絶対に受けたい授業「国家財政破綻」 -3ページ目

鳥巣清典の時事コラム1551「原爆投下の候補地をめぐって軍はトルーマン政権との間で激しい攻防❸」

歴史的スクープNHKスペシャル『決断なき原爆投下』❸。

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戦争がどう進んでいるか聞かされてない(トルーマン45年4月12日)


13、今回見つかった内部資料。「最初の原爆は7月に準備。もう1つは8月1日頃に準備。1945年の暮れまでにさらに17発作る」。グローブスは、原爆の大量投下まで計画していた。
 軍の狙いに気づく事なく計画を黙認する形となったトルーマン。その背景に何があったのか。

 トルーマンの故郷ミズリー州に作られた図書館に手がかりが残っていた。「1945年4月12日の日記です」--引き継ぎなく突然大統領の重責を担う事になった不安が記されている。私の肩にアメリカのトップとしての重圧がのしかかってきた。そもそも私は戦争がどう進んでいるか聞かされていないし、外交にまだ自信が無い。軍が私をどう見ているのか心配だ」。

グローヴスが集めた委員会ー狙いは「最大の破壊効果」


14、この頃ヨーロッパでは、ナチスドイツが降伏寸前。太平洋戦争でも日本を追い、戦争をどう終わらせていくのか舵取りが求められていた。戦後の国際秩序を決める国連などとの苛烈な駆け引きがトルーマンの肩にのしかかっていた。大統領から原爆計画の承認を得たと考えたグローヴス。最初の面会から2日後。計画を次の段階に進めた。
 原爆を日本のどこに投下するのかを話合う目標検討委員会。議事録を見ていくと軍が何を狙って原爆を落とそうとしていたのかが分かってきた。



15、グローヴスが集めたのは、軍人や科学者たち。この場にトルーマンや側近は参加していない。はじめに議論されたのは、「原爆をいつ投下すべきか」。口火を切ったのは気象の専門家。「日本の6月は梅雨にあたり最悪だ。7月はまだましだが、8月になって良くなる。9月になるとまた悪くなる」。8月の10日が決まると目標地点について物f理学者が見解を述べていた。「人口が集中する地域で直径が5キロ以上の広さがある土地にすべきだ。それも8月まで空襲を受けず破壊されていない土地が良い」。
 狙いは、最大の破壊効果を得る事だった。

「広島」と「京都」が有力候補として残っていく

16、選ばれたのは東京湾から佐世保までの17か所。その中で広島と京都が有力候補に挙がっていく。「広島には良い平地があり、周りが山に囲まれているため爆風の集束作用が強まり大きな効果が挙げられる」。「京都は住民の知的レベルが高い。この兵器の意義を正しく認識するだろう」。
 2つの都市のうちグローブスが推したのは京都だった。「京都は、はずせなかった。最初の原爆は破壊効果が隅々にまで行き渡る都市に落としたかった」。破壊効果が最も高いと評価された京都。これはグルーヴスが保管していた地図。直径5キロメートル圏の円が光る。京都駅の西が中心となっている。円の中の大半は、一般市民が暮らす街だった。


候補地をめぐってトルーマン政権は「京都は認めない」


17、最も大きな破壊行為を得る事で原爆の意義を証明しようとしていたグローヴス。候補地京都をめぐってトルーマン政権との間で激しい攻防を繰り広げる。
 5月30日グローヴスはトルーマンの側近の部屋に呼ばれた。陸軍長官のスティムソン。文民の立場で軍から報告を受けトルーマンに伝える役目だった。

「ヘンリー・ルイス・スティムソン」の画像検索結果

 この日の様子をグローヴスは詳細に語っていた。「
スティムソンの部屋を訪ねると『投下目標の候補は決まったか?』と聞いてきた。『ちょうど決まったところです』と答えた。『どこが候補になったか?』と聞かれ名前を伝えた。すると『京都は認めない』と言われた」。

18、なぜスティムソンは京都への原爆投下に反対したのか?その事が分かる資料が残されていた。「これは
スティムソンの日記です」。グローヴスから報告を受けた1週間後の日記。「この戦争を遂行するにあたって気がかりな事がある。アメリカがヒトラーを凌ぐ残虐行為をしたという汚名を着せられはしないかという事だ」。スティムソンは、かつて2度京都を訪ねた事があるという。原爆を投下すれば、おびただしい数の市民が犠牲になると知っていた。
 スティムソンは、その頃激しさを増していた日本への空襲が国際世論が批判する無差別爆撃に当たるのではと危惧していた。これ以上アメリカのイメージを悪化させたくなかった。


京都にこだわり軍事施設があると偽情報を流すグローヴス


19、一方、グローヴスは諦めていなかった。
スティムソンとの面会から1か月後、京都に軍事施設があるという報告書を作成する。京都駅や絹織物を作る紡績工場を軍事施設として報告。『京都は他の軍事目標となんら変わりません』とスティムソンに伝えたところ『京都への原爆投下は軍事的意義がない』と認めてくれなかった。認めてもらうため彼の元に6回以上通った。
 京都への原爆投下は国益を損ねると考えていたスティムソン。グローヴスの提案を認めようとはしなかった。トルーマン政権と軍の攻防。膠着していた状態は7月のある出来事をきっかけに大きく動き始める。

20、7月16日、ニューメキシコ州で世界初の原爆実験が成功。



鳥巣清典の時事コラム1550「トルーマン大統領就任13日後に原爆開発の進行状況を知る❷」

 歴史的スクープNHKスペシャル『決断なき原爆投下』❷
 本日8月9日は午前11時2分、長崎に原爆が投下されてから71年目。

「長崎に原爆」の画像検索結果

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ルーズベルトはグローヴスを責任者に抜擢後に死去


10、「大統領は市民の上に原爆を落とすという計画を止められなかった。1回始めた計画を止められる訳がない」(原爆開発責任者レズリー・リチャード・グローヴス准将大統領は軍を止められなかったと語るグローヴス。陸軍士官学校を優秀な成績で卒業後、いち早く司令官となった人物。当時のルーズベルト大統領が極秘に始めた原爆開発ーー「マンハッタン計画」。1942年9月グローヴスはその責任者に抜擢される。全米屈指の科学者を結集し、研究施設や工場を建設。22億ドルもの国家予算を投入して世界初の原爆の完成を目指した。
 ところが1945年4月12日、原爆の完成を待たずにルーズベルト大統領が急死。その直後、大統領に就任したのが当時副大統領だったトルーマン。ルーズベルトから引き継ぎもないまま突然巨大国家プロジェクトの最高責任者となる。

11、グローブスが就任当初のトルーマンについて「トルーマンは原爆計画について何も知らず大統領になった。そんな人が原爆投下に投下を判断するという恐ろしい立場に立たされた」。

 原爆開発を仕切るグローブス。そして最終責任を背負う事になったトルーマン。この後どのような経緯をもって原爆は投下されたのか。私たち全米各地に散逸していた機密資料を集め、投下までの4か月を詳細に検証。すると政権と軍の間に知られざる攻防があった事が分かってきた。


トルーマン大統領就任13日後に原爆開発の進行を知る


12、攻防の始まりはトルーマンが大統領に就任した13日後。大統領執務室での事だった。この日、グローヴスはトルーマンに原爆開発の進行状況について初めて報告し計画の続行を認めてもらおうと訪れていた。これまで原爆をどこに落とすかなど詳細は報告されていなかった。

