鳥巣清典の時事コラム1554「体操男子個人総合 内村が金メダル 2連覇」 | 絶対に受けたい授業「国家財政破綻」

鳥巣清典の時事コラム1554「体操男子個人総合 内村が金メダル 2連覇」

体操男子個人総合 内村が金メダル 2連覇

リオデジャネイロオリンピック、体操の男子個人総合は10日、決勝が行われ、日本のエース、内村航平選手が金メダルを獲得し、2連覇を果たしました。この種目の2連覇は44年ぶり、史上4人目の快挙です。

男子個人総合の決勝は予選を通過した24人の選手が出場して、6種目の合計得点で争われます。
予選2位の内村選手は最初の種目のゆかで安定した着地を見せて、15点台後半の高い得点を出しました。
続く、あん馬と、つり輪でもミスのない演技を見せたあと、4種目目の跳馬で、難易度の高い大技を決めて15点台後半の得点をマークし、続く平行棒でも同じく15点台後半の得点を出しました。
しかし、予選を1位で通過したウクライナのオレグ・ベルニャエフ選手が内村選手を上回る演技で、最後の鉄棒を前にトップに立ち、2位の内村選手は合計得点で0.9余りの差を追いかける展開でした。
鉄棒の演技で、内村選手は予選では落下した手放し技を成功させたほか、最後の着地も決めて15.800の高得点を出しました。
一方、最後に演技したベルニャエフ選手は14.800と得点が伸びず、この結果、内村選手は合計得点を92.365として、逆転で大会2連覇となる金メダルを獲得しました。2位のウクライナのベルニャエフ選手とはわずか0.099の差でした。
予選6位の加藤凌平選手は11位でした。
内村選手の男子個人総合の2連覇は、1972年のミュンヘン大会で達成した加藤澤男さん以来44年ぶりで史上4人目の快挙となりました。

内村「幸せな気持ちでいっぱい」

内村選手は「ベルニャエフ選手と競り合う展開だったが、最後の鉄棒しだいだと思っていた。練習を信じて、着地だけは決めようと思って鉄棒に臨んだ。これ以上ない演技ができて、最高の結果を出せて今は本当に幸せな気持ちでいっぱいです」と話しました。

加藤選手「あの舞台に立ちたい」

11位に終わった加藤選手は、「団体決勝から中1日で、体力面はきつくて、精神面でも集中しようと思ったが、結果的にミスが出てしまった。これまで団体を意識して、リスクの少ない演技を心がけてきたが、世界のレベルは上がっていた」と話していました。
また、加藤選手と同じ1993年生まれのベルニャエフ選手と内村選手との熱戦を目の当たりにして、「航平さんは本当にさすがだと思った。ベルニャエフ選手もずっと一緒に戦ってきたが、僕だけ取り残された。これからは2人を目標に、あの舞台に立ちたい」と述べて、さらなる成長を誓っていました。

元代表の齋藤良宏さん「日本の強さ世界にアピール」

2000年のシドニーオリンピックの体操日本代表で、現地で個人総合決勝のラジオ解説を務めた齋藤良宏さんは「すさまじい試合だった。最近の内村選手にとって、前半3種目を終えて追いかける展開は初めてのことで、どうなるかと見ていたが、後半も諦めることなく、完璧な演技を続けたことが勝因だった。最後の鉄棒は、点差を考えると想像できないようなプレッシャーがかかっていたと思うが、精神的にぶれることなく、ふだん通りの演技をしたのは、すごいと思う」と、興奮気味に試合を振り返りました。
そのうえで、「ベルニャエフ選手が技の難度が高い体操をしているのに対して、完成度の高い体操で逆転したことは、日本の体操と個人総合の強さを世界にアピールしたということで意味がある。また、ここまで内村選手を追い詰める選手が出てきて、今後、世界の体操がどうなっていくか楽しみだ」と話していました。

