今週の九条の大罪/第134審 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第134審/日常の犯罪⑰




タイに潜伏中の菅原と壬生がもぐもぐデートである。

壬生はタイにも知人がいるらしく、菅原はそれが少し引っかかったようだが、ふつうに仕事に使えるからいつか紹介するつもりらしく、あやしいはなしではないっぽい。壬生が九条に電話だ。


九条は運転中。助手席の烏丸と、例の「日本一のたこ焼き屋」のはなしをしている。隣に「世界一のタコス屋」ができたらしい。このはなしは、定義が曖昧なまま、なんなら空語のまま、それを拒むか、存在としてとにかく認めてしまうかという点で、蔵人の排中律的ロゴスと九条の星の王子さまスタイルのパトスの、対立として読み取ることができた。烏丸もタイプとしては蔵人側なのだが、「だからこそ九条に魅力を感じる」のが彼である。

これまで「日本一のたこ焼き屋」は九条や烏丸のなかに葛藤があるとき出現することが多かった。言葉による「定義」とは、ある種の抽象であり、したがって捨象が行われているからだ。運転中に壬生からの電話が鳴り、目的地の警察署についてから九条が電話に出ているが、烏丸はなにをおもうか。


曽我部は井出と大麻部屋から出てきたところを嵐山に捕まり、取り調べを受けている。テレグラムでの買い手らとのやりとりはきちんと消してきたが、警察が解析すればわかってしまうらしい。大麻部屋はのらが指示をした髭鼠の行動でからっぽだったが、思わせぶりにカメラもある。そして買い手の証言もあるらしい。物証はないわけだが、嵐山はおどしもこめて言っているから、現在の曽我部のほんとうのまずさはいまいちわからない。嵐山の目的は黒幕、要するにのらだ。カメラからたどれないのかなという気もするが、まだ嵐山はなにもつかんでいないらしい。突き上げ捜査とやらで買い手からたどり、売人の曽我部までたどりついた、リーダーまであと一歩、という段階だ。


カンモクは証拠がないときに有効な戦略だ。逃げ場はないと嵐山はいうが、現実どうなのだろう。まだなにかたりなくてカンモクされると困るのか、それとも黒幕をつきとめるために取引するつもりなのか? ともかく嵐山は、曽我部の人物を知ってもいる。出所したばかりで、また捕まっていいのかと、複雑な思考が苦手な曽我部を攻めていく。

嵐山は、今回押収した、曽我部が刑務所で書いていた日記みたいなノートも読み込んでいる。曽我部を落とすためだ。そこには、行きたいところ、食べたいものがたくさん書いてある。そこには「二度と悪い事しない。起こさない。」という宣言もみえる。お前は悪いやつじゃない、ひとの悪意を読み取れないからすぐ信用して利用される、それだけだと。しかし、曽我部は、カンモクの一環か、とにかくわからないを貫く。金本に五十音言えと言われてまず五十音がわからなかったと、こんなところにも金本が出てくる。戦略としても、金本の呪いの強さがわかる。


嵐山的には、曽我部は頑固だが口を割ったことがあるからもう少しという感覚だ。しかし厄介なのは九条だ。九条はやはりカンモクを指示している。ということは、証拠も決定打にはなっていないということかな。


曽我部はとにかくのらと娘を心配しているらしい。だから口を割ることはできないと。しかし曽我部は再犯で、実刑は避けられない。少しでも刑を軽くするために、九条はのらのことを正直にはなすよう、指示を変える。このとき、九条はのらの住まいを知っているかと訊ねている。キャラ弁を届けたから曽我部は知っている。九条はそれを聞いてカンモクから指示を変えているのだ。のらが捕まるのもしかたないと。たんに嵐山に伝えるための住所を知ってるか?という事だろうか。



曽我部はしゃべったらしい。買い物帰りののらを嵐山らが捕まえる。家で待つ娘のご飯を買ってきたところだが、帰ることはできない。じゃあと、のらは九条を呼ぶようにいうのだった。



