年賀状と新カリキュラム案
なかには、顔が思い浮かばない人の年賀状もある。その多くは大阪教育大の頃の卒論指導生ではなかったゼミの学生のものである。当時の大阪教育大は校舎が古くて狭隘で、ゼミは各教官の部屋でスシ詰め状態で行われた。4年での卒論の指導教官の品定めを兼ねて、3年生は複数のゼミを取ったので、50人弱の定員を16名の教官がゼミ指導するのでも、学生数は多かったのである。僕のゼミは英語を使ったので、4年生で卒論を書くという学生は激減するのだが、3年の時に気楽な気持ちでゼミに出ていた学生が今でも年賀状をくれるのだ。学生のための部屋がなくゼミ生は教官の部屋に居座るわけで、ゼミの日はまったく仕事にはならない。もっぱら学生との接触の時間であった。そのためもあって、学生のことは、個人的な背景やどの学生とどの学生が仲がよいとか、悪いとかまでよく把握していた。まあ、ラポールの取れていた関係であったことの証拠が今日でも年賀状をくれることに繋がっているのだろう。
名古屋に移ると教官の部屋には学生は必要時以外来ないので(来るのは近くの教官と執行部の先生ばかり)、学生の動向は全く分からなくなっている。個人的には有り難いことなのだが、法人化以降の教育目標の素案などを見ていると、担任制、オフィスアワーなど、学修支援と銘打ったシステムの導入が促されているので、今のままでは済みそうにない。
よく覚えていない学生の年賀状を見て、スシ詰めゼミ方式を取り入れようと思い立った。15年度から情報文化学部は組織の改組でカリキュラムを抜本的に変更することにしている。僕がその責任者で、2年間すでに議論してほとんど決定稿が出来ているのだが、今からでも組み入れようと思い立っている(出来るかは委員会の審議がいるが)。
時間が経ってしまうと分からなくなるかも知れないので、情報文化学部が、何故、どう変わるのかを記しておこう。環境学研究科ができる2年前まで情報文化学部には約90名の教官がいた。9年前に学部が誕生したときの定員である。学生定員90名にしては多すぎるのは、このうち20名弱が全学共通科目の担当となっており、その人が誰かを特定しなかったので(僕は議論に参画していない時代のことである)、その人向けに配分される全学教育科目を全員で配分していたのである。したがって、4~5コマの全学教育科目を各教官が担当し、追加して自分の学部の専門科目もやっていたのだ。単純に加重労働をしていたと言うわけでもないのが困るところで、要するに全学の教官の授業時間数とそろえるために自学部の専門科目を最小限にしていたというわけである。したがって、学部のカリキュラムは決して充実したものではなかったし、教養部的意識がついて回った。
大学の法人化が既定路線となると、このままで、全学教育の負担の少ない他学部と研究実績や教育実績の評価をされてはたまったものではない(このようなハンデがあっても、内実は研究業績も就職実績も他学部にひけは取っていなかったのだが)という思いから、ともかく、情報文化学部の全学教育科目の負担を減らし、学部のカリキュラムの充実を目指す闘いを始め、勝ち取ったのである。
この間には、変革を志向する総長の支援もあり、変革を嫌がる他学部とのやりとりには、学部が一体となり抜け目なく戦ったのだ。その結果が、文学部と理学部、博物館への約20名の教官の移籍、人間情報学研究科の情報科学研究科への発展的解消なのである。スリムになる組織を見込んで、学部の目標、カリキュラムの見直しを進めて来た。本当に大変だったのだよ。
15年度からのカリキュラムは学部で育てる人材の明確化やそれに対応づけた授業科目など、自画自賛するまでもなく画期的である。すでに学外での基本案の紹介でも慶応、青山、日大、関大などの先生からすばらしいと誉めてもらっているのだ(もっとも、これが絵に描いた餅にならないようにするのは大変ですが)。
その自画自賛カリキュラムに抜けているのが、大阪教育大スシ詰めゼミ方式であったのだ。昨日、年賀状を見ながら気がついたのですネ(何故か椎名誠風になった)。大体、オフィスアワーを設ければ学生が学修上の悩みを教官に相談に来るなどということはあり得ないんデスネ。学生の個性に合わせた指導など出来るはずがない。ラポールのない関係で自分を開示するような人間はむしろ病的ですらあります。この頃の学生は単位に関係するなどの目先のインセンティブがないと動かないことに気づいてないのでしょうかネ。