地元の長崎で偉業に喜びの声

内村航平選手の地元、長崎県諫早市では多くの人が集まって声援を送り、ロンドン大会に続く2連覇の偉業に喜びの声が聞かれました。
内村選手の地元、諫早市内の体育館で、11日午前4時ごろから開かれたパブリック・ビューイングには、内村選手の父親の和久さんや妹の春日さんなど、およそ250人が集まりました。
大型スクリーンで演技を観戦し、内村選手の祖母の小川彰子さんが手作りしたという日の丸の旗およそ100本を振りながら、集まった人たちが応援しました。
2位で迎えた最後の種目の鉄棒で内村選手が見事な着地を決めると、会場からは大きな拍手が上がりました。そして、最後に逆転して金メダルを獲得し、ロンドン大会に続く2連覇が決まると、応援していた人たちは立ち上がって抱き合うなどして喜んでいました。
内村選手の父親の和久さんは「最後まで分からず、ひやひやしていました。よい演技で金メダルを取れたのは皆さんのおかげです」と話していました。
妹の春日さんは「あのプレッシャーの中で、演技ができるのが強さだと思います。かっこよかったです」と話していました。

柔道女子70キロ級 田知本が金メダル

NHK8月11日

リオデジャネイロオリンピック、柔道女子70キロ級で田知本遥選手が金メダルを獲得しました。

オリンピック2大会連続出場の田知本選手は1回戦で一本勝ちしたあと、2回戦と準々決勝を、いずれも延長戦の末、勝ち上がり、準決勝に進みました。
準決勝ではドイツのラウラ・バルガスコッホ選手と対戦し、序盤から積極的に攻めた田知本選手は、大外刈りで技ありを奪って優勢勝ちしました。
決勝ではロンドン大会の銅メダリストでコロンビアのジュリ・アルベアル選手と対戦し、谷落としで技ありを奪ったあと、抑え込みで一本勝ちし、金メダルを獲得しました。
田知本選手は「最後に抑え込んだときは、もう絶対離さないと思ったし、自分で秒数は見えなかったのですが、あと何秒って思って耐えました」と話していました。
オリンピックのこの階級での日本選手の金メダル獲得は、北京大会の上野雅恵さん以来2大会ぶりで、今大会の柔道女子では初めての金メダルです。

田知本選手「試練のすべてが成長させてくれた」

田知本遥選手は2回戦で世界ランキング1位のオランダのキム・ポーリング選手と対戦し、終始、積極的に技を繰り出して延長戦の末、有効を奪って勝ちました。
田知本選手は「この試合が山で、自分は金メダルか、メダルなしか、どちらかだと思っていたが、勝てれば絶対に金メダルを取れると思っていた」と振り返りました。
決勝で対戦した、コロンビアのジュリ・アルベアル選手は日本人が指導し、頻繁に日本でも練習している選手で、田知本選手は「手の内を知られていて少し嫌だったが、最高の舞台で自分の力を出しきろうと思った。技に気持ちを乗せると言い聞かせて戦った」と話しました。
そして、抑え込みで勝負がついたことについて、「オリンピックで勝つなら確実な抑え込みでと、ずっとイメージしていた。想像どおりになって、うそみたい」と笑顔を見せました。
田知本選手は去年、海外での国際大会の前に不注意から市販の風邪薬を飲んだため、出場を取り消すことになって処分を受けたときや、ともにオリンピック出場を目指した姉の愛選手が、ことし4月の最終選考会で敗れて出場を逃した時など、精神的に苦しい時期もありましたが、それを乗り越えての金メダルでした。
田知本選手は「姉が負けたあと、ショックで一時、練習に集中できかなったが、ずっとそばにいてくれていると感じていた。きょうの日のために今までの試練があった。いっぱいありすぎて『なんで』とも思っていたが、そのすべてが自分を成長させてくれた」と感慨深そうに話しました。

