国際学会に参加して(2)
学会では、たいてい日本でいう懇親会がある。知る人ぞ知る人見知らーであるので,僕は日本でのこの種のものにはほとんどでないが,外国ではでる。外国にいると人が変わるらしい。
今回は2日目に懇親会(conference dinner)あった。男はloungeスーツ,女はイブニング着用とあったので,さて何を着るのかと思ったが,男はスーツにネクタイをつけていればよいのがわかった。僕は三つ揃えを着ていったが、そこまでする必要もなかったようである。女は7割ほどがすその長い、肩をほり出したドレス(黒が多かった)である。ワンピースにネックレスをして,ショールという人が残りである。
今回は会場の隣の国立美術館が会場であった。7時から7時15分までに入場せよと言う。Receptionである。会場は2階の4つの展示室であり,モネの睡蓮の絵や,ロダンの彫刻を眺めながら,ワインを飲む。そしてdinnerが始まるのを待つのである。談笑しながら待つのである。僕は知り合いがいないので,白ワインを3杯も飲んでしまった。ずっと一人で絵を見ていたわけではなく,旧知のColtheratとBaddeleyと話をした。Coltheratは9月の基礎心理学会に来るらしい。BaddeleyはStanfordでの9ヶ月間の滞在中にworking memoryの本を書いたという。しばらく実験をしてなかったが9月から復帰すると言うことであった。こういう人たちは元気である。
8時近くになって娘が留学しているので来たと言う南アフリカの白人女性が話し掛けてきた。美人でありどうしたことかと思ってしまった。曰く,東アジアでの脳損傷の状況に関心がるので教えてと言う。日本の人口はイギリスよりも多いのだということにも驚いていたが,統計は知らないと逃げておいた。何でも知っておかなければ、話題が豊かでないとこういうときに話が続けられないのだ。言うまでもなく,こういうときの会話はNOVAでは身につかないので注意が要る。
今回の学会ではTBI(脳外傷)だけでなくABI(acquired brain injury)も含んでいるのでこんな話になるのだ。かなり話し込んだので一緒のテーブルでDINNERかな?と思っていたが,1階のdinner会場に下りていくときに逸れてしまった。
結局,dinnerは女性ばかり5人のところで食べることとなった。左隣はCardiff市で働く作業療法士,右隣はOxfordから来たと言うバツイチの作業療法士であった。ワインの力もあって,人見知らーの僕でも盛り上がった。10時半を過ぎてやっとlectureが始まった。Badddeleyは長すぎて受けなかった。みんな飲んでいるのに無粋であった。僕にはジョークを一つ言って短く話すつもりと言っていたのだが,彼のmemoryには問題があるようである,いうとわがテーブルでは受けた。
食事のときは勝手に食べ始めてよいのである。日本での様に乾杯を待ってということはない。
Lectureは人気TV番組の作家(7年前に脳卒中をやったらしい)と国会議員らしいのがしゃべった。よく聞いていなかったので何が受けたのか不明だが,笑いと拍手は多かった。こんな風にはなかなかなれそうにない。
解散は11時となった。明日9時から再開という時期でも遅くまで飲めるのは連中のタフさの証拠である。僕はタクシーで早々に退散した。長い一日であった。
国際学会に参加して(1)
9月17日から3日間Cardiffで開催された学会に参加している。税金を使って来ているので,そこで得たこと、感じたことを伝えるのも義務かもしれないので書いておく。
Cardiffは僕が若い頃(32歳)1年間を過ごした町である。大学は付近の大学と合併して(現在,日本の国立大で起きつつあることが10年以上前にサッチャーによって行われ、伝統的なイギリスの大学制度はアメリカナイズされたのだ)イギリスで一番大きな心理学教室になっている。学部になっている。時間が経ったことや,新しいスタイルの学部を嫌って出て行った者もあり,現在知っているスタッフは技官と秘書の2人だけである。したがって,研究室を訪問することはしないつもりである。
