絶対に受けたい授業「国家財政破綻」 -2ページ目

鳥巣清典の時事コラム1561「2020年日本が世界に発信するのは『全てを含んだ社会の有様』」

 リオ五輪ーーNHK日曜討論「リオ五輪から見えたものは」(8月21日)。

陸上男子400mリレーで日本が銀メダル


日本が世界に発信するのは「全てを含んだ社会の有様」


為末大(陸上選手・元オリンピック代表)

「為末大」の画像検索結果

司会
 為末さん、どうでしょう。2020年に日本が世界に発信すべきもの。
為末
 私は日本が抱えている本質的なものは、2020年を過ぎて皆が気づくと思うんですね。どうも高齢化しそうだ、財政もけっこう厳しい。「あれ、何も変わってなかった」という事を気付く。ただ、経済大国から5番10番になったとしても、おそらく不幸せな事ではないと思う。

新しい日本の価値観を示すヒントはパラリンピックにある


 その時に新しい価値観に私たちがならないと、元の価値観で言うと「色んなものがなくなって辛い」というふうに感じるんじゃないか。”新しい日本の価値観って何だろう?”という時に、もっと違う形の存在感の示し方があるんじゃ。それがヒントで見えればいいい。
 私はそれがパラリンピックにあると思っていて。日本が発信していくのは、全てを含んだ社会の有様というものを発信していく1つの形としてパラリンピックは重要じゃないかと思います。


【鳥巣注】

 先日都内で会議。
「2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けて」

 そのなかでТ子先生からこんな発言が。
「今の20歳の若者は、産まれた
1995年(平成7年)に阪神淡路大震災が発生。新潟県中越地震が2004年(平成16年)。東日本大震災が2011年(平成23年)。今年2016年(平成28年)の熊本地震を含め、30歳以下は何度も大災害と共に行われた救援活動・ボランティアの有様を見つづけてきた。だから彼らはボランティアという事に対して、本当に純粋に共感するところがある。これが年齢が上にいくと、人助けに対して眉唾とか偽善などと捉えがちだけど、彼らにはそんなところが全くない世代なんです」

 Т子先生は、障害児(全体の7割)+健常児+大人を合体させたミュージカル劇団『ホットジェネレーション』を主宰。私たちの会議でも「インクルーディング」という言葉が出てきました。これは障害教育では「まぜこぜ」を意味します。私はТ子先生からミュージカル劇団が体現している「インクルーディング」、つまりは未来社会を先取りした有様を書籍としてまとめて欲しいとの依頼を受けました。

「『ホットジェネレーション』では、踊りだけでなくアートの科目もあります。踊れない子には踊れる子が教える、お絵描きがうまく出来ない子にはお絵描きができる子が手伝い、協力してひとつの絵を仕上げる。電車で教室を移動する場合も以前は親やヘルパーさんが連れて行っていたのですが、大きくなった健常児が障害児を引率してくれるようになりました」(障害のある娘を通わせる親F子さん)

 養成法は本格的で、自閉症の女性を天使の歌声を奏でるまでに育てたり、健常児では劇団四季のライオンキングや帝劇ミュージカルに出演する子を輩出するなどハイレベル。歌舞伎役者の松本幸四郎氏、タレントのコロッケ氏など芸能界にもファンは多い。品川校、神奈川校、渋谷校、恵比寿校などがあり文部科学省や東京都も注目しています。


{40F91314-6A70-4F21-8D7A-7D76CAFEE9A1}

{CA89FF60-3FF3-44DD-BC8F-121C390982AE}
(以上、写真はブログより)

 この先、日本の超高齢化社会においては、「障害児(者)・健常児(者)」というくくりだけではなく、そこに「高齢者」が含まれてきます。認知症や寝たきりなど、いわば心身障害者が増大。日本全体がボランティア社会に変貌しなくてはいけない時代がやってくる。そのときには若者や子どもたちの参加は大いに歓迎されることになる。
「全てを含んだ社会の有様ーーそれはパラリンピックにヒントがあると思います」
 上記の為末氏も未来を見据えているひとりになります。

 元東京都知事の猪瀬直樹氏は、「高齢化社会は、日本の次は中国など先進諸国が続く。そうすると介護型ロボットや文化生活を発展させる人工知能など世界に先駆けて開発する日本に新たな産業のチャンスが訪れる」と発信しています。

 ピンチは、新しい価値観や産業を生み出すチャンス。
 未来世代へのレガシー(遺産)を語る時が来ています。


*********

PS

 甲子園は、作新学園が優勝。
 解説者の言葉が印象に残りました。
「平和の象徴である甲子園野球大会をいつまでも開催していくことが大事。そして負けること。甲子園で勝ち続けることができるチームは1校だけです。敗けて学ぶことこそ最も大事なんです」

鳥巣清典の時事コラム1560「女子レスリング吉田沙保里4連覇ならず銀メダル」

「吉田は4連覇なら引退検討だった」 栄チームリーダー

レスリング女子の吉田沙保里選手が、リオデジャネイロオリンピックで4連覇を達成していた場合、現役引退を検討する考えだったことがわかりました。

これは、レスリング日本代表の栄和人チームリーダーが決勝のあと、明らかにしました。栄チームリーダーは「4大会目のオリンピックで金メダルを取ったら本人は『引退を考えたい』という話もしていた」と話し、吉田選手が今大会も優勝して4連覇を果たした場合、現役引退を検討する考えだったことを明かしました。
しかし吉田選手は決勝で敗れて4連覇を逃したため、栄チームリーダーは「負けてすぐに引退と言っていいのか、もう1回、東京大会を目指して金メダルを取ってからなのか、ゆっくり考えたい」と話しました。
一方、個人戦の連勝が206で止まった吉田選手は涙が止まらず、今後については「まだわからない」と答えました。

【鳥巣注】
 ボルトもリオ五輪が迫ってくると「追いかけられる夢を見るようになった。追い抜かれはしないのだが、そんな夢を見つづけた」とNHKのインタビューに答えていました。
 吉田選手も「プレッシャー、緊張はハンパじゃない」と母親に告白。母は(娘も人間になってきたんだね)と思ったといいます。



レスリング女子63キロ級 川井が金メダル

バドミントン女子ダブルス 高橋・松友ペアが金メダル

鳥巣清典の時事コラム1559「伊調が金 史上初の4連覇 レスリング女子58キロ級」

 

伊調が金 史上初の4連覇 レスリング女子58キロ級

リオデジャネイロオリンピックは17日、レスリングの女子58キロ級で決勝が行われ、伊調馨選手が金メダルを獲得しました。女子の個人種目では世界初となるオリンピック4連覇です。

伊調選手は、1回戦でチュニジアの選手にテクニカルフォール勝ちし、続く、準々決勝も競り勝ちました。
そして、準決勝では前回、ロンドン大会の銅メダリストに対し、再び圧倒的な強さを見せてテクニカルフォール勝ちし決勝に進みました。
迎えた決勝では、おととしの世界選手権で準優勝している、ロシアのワレリヤ・コブロワジョロボワ選手と対戦しました。伊調選手は第1ピリオドで先に1ポイントを挙げましたが、このあと、攻撃を仕掛けたところを突かれて、リードを許す展開になりました。続く第2ピリオドは、守りに意識を置いた相手に攻撃の形を作ることができず、ポイントを奪えませんでしたが、終了間際にタックルに来た相手を捕まえてポイントを奪い逆転勝ちしました。
金メダルを獲得した伊調選手は、これで女子の個人種目では世界初となるオリンピック4連覇を達成です。

「自己採点は30点」と厳しい評価

4連覇を果たした伊調馨選手は涙を流しながらインタビューに答え、試合後、マットの上で深く礼をしたことについて、「オリンピックは4年に1度だし、この舞台を目指してきたのでその区切りとして、『ここまで導いてくれてありがとう』とたくさんの人への感謝の気持ちを込めた」と話しました。伊調選手は、マットを降りたあとスタンドの最前列に降りてきた姉の千春さんのもとに駆けつけ、千春さんに抱き寄せられるとそれまでこらえていた涙を流していました。この場面について「姉は『よくやった、頑張ったね』とほめてくれました」と優しい表情で振り返りました。そして「この金メダルを1人でも多くの人に見せたいし、感謝の思いを伝えたい」と話しました。一方、苦しんだ決勝については「内容は『ダメダメ』で、もっといい試合をしたかったという悔しい気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいです」と振り返り、この日の自己採点を求められると「金メダルに免除していただいて30点。いつもより高いです。金メダルの分が25点」とみずからに厳しいふだんの姿に戻っていました。