南條監督「人間的成長が金メダルに」

柔道女子日本代表の南條允寿監督は「当初は最初の4階級で金メダル量産と考えていた。うれしい誤算ではないが、女子の7人の代表選手でただ1人、世界選手権やオリンピックのメダルを取ったことのない田知本が最高の結果を出し、あすからの2人にもつながる」と話し、今大会日本女子初の金メダルを喜んでいました。
そのうえで、田知本選手が去年、海外での国際大会の前に不注意から市販の風邪薬を飲んだため、出場を取り消すことになって処分を受けたことについて、「多くの人に迷惑をかけ騒ぎにもなったが、代表選手として責任感を持って行動しないといけないという思いが強くなった。人間的に成長するきっかけになり、それがきょうの金メダルにつながった」と分析していました。

田知本選手のこれまで

女子70キロ級の田知本遥選手は富山県出身の26歳で、2大会連続のオリンピック出場です。
初出場だったロンドン大会では準々決勝と敗者復活戦で敗れ、7位に終わりました。その後3年間は世界選手権の代表の座を国内のライバルたちに奪われましたが、去年7月と10月に国際大会を2連勝し、ことし2月の国際大会でも2位に入るなど実績を残しました。そして、4月の国内最終選考会で優勝し、2大会連続でオリンピック代表の座を勝ち取りました。
田知本選手は世界選手権でも個人でのメダルはありませんが、今大会は快進撃を続け、日本のこの階級では北京大会まで2連覇した上野雅恵さん以来となるオリンピックの金メダルを獲得しました。

地元の富山で後輩らが声援

田知本選手の地元、富山県射水市では中学校や高校の柔道部の後輩などが集まって声援を送りました。
射水市にあるアイザック小杉文化ホールでは10日午後10時からパブリック・ビューイングが行われ、田知本選手が通った小杉中学校や小杉高校の卒業生や柔道部の後輩など、およそ200人が集まりました。
会場には大型のスクリーンが設置され、決勝でロンドン大会の銅メダリスト、コロンビアの選手を抑え込むと会場は大きな歓声に包まれ、一本勝ちが決まった瞬間、抱き合って喜んでいました。
中学校時代の柔道部の先輩に当たる男性は「田知本選手の快挙に心が震え、金メダルが決まった瞬間は鳥肌が立ちました。心から『おめでとう』と伝えたい」と話していました。
高校時代に監督として指導した二瀬寛之さんは「高校時代から非常にまじめで、1つ1つの課題に対しきっちりやる選手だった。きょうは隙のない柔道で目標の金メダルを取ってくれて本当にうれしいです」と笑顔で喜んでいました。


柔道男子90キロ級 ベイカー茉秋が金メダル

リオデジャネイロオリンピック、柔道男子90キロ級で10日、ベイカー茉秋選手が金メダルを獲得しました。柔道男子で日本選手は今大会、2個目の金メダルです。

初めてのオリンピックのベイカー選手は、初戦の2回戦から準決勝までの4試合すべてを一本勝ちし、決勝に進みました。
決勝では去年の世界選手権の銅メダリスト、ジョージアのバーラム・リパルテリアニ選手と対戦し、開始2分すぎに大内刈りで有効のポイントを奪いました。最後まで攻め続けたベイカー選手は、そのまま優勢勝ちし、金メダルを獲得しました。
柔道男子は今大会、73キロ級の大野将平選手に続いて2個目の金メダルです。
また、今の階級で行われるようになった2000年のシドニー大会以降、日本選手が男子90キロ級で金メダルを獲得するのは今回が初めてです。
ベイカー茉秋選手は「オリンピックチャンピオンになることだけを考えてこの4年間ずっと、戦い続けてきたので、一戦一戦、全力で臨みました。夢が叶って、よかったです。本当は決勝も一本勝ちしたかったのですが、簡単にはいきませんでした。でも、結果として優勝できたのですごい、うれしいです」と話していました。

