学生指導の平等性
学生ここでは院生のことだが、(こう言ってみて、自分の意識に学生というのが学部生ではなく院生になっていて、重点化の副作用か、欧米風になってしまっているのに驚いている。)自分に対する教官の扱いが別の学生と異なっている、違う扱いをされていると感じている人がいるかも知れない。
今まで、平等第一の扱いをされて教育を受けてきた学生諸君には、かなり違和感があるらしいと思うことがあった。数日前に何人かの教官とこの点について議論した。議論というほどで格式張ったものではない。茶飲み話程度であるが大方のコンセンサスを得ているので、間接的になるが伝えておこう。
同じ扱いが平等であるという考え方の対極には、能力に応じた扱いを受けることが平等であるという考え方がある。昨今の時代精神は後者が優勢となっているのは気づいていると思うし、気づいていなければ、肝に銘じるべきであろう。自慢しているわけではないが(そう聞こえるという声がするが)、30歳代に始めて研究指導をせよと米国人が押し掛けて来たことがある。現在岩手医大の先生になっているLangmanという男は、来て早々、何故お前は教授でないのか、他の教授連中よりも業績が多いではないか、何か問題を起こしたのか、そうでないなら差別と感じないのか、と言われて驚いたことがある。日本は年功序列というシステムがあるのだと説明し、外人はものを知らん、と感じていた。このときには平等感にもいろいろあるとも感じなかった。そんな時代もあったのだが、今は違う。
さて、茶飲み話のことである。結論は義務教育ではないので「ひいき」はあって当然、ということになった。「ひいき」ということばが適当かは疑問がないわけではないが、要するに特定の学生に重点的に教官が指導力を配分し、優先的順位をつけても良いと考えるということである。誤解のないように補足をすると、最初から、(たとえば外見手がかり優位)を「ひいき」するという意味ではない。好みの学生の学生にだけ発表させ、それ以外の学生は学会に連れていかないなどとアカハラまがいのことを正当化するのでは決してない。
通常のゼミでの質疑や発表、学会での発表などを判断基準にして、研究を進めることに将来性を感じた学生を「ひいき」するという意味である。つまり、最初から差別化してということはしない。
たとえば、研究成果を発表したいと下書き論文が来れば、そしてそれが少し後押しすれば、公刊できそうという場合には、教官が「ひいき」することに結果としてなる。外国の学会で発表したいと英文の抄録でも書いてくれば、つたなくても手を入れて(仮にそれが法外な時間がかかってても)ということで「ひいき」することになるのである。
茶飲み話で場では、われわれの世代ではそんな厚遇はしてもらった経験はないが、最近の情勢では仕方がないかと全員考えているのだ。周りにいる教官はみな自己中心的でない,学生思いのよい人ばかりだということなのだ。また、自画自賛してというなかれ。
文献検索について
コーヒータイムの際に文献の調べ方が話題になった。6月23日(日)の午後のことである。川口、唐沢両先生と名古屋大学国際フォーラムに早朝から、しかも休日にも拘わらず参加し、揃って昼飯を食べて、コーヒーを飲んでいた。 われわれはこの頃やけに忙しい、昔の大学の先生は良かった、うらやましい、などといつものように愚痴っていた。愚痴ばかり言っていたわけではなく。話は何故か文献検索のやり方になっていた。いつものことだが、なぜか話題は院生の研究指導のことに行ってしまう。われわれがとても熱心な教育者であることの証左に他ならないと言っておこう(あるいは、全員年をとってきて、この頃の若い学生は、というようになったことかも知れないが、若いと思っているはずの二人には悪いので、声を潜めておく)。
日頃、僕が考えていることに二人とも同感であるということなので、伝えておこう。伝えておかないと教育的でなくなるからでもある。