スシ詰めゼミ方式では専門への導入を外国語を用いてやってもらおうと考えている。5人程度での学生を相手に勉学7割、雑談(先達の経験を聞く)3割の時間配分でどうだろうかと思っている。学生は2年次に複数のゼミに出ることとを勧めたい。教官の人間性に触れさせる大事な時間になり、品定めもできると思うのですが。
教官の採用に人間性が、組み入れられてますか?と言うなかれ。反面教師という言葉もあるではありませんか。20~30年前の大学生と今の学生を取り巻く社会状況が違い、時代精神も違い、スシ詰め方式などという形だけ整えてもうまく行くか分かりませんよという声も聞こえそうである。僕は先刻そんなことは折り込み済みなのですが、踏み出さないと何も変えられないと思っているのです(青年期の人間の特性が、環境の要因で簡単に変わるのかは関心のあるところでもあります)。座して自ら奮闘せずにいるというのは性分に合わなくなって来たのです。これも、老化現象の特徴の一つでありますが、青年だけでなく中年も荒野を目指す存在でなければいかんのです。そうでないと、何年後かに振り返って、「哀愁の町に霧がふるのだ」とはならんと思っているのです。
*何をいっているのか分からない人は椎名誠を読んでから再読下さい
桐の葉
嬉しいことに再現される光景に出会えたのだ。12月15日の7時頃のことである。その前夜、久しぶりに来宅した東北大の大淵さんとかなり飲んだものだから、二日酔い気味の身体に折からの寒い空気を当てるべく、いつもの散歩道を進んだのだ。霜が降りている形跡があり、寒い朝だった。ふと、通常の散歩道を離れて山裾の桐を見てみようという気になり、田んぼの畦を横切って桐の木の近くまで進んだ。一番手前の一抱えで済まないほどの桐の木は、半ば以上葉を落としていた。いや落としつつあった。すでに半分ほど葉を落としていたので、手前の桐の木は3から4呼吸に1度の割合で落葉している。その奥にあるやや若い桐の木からは1、2秒の割合で葉が落ちていた。人間の手のひらよりも大きな葉が次から次へと舞い降りるのである。今年は冬が暖かいので遅くまで葉をつけていたのが霜がついて重くなり、一斉に落葉する羽目になったのだろう。10分あまり、葉が落ちる様を眺めていたと思うが、出かけなければならないことに気づき完全に木から葉がなくなるまでは観察できなかった。しかし、桐の葉が極めて短時間に葉を落としてしまうのは確かである。有り難いことに昨年の記載は修正する必要はなくなった。事実、翌朝の観察では、桐の木に葉は残されていなかった。
もちろん、科学に携わるものとしては、僕の見ている桐の木だけの固有の事象か、気候や土壌との関連で葉の落ち方が決まるのか、あるいはもっと長い期間でも当てはまるのか、などの指摘がなされねばならないのは言うまでもない。
ともれ、今年も落葉に接することが出来た。思えば、12月15日は昨年亡くなった父の命日である。桐の落葉にやきもきしている僕への父からのクリスマス・プレゼントなのかも知れない、などと二日酔い気味の重い頭で思ったことであった。
選択的注意メカニズム
先週末に,貴重な注意メカニズムを体験をした。12月7日の夕方の京都駅でのことである。いつものように新幹線から京都線に乗り換えるべく、階段の辺りまで来ると、通常のダイヤでは1分ばかり前に出てしまっているはずの新快速が、停車中であった。これは有り難いと階段を駆け下り、飛び乗ったがどうも様子がおかしい。乗客の数が通常よりも少なく,妙にしーんとしている。そのときアナウンスがあり(繰り返してしているのに始めて気づいたのだ)、京都線は不通で、回復の見通しが立たないから、大阪方面の客は、地下鉄、阪急に乗り換えろと言う。回り道は時間がかかるしそのうち運転を再開すれば時間を無駄にしてしまう。はて,どうしたものかと考えてしまった。何人かに詰め寄られている駅員の答弁を立ち聞きすると、1時間半ほど前に人身事故があり,現在も不通で、回復のめどは立っていませんと言う。この間に,振り替え運送要請のアナウンスは繰り返されているはずだが,耳に入っていないというか、聞こえていない。Filtering-outというものである。
