再放送:視覚障害者にできること・できないこと
今は できるできないを
気にしすぎて、
持っているものが
出し切れていないのではないか。
授かっているものが
生かし切れていないのではないか。
これは、ある方のブログで紹介されていた、昨年の4月に亡くなられた、国語教育者の大村はまさんの最後の詩の一文である。
4年前に今の職場に復職して、一つの壁にぶつかって思い悩んでいた時に偶然見つけた言葉であった。
約10年前から徐々に視力が低下し視野が狭まってきた頃、
「今目が見えにくくなっている、私ができる範囲内で精一杯やっていればいいんだ。」
と思っていた。
しかし、その仕事内容は、周りの従業員からも、上司からも、1年前に入社した社員の半分以下の成果しか認められていなかったのである。
「これで私の今の会社での生活は終わったな。」
と正直言って思った。
欲年、会社を休み、大阪の視覚障害者専門のリハビリテーションセンターで生活訓練を受けながらパソコンを使った情報処理の職業訓練を約9ヶ月間に渡って受けた。
そこでは、同じ視覚に障害を持った方々が、自立するために会社に職場復帰するために、また少しでも生活の質を向上するために、毎日目標を持って明るく楽しく訓練を受けていた。
そこであることが判った。
昔、私が考えていた、
「今の私ができる範囲内で一生懸命やっていればいいんだ。」
と言う事は、所詮それ以上改善されるものでは無く、交代すれども決して前進するものではなかったのである。
しかし、その施設で訓練を受けるうちに、今までにないやればやるだけ自分の身に付いていくスキルを実感していったのである。
視覚障害の私たちにとっては、墨字の文章を自分の目で読んだり、文字を書いたりすることは、非常に困難である。
それはどうひっくり返ってもできないのだから、目で見なくても、その情報を耳で聞くことによって認識・確認できる方法はないかと模索し、その方法が見つかったならば、そのスキルを限りなくマックスまで高めていく。
そうすることで、
視覚障害である私が、
持っているものを
出し切って、
授かっているものを
活かしていけば良いのである。
自己啓発でそのスキルを磨けば見縛ほど、視覚障害であるかないかは関係なく、今の会社の中での生き残っていける、私の存在価値が見出され、周りの社員にも認めてもらえるのでは?と、まさに「目から鱗」であった。
よっしゃ、まだまだいけるでぇ!
※あれから1年・・・・・。
最近、この1年前の重いが薄れてきているなと感じることがある。
ある程度、視覚障害者であるわしが、会社の中での存在価値を認めてもらい、自分なりに仕事も確立できてきた気がする。
けんど、このような状態を今後、何年か続けていくには、今一つ足りないものがあるような気がするのである。
それが何なのか、わからないんですよねぇ?
ただ、あの4年前の職場復帰した当時のわくわくするような感覚がこみ上げてこないんですよねぇ。
これって、贅沢なのかなぁ?
どうにかせんといけんですね。
気にしすぎて、
持っているものが
出し切れていないのではないか。
授かっているものが
生かし切れていないのではないか。
これは、ある方のブログで紹介されていた、昨年の4月に亡くなられた、国語教育者の大村はまさんの最後の詩の一文である。
4年前に今の職場に復職して、一つの壁にぶつかって思い悩んでいた時に偶然見つけた言葉であった。
約10年前から徐々に視力が低下し視野が狭まってきた頃、
「今目が見えにくくなっている、私ができる範囲内で精一杯やっていればいいんだ。」
と思っていた。
しかし、その仕事内容は、周りの従業員からも、上司からも、1年前に入社した社員の半分以下の成果しか認められていなかったのである。
「これで私の今の会社での生活は終わったな。」
と正直言って思った。
欲年、会社を休み、大阪の視覚障害者専門のリハビリテーションセンターで生活訓練を受けながらパソコンを使った情報処理の職業訓練を約9ヶ月間に渡って受けた。
そこでは、同じ視覚に障害を持った方々が、自立するために会社に職場復帰するために、また少しでも生活の質を向上するために、毎日目標を持って明るく楽しく訓練を受けていた。
そこであることが判った。
昔、私が考えていた、
「今の私ができる範囲内で一生懸命やっていればいいんだ。」
と言う事は、所詮それ以上改善されるものでは無く、交代すれども決して前進するものではなかったのである。
しかし、その施設で訓練を受けるうちに、今までにないやればやるだけ自分の身に付いていくスキルを実感していったのである。
視覚障害の私たちにとっては、墨字の文章を自分の目で読んだり、文字を書いたりすることは、非常に困難である。
それはどうひっくり返ってもできないのだから、目で見なくても、その情報を耳で聞くことによって認識・確認できる方法はないかと模索し、その方法が見つかったならば、そのスキルを限りなくマックスまで高めていく。
そうすることで、
視覚障害である私が、
持っているものを
出し切って、
授かっているものを
活かしていけば良いのである。
自己啓発でそのスキルを磨けば見縛ほど、視覚障害であるかないかは関係なく、今の会社の中での生き残っていける、私の存在価値が見出され、周りの社員にも認めてもらえるのでは?と、まさに「目から鱗」であった。
よっしゃ、まだまだいけるでぇ!
