同時多発テロ事件、そのとき | はったブログ

同時多発テロ事件、そのとき

大きな事件があると、そのとき自分は何をしていたのかに付随する記憶が生じる。神戸沖で起きた阪神大震災の早暁、自分はトイレの中にいて戸棚から皿が飛び出し割れる音を聞いていたと記憶している。しかし、この種のエピソードも長い時間の間にはゆがむといわれるので、備忘録的な意味で9月11日夜10時頃に米国で起きた同時多発テロ事件にまつわる出来事をメモっておこう。識者が盛んに指摘するようにこの事件は世界史に大きな転換をもたらすかもしれないからである。
大勢の人がちょうど始まったニュースステーションを見ていて云々と言うが、自分は寝ていて朝まで事件を知らなかった。6時頃珍しく家内に「大事件が起きている」と起こされたのである(家内は2時頃までテレビに釘付け状態であったようである)。10日夜には木暮君の送別会があり、台風が襲来していたので研究室で10時半頃就寝。翌朝6時50分の新幹線に飛び乗り、自宅にいったん戻って風呂に入り、9時前に近所の看護学校でD-CATの再検査信頼性検討のためのデータ取りをした。自宅に戻って昼食後、再度大学に戻り、4時からの将来構想委員会に出席した。委員会はかなりもめて、久しぶりに興奮気味で7時半頃帰路についた。つまり、この日は新幹線に3回乗ったことになる。11日の朝に起きにくかったのもこのためである。
名古屋に向かう新幹線の京都駅ホームで、並んで待っていると、待合室に2歳ぐらいの男の子を連れた母親がいた。しばらくすると「キイェー」と妙な音がした(人間の声とは思えなかった)。男の子が待合室の自動ドアと硝子の壁に挟まれていたのである。幸い子どもは怪我もなかった様子であったが、このとき「世の中何が起こるか判ったものじゃないなあ」と強く感じたのを覚えている。
12日の朝テレビで知った同時多発テロ事件でも「世の中何が起こるか判ったものじゃないなあ」と再度感じた。映画を見ているようで、報道にも臨場感はなかった。あまり強い感情が生起しなかったように思う。
この事件のおかげで、12日の神経心理学会評議員会で招待講演の先生が来日できないことを知り、事件はわれわれにも影響することを知った。
ところでこの記事は当分読み直さないようにしようと思う。自分の記憶の変容を数年後に検討するためである。