込んでやるくらいだ。


そして今年からは、本格的なウォーミングアップも考えた。アンイーブン・プルアップでは、ジムで重量を使わない人間には未知の負荷がかかっている。要するに、いままでにないくらい力んでいる。そのせいで激しい頭痛に襲われることが何度かあったのだ。なんというか、わずかに生命の危機を感じる痛みだった。ウォーミングアップは、しないわけではなかったが、そこであまり消耗したくないという気持ちもあって、なかなか本腰を入れられなかった。しかし、いろいろ試してみて、やりかたしだいではほぼ影響がないことがわかったので、いまはもう抵抗がない。メニューとしては


①プル系10回
②プッシュ系10回
③スクワット系10回
④カーフレイズ10


これを延々と繰り返す。だいたい8セットくらいやるかな。最初は足をついたプルアップにバーを使ったプッシュアップ、フルスクワット、というようにはじめて、少しずつ難しくしたり、変化をつけたりする。手を近づけたり、浅いホリゾンタルプルをやったり、スクワットなら負担にならない程度に、バーをつかんでシシースクワットやピストルスクワットを5回にしたりとか、飽きないように気をつけつつ、全身くまなく動かす。特に、いまは寒さが問題なので、スクワットはかなり効果的だ。


またあわせてネックウォーマーも購入した。


↓これだな



筋肉もだが、とにかく首、そしてあたまを冷やさないことである。これだけでだいぶ楽になった。昨日のトレーニング中は雪がふるくらい冷えて、最後の追い込み(かんたんなプル動作で限界まで)までできなかったが、とりあえず頭痛はなかった。

寒さに関しては、ニット帽と、グリップに影響しない手袋的なものも必要かもしれない。とにかく頭が冷える。知らず髪の毛のなかに汗をためてるからだ。手袋は、軍手がいくつかあるのだが、滑り止めがついているためにグリップを補助してしまい、トレーニングにならないのでやめたのだが、昨日のようにあまりに寒いときは最後まで指があたたまらない。かと言って滑り止めなしの手袋ではフルパワーが出せないし、悩みどころだ。



で、公園トレは3回あるわけで、つまりこの全身動かすウォーミングアップも3回やることになる。だからいまはスクワットの日もぜんぜんない。こんなやりかたでは筋肥大はしないが、全ルーティンのなかで3回も、スクワットを計80回くらいやる日があるのだし、とりあえずはこれでいいかなと。現状維持、また関節の健康保持のためにはこれでじゅうぶんだ。


だから、ぼくのいまのトレーニングプログラムは以下のようになっている。



・月曜 背中・胸の日

プルアップ、アーチャープルアップ、ボリゾンタルプル、タオルプル、ディップス、インクライン・プッシュアップ

・火曜 首の日

ネックブリッジ

・水曜 休み

・木曜 ハンギングの日

片手ハングなど複数種目、片手フレックスハング+ネガティブ動作の練習、ボディウェイト・シュラッグ

・金曜 ハンドスタンドの日

ハンドスタンドプレス

・土曜 腕の日

アンイーブン・プルアップ、クローズ・プルアップ、クローズ・ホリゾンタルプル、タイガーベント

・日曜 休み

・月曜 休み

・火曜 背中・胸の日



こういうふうに、計画的にやると8日かかる。だが、最後不自然に2日休みがあるのをみるとわかるが、公園トレ間に2日はとるようにしているものの、仕事の都合などでできないことがわかったら縮めてしまったり、いろいろだ。そこはからだと相談である。またいまレッグレイズやブリッジもあまりできていないので、首の、ネックブリッジのときにやったり、休みの日に物足りなければそれこそあまりやっていないプッシュアップと合わせて全身やったり、とにかく中心は公園トレで、それを起点に柔軟にやっている。


ちょっと書いたが、片手フレックスハング…片手プルアップのトップポジションで停止する…と、そこからなるべくゆっくり降りるネガティブ動作は、いまはまだまだだし時間も割いていないが、今後重要になってくると思われる。いまはとにかく、はやめにアンイーブン・プルアップから卒業することだ。



↓筋トレ記事カテゴリ








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今年もよろしくお願いします。



朝イチで本が届いていた。Amazonでぼこぼこ本を買う人間なので、この何日かは注文してない気がするけど、たぶん出版社注文とかになって遅れてたやつかな?という感覚で開封するとギフトである。ほしい物リストからのお年玉であった。くださったかた、ほんとうにありがとう…!年始からしっかり読書欲高まっていい感じです。そしてこれは…、もちろんじぶんでリストに入れたやつなのだが、ぼくが読まなきゃいけないやつだ。今年もがんばるぞ!