今回は,25年前の先生の家に泊まることとなった。Dimond先生はすでに亡くなって,20年以上になる。奥さんが福祉関連の法律家で大学の学長を定年で辞めたので寄るように言われたためである。Biddy(先生)はしかし,講演で忙しく1週間に3日ほどは飛び回っているのが現状で,駅まで迎えてくれたのは初対面のシドニー出身の同居人(58歳の女性)であった。16日の11時に駅に着いたがBiddyは7時前にLondonでの講演旅行から戻るという按配であった。午後はバスで市役所に行き(学会会場)登録を済ませ、近くを散策した。Llandaff大聖堂が近くにあり,出かけてみた。正面前のカーブした石の階段を目にしたとき,25年前の情景を鮮明に想い出した。大学の宿舎で時差ぼけで寝ていた2日目の僕をDimond先生は2人の娘を連れて訪ねてきて,自宅に招いてくれたのだ。そのとき4人でLlandaff大聖堂を散策し,石の階段を降りたのだった。初対面の僕を気にしつつも跳ね回っていたのが娘たちがあった。
人間や大学の様子は大きく変わったが,すべてがNothing stay the sameと言うわけではなかった。瞼の裏に熱いものを感じたことを記しておこう。過去を振り返ることが多くなるのは、老化の兆候かも知れない。
夕食は同居人が作ってくれていた。食事の前にもかかわらず,最近他人からは言われることがなくなったことをBiddyは平気で言う。「タケシ、研究している?本を書いた?」などである。何時までたってもかなわない。彼女は22冊目の本を仕上げたところと言う。30歳台の後半に旦那に白血病で急に死なれて2人の女の子を育てたエネルギーは恐るべきものである。昨日はLondonのホテルのpoolで泳いだと自慢気に言う。かなり太目の彼女が水に浮かんでいる絵を想像すると,可笑しくなってしまう。現在は講演生活の傍ら放送大学で音楽の勉強をしているらしく,5年目で学士号を取る試験の勉強がなかなかはかどらないとぼやいていた。僕の最近の神経心理学理論では,音楽を続けるのは老化防止に絶対的に効果があると言ってあげたら,喜んでいた。楽譜が覚えられないというのだから音楽の試験は実技なしのもののようである。
さて,学会である。すべて招待講演で構成されており,著名な神経心理学者が少なくない。学会のタイトルは「Effectiveness of rehabilitation for cognitive deficits」であり,脳損傷者の高次脳機能のリハに関するものである。感じたことを思いつくままに上げると次のようなものである。
1. リハにはmodel-basedなものと,general-orientedなものがある。前者は高次機能の要素別の治療を理論に基づいてやるというもので,Cotlheartが講演した。後者は人格全体を治療対象にしてというもので,Prigatanoが講演した。現場の人間には後者が受けるのだろうと思われた。
2. 全人格を対象にという治療方針は,個別カウンセリングを含むものなので,日本の臨床心理士の将来の職場はこんなところになるのではないかと思われた。もっとも,ユング信仰者のようなタイプの臨床心理士ではなく,脳機能の神経心理学を基盤にしたものとなるはずである。
3. Coltheratは認知心理学者で知らない人はない著名な人で,実験→モデルを背景とした基礎をやってきた人であるが,今回は読み障害の治療症例にも触れた。第1戦の研究者は基礎から応用まで包括的にやるのだなあと感心した。
4. 学会が応用的なものであることによるのかもしれないが,認知心理学者のいわゆる健常者を対象とした実験研究は脳損傷者を包括する応用的研究に大きくシフトしつつある傾向を強く感じた。基礎をやるつもりの認知心理学徒はあまねく脳の基礎知識を学び,機能を理解せねばならなくなるときはすでに来ている印象である。僕の「脳と行動の仕組み」が10年ぶりに改訂されるの、ぜひ買って勉強すべきであるというのは我田引水かな?