姉の千春さん「馨らしい逆転」

伊調選手の姉で、オリンピックのレスリングで2大会連続銀メダルの千春さんは会場のスタンドで妹の4連覇達成の瞬間を見守りました。
千春さんは「うれしくて何回も飛び上がりました。なかなかタックルを取れなかった時は、もしかしたら負けるんじゃないかという思いもありましたが、最後の最後に、ああやって逆転するのは馨らしいなと思いました」と喜びを語りました。
そして、「いっぱい、けがもあり、両肩に痛め止めの注射を打って今回の試合出ているんですが、そういうことは誰にも言っていないと思いますし、つらさがあったと思う」と、妹を思いやり、会ったら最初にどんな言葉をかけるか聞かれると、「その場にならないと、わからないです。何も言わずに抱きしめるかもしれない」としみじみと話していました。

伊調選手 これまでの歩み

伊調馨選手は青森県八戸市出身の32歳で、姉の千春さんなどの影響で3歳の時、地元のクラブでレスリングを始めました。愛知県の高校・大学に進み、大学では先輩の吉田沙保里選手とともに、練習に明け暮れました。
オリンピックに女子が初めて採用された2004年のアテネ大会で63キロ級の初代女王に輝き、48キロ級で銀メダルを獲得した千春さんととともに姉妹でメダルを手にしました。長い手足と懐の深さを生かした守りの強いレスリングで北京大会でも金メダルを獲得、千春さんも再び銀メダルを獲得し、2大会続けて姉妹でメダルを手にしました。
北京大会後、およそ1年間、休養してからは練習拠点を東京に移し、男子との練習を重視して攻撃面を強化し、ロンドン大会で3連覇を果たしました。世界選手権では去年まで通算10回優勝しています。
みずからの「理想のレスリング」を追い求める姿勢が特徴で、去年の世界選手権で優勝した直後のインタビューで自己採点を求められた際には、「25点くらい。30点つけようと思ったが、決勝もあまり、よくなかったので悔しい」と話し、勝敗よりも試合の内容にこだわるスタイルを崩しませんでした。
2003年以来、不戦敗を除いて負けがありませんでしたが、ことし1月にロシアで行われた国際大会でモンゴルの選手にテクニカルフォール負けし、13年ぶりに試合を戦って敗れました。連勝が途切れたあとは「自分を見つめ直すいいきっかけにしたい」と敗戦を前向きに捉えて、攻撃面の基本の動きを見直し、吉田沙保里選手とともに、女子の個人種目では世界初となるオリンピック4連覇を誓っていました。
オリンピックでは今、大会から実施種目が2階級増えて階級区分が変わったため、伊調選手は本来の体重に近い58キロ級で出場しました。

地元・青森で快挙たたえる

伊調選手の出身地、青森県八戸市では地元の人などが集まって試合を観戦し、女子個人種目で世界初となるオリンピック4連覇の快挙をたたえました。
千羽鶴や寄せ書きが飾られた八戸市の観光交流施設には、伊調選手が中学生の頃まで所属していたクラブチームに通う子どもたちや地元の人たちなど、およそ150人が集まり、大型のスクリーンで試合を観戦しました。決勝戦の終了間際に逆転で金メダルの獲得を決めると、集まった人たちは立ち上がって大きな拍手を送り、女子の個人種目では世界初となるオリンピック4連覇の快挙をたたえていました。
クラブチームの会長だった橋本精二さんは「日本でも世界でも女子の4連覇は初めてなので本当にうれしい」と話していました。
チームの後輩で、この夏のインターハイで優勝した熊野ゆづるさんは「最後まで諦めないところがすごいと思った。私も馨さんのように世界で活躍したい」と話していました。
伊調選手のおばの木立節枝さん(80)は「金メダルを取ると思っていたが、ドキドキして見ていた。お疲れさまと言いたい」と話していました。

五輪での連覇の記録

IOC=国際オリンピック委員会によりますと、これまでオリンピックの女子の個人種目で4連覇を達成した選手は夏・冬を通じていませんでした。
男子ではアメリカのカール・ルイス選手が、陸上男子走り幅跳びで1984年のロサンゼルス大会から1996年のアトランタ大会まで4連覇しているほか、円盤投げとセーリングでもそれぞれ、過去に4大会連続で金メダルを獲得した選手がいます。
団体まで含めると、男子ではハンガリーの選手がフェンシングのサーブル団体で6大会連続で金メダルを手にしたのが最多で、女子ではアメリカのバスケットボールの選手や、カナダのアイスホッケーの選手が4大会連続で金メダルを獲得しています。
日本は、個人種目では柔道男子60キロ級の野村忠宏選手がアトランタ大会から2004年のアテネ大会まで3連覇したのが最多で、レスリング女子の吉田沙保里選手と伊調馨選手が前回のロンドン大会で、これに並びました。
団体では体操の男子がメンバーが入れ代わりながら、1960年のローマ大会から1976年のモントリオール大会まで5連覇しています。

登坂が金メダル レスリング女子48キロ級


土性が金メダル レスリング女子69キロ級

卓球男子団体 中国に敗れるも銀メダル

卓球男子シングルス 水谷が銅メダル
NHK 8月12日


卓球女子団体が銅メダル 2大会連続でメダル獲得

鳥巣清典の時事コラム1558「終戦から71年 各地で戦没者追悼」

終戦から71年 各地で戦没者追悼
NHK



終戦から71年を迎える15日、およそ310万人の戦没者を追悼し、平和について考える集会や催しが全国各地で開かれます。

このうち、東京の日本武道館では政府主催の全国戦没者追悼式が開かれ、戦争で亡くなった人の遺族などおよそ6600人が参列する予定です。
式典では、安倍総理大臣が式辞を述べ、正午の時報にあわせて全員で1分間の黙とうをささげます。そして、天皇陛下がおことばを述べられたあと、参列者が式壇に菊の花を手向けて、およそ310万人の戦没者を追悼します。
終戦から71年を迎え遺族の高齢化は進み、参列を予定している遺族のおよそ8割は71歳以上となっています。
このうち戦没者の妻はこれまでで最も少ない7人で、最年長の101歳の女性はフィリピンのレイテ湾で戦死した夫のために東京・多摩市から家族に付き添われて参列する予定です。
また、去年に続いて、ことしも戦争の体験を伝えていこうと、すべての都道府県から18歳未満の若い世代合わせて124人が式典に参列するということです。
15日はこのほかにも、遺族の団体や自治体が式典を開くなど、戦没者を悼み平和について考える集会や催しが全国各地で開かれます。

*********

PS①

『永遠平和のために』を著したのはカント(1724~1804)。

「カント」の画像検索結果

1、カントの生きた18世紀のヨーロッパは、文字通り戦争に明け戦争に暮れた。この時代の戦争の特徴は、人格(皇帝や王など)でなく(国家)が前面に出てきたこと、また多くの戦争が二国間ではなく国際戦争だったことである。
 諸国は、領土拡大や勢力拡張を<国家利益>ととらえ、その観点から陰謀や政略をめぐらし、国家間で合従連衡を繰り返したのだった。

2、カントは現実主義者だった。その人間観はかなり悲観的。人間はもともと道徳を備えているとも、道徳的に完成できるとも言っていない。「人間は邪悪な存在である」というのが、カントのそもそもの出発点。

 国債の発行によって戦争の遂行が容易になる場合には、権力者が戦争を好む傾向とあいまって(これは人間に生まれつきそなわっている特性のように思える)、永遠平和の実現のための大きな障害となるのである。<=人間にはもともと戦争を好む傾向があるので、国債を発行していくらでも金がてに入るようになると、その傾向に火がついて軍備をどんどん拡張し、しまいには戦争をはじめてしまう。>

3、ともに暮らす人間たちのうちで永遠平和は自然状態ではない。自然状態とはむしろ戦争状態なのである。つねに敵対行為が発生しているわけではないとしても、敵対行為の脅威がつねに存在する状態である。

4、だから平和状態は新たに創出すべきものである。敵対行為が存在していないという事実は、敵対行為がなされないという保証ではない。この保証はある人が隣人にたいして行うものであり、これは法的な状態でなければ起こりえないものである。そしてある人が平和状態の保証を求めたのに、隣人がこの保証を与えない場合には、その隣人を敵として扱うことができるのである。

5、永遠平和を保証するのは、偉大な芸術家である自然、すなわち(諸物を巧みに創造する自然)である。自然の機械的な流れからは、人間の意志に反してでも人間の不和を通じて融和を作りだそうとする自然の目的がはっきりと示されるのである。
(*参考資料=NHKテキスト『100分de名著』)