年越しは相方の家で2355。ぼくは年越しの感じがとても好きだ。来年もがんばろうというあたたかな言葉や気分もいいし、そんなかんたんに去年のことを置いていけるわけはないのに置いてくる気持ちになる人類の現金さみたいのも最高である。そして、本編には興味はないのだが、紅白が蛍の光で終わり、喧騒が去り、ゆく年くる年のあの厳かな空気に切り替わるのとかもう、ちょっと鳥肌が立つくらい好きなのである。

ぼくはテレビがないので、相方の家にいるときは(年越しにいないことはまずないが)たいがい23時40分くらいから紅白をかけて、その感じを味わうためだけにテレビをみる。だから、興味はなくとも、少しでも大トリの盛り上がりや採点なんかをみているのが望ましい。そいで、ゆく年くる年をしばらくみたあと、2355をかけ(2355はふつうによくみる番組である)、新年を迎えるのである。


その、23時30分過ぎくらいまでは何をしているかというと、映画みたりWWEみたりいろいろだが、今回は狩野英孝のバイオハザード実況をみていた…。じぶんでも大晦日に何やってるんだかよくわかんなくなっていたが、2時間くらい見てしまった。そういえば4ってリメイクされたんだよな、プレイ動画ないかなと、ちょっと探してみて気づいたら2時間経っていた。






で、ゲーム実況で思い出したんだけど、去年の振り返りで書き漏れがあることに気がついた。ポピープレイタイムを筆頭に、インディー系のマスコットホラーのゲーム実況にハマっていたのである。厳密には、ハマっていたのは相方で、影響を受けて好きになった感じだ。

とりわけポピープレイタイムである。もし聞いたことがないとしても、ハギーワギーなどのキャラクターはきっと見たことがあるとおもう。謎要素や重厚なストーリーにやられ、ポピーちゃんやヤーナビー、ナイトメア・クリッターズのたまらないかわいさにからめとられ、ドーイ・ザ・ドーマンの高い文学性にとどめをさされてしまった。





こう書くとたくさんのゲーム実況をみているようだが、そういうはなしではない。いろいろ考察を探すのに参考にするかたはいるが、基本的にはコロンボさんという実況者のものばかりである。

YouTubeは児童もアクセスできるから、基本的にはそういうつくりになっており、コロンボさんじしん、おはスタに出演するくらいの圧倒的人当たりと好感度だが、もちろん大人にもおもしろい。あとたぶん、キュートなひとなので、ママからの人気もかなりありそう。いつも動画の最後で、主に児童から寄せられたイラストを見せてくれるのだが、どれもかわいくてたまらない。たいがいのイラストでは、ハギーやバンバンとコロンボさんが並列に、同じくらいの大きさで描かれているのが印象深い。子どもたちにはコロンボさんも「ハギー側のひと」なのだなということがよくわかるのである。

さらに、お友達がやってるのかなんなのか、「コロチー」というキャラクターとコロンボさんランドのチャンネルも運営しており、こちらもよくみている。








おふたりのおかげで、ポピプレやバンバン、ロブロックスなど、プレイしてるつもりになれるくらい親しんでいる。それからアメイジング・デジタル・サーカスね…。また新しい世界を開いてしまった…という感じである。アメデジはYouTubeでアニメ見れるよ。ポムニ大好き。






リンクが多くなってしまった。

今年の読書目標は、おととしの9冊から、12、20と順調に戻っているから、30を目標にしようかな。お年玉ももらったことだし…


筋トレについては別で記事を書きたいが、書けないかもしれないので、自分宛に目標だけ立てとくと、ともかくアンイーブン・プルアップを10回ずつ2セットの達成かなとおもう。この種目は、左右均等に消耗させることが難しく、あまり長居しないほうがいいと感じている。この種目ではやくグリップと肩帯、上腕二頭筋をまともなものにして、いまも少しやっているが、純粋な片手プルアップのネガティブ動作を中心に持っていきたい。