「レズリー・リチャード・グローヴス」の画像検索結果     「レズリー・リチャード・グローヴス」の画像検索結果


 アメリカでは選挙で国民に選ばれた大統領が最高司令官として軍を統制する文民統制という仕組みがある。重要な軍の決定事項は大統領に報告し必ず承認を得ることになっていた。
 このときグローヴスは24ページの報告書を持参。報告には原爆の仕組みや種類、予算などが簡潔に書かれていた。

軍内部で原爆投下計画を極秘に計画していたグローヴス

 
 原爆開発が成功すれば、戦争に勝利するための決定的な兵器になると強調していた。しかし大統領の反応は意外なものだった。
「大統領にとっては原爆開発の報告書は長かったようだ」(グローヴス)。トルーマンはこの報告書を見ようとはしなかった。この時グローヴスは計画の続行が承認されたと考えたという。「計画を変更する必要はないと。彼は進めて後で報告せよという態度だった」。すでにグローヴスは軍の内部で原爆投下計画を極秘に計画していた。

鳥巣清典の時事コラム1549「生前退位について、天皇陛下陛下がお気持ちを表明」

天皇陛下がお気持ちを表明(全文)

「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示している天皇陛下は、8日、ビデオメッセージでお気持ちを表しました。

象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉(全文)

 戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。
 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。
 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

 始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。 
 国民の理解を得られることを、切に願っています。

鳥巣清典の時事コラム1548「NHKスペシャル=軍の原爆計画の責任者のインタビューを始めます❶」

 歴史的スクープNHKスペシャル『決断なき原爆投下』(8月6日)❶。
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原爆投下直後「人々を皆殺しにしてしまった事を後悔している」
(トルーマン)

1、
今年5月アメリカの現職オバマ大統領が広島を訪れ、演説した。
71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです」
 謝罪の言葉はなかった。



2、1945年8月6日アメリカは広島に原子爆弾を投下。当時の大統領ハリー・トルーマンはアメリカの全国民に向けラジオ演説で語った。「戦争を早く終わらせ多くの米兵の命を救うため原爆投下を決意した。みなさんも同意してくれると思う」と正当性を主張。この大統領の決断は、今に至るまでアメリカ社会で原爆投下の大義とされてきた。

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3、ところがトルーマンは原爆投下直後に実は深い後悔の念を抱いていた事が分かってきた。<人々を皆殺しにしてしまった事を後悔している。日本の女性や子供たちへの慈悲の想いは私にもある>。

4、さらにトルーマンが原爆投下に対して明確な決断をしていなかったという新たな事実も明らかになった。

5、軍の原爆計画の責任者
レズリー・リチャード・グローヴス准将。

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 今回見つかった未公開テープで投下の経緯を語っていた。「大統領は市民の上に原爆を落とすという軍の作戦を止められなかった。一旦始めた計画を止められる訳はない」(
グローヴス准将)。原爆投下をめぐってトルーマン政権と軍との間で激しい攻防が繰り広げられていた事が分かってきた。

6、市民の犠牲を最小限に留めたいと考えていたトルーマン。<原爆を落とす場所は、あくまで軍事施設に限る>(トルーマン)。一方軍は最大の破壊効果を得るため、市民の暮らす中心部を狙っていた。「原爆の威力が隅々まで行き渡る都市に落としたい」(
グローヴス准将)結果、その年だけで21万人の命が失われた。なぜ市民の命が失われなければならなかったのかーー71年目の真実。

7、「多くの日本人が亡くなりましたが、何千人ものアメリカ兵が救われました。トルーマン大統領は、正しい決断をしたのです」「いま生きているのは、原爆のおかげです。原爆が戦争を終わらせたおかげで、日本の子どもたちも死なずに済んだはずです」(以上、退役軍人)トルーマンは、多くの命を救うため原爆投下を決断したーーアメリカではこの大義が今でも市民に根強く受け入れられている。


グローヴス元准将へのインタビューを始めます」


8、ところが戦後71年にわたり信じられてきたこの定説を根本から揺るがす事実が明らかになってきた。軍の施設に、ある重要な資料が眠っていた。空軍の幹部を養成する士官学校。4か月の交渉の末、取材許可が下りた。図書館の書庫に原爆計画の全てを知る人物のインタビューテープが未公開のまま保管されていた。

9、「これから
グローヴス元准将へのインタビューを始めます。場所はワシントン。1970年4月3日です」。原爆計画の責任者へ軍が2時間をかけて聞き取りを行っていた。グローヴスはこの3か月後に心臓病で世を去る。原爆投下の経緯を赤裸々に語っていた。


【鳥巣注】

 ジャーナリズムの最大の使命は「記録」といわれます。そして「欧米の思想は記録」とも表現されます。記録が残っているからこそ、10年、100年後に「ああ、そういう事だったのか」と検証できる。その「記録」の正しさの確率を上げるためには、今回のNHKスペシャル班のような存在が必要になってきます。

鳥巣清典の時事コラム1547「『広島71回目の原爆の日』と『平和の祭典・リオ五輪開幕』」

8月6日は、地球の表と裏で「戦争」と「平和」を象徴する式典が行われました。
広島で71回目の原爆の日。ブラジルでは、リオ五輪の開会式。



 終戦記念日が近づき、私の住む地域では催し物を開始。先日私は小林桂樹主演映画『激動の昭和史 軍閥』を鑑賞。評判は耳にしていたのですが、日本人が昭和史を学ぶにふさわしい映画だと思いました。戦況の真実を書いた毎日新聞記者が東条英機陸相兼首相の逆鱗に触れ、37歳で召集され前線へと送られる史実(=竹槍事件)は印象的でした。



 さらに『原爆展』ーー原爆投下後の現・原爆ドームを中心とした街並みのパノラマ写真の展示ーー等を見学。図書館では1冊の本ーーJ・サミュエル・ウォーカー著『原爆投下とトルーマン』(彩流社)を借りました。

原爆投下とトルーマン

 帯にあるように「原爆使用の真相」に迫った本。随所に見られるのは、大国間の勢力争いの駆け引き。

1、原爆開発計画「マンハッタン計画」を推進したフランクリン・ルーズベルト大統領が急死(1945年4月12日)


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 その死を受けてトルーマン大統領昇格
から1か月と経たない1945年5月8日、ドイツが連合国に降伏し、ヨーロッパでの戦争が終わった。

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2、トルーマンは、首席補佐官のウィリアム・D・リーヒ海軍提督に主要な関心事を提示。「彼の意図は、アメリカ兵の損失を最小限に抑えることを目的とした作戦を決めることだ」とリーヒは統合参謀本部に伝えた。「時間と財政的対価の節約は、さほど重要ではない」。6月17日、トルーマンは日記に、戦争を終結に導くより望ましい手段として、本土侵攻を許可するか、空襲と封鎖のみに頼るか決めることが「これまでのなかで最も至難な決断」だったと記している。

3、日本による真珠湾攻撃から3年半経過し、太平洋戦争は怖ろしく残酷な様相を呈していた。大戦前は、ほとんどのアメリカ人が日本人の軍事能力を侮っていた。真珠湾攻撃が衝撃を与えた理由の1つは、日本人がこれほど困難な作戦を遂行する手段も技能もないとアメリカ人が想定していたからであった。しかし、1941年末から1942年初頭にかけての、極東の欧米勢力に対する日本軍の勝利の後、日本の軍事能力に対する彼らのイメージは覆された。軽蔑、無能、下等生物ではなく、日本兵のイメージは、鍛錬されて侮りがたく、そして超人的な兵士となった。「今や、彼らは広い視野を持つ兵士、おまけに悪魔のようなずる賢い兵士であった」。