【鳥巣注】

 戦争は人間の本質と関わるだけに、戦争を過去のものとはせず、常に「戦争とは何か」「平和とは何か」と問い続ける姿勢は大切だと思っています。


PS②

 お盆。
 昨日、お墓に参りました。
 福岡から親戚が2人。息子が、彼女を連れて参加。
 「息子の彼女」は、話には聞いていたのですが、会うのは初めて。親戚の者は「清楚で可憐で、お上品なお嬢さんでしたね」とのメールを後で送ってくれました。私も好印象でした。別れ際に「おとうさんもお身体を大切にしてください」--そう呼ばれるのは初めての経験。
 早速プリント。彼女を囲んだ集合写真を机から見えるところに置きました。



鳥巣清典の時事コラム1557「競泳女子200m平泳ぎ 金藤が金メダル」

競泳女子200m平泳ぎ 金藤が金メダル

リオデジャネイロオリンピック、競泳の女子200メートル平泳ぎは11日に決勝が行われ、金藤理絵選手が金メダルを獲得しました。この種目の金メダルは、1992年バルセロナ大会の岩崎恭子さん以来です。

女子200メートル平泳ぎで、ことしの世界ランキング1位の記録を持つ金藤選手は、準決勝を全体の2位のタイムで勝ち上がり決勝に出場しました。金藤選手は決勝を、「金藤理恵のステージにしたい」と前半から積極的に飛ばし、2番手で100メートルを折り返すと後半は順調に追い上げて、最後の50メートルで先頭に立ちました。
金藤選手は伸びのある泳ぎでそのままリードを保って、2分20秒30のタイムでフィニッシュし金メダルを獲得しました。
女子200メートル平泳ぎの日本選手の金メダルは、1992年のバルセロナ大会で、当時14歳の中学生で獲得した岩崎恭子さん以来24年ぶりです。

金藤選手「メダルは重たい」

金藤選手は、「メダルは重たいな、と思いました。ずっと金メダルがほしい、と思ってやってきて、でも、どこかタイムも求めていたので、複雑な気持ちだったが、レースの後、加藤コーチに会った時や、表彰式の後に選手団のみんなの顔を見て、頑張ってきてよかったなと心から思った」と、こみ上げる気持ちを抑えるように話しました。
そのうえで、「自分が描いていたレースプランはできなかったが、力を出し尽くすことはできた。きのう準決勝で自分のメニューで行ったウォーミングアップがうまくいかず、きょうの決勝前は加藤コーチのメニューで練習した。最後に加藤コーチを信じ続けたことで金メダルを取ることができた。長い水泳人生の中で何度もチャンスがあったが、やっとメダルを取ることができて、「お待たせしました」という気持ちだ。みんなに金メダルを持って帰りたい」と笑顔を見せていました。

加藤コーチ「背中がすごく強く見えた」

金藤理絵選手を指導する加藤健志コーチは、「きのうの準決勝まで泳ぎが“すかすか”で空回りしていたので、きょうの練習は、25メートルを全力で泳ぎ筋肉にスイッチを入れるよう指示した。理絵は「わかりました」と珍しく素直に受け入れてくれ、やっとキックや腕のかきがよくなった。これで間に合ったと思った。レース直前は、いつもは細かいことを確認するが、オリンピックの決勝では『絶対に負けるな、攻めろ』とだけ指示した」とレースまでのやり取りを明かしました。
そのうえで、「絶好調ではなかったので、レースを見ていて怖かった。ただ、最後の50メートルは、背中がすごく強く見えた。最後の最後に人間はあんなにも変われるのか、というくらい強くなった。スターのタイプではない不器用な理絵が金メダルを取ったことで、人は一生懸命何かをやり遂げると考えられないくらい成長できる、ということを証明できた。本当に感無量です」と熱い口調で話していました。

前半から積極的に泳ぐスタイルに挑戦

金藤選手は広島県出身の27歳。オリンピックは2大会ぶり2回目の出場です。平泳ぎが専門で、身長1メートル75センチの長身を生かしたひとかき、ひとけりの大きな泳ぎで後半に追い上げるレース展開を得意としています。
19歳で初出場した2008年北京オリンピック、200メートル平泳ぎで7位に入賞し、その後、平泳ぎの中心選手に成長しましたが、前回ロンドンオリンピックで代表入りを逃し、その後の3年間も国際大会で結果を残せず、引退を考えた時期もありました。
しかし、去年8月の世界選手権で6位に終わったあと、「このまま引退したら応援する人たちに申し訳ない」と気持ちを入れ替え、ひとかきで水をより多くとらえるフォームに改良したうえで、レースの後半だけでなく前半から積極的に泳ぐスタイルに挑戦してきました。
ことし4月の日本選手権では2分19秒65と、女子200メートル平泳ぎの日本選手で初めて2分20秒を切る好タイムをマークして自信を深め、金メダルを見据えてオリンピックに臨みました。

一時は引退検討 コーチの後押しで復活

金藤選手は、前回ロンドン大会の出場を逃した後、国際大会でも思うような結果を残せず、引退が何度も頭をよぎり、そのたびに大学時代から指導を受ける加藤健志コーチや周囲の人に説得されて現役を続けましたが、金藤選手の中には「やらされている」という義務感がぬぐえませんでした。
しかし、再び引退を覚悟して臨んだ去年8月の世界選手権で、消極的な泳ぎで6位に終わった時、金藤選手は「これが最後のレースになるのは情けない」と、初めて自発的に現役を続けたい気持ちが芽生え、加藤コーチにリオデジャネイロオリンピックでメダルを目指すことを伝えました。
金藤選手と加藤コーチが掲げた目標は「2分18秒台」、つまり、世界新記録での金メダルでした。加藤コーチはこの秘策として、後半型の金藤選手に、前半から積極的に攻めることを授けました。
金藤選手は、トップ選手の中でも多い、1回当たり1万メートル近くを泳ぐ練習を1日3回取り組み、腕のかきを強くするためにフォームを修正したり、上半身のウエイトトレーニングを増やしたりしてきました。
さらに、熱血漢の加藤コーチは、「世界中の誰より自分が前にいても、絶対にバテない自信をつけろ」など、力強い言葉で励まし続け、弱気になりがちな金藤選手の心を鍛えたのです。
金藤選手は、決勝で目標としてきた世界記録には届きませんでしたが、「加藤コーチの顔を見て頑張ってきてよかったと心から思った」と話し、諦めずに競技を続けてつかんだ金メダルを首に提げ、笑顔を見せました。

【鳥巣注】

「脇腹の筋肉をつけるだけで10年間かかった。それ以上に感動したのは、金藤の変わりようだった」(加藤コーチ)

*********

PS①
 
 中学校の頃に卓球部に所属していた事もあり、今回の水谷準選手の銅メダルは印象的です。準決勝での中国・馬龍との戦いもーーとくに3、4セットはーー見事でした。

卓球男子シングルス 水谷が銅メダル




 
水谷選手が銅メダルを獲得後のインタビューに過去を振り返り「苦しい事ばかりでした。今日後悔するようなら死ぬかもしれないと思った。だから、諦めなかった」。

鳥巣清典の時事コラム1556「トルーマン大統領『こんな破壊行為をした責任は私にある』❺」

歴史的スクープNHK『決断なき原爆投下』❺。

「NHKスペシャル」の画像検索結果


真相を知らず「軍事拠点の広島に原爆を投下」とトルーマン


27、「作戦は完全に成功した」

「広島に原爆」の画像検索結果

 このときトルーマンは大西洋の船の上にいた。戦後処理を話し合うポツダム会談の帰り道だった。

「ポツダム会談」の画像検索結果

 原爆投下の一方を受けたトルーマンは船の中で現実を知らされてはいなかった。あくまで軍事目標に落としたと強調していた。「先ほどアメリカ軍が日本の軍事拠点広島に1発の爆弾を投下した。原子爆弾がこの戦争を引き起こした敵の上に解き放たれたのだ」(ラジオ演説)。
 この時、軍の思惑に気づいていなかったとみられている。

グローヴスは原爆開発科学者に「君達を誇りに思う」


28、ワシントンで報告を受けたグローヴス。原爆を開発した科学者に報告し「君達を誇りに思う」とねぎらった。

「グローヴス」の画像検索結果


真相を知り「こんな破壊行為をした責任は(大統領の)私にある」


29、政権と軍の思惑がかけ離れたまま投下された原爆。トルーマンが認識の誤りに気付いたのはワシントンに戻った直後だった。その時の言葉ーー陸軍長官スティムソンの日記に克明に記されていた。
<8月8日の午前10時45分、私は大統領を訪ねた。そして広島の被害をとらえた写真を見せた>。

