今週の刃牙らへん/第42話 | すっぴんマスター

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第42話/邂逅



ジャックが自宅の鏡でピクルにやられた傷の治りを確認している。傷が癒えるころ、花山とたたかうという約束だったからだ。


組みついたピクルが足の爪を立ててジャックの腹を駆けるようにしてつけた複雑な縦の傷と、手の爪で水平に裂いた横向きの傷だが、塞がったようだ。かなりぱっくりいってたはずだが、アミノ酸とビタミンを大量にとったということだ。はやくたたかいたいから。そっか、ステーキと赤ワインじゃないのか…。


完治したジャックが街を歩く。それをホテルマンばりの丁寧さで迎えるのは木崎である。そういえば、彼の名は久一郎だった。この間のレバ刺しに添えられた名刺で判明した。

ジャックは名前でレバ刺しのひとだとわかったらしい。こういう反応とか、ジャックっておもいのほか「ふつう」で、好感がもてる。

で、怪我のほうはどうかと、すぐに木崎がはなしをすすめる。ジャックは意を汲む。やっていいならいますぐにでも。


というわけで車で移動。たいがいの車ではジャックにはせまそうだが、身長にかんしては足が伸びただけだから、座るぶんにはそうでもないのかもしれない。


ジャックは、花山の意図を木崎を通じて探る。回復は今日だと、指折り数えて待っているらしい。そんな予測できるのかな。そして治っているならもはや待つこともない。だいたい、いわゆる「試合」は苦手である。というわけで、ストリートで「喧嘩」なのである。


たしかに花山が待っていた場所は路上だ。花山は街をしきる側で、一般人への迷惑もわりと考えるタイプだ。とはいえ、じゃあ試合場でやれよというはなしになるので、観衆もこみの喧嘩というステージを好む、といったところだろうか。


まず急に呼びつけたことを謝り、始まってから警察がくるまで5分くらいと花山はいう。花山が致命傷を負っても助かるという意味でじゅうぶんだとジャックはいう。が、じっさい花山はそういう配慮をしている可能性がある。このクラスのファイターが5分以上たたかったら、どちらかが死んでしまうかもしれないからだ。

(花山とジャックでそれぞれ“じゅうぶん”の表記が「十分」と「充分」で異なっているが、たぶん、ただの校正ミスか、もしくは逆に、ジャックは日本語をしゃべっているためにカタカナ表記になっており、その文字構成やバランスを考えた校正上の決定だろう。両者に意味のちがいはない)


とびかかるジャック。だがその顔面にいきなり花山の拳がめり込むのだった。




つづく



花山が出てくるとはなしが動き出すなあ…


こんなに思想上の相違点が多いふたりなのに、ファイトについての考えかたはよく似ているみたい。ジャックも、ほとんど会話もしたことのない花山の意図がよくわかるようだ。これはなにを意味するかというと、思想上のちがいが、実践的な場面ではさほどのちがいを生まないということだ。それもそうだろう。ボクシングの試合で、相手が保守かリベラルかって、ボクシングにはなんにも関係ないのだ。ではなぜ彼らはジャックのありようにここまで動揺し、じしんのありかたを点検し、正しいと示そうとしたりしなかったりするのか。むろん、「関係ない」と切り捨てられないぶぶんがあるからである。それはどこかというと、一周して戻ってくるわけだが、「強さ」なのである。


彼らは、強くあろうとするものである。そのために、先人に学び、じしんの身体や技を練磨し、方法を探る。つまり、彼らには「こうすれば強くなれる(はず)」という、確信の伴った手順があるのである。

ジャックの噛道の完成は、しかし彼らのありかたを「エエカッコしい」に一元化する。強さとは相対的なものであり、特に、精神論ではない、対面でのファイトでそれを決する彼らは、そこに唯一無二性を求める。にもかかわらず、ジャックの前で彼らは、少なくともその「強くなる過程」において、ひとまとまりに扱われてしまう。これが彼らの動揺の正体だろう。ただ、それだけなら、勇次郎がしているようなしかたでこころを折るということはない。勇次郎もまた相手の無二性を否定することでファイターを引退させてきたが、そこまでにはなっていない。なぜなっていないか。まだジャックが地上最強ではないからである。つまり、エエカッコしいのファイターは、思想上の相違点が強さそのものに結びつくとして、それでもじぶんのほうが強いと示せなければ、その唯一無二性を損なわれてしまうのである。


ジャックと花山はファイトへのかかわりかたが似てはいるが、美学面では大きく異なっている。ここで花山は、レバ刺しを通じ、エレガントな手つきで「エエカッコしいも悪くない」ということを告げる。じっさいにはじぶんのほうが強いということを示さなければならないが、それは否定的なものではなく、「こっちも悪くない」という提案なのだということを、花山は前もってレバ刺しで伝えたわけだ。対してジャックは、握りつぶされた拳を噛み砕くことで花山の自覚を揺さぶる。本気で握れば拳がつぶれる、という神話を噛み砕くとする以上、ジャックもまた花山を否定してはいない。そういう神秘もあると認めなければ、「潰れた拳を噛み砕く」という状況にはならないからだ。しかしジャックは別に提案はしないだろう。ただじぶんのほうが強いと伝えれば良い。それでじゅうぶんなのだ。ただそれだけで、エエカッコしいとひとまとまりにされたものたちは唯一無二性を傷つけられるからである。花山は、勇次郎にあんな目にあわされたこともあるし、たぶんそんなことで人間が変わることもないだろうが、自分も含めたファイターぜんたいについて、微量の危機感のようなものを感じているからこそ、ある種示談のように、レバ刺しを送ったのかもしれない。彼はヤクザなのである。




↓刃牙らへん4巻 4月8日発売







管理人ほしいものリスト↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com