つづく



ああ…いやな展開だ…

のらが九条を呼んだとして、九条が仕事を受けることは可能だろうか。ポイントは利益相反だが、どうだろう、相反という状況でもないのかなという気もする。それに、曽我部にのらを告発させる九条ものらの状況をもちろん知っている。たしかに九条はそんなのらの事情を完全に無視することもできる人間だが、今回はどうだろう。


少し考えられるのは、のらの事情を知っていればこそ、彼女が犯罪者であることが引っかかるのではないかということだ。それは和解前の烏丸母も言っていたし、それは正論でもあった。九条は、弁護を引き受けるにしても、のらに犯罪から足を洗わせ、罪を清算させようとしているのかもしれない。


しかし、のらが黒幕であることはもともとわかっていたことだ。なぜ九条はいまこの指示をするのか。以上のような考えがあるのだとしても、それなら曽我部にはカンモクの指示の前にこのことをいいそうである。それが、曽我部の葛藤を聞いてから急にそうなっているのだ。

理由と思われるものは住まいについてのやりとりしかない。ただ「のらさん」だけでは嵐山も捕まえられない。でも住まいがわかるならはなしは別だと。曽我部は苦しそうにしているし、嵐山も取引をする気はありそうだ。そういうことを、とりあえず曽我部がカンモクしているあいだに見てとった。そこで、少しでも曽我部の誠実さを示すために、こういう運びになったのだろう。


「日本一のたこ焼き屋」は判断にくもりが生じそうなときや、特に九条と烏丸で見解がわかれそうなとき、またたんに烏丸が九条を心配しているときなどにこれまで出現してきた。それは、言葉による「定義」のとりこぼしを体現するようなエピソードだからである。「日本一」の含意は、たこ焼き大会みたいなもので優勝したという事実を示すものかもしれないし、「おいしい」ということについてのおおげさな表現かもしれない。もっといえばこれはなにが日本一か書かれていないので「日本一小さい」のかもしれない。そのコノテーションはあまり重要ではない。問題はそのように名指されたものをどう受け取るかである。「日本一」の含意はともかく、これを言葉のままに受け取るということは、論理的にはそのたこ焼きが「非日本一ではない」と受け取るということなのである。

だがこの言葉の論理的性質を正面から受け取るばかりが人間ではない。「日本一」でもないし「非日本一」でもないたこ焼きも存在しうる。なぜなら、言葉は主観と客観のあわいにたゆたうものだからだ。恋人の作ったたこ焼きはどちらかにあてはまるだろうか。全日本たこ焼き大会に出場しない地元の超うまいたこ焼き屋は非日本一だろうか。そうして、わたしたちは主観と客観の「落とし所」を瞬間的に見定めてふだんから会話をしているのである。


しかし法律文書はそうあってはならない。日によって、ときによって、ひとによって解釈がわかれてしまっては法治は実現しない。だから法的思考は論理的になる。排中律になる。そしてその権化が蔵人というわけである。

だが、その言葉による定義も万能ではない。言葉の定義もまた言葉によって行われているからである。だから、どこかでわたしたちは、幻想としての公理にたよることにはなる。それは悪いことではないだろう。そんなことにいつまでもこだわっていたら社会生活が成り立たない。しかし取りこぼしは起こる。そして、「どこかで幻想にぶつかる」ことを自覚しないままでいるものには、この取りこぼしじたいが目に入らない。九条はそれを拾うもの、というわけである。九条にとっては、言葉の前に世界がある。内実がある。だから、味の検証というはなしになる。これは、言葉が差異でもって世界の凹凸を生み出すソシュール的言語観以前の、人間がすでにあるものを名付ける、創世記的な世界観に近いが、現前する世界に直面する弁護士としては自然な哲学なのだ。


そして、カフカの『城』みたいに、このたこ焼き屋に彼らがなかなかたどり着けないのも象徴的だ。九条も蔵人もスタイルとしてどちらにも理由がある。その道の探究、たこ焼き屋への漸近が、この仕事の使命なのだろう。







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