すっぴんマスター -3ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第137審/三つの裁判③




嵐山がのらを取り調べているところ。のらのフルネーム、特に漢字は忘れがちだが、野村乃羅である。かわいい響きの名前だよね。

嵐山は、のらを告発した曽我部はぜんぶ吐いたといっておどかす。だから黙秘をやめろというはなしだが、曽我部もまたカンモクを続けているので、これはうそだ。そして偶然だが、これは前回、ヤクザの出雲が百井らを詰めていたときと同じやりかただ。

のらは娘に会えないことがいちばん悲しい。黙秘はつらそうだ。


のら担当の亀岡が九条に連絡をとる。大麻部屋の道具類は髭鼠が片付けており、ヤクザも警察もいちども目にしていない。考えてみれば奇妙な状況だ。とにかく証拠はないので起訴までいかない、のらも曽我部もカンモクパイの方向だよねという確認である。九条もそのつもりでいるようではある。



殺した百井をそのまま重機で穴に埋め、出雲らは縛り上げた求馬を車につむ。出雲は麻雀やってるときに百井を連れて出かけていたが、そのメンツは出雲を待ちながらまだ麻雀続けてるらしい。出雲はその電話の相手に宇治にかわるようにいう。出雲が宇治の番号を知らないということはないはずなので、待たせている弟ぶんのほうが宇治より上なので、その顔を立てた感じだろう。



めんどくさいからみかたをしながら出雲は、百井の仮想通貨を抜くことができるかと宇治に訊ねる。宇治の得意分野だからだ。スマホがあるということなのでかんたんだ。宇治ははなしを受けてからなにかを考え、どこかに去ってしまう。


出雲はまだのらは追わないという。警察がマークしてるだろうから…ということだが、じゃあいずれわかるとしても、ほんとにのらが逮捕されたことは知らないのだな。肝心の百井は殺してしまったし、「のら」という情報だけで彼女を見つけるのは難しそうだが、いまは百井のスマホがある。


話しているのは鍛冶屋だろうか。なんで百井を殺して求馬を生かしたのかと。百井のほうが使えそうだったのに。当然の疑問だろう。出雲は、百井は裏切るからだと応える。たしかに、じっさいのらを売ってしまったわけだし…と、やはり鍛冶屋が常識的な反応をみせるが、それだけではない。奴はSだと。サディストということかと思ったがそんなわけはない。

嵐山が百井と連絡がとれなくなったと話している。S、つまりスパイ、タレコミ屋だったのだ。

嵐山は百井のことはどうでもいいがおかげでのらまでたどりつけたと言っている。…よくわからないな。百井は、のらと会う前から売人で、嵐山とはその時代からの関係なのか?



亀岡がのらと面会。九条に確認したことを踏まえ、曽我部は黙秘するだろうからのらもそうしようとする。曽我部はぜんぶ話したとする嵐山の脅しはやはりただの揺さぶりだ。娘が心配なのらにはよく効く揺さぶりである。だが娘の梨沙は薬師前の働きで父親側が預かっている。今後親権とかとられてしまうだろうけど、とりあえずいまは黙秘だ。



ブラサンの散歩をしている九条に久々の壬生から連絡が。壬生もまずブラサンの様子を聞いているのがなんか和む。壬生も犬が好きだもんな。わがままに育って、たいそう元気なワンコである。

連絡は、宇治から聞いた内容を伝えるものだ。詳細はわからない。だが九条はそれを受けて方針を変える。曽我部に面会し、のらのことを含め、すべてはなすように指示するのだった。



つづく



チンコロしたのはふつうに百井だったか。

嵐山との関係性がどのようなものか、これだけではわからないわけだが、嵐山は百井のことを知っていたわけなので、いつでものらにたどりつけたんじゃないかという感じがしてしまうが、百井は百井で成功するためにはのらが必要だし、嵐山は嵐山で小物だから百井本人には用事がなく適当に泳がせて大物捕まえたほうがいいし、たがいに微妙な落とし所を探って利用し合ってた感じなのかな。

そして百井的には警察より厄介なヤクザが介入してきて、少なくともこの農場は潮時だと感じられたのかもしれない。で、見逃してもらうかわりに百井はヤクザとのらを売る。その際、じっさい現場にいるものが必要でもあり、そのために曽我部は育成されたのだろう。幼馴染もかんたんに売るし

百井、思ったよりぜんぜんクソやろうだったな…



九条は壬生からなにを聞いたのだろう。宇治は百井のスマホから仮想通貨を抜くと聞かされただけだ。百井が連行されていったことも知っているだろう。そのタイミングで、いかにもひと仕事終わりましたみたいな出雲が百井のスマホを手中にしているとなり、彼が死んだことを宇治は悟ったのかもしれない。しかしそれがどうして曽我部へのあの指示になるのか?