すでに事故から2時間近くもたっているのだから阪急で遠回りしているうちに回復してしまうに違いないと、一旦は冷静に判断して、もう一度立ち往生中の新快速の電車に乗り込んだ。このときいけなかったのは,数週間前にJR踏み切りでの自動車事故を処理している救急隊員を殺してしまったことが思い出されたことである。救急作業の最中に複々線のどれかの線路に電車を走らせたのが原因の事故である。ずいぶん非難されたJRだからきっと今度は丁寧に事故処理をして時間をかけるに違いない、という考えが浮かんだのだ。さて、どうするかなという心理状態になった。するとどうしたことであろうか、何度もしつこく繰り返されている、振り替え輸送のアナウンスが急に耳につくのであった。潜在的な願望に依存して注意の焦点化が働いたに違いないのだ。こうなると、駅員にいわれて阪急で振り替えすべく階段を下りていく乗客が図になり、じっと電車内で待っている乗客は地となってしまう。皆んなが地下鉄に向かいだしたような感じになって、僕も身を任せてしまっていたのだ。生まれて初めて振り替え乗車証というものをもらって、地下鉄で四条に出て、阪急京都線で高槻市、徒歩でJR高槻駅を越えて、駐車場へと向かうしかなかった。結局、京都駅から1時間近く掛かって帰宅した。回復を待った方が早く帰宅できたのは言うまでもない。JRの駅を通り過ぎるときに、まだ不通が続いていたら気分がいいけど、そんな訳ないはずだよなあと思ったが、そんな訳はなかった。
気が短い人間はこんなときに結局損をするのだ。分かっているのだけどね。注意の焦点化は潜在的願望により、変幻自在であることを確認したことであった
被験者募集業務お断り宣言
その結果、表題に行き着いたのです。どうしてって?そう急がせなくとも理由を説明しますよ。
いくつか学生が教えてくれた理由は、2年次の授業で人気のある先生のいる講座を選択することが多い、行動論は3年になっても毎回実験のレポートがあるらしい(デマですよ)、先生をよく知らない、など、おおかたは予想通りでした。実験演習をTA任せにし過ぎていることは反省せねばいけないと思いましたね。学生は先生と個人的な接触を望んでいるのでせう。しかし、行動論の先生は学部の運営にかり出されて、他の講座の先生よりも忙しいのです。(大きな声では言えませんが)有能な人材が多いと言うことなのですよ。なかなか改善しにくいのですね。
そこで、自分の頃にはどうであったかを振り返ってみました。2年生でとりあえず、心理学という未知の学問に興味を持って初級実験を始めたのは13人でした。90名の定員で11講座あり、英語やドイツ語に人気があり20人ほどずつ進みましたから、まあ、多い方です。3年次で心理学に進んだのは8人、卒業は4人、現在生きているのは3人です。僕がどうして心理学に進んだかの理由を思い返してみるに、2年次に被験者をやらされ(進んでという意味ではないのです。夏休みにも何時間も何日も暗室で被験者をしていたのですから。現在でのように謝礼はないのにですよ)、個人的に上級生とつきあいが出来て、逃げられないような印象を持ったことがあるのです。
これだ!と思いましたね。院生が社会情報システム学科の1年次、2年次の学生と実験を通じて個人的なつながりを持ち、そして心理学への興味を鼓舞するのが一番であると。つまり、卒論や院生実験で被験者を募集するのに、僕を含めた教官が援助しないのが一番だという結論に達したのです。そもそもは僕に原因があるのかも知れません。自分の実験を院生であった木暮君にやってもらうときに、受講生から募集し、ついでに彼の実験の被験者も、と言う具合になったのです。
いままで、授業で被験者を募集するのを手伝ってきましたが、これが上級生と下級生の個人的人間関係を作らない最近の傾向に拍車を掛けてたのに違いありません。卒論や院生の実験で、自分が知らない人に声を掛けて被験者をお願いする、クラブの友人にその友人を紹介してもらうというように、自分がかつてやっていた被験者募集の方法を伝授してこなかったのがいけなかったのです。最近の学生のコミュニケーション能力欠損症が多くなっている原因がここにあるか、と思うと反省しますね(そんな大げさなものでもないでせうが)。