 このとき見せたとされる写真。空から撮影された原爆投下直後の広島。直系5キロの市街地がことごとく破壊されていた。これを見せながら広島の被害について説明したスティムソン。

 そのときトルーマンが発した言葉も記されていた。
「こんな破壊行為をした責任は、大統領の私にある」

 明確な決断を行わなかった自らの責任に気づいたのだ。


全閣僚を前に「考えただけでも恐ろしい」(トルーマン大統領)


30、しかし動き始めた軍の作戦は、止まる事なく暴走していく。同じ日テニアン島では、すでに2発目の原爆の準備が整っていた。止められるのは、最高司令官の大統領だけ。しかし、原爆は長崎に投下される。広島の写真を見た半日後の事だった。
 トルーマンはこの時の心境を友人への手紙に記していた。
<日本の女性や子ども達への慈悲の想いは私にもある。人々を見殺しにしてしまった事を後悔している。>


31、8月10日トルーマンは全閣僚を集め、これ以上の原爆投下を中止する決断を述べた。トルーマンが、この場で発した言葉ーー「新たに10万人、とくに子どもたちを殺すのは考えただけでも恐ろしい」。

32、3発目の準備をしていたグローヴス。大統領の決断には従うしかなかった。「3発目の準備を中止させた。大統領の新たな命令がない限り投下はできなくなった」(グローヴス)
 日本への原爆投下がようやく止まった。

33、原爆が落とされた広島。そして長崎。黒焦げになった少年。寄り添うように焼けて亡くなった親子。地表は数千度に達したという。

 大統領が初めて下した決断。21万人以上の命を奪った末の遅すぎる決断だった。


「戦争を早く終わらせ米兵の命を救うため」と世論操作


34、大統領の明確な決断のないまま行われていた原爆投下。このあとトルーマンは、その事実を覆い隠そうとしていく。長崎への投下の24時間後、国民に向けたラジオ演説で用意された原稿にはなかった文言が加えられていた。
「戦争を早く終わらせ、多くの米兵の命を救うため原爆投下を決断した」

 多くのアメリカ兵の命を救うために原爆を落としたという。研究者はこの言葉が市民の上に落とした責任を追及されないよう後付で考えられたものだと指摘する。
「トルーマンは、軍の最高司令官として投下の責任を感じていた。例え非道な行為でも投下すべき理由があったというのは大統領にとって都合の良い理屈だった。この時、命を救うために核を使ったという物語が生まれました。世論を操作するため演出されたのです」(研究者)

35、8月15日、日本が降伏すると世論調査で8割のアメリカ国民が原爆投下を支持した。原爆投下は正しい決断だったという定説が生まれた。その後、原爆による被害の実態が不明のまま、世界では開発競争が続いていった。

 
「トルーマン」の画像検索結果

 原爆投下から18年後、トルーマンは1度だけ被爆者と面会したことがある。その時の映像。被爆者に対し原爆を投下したのは日本人のためでもあったと説明していた。
「原爆投下の目的は、アメリカ人と日本人、それぞれ50万人の犠牲者を出さずに戦争を終わらせるためだった」(トルーマン)
 最後まで目を合さず、面会は3分ほどで打ち切られた。


事実を語らぬまま88歳で生涯を閉じたトルーマン


明確な決断をしなかった責任。それを覆い隠そうとしたトルーマン。事実を語らぬまま88歳で生涯を閉じた。

 あの日、トルーマンと面会した被爆者が今も広島で健在だった。森下さんーー85歳。「我々被爆者とトルーマンと会うという事になったのですが、下でそれを見守っていました」。森下さんは、当時の落胆の気持ちを今も忘れる事はできない。「肩すかしみたいな感じでした。原爆投下を決定したとき、幼い命のたくさんある事を考えなかったのか」。
 森下さんが被ばくしたのは14歳のとき。同じ中学校の生徒のうち350人以上が犠牲になった。なぜ子どもの命が奪われなくてはならなかったのか。考え続けてきた。トルーマンが原爆投下は軍事目標に限ると記していた日記を見て貰った。
「女性や子どもを犠牲に・・しない・・。幼い命に想いを致さなかった訳ではない。それを絶対に押しきれなかった。それが残念ですよね」

 この夏も森下さんが通っていた学校で慰霊祭が行われた。一人一人に夢や希望があった。その事にどれだけ想いが馳せられていたのか。改めて仲間たちの無念と向き合う事になった。
「本当に安らかに眠れているかどうか。改めて想い起しましたね」

36、71年前、兵器の効果を示すため市民の頭上に落とされた原子爆弾。計画の実現だけを考えた軍の危うさを指導者は見逃した。事実は書き変えられ、原爆は正当化されていった。戦争は何をもたらすのか。広島、長崎が突き付ける重い問いかけなのだ。

******



【参考文献】

吉田守男著『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』(朝日文庫)

 

鳥巣清典の時事コラム1555「22億ドルの原爆計画ー効果を証明しないと追及を受ける❹」

 歴史的スクープNHKスペシャル『決断なき原爆投下』❹。

「NHKスペシャル」の画像検索結果


22億ドルの原爆計画ー効果を証明しないと追及を受ける


21、原爆の実戦での投下が現実のものとなった。一方で日本では多くの都市が空襲で焼け野原になり降伏は間近と見られていた。グローヴスは戦争が終わる前に原爆を使わなければならないと考えた。「原爆が完成しているのにも関わらずに使わなければ議会で厳しい追及を受ける事になる。
 22億ドルの国家予算を使って進めてきた原爆計画。責任者として効果を証明しなければならなかった。

「グローヴス」の画像検索結果


スティムソンの求めにトルーマン大統領は「京都は外す」


22、原爆実験から5日後。部下から緊急の電報が届く。<軍人たちは、あなたのお気に入りの都市を1発目の投下目標とするようです>。軍は京都への原爆投下をまだ諦めてはいなかった。3日後スティムソンはトルーマンに報告、京都を外すように求めた。

「スティムソン」の画像検索結果            「トルーマン」の画像検索結果

<私は京都を目標から外すようにと大統領に求めた。もし一般市民が暮らす京都に原爆を落とすという行為をすれば、戦後和解の芽を摘み日本が反米国家になってしまうと。すると大統領は『全く同感だ』と答えた>(
スティムソンの日記)



「原爆投下はあくまで軍事施設に限る」(トルーマン)だが・・



23、トルーマンは書き残している。「私は原爆の投下はあくまでも軍事施設に限るという事でスティムソンと話した。けっして女性や子どもをターゲットにするような事がないようにと言った」(7月25日トルーマンの日記)

 トルーマンは市民の上へとの原爆投下に反対していた。ところがこの後、大統領の意思とは全く異なる方へ事態は進んでいく。

 トルーマンの元に軍から届いた新たな投下目標を記した文書。最初に挙げられていたのが「広島」だった。34万人が暮らしていた広島。市内には日本軍の司令部が置かれていた。一方で西洋の文化をいち早く取り入れた活気ある市民の暮らしがあった。



軍の報告書「広島は軍事都市」で原爆投下目標に残る



24、ところが報告書には、「広島は軍事都市だ」と強調されていた。

<広島は日本有数の軍事物資の供給など軍の大規模施設が集まる陸軍都市である>
 この報告書について原爆投下の経緯に詳しいアメリカの研究員者たちは、軍が市民の上に落とそうとした事を覆い隠そうとしたと指摘している。



原爆投下も広島市民の被害はないと思い込んだトルーマン



25、「報告書は、広島は軍事都市だと巧みに書かれていた。目標選定を行っていたグローヴスたちが意図的に騙そうとしていたのです」。「軍は原爆によって一般市民を攻撃する事はないと見せかけたのです。トルーマンは広島に原爆を投下しても一般市民の被害はほとんどないと思い込んでしまいました」(いずれも米研究者)

 結局トルーマンが投下目標から広島を外す事はなかった。

25、7月25日グリーヴスが作成した原爆投下指令書が発令される。<最初の原爆を広島、小倉、新潟、長崎のうちの1つに投下せよ。2発目以降は、準備ができ次第投下せよ>
 この原爆投下指令書をトルーマンが承認した事実を証明した事実は見つかっていない。大統領の明確な決断がないまま投下される事になった原爆。