結論はインターネットを介してデータベースを検索するだけではいけない、ということである。図書館で電子検索ができるようになり、著しく便利になった。昔はどうしていたかというと、雑誌の現物を見る、Psychological Abstractの現物を読んで要約を知ることをしていた。短所は時間がかかる、目が疲れる、検索できる雑誌が限られるなどである。しかし、表題が少しおもしろそうだということで流し読んだが、コピーするまでもないという論文でも、検索していたことになる。引用文献の欄などを流し読むと、そのトピックスの中心的研究者が誰かは引用文件数の多さで知ることができた。また、そのときは直接関係しない研究者の名前でも覚えることができた(潜在記憶ですが)。このような、関連周辺情報はインターネットでのデータベース検索では得られまい。
関連周辺情報の収集は実は、研究者がタコ壺型になるのを避ける上で有効性を持つ(と信じている)。
インターネットでの検索の第一の短所は、キーワードの付け方が研究者間で一定しないことでヒットしない文献がでる危険があることである。著名なデータベースなので、検索してひかからないと、研究が存在しないような錯覚に陥る。関連研究がないと言い張るトピックを僕が検索すると多数でてきた経験がある。トピックに関連しそうなキーワードが浮かばないためである。また、現在利用できるデータベースは欧文論文、それも著名な雑誌に限られている。日本の研究者がやっている研究はインターネットでは調べられないと考えた方が無難である。
では、若い学生はどうすればよいか?答えは、ともかく関連分野の3種程度の主要な学術雑誌は必ず現物に目を通すことである。そして、気に入った、あるいは関係する研究者を引用文献を含めて探し、見つけたならば、それからデータベース検索に移るというのがお勧めである。データベース検索をしないと主要な雑誌以外に発表している研究(以外とよいものもある。アイデアはよかったが結果が今ひとつというような)を見落としてしまうからである。
なに? 時間がかかり、図書館に行くのが面倒だ?
そういう学生は科学する心欠乏症で治療の必要がある。治療法は転地療養しかないだろうね。
変身宣言
厳しくいこう!と変身することにした(もっともかつての姿に戻るのだから,心的負荷は少なくてすむ)。
理由は,学生に物足りなさを感じる度合いが,頻度が,閾値を超えるようになったからである。大学院のゼミで思わず発言してしまったが,発言は少ないし出席状況も芳しくない。自分と関係のなさそうな領域の学生の発表だと出席しない,質問しない,関心を示さない風潮が充満しつつある。これは,修行中のものとしてはいただけない(最近は英国でもそうだと知人は嘆いている)。
将来研究者になれば,自分の関心以外の卒論や修論を指導せねばならない。あるいは,専門外の同僚との会話に入っていかねばならない。なのに,早い時期から研究分野の専門性を狭く限定してしまうのは考えものである。自分の専門分野での研鑽は自明である。それに加えて,他の関連領域で何が話題となっているのかぐらいの好奇心がないようでは,あるいは自分の研究にくっつけるものが何かないかぐらいの気持ちがないと研究者には向かない。転んだら両手に石ころを掴んで起きるようなどん欲な心構えが大切である。
研究のアイデアをうまく見つける能力はserendipityというが,基礎がしっかりしていて加えて好奇心が強いことが基本である。若い学生は,多くの学会や研究会に(費用がかからないようなものを選んで)参加すべきである。
さらに,アピールせよと言いたい。言い方は悪いが,教官サイドは実は常に学生の品定めをしている。発表者だけでなく,発言者,非発言者それぞれを常に評価している,突然就職口が舞い込んだときに,どう対処するかにまごつかないためでもある。修行中のものは誰かに見られていることにも気づいていなければならない。
これだけ多くの研究者志望の予備軍がいる時代になると,途中で進路を変更すべきであることを的確に示唆することも指導者サイドに求められていると自覚している。そのためにわれわれも切磋琢磨しているのだゾ。最後はちょっと脅迫的になったかも知れないが,「カミソリの八田」のターゲットにならないように,ふんどしを締め直せと言っておこう。
注;「カミソリの八田」とは頭が切れるというメタファかと思っていたが,59点を不可にする単純な人という意味であることを後日知った。国語教育もいるなあ。