4、当時国務長官代行であったジョセフ・C・グル―が、1945年5月に懸念を表明。

 
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 ソビエト参戦は戦争遂行という面では有効だったが、外交面では犠牲を伴った。
「すでにロシアはーーポーランド、ルーマニア、ブルガリア、オーストリア、チェコソロバキア、そしてユーゴスラビアにおいてーー作り上げようとする将来の世界の原型を示している。・・・・ロシアが一旦参戦すれば、モンゴル、満州、そして韓国が最終的にロシアの勢力圏へと滑り落ち、そのうち中国が、そしてゆくゆくは日本も同じ行程をたどるだろう」

5、ポツダム会談(1945年7月17日~8月2日)での議題の特徴は、多くの複雑かつ論争的な問題を扱うことであった。会議の焦点はヨーロッパの将来であった。トルーマンの考えでは、アメリカの主要な目的は、スターリンからソ連の対日参戦の期日について確約を取り付けることであった。彼は、原子爆弾(1945年7月16日実験に成功)のおかげでこの問題をめぐるスターリンとの交渉が容易になると判断していたのは明らかである。



 8月6日夜NHKスペシャルは『決断なき原爆投下』のタイトルで米大統領と軍の知られざる攻防を取材。綿密な調査により、歴史的な真実が書き変えられていく過程を明らかにしていきます。
 現在の歴史は上記にあるように「トルーマンは、ソ連の対日参戦は不必要と考え、早期対日戦終結のため日本への原爆投下を決定した」。あるいは「
アメリカ兵の損失を最小限に抑えることを目的とした作戦を決行した」。これらのいわば”常識”を覆していく71年目の真実は衝撃的です。調査報道の白眉ーー。

*随時、加筆します。

 リオ五輪が開幕。



2020東京オリンピック
(7月24日~8月9日)・パラリンピック(8月25日~9月6日)。

鳥巣清典の時事コラム1646「IMFが求める『日本の構造改革』とは?」

日本とドイツにおける構造改革の未来

2016年3月9日(水曜日)


日独:生産性向上に求められる広汎なデジタル化

1. はじめに

日本とドイツは、急速に進む高齢化社会による構造の変化という課題に共に直面している。潜在的成長力は衰え、さらなるグローバル化により利益が縮小しており、生産性を向上させるために広汎なデジタル化と新たなビジネスモデルが求められている。両国は共に大規模な構造改革をもってこれらの課題に対応しており、成長への刺激が期待されているのであるが、方向性の違いにより異なる結果を迎えている。

日本「急速に高齢化する社会」の構造改革の未来は?


ドイツは、主にグローバル化とEU統合を通じた域内市場の拡大に重点を置き、輸出額をほぼGDP50%まで押し上げた。
日本は、さらに市場シェアを拡大しつつあるサービスセクターにおいて国内の再編成を行った。これまでのところドイツのグローバル化戦略はうまくいっており、成長は力強く、長期間にわたって「ヨーロッパの病人」だった国が国際的なビジネス・政治のキープレーヤーへと快復を果たしたと広く賞賛されている。その一方、日本は無期限の金融政策と通商関連の改革(TPP)を実施しているものの、これらはせいぜい超長期で限定的な効果を持つにとどまるだろう。

日本とドイツの改革プロセスの強みと弱みを検討するにあたり、富士通総研はベルリン日独センターおよびケルン経済研究所(産業に関するドイツのシンクタンク)と共同プロジェクトを実施し、2015年9月8日に東京で、急速に高齢化する社会における「構造改革の未来」をテーマに国際シンポジウムを開催した。その成果として、将来的に、より効率的な改革プロセスを計画・実施するにあたって有用な知見を得ることができた。

日本:毎5年の構造改革選挙で勝利するが実施は困難

2. 改革に対する態度の違い

日本とドイツの間では、グローバル化に関する戦略だけではなく、経済改革、特に大規模な「構造改革」に対する国民の態度と受け止め方にも大きく違いがある。日本では、経済改革の計画は定期的に政治運動や選挙公約の対象となっている。約5年ごとに、日本を根本的に変えることを公約する構造改革綱領が、広く支持を受けて主要選挙で勝利するということが見られる。1997年には「橋本改革」が、中央省庁の再編と税制改革を含む行政システムの大規模な変更を取り上げた。2003年の「小泉改革」は、日本の競争力を向上させるためにサプライサイドと金融の改革を標的にした。そして、2009年には、民主党が政治決定過程全体と官僚の役割を変えることを公約にした。直近では、「アベノミクス」が、前例のないマクロ政策と幅広いビジネスの改革をもって、経済に弾みをつけようとしている。

しかし、改革は盛大な政治的ファンファーレで始められるものの、その実施はおよそ不十分なものとなっている。なぜなら、構造改革プログラムは従前の改革の取り組みにおいて不十分だった事項(改革のバックログ)を再パッケージしたものになることが多く、全体的に後ろ向きのスタンスであり、また取り組みの開始以前にすでに累積した抵抗を受けているので新たな機会の種まきがほとんどできず、改革の実施が困難になるからである。

独:大規模改革後の選挙に大敗⇒「強い経済」につなぐ

3. 構造改革:日独の取り組み

 

これに対してドイツでは、日本のように改革が人気を博すことはない。選挙対策として、政治家は「チェンジ」ではなく「安定」を公約する。必要だと考えられる改革は、通常、政治的損害が最も少なくなる選挙後の早い段階に詰め込まれ、そのような政府の行動の理由は、外圧などの外生的ショックに対応する必要があるからだと説明される。(【図表1】参照)

【図表1】「構造改革」:日独の取り組み 
【構造改革:日独の取り組み】

同様に、改革プロジェクトに関するメディア報道は、特にエネルギー改革、ユーロ危機、あるいは難民対応の問題といった重要な構造改革の場合には、改革の実施が困難や反対に直面した後、すなわち事後に増えている。実際、大規模な改革パッケージの例であるコール首相の下でのユーロ導入と「シュレーダー改革(アジェンダ2010)」は、それぞれ1998年と2005年の選挙で大敗するという結果をもたらした。

皮肉なことに、デュイスブルク・エッセン大学コルテ教授は、これらの改革はドイツの雇用状況に対して正の影響を与え、ヨーロッパにおける最も強い経済を持つドイツにテコ入れをしたということから、国際的には高い評価を得ているものの、国内的には、同様の改革はダメージとなり選挙で負けるという結果につながるため決して繰り返されないだろう、と指摘する。さらに、ケルン経済研究所プルス博士は、規制の変更が経済に与える影響の分析において、その後の政府(メルケル首相)が、有効であるが不人気だった改革のほとんどをやり直してきた(低い賃金や年金切り下げ等)と指摘する。そして、今日、ドイツ政府はより広いEU市場をターゲットにしてのみ構造改革を行っており、もはや国内市場をターゲットにはしていないことをバルト博士(ケルン経済研究所)は指摘する。


日本:現在は根深い抵抗を克服する手段をとらない結果

4. 構造改革とグローバル化の役割

つまり、日本の改革の取り組みが広く世論の支持を得ても前に進まかったのは、改革の残り物を再パッケージにした「構造改革」が、根深い抵抗を克服する手段をとらなかったためだと考えられる。他方でドイツでは、改革アジェンダは人気がないものの、「外圧」という外部の理由づけを用い、また段階的な実施を決める前にまずは初期の変革を全面的に推し進めることにより、改革の実施を成功させてきた。