そこで、宣言しておきます。今後、大規模の調査が必要な場合は仕方がありませんが、学生実験の被験者を授業中に募集する方式への援助は止めます。何事も安易なやり方を若いうちに身につけるのは良くないと思うようになったのも一因です。だんだん、教育者らしくなってきたのですかね。歳をとってきたので意地悪になっただけだろう、なんてひそひそ声も聞こえますが、本気です。
終止メカニズム(10/20)
改訂を予定している本の原稿が昨日朝にできた(一応ですが)ことと、昨日開催された名古屋でのあった医学系の研究会での発表を終えたことで、久しぶりにゆったりとした気分で、朝の散歩が出来た。散歩道の両脇の水田はすでに稲刈りがすべて終わっているのを知った。昨日から燃え続けていた籾殻の山が24時間後でもまだ燃え続けており、1メートル足らずの籾殻の小山が燃えるのにはずいぶん時間がかかることも知った。ゆったりとした気分で歩かないと周りは見えていないことに改めて気づいたことであった(これらのことから教訓的なことでも書くのが最もらしいが、止めておこう)。
昨日の研究会は聴衆が200名強ですべて医師というものであった。製薬会社が後援している関係で、いただいた新幹線の往復切符はのぞみのグリーンであった。9年間新幹線通勤をしているが名古屋と京都の間を往復でのぞみに乗ることも(間違って片道乗ったことはある)、ましてグリーン車に乗ることも初めての経験である。もちろん快適であったが、結論から言うと有り難くはなかった。椅子の座り心地が良すぎるので、寝過ごすのではという恐れがあり(いつもより時間が短くて、乗り過ごすと新横浜まで行ってしまう)、いつものように寝ることができなかったためである。疲れて東京まで行くような場合には熟睡でき、身体が休まるであろうことは理解できた。
研究会では、多くの質問が出たが、そのなかで、運動や知的行為を始める検査ではなく、終止する仕組みの検査を実施すると、加齢との関連はどうなるのかという質問は興味深かった。高齢になって、すぐに行為を中断することが出来なくなることが,さまざまな問題を生む可能性は了解できるからである。
前頭葉前部の脳損傷患者で「道具の強迫的使用」という行為障害が報告されているので、終止メカニズムに前頭葉機能が関係することは間違いなさそうである(誰か関心があれば一緒に研究しませんか)。
ところで、ここ数週間忙しかったのも学会や研究会に出続けるからである。どうも、僕は始めると、終止することに恐怖観念が伴うようで、論文書きも水泳も朝の散歩も(結婚生活も?)止められないきらいがある。将来身体をこわすもとであろうことは容易に理解できる。
こういうものを終止する仕組みも考えねばならない時期が近いのかも知れないなあと、散歩の帰り道に考えたりしたことであった。
国際学会に参加して(2)
学会では、たいてい日本でいう懇親会がある。知る人ぞ知る人見知らーであるので,僕は日本でのこの種のものにはほとんどでないが,外国ではでる。外国にいると人が変わるらしい。
今回は2日目に懇親会(conference dinner)あった。男はloungeスーツ,女はイブニング着用とあったので,さて何を着るのかと思ったが,男はスーツにネクタイをつけていればよいのがわかった。僕は三つ揃えを着ていったが、そこまでする必要もなかったようである。女は7割ほどがすその長い、肩をほり出したドレス(黒が多かった)である。ワンピースにネックレスをして,ショールという人が残りである。
今回は会場の隣の国立美術館が会場であった。7時から7時15分までに入場せよと言う。Receptionである。会場は2階の4つの展示室であり,モネの睡蓮の絵や,ロダンの彫刻を眺めながら,ワインを飲む。そしてdinnerが始まるのを待つのである。談笑しながら待つのである。僕は知り合いがいないので,白ワインを3杯も飲んでしまった。ずっと一人で絵を見ていたわけではなく,旧知のColtheratとBaddeleyと話をした。Coltheratは9月の基礎心理学会に来るらしい。BaddeleyはStanfordでの9ヶ月間の滞在中にworking memoryの本を書いたという。しばらく実験をしてなかったが9月から復帰すると言うことであった。こういう人たちは元気である。