5. 400名ほどの参加者は研究者よりも現場の実践家,それと臨床心理をやろうとする学生が大半の印象である。そのためか,講演は教育的なものが多い感じを受けた。著名な研究者出ることによるのかもしれないが40分の講演は構成が巧みで、しっかりしている。学ばねばならないことである。素人にもわかるような構成になっており,伝えようとする情報量は少なく,単純であるのが共通している。先週行われた日本での神経心理学会では、自分の研究成果をわかって欲しいということではなく,学会での発表実績を得るためだけではないかと思えるものがあった。
6. 口頭発表のまずいものは司会者の印象に強く残るので,将来のことを考えると院生諸君は心すべきである。司会者はその分野の有力者が少なくないからである。
最後に教訓も書いたので,この辺で止めておこう。昨日の朝飯で食べたシリヤルの木の実が硬く右奥歯の詰め物が取れてしまい,違和感がある。集中力を欠く状態なのである。
野球拳モデル(8/7)
歓迎会の席で、心理チームは何をやっているのかを紹介させられる羽目になった。これは、心理チームがこの検診のボスの許可なしに昨年から整形外科チームの誘いで強引に参加してしまったことに起因している。4~5日前に整形の先生からこのことを匂わされていたので、1枚だけ資料を作り準備はしていた。急なことであったが窮すれば通ずで(笑うところです)、われわれが昨年から始めている検査の位置づけを説明した。われわれの研究の背景理論は,後の酒の席で野球拳モデルと呼ぶことに決めた(少し色っぽいのが気に入っている)。ボスの先生は説明を大変気に入られた様子で、高く評価できる、すばらしいと言っていただいた。今後5年と言わずにもっと続けるように、金がなくなれば、町から援助するように手配したと検診2日目に言ってこられた(ちなみに、今回の心理チームの旅費、滞在費はこちら持ちで、歓迎会や送迎、ツアーは八雲町負担である。金持ちでないとこの種の研究はできないのだ)。
野球拳モデルであるが、詳細ははぶくが、次のことが基礎になっている。
・人間の認知機能は前頭前部が担うが、この部位は脳の進化では最新の部位である。したがって、脆弱で、壊れやすい。
・認知機能よりも、先に筋・運動系機能が、その前に循環系・代謝系機能が進化したので、壊れ易さは逆順となる。
・認知機能は、進化が古い機能系を基礎に成立する。
・個体発生は系統発生を繰り返すので、前頭前部が担う機能も新しく獲得したものほど脆弱で壊れやすい。たとえば、記憶機能では、直後記憶、遠隔記憶、展望記憶の順に、言語機能では、物品呼称よりも単語検索(文字流暢性)、レトリックがという順に壊れにくくなっている。
さて、野球拳というのは、ジャンケンで負けた側が衣服を脱いでいくというお座敷ゲームである。昔、テレビで高視聴率をあげ、ひんしゅくを買った番組もある。
自分自身の経験に基づくのだが、40歳ぐらいまでは、すべての機能に衰えを自覚しない。届いていたはずのテニスボールにラケットが間に合わない、おや?というのが40歳を過ぎた頃である。
加齢により、野球拳で負け始めるのがこの年代で、以後は基本的に負け続けるのだと言うのが我がモデルである。このときに、40歳ぐらいまでにたくさん着込んでいた人は、なかなかパンツ1枚にはならないが、着込むのをさぼっていた人は早くパンツ1枚になり、負けてしまう(つまり、認知機能が大幅低下してしまう)と言うわけである。
言語を例に取ろう。1歳頃から覚え始めた母語は小学生で流暢になる。その頃から読み書き、作文を覚える。
学校を出て就職すると、業務報告書ぐらいしか書かずに、あとは 「飯、風呂、寝る」しか言わない、友人とも話をしないというような人は着込むのをさぼった人である。一方、学校を出て就職しても、読書を続ける、日記を書く、短歌や俳句を始める、話術(落語など)を習う、他人との会話を盛んにする人は、たくさん着込んでいく人である。後者の方が前者よりも認知機能障害を生じにくいはずである。認知機能の個体発生を考えると,人生の遅い時期に習い始めたものから壊れていくということである。
さまざまな認知機能にこのモデルは当てはまると言いたいのだが、疲れてきたので、この辺で止めておこう。
こんなコラムを書いたり、授業でのへたなギャグばかり考えている自分に都合のよいことを言っているなあ、と思うかも知れない。密かに自分を対象にして実験中なのである。筋・運動系の訓練も基盤となるので、水泳や散歩をしなければならない。何かと忙しいのだ。
Sprout (7/21)
シイタケは入れて欲しいと言ったのだが、急には無理だと一蹴された。