前述のように、改革戦略の有効性を分析するにあたり、グローバル化の役割は極めて重要である。ドイツはヨーロッパの中央に位置して、とても開かれた経済を有するので、地域経済と政治的統合に焦点をあてることにより、国内政策の行き詰まりを打破し、改革の取り組みに継続性を持たせることができたのである。これに対して日本は、輸出がGDPの17%で海外投資による企業結合(国内企業による海外企業への海外直接投資、in-out FDI)がほとんどないというように相対的に孤立しており、外部からのショックによる緊迫感がない。それゆえ、改革の動きはしばしば弱いものとなり、既存の枠内でのゆっくりとした調整段階へと陥ってしまい、目に見える結果がほとんど得られてこなかった。



高齢化社会ではイノベーションと効率化が重要になる


加えて、グローバル化は少なくともさらに2つの点から改革プロセスをサポートするものだと言える。海外との貿易と投資により、既存の製品と技術の市場が拡大すると新たなアイデアとイニシアチブがもたらされ、これによりアクターと制度の間での継続的な調整が促され、改革の停滞のリスクが低くなると言える。

このように考えると、「アベノミクス」は、グローバル化のポテンシャルを捉えて、国外のTPP交渉と改革を結びつけたものであると言えよう。アベノミクスは、アジアの統合を促進し、ビザに関する規制を変更して観光面でも開放政策をとるので、国際投資とサービス貿易が促進される。また、中央銀行のような中央組織におけるゲームのルールを変更するという組織変革の力も利用している。日銀は(高齢者の)資産の保護という従来のあり方から、投資への信用供給を押し上げて政府のクレジットコストを低減する方針へとシフトした。

【図表2】「継続的改革」:日独の主な取り組み 

しかしながら、グローバル化は、改革を志向する政策にとっては常に重要な柱となるものであるが、その限界もまた徐々に明らかになってきた。【図表2】は、主要な改革の取り組みが、外的環境(為替、通商等)に関するものから国内のガバナンス改革へ、そして近年ではより直截なイノベーション政策(「インダストリー4.0」)へとシフトしていることを示している。これは極端なグローバル化がもたらすリスク(例えばユーロ危機や急激な移民等)がある一定の水準から上昇する一方で、高齢化社会においてはイノベーションと効率性がいっそう重要になるからである。

教訓「改革の取組は選挙後速やかに実施すること」

5. 改革の時期・目的・戦略

以上を踏まえると、今後の構造改革に対する重要なメッセージは、「改革の取り組みは選挙後速やかに実施し、次期選挙前に政策の成果を示すために十分な時間を確保する必要がある」というものになろう。(しばしば日本で見られるように)肯定的な政策に対する信任を背景に改革に立ち向かうことは確かに助けにはなるのではあるが、ドイツの状況が示すように、それは必須の条件ではないと言えよう。さらに言えば、(これもまたしばしば日本で見られるが)改革プロセスが困難に陥った場合に、新たな選挙を通じて世論の支持を再度求めても、それによって改革プロセスが息を吹き返すことはなさそうである。

他方で、改革アジェンダとその実施を支えるためになされる速やかな制度変更は必須である。中央銀行から労働市場制度に至るまで、新たな制度というものは、新たな信任を要するだけでなく、たとえ困難であるとしても目標を軌道に乗せ続け推進することができるような新たな組織や人材を必要とする。改革の実施は緩やかな積み重ねによってのみ進められることから「変化」は制度の裏付けを必要とするので、継続的なアクションをとるための制度化が図られねばならないのである。


注目:独の新しい構造改革「インダストーリー4・0」


これに対して、大規模な(包括的な)構造改革パッケージは回避されるべきである。というのは、そのようなパッケージは従前の実施が不十分だったことの結果であることもあって、生じる抵抗が過大なものとなるからであり、そしてまた、積極的な成果が示される前に次の選挙が到来してしまうからである。実施を実効的に進めようという強い意識の下で制度が改革され、重要な改革(労働市場における「同一労働同一賃金」等)がモメンタムを得て実現されるというのが理想である。また、政策の行き詰まりを回避するためには、どのような小さな実施段階も重要だと言える。

市場におけるコーポレートガバナンス改革もまた効率性を志向する制度改革への指針になろう。結局のところ、継続的な徐々の変化とイノベーションは、政府ではなく民間企業の領域だからである。高齢化社会では、企業は自らのビジネスを超えた新しい重要な役割を果たしていることを認識するように求められる。これは、企業が市場でのビジネスに集中し、必要に応じて政府に対して市場の枠組みを単に「規制緩和」することを求める、といったことが見られる若くダイナミックな経済とは異なるのである。若い経済では、アダム・スミスが説明するところの動態的な競争という「神の見えざる手」が改革の役割を担い、「敗者」は社会の成長過程を通じて損失を回復することができた。

これに対して、(限られたイノベーションと効率化のための経費節減に頼った)景気停滞に近い成長しか見られない高齢化社会では、およそ変化というものは損失と再配分を伴い、これを政府が正当化することは困難である。だが、企業と地域による取り組みであれば、改革の取り組みを進めるにあたり、得られるメリットと必要な変化とをよりうまく調和させることができる。タクシー業界と運輸規制に対するUberの挑戦のように、規制の変更が必要となる改革に取り組むには、効率を通じた成長の潜在性だけでなく、新たな条件の下で既存のタクシー会社が共存するような計画をも示さねばならない。


「4・0」は広範な産業の戦略的な勧告を政府が支持


そのような「新しい」構造改革の取り組みが長期の成長を促進した好事例として、ドイツの「インダストリー4.0」が挙げられる。この取り組みは、デジタル・エコノミーとモノのインターネット(Internet of Things)の分野においてドイツがさらに後れを取りそうだという問題意識に基づいて始められたものである。「インダストリー4.0」は、「デジタル・アジェンダ」について、ただ単に政府頼みするのではなく、広範な産業(機械、自動車、オートメーション等)、関連組織、そしてシンクタンクが共同して取り組んだものである。説得力のある(経済全体についての)シナリオに基づいて民間の組織が戦略的な勧告を提案し、これが政府の支持を得て国家戦略となったのである。それまでの政府の政策は長期にわたり停滞してきたのだが、全国のブロードバンドネットワークの敷設や、職業訓練改革(「教育4.0」)、大学・企業間協力と労働市場改革(「労働4.0」)といった取り組みは、これまでよりもずっと早く、またより攻撃的ではない形で開始・実施されたと言える。

日本には、改革を公約するという伝統があるので、ラウンドテーブルでの産業・政府間協力や、産業主導でダイナミックにアベノミクスの構造改革を行うことは、企業がかなり協力して焦点が未来志向の改革に向けてシフトするのであれば可能となろう。幸いなことに、すでにこの方向での取り組みは見られており、その数は増加している。「インダストリー4.0」との関係では、「インダストリアル・バリューチェーン・イニシアチブ」(IVI)が、デジタル・プラットフォーム上の企業間協力の新たな基盤を用意している。また、研究開発の分野では、戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)が、時代遅れになった官庁が関与する研究開発の構造を解体している。そして、議論になっている労働市場改革について言えば、企業が経営困難に陥った場合に正社員に対して金銭補償による整理解雇を行うことを可能にし、非正規労働者により多くの機会がもたらされるようにするという提案が支持を集めつつある。このような取り組みを着実に進めて継続的な改革を実践していくことが必要である。

