第130審/日常の犯罪⑬
ついに伏見組に壬生が見つかってしまった。すでにタイで見つかっていた菅原を張っていた出雲の子分が、菅原に金を貸しにきた壬生を目撃したのである。壬生はこれ、洗濯してるの?
出雲は案外冷静だ。冷静すぎて超こわい。なにこのひと。彼は、部下に経緯を訊ねる。まず菅原は、伏見組とつながりがある現地の金融屋を通じて見つかった。ギャンブルで金が必要になり、念入りにタイまでかけていた指名手配に引っかかったわけだ。出雲がそこですぐ菅原をつかまえずに泳がせていたのが壬生発見に繋がったわけである。
なんか事情はわからないが伏見組はタイで海苔巻き屋をやっているらしく、そこに組員もいるらしい。そこに4人、さらに兵隊を送ると出雲はいう。そこにはどうも宇治も含まれているようなのである。
さて、屋上でブラサンと戯れる九条のところに記者の市田がやってくる。
マスコミ報道で人生を変えられてしまったひとを新連載のコラムで取り上げたいということである。この言い方だと、新連載の主旨がそういう人々をあつかうということなのか、それとも連載開始のいまだけなのかわからないが、最初に烏丸、そして烏丸父の事件を取り上げたいということなので、少なくともしばらくは続くようだ。そして、できれば烏丸母も。
九条があっさりお母さんは無理だと応えるから、市田は、あのとき週刊誌の記事で烏丸父を悪く書いたのはじぶんだと告白する。烏丸らへのつぐないという意味もあるが、そのままマスコミ側の仕事を続け、他ならぬマスコミの仕事において贖罪をすることに意味がある、というような感じだろう。罪を償うとともに、マスコミというものの歪みを正すことにもつながるから。
九条はズバズバとはっきりいう。しかし市田は、手段はどうあれこの仕事をまっとうしたいという感じだ。人生をかけるという市田に、どう転ぶかわからないとしつつ九条も折れるが、逆に九条のほうから、会ってほしい人物がいることが告げられる。むろん、最近知り合った、事件の被害者であるのらである。九条から話を聞いた烏丸は、たしかに荒療治だがふさぎこむ母親を治すいい機会かもしれないが、あまり乗り気ではない。
烏丸がはなしを飲んだかはまだわからないが、のらは承諾してくれた。恩人の家族に会うということで緊張しているのら。事件を思い出すやら感謝の気持ちを思い出すやら、胸がいっぱいになって涙があふれる。それを、小さな娘が慰めるのだった。
忘れそうだが曽我部は出雲に言われて井出を大麻農場を案内しているところだ。しかし部屋にはなにもない。文字通りなにもない。とぼける曽我部を井出が殴る。と、よく見ると窓が外側から割れている。誰かが盗んだのか?心当たりは?と聞かれ、曽我部はあると応える。佐々木久馬なのであった。
つづく
並行して重要なはなしが展開するウシジマくんみたいな展開でわくわくする。
大麻部屋にはかなりいろいろなものがあったので、ここまできれいに持ち出すのはひとりでは難しいだろう。百井と曽我部が意味ありげに視線を交わしていた場面もあった。たぶん、久馬に部屋がバレた件をうまく利用し、苗や機材を移動させたことがバレないよう、彼に罪をなすりつけるつもりなのだろう。百井にとっても久馬は腐れ縁、邪魔なだけだったろうし。出雲らから逃げられるわけではないがとりあえずこの場はなんとかなるだろうし、一石二鳥かもしれない。
タイには宇治もいくことになりそうだ。
宇治と壬生は信念で結びついており、宇治が壬生を殺すようなことはおそらくありえない。だが宇治がヤクザのままでいることもまた彼らにとっては重要なので、宇治はあくまで出雲も命令を守りつつ壬生を助けなければいけない。こう考えると、やっぱり菅原が売られるかたちになるのではないかと思われる。壬生が武器を提出して京極が捕まったことは事実として動かないので、彼らがすべきことはとにかく逃げることである。つまり、この場を逃げられさえすればそれでいい。菅原はそのための生け贄としてちょうどいいのではないかというはなしだ。菅原じしんも追われているのだし、多少は伏見組の溜飲も下がるだろう。まあ、菅原があることないことしゃべって出雲の壬生へのうらみが増大するかもしれないが…
烏丸家とのらの接触は、父の死から停止してしまっている時間を動かして、緊張状態を寛解する可能性が高い。