人類初の大量破壊兵器の行使は軍主導で進められた



26、人類初の大量殺りく兵器の行使は軍の主導で進められていく。太平洋に浮かぶテニアン島。グローヴスは日本への空襲の拠点となっていたこの島に現場投下の特殊部隊を集結させた。509混成軍団。全米各地から選抜された爆撃部隊。広島の投下作戦に参加した1人レイギャラガーの証言から作戦の狙いが見えてきた。「司令官から『目標は広島だ』と言われた。『徹底的に破壊しろ』と命じられた。

 軍が作成した広島の投下目標を示した航空写真。目標とされた相生橋。
橋を中心に破壊の指標となる直径5キロの円が描かれていた。地図を立体化すると円は山裾ぎりぎりまで広がっていた。相生橋を目標にしたのは、破壊効果を最大にするためだった。

「相生橋。広島」の画像検索結果     


運んだだけ。地上の人に心向ける事はなかった(原爆輸送パイロット)


「『非常に正確に投下せよ』と命じられ緊張した。その後、味も分からなくなった」。
 8月6日午前1時45分、部隊はテニアン島を離陸。「広島に近づくにつれ誰も口をきかなくなった。深い沈黙が続いた」。
 そして8時15分。



「2度と見たくない光景だった。申し訳ないが地上の人々に心を向ける事はなかった。私たちは『運べ』と命じられたものを運んだだけだ」(原爆を運んだパイロット)



 

鳥巣清典の時事コラム1554「体操男子個人総合 内村が金メダル 2連覇」

体操男子個人総合 内村が金メダル 2連覇

リオデジャネイロオリンピック、体操の男子個人総合は10日、決勝が行われ、日本のエース、内村航平選手が金メダルを獲得し、2連覇を果たしました。この種目の2連覇は44年ぶり、史上4人目の快挙です。

男子個人総合の決勝は予選を通過した24人の選手が出場して、6種目の合計得点で争われます。
予選2位の内村選手は最初の種目のゆかで安定した着地を見せて、15点台後半の高い得点を出しました。
続く、あん馬と、つり輪でもミスのない演技を見せたあと、4種目目の跳馬で、難易度の高い大技を決めて15点台後半の得点をマークし、続く平行棒でも同じく15点台後半の得点を出しました。
しかし、予選を1位で通過したウクライナのオレグ・ベルニャエフ選手が内村選手を上回る演技で、最後の鉄棒を前にトップに立ち、2位の内村選手は合計得点で0.9余りの差を追いかける展開でした。
鉄棒の演技で、内村選手は予選では落下した手放し技を成功させたほか、最後の着地も決めて15.800の高得点を出しました。
一方、最後に演技したベルニャエフ選手は14.800と得点が伸びず、この結果、内村選手は合計得点を92.365として、逆転で大会2連覇となる金メダルを獲得しました。2位のウクライナのベルニャエフ選手とはわずか0.099の差でした。
予選6位の加藤凌平選手は11位でした。
内村選手の男子個人総合の2連覇は、1972年のミュンヘン大会で達成した加藤澤男さん以来44年ぶりで史上4人目の快挙となりました。

内村「幸せな気持ちでいっぱい」

内村選手は「ベルニャエフ選手と競り合う展開だったが、最後の鉄棒しだいだと思っていた。練習を信じて、着地だけは決めようと思って鉄棒に臨んだ。これ以上ない演技ができて、最高の結果を出せて今は本当に幸せな気持ちでいっぱいです」と話しました。

加藤選手「あの舞台に立ちたい」

11位に終わった加藤選手は、「団体決勝から中1日で、体力面はきつくて、精神面でも集中しようと思ったが、結果的にミスが出てしまった。これまで団体を意識して、リスクの少ない演技を心がけてきたが、世界のレベルは上がっていた」と話していました。
また、加藤選手と同じ1993年生まれのベルニャエフ選手と内村選手との熱戦を目の当たりにして、「航平さんは本当にさすがだと思った。ベルニャエフ選手もずっと一緒に戦ってきたが、僕だけ取り残された。これからは2人を目標に、あの舞台に立ちたい」と述べて、さらなる成長を誓っていました。

元代表の齋藤良宏さん「日本の強さ世界にアピール」

2000年のシドニーオリンピックの体操日本代表で、現地で個人総合決勝のラジオ解説を務めた齋藤良宏さんは「すさまじい試合だった。最近の内村選手にとって、前半3種目を終えて追いかける展開は初めてのことで、どうなるかと見ていたが、後半も諦めることなく、完璧な演技を続けたことが勝因だった。最後の鉄棒は、点差を考えると想像できないようなプレッシャーがかかっていたと思うが、精神的にぶれることなく、ふだん通りの演技をしたのは、すごいと思う」と、興奮気味に試合を振り返りました。
そのうえで、「ベルニャエフ選手が技の難度が高い体操をしているのに対して、完成度の高い体操で逆転したことは、日本の体操と個人総合の強さを世界にアピールしたということで意味がある。また、ここまで内村選手を追い詰める選手が出てきて、今後、世界の体操がどうなっていくか楽しみだ」と話していました。

地元の長崎で偉業に喜びの声

内村航平選手の地元、長崎県諫早市では多くの人が集まって声援を送り、ロンドン大会に続く2連覇の偉業に喜びの声が聞かれました。
内村選手の地元、諫早市内の体育館で、11日午前4時ごろから開かれたパブリック・ビューイングには、内村選手の父親の和久さんや妹の春日さんなど、およそ250人が集まりました。
大型スクリーンで演技を観戦し、内村選手の祖母の小川彰子さんが手作りしたという日の丸の旗およそ100本を振りながら、集まった人たちが応援しました。
2位で迎えた最後の種目の鉄棒で内村選手が見事な着地を決めると、会場からは大きな拍手が上がりました。そして、最後に逆転して金メダルを獲得し、ロンドン大会に続く2連覇が決まると、応援していた人たちは立ち上がって抱き合うなどして喜んでいました。
内村選手の父親の和久さんは「最後まで分からず、ひやひやしていました。よい演技で金メダルを取れたのは皆さんのおかげです」と話していました。
妹の春日さんは「あのプレッシャーの中で、演技ができるのが強さだと思います。かっこよかったです」と話していました。

柔道女子70キロ級 田知本が金メダル

NHK8月11日

リオデジャネイロオリンピック、柔道女子70キロ級で田知本遥選手が金メダルを獲得しました。

オリンピック2大会連続出場の田知本選手は1回戦で一本勝ちしたあと、2回戦と準々決勝を、いずれも延長戦の末、勝ち上がり、準決勝に進みました。
準決勝ではドイツのラウラ・バルガスコッホ選手と対戦し、序盤から積極的に攻めた田知本選手は、大外刈りで技ありを奪って優勢勝ちしました。
決勝ではロンドン大会の銅メダリストでコロンビアのジュリ・アルベアル選手と対戦し、谷落としで技ありを奪ったあと、抑え込みで一本勝ちし、金メダルを獲得しました。
田知本選手は「最後に抑え込んだときは、もう絶対離さないと思ったし、自分で秒数は見えなかったのですが、あと何秒って思って耐えました」と話していました。
オリンピックのこの階級での日本選手の金メダル獲得は、北京大会の上野雅恵さん以来2大会ぶりで、今大会の柔道女子では初めての金メダルです。

田知本選手「試練のすべてが成長させてくれた」

田知本遥選手は2回戦で世界ランキング1位のオランダのキム・ポーリング選手と対戦し、終始、積極的に技を繰り出して延長戦の末、有効を奪って勝ちました。
田知本選手は「この試合が山で、自分は金メダルか、メダルなしか、どちらかだと思っていたが、勝てれば絶対に金メダルを取れると思っていた」と振り返りました。
決勝で対戦した、コロンビアのジュリ・アルベアル選手は日本人が指導し、頻繁に日本でも練習している選手で、田知本選手は「手の内を知られていて少し嫌だったが、最高の舞台で自分の力を出しきろうと思った。技に気持ちを乗せると言い聞かせて戦った」と話しました。
そして、抑え込みで勝負がついたことについて、「オリンピックで勝つなら確実な抑え込みでと、ずっとイメージしていた。想像どおりになって、うそみたい」と笑顔を見せました。
田知本選手は去年、海外での国際大会の前に不注意から市販の風邪薬を飲んだため、出場を取り消すことになって処分を受けたときや、ともにオリンピック出場を目指した姉の愛選手が、ことし4月の最終選考会で敗れて出場を逃した時など、精神的に苦しい時期もありましたが、それを乗り越えての金メダルでした。
田知本選手は「姉が負けたあと、ショックで一時、練習に集中できかなったが、ずっとそばにいてくれていると感じていた。きょうの日のために今までの試練があった。いっぱいありすぎて『なんで』とも思っていたが、そのすべてが自分を成長させてくれた」と感慨深そうに話しました。