とりあえずここまで。今年もがんばりましょう。








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仕事後にランド行ったとき。ネクタイにマイメン・ギデオンにくっついてもらった。




大晦日、ブログ納め。

今年はなにをした1年だったのか…。35を過ぎたくらいから2,3年くらいがそれまでの1年くらいの密度になっているようで、記録をつけていないとはっきりしたことがなにもいえなくなっている。好きなものですらそうだ。最後にディズニーに行ったのはいつか?映画館は?と聞かれても、正確に答えられないのである。この2年くらいのあいだのいつかに何度か、たぶん、みたいな認識なのだ。で、調べると5年前だったりする…

ブログも最近は雑で、定期の更新しかしていないので、日記の役目は果たしていない。もう、ひたすらスマホの写真をたどる以外ないのだった。


ディズニーは、たぶん3回。たぶんね。まず1月23日に行ってるな。今年はシーは行かなかったみたいだ。1月は、シュガーラッシュのパルパルーザがやっていたときだな。

このとき、いつも必ず乗っているイッツ・ア・スモールワールドの前でアベンジャーズのテーマが流れてたまげたのをよく覚えている。withグルートということで、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー2のベビーグルートが世界をまわるというコンセプトになっていたのである。各地にそれぞれヒーローもいてグルートの相手をしていて、ほんとかわいいから、みんな行ってね。一回中断してからまた始まったはず。




ちなみにグルートの声は日本語



5月15日に行ったときにはドナルドの2度目のパルパルーザ。パルパルーザとは、ディズニーに行かないひとにはどう説明したらいいかわからないが、「イベントをやっている」くらいでいいのかな。パーク全体が、シュガーラッシュやドナルドの世界観に満たされる感じだ。日中にはパレードもあるが、これが参加型のやつで、ぼくはどちらかというと黙って口開けて見ていたいから、とにかく参加して、帰宅してから他人が上手に撮った動画見て再体験したりしてる。

9月26日夜にもパークに行った。ハロウィンイベントが始まっており、初めてスケリントン・ジャックされたホーンテッド・マンションに行くことができたのだった。







3月27日には闇金ウシジマくん原画展、7月1日には刃牙博。ウシジマ展がはるか昔な感じがして何回も調べてしまった。ぼくを形成する二大漫画が年内どちらも展示会をしたというのは、考えてみればすごいことだ…が、たんにぼく世代がターゲットというはなしなのだろう。



九条タッチの丑嶋社長







七海ひろきみたいな刃牙



あとは、ごく最近になるが、12月18日にちいかわパークに行ってきた。



あのこラブ






ちいかわは、もちろんひとなみに知っていたし、当たり前にぬいぐるみを持っていたし、かわいく感じていた。コミックもぜんぶ買ってる。しかし、相方が友達とパークに出かけ、写真やらなんやら見せてもらううち着火してしまった。コミックもぜんぶ持っていたし、アマプラでアニメも見てきたはずだが、“ちゃんと”ではなかった。なんでも偏執的に探究してしまうぼくでは珍しく、きわめてカスタマー的無責任スタイルで、浅くкаваийを享受していたのである。それだけちいかわがコンテンツとして強力ということなのだろうが、なぜかそのときに考察サイトを見ていて、モモンガの正体やあのこの出自など、はなしには聞いていたが直視はしてこなかったちいかわ世界のどぎつさにとらわれてしまったのだ。幸い、くりかえすが、原作はぜんぶあるし、なんならナガノ先生の他の本もあった。アマプラは毎日つけている。そういうわけで、12月あたまくらいから正気を失ったちいかわ漬けになっているのであった。