証拠はない、だから20日黙っていれば起訴されず出てこれる。それをやめるからには、この状況が変わってしまったということになる。それは、証拠が出てくるということを意味するのかもしれないし、「悪くなるのを避ける」のではない、なにかよい方向への戦略を九条が思いついたということかもしれない。

たとえば、いま嵐山は百井をどうでもよいと考えている。だが曽我部が嵐山の予想を超えて、なにもかも話したら、百井も当然そこに現れることになる。グレーな関係だった百井を探さなければならなくなったとき、嵐山はどういうことになるだろう。また探すということになったとか、なんらかの方法で百井のスマホの位置情報などというはなしになったとき、出雲はどうするだろう。弁護士は法的に弱い立場にあるものの権利を守るものだが、とりわけ壬生がからむとき、九条は攻めを行うこともある。最初からいい感情を持っていない嵐山や、京極の件で九条を疑っている出雲は、九条にとってめんどうな相手だ。こういう攻め手を選ぶ可能性も否定はできない。


ただ、そんなことのために曽我部をつかうのかなともおもう。ふつうに考えるとやはり百井が死んだらしいこと、またそのスマホを出雲が持っていることなどが引き起こす、曽我部にとってまずい状況を回避するためではないかと考えられる。金を抜いたあと、出雲が嵐山にスマホを渡すとか、そんなことだろうか。


ひとつ気になるのは、タイトルが「三つの裁判」であるということだ。裁判じたいまだないが、井出はともかくとして、とりあえず逮捕されているのはふたり、のらと曽我部だけだ。つまりもうひとり逮捕者が出る。

すでにのらと曽我部は相互依存的な、囚人のジレンマ的状況にある。現実には代理人である九条と亀岡がやりとりをしているのでパレート最適を達成できそうだが、これが崩れる可能性を九条は読み取ったのかもしれない。そこで先手を打ったのかも。


ただこれは、どうあっても亀岡との関係悪化は避けられない。黙秘になると、確言まではいかなくともくちにしたあとなのだから。逆に九条を信用した亀岡はのらに損をとらせることになってしまう。それでいいと九条は考えそうだが、第三の要素の事次第によっては、これが天下三分の計的な、新たな均衡状態を呼ばないとも限らない。要するに、まだなにもわからないのであった…



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第60話/猛獣注意



勇次郎すげー回が続く…。最近2話連続のことが多い気がするな。


猟師・寒川鉄三が語る…。勇次郎回にこの手の属性やワイルド系のひとが登場すると、冒険家ジョー・ウィリアムの悲劇が思い起こされ(前回のおばあちゃんも一瞬緊張しました)、考察サイト管理人としては一気に緊張モードになるが、幸い寒川はただの目撃者である。


なにを見たかというと、まず異様なクマの遺骸だ。それもふつうの状況ではない。頭や手足はねじまがり、脳はぐずぐずに崩れていたという。とにかくふつうの死に方ではない。もちろん射殺されたものではないし、熊どうしの喧嘩でもこんなことにはならない。寒川はすでにこのような死体を3体見ているという。


これらの死体発見がしばらく続いた数日後、という感じだろうか。基本的に単独で生きていく羆が、集団で、相手を囲むように狩りをしている現場を、ハンターたちは目撃する。この現場に寒川はいないようだ。


もちろん相手は勇次郎である。クマは6頭に見えるが、なんか増えたり減ったりしててよくわからない。まあ、要するにたくさん、「一対多」だ。少し前に独歩が行ったものとは次元の異なる危険性だ。

勇次郎はなぜか少しからだが汚れている。しばらく山に滞在し、3頭と戦ってそのクマを寒川がみて、いまいよいよクマ集団と雌雄を決しようとしていると、こんな流れだろう。


次々と葬られていくクマたち。もともとこうして集まっているのは、寒川が見た3頭のことがあってのはずだが、彼らも相手の強さをいま初めて目の当たりにして、改めて、みんなでかからなければ負けると感じたようだ。勇次郎は向かいくる彼らを容赦なく破壊していく。これ、蹴りで首切ってないか?