南條監督「人間的成長が金メダルに」

柔道女子日本代表の南條允寿監督は「当初は最初の4階級で金メダル量産と考えていた。うれしい誤算ではないが、女子の7人の代表選手でただ1人、世界選手権やオリンピックのメダルを取ったことのない田知本が最高の結果を出し、あすからの2人にもつながる」と話し、今大会日本女子初の金メダルを喜んでいました。
そのうえで、田知本選手が去年、海外での国際大会の前に不注意から市販の風邪薬を飲んだため、出場を取り消すことになって処分を受けたことについて、「多くの人に迷惑をかけ騒ぎにもなったが、代表選手として責任感を持って行動しないといけないという思いが強くなった。人間的に成長するきっかけになり、それがきょうの金メダルにつながった」と分析していました。

田知本選手のこれまで

女子70キロ級の田知本遥選手は富山県出身の26歳で、2大会連続のオリンピック出場です。
初出場だったロンドン大会では準々決勝と敗者復活戦で敗れ、7位に終わりました。その後3年間は世界選手権の代表の座を国内のライバルたちに奪われましたが、去年7月と10月に国際大会を2連勝し、ことし2月の国際大会でも2位に入るなど実績を残しました。そして、4月の国内最終選考会で優勝し、2大会連続でオリンピック代表の座を勝ち取りました。
田知本選手は世界選手権でも個人でのメダルはありませんが、今大会は快進撃を続け、日本のこの階級では北京大会まで2連覇した上野雅恵さん以来となるオリンピックの金メダルを獲得しました。

地元の富山で後輩らが声援

田知本選手の地元、富山県射水市では中学校や高校の柔道部の後輩などが集まって声援を送りました。
射水市にあるアイザック小杉文化ホールでは10日午後10時からパブリック・ビューイングが行われ、田知本選手が通った小杉中学校や小杉高校の卒業生や柔道部の後輩など、およそ200人が集まりました。
会場には大型のスクリーンが設置され、決勝でロンドン大会の銅メダリスト、コロンビアの選手を抑え込むと会場は大きな歓声に包まれ、一本勝ちが決まった瞬間、抱き合って喜んでいました。
中学校時代の柔道部の先輩に当たる男性は「田知本選手の快挙に心が震え、金メダルが決まった瞬間は鳥肌が立ちました。心から『おめでとう』と伝えたい」と話していました。
高校時代に監督として指導した二瀬寛之さんは「高校時代から非常にまじめで、1つ1つの課題に対しきっちりやる選手だった。きょうは隙のない柔道で目標の金メダルを取ってくれて本当にうれしいです」と笑顔で喜んでいました。


柔道男子90キロ級 ベイカー茉秋が金メダル

リオデジャネイロオリンピック、柔道男子90キロ級で10日、ベイカー茉秋選手が金メダルを獲得しました。柔道男子で日本選手は今大会、2個目の金メダルです。

初めてのオリンピックのベイカー選手は、初戦の2回戦から準決勝までの4試合すべてを一本勝ちし、決勝に進みました。
決勝では去年の世界選手権の銅メダリスト、ジョージアのバーラム・リパルテリアニ選手と対戦し、開始2分すぎに大内刈りで有効のポイントを奪いました。最後まで攻め続けたベイカー選手は、そのまま優勢勝ちし、金メダルを獲得しました。
柔道男子は今大会、73キロ級の大野将平選手に続いて2個目の金メダルです。
また、今の階級で行われるようになった2000年のシドニー大会以降、日本選手が男子90キロ級で金メダルを獲得するのは今回が初めてです。
ベイカー茉秋選手は「オリンピックチャンピオンになることだけを考えてこの4年間ずっと、戦い続けてきたので、一戦一戦、全力で臨みました。夢が叶って、よかったです。本当は決勝も一本勝ちしたかったのですが、簡単にはいきませんでした。でも、結果として優勝できたのですごい、うれしいです」と話していました。

ベイカー選手「歴史に名前刻んだ」

ベイカー茉秋選手は「2日前に金メダルを獲得した大野選手が普通の国際大会と思って戦ったほうがいいと話していたので、じゃあ、自分もそれでやろうと思って、ふだんどおり戦った。特別な感情を持たず、1試合1試合に集中したことが金メダルにつながった」と、初めてのオリンピックでも平常心を貫いたと説明しました。
ベイカー選手は、ことし5月の国際大会で右肩を痛めていて、「なかなか練習できず、調子も上がらなかったが、その中でも、やれることを精いっぱい、きょうまでやってきた。きょうは痛みを感じることなく戦うことができた」と振り返りました。
外国選手の層の厚い90キロ級で日本勢として、初めてオリンピックの金メダルを獲得したことについては「周りからはだんだん実感が出てくると言われたが、正直、今は実感がない。ただ歴史に自分の名前を刻めてよかった」と満面の笑顔で喜んでいました。

井上監督「精神力のすごさ感じた」

ベイカー茉秋選手について、男子日本代表の井上康生監督は「強心臓というか、どんな場面でも動じない彼の精神力のすごさを今回改めて感じた。初戦を非常にいい形で勝ち上がったことがその後の勢いにつながったし、勝ち上がるたびにテンションを上げていった」と、21歳の若さと勢いを勝因にあげました。
また、外国選手の層が厚いこの階級でこれまで日本勢はオリンピックの金メダルがありませんでしたが、井上監督は「この事実を大会前の合宿で彼に伝えたとき、それを目指してやってやろうという強気な気持ちが伝わってきた。そしてそのとおりに新たな歴史をつくった」とたたえました。
そして、「大舞台になればなるほど強く、たくましくなる。4年後の東京オリンピックで2連覇を達成するため、成長し続けてもらいたい」と、さらなる活躍に期待をかけました。

ベイカー茉秋選手のこれまで

男子90キロ級のベイカー茉秋選手は東京都出身の21歳です。アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれ、今回が初めてのオリンピック出場です。
世界選手権では初めて出場した、おととしは2回戦敗退、去年は準々決勝で敗れましたが、敗者復活戦を勝ち上がって銅メダルを獲得しました。
得意技は大内刈りと大外刈りで、ウエートトレーニングで鍛え上げたパワーとスタミナを前面に押し出して戦います。
世界ランキングの上位選手が出場する、ことし5月のワールドマスターズで優勝し、今大会の日本勢ではただ1人、第1シードとしてオリンピックに臨みました。
90キロ級は今の階級区分で行われるようになった2000年のシドニー大会以降では、2004年のアテネ大会で泉浩選手が獲得した銀メダルが最高で、これまで金メダルはありませんでした。

母校で家族や友人が声援

ベイカー茉秋選手が通った東京・千代田区の小学校では、家族や友人たちが大きな声援を送り、金メダルの獲得を抱き合って喜びました。
母校の千代田区立昌平小学校に設けられた応援会場には、10日午後10時前から家族や友人、そして恩師らおよそ100人が応援に駆けつけました。
「必勝」と書かれたうちわなどを手に、大型のスクリーンでテレビの中継を見守り、ベイカー選手が1本勝ちを決めるたびに大きな歓声が沸き起こっていました。そして、11日午前5時20分すぎに決勝が始まると、「頑張れ!」などと、ひときわ大きな声援が送られました。ベイカー選手が優勢勝ちで金メダルの獲得を決めた瞬間、立ち上がって抱き合うなどして喜んでいました。
ベイカー選手の祖母の小林リナさん(75)は「毎日毎日練習を頑張っていた姿を見ていたので、本当にうれしいし、幸せな気持ちです。帰ってきたら『ありがとう』と言いたいです」と話していました。
また、ベイカー選手と同じ保育園と小学校に通った、大学4年生の本田亜美さん(22)は「小さい頃のベイカー選手は元気で活発でした。試合中はドキドキしっぱなしでしたが、最後は笑顔が見られてよかったです。同じ世代の活躍は誇りに思うし、自分も頑張りたいと思います」と話していました。

鳥巣清典の時事コラム1553「チャチャチャ 『正しいことは美しい』=大竹辰郎氏」

チャチャチャ



4拍子の4拍目で2回足踏み

(以下は、石川浩之・菅野純代組の動画より)