関連サービス

【調査・研究】


Martin Schulz(マルティン・シュルツ) 
株式会社富士通総研 経済研究所 上席主任研究員 
1989年 ベルリン自由大で政治学修士、1990年 経済学修士を取得、1996年 同大学で博士号(経済学)を取得。1998年まで同大の政治経済研究所助教授。1996年以降、英国バース大学、イタリアのバリ大学、ポーランドのシュテティン大学、ベルリン社会科学学術センターにて勤務。1991年~1993年 東京大学社会科学研究所研究員。1997年 立教大学経済学部奨励研究員。1998年~2000年 東京大学社会科学研究所研究員および同大学経済学部研究員。一方、1998年~1999年には日本銀行金融研究所に滞在。2000年7月 富士通総研経済研究所入社。 
専門:国際経済、企業戦略、対外投資など。 

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PS①

独「4・0」への取組は日米への危機感から


 フロンティアワン代表取締役鍋野敬一郎氏インタビュー。


──まず「インダストリー4.0」とは何か、というところから教えていただけますか。 

鍋野氏:インダストリー4.0は、ドイツ政府が主導し、産官学共同で進めている国家プロジェクトです。人類史上4回目の産業革命、つまり「第4次産業革命」を起こす取り組みとしており、そのコンセプトは「スマートファクトリー」(考える工場)です。2000年代半ばぐらいから考えられてきたもので、2011年に発表したので、すでに取り組みを開始して5年目になります。 

──なぜドイツは、そのような取り組みを始めたのでしょうか。 

鍋野氏:ドイツは欧州最大のモノづくり国で、徒弟制度やマイスター制が受け継がれています。しかしヨーロッパ市場全体は停滞しており、唯一好調なドイツは中国やアジア各国との貿易を強化してきました。 

 ドイツにとって、中国、アジアでの競争相手となる日本は、ボトムアップ型の「トヨタ生産方式」を考案し、短納期で安く、品質の良いものを作っています。もう一つの競争相手であるアメリカは、トヨタ生産方式にトップダウンの考えを取り入れた「リーン生産方式」によって、一定の成果を上げています。日本とアメリカに生産方式で先行されているドイツが、危機感を持っていたことが、インダストリー4.0の背景としてあります。 

──スマートファクトリーは、どのような方式で生産しようとしているのでしょうか。 

鍋野氏:スマートファクトリーは、工場を中心に水平方向にも、垂直方向にも、リアルタイムに連携し、少量多品種、高付加価値の製品を大規模生産することを目指しています(マスカスタマイゼーション)。そのための生産方式として考えられたのが「ダイナミックセル生産」です。 

 製造業では、ライン生産(水平連携)かセル生産(垂直連携)が一般的です。ライン生産は、同じものを大量に生産する場合に適しており、分業によって一人ひとりの作業が単純であるため、研修も短期間で済むという利点があります。一方セル生産は、一人の人、あるいは一つのチームが、最初から最後まで組み立てていく方法で、少量生産に対応しやすく、品質を上げやすいという利点があります

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PS②

20年の進展が革命につながる

Peter Herweck 氏(Siemens 社、Head of Corporate Strategy)は進化の積み重ねが革命につながると考えている。

本稿の最後に彼の言葉を紹介しよう。「我々は20年程度のスパンで考えている。少しずつ進化して20年積み重ねた時、現在と比べてまさしく革命が起こったと言えるだろう」

<『RENESAS』「インダストリ4・0 次なる革命か?」>

鳥巣清典の時事コラム1645「IMF『アベノミクスの改善が必要⇒消費税を段階的に15%へ』」

IMF「アベノミクスの改善が必要」と報告

IMF=国際通貨基金は、日本の経済政策に関する報告を公表し、経済成長の勢いが弱く、デフレも根強く残っていることから、大胆な構造改革によるアベノミクスの改善が必要だとして、企業に対して賃金の引き上げを促すような政策の導入などを求めました。

IMF=国際通貨基金は年に1度、各国の経済政策に関する報告をまとめていて、2日に日本についての報告を公表しました。
それによりますと、アベノミクスについて、当初の成功は評価するものの、経済成長の勢いは弱く、デフレも根強く残っていると指摘しています。しかし、国の借金が多額に上っていることや、日銀が国債などを大量に買い入れていることを踏まえ、国の財政政策や日銀の金融政策の余地は限られているとしています。
このため、
大胆な構造改革によるアベノミクスの改善が必要だとして、企業に対して、賃金の引き上げを促すような政策の導入や、正社員と非正規労働者の格差をなくすため、同一労働同一賃金といった労働市場の改革を求めました。
そのうえで、
長期的な課題として、財政健全化の達成を挙げ、消費税について少なくとも15%まで毎年0.5%から1%の幅で、段階的に引き上げるとともに、社会保障費を抑えることが必要だとしています。

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PS①

 ■2017年の実質GDP成長率見通し

       2016年   2017年
アメリカ・・・2・2%・・・2・5%
ユーロ圏・・・1・6%・・・1・4%
日本・・・・・0・3%・・・0・1%
ロシア・・・・-1・2%・・0・1%
中国・・・・・6・6%・・・6%台
インド・・・・7・4%・・・7%台

鳥巣清典の時事コラム1644「長期金利の上昇続く 日本国債売る動き広がる」


長期金利の上昇続く 日本国債売る動き広がる
NHK8月2日

1日の国債の市場では、日銀の追加の金融緩和策に国債の買い入れの増加などが盛り込まれなかったことから日本国債を売る動きが広がり、長期金利の代表的な指標である満期までの期間が10年の国債の利回りは一時、マイナス0.13%と、6月下旬以来の水準まで上昇し、マイナス幅が縮小しました。

1日の国債の市場では午前中から国債を売る動きが広がり価格が下落しました。
国債は、価格が値下がりすると利回りが上昇する関係にあり、長期金利の代表的な指標である満期までの期間が10年の国債の利回りは一時、マイナス0.13%と、6月23日以来の水準まで上昇し、マイナス幅が縮小しました。
これは先月29日に日銀が決定した追加の金融緩和策に、国債の買い入れの増加やマイナス金利の幅の拡大が盛り込まれなかったことで、それまで国債を買っていた投資家が一転して売却する動きを強めたことが背景にあります。
市場関係者は「イギリスがEU=ヨーロッパ連合からの離脱を決定して以降、世界経済の先行きへの警戒感もあり、比較的安全な資産とされる日本国債が買われていたが、日銀の決定をきっかけに国債を売る動きが進んでいる。市場では今後の日銀の金融緩和策を巡ってさまざまな観測が出ていて、しばらくは不安定な動きが続くのではないか」と話しています。

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PS

<7月29日の日銀の決定会合後は上昇が続く。日銀は追加緩和に踏み切ったものの、その手段は上場投資信託(ETF)の買い増しにとどまった。さらに次回会合でこれまでの緩和の効果や副作用などを検証すると表明したことが市場で「検証結果次第でこれまでのように国債の買い入れやマイナス金利政策を続けられない可能性もあると受け止められた」(みずほ証券の丹治倫敦氏)からだ。>(朝日新聞)