ハンターたちはとにかくクマたちが集団で、しかも人間を狩ろうとしていたことにたまげているようだが、そんなレベルのはなしではない。クマは全滅。勇次郎は無傷で去っていくのだった。



つづく



この2,3年報道されるようになっている熊騒動を受けてのものか。

前回はおばあちゃんを助ける勇次郎のジェントルが描かれたわけだが、今回は一転して凶暴な勇次郎だ。でも、前にもこういう描き方はあったような気がする。いつかは思い出せないが。「優しい勇次郎」のあとに、それをみてほっこりする我々を殴りつけるように荒々しい勇次郎が描かれるのだ。


そしてまた、この流れは作中の物語のうちにもときどき見られるものだ。いますぐ出てくるのは宿禰編で、光成に「優しいのぉ」みたいなことをいわれた勇次郎が、青筋立てて「犯すぞ爺」をやった回である。






勇次郎にとって他者とはすべて異性である、というおはなしから、こういう発言が出てきたわけだが、これは彼が絶対的強者であることを示すためにはどうしても他者を必要とする、という逆説でもあった。ひとことでいえば、自身の雄度を示すために他人にはメスでいてもらわなければならない、というはなしである。かつての勇次郎にはたしかにこのような暴力性があった。しかし、親子喧嘩を経て彼は、引き続き最強者ではあったとしても、絶対者であることからは解放された。だから、彼はもう「雄」を証明するために「雌」を必要としはしない。いま彼がこのような言動に出るのは、それまでの思考習慣がもたらす弾み、宿禰のときにかんしていえば照れ隠しによるものと考えられる。


絶対者であることから解放された彼はもう「暴力魔人」であろうとしなくていい。「誰よりも強い」ことを証明するために「自分より強いものはいない」を示してまわる必要はもうない。ただ暫定的最強者であればよい。おばあちゃんに優しくするなら、すればよい。「優しい勇次郎」、けっこうなことである。しかしそうならない。勇次郎じしんが、うっかりジェントルにふるまってしまったあとに照れ隠しでブチギレるならまだわかる。それは、別に珍しくもない、よくある態度と感情だろう。しかし今回のように作品がそれを行うとなるとはなしは違ってくる。他者を蹂躙することで確保される勇次郎の自我というものがまだある、少なくとも展開上それを予感しないわけにはいかないということになるからである。


ただ、ここまで書いておいてなにだが、今回の勇次郎の暴力描写は、そうはいってもやはり以前とは異なるのかなとは感じる。相手がクマだからである。周知のとおり、この何年かの日本は、冬を除いて年中クマによる作物や人身の被害に見舞われている。正直ぼくは今回のクマをかわいそうに感じたし、勇次郎にじゃっかん怒りを感じたが、ともかく、事実としてクマ被害がある。特に去年の被害は素人目にも放っておけるものではなかった。今回の勇次郎描写は明らかにそれを踏まえている、要するに社会貢献的要素を含んでいるのである。あんな残虐な殺し方があるか、とはおもうし、そういう言説は現実世界では有効かつ必要なものだが、ここでのおはなしは勇次郎の行動の評価にかんするものである。これは、以前のような、「優しいのぉ」からの「犯すぞ爺ぃ」と同じ形状で「おばあちゃんに優しい勇次郎」と「暴力的な勇次郎」を描きながら、その「暴力」の内実は、「犯す」ことで絶対性を確保しようとしていたときのものとはちがうのである。たしかに、「優しい勇次郎」もいいが、優しいだけではな…という気持ちもいち読者としてはある。そういうイケメンしぐさは花山に任せておけばよいと。


ただ、勇次郎の暴力衝動というものは衰えることはないんだろうなというふうにも感じる。彼がその男性ホルモンのせいで圧倒的にオスであることと、「犯すぞ」とおどしたり、じっさいにそうした行動に出ることのあいだに必然性はない。だから、これはたしかに、ホルモン問題がもたらす派生的な、ある目的、つまりをじしんの男性性、「最強であること」を証明したい、という動機から始まっていたことだ。これが失われながらも、今度は社会貢献的なものを、おそらく無意識に動機としながらちからに傾くのである。かたちも、結果も異なるものとはなっても、けっきょくそうなる。やはり彼もまた強いんだ星人、人間を相手にしないだけマシというものかもしれない。











