鳥巣清典の時事コラム1550「トルーマン大統領就任13日後に原爆開発の進行状況を知る❷」 | 絶対に受けたい授業「国家財政破綻」

鳥巣清典の時事コラム1550「トルーマン大統領就任13日後に原爆開発の進行状況を知る❷」

 歴史的スクープNHKスペシャル『決断なき原爆投下』❷
 本日8月9日は午前11時2分、長崎に原爆が投下されてから71年目。

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ルーズベルトはグローヴスを責任者に抜擢後に死去


10、「大統領は市民の上に原爆を落とすという計画を止められなかった。1回始めた計画を止められる訳がない」(原爆開発責任者レズリー・リチャード・グローヴス准将大統領は軍を止められなかったと語るグローヴス。陸軍士官学校を優秀な成績で卒業後、いち早く司令官となった人物。当時のルーズベルト大統領が極秘に始めた原爆開発ーー「マンハッタン計画」。1942年9月グローヴスはその責任者に抜擢される。全米屈指の科学者を結集し、研究施設や工場を建設。22億ドルもの国家予算を投入して世界初の原爆の完成を目指した。
 ところが1945年4月12日、原爆の完成を待たずにルーズベルト大統領が急死。その直後、大統領に就任したのが当時副大統領だったトルーマン。ルーズベルトから引き継ぎもないまま突然巨大国家プロジェクトの最高責任者となる。

11、グローブスが就任当初のトルーマンについて「トルーマンは原爆計画について何も知らず大統領になった。そんな人が原爆投下に投下を判断するという恐ろしい立場に立たされた」。

 原爆開発を仕切るグローブス。そして最終責任を背負う事になったトルーマン。この後どのような経緯をもって原爆は投下されたのか。私たち全米各地に散逸していた機密資料を集め、投下までの4か月を詳細に検証。すると政権と軍の間に知られざる攻防があった事が分かってきた。


トルーマン大統領就任13日後に原爆開発の進行を知る


12、攻防の始まりはトルーマンが大統領に就任した13日後。大統領執務室での事だった。この日、グローヴスはトルーマンに原爆開発の進行状況について初めて報告し計画の続行を認めてもらおうと訪れていた。これまで原爆をどこに落とすかなど詳細は報告されていなかった。

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 アメリカでは選挙で国民に選ばれた大統領が最高司令官として軍を統制する文民統制という仕組みがある。重要な軍の決定事項は大統領に報告し必ず承認を得ることになっていた。
 このときグローヴスは24ページの報告書を持参。報告には原爆の仕組みや種類、予算などが簡潔に書かれていた。

軍内部で原爆投下計画を極秘に計画していたグローヴス

 
 原爆開発が成功すれば、戦争に勝利するための決定的な兵器になると強調していた。しかし大統領の反応は意外なものだった。
「大統領にとっては原爆開発の報告書は長かったようだ」(グローヴス)。トルーマンはこの報告書を見ようとはしなかった。この時グローヴスは計画の続行が承認されたと考えたという。「計画を変更する必要はないと。彼は進めて後で報告せよという態度だった」。すでにグローヴスは軍の内部で原爆投下計画を極秘に計画していた。