鳥巣清典の時事コラム1551「原爆投下の候補地をめぐって軍はトルーマン政権との間で激しい攻防❸」 | 絶対に受けたい授業「国家財政破綻」

鳥巣清典の時事コラム1551「原爆投下の候補地をめぐって軍はトルーマン政権との間で激しい攻防❸」

歴史的スクープNHKスペシャル『決断なき原爆投下』❸。

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戦争がどう進んでいるか聞かされてない(トルーマン45年4月12日)


13、今回見つかった内部資料。「最初の原爆は7月に準備。もう1つは8月1日頃に準備。1945年の暮れまでにさらに17発作る」。グローブスは、原爆の大量投下まで計画していた。
 軍の狙いに気づく事なく計画を黙認する形となったトルーマン。その背景に何があったのか。

 トルーマンの故郷ミズリー州に作られた図書館に手がかりが残っていた。「1945年4月12日の日記です」--引き継ぎなく突然大統領の重責を担う事になった不安が記されている。私の肩にアメリカのトップとしての重圧がのしかかってきた。そもそも私は戦争がどう進んでいるか聞かされていないし、外交にまだ自信が無い。軍が私をどう見ているのか心配だ」。

グローヴスが集めた委員会ー狙いは「最大の破壊効果」


14、この頃ヨーロッパでは、ナチスドイツが降伏寸前。太平洋戦争でも日本を追い、戦争をどう終わらせていくのか舵取りが求められていた。戦後の国際秩序を決める国連などとの苛烈な駆け引きがトルーマンの肩にのしかかっていた。大統領から原爆計画の承認を得たと考えたグローヴス。最初の面会から2日後。計画を次の段階に進めた。
 原爆を日本のどこに投下するのかを話合う目標検討委員会。議事録を見ていくと軍が何を狙って原爆を落とそうとしていたのかが分かってきた。



15、グローヴスが集めたのは、軍人や科学者たち。この場にトルーマンや側近は参加していない。はじめに議論されたのは、「原爆をいつ投下すべきか」。口火を切ったのは気象の専門家。「日本の6月は梅雨にあたり最悪だ。7月はまだましだが、8月になって良くなる。9月になるとまた悪くなる」。8月の10日が決まると目標地点について物f理学者が見解を述べていた。「人口が集中する地域で直径が5キロ以上の広さがある土地にすべきだ。それも8月まで空襲を受けず破壊されていない土地が良い」。
 狙いは、最大の破壊効果を得る事だった。

「広島」と「京都」が有力候補として残っていく

16、選ばれたのは東京湾から佐世保までの17か所。その中で広島と京都が有力候補に挙がっていく。「広島には良い平地があり、周りが山に囲まれているため爆風の集束作用が強まり大きな効果が挙げられる」。「京都は住民の知的レベルが高い。この兵器の意義を正しく認識するだろう」。
 2つの都市のうちグローブスが推したのは京都だった。「京都は、はずせなかった。最初の原爆は破壊効果が隅々にまで行き渡る都市に落としたかった」。破壊効果が最も高いと評価された京都。これはグルーヴスが保管していた地図。直径5キロメートル圏の円が光る。京都駅の西が中心となっている。円の中の大半は、一般市民が暮らす街だった。


候補地をめぐってトルーマン政権は「京都は認めない」


17、最も大きな破壊行為を得る事で原爆の意義を証明しようとしていたグローヴス。候補地京都をめぐってトルーマン政権との間で激しい攻防を繰り広げる。
 5月30日グローヴスはトルーマンの側近の部屋に呼ばれた。陸軍長官のスティムソン。文民の立場で軍から報告を受けトルーマンに伝える役目だった。

「ヘンリー・ルイス・スティムソン」の画像検索結果

 この日の様子をグローヴスは詳細に語っていた。「
スティムソンの部屋を訪ねると『投下目標の候補は決まったか?』と聞いてきた。『ちょうど決まったところです』と答えた。『どこが候補になったか?』と聞かれ名前を伝えた。すると『京都は認めない』と言われた」。

18、なぜスティムソンは京都への原爆投下に反対したのか?その事が分かる資料が残されていた。「これは
スティムソンの日記です」。グローヴスから報告を受けた1週間後の日記。「この戦争を遂行するにあたって気がかりな事がある。アメリカがヒトラーを凌ぐ残虐行為をしたという汚名を着せられはしないかという事だ」。スティムソンは、かつて2度京都を訪ねた事があるという。原爆を投下すれば、おびただしい数の市民が犠牲になると知っていた。
 スティムソンは、その頃激しさを増していた日本への空襲が国際世論が批判する無差別爆撃に当たるのではと危惧していた。これ以上アメリカのイメージを悪化させたくなかった。


京都にこだわり軍事施設があると偽情報を流すグローヴス


19、一方、グローヴスは諦めていなかった。
スティムソンとの面会から1か月後、京都に軍事施設があるという報告書を作成する。京都駅や絹織物を作る紡績工場を軍事施設として報告。『京都は他の軍事目標となんら変わりません』とスティムソンに伝えたところ『京都への原爆投下は軍事的意義がない』と認めてくれなかった。認めてもらうため彼の元に6回以上通った。
 京都への原爆投下は国益を損ねると考えていたスティムソン。グローヴスの提案を認めようとはしなかった。トルーマン政権と軍の攻防。膠着していた状態は7月のある出来事をきっかけに大きく動き始める。

20、7月16日、ニューメキシコ州で世界初の原爆実験が成功。