鳥巣清典の時事コラム1643「相手を支点に自分が動くー亭主関白型の支点は全て自分」

 社交ダンス
 スローフォックストロット。



6~8月のアマルガメーション。

1)フェザーステップ~リバースターン~ナチュラルインピタスターン~フェザーフィニッシュ~チェンジオブディレクション
2)ナチュラルウイーブ~フェザーフィニッシュ~オープンテレマーク~カーブドフェザ―~スピン~オーバースエイ~
3)シャッセ~ウイーブ~フェザーフィニッシュ~スリーステップ~ホバークロス~スピン~セイムフットランジ~
4)ウイング~ライトシャッセ~フェザーフィニッシュ~リバースウエーブ~バックフェザー~バックスリーステップ~ライトシャッセ~ロールPP~オーバースエイ~

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①カーブドフェザーは右手のお盆の水をこぼさないように
【カーブド・フェザー】
 男性の注意点は、女性のアウトサイドに出る時に右サイドがよれてしまって、女性のスペースに入ってしまってしまう方をよく見かけます。右手で持っているお盆に乗っているコップに並々と水が入っている。カーブドフェザーを踊った時に左サイドはしっかり伸びているが、右手のお盆の水をこぼさないように意識的に踊ります。
 僕の右手の方には女性がいて、それをこぼさないように次の位置に。このように踊るとバランスよくトップがきれいなまま踊れると思います。
<ダンスファンDVD「ベーシックを見直そう」橋本剛・恩田恵子組>

②ダンスもコシが出るまでしっかりと練る

藤本ダンス道場・月刊コラム

第26回 ベーシック

自分も30年近くWのナチュラルターンを踊って来ました。何十万回、やったと思いますが、いまだにナチュラルターンを練習する。上手くいかないこともしょっちゅうです。でも昔ほど誤差は少なくなり、本当に気持ちの良いナチュラルターンが出来たときは一日が大変ハッピーな気分になれるほど、ダンスのバロメーターでもあるのです。


複雑な身体の動きを要求されるのが社交ダンス

バリエーションと言ってもほとんどがベーシックステップの組み合わせで構成されています。ベーシックをきちんと踏めばそうなるべくしてそうなる。デコボコした体の人間が組んだままバランスを保ちながら踊るということは、もの凄く複雑な体の使い方を要求されます。自分は“磨く”とか“練る”という言葉が好きです。うどんだってそばだって手打ちで練るからコシが出る。ダンスだってコシが出るまでしっかり“練る”必要がある。単純で根気のいることかも知れないけれど、コツコツやってみる。いつコシが出始めるかわからない。あと1回練ればコシが出るのにその前であきらめてしまってはすべてが水の泡になります。

以前、このコラムでも紹介したとおり、“イングリッシュスタイルのダンス”とはリード&フォローで踊ることであって互いの打ち合わせで踊ることではないのです。そういう意味で、今回のベーシックステップの導入はボールルームダンスの原点回帰であると言えます。自分もこの方向性は正しいと思います。全日本ベーシック選手権というのもあっていいのではないでしょうか?しかもメダルテストのステップを使ったりして・・・けっこう本気です!


③相手を支点に自分が動く



第98回 動きの支点

(2016年7月1日)

④「イヤだ」「イヤよ」でダンスは均衡する
 K先生がよく言うのは、「男は『イヤだ』。女は『イヤよ』。(心の中では、相手を両手で突き放す)それでお互いの上半身が反り離れるから、(ホールドする事で)
身体の一部は接していても、(押し合う)力が均衡するんです。(離れようとする力がなくなり)お互いの身体がべったりくっ付いたら重くて邪魔で動けません」
 相手を支点に自分が動くーー支点をめぐる思索には深いものがあります。
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❶「足の抗力」
2011年日本インター規定フィガーでのヴィクター・ファン&アナスタシア・ムラヴィエヴァ(アメリカ)組の演技への解説者のコメント。
「ヴィクター・ファン&アナスタシア・ムラヴィエヴァ」の画像検索結果
「いつも思うのですが、組む前に組んでいる。そんな背中、ホールド、包み込むような優しい、そして力強いーー好きですね。そしてロアーしていくところ。沈むところーーライズがアップでロアーが下ですがーーその時の足の抗力」

ーー「ロアーしていく時の足の抗力」
 さて、”抗力”については、
日本流体力学会の以下のような解説があります。
1 揚力と抗力. 流体中を移動する物体に働く流体力成分には,. 揚力と抗力があることはよく知られている.揚力. は対気速度に対して直角方向の. 力であり,平行な力は抗力と定義される.

【鳥巣注】
 なにしろ、スローにおける膝のソフトな活用+ロアーしていく時の足の抗力の使い方は大切。

❷足の抜け、体重の抜けが非常に強い
ミルコ・ゴッゾリ&エディタ・ダニューテ組(イタリア)の演技についての解説。
「足の抜け、体重の抜けが非常に強い。抑え、コントロールが効いている」

❸34の、もう1つ先に滑り込んでいく足
ドーメン・クラベ&モニカ・二グロ組(スロベニア)。
「このカップルのカウントの3~4。34--この足です。34、1234の部分のつま先。ここが他のカップルに比べて、もう1つ先に滑り込んでいくような足はものすごく好きですね」
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PS①

元横綱・千代の富士の九重親方が死去

大相撲で31回の優勝を果たし、相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した元横綱・千代の富士の九重親方が、31日午後4時ごろ、すい臓がんのため東京都内の病院で亡くなりました。61歳でした。

九重親方は昭和30年、北海道福島町で生まれ、昭和45年に初土俵を踏みました。
昭和56年の名古屋場所で2回目の優勝を果たして第58代の横綱となり、前みつを取っての速攻や強烈な上手投げなどで圧倒的な強さと人気を誇り、「ウルフ」のニックネームで親しまれました。
昭和63年には当時、戦後最高となる53連勝、平成元年には通算勝ち星の当時の新記録を作り、相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞しました。
平成3年の夏場所の初日に18歳の貴花田、のちの横綱・貴乃花に敗れ、3日目に貴闘力に敗れたあと、現役引退を表明しました。優勝回数31回は歴代3位、通算1045勝は歴代2位の記録です。
引退後は九重部屋を継承して大関・千代大海など多くの関取を育て、去年、国技館で還暦を祝う土俵入りを披露しました。
しかし、そのあとの名古屋場所を休み、早期のすい臓がんの手術を受けたと明らかにしていました。
そして31日午後4時ごろ、すい臓がんのため、東京大学附属病院で亡くなったということです。
九重親方の遺体は31日午後8時すぎ、病院から車で東京・墨田区の九重部屋に戻りました。白い布に包まれた遺体は、九重親方の弟子で、現在は部屋付きの親方を務める元大関・千代大海の佐ノ山親方など九重部屋の力士たちによって、部屋の中に入りました。

佐ノ山親方によりますと、九重親方の通夜は来月6日の午後6時から、告別式は7日の正午から、いずれも東京・墨田区にある九重部屋で営まれ、夏巡業に参加している九重部屋の力士たちも東京に戻り、参列するということです。