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第136審/三つの裁判②



出雲につかまり、山奥で詰められる百井と求馬。目の前には大穴。おそらく壬生、菅原を埋めるために用意されたあれと思われる。


井出と曽我部が嵐山に捕まったわけだが、それはどう考えても内部からの告発がなければ起こらなかったことなので、出雲は百井を疑っている。百井の立場からすれば、ヤクザに吸われそうになっていたわけだから、ありえるはなしだ。

だが今回は最初から百井の仕事内容についての詰問に変わっている。いつだか、なんでキレてんだかよくわからなかった出雲のあの怒りだ。いま出雲は京極に変わって百井の面倒をみているわけだが、京極に隠れてけっこう手広く稼いでたんだろと。申告漏れがあるんじゃないかというはなしだ。


百井はこれまでのらの名前は出さず、ただ仕入れてさばくディーラーとしてヤクザと関わってきたのだろう。出さないようにしていたというより必要がなかった感じだろうか。曽我部も最近までのらの存在は知らなかった。しかし、聞いているよりずっと稼いでいるらしいとなったらはなしは別で、それを盗聴で知った出雲は怒っていると、こんなところか。


いちおう、百井は仕切っている人間は知らないという。出雲は求馬にも尋ねるが、彼はアレなので、あんまり期待はしてないだろう。げんになにも知らないし。とりあえず大麻や栽培用具を盗んだりはしていない。

吐かせるために尋問してるとおもうか?と、出雲が実にヤクザらしいエクリチュールで続ける。こたえを知っていて確かめてるだけかもしれないぞと。だったら早めに吐いて心証をよくしたほうが賢くないかというはなしだ。素直で正直な人間が好きだとも。


出雲はふたりを対決させるつもりだ。ひとりは生還して海外へ、もうひとりは穴のなか。どっちが生きる価値あるか対決だ。先行百井。求馬が穴の前に立ち、背中を押そうとする百井に命乞いをしろと。アレなのかふざけてるのか、求馬は「命鯉」をからだで表現する。真顔でそれをみている出雲がじわじわくる。

迷いながらも百井の手が伸びる。そこで求馬が謎のラップだかうただかをうたい始める。北海道のニセコで外国人相手にMDMAを法外な値段で売りつけたときのボースティングだ。謎すぎて空気が固まってるっぽいが、おかげで時間が過ぎ選手交代。求馬やるな。


求馬のターン。ふたりとも半べそである。百井はたぶん求馬を信用していないので、いまにも背中を押されそうに感じているにちがいない、あっさりのらの名前を出してしまう。また、のらが2億稼いだことや、運営権を5000万で買う予定だったことも。仮想通貨で2000万程度あったらしいが、百井はそもそも5000万もなかったらしい。

出雲にあおられ、求馬が押してしまいそう。ここで百井もまたある種のリリックをかます。これは出雲をジャッジにしたフリースタイルバトルだ。もううんざりだと。金ばっかりの連中に騙され、裏切られ、あげくじぶんも金しかみてない人間になってしまった。お互い押さなければやり直せる、生き残ろう。もとより幼馴染の百井を求馬は押せなかった。ちなみに、「押さない」と「幼い」は同音異議である。


選手交代、気持ちを切り替え、やり直すという求馬の背中を、もう幼くはない百井が押す。求馬はバカで、生きる価値があるのは自分だと、冷えた表情で百井はいう。求馬は泣き叫ぶが、終わりではない。百井の後頭部に伸びる出雲の銃。あたまを撃ち抜かれて死んだ百井が求馬の前に落下するのだった。


勾留中の曽我部を九条が訪れている。のらの名前を出せと指示して以来かな。いつも最悪な時に来てもらってすみませんという曽我部に、弁護士は最悪な時にしか呼ばれないから大丈夫と、九条はあっさりいうのだった。



つづく



百井がのらの名前を出してしまった…が、これは、曽我部が警察でくちにして逮捕まで至っていることだし、どうせすぐわかってしまったろう。では出雲はなにを聞こうとしていたのか。だいたい、チンコロの件はいいのか。


