今日は憲法記念日ですが、先日図書館でこんな本を見つけました。理論言語学者の畠山雄二さんとジャーナリストの池上彰さんによる解説と対談から成る本です。

 

 

名前は知っていても実際に読んだことはないさまざまな分野の「古典」同様、現行の日本国憲法を通読したことのない私にとって、全てではないにせよ、日本国憲法の重要な条文を英文/和文併記で読むことができる本書は、クリティカル・リーディングという観点からとても良い入門書でした。ここでは次のような内容が取り上げられています。

 

上諭

前文

第1章「天皇」

第2章「戦争の放棄」

第3章「国民の権利及び義務」

第9章「改正」

第10章「最高法規」

 

ここで「上諭(じょうゆ)」とは、英語では "Edict" となっており、"an order or official statement issued by an authority" と OALD にあるように、日本国憲法が公布されたときに付された公式文書ですが、憲法の本体には含まれません。

 

 

米国から「押し付けられた」と形容されることの多い現行の日本国憲法ですが、成立過程はともかくとして、手続き上は前身である帝国憲法の規定に基づく改正版であることが分る文書です。これにより日本国憲法の連続性が担保されているわけです。

 

前文および条文の英語版は政府のホームページ The Constitution of Japan で読むことができます。最もよく知られている第2章「戦争放棄」の条文はひとつしかありません。言うまでもなく「第9条」です。

 

 

日本語原文は次のようになっています。

 

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

本書を通して繰り返し指摘されるのは、日本語で書かれた憲法に基づく国内論議と、英語版に基づく日本国憲法の理解の間にはズレが生じかねないという点です。たとえば、第9条の英文2~3行目にある "(the Japanese people forever renounce war)as a sovereign right of nation" は日本語では「国権の発動たる(戦争を永久に放棄する)」となっていますが、この点について池上さんは次のように述べています。

 

この第1項のポイントは sovereign という単語です。sovereign には、「自主的な」という意味があります。つまり、侵略戦争のように「自発的に行う戦争」は放棄するが、それ以外の戦争については放棄するとは書かれていないため、「自衛のための戦争」は放棄していないと読むこともできるのです。

一方、日本語版では「国権の発動たる戦争」という言葉が使われ、自発的戦争も自衛戦争も放棄すると解釈できるため、英語版との意味のズレが生じています。

(同書 p.68より)

 

また、同条第2項についても池上さんは以下のように指摘しています。

 

さて、other war potential が日本国憲法では「その他の戦力」と訳されています。正しくは「戦争につながりそうなもの」といったところでしょう。ある意味、安全保障関連法案(安保法案)は「戦争につながりそうなもの」であり、その意味では安保法案は違憲だと言えます。しかし、日本国憲法では other war potential が「戦力」と訳されているので、その意味では安保法案は憲法に抵触しません。なぜならば、安保法案は法案であって戦力ではないからです。日本国憲法の英語版で考えるか日本国憲法そのもので考えるかで、安保法案の位置づけが変わってくるのです。

(同書 p.71より)

 

英語版の日本国憲法とは盲点でしたが、GHQの指示に基づき日本政府が提出した改正案が拒否されたためGHQ側から提示された草案がベースとなったことを考えれば、日本国憲法改正の骨格は日本語よりも英語が先にあったことになります。そういう意味では、英語を通して日本国憲法を考えることは理に適っているのかもしれません。