出された冷やしそうめんにはキュウリとミョウガとオオバとゴミのような青い髭様のものが乗っていた。ショウガとネギをそうめんつゆに入れて食したのだが(文章にすると如何にも美味そうだが、ただのそうめんである)、髭様のものがモゾモゾして食感が悪かった。聞くとブロッコリーの芽で、スプロウトというのだと教えられた。何でもガンの予防の栄養分が多いと最近人気があるらしい。
野菜の発芽したものはすべてスプロウトであるはずだが、ブロッコリーだけをいうのか不明である。
田舎では大根の種をまいて発芽したものを間引き、みそ汁の具にして食べた記憶がある。大根の芽は少し辛みがあったりすると以外と美味であるが、ブロッコリーは味がない。口当たりも悪い、食品としては失格の判定を下したい。第一、発芽した植物を育たないうちから食べてしまうのは、人間としていけないような気になるではないか。
ところで、久しぶりに夕方に芝を刈らされていると、5月のBBQのときに種を埋めておいたアボガドが、百合の鉢植えの中で発芽して20cmほどに育っているのを見つけた。芽など出るものかという周囲の声に逆らって埋めたこともあり、急に愛おしくなり、百合の鉢から別の鉢に植え替えることにした。根は以外に丈夫で、結局百合の鉢を根こそぎ取り出してアボガドだけ切り分けることとなった。これで立派に育つ環境ができたぞと思っていたのだが(アボガドの木は幹が10cmぐらいにならないと実はならないと思う)、今朝、植え替えたアボガドをみると萎れてしまっていた。優しい配慮と思ったがしなければよかったのである。
発芽したものを中断させるのも、大事にしすぎるのもいけないらしい。難しい問題である。しかし,示唆的でもある。
台風6号(7/10)
新幹線で缶詰になったのである。昨日夕方の5時に提出締め切りという研究科のCOE21関係の指示を,メールで確認したのが5時5分前であった。電話連絡して翌朝一番で出すというのもダメ,5時半までならというつれない返事。適当に加筆してと投げ出したものの,どうせ事務は朝9時からしか仕事をしないだろうから,差し替えてもらおうと考えていつもより早く,6時7分の電車に乗って京都6時35分発の新幹線をつかまえることにした。6時30分にホームに駆け上がり自由席の5号車の列に並ぶ。列車が入ってきたので,乗り込み3人掛けの真ん中に座る。書類つくりは20分もあればOKだから,ゆっくりコーヒーでも飲んでから9時から院生ゼミだ,やれやれ一段落と思ったとたんに車内放送。台風6号の影響で関ヶ原あたりが大雨。出発は見合わすという。雨で増水した河川が基準値を超えたためという。それなら,当分ダメじゃないかと思ったが,とりあえず,30分ほど待つ。在来線も高速道路も不通というのだから仕方がないと,さらに30分。朝早かったので寝るか,とがんばるが動かない新幹線は眠りを誘導しない。
うしろの座席の女学生は入社試験に東京に行くらしい。隣のおじさんと相談。おじさんは物知りで,近鉄で名古屋まで行く手もある。京都から八木に出て名古屋には3時間でいけるよという声。そうか,その手もあるなと思ったら,おじさん曰く,でもあと1時間もして動けば新幹線の方が早いよという声。じゃ待つしかない,思ったとたん,車内放送。水位が減ったのでまもなく,運転再開という。ほっとして目を閉じて待つ。じっと待つが動かない。20分ほどして水位は減ったが,垂井町で時間あたり降水量が基準を越えたので,運転見合わせの社内放送。こんな繰り返しで2時間半経過。立っている人には悪いが座っていても腰が痛くなり始める。2時間半後にやっと米原まで動く。窓の外に雨は降っていない。10時半すぎ,米原で臨時停車し,客を乗せる。通路は満員状態。この調子なら2時間目の講義はできると連絡しようとしたら,岐阜羽島の16km手前で停車。カーブなので身体が斜めのまま。これにはくたびれた。結局,11時10分頃名古屋着。名古屋は雨も降っていなかった。
こんな状態であるのに客はおとなしい。驚きであった。イライラして暴れないのは携帯電話のお陰だ。だいたい20分ぐらいの間隔で電話をする人が大半であった。出社が遅れるぐらいはたいしたことがないが,入社試験の学生や,成田から飛行機に乗るといって走り回っていたおばさんは気の毒だった。人間の待ち時間のテンポは20分程度のようである。