烏丸も母も、父が英雄的に死んで、それが週刊誌のゴシップで毀損されてから、過去に生きている。母はふさぎこみ、現実を直視できなくなってしまった。烏丸は、弁護士業に救われることになっているが、対症療法に近く、根治はしていない。彼は異様な数の昆虫標本を家に飾っている。標本は、昆虫を瞬間のなかに封じ込め、観察したり鑑賞したりする方法だ。烏丸は法を通じてこの標本思考を世界解釈として実現している。裁判は判例によって部分的に制限されている。そうした判例、また、とにかく過去にあった事例を、それぞれパターンとして受け止め、分類して管理する、そういう標本思考が、彼の弁護士業には生きているのである。だから烏丸は、母と同じように硬直した過去にとらわれながら正常でいられる。つまり、彼にとって弁護士業は、根治を阻みながらもそれによってもたらされているものを完全に活かすことのできる仕事なのだ。
市田による取材は、まずは市田じしんを回復するものだ。そのためにそっとしておいてほしい当事者をつかうのは自分勝手かもしれない。しかし市田はあの事件を後悔しているし、そもそも当時からして本意ではなかった。彼女はいまでも記者である。報道、マスコミの仕事にももちろん価値があるのに、彼女にとってはあの件がずっと引っかかっていた。このままではマスコミとしての正しい役割さえ肯定できない。他ならぬじぶんが、あの事件を再び取材し、反省とともに世間に示さなければならないと、ここには自己肯定に加えて使命感も見えるわけである。
ここにのらも加わる。硬直した過去を動かすのは、「硬直していない」という物理的事実である。なぜ過去にとらわれすぎるのが良くないのかというと、それが過去だからである。時間が止まっているように感じられても、事実はそうではない。時間は、好むと好まざるとに関わらず進んでいる。だから硬直した過去は現実の流れと齟齬をきたすことになる。つまり、必要なことは、硬直は錯覚だったと悟ることなのだ。これを理解するために、事件からときを経て立派になったのらの姿ほど効果的なものはないだろう。過去のなかに父がいるぶん、そこにはあたたかさもあるだろう。だから母はいやがるかもしれない。しかしほんとうの体温はもうそこにはない。のらを通じて、母は事件に真に直面することができるはずである。
しかし、問題はむしろ烏丸なのだ。なぜなら、彼の仕事は標本思考によって成り立っているからだ。これを融解することは、根治につながる。だが同時に、夜中に勝手に行われるスマホのバージョンアップみたいに、その世界認識の更新も自動的に始まってしまうのである。だから烏丸はなんとなく乗り気ではないのだ。烏丸は弁護士としての九条のありかたにとても興味を持っているわけだが、しかしそれはこの先にしかない。
以前、烏丸の思考法を無時間モデルと解したことがある。
ここでいう無時間モデルとは、空語を厭う、もしくは理解できない彼が、言葉の意味の充実を求めて法律家になり、リニアな意味の連なりを見出しているということだ。「空語を厭う」は、父の理不尽な死によるものかもしれない。父の死をもたらした犯人の心情はまったく理解できない。あの犯人における「犯罪」という語には、まったく意味が入っていない。空っぽだ。そんななかで、語のなかに「意味」がピッタリはまった法律の文章だけが心強かった。しかし法律の文章には基本的に時間が流れていない。ひとによって、また同一人物でも日によって、内容の解釈が異なってしまうようなものは法律にならない。これが烏丸に無時間モデルの思考法をほどこした。通常、言葉において、意味するもの/意味されるものはそこまで安定しない。プロレスファンと格闘技ファンでは「強い」の意味がよく似ているのにまったく異なっている。「日本一のたこ焼き屋」みたいな表現もそうだ。彼は「意味」が一望のもとにおさまらない不規則かつ予測不可能な時間的モデルを嫌う、もしくはうまく理解できないのである。おもえばこれは、事例を単位のようにあつかう標本思考につながっていたわけだ。標本思考はいわば「理解できないものの一覧」なのである。彼は、それを放置することじたいをよしとはしない。ではどうするかというと、事例として分類するのである。
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