クジラ公式(その2)
一外交官の見た明治維新 上 (岩波文庫)Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}最近読み始めた アーネスト・サトウの 『一外交官の見た明治維新』 にこんな一節がありました。当時学んでいた大学が募集したシナと日本へ行く三名の通訳生の一人に選ばれた彼が、日本に行く前に北京で受けた語学研修について述べる場面です。私は当時、シナ語の知識は日本語を勉強する者にとって役には立とうが、それが必要欠くべからざるものでないことは、ラテン語の知識がイタリア語やスペイン語を学ぼうとする者にとって不可欠のものではないと思っていたし、今でもそう思っている。(坂田精一訳: 同書 p.15)読んだ瞬間、おそらく原文では「クジラ公式」で書かれているのだろうと思ったので図書館で英語版を取り寄せるとまさにその通りでした。A Diplomat in Japan (Classic Reprint)Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}クジラ公式については以前にも書いたことがありますが、高校英語の「比較」で扱われる独特の表現です。"A is no more B than C is (D) " という形で、C≠D が明白な事例を引き合いに出して A≠B という関係を説明するときに使われます。A whale is no more a fish than a horse is (a fish).馬が魚でないように、クジラは魚ではないという例文にちなんで「クジラ公式」と呼ばれているようです。上記の意味が生まれるのは、A=B(クジラが魚である)の程度が C=D(馬が魚である)の程度と比べて「少しも高くない(同じ程度である)」という比較構文の意味と、そもそも事実関係として C=D がありえない、という二段構えによるものです。したがって、引き合いに出される事例自体がC≠D であることを明白に示していることがポイントです。アーネスト・サトウの文章でも「ラテン語の知識がイタリア語やスペイン語を学ぼうとする者にとって不可欠のものではない」ことが A≠B(この場合は中国語の知識が不可欠ではない)と述べる論拠になっています。奇しくも昨日、塾の授業で読んだ英文にもクジラ公式が出てきました。もっとも形は、"no more ~ than …" ではなく "not any more ~ than …” でしたが意味は同じです。当該英文は"bouba / kiki effect(ブーバ/キキ効果)"と呼ばれる、特定の言語の音が特定の特性を喚起する現象(具体的には、b, m, l, o の音は丸い形を、k, t, p, i の音は尖った形を喚起する)に関わるものでした。上記のパラグラフは、そうしたブーバ/キキ効果が人の性格に関する期待にまで及ぶという前段の記述を受けて、そうした期待は現実を反映しているのかという問いで始まっています。調査によれば、名前に含まれる音と性格には関連があるという結論は得られなかったようですが、調査にあたった Pexman のまとめの発言のなかにクジラ公式が出て来たのです。if you call the kid Bob, they're not any more likely to end up with one set of personality traits than another.もしあなたが子供をボブと呼んだとしても、子供の名前が(their names)が最終的にある一連の性格特性を持つことになる可能性は、別の性格特性を持つ可能性と同様に高くないこの場合は、上述のクジラ公式とは異なり、C部分に明白な事例が来ておらず、A≠B の可能性はC≠D と同程度だと述べるにとどまっています。そういう意味では普通の比較構文と考えるべきなのかもしれません。