新作料理のレシピ
前日の天気予報は午後雨であったが、ピンポイントの天気予報では高槻市日吉台は降水確率1時間1ミリということであった。雨天順延の記載なしに案内を出したこともあって、途中で小雨が降ってもかまわないと5月4日にBBQパーティを決行した(Cook先生には今年も降らない自信があるのかと冷やかされたが)。今年でおそらく25年目ではないかと思うが、毎年5月の連休の間に自宅裏庭でやっている年中行事である。珍しく病気をしたこともあって案内が遅くなり、アドレスの再チェックもせずに1週間ほど前に知らせておいた。来年もできる自信が万全というわけではないので,我が家のBBQについても記録しておく。
ゼミを持つことになった2年目に留学することになり、津山市郊外那岐山の貸別荘で集中ゼミをし、そのときBBQをしたのが始まりだったと思う(今年は奥さん連れで参加した相愛大の相谷先生は学生であった)。帰国後イギリスで買ってきた折り畳みテーブルセットと当時2万円ほどした大ナベを改造したようなBBQセットを使って始まったのである(新しいセットも買い足してはあるが、これらは現在も使用している。)。植木を入れる金がないので庭を芝にしておいたのが幸いして、ちょうどBBQに手頃な空間となったことも我が家に裏庭で始めた要因である。
今年も大勢が参加してくれた。大教大の林先生は大学生になった息子を連れて来た。昔は参加者の年齢が若かったので、ともかくあまり高くない肉とビールを大量に消費したものだが、ここ数年は平均年齢が上がり、ワインと上質の肉少量、海産物の消費が多くなっている。名大からは唐沢一家、杉村夫妻、大教大から久保一家、卒業生の前山一家、角一家、関西大からCook夫妻がBMWのスポーツカーで参加したが、子どもを別にすると樟蔭東短大の岩原君が30歳で最年少なのだから、すっかりおじさん・おばさんのパーティになってしまっている。
さて、表題の件であるが、今年はアボガドのディップと納豆の油揚げ包みを作った。前者は、熟れたアボガドと、歯触りを良くするためにセロリのみじん切りを混ぜて、軽く塩・胡椒(プラスアルファ)をして、ポテトチップスで梳くって食べるだけのもので、原型はオランダの先生に教えてもらった料理である。後者はオリジナル料理である。油揚げに納豆を白ネギ、赤味噌、山椒などを挟み込んで炭火で炙って、醤油を垂らして食べるというものである。自宅では納豆は買わないので、新しい挑戦であった。結果は失敗である。前日買った油揚げは上質すぎて、なかなか袋状になってくれないのである(なんでも刺身揚げということであった)。半分ぐらいの量しかできなかった。それとネギをさらしすぎたこと、納豆を混ぜすぎたきらいがあり、中身は想定したものよりも柔らかすぎた。6人ほどが食べたはずである。納豆を嫌いな唐沢婦人はおいしいと言っていたが、真偽のほどは判らない。袋にするのに手こずっている時点で嫌気がさしていたので、味はどうでもよくなっていた。再度、普通の油揚げで作ってみないとレパートリーが増えたとは言い難い。
5時前に雨が落ちてきたので,家の中に入ったが,みんな何だか知らないがよくしゃべって、食べていた。僕はシラスコの焼き役にされていたので飲むばかりであった。おかげで、正午過ぎから始まった集まりは8時過ぎにお開きとなり、道路まで見送りには出たが、その後の記憶ははなはだ怪しい。風呂にも入らずダウンしたことだけは確かである
しかし、今年は途中で寝てしまわなかった。偉いと自分を誉めておこう。
論文の作り方(めげそうな人への示唆)
評価の対象になる業績としては,研究論文,著書,競争的資金の獲得状況などが対象になるので,将来のある院生諸君はこの種の評価対象になるものをできるだけ蓄積することが,否応なしに求められる。
昨日,昼飯を一緒にした院生らとの会話の中で投稿論文が不採択になってと自信喪失気味の人がいた。投稿した論文の実験計画や結果の処理には問題はなくて,修正の仕方が分からない,論旨不明確などが主たる原因と思われるので,先輩として対応策を教授しておこう。何といっても教授なのだから(?)
