鳥巣清典の時事コラム1547「『広島71回目の原爆の日』と『平和の祭典・リオ五輪開幕』」 | 絶対に受けたい授業「国家財政破綻」

鳥巣清典の時事コラム1547「『広島71回目の原爆の日』と『平和の祭典・リオ五輪開幕』」

8月6日は、地球の表と裏で「戦争」と「平和」を象徴する式典が行われました。
広島で71回目の原爆の日。ブラジルでは、リオ五輪の開会式。



 終戦記念日が近づき、私の住む地域では催し物を開始。先日私は小林桂樹主演映画『激動の昭和史 軍閥』を鑑賞。評判は耳にしていたのですが、日本人が昭和史を学ぶにふさわしい映画だと思いました。戦況の真実を書いた毎日新聞記者が東条英機陸相兼首相の逆鱗に触れ、37歳で召集され前線へと送られる史実(=竹槍事件)は印象的でした。



 さらに『原爆展』ーー原爆投下後の現・原爆ドームを中心とした街並みのパノラマ写真の展示ーー等を見学。図書館では1冊の本ーーJ・サミュエル・ウォーカー著『原爆投下とトルーマン』(彩流社)を借りました。

原爆投下とトルーマン

 帯にあるように「原爆使用の真相」に迫った本。随所に見られるのは、大国間の勢力争いの駆け引き。

1、原爆開発計画「マンハッタン計画」を推進したフランクリン・ルーズベルト大統領が急死(1945年4月12日)


「フランクリン・ルーズベルト」の画像検索結果

 その死を受けてトルーマン大統領昇格
から1か月と経たない1945年5月8日、ドイツが連合国に降伏し、ヨーロッパでの戦争が終わった。

「トルーマン」の画像検索結果

2、トルーマンは、首席補佐官のウィリアム・D・リーヒ海軍提督に主要な関心事を提示。「彼の意図は、アメリカ兵の損失を最小限に抑えることを目的とした作戦を決めることだ」とリーヒは統合参謀本部に伝えた。「時間と財政的対価の節約は、さほど重要ではない」。6月17日、トルーマンは日記に、戦争を終結に導くより望ましい手段として、本土侵攻を許可するか、空襲と封鎖のみに頼るか決めることが「これまでのなかで最も至難な決断」だったと記している。

3、日本による真珠湾攻撃から3年半経過し、太平洋戦争は怖ろしく残酷な様相を呈していた。大戦前は、ほとんどのアメリカ人が日本人の軍事能力を侮っていた。真珠湾攻撃が衝撃を与えた理由の1つは、日本人がこれほど困難な作戦を遂行する手段も技能もないとアメリカ人が想定していたからであった。しかし、1941年末から1942年初頭にかけての、極東の欧米勢力に対する日本軍の勝利の後、日本の軍事能力に対する彼らのイメージは覆された。軽蔑、無能、下等生物ではなく、日本兵のイメージは、鍛錬されて侮りがたく、そして超人的な兵士となった。「今や、彼らは広い視野を持つ兵士、おまけに悪魔のようなずる賢い兵士であった」。

4、当時国務長官代行であったジョセフ・C・グル―が、1945年5月に懸念を表明。

 
「ジョセフ・C・グルー―」の画像検索結果

 ソビエト参戦は戦争遂行という面では有効だったが、外交面では犠牲を伴った。
「すでにロシアはーーポーランド、ルーマニア、ブルガリア、オーストリア、チェコソロバキア、そしてユーゴスラビアにおいてーー作り上げようとする将来の世界の原型を示している。・・・・ロシアが一旦参戦すれば、モンゴル、満州、そして韓国が最終的にロシアの勢力圏へと滑り落ち、そのうち中国が、そしてゆくゆくは日本も同じ行程をたどるだろう」

5、ポツダム会談(1945年7月17日~8月2日)での議題の特徴は、多くの複雑かつ論争的な問題を扱うことであった。会議の焦点はヨーロッパの将来であった。トルーマンの考えでは、アメリカの主要な目的は、スターリンからソ連の対日参戦の期日について確約を取り付けることであった。彼は、原子爆弾(1945年7月16日実験に成功)のおかげでこの問題をめぐるスターリンとの交渉が容易になると判断していたのは明らかである。



 8月6日夜NHKスペシャルは『決断なき原爆投下』のタイトルで米大統領と軍の知られざる攻防を取材。綿密な調査により、歴史的な真実が書き変えられていく過程を明らかにしていきます。
 現在の歴史は上記にあるように「トルーマンは、ソ連の対日参戦は不必要と考え、早期対日戦終結のため日本への原爆投下を決定した」。あるいは「
アメリカ兵の損失を最小限に抑えることを目的とした作戦を決行した」。これらのいわば”常識”を覆していく71年目の真実は衝撃的です。調査報道の白眉ーー。

*随時、加筆します。

 リオ五輪が開幕。



2020東京オリンピック
(7月24日~8月9日)・パラリンピック(8月25日~9月6日)。