鳥巣清典の時事コラム1555「22億ドルの原爆計画ー効果を証明しないと追及を受ける❹」 | 絶対に受けたい授業「国家財政破綻」

鳥巣清典の時事コラム1555「22億ドルの原爆計画ー効果を証明しないと追及を受ける❹」

 歴史的スクープNHKスペシャル『決断なき原爆投下』❹。

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22億ドルの原爆計画ー効果を証明しないと追及を受ける


21、原爆の実戦での投下が現実のものとなった。一方で日本では多くの都市が空襲で焼け野原になり降伏は間近と見られていた。グローヴスは戦争が終わる前に原爆を使わなければならないと考えた。「原爆が完成しているのにも関わらずに使わなければ議会で厳しい追及を受ける事になる。
 22億ドルの国家予算を使って進めてきた原爆計画。責任者として効果を証明しなければならなかった。

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スティムソンの求めにトルーマン大統領は「京都は外す」


22、原爆実験から5日後。部下から緊急の電報が届く。<軍人たちは、あなたのお気に入りの都市を1発目の投下目標とするようです>。軍は京都への原爆投下をまだ諦めてはいなかった。3日後スティムソンはトルーマンに報告、京都を外すように求めた。

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<私は京都を目標から外すようにと大統領に求めた。もし一般市民が暮らす京都に原爆を落とすという行為をすれば、戦後和解の芽を摘み日本が反米国家になってしまうと。すると大統領は『全く同感だ』と答えた>(
スティムソンの日記)



「原爆投下はあくまで軍事施設に限る」(トルーマン)だが・・



23、トルーマンは書き残している。「私は原爆の投下はあくまでも軍事施設に限るという事でスティムソンと話した。けっして女性や子どもをターゲットにするような事がないようにと言った」(7月25日トルーマンの日記)

 トルーマンは市民の上へとの原爆投下に反対していた。ところがこの後、大統領の意思とは全く異なる方へ事態は進んでいく。

 トルーマンの元に軍から届いた新たな投下目標を記した文書。最初に挙げられていたのが「広島」だった。34万人が暮らしていた広島。市内には日本軍の司令部が置かれていた。一方で西洋の文化をいち早く取り入れた活気ある市民の暮らしがあった。



軍の報告書「広島は軍事都市」で原爆投下目標に残る



24、ところが報告書には、「広島は軍事都市だ」と強調されていた。

<広島は日本有数の軍事物資の供給など軍の大規模施設が集まる陸軍都市である>
 この報告書について原爆投下の経緯に詳しいアメリカの研究員者たちは、軍が市民の上に落とそうとした事を覆い隠そうとしたと指摘している。



原爆投下も広島市民の被害はないと思い込んだトルーマン



25、「報告書は、広島は軍事都市だと巧みに書かれていた。目標選定を行っていたグローヴスたちが意図的に騙そうとしていたのです」。「軍は原爆によって一般市民を攻撃する事はないと見せかけたのです。トルーマンは広島に原爆を投下しても一般市民の被害はほとんどないと思い込んでしまいました」(いずれも米研究者)

 結局トルーマンが投下目標から広島を外す事はなかった。

25、7月25日グリーヴスが作成した原爆投下指令書が発令される。<最初の原爆を広島、小倉、新潟、長崎のうちの1つに投下せよ。2発目以降は、準備ができ次第投下せよ>
 この原爆投下指令書をトルーマンが承認した事実を証明した事実は見つかっていない。大統領の明確な決断がないまま投下される事になった原爆。



人類初の大量破壊兵器の行使は軍主導で進められた



26、人類初の大量殺りく兵器の行使は軍の主導で進められていく。太平洋に浮かぶテニアン島。グローヴスは日本への空襲の拠点となっていたこの島に現場投下の特殊部隊を集結させた。509混成軍団。全米各地から選抜された爆撃部隊。広島の投下作戦に参加した1人レイギャラガーの証言から作戦の狙いが見えてきた。「司令官から『目標は広島だ』と言われた。『徹底的に破壊しろ』と命じられた。

 軍が作成した広島の投下目標を示した航空写真。目標とされた相生橋。
橋を中心に破壊の指標となる直径5キロの円が描かれていた。地図を立体化すると円は山裾ぎりぎりまで広がっていた。相生橋を目標にしたのは、破壊効果を最大にするためだった。

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運んだだけ。地上の人に心向ける事はなかった(原爆輸送パイロット)


「『非常に正確に投下せよ』と命じられ緊張した。その後、味も分からなくなった」。
 8月6日午前1時45分、部隊はテニアン島を離陸。「広島に近づくにつれ誰も口をきかなくなった。深い沈黙が続いた」。
 そして8時15分。



「2度と見たくない光景だった。申し訳ないが地上の人々に心を向ける事はなかった。私たちは『運べ』と命じられたものを運んだだけだ」(原爆を運んだパイロット)