・論旨を他人に話してみること。本当に分かっているかは,絵に描ける,話せるなどの運動表現ができるかだ,と山鳥重教授は近著「わかるとはどういうことか」の中で書いている。序論と考察の部分をできれば異なる分野の人に話して,理解してくれるかを検討すべきである。分かりやすい話の筋道が見えてこよう。
・Peer readingの習慣を付けることである。欧米では仲間内で下書き論文を回し読みし会う。ここでも直接の専門家でない他人が読んで分かるかが問われるのである。すると,異分野の人から新しい視点を提供されたり,解釈が膨らむことがある。
・現在,院生諸君は読書会をしているらしい。それもよいが,下書きの論文を読み会い,意見を言い合う会もやることが望ましい。僕は,ちょっといい雑誌にと思う場合は今でも,教え子に読んでもらい意見を参考に修正している。
・英文論文の場合は,論旨の展開の際の言い回しが見つからないことが多いようである。そう言う場合は,先生に教えてもらうのが近道であるし,金もかからない。ちょっとした構文で明かりが見えることは少なくない。
・査読結果はレフェリーの特性も反映するので,めげずに何度でもチャレンジすることが肝要である。僕など何度もrejectされている。現在査読付き論文は3桁になったが(自慢!),1回でOKというようなものは,ほとんどなかったように思う(謙虚!)。僕の先生であるDimond,S.J.もnatureやscienceに論文を若くして書いていた超有名な神経心理学者であったが,それでも投稿論文がrejectされることがあったのを知っている。阪神タイガースもnever surrenderでがんばっているではないか。
最後に,ここでの話が馬耳東風というようなことにならぬよう,論文をともかくも投稿することである。
入院騒ぎ(3)
泌尿器科の医師は、エコーの検査結果を見ながら入院できませんかねと、やや自信なさげに言うので、僕は「難しい。だが、今週は勤めに出ない、自宅で静養するから」とわざと強めに言って入院は免れた。自分でも昨日からの症状の緩和でいけそうだと判断したので、わがままだけと言うわけではない。それでも、金曜日に大学に行くのは無理かも知れないとやや弱気ではあった。金曜日には主査をしている委員会があると思いこんでいたからである(間違えていたのを川口さんお電話で翌日知った)。この時点で、今週は全部休講!と決めた。身体は休養モードに入ったようである。
午前の診察と検査が終わった時点では、買い物を終えて、車に荷物を積み込んで病院によった家内が、結石でなく、腎盂炎か腎炎の疑いという医師の話を聞いて、待合室で「腎炎なら透析になるの?」と余計なことを口にする。Positive thinking の元型のように唐沢さんは僕のことを言うが、そんな僕でもいささか不安な気持ちになり、将来どうするかを少しだけ想像したことを吐露しておこう。病人の不安とはそういうものなのである。家内は腹が減ったとおにぎりを買ってきて食べ、自分の予定があるらしく、2時前に家内は一人でバスで帰っていった。僕は不安も手伝ってか食欲はなく、3時過ぎまで何も食べず仕舞いであった。
点滴処置のセンターでは顔に見覚えのある看護婦が2人寄ってきて、「先生大丈夫?」といってくれたり、翌日再会したときには、昨日よりも顔色がよくなってるよ」と言ってくれるのは有り難かった。ただ、抗生物質の点滴をしてくれたのは少し年輩の看護婦さんで「先生なんですか」などと優しかったが、針を刺し損ねられて、痛かった。今でも左腕に青あざがくっきり残っている。
帰宅後は、唐沢さんに電話、休養を宣言し、水曜9時半からの会議、木曜の会議、休講の手続きを頼んだ。彼女はやっぱりダメだったでしょう風の落ち着きで対応していた。宿舎のキャンセルの件で渡辺さんに電話したが、滋賀県にいるとのことで、伊藤君や長谷川さんに電話するも通じず。しかし、お昼を食べて2階にあがり、キャンセルの手続き書類を発見、自分で処理できた。これで休養だーということで、寝間着に着替え、おとなしく寝ることにした。ビデオを見ながらであったが、気づいたら終わっていた。夜眠れるかと心配したが、この夜は11時間も眠れてしまった。この頃でも痛みは残存していた。押すとけっこう痛みを感じた。