僕もやはり,5回ほど電話した。1時間目に間に合わないので,とか,近鉄の電話番号調べてとか,2時間目もダメみたい,ということだったが,スケジュールを勝手に決められるのは有り難く,イライラすることも少なかった。途中で家に引き返して,明日出直そうかとも思ったが,明日,附属高校で話す予定があり,それに間に合わない事態が起きないとも限らないと考えたことと,缶詰状態が長引いてパニックになったら,みんなはどのような行動をとるのか観察できるかもしれない,などと変な好奇心が沸いてきたために5時間半の新幹線の旅になってしまった。
まったく,何が起きるかわからないのがこの社会である。僕はチーズを一箱もっているので少々缶詰めになっても安心だもんねと思っていました。備えは大事だ,いらつかずにすむ,ということです。
COE 21問題(7月5日騒動)
7月6日はひどく消耗した状態で、11時前に帰宅した。家内と話す気力もなく、風呂→飯・ビール、でバタンキューであった。朝の6時10分には研究室に行ったので、過重な労働様態である。大学の教官は講義以外にも下記のようなことで、大変なのです。だから院生の諸君は、なるべく自分でいろんなことをやりましょう(やれるようになりましょう)。
消耗感は他人に話しても、なかなか背景説明がないと判ってもらえないので、家内に話す気力が出なかったわけであるが、一夜明けて、気持ちを切り替えるためには、文章化して発散するしかない。
COE 21は文部科学省のいい加減さのために(募集要項が何ヶ月もできてこなかったのだ)、どういう性質のものかよくわからないまま、学内締め切り3日ほど前からバタバタ準備をすることになった。そういう事情があるので、環境学研究科の執行部の対応にも単純に文句を言うのは気の毒なのだが、敢えて言えば、方針が定まらなかったのが昨夜の消耗感の源泉である(怒っているわけではない)。
事情はこうである。地球環境学専攻(理学系)、都市環境学専攻(建築・土木系)社会環境学専攻(社会・人文系)と3専攻ある内の社会環境学専攻が基軸となりCOE 21に応募することとなった(理由は省略)。COE 21は1~5憶のお金を5年間毎年くれるというもので、かつ基本的には使途は自由である。だからみんな欲しいのだ。名古屋大学からは7~10件が申請されるはずである。
業績の多い教授がメンバーになれということで、以前から業績リスト各種を準備させられていた(大変な作業であったが、これはまあ、仕方がない)。7/1(月)にメンバーらが集まり、7/3までに学内申請書をともかく作成した(8時過ぎまでかかった)。7/4に総長部局でのヒアリングがあった。このときは社会環境学専攻の評議員が研究代表で、プレゼンテーションしたはずである。僕は10名の構成メンバーの一員であったが、業績が理由での雇われ構成員であった(はずである)ので詳細は知らない。
7/4(木)は大学基準協会の用事で東京に日帰り出張した。7/5(金)の朝6時10分に研究室に行き、メールを点検すると、18時半から申請計画の練り直しをする、個別の研究計画をだせ、研究計画をだしたところにお金は配分する方針、という理学系の評議員(COE 21の環境学研究科の責任者)からの連絡があった。メールでは、僕が全体の総括することになっており、唐沢さんが総括組のメンバーで(理系の発想では、助教授なので僕が彼女を自由にこき使えると思っているのだろうが、滅相もない)、個別研究計画の中には心理学のものが入っていないのだ。
なんだ、これは!ということで、ともかくも心理学の出す研究計画を提示しないと、お金は来ないし、中間・最終報告書のまとめ役だけさせられるのではたまらない。困る。そこで、まずは7時20分に、寝ているはずの川口さんの自宅に電話で連絡、夕方までに計画を作ってもらうことにした(素案は以前に僕らで考えてあった、準備を怠らないのはエライ!)。
1限の授業終了後、理学系の評議員(COE 21の環境学研究科の責任者)に電話。「ナンデ僕が総括なんだ」、というと、彼は彼で、社会環境学専攻が主になる案を、(役職の立場上)総括すべき人が固辞した、「アンタもか」、とオカンムリ状態(僕は研究科の方では役職なしの平教授です)。社会環境学専攻では成案を作れないのかと反撃される始末。ともかく、総長ヒヤリングでは申請案は、基盤整備案にすぎないのでダメだから研究中心に書き直し、7/8にもう一度説明しろと言うことらしい(ヒヤリングでの選考委員である副総長や総長補佐の、代表者を代えろ、などの発言が間接的ではあるがメールで伝わる。怖い世界である!)。
2限の授業終了を待って、理学系の評議員に1時半に部屋に来てもらう(この頃、明日はシンガポール!とはしゃいで大学に来たはずの唐沢さんが、メールを見て激怒!)。