圧倒的な人気と強さの相撲人生

元横綱・千代の富士の九重親方、本名、秋元貢さんは、昭和30年、北海道福島町で生まれ、昭和45年の秋場所、15歳で初土俵を踏みました。
昭和50年に新入幕を果たし、軽量なうえ、肩の脱臼などたび重なるけがに苦しみながらも、厳しい稽古とトレーニングで番付を上げました。
昭和56年の初場所で、当時の横綱・北の湖との優勝決定戦に勝って初優勝し、大関に昇進しました。さらに同じ年の名古屋場所で2回目の優勝を果たし、第58代の横綱となりました。
左前みつを取って前へ出る速攻や強烈な上手投げなど、力強さとスピードを兼ね備えた相撲を取って優勝を重ね、引き締まった筋肉質の体と精かんな顔だちから「ウルフ」のニックネームで圧倒的な人気を誇りました。
昭和63年には、休場明けの夏場所から4場所連続で優勝し、当時の戦後最高となる53連勝を果たしましたが、九州場所の千秋楽で横綱・大乃国に敗れ、双葉山の69連勝には届きませんでした。
平成元年には、三女を亡くした直後の名古屋場所で、史上初となる同じ部屋の横綱・北勝海との優勝決定戦を制しました。さらに、続く秋場所で当時の通算勝ち星の新記録を樹立し、場所後に相撲界初の国民栄誉賞を受賞しました。これを受けて日本相撲協会は、一代年寄を贈ることを決めましたが、本人が辞退しました。
平成2年の春場所で、前人未到だった通算1000勝を達成、その年の九州場所では休場明けで31回目の優勝を果たし、元横綱・大鵬の優勝記録まであと1回に迫りました。
しかし、翌場所から2場所続けて休場し、復帰した平成3年夏場所の初日に、18歳の貴花田、のちの横綱・貴乃花に敗れ、その2日後に貴闘力に敗れたあと、引退を表明しました。
引退会見では「体力の限界、気力もなくなり引退することになりました」と、涙をこらえながら話しました。通算1045勝と横綱在位59場所は歴代2位、優勝31回と幕内807勝は歴代3位など、20年余りの現役生活で数多くの記録をうち立てた大横綱でした。
引退後は年寄、陣幕を経て、九重部屋を継承し、大関・千代大海など多くの幕内力士を育てる一方、日本相撲協会の理事として事業部長などを歴任しました。
60歳になる前日の去年5月31日には、東京・両国の国技館で赤い綱を締めて還暦を祝う土俵入りを行い、露払いに日馬富士、太刀持ちに白鵬の2人の現役横綱を従えて、現役時代と同じ雲龍型の土俵入りを披露しました。

出身地の町長「多くの町民が悲しんでいる」

元千代の富士の九重親方の出身地、北海道福島町の鳴海清春町長は、「先ほど、亡くなったことを聞いたばかりだ。今月中旬に東京でお会いして、町で来月10日に行われる九重部屋の合宿には必ず行くからとおっしゃっていたので、とても驚いている。町のヒーローが亡くなり、多くの町民が悲しんでいる」と話していました。

驚きや悲しみの声

札幌市中心部の大通公園や札幌ドームなどで、元横綱・千代の富士の九重親方が亡くなったことについて、悲しむ声が聞かれました。
釧路市の60代の男性は「ショックです。体は小さかったですが、とても強かったのが印象的でした。あれだけの大横綱が亡くなったのは残念です」と話していました。札幌市の60代の男性は「この前までテレビで見ていたので驚きました。道民の代表のような気持ちでいつも応援していました。天国から、道内出身の力士を見守ってほしいです」と話していました。
また札幌市の30代の男性は「早すぎます。もっと後進の育成に取り組んでほしかったです」と残念がっていました。
札幌市の70代の女性は「驚いて鳥肌が立ちました。若いころにテレビで応援していました。残念です」と話していました。
また、50代の江別市の男性は「驚きです。北の湖に千代の富士、歴代の名横綱が次々と亡くなってしまうのは、寂しい気持ちです」と話していました。

東京の渋谷駅前でも惜しむ声が聞かれました。
47歳の会社員の男性は「九重親方の横綱時代、千代の富士が好きで相撲のファンになりました。体は小さいのに技の種類が豊富な横綱でした。寂しいです」と話していました。63歳の女性は「体が小さいのに、ウルフという愛称で自分より体の大きな力士と闘っていた相撲を覚えています。まだ若いのに残念です」と話していました。

PS②
 

東京都知事選 小池百合子氏が当選確実

舛添前知事の辞職に伴う東京都知事選挙は31日に投票が行われ、無所属の新人で元防衛大臣の小池百合子氏の初めての当選が確実になりました。東京都知事に初めて女性が就任することになります。

元防衛大臣の小池百合子氏が、自民党、公明党、日本のこころを大切にする党が推薦する元総務大臣の増田寛也氏や、民進党、共産党、社民党、生活の党が推薦するジャーナリストの鳥越俊太郎氏らを抑えて初めての当選を確実にしました。東京都知事に初めて女性が就任することになります。
小池氏は兵庫県出身の64歳。エジプトのカイロ大学を卒業後、テレビのニュースキャスターなどを経て、平成4年の参議院選挙で当時の日本新党から立候補して初当選しました。翌平成5年に衆議院議員に転じ、今回、都知事選挙に立候補するまで8期連続で務めました。この間、日本新党から新進党、自由党、保守党を経て、自民党に移り、平成15年、小泉第2次改造内閣で環境大臣として初入閣し、地球温暖化対策を進めるため「クールビズ」の旗振り役を務めました。平成17年の衆議院選挙では、郵政民営化に反対する候補のいわゆる「刺客候補」として選挙区を地元の兵庫県から東京10区に移して立候補し、当選しました。平成19年には、第1次安倍内閣で防衛大臣に就任し、防衛庁時代を含めて女性で初めて防衛省のトップに立ちました。
今回の都知事選挙では、自民党が増田氏の支援を決める中、小池氏は、東京都連に出していた推薦願を取り下げて立候補し、事実上の分裂選挙となりました。小池氏は、政党の推薦を受けず、親交のある一部の自民党の国会議員や、みずからが地盤とする豊島区や練馬区の区議会議員らの支援を受けました。
選挙戦で、小池氏は、都知事が2代続けて政治とカネの問題で任期途中で辞職したことを踏まえ、しがらみのない政治を実現させるとして、「都の政策決定過程を透明化する」と訴えました。また、オリンピック・パラリンピックに関連する予算の見直しや、待機児童の解消、それに、環境に配慮した都市づくりなどに取り組むと訴えました。
その結果、所属する自民党の支持層や、特定の支持政党を持たない無党派層などから幅広く支持を集め、初めての当選を確実にしました。



鳥巣清典の時事コラム1642「GPIF 昨年度5兆3000億円余の赤字」

GPIF 昨年度5兆3000億円余の赤字

公的年金の積立金を運用しているGPIF=年金積立金管理運用独立行政法人は、昨年度の運用実績について、中国経済の減速に端を発した世界同時株安などの影響で、5兆3000億円余りの赤字になったと発表しました。

公的年金の積立金を運用しているGPIFは、29日午後、昨年度(平成27年度)の運用実績を発表しました。おととし10月に運用方針を見直し、国内株式と外国株式の割合を、それぞれ12%から25%に引き上げたあと、年度を通した運用実績が発表されたのは初めてで、5兆3098億円の赤字、収益率はマイナス3.81%となりました。

GPIFは、去年8月の中国経済の減速に端を発した世界同時株安などが影響したと分析していて、GPIFの単年度の運用実績が赤字になるのは5年ぶりです。収益の内訳は、国内株式が3兆4895億円の赤字、外国株式が3兆2451億円の赤字、国内債券が2兆94億円の黒字、外国債券が6600億円の赤字などとなっています。