17日は午前中ひどい雨の朝であった。こんな日に休みは嬉しい気分になるもので、みんなに悪い気がしたものである。期待していたが、痛みは緩和されているものの残存。10時頃病院に行く。別の泌尿器科医であったが、さらに詳しい造影剤での検査をするという日程のことだけ決め、抗生物質の点滴だけで自宅に帰った。この医師はもう入院のことは口にしなかった。入院は空騒ぎで済んだ。
この日になると余裕ができ、待合室の患者を観察できた。子ども2人連れの母親は大変だということ、子どもはよく泣くこと、聞き分けのない子がいるもんだなどを改めて知った。自分の子どもは幸いにして長期入院するようなことはなかったので、幸いなことだったのだと思ったことであった。また、病院の待合い時間が長いので本をもっていったが、頭に入る読み方はできない場所であることも知った。帰宅後は、この日もおとなしく寝間着に着替え横になった。いつしか7時前まで眠っていた。
9時前に寝ることにしたが、まだ万全の調子ではなかった。お腹がすかない、ビールが欲しくない(飲まなかったわけではないが)、押さえると痛みがあるといった状態であった。昼間も2時間ほど眠ったのにこの夜も10時間近く眠った。身体が休みモードのせいかも知れないが、異常によく寝るのである。そんなに疲労が蓄積していたのであろうか。
18日の朝は起きてみて、ほとんど回復したと感じた。7時過ぎであったが、寝ている家内に気づかれないように(気づかれると止められる可能性がある)。寝間着をやめて普段着に着替え散歩に出た。20分ほどで戻ったので気づかれずに済んだが、大丈夫、ほぼ回復したと実感した。仕事をするかと思ったが、気を取り直し、このメモを書いておくことにした。どうでしたなどの質問にいちいち答える手間を省くためである。それと休養モードなので仕事には急には戻れないこともある(昔はこんなことはなかったが)。
ここまで、もう5000字以上書いたのに、体調に変化がないので病後の試運転も上々というところである。もっとも、明日起きたらぶり返しているかも知れないし、来週の火曜日に決まっている精密検査次第だが。
現在、4月18日午後6時である。
入院騒ぎ(2)
当直の看護婦は9年前の教え子で助かった。こんなとき知り合いであるのとそうでないのとでは安堵感が違う。11時半であった。夜間救急外来の待合室には7人ほど先客が居た。これはたまらないなと思ったが、聞こえてくる話の中味から、患者は1人で、付き添いが多数であることがわかり、ほっとした(どうやら糖尿病の患者らしく、昏睡して家族が運び込んだ模様)。横になった方が楽かも知れないと思ったが、がんばって前の椅子の背にもたれて5分ほど診察を待った。この頃、排尿も通常通りなので膀胱炎ではなく自分では腎臓結石だろうと思っていた。命に別状があるものではなく、あまり不安はなかったが、こんなに痛いものかとは思った。尿検査のための紙コップを渡されたときに看護婦が教え子であることを再確認できた。しかし、教え子であるのが判ると安心できるが、痛み止めの座薬を入れましょうかとか、血液検査の採血時や点滴の針を刺すときに、「先生、緊張するわ」とか言われるのにはちょっと困った。
30後半という見かけの内科医は、僕の痛がりよう、痛さの性質(念のために記載するが、疼痛でも50肩でのような激痛でもない。叩くとお腹全体に響く鈍痛で、止めて、何でもします、と言いたくなるような性質の痛みなのだ)と、尿に白血球が出てないことから、腎臓結石だろうと判断したようである。そこで、レントゲンを撮った。しかし、石らしきものは見いだせなかった。ほどなく、血液検査の結果が出て、それを見た担当医は即時に、白血球値が高い(4桁の数値を言った)、MCH(?)が高いので、腎盂炎のようです、入院する値ですねという。「それは困る」と僕は主張。明日、泌尿器科で見てもらいその結果で決めるということにしてもらった。こういうとき、若い医者より、年輩の方が押しが利く(カルテには看護学校の関係者であることの記載はあるのは知っているのだ)。