 
 チャチャチャの音楽は4拍子です。そして4拍目で2回足踏みをします。
シャッセで足をそろえる時は、膝をまげて、ボールだけの状態でその足を使って送り出します。逆でも、ボールの部分で床を蹴って送ります。

後にしっかり足を掛ける

 基本的にはルンバウオークと似ているのですが、チャチャチャの場合は音楽が速い。その速さに対応できるようにやっていきましょう。
 まず4&1--前進ロックなのですが、ルンバと同じように左足を使ってムーブメントがあり、二―バックがあり、でステップしていきます。
 前進ステップーーそこでヒップが入って後ろに足を掛けます。掛ける時に、掛け方が不十分で浅くなったりとかしないでしっかりと後ろに掛けてください。

掛ける後ろ足は前足と交差する位置

掛ける後ろ足は、前足と交差する位置です。
 そのあとウエイトが後ろにしっかりと乗って、右足がちゃんと曲がって、それから前へステップしていきます。
ウオーク
ツー&
スリー&
フォー&=ここで後ろに掛けます。

後ろ足にウエイトを掛け、その足で前進

後ろの足にウエイトを掛け、その足を使って前進ステップをしていきます。

ステップと同時にヒップアクションも加えましょう。あせらず、あわてずに出来るだけ一歩一歩にタメを作る動作が重要です。テンポの速さに気を取られ過ぎてヒップアクションを疎かにしないように。

~~~~~~
(以下は、chachacha001 ~
chachacha003大竹辰郎・鈴木孝子組の動画より)

「正しいことは美しい」
(大竹語録)
「大竹辰郎」の画像検索結果


ーー正しい踊りをすれば、自然と美しい踊りになっていく。

<大竹組のルンバ>

1、右足体重からはじめます。
2、左足、少し外に向けて前進します。
3、右足に体重を移します。
4、左足、右足の少し半ばにクローズします。
5、そのまま体重を移して、右足後退。
6、左足に体重を移します。
7、右足前進しながら、少しずつ横に回転していって、最後まっすぐ女性に向かって終わります。

(注)私たちー大竹組ーは最初に必ず「フォーワン」と踏みます。よかったら、やってみて下さい。

<大竹組のチャチャチャ>
◎「前進ロック」
1、右足から前進した場合に、右足に乗ってから左足を右足の膝の後ろーーちょうど左足の膝が右足の膝にかかる状態に交差します。そのときに左足の踵は上がっています。ちょうど右足と左足の中間にある状態ーー私たちはこの状態をラテン・クロスと呼んでいます。
2、それから左足の踵を上げたまま、そのまま左足で体重をプッシュしながら右足に体重を移します。

◎「シャッセ」
1、ロックが縦の動きだと、シャッセは横の動き。横にステップを踏みます。つま先の方からーー私はつま先と呼んでいますが、ボールです。ボールからヒールを付きます。要するにフラット。全部足の裏を集めた形になります。
 そのまま左足を右足に持ってきますが、きれいに揃える必要はありません。かといって、あまり開きすぎてもおかしい。引き寄せると言った方が早いかもしれません。このときも左足はボールフラット、ベタ足の状態で付きます。
 そのまま左足で体重を送って、右足に体重を移します。

2、ステップとしては難しくはありませんが、間違える人が多い。というのは、ルンバでも説明してきましたがラテンを踊るときに重要になるのがヒップアクション。膝が曲がってはいけないというルールがあり、そのために体重を下ろすとはみ出るのがヒップアクション。
 チャチャチャの場合はロックしたとき、中間バランスのときはヒップアクションは原則としてありません。後ろ足で送って右足に乗ったときに次のためにヒップアクションはあります。足をクロスしたときはヒップアクションはありません。
 ロック・シャッセのその中間のとき、カウントを言いますと「4&(フォーアンド)」と言ったときには原則としてヒップアクションはないという事を頭において下さい。

【鳥巣注】
 膝をゆるやかに使い動きも優雅なモダンのスローフォックストロット。膝を曲げてはいけない速い動きのラテンのチャチャチャ。好対照ですが、私は間違いなくモダン向きのようです。それでも、なんとか克服せねば・・。

****:

PS①

 「正しい踊り」、その域に達するのは並大抵ではありません。「チャチャチャ」は、ビギナーレベル。スローに傾注しているとはいえ、さすがにマズイーーレッスン後に、同期のТО氏と一緒に喫茶店でE先輩のアドバイスを受けました。80歳代E氏の意見は「とにかくチャチャチャのリズムは速い。足を掛けたりして一旦遅れると回復が難しい。リズムに付いていくのが最優先。『スリー&フォー』のところで、つま先でチャチャチャとリズムを踏むのが現実的だと思うよ」。テーブルの上で足型の動きを
指先を使って見せてくれました。もちろんE先輩がラテン好きで得意なのは知っています。
 またE先輩に追いつくように試行錯誤の始まりです。
 「マンボ→ルンバ→チャチャチャの順で覚えると良いそうですよ」と言うТО氏と「自宅で練習」を誓い合いました。

<マンボ、サルサ、キューバンルンバ、チャチャチャ。全て同じ仲間なので、ひとつ勉強すると全て踊れるようになります>という解説もあります。うすうす感じてはいたのですが「ルンバ」の検証が必要ということのようです。

PS②

 リオ五輪での内村航平選手の体操個人総合を見ていてふとーー。
ゆか・つり輪・あん馬・跳馬・平行棒・鉄棒の6種目を1人で行います。

「内村航平」の画像検索結果

 現在習っている社交ダンスは、タンゴ、クイック、ワルツ、ルンバ、スロー、チャチャチャ、サンバと7種目。それぞれに特色があり、難しさがあります。

鳥巣清典の時事コラム1552「リオ五輪『体操男子団体 日本が金メダル 3大会ぶり』」

体操男子団体 日本が金メダル 3大会ぶり

リオデジャネイロオリンピック、体操の男子団体で日本はアテネ大会以来、3大会ぶりとなる金メダルを獲得しました。

体操の男子団体の決勝は予選上位の8チームが出場して6種目で各チーム3人の合計得点で争われました。
日本は1種目目のあん馬で最初に演技したエースの内村航平選手が安定した演技を見せ、さらに3種目目の跳馬で内村選手とオリンピック初出場の19歳、白井健三選手が15点台後半の高い得点をマークしました。
4種目目の平行棒では、予選でミスが出た田中佑典選手が本来の美しい演技で15.900の高得点を出すなど演技した3人全員が15点台を出して得点を伸ばしました。
日本が得意とする鉄棒でも落下するなどの大きなミスがなく、3人全員が15点台を出して5種目を終えた時点で初めてトップに立ち、最後の種目のゆかを迎えました。
ゆかでは最初に演技を行った白井選手がみずからの名前の付いた難しい技を決めるなど16.133の高得点をマークしました。そして最後に登場した内村選手がミスのない演技で15.600を出して、日本が合計で274.094の得点で2位のロシア、3位の中国に2点以上の差をつけて金メダルを獲得しました。
この種目での日本の金メダル獲得は、アテネ大会以来、3大会ぶりです。日本は予選ではチームでミスが相次ぎ、4位での決勝進出でしたが、決勝に向けて課題を修正して実力を発揮し、悲願の金メダルを獲得しました。

内村航平選手

内村航平選手は長崎県出身の27歳。オリンピックは3大会連続の代表です。3歳で体操を始め、大学1年生のときにゆかで高難度の宙返りを繰り出して注目を集め、2008年の北京オリンピックでは個人総合で銀メダルを獲得しました。驚異的な空中感覚と着地の強さを持ち、6種目すべてで難度が高い技を美しく正確に行い、抜群の安定感を誇る世界最高のオールラウンダーです。個人総合では、2008年9月以来負けがなく、前回のロンドンオリンピックで金メダルに輝いたほか、世界選手権では前人未到の6連覇を達成するなど圧倒的な強さを見せています。リオデジャネイロオリンピックでは、アテネオリンピック以来、3大会ぶりとなる悲願の団体金メダルとともに、個人総合2連覇、種目別ゆかでの金メダル獲得が期待されています。

6種目すべてで安定した演技を見せたエースの内村選手は、「ここまですごく努力してきたことが金メダルにつながった。このメダルはこれまでの頑張りも加わってとても重く感じる」と笑顔を見せながら話しました。アテネ大会で日本が獲得した団体の金メダルを目標とし続けていたことについて質問されると、「アテネは自分たちの中で超えられていないと思うと同時に、僕たちは僕たちの歴史を作り出すことができたと思う」と話していました。