ちいかわはディズニー以上に身近にファンが多く、またディズニー以上にライトなファンもヘビーなファンもいる印象がある。そうすると、いまこういう時代なので、誰推しかというはなしになる。それがぼくはほんとうに困る。最初は、いつものやつで、じぶんで誰が好きかわかっていないパターンかとおもわれた。ぼくは宝塚や映画でも、誰が好きか自分でよくわからない。わからない、というと、相方に、「いやどう考えても早霧せいなでしょ」「ニコール・キッドマンでしょ」といわれ、そうかも…となるのである。いつもそうなのだ。しかしちいかわはみんな好きなのだ。強いて言えば、毒を含むモモンガやあのこが気になる存在ではあるが、推しとはちがうような…という感じだ。じゃあ持っているグッズの量は?となると、ハチワレやうさぎが多いようだし、事実めちゃくちゃ好きだが、この時点ですでにひとり絞れてないし、たんにあのこのグッズが少ないだけではという反論も可能である。というわけで、推しを聞かれてもいつもモゴモゴいうだけなのだった。


このくらいにしとこうかな。筋トレのはなしはできたらまた年明けにしようかな。今年は新しいトレーニング(アンイーブン・プルアップ)に入れたし、久しぶりに年末に書こうかと思っていたが、間に合わなかった。なるべく書きたい。みなさま、1年間お疲れさまでした。良いお年をお迎えください。




またね






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今回も漫画とそれ以外の読書はまとめる。まず漫画。



【漫画】


今年はジョジョランズ5巻からジョジョランズ7巻まで、ぜんぶで44冊の漫画を読んだ。ジョジョにはじまりジョジョに終わったわけである…。


漫画は、減らそうと努めてきたのでこれでいいといえばそうなのだが、ちょっと減りすぎかもしれない。ほんとう、継続購入してるものの新刊以外読まなくなってしまった。これじゃあどんどん感覚が錆びていく。審美的な意味でもそうだし、いまぼくは書店に所属したままよく似たちがう仕事をしているのだが、いざ書店に戻ったときに感覚が追いつかないかもしれない。


書くべきこともマジでまったくないな…。相変わらず福満しげゆきは追っているので、スクエニから出たのはうれしい驚きだった。先生、応援してます…!








【小説・評論など】


今年は20冊、本を読めた。相変わらずひどい数だが、去年が12冊、その前が9冊という、もはや履歴書の趣味の欄に「読書」と書けないレベルになっていたことをおもえば、持ち直してきているのだとおもう。

少ないのでぜんぶ書き出す。出版社は記入しません。


『会計と経営の七〇〇年史』田中靖浩

『ひっくり返す人類学』奥野克巳

『明治大正 翻訳ワンダーランド』鴻巣友季子

『白い人・黄色い人』遠藤周作

『世界は経営でできている』岩尾俊平

『団地のふたり』藤野千夜

『荒木飛呂彦の新・漫画術』荒木飛呂彦

『差別する人の研究』阿久澤麻理子

『苦手な読書が好きになる!ゼロからの読書教室』読書猿

『科学史・科学哲学入門』村上陽一郎

『論理的思考とは何か』渡邉雅子

『無限の果てに何があるか』足立恒雄

『詭弁論理術』野崎昭弘

『路地』三木卓

『「無限」に魅入られた天才数学者たち』アミール・D・アクゼル

『問題解決能力があがる 自治体職員のための法的思考の身につけ方』中村健人

『無限論の教室』野矢茂樹

『はじめてのガロア』金重明

『数学基礎論』前原昭二 竹内外史

『人間集団における人望の研究』山本七平



みてわかるように今年は数学の読みものにハマっていた。特にゲオルク・カントル(カントール)の無限論である。最初に興味を持ったのは去年読んだ、瀬山士郎の『現代数学はじめの一歩 集合と位相』だったとおもうが(とてもおすすめです)、その対角線論法の美しさである。




集合の要素の基数(個数)を濃度であらわし、無限に要素をもつ集合の濃度に大小があると考えたのだ。要素を一定の規則のもとに並べることができれば、それは自然数によって番号をふれるということだから、自然数の“無限”と同じ大きさになる。これをアレフゼロという。だから、たとえば「偶数」は、2,4,6,8,,,と並んでいて、順番に①,②,③,④と番号がふれるから、アレフゼロである。ふつうに考えると偶数と奇数は交互にくるのだから、自然数の半分くらいに思われるが、そうではないのだ。では有理数(分数で表せる数)はどうか?これも、きれいに並べることができるからアレフゼロである。では無理数(分数で表せない数)を含む実数はどうか。カントールはここで対角線論法という非常にあざやかなやりかたで実数の数はアレフゼロより大きいことを示したのだ。無限にも大小があることを証明したのである。

