第135審/三つの裁判①
「日常の犯罪」もクライマックス、というところで新章である。と言っても、いわれなければ気づけないレベルではなしは連続している。ウシジマくんの形式とはもっとも異なる点だ。作品として章立ては息継ぎ程度の意味合いしかなさそうだ。
九条の指示で曽我部が嵐山にのらの住所を伝え、のらが逮捕されたところだ。九条は屋上でたこ焼きを食べているところだが、例の「日本一のたこ焼き」ではなく、冷凍食品だという。行ってみたが臨時休業だったと。語の意味するものと意味されるものの異同、そしてそれを求める弁護士としての探究は「九条の大罪」を駆動するエンジンのようなものなので、やはり九条はあそこにはたどりつけないらしい。
そこへ電話。刑事の嵐山からだ。捕まえたのらが九条を呼んでいるからだ。しかし九条はそれを即答で断るのだった。嵐山もじゃっかん戸惑う態度である。
しばらくして薬師前が宴会に参加している。なんで断ったかと聞かれ、じぶんは曽我部の弁護を引き受けており、利益相反になるからと九条はこたえる。あとでわかりやすい解説がある。
ふたりはどのくらいの量刑になるか。曽我部は3年、主犯ののらは8年と烏丸が見立てる。薬師前は、のらが親とは縁を切っていることを知っており、まずは元パートナーなどを当たって、のらの娘の行先を探す係だ。
のらのもとには亀岡がやってきた。よかった、強めの弁護士が来てくれた…。九条が内々にたのんだんだろうな。うん、のらは亀岡がいいよ。
利益相反について、亀岡がわかりやすく説明。のらを助けるには曽我部が悪いと言わなければならず、曽我部を助けるにはのらが悪いとしなければならない、これをひとりの弁護士ではできないと。九条の冷淡にもみえた「お断り」だが、亀岡の説明でのらには自然なものになったはずだ。現実にはそこまでくっきり二者択一状況にはならないのだろうが、まあだいたいそういうことだと理解すればよいか。
量刑については、亀岡はまだ話さない。急に買い物帰りに逮捕されたので、娘の梨沙は家にひとりで待っている。自分でカップ麺をつくり、ときどき母に電話をかけて、お手紙を書きながら待っているのだった。のらは申し訳ない気持ちで涙が出てしまう。亀岡は、全力を尽くすと、強い言葉と表情でのらを励ますのだった。
曽我部とともに捕まった井出のもとには久々の山城がきている。咳をしており具合が悪そう。京極の弁護をしていた彼だが、京極は破門されてしまったからもうお金はないかもしれず、とにかく払いを重視する山城は離れていくのかと思われたが、引き続き伏見組を見ているらしい。
井出は率直に疑問を投げかける。麻薬事件なのだから麻薬取締官が来るところではないのか、なぜ組織対策課の嵐山がいきなり現れたのかと。そりゃタイミングを探してずっと捜査してたんだろということになるが、この件はまだ伏見組は関与していない。関与しようとはしてたけど、まだなにもしてない。要するに、内心を見抜けるエスパーでもない限り、伏見組を張っているだけでこの動きはできないのだ。百井らにこれから関与しようとしている、ということを知っているもの、つまり内部のものが伝えなければ、嵐山はこの動きをとれない。
山奥に百井と求馬が車で運ばれている。首輪つきでさらに奥へ。求馬をつかまえた鍛冶屋や、他にも複数のヤクザの姿。目的地には出雲である。例の、壬生と菅原用に掘って、宇治に売ろうとしていた穴だ。
井出の推理は山城から出雲に伝えられた。チンコロしたのは百井なのか?穴を前に出雲が詰めるのだった。
つづく
とても新章第一話とはおもえない展開である。が、冷静考えたらここからが九条ら弁護士の出番なのだから、「日常の犯罪」はその準備してだったのかも。
動きを整理すると、事務所でのやりとりのあと、井出の運転で出雲、百井、曽我部が大麻部屋に向かっている。車には出雲と百井が残り、井出と曽我部が部屋へ。しかし部屋にはなにもなく、窓が破られていたため、曽我部は心当たりとして求馬が盗んだかもみたいなことを言ったっぽい。井出は電話で車にいる出雲にこのことを話し、部屋を出たところで嵐山に捕まった。ということは、よく考えると、あの現場の、おそらく少し離れたところに出雲はいたのである。手配がかかった求馬はすぐ捕っていたが、これはSNSを使ったもので、たぶん井出ら逮捕よりあとだろう。出雲はたぶんそんなに近くにはいなかっただろうし、逮捕を視認したとしても組対の嵐山だとはわからなかったかもしれない。もちろん、不信なタイミングではあり、警察が組織対策課でないとしても、ヤクザなので、チンコロは常に疑うべきだが、そこから百井を連れて逃げた出雲が山城から井出の推理を聞き、ちょうど捕まえた求馬ともども詰めるかとなったわけだ。とすると、現状、出雲サイドではまだ大麻を盗んだのが求馬ではないかとなってるわけだが、その情報じたいが曽我部のもので、これは百井の部下であり、ぜんたいに自分たちはハメられたのでは?となっているわけである。じゃあ求馬は解放しても良さそうな気がするが…
亀岡がのらの担当になってくれたのは心強い。亀岡は、地元でだらしない生活をしている双子の妹に「ありえたわたし」をみる(第39審参照)。
性産業の存在そのものを否定するような過激な言動をとりつつも、根本にはこうした女性へのシンパシーと連帯の感覚がある。たとえばのらは、犯罪者である。市民としてこれは認められない。しかしいっぽうで、それを選ばざるを得なかった状況を追体験もする。そこに「ありえたわたし」を見出し、「私は偶然生き残った」と感じたとき、フェミニズムは起動する。フェミニズムが「お気持ち」ベースであると揶揄する向きもあるが、それは常に残酷さを伴っている。男性支配社会でフェミニストが女性の不利を男性的言説を超えて語ることは困難だからである。『82年生まれ、キム・ジヨン』はそういう小説だった。
亀岡は、フェミニストでも見解が分かれる性産業についてもはっきりした態度をとるものだが、根本にはこの感覚がしっかりとある。きっとのらに寄り添って仕事をしてくれるにちがいない。
九条は、利益相反が明らかだからと、驚くほどあっさり弁護を断っていたが、そもそものら逮捕は九条が曽我部に住所をいうように伝えたからで、こうなることは予期していたのだろう。で、その時点でたぶん亀岡が念頭にあったのだ。そして、以前書いたように、九条はどこかで、のらは罪を償うべきだと考えていたのかもしれない。だから意外なほどなにもかもあっさりのらについて進める。梨沙のためなのだ。
冒頭、冷凍のたこ焼きをそれなりにおいしく食べる場面では、かりそめながら一般に流通する語の定義も、それなりに有効であることを思わせる。それは、「女性」のことか、「犯罪」や「贖罪」のことか、それはわからないが、語による抽象がとりこぼすものを拾いつつ、その語をそのままに戦略的にいかすことも必要なときがある。九条はのらを記号的「女性」とはみていない。だが「親」とはみているだろう。彼にも娘がいるからだ。そこで、冷凍のたこ焼きたる「女性」性を通じてもっとも有能と思われる亀岡を想起したのである。九条はそういうこともできるのだ。
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