8時近くになって娘が留学しているので来たと言う南アフリカの白人女性が話し掛けてきた。美人でありどうしたことかと思ってしまった。曰く,東アジアでの脳損傷の状況に関心がるので教えてと言う。日本の人口はイギリスよりも多いのだということにも驚いていたが,統計は知らないと逃げておいた。何でも知っておかなければ、話題が豊かでないとこういうときに話が続けられないのだ。言うまでもなく,こういうときの会話はNOVAでは身につかないので注意が要る。
今回の学会ではTBI(脳外傷)だけでなくABI(acquired brain injury)も含んでいるのでこんな話になるのだ。かなり話し込んだので一緒のテーブルでDINNERかな?と思っていたが,1階のdinner会場に下りていくときに逸れてしまった。
結局,dinnerは女性ばかり5人のところで食べることとなった。左隣はCardiff市で働く作業療法士,右隣はOxfordから来たと言うバツイチの作業療法士であった。ワインの力もあって,人見知らーの僕でも盛り上がった。10時半を過ぎてやっとlectureが始まった。Badddeleyは長すぎて受けなかった。みんな飲んでいるのに無粋であった。僕にはジョークを一つ言って短く話すつもりと言っていたのだが,彼のmemoryには問題があるようである,いうとわがテーブルでは受けた。
食事のときは勝手に食べ始めてよいのである。日本での様に乾杯を待ってということはない。
Lectureは人気TV番組の作家(7年前に脳卒中をやったらしい)と国会議員らしいのがしゃべった。よく聞いていなかったので何が受けたのか不明だが,笑いと拍手は多かった。こんな風にはなかなかなれそうにない。
解散は11時となった。明日9時から再開という時期でも遅くまで飲めるのは連中のタフさの証拠である。僕はタクシーで早々に退散した。長い一日であった。
国際学会に参加して(1)
9月17日から3日間Cardiffで開催された学会に参加している。税金を使って来ているので,そこで得たこと、感じたことを伝えるのも義務かもしれないので書いておく。
Cardiffは僕が若い頃(32歳)1年間を過ごした町である。大学は付近の大学と合併して(現在,日本の国立大で起きつつあることが10年以上前にサッチャーによって行われ、伝統的なイギリスの大学制度はアメリカナイズされたのだ)イギリスで一番大きな心理学教室になっている。学部になっている。時間が経ったことや,新しいスタイルの学部を嫌って出て行った者もあり,現在知っているスタッフは技官と秘書の2人だけである。したがって,研究室を訪問することはしないつもりである。
今回は,25年前の先生の家に泊まることとなった。Dimond先生はすでに亡くなって,20年以上になる。奥さんが福祉関連の法律家で大学の学長を定年で辞めたので寄るように言われたためである。Biddy(先生)はしかし,講演で忙しく1週間に3日ほどは飛び回っているのが現状で,駅まで迎えてくれたのは初対面のシドニー出身の同居人(58歳の女性)であった。16日の11時に駅に着いたがBiddyは7時前にLondonでの講演旅行から戻るという按配であった。午後はバスで市役所に行き(学会会場)登録を済ませ、近くを散策した。Llandaff大聖堂が近くにあり,出かけてみた。正面前のカーブした石の階段を目にしたとき,25年前の情景を鮮明に想い出した。大学の宿舎で時差ぼけで寝ていた2日目の僕をDimond先生は2人の娘を連れて訪ねてきて,自宅に招いてくれたのだ。そのとき4人でLlandaff大聖堂を散策し,石の階段を降りたのだった。初対面の僕を気にしつつも跳ね回っていたのが娘たちがあった。
人間や大学の様子は大きく変わったが,すべてがNothing stay the sameと言うわけではなかった。瞼の裏に熱いものを感じたことを記しておこう。過去を振り返ることが多くなるのは、老化の兆候かも知れない。