これにより、GPIFが運用する積立金の総額は、ことし3月末現在で134兆7475億円となりました。また、GPIFは、今後の運用の透明性を高める一環として、平成26年度末時点で保有していた、すべての株式や債券の個別銘柄と時価総額を、29日に初めてホームページなどで公開しました。

GPIF理事長「給付額に直ちに影響ない」

GPIFの高橋則広理事長は記者会見で、昨年度の運用実績が赤字になったことについて、「去年8月上旬までは明るい市場運用状況だったが、中国の人民元の引き下げ報道などをきっかけに、特に株式市場が下がっていく状況になった。運用実績の数字を謙虚に受け止めて今後の運用に生かしたい」と述べました。

そのうえで、高橋理事長は年金給付額に与える影響について、「毎年の給付は、その年の保険料と国庫負担でおおむね賄う仕組みになっている。積立金が短期間で上下しても、受け取る給付金には直ちには影響が出ない。少しでも年金財政の安定に資する形で運用している」と述べました。

また、高橋理事長は、保有する国内外の株式の割合を引き上げたことについて、「株価の下落が大きく響いてトータルではマイナスとなった。しかし、日本の国債で収入を得るのは非常に難しい局面に入ってきているので、価格の変動はあるかもしれないが、外国の債券や外国株式、日本の株式に分散投資して利息や配当など収入の多様化が図られてきたのは非常に大きな利点だと考えている」と述べました。

厚労相 短期的な変動に過度にとらわれるべきではない

塩崎厚生労働大臣は閣議のあとの記者会見で、「年金積立金の運用は、リーマンショックなどの大きな市場変動があっても、累積では大幅な収益を確保している。短期的な評価損があったとしても、年金財政上の問題は全く生じず、年金の給付額に影響を与えるということもありえない。年金積立金の運用は、長期的な観点から行うもので、短期的な変動に過度にとらわれるべきではない」と述べました。そのうえで、塩崎大臣は「国民の老後を支える年金が将来にわたって、きちんと確保されることが何よりも大事なので、引き続き、年金積立金の運用については適切に対処していきたい」と述べました。

野党からは批判「参院選終わるまで隠していた」

公的年金の積立金の昨年度の運用実績が発表されたことを受けて、民進党は、国会内で会合を開きました。この中で、山井和則国会対策委員長代理は「例年は7月上旬に発表していたものを、参議院選挙があるからと言って、きょうまで5兆円余りの損失を隠してきたことに強く抗議したい。国民の年金を政治利用し、アベノミクスと称して目先の経済政策のためにリスクにさらしたものだ」と批判しました。民進党はGPIFに対し、おととしの運用方針の見直しが無かった場合の収益の試算を求めるなどして見直しが適切だったか追及していくことにしています。

共産党の小池書記局長は記者会見で、「アベノミクスの株価対策のために、国民の大事な年金資金を利用し、大きな穴を開けた安倍政権の政治的な責任は、極めて重大だ。また、公表の時期も、参議院選挙が終わるまで隠していたととられてもしかたがなく、安倍政権の隠蔽体質が表れている。国会でこれから追及していきたい」と述べました。

「リスクや損失 国民に説明し理解求める工夫を」

明治大学公共政策大学院の田中秀明教授は「公的年金は、現役世代が払った保険料がそのときの高齢者に回る仕組みで、運用収益の年金収入全体に対する割合は1割弱だ。運用してもそれほど影響はない」と話しています。

その一方で田中教授は、想定した運用利回りが目標を大幅に下回った場合のリスクについて、「給付の削減、もしくは保険料の引き上げ、あるいは税金の投入などが必要になる可能性はある。GPIFは、国民に対してどれくらいのリスクをとるのか、あるいは損失が出た場合、誰がどう責任を取るのか、絶え間なく説明し、きちんと理解を求めるという工夫が必要だ」と話しています。

「将来の減額につながる非常に深刻な問題」

日本総合研究所の西沢和彦主席研究員は「今の年金の仕組み上、損失が発生すれば、将来の世代の年金の減額となって表れてくるので、非常に深刻な問題だ。『損失が発生した場合には、保険料を引き上げたり、給付を抑制したりするが、それでも国民の皆さん、いいですか』という問いかけを本来すべきだ。基礎年金までも運用成績が悪いことによって給付水準が低下してしまうことになるとすると、われわれが基礎年金に対して抱いている最低生活保障的な期待が裏切られてしまう」と話しています。

「ポートフォリオの改革 着実に前進」

アメリカのコロンビア大学の伊藤隆敏教授は「これによって直ちに受給額が下がるということはない。おととしは15兆円の黒字で、その前の年は10兆円の黒字だから、たとえ5兆円、6兆円の赤字が出たとしても、この3年間で見れば、ものすごい利益を上げているということで、ポートフォリオ=運用割合の改革は着実にうまくいっている。むしろリスクを避けて、100%債券、あるいは100%日銀に預けて現金で持つと言えば、今のペースでは20年でゼロになるから、それこそ今、40歳以下の人はもらえない」と話しています。

“世界最大級の機関投資家” GPIF

GPIFは厚生年金と国民年金の積立金の運用を行う独立行政法人で、運用資産の総額がおよそ134兆円に上る世界最大級の機関投資家です。年金積立金は将来の年金給付の貴重な財源だけに、法律で、運用は「長期的な観点から安全かつ効率的に行う」ことが求められています。

GPIFは、現在、農林中央金庫出身の高橋則広理事長をトップに金融機関などの出身者や証券アナリストを中心とする98人の役職員が、経済情勢の分析や運用方針の決定を行うほか、民間の信託銀行や投資顧問会社などの運用の委託先を指導しています。年金の積立金を、どの資産に、どの程度の割合で投資するかという運用方針は、GPIFの運用委員会の審議を経て決定され、厚生労働大臣の認可を得ることになっています。

運用実績は経済情勢によって毎年変動があり、リーマンショックが起きた平成20年度は9兆3400億円余りの赤字となった一方、平成26年度は株価が堅調に推移したことなどから過去最高の15兆2900億円余りの黒字となりました。

超低金利で運用方針見直し 株式市場の”鯨”

GPIFは、おととし10月、公的年金の積立金の運用方針を見直しました。国債などの国内債券の割合は60%から35%に引き下げられ、外国債券は11%から15%に、国内株式と外国株式はそれぞれ12%から25%に引き上げられ、株式の割合がほぼ倍増しました。

株式の割合を引き上げた理由について、GPIFは「超低金利の中、国内債券中心の運用では高い利回りが期待できず、将来、年金財政を維持するのに必要な積立金を確保するのが難しくなる」などとして運用の収益性を高めるためと説明しています。一方、「株式への投資を増やしたことで、株価の変動の影響を受けやすくなった」として、リスクのある運用だと懸念する声もあります。

国内の株式市場で運用している資産の額は、ことし3月末現在で30兆円と、資産全体の21%に上っています。そして、GPIFが保有する株式の時価総額は、東京証券取引所1部に上場している株式全体の実に6.1%を占めています。こうした株式市場での存在感の大きさから、金融業界ではGPIFを「池の中の鯨」と例えることがあります。例えば、大幅に値下がりした銘柄の株価が急激に回復した場合に「GPIFが大量に買ったのではないか」という意味で、「鯨が動いたのではないか」といった表現が使われます。

資産運用会社、いちよしアセットマネジメントの秋野充成執行役員は「多くの投資家が短期間で株式の売買を繰り返す傾向が強まるなかで、株式を中長期的に保有する特徴があるGPIFは、株式市場を支える意味でますます大きな存在となっている」と話しています。