出雲がいま知りたいことは3つだ。そもそも、逮捕の前に井出が探しに行った大麻はどこにいったか。嵐山にちくったのは誰なのか。そして百井の仕事の全貌である。大麻の行方は、些細なことといえばそうだが、とりあえず曽我部のいうような真相ではないし、求馬が嘘をついているようにも出雲は感じなかったろう。それも、そののらを探せば済むはなしだ。しかし、こんな情報だけでのらが探し出せるわけもなく、肝心の百井を出雲はみずから殺してしまった。とすると、やはり出雲はすでにのら逮捕を知っていて、彼女がボスだとあたりをつけていたのだろう。

とすると問題はチンコロしたのが誰かという問題だけになるが、今回出雲はそれを追及しているようにはみえない。このあたりが、詰問、尋問などとは言っても、ヤクザがいちおうは真実を求める警察とは異なるぶぶんなんだろう。伏見組には宇治という信用ならない男もいる。誰がチンコロをしたのであれ、いま井出が逮捕されて、百井との件が警察にバレてしまった事実にちがいはない。これは覆らず、復元できない。とすれば、なにはともあれ誰かが死なねばならない。百井が犯人かどうかは、あまり重要ではない。ともかく出雲は、「裏切り者」に制裁を加えなければならない、もっと厳密にいえば、そういう身振りをとらなければならない。かくして生きる価値対決が始まった。あれは、見たまま、たわむれだったのではないか。どっちでもいいのである。大麻の行方はわからないがさらに上がいるならいま考えてもしかたない、そしてその黒幕というのがいま捕まっている野村のらだということの答え合わせはできた。あとは、出雲が「裏切り者」だと判断したものを殺したという見せしめ的事実だけが必要なのである。


じゃあどっちを生かすかということで、出雲が素直で正直な人間が好きだと言っていたのは、たぶん言葉のままなのである。出雲が宇治とそりが合わないのは、宇治がさかしらでしたたかだからだ。要するに、正直者ではないのだ。出雲だってたいがいだが、宇治のようなインテリ感はない。だから、ほんらいヤクザ的資質ともいえる百井の冷徹さを、今回はむしろ制裁の決め手としたのである。それに、いま彼は仮にも「裏切り者は誰か」のジャッジをしているのであるから、目の前で幼馴染を裏切る男を殺すことには理があるのである。


ただ、論理的整合性以前に彼はヤクザだから、求馬が助かるとも限らない。生きてても曽我部をいじめるやつだし、生かすならしっかり教育してほしいが(出雲は、刑務所で曽我部を助ける京極派なわけだから、教育は期待していい)、まあ、わかんないよね。


チンコロした犯人だが、宇治や久我ということになるのかな。そもそも百井の件は出雲と宇治ではなしがついたうえで始まろうとしていたもので、つまり出雲も宇治がこれを知っていることを知っている。だがじかに宇治を詰めることは証拠もなしでは難しい。百井殺害はなにより宇治への牽制になっているはずである。







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最近読んでるやつで買ってよかったのはだんぜんこれ。





これはやばい。興味あるひとは絶対買ったほうがいい。


「リミナルスペース」とは、クリーピーパスタ(ネット発の創作都市伝説みたいなもの)発祥で、動画やゲームで人気の「バックルーム」を通じて決定的に前景化されたインターネット美学である。もとは建築用語で、廊下や階段など、移動のための構造物を指す。また「リミナリティ」には、人類学的な通過儀礼の過渡段階という意味もある。それらが意味を補いながら転じたものがリミナルスペースである。それを描いた絵や写真、動画に、独特の奇妙な感覚が宿ることを発見したものたちがそのように言語化し、ネットミームとして流行、いまではリミナルスペースを舞台にしたゲーム「8番出口」が二宮和也主演で映画化されるほどだ。ニノだよ。語として知られているとはいいがたくても、感覚じたいは市民権を得たといっていいとおもう。


8番出口の映画じたいは未見だが、あのゲームをどうやって映画にしたのかなというのは多少気になる。リミナルスペースはひとの気配が失せた空間をいうので(あの歩いてるおじさんも、ひとというよりはオブジェに近く、無人空間で会えた人間なのにまったくほっとしない)、いかにも主観ゲーム向けというか、どうしても主演をうつさないわけにはいかない映画とどう馴染むものか、わからないからだ。