夕食は同居人が作ってくれていた。食事の前にもかかわらず,最近他人からは言われることがなくなったことをBiddyは平気で言う。「タケシ、研究している?本を書いた?」などである。何時までたってもかなわない。彼女は22冊目の本を仕上げたところと言う。30歳台の後半に旦那に白血病で急に死なれて2人の女の子を育てたエネルギーは恐るべきものである。昨日はLondonのホテルのpoolで泳いだと自慢気に言う。かなり太目の彼女が水に浮かんでいる絵を想像すると,可笑しくなってしまう。現在は講演生活の傍ら放送大学で音楽の勉強をしているらしく,5年目で学士号を取る試験の勉強がなかなかはかどらないとぼやいていた。僕の最近の神経心理学理論では,音楽を続けるのは老化防止に絶対的に効果があると言ってあげたら,喜んでいた。楽譜が覚えられないというのだから音楽の試験は実技なしのもののようである。
さて,学会である。すべて招待講演で構成されており,著名な神経心理学者が少なくない。学会のタイトルは「Effectiveness of rehabilitation for cognitive deficits」であり,脳損傷者の高次脳機能のリハに関するものである。感じたことを思いつくままに上げると次のようなものである。
1. リハにはmodel-basedなものと,general-orientedなものがある。前者は高次機能の要素別の治療を理論に基づいてやるというもので,Cotlheartが講演した。後者は人格全体を治療対象にしてというもので,Prigatanoが講演した。現場の人間には後者が受けるのだろうと思われた。
2. 全人格を対象にという治療方針は,個別カウンセリングを含むものなので,日本の臨床心理士の将来の職場はこんなところになるのではないかと思われた。もっとも,ユング信仰者のようなタイプの臨床心理士ではなく,脳機能の神経心理学を基盤にしたものとなるはずである。
3. Coltheratは認知心理学者で知らない人はない著名な人で,実験→モデルを背景とした基礎をやってきた人であるが,今回は読み障害の治療症例にも触れた。第1戦の研究者は基礎から応用まで包括的にやるのだなあと感心した。
4. 学会が応用的なものであることによるのかもしれないが,認知心理学者のいわゆる健常者を対象とした実験研究は脳損傷者を包括する応用的研究に大きくシフトしつつある傾向を強く感じた。基礎をやるつもりの認知心理学徒はあまねく脳の基礎知識を学び,機能を理解せねばならなくなるときはすでに来ている印象である。僕の「脳と行動の仕組み」が10年ぶりに改訂されるの、ぜひ買って勉強すべきであるというのは我田引水かな?
5. 400名ほどの参加者は研究者よりも現場の実践家,それと臨床心理をやろうとする学生が大半の印象である。そのためか,講演は教育的なものが多い感じを受けた。著名な研究者出ることによるのかもしれないが40分の講演は構成が巧みで、しっかりしている。学ばねばならないことである。素人にもわかるような構成になっており,伝えようとする情報量は少なく,単純であるのが共通している。先週行われた日本での神経心理学会では、自分の研究成果をわかって欲しいということではなく,学会での発表実績を得るためだけではないかと思えるものがあった。
6. 口頭発表のまずいものは司会者の印象に強く残るので,将来のことを考えると院生諸君は心すべきである。司会者はその分野の有力者が少なくないからである。
最後に教訓も書いたので,この辺で止めておこう。昨日の朝飯で食べたシリヤルの木の実が硬く右奥歯の詰め物が取れてしまい,違和感がある。集中力を欠く状態なのである。
野球拳モデル(8/7)
