スコットランドでの出来事 | はったブログ

スコットランドでの出来事

どこかの大学の観光学の教授が、日本人の旅行は確認型で(つまり、雑誌や本で見た名所を訪れ、やっぱり写真どおりだと確認する)、欧米の、旅行の歴史が古い国民の旅はエピソード発見型であると言っているのをテレビで見た。日常性を離れ、何かふだん出会えない出来事に遭うことを楽しみに旅をするのだという。この夏の私の旅はまさに欧米型であった。
8月末、久しぶりにスコットランドを旅した。ここ数年はアイルランドに出かけることが多かったのだが、シングルモルトの醸造所を訪ねてみたかったのである。この旅で大きな忘れ物事件を起こしてしまった。Edinburghを抜けてAberdeenへ行く行程であった。そのまま行けば問題は生じなかったのであるが,最短距離ではなく,緑の多い山側の道を選択したのであった。確かに綺麗なスコットランドらしい風景を楽しんだ。途中でPitlochryという観光地に12時前に到着。このままでは2時には大学につけないが3時ごろにはいけるであろうということであったのだが,昼飯を食べに入ったレストランが混んできて,結局1時間半近く昼飯にかかってしまった。
この後,スコットランドで最小の醸造所に行く。この時点では3時ごろに到着ならいいかと,思っていた。比較的まあいいか風に考えていたのであった。しかし,実際にはそれから先が山の中の速度を出せない狭い道であり,大きな幹線道路に出るのにずいぶんかかることが判明するに至ってあせってしまった。2時半ごろになり、遅れるという電話をしなければということで公衆電話を探すが,山道を走れど走れどなかなかみつからないのである。やっと1台見つけたのは故障。電話のありかを聞くのに2から3回とまる始末。ようやくRuvernという村のはずれで1台見つけて電話。1時間遅れることの承認をとった(実際は2時間待たせた)。少し気持ちに余裕が出た感じがしないでもなかったが,その後渋滞気味の道路をいらいらしてやっと,大学に。そこから電話してVernetti先生を訪問。前にMontrealで出会った院生も待っていてくれた。恐縮する。彼女はイタリアのパドバ大学でDel-Antonio教授の弟子であることが判明。世間は狭い。もっとも僕がパドバ大学で講演した1978年には彼女は入学前であったそうな。教授の弟は有名なテロリストで、獄中にいるとか。作業記憶で著書のあるLogie教授にも会う。
 この後が大変なのである。部屋にもどり,皆と食事にと考えたころに赤色のポーチ(共通財布)がないことに気づく。どうやら電話boxに置き忘れたらしい。財布をおいて小銭を出し、その上に電話番号のプリントした紙をおいて電話をかけ、紙だけもって出たらしい。財布には10万円ほど入っている。パスポートや帰りの切符は別にしてあるので放念するかどうか迷ったが,村はずれの、人が使わなさそうなboxであった気がしたので,戻って探すことに。岩原君が飛ばしてくれたおかげで,1時間ほどで問題のboxを発見。しかし,赤色のポーチはなかった。150kmの距離を戻っての探索である。Boxの前の民家になかったかということで聞いたが,当然知らないということ。もう一つ前の故障していた小学校前のところかも、ということで10kmほど戻ってその電話boxにも行ったがない。荷物置き台の高さの記憶から先に探索した赤色のboxに相違ない。
 一応警察に届けておきたいということで,宿舎に戻ることにする。途中,かなり飛ばしていた。するとすれ違ったパトカーに岩原運転手が気づく。Uターンしている。スピード違反でやられた,と一瞬顔色が変わる。案の定パトカーは追いついてきて停車命令。ところが出て行くと若い警官は先ほど大金を置き忘れたという通報を受けたので君らかという。ほっとして,連絡先や,内容物はお金,crossのボールペン,昔,ブラジル人の留学生Terezaが餞別にくれた英国製の皮ケース入り櫛であることを知らせ、名刺を渡して連絡を待つことに。村の人が見つければ知らせるであろうという警官の希望的観測に,それほど真剣ではないにしても安心。
 というような忘れ物事件があったのである。帰国後2週間たったが、連絡はない。ぼくは傘や万年筆を忘れるような経験が今までほとんどないので、老化したのかと一時期は自尊心を喪失気味であった。しかしである。僕たちは欧米型の旅をしたのであり、実際ふだん出会えない出来事を経験したのだからいいじゃないかと思うことにした。お金は出てきても出てこなくても、そんなことはどうでもよいのだ。これは必ずしも負け惜しみではないのだ。