ともかく、僕が総括できそうな申請案に作り替えるという条件を付けて、総括を引き受けてもよいということにした。そこで、貝沼評議員にも来てもらい2時間ほどで、川口、筏津など2~3教官を含めて議論の末、申請案を根本的に改編した。唐沢さんにカラーの図表も2枚作ってもらい、一段落と考えていた。
「人文社会系の研究者は申請計画もできない」と他の専攻から卑下されるくらいなら、やってやろうじゃないの、ということである。「俺も男だ!マドロスだ!の心境にすぐなるところは、策略にはまったようで、僕の性格としては反省すべき点である。
6時から僕は学部カリキュラム改革作業員会の結果を学部長らに報告する会議に出なければならなかったので、貝沼評議員に資料を託しておいた。川口、筏津は6時45分頃に環境学研究科の工学部会議室に行ったようである。僕は会議を終えて7時半過ぎに工学部の会議室に行った。
部屋にはいると、会議室の白版には前の申請案に基づく概念図が書いてあった。川口。筏津さんが着いたときに、もうこうなっていたという。申請の代表者は貝沼評議員から地理学の教授に変更されたということであった(事情は不明だが一旦断っていた人である。端からそうしておいてくれれば、今回のような騒動にならずに済んだのかも知れないのに!)。午後の数時間の騒ぎは何だったのか、とは思ったが、疲労感の方が強く、発言せずに8時に退出の筏津さんに続いて、後を川口さんに任せて、8時半に途中退出し、帰宅したのだ。呆れて、諦めての心境であった。帰りの新幹線は満員で、座席を求めて2号車までいった。座れてよかった、でないとグリーンにしようかと思ったくらい疲れていたのです。
今回に騒動(敢えてそう言おう)でいくつかのことを再確認した。知識として知っていたが実感した、realizeしたということである。参考までに。
第1は、お金の分配が絡むと、理系の先生たちは目の色が違うというか、例えは悪いがハイエナのように貪欲になるということである。僕自身この申請に当初は関わっておらず、詳しい経過は知らないが、社会環境学専攻が主体となって申請するというはずであったのが、そうでなくなっている感じがした。人文系の先生はこの種の競り合いでは淡泊すぎる。これからは、この種のケースが増えるであろうから留意しなければなるまい。
第2は、この種の急な期限付きの申請は、できれば2~3人の責任者を決めて、それぞれ別個にその人を中心にごく少人数で原案を作成するのがよいということである。そして評価・検討して1つに決める。不採用でも文句を言わないことである。10人以上の異分野のものが集まって、鳩首協議をしてもろくなものはできない。見ていないので確認はしていないが、再検討した案が格段に優れたものになったとは考えにくい。
第3は、急であったが川口、唐沢らと相談して、僕が総括となる場合での申請計画を構成したプロセスで心理学が環境学研究科に関わっていくスタンスというか方向性が見えたことである。「生物学的寿命を健やかにまっとうする」、「次世代に今以上の自然環境、社会環境を伝える」という2つのキーワードであれば、心理学は、個人、社会の単位でさまざまな研究計画を作れるし他の専攻の人達との連携が計れることが理解できた。これは収穫であった。機構改革の余波で、わが講座は急に情報をキーワードにすることから環境をキーワードにハンドルを切ることを2年前にやったが、そのときは正直に言って環境学研究科の盲腸的存在だなあと思っていたのだが。これからは表に出られるし、出なくてはなるまい。
2つのキーワードは最終の申請書にも基軸となるものとして記載されているが、他専攻の人には説明する機会がなかったので、十分判ってもらってはいないとは思う。今後の課題である。
僕が感じた消耗感は、かく左様に考えることにして拡散するしかない。
シンガポールでの学会出張から帰ったら唐沢さんが、どう言うだろう。多分、僕のポジティブ志向にはあきれてものが言えん、と言うのだろうなあ。
山が動いた
静止していると信じて疑わない山が移動するほどの,地滑り的選挙結果であることの単なるメタファで土井さんが始めて使ったことばとずっと信じてきた。10数年間信じてきた。昨夜,これは僕の勘違いであることを知った。土井たか子の知識構造とは違う文脈で理解していたことになる。情けない。
僕は寝る前と起きた後、何頁かは手当たり次第に本を読む癖がある。本を読むというのは正確でなく、活字を眺めるのだ。読んでいる本の題名も著者も定かでないこともある。活字を見ているといつの間にか入眠できる。死ぬときもかくありたいものと思っている。
今回は睡眠に入る直前で,ああそうだったのかと気が付いたので、いつものように入眠できなくて、寝そびれてしまった。ショックであったのだ。