リミナルスペースは親しさと拒絶、ノスタルジアと疎外感、知っているはずと感じるがまた同時に無関係とも感じる、非常に奇妙な感覚を呼び起こす。ネットで調べればいっぱい画像が出てくるのでみてほしい。駅のコンコース、またホーム、巨大な地下駐車場、空港、ショッピングモールなど、ふだんひとが大勢行き交う場所からいっさいの気配が失われて無人になったとき、この感覚が現れる。廃墟愛好と似たぶぶんもある。

ぼくじしん、この感覚はよく知っていた。だからバックルームの動画はよく見ていたし、親和性の高いメガロフォビア(巨大物恐怖症)系の動画も年中みてる。不快だが目がはなせない、またなつかしく癒しさえ含みながらどこか不安、こういう感覚のとりこになっていたのだ。だから、これに名前があると知ったときはうれしかった。


リミナルスペースのもっとも原初的な表現はやはり廊下や階段である。これらは、部屋から部屋へ、フロアからフロアへ、ひとが移動するために作られている。いいかえれば、ひとが移動しなければ存在の意味がない。ここからひとが、またその気配のいっさいが除かれたとき、役割を果たさないままそれでも堅固に存在を持続するリミナルスペースが誕生する。やがてこの感覚じたいがもっと幅広いものであることが理解されるにつれ、それ以外の空間表現が行われるようになっていったようだ。


本書はホラー系の動画配信者であるALT236というひとの手になるもので、このひとが何者かはよくわからない。が、リミナルスペースを考えるうえで絶対にはずせない一冊であることはまちがいない。しっかりへネップの『通過儀礼』への言及からはじまり、全体主義系の巨大建築や弐瓶勉、ギーガー、マグリットなどを巡りリミナルスペース誕生経緯を徹底的に、しかも美しい図版付きで解説している。ほんと、絵をみてるだけでため息がでる。



数学系ではデデキントを読んでいるが、苦戦している。





カントールの本が読みたいのだが手頃なものがなく、同時期に体系的に集合論を創始したデデキントを読み始めたわけだが…。ゲーデルとかと比べて難解というはなしではなくて、まずは書き方の問題があるようである。部分集合の記号がさかさまっぽいやつだったりとか…。それもまあ、現代の集合論がしっかり身についていれば問題ないところ、そのあたりもあいまいだから、並行して名著として名高い入門書も読んでる。今年も通勤時間は数学漬けだ!





もっと軽い、ふつうの小説を読みたいなという衝動もあり、話題になっていた『身から出た闇』も読み始めた。ふつうのっていうかホラーだが…。短編集の体裁をとりながらメタ的な仕掛けがあるっぽい。大事に読みたいが、これはたぶん一気読みしてしまうやつだな。






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第59話/異大



勇次郎礼賛回である。

街を闊歩する勇次郎。すれちがうひとはふりかえり、遠くにいても目で追ってしまう異彩。

まず語られることは、たいがいの場合その大きさである。だが、実は勇次郎はそんなに巨大ではない。190センチちょっとだ。2メートル超が珍しくない世界では、まあ小さくはないけど、平均より大きいくらいと思われる。だがまず大きさが印象に残る。さらに50センチくらい大きいジャックと並んで歩いていたときですらそうだった。

その印象は身長というより体格からきている。“ガタイがいい”の究極形である。


それを形容するには“異様”という言葉がいい。バッキバキにパンプした勇次郎の肉体は、なんかもう、内臓みたいである。首は太いというかプリン型だし、腕は太いというか球体である。筋肉に押し上げられ、のびでいるはずの皮膚は、おそらくそれでいて厚みや強度が波ではないため、金属的な光沢を帯びている。かつてのツイッター、現Xで、発売された勇次郎のフィギュアがあまりに金属的にテカテカだったためそうつぶやいたら、公式より板垣先生の指示だと教えてもらったことがある。勇次郎の金属的感触は先生のこだわりなのだ。


そしてその動きはすきがなく、ただ歩く動作には機能美が満ちている。なにかに備えるように、その歩き方はクラウチングスタートの姿勢や大型の猫科をおもわせる。考えたこともないが、足も速いのだろう。