これに感動してから、ブルーバックスや角川ちくまあたりの読みやすそうな無限論系の本をあさるようになった。と言ってもほとんどKindleだが。毎日通勤時に数学のことを考えるのが楽しかった。ぼくは、実は数学科出身なのである。数学はほんとうに得意で、その方面で期待される人間だった。しかし、よくあるはなしだが、そうしてちやほやされて驕らずにいることはぼくの人間力では困難であり、例にもれずぼくは勉強というものをまるでしなかった。ピアノと読書がじぶんの使命だと確信していたからだ。それでも、じっさいたぶん才能はあったので、大学には数学一本でいけた。たぶん満点だったから返さなくてよい奨学金までもらえた。しかしそこまでである。ろくに学んでいないから経験値もなく、ちょっと向いているくらいで大学数学ができるはずがない。最初はまだよかった。なにもしなくても、数学が得意な連中が集まる中でトップにたつことができた。それが心地よかったことは否定できない。だがすぐについていけなくなった。驕りから、まったく学ばないからだ。さらに、ついていけない事実に直面したくなくて、ぼくは積極的に授業をサボるようになった。そうやって単位を落としていき、それ以外の理由もあったが、やがて中退となった。よくある話でしょ。いやになるよ。


思いがけず自虐ネタに走ってしまったが、無関係なはなしでもない。近頃のぼくに芽生えた数学熱は、現職が文系の専門職で、じぶんのオリジナリティがどこにあるかと考えたときたどりついたものだと思われる。だがそれをモチベーション面で支えているのはあの頃の後悔の感覚なのだ。もはやあの、学校という、いまおもえば考えられないくらい学びに適した環境は消え去った。いま片手間でやったってまともには身につかないだろう。でもほんとうはぼくにも数学が好きな瞬間があったのだ。それを思い出したいのではないかなとおもう。


そうしていろいろ読み進めていったが、カントールはデデキントとともに集合・無限論の父みたいなひとなので、たいがい最初のほうに出てくる。今年もっとも読むのを頑張った『数学基礎論』は、以後も参照することになるであろうすばらしい一冊だが、開始2ページで登場する。要するにごく初歩なのだ。そこからヒルベルト、またゲーデルに至ってようやくひと息つける、という感覚なのである。だが、ぼくはもう誰かにちやほやされるために数学をするのではないから、適当にやっていこうと思っている。と言いつつ、年末年始は無謀にも『ゲーデルに挑む』に挑もうとしているわけだが…。著者の田中一之氏は、その、現在のぼくのバイブル的一冊となっている『数学基礎論』の解説を書かれていたのだ。






『数学基礎論』はたいへんコンパクトにまとまりながらしっかり証明も載っており、すばらしい1冊なのだが、読みものとして数学の知識なしで読めるかというとそういう本ではない。いくつかおすすめできる本はあるが、今年読んだ中ではだんぜん『「無限」に魅入られた天才数学者たち』である。体裁的にはカントールとゲーデルを中心に据えた伝記みたいなものだが、必要に応じて非常にわかりやすく彼らの考えたことが説明されているのである。また、ユダヤ系と思われるカントールの原風景ともいえるカバラ(ユダヤ神秘主義。映画の『π』に出てくる。ヘブライ語アルファベットに数字を割り当て、単語にその数字の和を見出して、和の等しいものどうしに特殊な関係性を見る)などにもくわしく言及しているのも特色といえるだろう。めちゃくちゃおすすめです。




この状況で小説も3つ読めてるのはまあよかったとおもう。山本七平は、ときどき禁断症状的に読みたくなることがあって、買って置いてあったのを読んだ。また新しくなにか買っとかないとな…


それ以外の、年間の“この1冊”的なことでいうと、『差別する人の研究』になるかなとおもう。部落差別にかんする本だが、さまざまなありかたをするレイシズムを細かに分析しており、勉強になった。


それから『法的思考の身につけ方』も何回も読み返している。自治体職員の〜とあるけどそうでなくても法的思考の訓練によいし、地方公務員以外にも、図書館や郵便局、公共交通機関、電気ガス会社など、準公務員のかたにも非常に役にたつとおもう。









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