「山が動いた」というのは,与謝野晶子があの平塚らいてうの女性解放誌「青鞜」という雑誌の創刊号に投稿した有名な詩の表題であるらしい。土井さんは女性として,格別の含意をこめてこの言葉を使ったに違いない。恥ずかしい気持ちになったのが寝そびれた原因なのだ。
読んでいた本は,大岡信の「人生の果樹園」という1993年刊のBookoffに100円で売っていたものである。朝日新聞に「折々の歌」を連載している当代随一の文章家の単行本を100円などで売るのだから世も末である。もっとも,買う方はありがたいが。
かくて,本を読んで知識を得ることを怠ってはいけないと改めて思い知った次第である。そうでないと,恥ずかしいことになるからだ。知識がなくて恥ずかしいという感覚がない人には無用の話であるが。この年になると知識がないのは恥ずかしいのである。
学生指導の平等性
学生ここでは院生のことだが、(こう言ってみて、自分の意識に学生というのが学部生ではなく院生になっていて、重点化の副作用か、欧米風になってしまっているのに驚いている。)自分に対する教官の扱いが別の学生と異なっている、違う扱いをされていると感じている人がいるかも知れない。
今まで、平等第一の扱いをされて教育を受けてきた学生諸君には、かなり違和感があるらしいと思うことがあった。数日前に何人かの教官とこの点について議論した。議論というほどで格式張ったものではない。茶飲み話程度であるが大方のコンセンサスを得ているので、間接的になるが伝えておこう。
同じ扱いが平等であるという考え方の対極には、能力に応じた扱いを受けることが平等であるという考え方がある。昨今の時代精神は後者が優勢となっているのは気づいていると思うし、気づいていなければ、肝に銘じるべきであろう。自慢しているわけではないが(そう聞こえるという声がするが)、30歳代に始めて研究指導をせよと米国人が押し掛けて来たことがある。現在岩手医大の先生になっているLangmanという男は、来て早々、何故お前は教授でないのか、他の教授連中よりも業績が多いではないか、何か問題を起こしたのか、そうでないなら差別と感じないのか、と言われて驚いたことがある。日本は年功序列というシステムがあるのだと説明し、外人はものを知らん、と感じていた。このときには平等感にもいろいろあるとも感じなかった。そんな時代もあったのだが、今は違う。
さて、茶飲み話のことである。結論は義務教育ではないので「ひいき」はあって当然、ということになった。「ひいき」ということばが適当かは疑問がないわけではないが、要するに特定の学生に重点的に教官が指導力を配分し、優先的順位をつけても良いと考えるということである。誤解のないように補足をすると、最初から、(たとえば外見手がかり優位)を「ひいき」するという意味ではない。好みの学生の学生にだけ発表させ、それ以外の学生は学会に連れていかないなどとアカハラまがいのことを正当化するのでは決してない。
通常のゼミでの質疑や発表、学会での発表などを判断基準にして、研究を進めることに将来性を感じた学生を「ひいき」するという意味である。つまり、最初から差別化してということはしない。
たとえば、研究成果を発表したいと下書き論文が来れば、そしてそれが少し後押しすれば、公刊できそうという場合には、教官が「ひいき」することに結果としてなる。外国の学会で発表したいと英文の抄録でも書いてくれば、つたなくても手を入れて(仮にそれが法外な時間がかかってても)ということで「ひいき」することになるのである。
茶飲み話で場では、われわれの世代ではそんな厚遇はしてもらった経験はないが、最近の情勢では仕方がないかと全員考えているのだ。周りにいる教官はみな自己中心的でない,学生思いのよい人ばかりだということなのだ。また、自画自賛してというなかれ。
文献検索について
コーヒータイムの際に文献の調べ方が話題になった。6月23日(日)の午後のことである。川口、唐沢両先生と名古屋大学国際フォーラムに早朝から、しかも休日にも拘わらず参加し、揃って昼飯を食べて、コーヒーを飲んでいた。 われわれはこの頃やけに忙しい、昔の大学の先生は良かった、うらやましい、などといつものように愚痴っていた。愚痴ばかり言っていたわけではなく。話は何故か文献検索のやり方になっていた。いつものことだが、なぜか話題は院生の研究指導のことに行ってしまう。われわれがとても熱心な教育者であることの証左に他ならないと言っておこう(あるいは、全員年をとってきて、この頃の若い学生は、というようになったことかも知れないが、若いと思っているはずの二人には悪いので、声を潜めておく)。