そしてここからが、『バキ道』から導入された勇次郎の新しめの特徴である。男性ホルモンの分泌量だ。老若男女問わず、自分以外をすべて異性としてしまうほどなのだった。


こんなはなしのあとにシルバーカーを押したおばあちゃんが現れるのでひやりとするが、大丈夫、だめなやつではないです。カートに体重を預けながらやっと進むおばあちゃんが、じぶんの足につまずいて顔から転びそうになるのだ。それを、勇次郎が、ありえない姿勢でキャッチする。手刀でおばあちゃんの胴体を両断しているようにもみえるがそっと受け止めた結果だ。手のひらではなく、前腕の背刀側を使っているところにもジェントルを感じる。そして、もういっぽうの手ではカートをつかんで空中にふりあげている。


大丈夫か、みたいなことは特にいわないが、いちおう、少し笑みを浮かべて顔をみているので、ふつうに親切としてやったっぽい。これほどあふれでる野性を隠さない男がみせる優しさに、周囲はわき、おばあちゃんも赤くなるのだった。




つづく



勇次郎すげー回、なんでいつも歩いてる場面なんだろうな。かんけいない他人が見かけるといえばそりゃ道だけど。もっとこう、パチンコとかやらないのかな。ええ、すごい出てました、とか言ってさ。日常をもっと知りたいよね。



勇次郎の歩く姿はクラウチングスタートのよう。今回機能美という言葉出ていないし、そもそも美という観点から勇次郎を見ているものはいないのだが、ファイターがピクルの動作に見惚れてしまったように、その動作にはどこかに向かう志向性があるのである。坂口安吾は現在機能美と呼ばれるものを必要美と書いていた。目的物があり、それに向かうための必要性に要請されて労力がむだなく配置された状況をそう呼ぶのである。

クラウチングスタートのように勇次郎の「存在」は機能性を隠さない。ふつう、生物は、いまをただ生きるということ以上の目的をもたないし、ましてやなんらかの志向性が機能として備わるほど肉体に刻印されるなんてこともないだろう。スポーツであれ学問であれ、その専門とするところのものが、間接的にではなくじかに第三者に伝わるということはふつうはない。しかし勇次郎は、その専門、つまり「強さ」において、ふつうの専門家の専門性を上回り、存在そのものに刻まれ、誰がみてもわかるものになっている。だから、街ゆく場面を描いたものが多いのである。


とはいえ、なにゆえ強さの専門家である彼がクラウチングスタート的に前のめり気味なのか。ここに勇次郎の抱える背理というか自己矛盾があった。それは、ヘンペルのカラス的なパラドックスである。彼が最強であり、誰も勝てないことはほとんど自明である。しかし、完全に自明なのではない。としたらそこに絶対性はない。絶対を求めるなら、たたかい続けるしかない。論理的には、対偶をとればよい。この場合、証明したいのは「彼より強い生物は存在しない」というようなことだから、その対偶は「存在しているものはすべて彼より弱い」ということになり、黒くないもの一般がすべてカラスではないことをたしかめることでカラスが黒いことを証明するような途方もなさが宿ることになるのである。



勇次郎のホルモン問題についてはこれまでも考えてきた。







これもまた、彼が相対性のなかに生きているエピソードでもあった。オスやメスというものは、対概念がなければそもそも存在せず、彼が全人類を異性とみなすということは、彼のホルモンがもたらす存在にかかわるあらゆるオス性は、世のメス性によってのみ規定されるということなのだ。

だが、これはある種の呪いであり、正確にはこの無限相対地獄から勇次郎は解放されているはずである。最強であるために彼は敗者を必要とする。雄度の高さを明らかにするためには男にも雌になってもらう。こういう世界に彼がいたのは、事実最強であったからで、それを保たなければならないという、誰に向けたものでもない宿業があったからだ。しかし、親子喧嘩を経て、少なくとも単独の最強者であることから彼は解放されたのである。


彼が強さと雄度において他者を必要とする段階は過ぎた。もう他人を傷つけることはないとは言い切れないが(思考習慣というものがひとにはある)、必要はなくなった。たほう、事実としてかれは強く、圧倒的に雄である。これが今回のジェントルにつながっている。強いから、弱いものを助ける。雄だから、雌に優しくする。こういう、ふつうの人類が当たり前に身につけており、ほぼ内面化されているせいでむしろ意識的にしないことすらある(助けを願わない弱者はいてもいいし異性からの優しさが常に好ましいものであるわけでもない)行為を、道徳を学んだ小学生のように彼は実現するのである。親子喧嘩は彼を人類にしたのである。



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