ベイカー選手「歴史に名前刻んだ」

ベイカー茉秋選手は「2日前に金メダルを獲得した大野選手が普通の国際大会と思って戦ったほうがいいと話していたので、じゃあ、自分もそれでやろうと思って、ふだんどおり戦った。特別な感情を持たず、1試合1試合に集中したことが金メダルにつながった」と、初めてのオリンピックでも平常心を貫いたと説明しました。
ベイカー選手は、ことし5月の国際大会で右肩を痛めていて、「なかなか練習できず、調子も上がらなかったが、その中でも、やれることを精いっぱい、きょうまでやってきた。きょうは痛みを感じることなく戦うことができた」と振り返りました。
外国選手の層の厚い90キロ級で日本勢として、初めてオリンピックの金メダルを獲得したことについては「周りからはだんだん実感が出てくると言われたが、正直、今は実感がない。ただ歴史に自分の名前を刻めてよかった」と満面の笑顔で喜んでいました。

井上監督「精神力のすごさ感じた」

ベイカー茉秋選手について、男子日本代表の井上康生監督は「強心臓というか、どんな場面でも動じない彼の精神力のすごさを今回改めて感じた。初戦を非常にいい形で勝ち上がったことがその後の勢いにつながったし、勝ち上がるたびにテンションを上げていった」と、21歳の若さと勢いを勝因にあげました。
また、外国選手の層が厚いこの階級でこれまで日本勢はオリンピックの金メダルがありませんでしたが、井上監督は「この事実を大会前の合宿で彼に伝えたとき、それを目指してやってやろうという強気な気持ちが伝わってきた。そしてそのとおりに新たな歴史をつくった」とたたえました。
そして、「大舞台になればなるほど強く、たくましくなる。4年後の東京オリンピックで2連覇を達成するため、成長し続けてもらいたい」と、さらなる活躍に期待をかけました。

ベイカー茉秋選手のこれまで

男子90キロ級のベイカー茉秋選手は東京都出身の21歳です。アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれ、今回が初めてのオリンピック出場です。
世界選手権では初めて出場した、おととしは2回戦敗退、去年は準々決勝で敗れましたが、敗者復活戦を勝ち上がって銅メダルを獲得しました。
得意技は大内刈りと大外刈りで、ウエートトレーニングで鍛え上げたパワーとスタミナを前面に押し出して戦います。
世界ランキングの上位選手が出場する、ことし5月のワールドマスターズで優勝し、今大会の日本勢ではただ1人、第1シードとしてオリンピックに臨みました。
90キロ級は今の階級区分で行われるようになった2000年のシドニー大会以降では、2004年のアテネ大会で泉浩選手が獲得した銀メダルが最高で、これまで金メダルはありませんでした。

母校で家族や友人が声援

ベイカー茉秋選手が通った東京・千代田区の小学校では、家族や友人たちが大きな声援を送り、金メダルの獲得を抱き合って喜びました。
母校の千代田区立昌平小学校に設けられた応援会場には、10日午後10時前から家族や友人、そして恩師らおよそ100人が応援に駆けつけました。
「必勝」と書かれたうちわなどを手に、大型のスクリーンでテレビの中継を見守り、ベイカー選手が1本勝ちを決めるたびに大きな歓声が沸き起こっていました。そして、11日午前5時20分すぎに決勝が始まると、「頑張れ!」などと、ひときわ大きな声援が送られました。ベイカー選手が優勢勝ちで金メダルの獲得を決めた瞬間、立ち上がって抱き合うなどして喜んでいました。
ベイカー選手の祖母の小林リナさん(75)は「毎日毎日練習を頑張っていた姿を見ていたので、本当にうれしいし、幸せな気持ちです。帰ってきたら『ありがとう』と言いたいです」と話していました。
また、ベイカー選手と同じ保育園と小学校に通った、大学4年生の本田亜美さん(22)は「小さい頃のベイカー選手は元気で活発でした。試合中はドキドキしっぱなしでしたが、最後は笑顔が見られてよかったです。同じ世代の活躍は誇りに思うし、自分も頑張りたいと思います」と話していました。