あなたが夕飯の準備をしているとき
「ゴハンまだ~?」と,子供が,ダンナが言ってきたとします.
あなたはどう感じますか?
「一生懸命やってるのに…」と自分の頑張りを認めてもらえないと感じたり
「のんびりスマホとかいじってるから遅くなるんだよ」と責められてると感じたり
「のろまだな」と馬鹿にされてると感じたり
「スマホを見てソファーでのんびりしてた私が悪いんだ」と罪悪感を感じたり…
それとも,特に何も感じない
出来事としては,「ゴハンまだ~?」と聞かれただけ.
だから,何も感じない人は感じないのです.
文句を言われてるとも,責められてるとも,馬鹿にされてるとも感じないし,罪悪感も感じない.
でも,もしあなたが何らかのネガティブ感情を抱いたとしたら
それはあなたにとって,そう感じた出来事,つまり
「認めてもらえない」出来事
「責められた」出来事
「馬鹿にされた」出来事
「罪悪感を感じる」出来事など
ネガティブな出来事,言い換えると,被害者と加害者が存在する出来事として,脳に処理されていきます.
なぜ,そう処理されてしまうかというと,あなたが過去に出来事は違えど,同じ思いや感情をもったことがあって
それが繰り返されてきた,もしくはその出来事が強烈にネガティブを感じる大きなものだったから
あなたの今までの経験や記憶が,『これは○○な出来事』と勝手に脳内変換していくんです.
だから,歩んできた人生が違うから,同じ出来事でも,人によって捉え方や感じ方って違うものなんですね.
でもね,人は,出来事の捉え方,感じ方を変えられるんです.
「ゴハンまだ~?」を,以前なら『責められた』出来事と感じていたけれど
今は『単に聞かれただけ』と気にも留めなくなれたりします.
不登校も同じです.
子供の不登校だって,単なる出来事なんですね.
そして,不登校を通して自分が何を感じているのか?
それが,あなたにとって,子供の不登校という出来事の本質です.
特にネガティブなものと感じない人もいれば
絶対に避けるべきこと,あってはならないことと感じる人もいる.
初めはネガティブなものと捉えていたけれど,今はそう感じない人もいる.
『不登校=悪』と感じていた僕が,今では全く違う捉え方ができているように.
それに,想像してみてほしいのですが
家にいる子供に対して
めちゃくちゃネガティブ感情を感じているあなたと,特に何も感じていないあなただったら
どっちが日々穏やかに過ごせると思いますか?
どっちが子供にプラスの意識を向けられると思いますか?
どっちがこの先,子供に笑顔が戻ってきそうですか?
子供のことをどうにかしようとしなくても
あなたの捉え方が変わるだけで,見える世界がガラッと変わるものなんですよ.
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