日頃、僕が考えていることに二人とも同感であるということなので、伝えておこう。伝えておかないと教育的でなくなるからでもある。
結論はインターネットを介してデータベースを検索するだけではいけない、ということである。図書館で電子検索ができるようになり、著しく便利になった。昔はどうしていたかというと、雑誌の現物を見る、Psychological Abstractの現物を読んで要約を知ることをしていた。短所は時間がかかる、目が疲れる、検索できる雑誌が限られるなどである。しかし、表題が少しおもしろそうだということで流し読んだが、コピーするまでもないという論文でも、検索していたことになる。引用文献の欄などを流し読むと、そのトピックスの中心的研究者が誰かは引用文件数の多さで知ることができた。また、そのときは直接関係しない研究者の名前でも覚えることができた(潜在記憶ですが)。このような、関連周辺情報はインターネットでのデータベース検索では得られまい。
関連周辺情報の収集は実は、研究者がタコ壺型になるのを避ける上で有効性を持つ(と信じている)。
インターネットでの検索の第一の短所は、キーワードの付け方が研究者間で一定しないことでヒットしない文献がでる危険があることである。著名なデータベースなので、検索してひかからないと、研究が存在しないような錯覚に陥る。関連研究がないと言い張るトピックを僕が検索すると多数でてきた経験がある。トピックに関連しそうなキーワードが浮かばないためである。また、現在利用できるデータベースは欧文論文、それも著名な雑誌に限られている。日本の研究者がやっている研究はインターネットでは調べられないと考えた方が無難である。
では、若い学生はどうすればよいか?答えは、ともかく関連分野の3種程度の主要な学術雑誌は必ず現物に目を通すことである。そして、気に入った、あるいは関係する研究者を引用文献を含めて探し、見つけたならば、それからデータベース検索に移るというのがお勧めである。データベース検索をしないと主要な雑誌以外に発表している研究(以外とよいものもある。アイデアはよかったが結果が今ひとつというような)を見落としてしまうからである。
なに? 時間がかかり、図書館に行くのが面倒だ?
そういう学生は科学する心欠乏症で治療の必要がある。治療法は転地療養しかないだろうね。
変身宣言
厳しくいこう!と変身することにした(もっともかつての姿に戻るのだから,心的負荷は少なくてすむ)。
理由は,学生に物足りなさを感じる度合いが,頻度が,閾値を超えるようになったからである。大学院のゼミで思わず発言してしまったが,発言は少ないし出席状況も芳しくない。自分と関係のなさそうな領域の学生の発表だと出席しない,質問しない,関心を示さない風潮が充満しつつある。これは,修行中のものとしてはいただけない(最近は英国でもそうだと知人は嘆いている)。
将来研究者になれば,自分の関心以外の卒論や修論を指導せねばならない。あるいは,専門外の同僚との会話に入っていかねばならない。なのに,早い時期から研究分野の専門性を狭く限定してしまうのは考えものである。自分の専門分野での研鑽は自明である。それに加えて,他の関連領域で何が話題となっているのかぐらいの好奇心がないようでは,あるいは自分の研究にくっつけるものが何かないかぐらいの気持ちがないと研究者には向かない。転んだら両手に石ころを掴んで起きるようなどん欲な心構えが大切である。
研究のアイデアをうまく見つける能力はserendipityというが,基礎がしっかりしていて加えて好奇心が強いことが基本である。若い学生は,多くの学会や研究会に(費用がかからないようなものを選んで)参加すべきである。
さらに,アピールせよと言いたい。言い方は悪いが,教官サイドは実は常に学生の品定めをしている。発表者だけでなく,発言者,非発言者それぞれを常に評価している,突然就職口が舞い込んだときに,どう対処するかにまごつかないためでもある。修行中のものは誰かに見られていることにも気づいていなければならない。
これだけ多くの研究者志望の予備軍がいる時代になると,途中で進路を変更すべきであることを的確に示唆することも指導者サイドに求められていると自覚している。そのためにわれわれも切磋琢磨しているのだゾ。最後はちょっと脅迫的になったかも知れないが,「カミソリの八田」のターゲットにならないように,ふんどしを締め直せと言っておこう。
注;「カミソリの八田」とは頭が切れるというメタファかと思っていたが,59点を不可にする単純な人という意味であることを後日知った。国語教育もいるなあ。