歓迎会の席で、心理チームは何をやっているのかを紹介させられる羽目になった。これは、心理チームがこの検診のボスの許可なしに昨年から整形外科チームの誘いで強引に参加してしまったことに起因している。4~5日前に整形の先生からこのことを匂わされていたので、1枚だけ資料を作り準備はしていた。急なことであったが窮すれば通ずで(笑うところです)、われわれが昨年から始めている検査の位置づけを説明した。われわれの研究の背景理論は,後の酒の席で野球拳モデルと呼ぶことに決めた(少し色っぽいのが気に入っている)。ボスの先生は説明を大変気に入られた様子で、高く評価できる、すばらしいと言っていただいた。今後5年と言わずにもっと続けるように、金がなくなれば、町から援助するように手配したと検診2日目に言ってこられた(ちなみに、今回の心理チームの旅費、滞在費はこちら持ちで、歓迎会や送迎、ツアーは八雲町負担である。金持ちでないとこの種の研究はできないのだ)。
野球拳モデルであるが、詳細ははぶくが、次のことが基礎になっている。
・人間の認知機能は前頭前部が担うが、この部位は脳の進化では最新の部位である。したがって、脆弱で、壊れやすい。
・認知機能よりも、先に筋・運動系機能が、その前に循環系・代謝系機能が進化したので、壊れ易さは逆順となる。
・認知機能は、進化が古い機能系を基礎に成立する。
・個体発生は系統発生を繰り返すので、前頭前部が担う機能も新しく獲得したものほど脆弱で壊れやすい。たとえば、記憶機能では、直後記憶、遠隔記憶、展望記憶の順に、言語機能では、物品呼称よりも単語検索(文字流暢性)、レトリックがという順に壊れにくくなっている。
さて、野球拳というのは、ジャンケンで負けた側が衣服を脱いでいくというお座敷ゲームである。昔、テレビで高視聴率をあげ、ひんしゅくを買った番組もある。
自分自身の経験に基づくのだが、40歳ぐらいまでは、すべての機能に衰えを自覚しない。届いていたはずのテニスボールにラケットが間に合わない、おや?というのが40歳を過ぎた頃である。
加齢により、野球拳で負け始めるのがこの年代で、以後は基本的に負け続けるのだと言うのが我がモデルである。このときに、40歳ぐらいまでにたくさん着込んでいた人は、なかなかパンツ1枚にはならないが、着込むのをさぼっていた人は早くパンツ1枚になり、負けてしまう(つまり、認知機能が大幅低下してしまう)と言うわけである。
言語を例に取ろう。1歳頃から覚え始めた母語は小学生で流暢になる。その頃から読み書き、作文を覚える。
学校を出て就職すると、業務報告書ぐらいしか書かずに、あとは 「飯、風呂、寝る」しか言わない、友人とも話をしないというような人は着込むのをさぼった人である。一方、学校を出て就職しても、読書を続ける、日記を書く、短歌や俳句を始める、話術(落語など)を習う、他人との会話を盛んにする人は、たくさん着込んでいく人である。後者の方が前者よりも認知機能障害を生じにくいはずである。認知機能の個体発生を考えると,人生の遅い時期に習い始めたものから壊れていくということである。
さまざまな認知機能にこのモデルは当てはまると言いたいのだが、疲れてきたので、この辺で止めておこう。
こんなコラムを書いたり、授業でのへたなギャグばかり考えている自分に都合のよいことを言っているなあ、と思うかも知れない。密かに自分を対象にして実験中なのである。筋・運動系の訓練も基盤となるので、水泳や散歩をしなければならない。何かと忙しいのだ。
Sprout (7/21)
シイタケは入れて欲しいと言ったのだが、急には無理だと一蹴された。
出された冷やしそうめんにはキュウリとミョウガとオオバとゴミのような青い髭様のものが乗っていた。ショウガとネギをそうめんつゆに入れて食したのだが(文章にすると如何にも美味そうだが、ただのそうめんである)、髭様のものがモゾモゾして食感が悪かった。聞くとブロッコリーの芽で、スプロウトというのだと教えられた。何でもガンの予防の栄養分が多いと最近人気があるらしい。
野菜の発芽したものはすべてスプロウトであるはずだが、ブロッコリーだけをいうのか不明である。
田舎では大根の種をまいて発芽したものを間引き、みそ汁の具にして食べた記憶がある。大根の芽は少し辛みがあったりすると以外と美味であるが、ブロッコリーは味がない。口当たりも悪い、食品としては失格の判定を下したい。第一、発芽した植物を育たないうちから食べてしまうのは、人間としていけないような気になるではないか。