とりあえず、抗生物質ボルタレンの点滴を受け自宅に返してもらった。病院を出ると2時を回っていた。座薬の鎮痛剤(自分で入れたのは言うまでもない)が効いてきており、車まで歩いている途中、家内はちゃんと歩けている、やっぱり来てよかっただろうと恩着せがましかったが、否定できないので、来るときもちゃんと歩いていたと抗弁して置くにとどめた。
入院騒ぎ(1)
発端は左脇腹痛が15日一日中続いたことにある。正確には、15日未明から下腹部に違和感があり、筋肉痛に似た鈍痛が左脇腹から背中にかけて生じたのだ。朝方3度ばかりトイレに行ったが放尿時に痛みなどはなかったが鈍重感がつきまとった。この時点での自己診断は膀胱炎?というものであった。前日、先輩の追悼会が大阪天満橋のホテルであり、不義理を重ねている同窓会に顔を出さねばということもあって出かけた。この朝、疲れが貯まっている感覚はあった。
追悼会ではあまり食欲はなく、もっぱら恩師や先輩・後輩と久しぶりに対話した。2時間半ほど立ちっぱなしであった。そのまま帰ろうかとも思ったが、2時半頃でホテルの窓からは大川沿いに折から開催されている「造幣局の通り抜け」に向かう長蛇の列が見え、10年以上前に一度来た記憶があるが久しぶりに行ってみるかという気になった。追悼会のスケジュールでもあった。天気も良いので同級生の摂南大の吉野絹子、甲南女子大の後藤容子両女史と通り抜けに行ってみた(日差しの強さに加えて熟女らの毒気に当てられたのか、疲労感は強かった)。桜はもう大方散っている時期ではあったが、通り抜けはさすがに桜の種類が多く、盛りの桜もあり、それなりに見事であった。ただ、混雑はひどかった。ちょうど、ラッシュの地下鉄ホームといった状況で、のろのろ進むだけでかなりの時間を要した。順路の終点にある帝国ホテルのトイレに駆け込んだが、かなり尿意を我慢した記憶があったので、膀胱炎?と推論したのだ。
15日の朝は、それでも30分ほど散歩に出かけ、違和感を感じつつも手元にあった抗生物質を飲み、大学に出た。夕方から自分が主査をしているどうしても休めない委員会があったためである(この時点で休んで病院に行けばよかったのかも知れない)。ずーと左脇腹に鈍痛があり、身体は重く、しんどかった。食欲もなく、いつも行く食堂には行かず、おにぎりとポカリスエットという変な組み合わせの昼飯となった(このような偏食行動は体調不良のサインと今では気づいているが)。渡辺はまさんには朝一番に「先生へろへろしている」と体調不良を見抜かれていた。飯高さんには、この痛みは何かね?などと聞いてもいる(早めに診察ですねと、医師らしく的確にされたが、その頃は病院に行かずに済むだろうと感じていた)。椅子に横になったりしながら、会議の時間を待っている状況であった。痛みを強く感じると、翌日は講義の予定がないので病院に行くか?と自問したりしていた。
大学では、予定していた仕事がパソコンのソフトの都合で不可能とわかり、夕方まで、査読(こんな状態なので、思案していたのが、不採択になったのはいうまでもない、外人の論文なので念のため)、頼まれた論文の下読みなど雑事で時間を過ごした。抗生物質は時間をおいて飲んでいたので、左脇腹から背中にかけての鈍痛は何とか我慢できた。会議を短めに済ませて帰路についた6時頃には鈍痛も軽減し、病院は行かなくても済むかも知れない、抗生物質で対応できたのだろうと、いい気分でいた。
ところが、である。新幹線での居眠りから京都の手前で寝覚めると、脇腹、背中の痛みがかなり悪化していた。姿勢も維持しにくいぐらいの状態であった。自宅に何とか戻った8時頃では痛みは増悪するばかりで、翌日病院に行かねばという状態になっていた。横になるのも痛くて、寝付けない状態であったが、家内のパソコンの先生が来るのというでともかく9時には床についた。
Spring has come