加藤凌平選手

加藤凌平選手は埼玉県出身の22歳。2大会連続のオリンピック代表です。元日本代表の選手で、現在は所属チームの監督を務める裕之さんを父に持ち、幼い頃からトランポリンなどで培った空中感覚を生かした安定感のある演技が持ち味です。前回のロンドンオリンピックでは、ゆかの実力を評価されてチーム最年少で代表入りし、ほかの選手にミスが相次ぐなか、ミスのない演技を見せて団体の銀メダルに貢献しました。その後は、日本代表に選ばれ続け、3年前の世界選手権では個人総合で内村航平選手に次いで2位となるなど、次世代のエースと期待されています。

加藤選手は、最後の種目のゆかでエースの内村航平選手の前に演技したことを振り返り、「内村選手につなげられる演技ができてよかった。金メダルは本当に重くて歴史を作れたのかなと思う。この舞台で演技ができて幸せだった」と話していました。

白井健三選手

白井健三選手は神奈川県出身の19歳、大学2年生で初めてのオリンピック代表です。両親が指導者、2人の兄も選手という体操一家に育ち、得意のひねりを生かし、5年前、中学3年生で出場した全日本種目別選手権のゆかで、内村航平選手に次ぐ2位となり、一躍、脚光を浴びました。その後は、抜群の跳躍力とひねりのスピードを武器に世界トップレベルのひねりの技を身につけ、3年前に日本史上最年少の17歳で出場した世界選手権では、ゆかで優勝しました。去年は、世界選手権のゆかで圧倒的な力を見せて2回目の優勝を果たし、団体ではもう1つの得意種目、跳馬でも高得点をマークして優勝に貢献しました。白井選手はこれまでに、ゆかで3つ、跳馬で1つの合わせて4つで、自分の名前がついた技を持っています。今回の代表選考では、力をつけている平行棒などでも得点を伸ばし、個人総合で争う全日本選手権で内村選手に次ぐ2位に入るなど、総合力の成長も印象づけました。大舞台での勝負強さには定評があり、初のオリンピックでは、団体のゆかと跳馬での高得点だけでなく、種目別のゆかの金メダルも期待されています。

ゆかで16点台の高い得点を出した白井健三選手は、「力が入り過ぎずにいい演技ができたのはチームのみんなのおかげだと思う。人生でいちばん心臓に悪い日と言っても過言ではなかったが、間違いなくいちばん幸せな日になったと思う。残る個人総合や種目別で日本の勢いが落ちないようにしていきたい」と話していました。

田中佑典選手

田中佑典選手は和歌山県出身の26歳。2大会連続のオリンピック代表です。体操一家に育ち、ロンドンオリンピックでは、兄の和仁選手、姉の理恵さんと共に、きょうだい3人全員が代表に選ばれました。手の先から足の先まで、まっすぐに伸びた美しい姿勢が持ち味で、平行棒と鉄棒を得意としています。ロンドンオリンピックの男子団体で銀メダルを獲得したあとは、6種目の総合力に磨きをかけ、おととしの世界選手権では、個人総合で3位に入りました。エースの内村航平選手と加藤凌平選手に続いて、複数の種目で団体に貢献することが期待されます。

予選でミスをした4種目目の平行棒で、正確な演技を見せて15.900の高得点を出した田中選手は、「自分はオリンピックで活躍するために頑張ってきたんだということをもう1度考えて、吹っ切れた状態で決勝に臨んだ。言うことない演技ができたと思う。日本に帰ってからいろんな人に金メダルを見てもらいたい」と涙をにじませながら話していました。

山室光史選手

山室光史選手は茨城県出身の27歳。2大会連続のオリンピック代表です。日本チームの弱点であるつり輪に加え跳馬も得意とし、総合力に優れ、高校3年生のときの全国高校総体では同学年の内村航平選手を抑えて個人総合で優勝しました。初めてのオリンピックだった前回のロンドン大会では、団体決勝の跳馬で着地に失敗して左足の指を骨折するアクシデントがありました。その後はけがに苦しみましたが、去年夏のアジア選手権でつり輪で優勝したほか、平行棒ではG難度の新技を成功させ、「ヤマムロ」と名付けられました。団体では、最も得意とするつり輪に加えて、複数種目での活躍が期待されます。

決勝で、あん馬とつり輪の演技を行った山室選手は、「自分が最初の種目のあん馬でミスをして、その後は応援の声を出すしかありませんでしたが、チームがいいムードで盛り上がり金メダルを取れて、みんなに感謝しています」と振り返りました。金メダル獲得については、「あまり実感が湧いていませんが、ただただ、よかったなと思います」と笑顔で話していました。

一丸で取った金

体操男子団体の決勝を現地で見守った、アテネオリンピック団体チームのキャプテン、米田功さんは、「前半ミスがあったが、後半の出だしの種目の平行棒で1人目に演技した田中佑典選手が、これまで見た中でもいちばんいい、完ぺきな演技でいい流れを作ってくれた。これまではエースの内村航平選手1人が優れたチームだったが、今回は内村選手を見ながら、それぞれを補う活躍があり、チームが一丸となって取った金メダルだ。内村選手が『団体金メダル』と言い続けてきたことが、チームメイトを引き上げ、結果につながったと思う」と日本の戦いを振り返りました。
また、みずから達成したアテネ大会以来の金メダルに、「自分たちのころより10倍も100倍も難しくなっている技を、やりきったことがすごい。中国の3連覇を阻んで金メダルを奪い返したことに意義があり、4年後の東京ではより高い目標を求められると思うが、そこに向けても大きな弾みになる金メダルだ」と選手の活躍をたたえていました。

すばらしい演技に感謝

アテネオリンピックの体操男子団体決勝で、鉄棒の最終演技者として、金メダルをつかむ着地を決めた冨田洋之さんは、国際体操連盟の技術委員として、現地の会場で団体決勝の運営に携わっていました。
冨田さんは、「選手それぞれが自分の演技に集中していたことが勝因だと思う。ライバルの中国とアメリカが序盤でミスをしたことも、精神的な余裕につながったと思う。ポイントは平行棒で、田中佑典選手と加藤凌平選手が会心の演技をしたことで、金メダルに近づいた印象があった。『すばらしい演技を見せてくれて、ありがとう』と言いたい」とコメントしています。

金メダルの要因

体操男子の日本チームが、団体金メダルを獲得できた最大の要因は、4年前のロンドン大会の失敗を教訓に、チーム一丸となってミスをカバーした総合力にあります。
ロンドン大会では、日本は、内村航平選手に出たミスが連鎖して、ほかの選手にもミスが相次ぐとともに、雰囲気も悪く誰もカバーできず銀メダルに終わりました。
今回の決勝で、日本は、最初のあん馬で2人目の山室光史選手がいきなり落下し、
ロンドン大会を思わせる嫌な雰囲気になりました。

しかし、続く加藤凌平選手が安定した演技ですぐに悪い流れを断ちきりました。
弱点種目のつり輪は3人が安定した演技でつなぎ、3種目めの跳馬で、1人目の加藤選手が大技を決めてから、内村選手と初出場の白井健三選手もいずれも高得点をマークし、いい流れを作りました。

山室選手が「いい雰囲気で演技できたことが勝因だった」と振り返ったように、演技を終えた仲間を笑顔で迎えたり、演技の合間に声を掛け合ったりする姿が目立ちました。

さらに、後半最初の平行棒。予選ではミスのあった田中佑典選手が「練習を信じて思いきりやるだけ」と臨み、日本伝統の足先まで伸びた”美しい体操”を披露しました。
完成度を示すEスコアはこの種目全体トップの9.100、予選より2点余り高い、15.900をマークし、流れを一気に引き寄せました。

このあと、これまで日本を引っ張ってきたエース・内村選手に、平行棒と鉄棒でミスが出ましたが、安定感が持ち味の加藤選手と田中選手でカバーし、日本が首位に立って最後の種目ゆかに向かいました。

ゆかでは、ひねりの天才、19歳の白井健三選手が持ち味を存分に発揮して16点台の驚異的な得点を出して勝利を決定づけ、最後を内村選手が締めくくりました。
ロンドンから4年。出だしのミスにも諦めず、内村選手に頼るどころかむしろフォローしたチーム。メンバーそれぞれが培ってきた“美しい体操”で1つ1つ演技をつないだ総合力こそが12年ぶりの団体金メダル、“体操ニッポン復活”をもたらしたのです。
~~~~~~

柔道男子73キロ級 大野将平が金メダル

萩野の金メダル 400m個人メドレーで米の6連覇阻む