ところで、久しぶりに夕方に芝を刈らされていると、5月のBBQのときに種を埋めておいたアボガドが、百合の鉢植えの中で発芽して20cmほどに育っているのを見つけた。芽など出るものかという周囲の声に逆らって埋めたこともあり、急に愛おしくなり、百合の鉢から別の鉢に植え替えることにした。根は以外に丈夫で、結局百合の鉢を根こそぎ取り出してアボガドだけ切り分けることとなった。これで立派に育つ環境ができたぞと思っていたのだが(アボガドの木は幹が10cmぐらいにならないと実はならないと思う)、今朝、植え替えたアボガドをみると萎れてしまっていた。優しい配慮と思ったがしなければよかったのである。
発芽したものを中断させるのも、大事にしすぎるのもいけないらしい。難しい問題である。しかし,示唆的でもある。
台風6号(7/10)
新幹線で缶詰になったのである。昨日夕方の5時に提出締め切りという研究科のCOE21関係の指示を,メールで確認したのが5時5分前であった。電話連絡して翌朝一番で出すというのもダメ,5時半までならというつれない返事。適当に加筆してと投げ出したものの,どうせ事務は朝9時からしか仕事をしないだろうから,差し替えてもらおうと考えていつもより早く,6時7分の電車に乗って京都6時35分発の新幹線をつかまえることにした。6時30分にホームに駆け上がり自由席の5号車の列に並ぶ。列車が入ってきたので,乗り込み3人掛けの真ん中に座る。書類つくりは20分もあればOKだから,ゆっくりコーヒーでも飲んでから9時から院生ゼミだ,やれやれ一段落と思ったとたんに車内放送。台風6号の影響で関ヶ原あたりが大雨。出発は見合わすという。雨で増水した河川が基準値を超えたためという。それなら,当分ダメじゃないかと思ったが,とりあえず,30分ほど待つ。在来線も高速道路も不通というのだから仕方がないと,さらに30分。朝早かったので寝るか,とがんばるが動かない新幹線は眠りを誘導しない。
うしろの座席の女学生は入社試験に東京に行くらしい。隣のおじさんと相談。おじさんは物知りで,近鉄で名古屋まで行く手もある。京都から八木に出て名古屋には3時間でいけるよという声。そうか,その手もあるなと思ったら,おじさん曰く,でもあと1時間もして動けば新幹線の方が早いよという声。じゃ待つしかない,思ったとたん,車内放送。水位が減ったのでまもなく,運転再開という。ほっとして目を閉じて待つ。じっと待つが動かない。20分ほどして水位は減ったが,垂井町で時間あたり降水量が基準を越えたので,運転見合わせの社内放送。こんな繰り返しで2時間半経過。立っている人には悪いが座っていても腰が痛くなり始める。2時間半後にやっと米原まで動く。窓の外に雨は降っていない。10時半すぎ,米原で臨時停車し,客を乗せる。通路は満員状態。この調子なら2時間目の講義はできると連絡しようとしたら,岐阜羽島の16km手前で停車。カーブなので身体が斜めのまま。これにはくたびれた。結局,11時10分頃名古屋着。名古屋は雨も降っていなかった。
こんな状態であるのに客はおとなしい。驚きであった。イライラして暴れないのは携帯電話のお陰だ。だいたい20分ぐらいの間隔で電話をする人が大半であった。出社が遅れるぐらいはたいしたことがないが,入社試験の学生や,成田から飛行機に乗るといって走り回っていたおばさんは気の毒だった。人間の待ち時間のテンポは20分程度のようである。
僕もやはり,5回ほど電話した。1時間目に間に合わないので,とか,近鉄の電話番号調べてとか,2時間目もダメみたい,ということだったが,スケジュールを勝手に決められるのは有り難く,イライラすることも少なかった。途中で家に引き返して,明日出直そうかとも思ったが,明日,附属高校で話す予定があり,それに間に合わない事態が起きないとも限らないと考えたことと,缶詰状態が長引いてパニックになったら,みんなはどのような行動をとるのか観察できるかもしれない,などと変な好奇心が沸いてきたために5時間半の新幹線の旅になってしまった。
まったく,何が起きるかわからないのがこの社会である。僕はチーズを一箱もっているので少々缶詰めになっても安心だもんねと思っていました。備えは大事だ,いらつかずにすむ,ということです。