山裾は「太閤道」といって天下分け目の天王山に至るハイキングコースなのである。サクラはすでに散ってしまったが,やぶ椿の咲いているのを見上げたり、野生の三つ葉の新芽を見つけて摘んだりして20分ばかり散策していると様々な鳥が山裾に降りてきているのを知った。春なので繁殖の時期なのであろう(野鳥の繁殖時期が春かどうかは知らない。そんな気がするだけである)。鳥の名前はセキレイぐらいしか同定できなかったが、少なくとも5~6種の小鳥を見た。先週、岩手の浄土が浜でみたウミネコは怖い感じがしたが、出会った小鳥はすべて綺麗な羽や形をしていて愛らしかった。群でないのも愛らしさの要因かも知れない。ウグイスは比較的頻繁に鳴いていたがそれでも10秒程度の間隔がある。セキレイはもっと短い間隔でなく。スズメやツバメは鳴きっぱなしである。綺麗な名前を知らない小鳥はほとんど鳴かない。この鳥の鳴く間隔と情報量の関係はどうなっているのかなあと考えてしまった。多数でない鳥はあまり鳴かなくても種の間で情報が伝わるのだろうか。スズメのように多数いるとやかましく鳴いていないと情報の受信側に伝わらないのかも知れないなどと推理したりしたことであった。
摘んできた三つ葉は夜の食材の一部となった。香りは強く、春を味わえた穏やかな一日であった。
それにつけても今年の春は異常で,サクラはすっかり散ってしまい,例年はサクラに先駆けて咲く,椿やスオウの花が今満開なのはどうしたことであろう。温度差への感受性は樹木で違うらしい。とまれ,穏やかな新学期であって欲しいものである。
年度末に思うこと
3月20日に年度末の教授会があり、前の週までくすぶっていた概算要求の諸問題もけりがつき、定年で辞める教官と事務官の送別会の司会進行を最後の仕事にやっといろいろなことが一段落した。それ以来1週間が過ぎた。久しぶりに時間がゆっくり流れることを味わっている。
ほっとしてしまったのか、体調を崩し掛けた(崩した)。学部運営上の諸問題に翻弄されていても、研究に何か関連のあることをしていないと精神衛生が定常に保てなくなることは、他人に指摘されなくても自覚がある。1月から書き始めていた利き手と利き足に関する論文をやっと仕上げたことも(通常は書き始めれば2週間程度でけりをつけるのが普通なので、異常に長く掛かったことになる)、ほっとした一因であろう。
体調の崩すというのは,久しぶりなのでその加減を記録しておくことにしたい。まず、熟睡できなくなるのである。体調のよいときは、9時に寝て5時前に自然に目が覚めるのだが(年齢のわりには時間が長い)、9時に寝ても1時間半ぐらいおきに、何度も目が覚めるのだ。そしてしばらく寝付けず、また1時間半の睡眠をいう具合で熟睡感が持てない睡眠の形態になる。第2はアルコールに極端に弱くなるのだ。22日に福岡教育大に行き、博多で飲んだのだが、ビール小×2と冷酒1号弱で、不覚にも飲み屋で寝そうになった。コンビニで買った1000円の傘も忘れてしまった(帰り際に気づいて探しに戻ったが見つからなかった)。翌日の研修会がひどく寒かったのもいけなかった(加えて,講師の雑ぱくとした話を2時間も聞くのは拷問に近かった)。卒業式であったのだが,失礼して25日に東京へ日帰りした。昼飯代わりの懇親会で飲んだコップ2杯のビールで,帰りの新幹線では浜松まで頭痛と酔いで困った。第3はのどがいがらっぽくなり痛くなるのである。鼻炎の症状が常にあるのだが、鼻水ではなく咳とともに鼻水状のものが盛んに出るのである。人間は呼吸できなくなるか(肺呼吸器系)、心臓が止まるか(心臓血管系)のどちらかで死ぬのだが、僕はきっと前者であろう。
上記の3症状が出ていたが、26日には2つの会議に出た(2人の学生との面談もしたが)。この間、血圧が異常に上がっている自覚があったので、27日は自宅静養した。去年の夏に買った本などに目を通したりした。静養するぞと決めたのがよかったのか,26日と27日の夜は久しぶりに熟睡できた。
ここ数日の体調不良をどう解釈するかであるが,風邪をひきかけたのであろうが,ひどくならずにすんだのは24日に寒いのにクロールで20往復したお陰であると信じることにした。もう歳だからダメになってきたと思うか,一日休息したら体調が戻るのは,なかなかのものだと考えるかである。
まだ,後者の考えを採用するのに違和感がないのだから,もう少しがんばれるかも知れないと思っている。