※あれから1年・・・・・。
最近、この1年前の重いが薄れてきているなと感じることがある。
ある程度、視覚障害者であるわしが、会社の中での存在価値を認めてもらい、自分なりに仕事も確立できてきた気がする。
けんど、このような状態を今後、何年か続けていくには、今一つ足りないものがあるような気がするのである。
それが何なのか、わからないんですよねぇ?
ただ、あの4年前の職場復帰した当時のわくわくするような感覚がこみ上げてこないんですよねぇ。
これって、贅沢なのかなぁ?
どうにかせんといけんですね。
視覚障害者と白杖
今日、とある事情で娘の登校時間とわしの出勤時間が一緒になった。
休みの日などは、気にせず、娘に手引きをしてもらうこともあるのだが、今日はちと違う。
当然、娘の同級生も同じ時間に登校しているわけでして、わしとしては、白杖片手に歩く親父と一緒に歩くのは恥ずかしいのではないかと考えたのである。
そこで、わしは、
「先に歩いてええよ。」
と言ったところ、
「もう、先に歩いてます。」
といつもと違う口調である。
先に歩く娘。
わしは意識して少し後ろを白杖スリスリついていく。
途中の交差点での別れ際、
「ほんじゃ行ってくるね。」
と遠慮気味に声をかけたところ、
「ウン、行ってらっしゃい。」
と、いつもの口調で挨拶をしてくれた。
わしの考えすぎだったのかしらん。
自分が視覚障害者であることはあまり気にしないようになったとはいえ、やっぱしどこか心の奥底で、子供たちに対して、自分が障害者であることを隠したがっている自分がいるのかもしれないなぁ。
会社から帰って、
「ただいまぁ。」
と居間でテレビを見ていた娘に声をかける。
「おかえりなさぁーい。」
と明るい声。
やっぱし、娘は朝の出来事はわしが考えているよりは気にしていなかったのかしらん。
こんなことをいちいち考えているようでは、わしも修行がたりませんねぇ。
休みの日などは、気にせず、娘に手引きをしてもらうこともあるのだが、今日はちと違う。
当然、娘の同級生も同じ時間に登校しているわけでして、わしとしては、白杖片手に歩く親父と一緒に歩くのは恥ずかしいのではないかと考えたのである。
そこで、わしは、
「先に歩いてええよ。」
と言ったところ、
「もう、先に歩いてます。」
といつもと違う口調である。
先に歩く娘。
わしは意識して少し後ろを白杖スリスリついていく。
途中の交差点での別れ際、
「ほんじゃ行ってくるね。」
と遠慮気味に声をかけたところ、
「ウン、行ってらっしゃい。」
と、いつもの口調で挨拶をしてくれた。
わしの考えすぎだったのかしらん。
自分が視覚障害者であることはあまり気にしないようになったとはいえ、やっぱしどこか心の奥底で、子供たちに対して、自分が障害者であることを隠したがっている自分がいるのかもしれないなぁ。
会社から帰って、
「ただいまぁ。」
と居間でテレビを見ていた娘に声をかける。
「おかえりなさぁーい。」
と明るい声。
やっぱし、娘は朝の出来事はわしが考えているよりは気にしていなかったのかしらん。
こんなことをいちいち考えているようでは、わしも修行がたりませんねぇ。
再放送:ドラムシキ洗濯機
先日洗濯機を買い換えた。
従来の渦巻き式からドラム式の最新機種を購入したのである。
以前使用していた洗濯機、脱水の時に、「ガタガタ」とものすごい音がして、選択時間も早くなったり遅くなったりと調子が悪かったのである。
今回購入したドラム式洗濯機、テレビで宣伝していたこともあり、選択・脱水時の音の静かさと、感想もできる代物である。
購入したドラム式洗濯機が我が家に届く火に、ひと悶着があった。
今までの洗濯機と比べると幅・奥行きとも随分大きく、洗濯機を設置する御風呂・トイレ・洗面台がある部屋へのドアを通過することができるかどうかが微妙であった。
設置業者が訪れて、そのドアの幅をメジャーで計り、持ち込んだ洗濯機の幅を計り、
「これはきわどいな。ギリギリ入るかもしれないけど、ひょっとしたら洗濯機とドアの両方に傷がつくかも?どうされますか?」
とのたまった。
しばらくの沈黙後、答えを出せずに躊躇していた後ろで、
「とにかくやってみてください。」
と、奥さんが言った。
後から聞いたところでは、遠めに洗濯機の幅とドアの幅を見比べて、野生の感で、
「こりゃ、通る。」
とひらめいたそうである。
こんな時に、視覚障害のわしは、手で触って入るかどうかなんてわかる訳でもなく、判断する事ができなかったのである。
その結果、お見事、何の問題も無くスーーと洗濯機は通過した。拍手。
あの心配は何だったのだろう?
翌日、早速朝の選択の時、どのように動くのかをじっと洗濯機の前にかがみこんで見ることにした。と言うよりは聞くことに下。
今までの渦巻き式と違い、ドラムの開店する小さな音と、洗濯物が中でグルグル回り上になり下になり斜めのドラムの中で落ちていく「パタパタ」というかすかな音しか聞こえない。
脱水時には、「ヒューーン」という小さめなジェット音が聞こえ、
「スゲーー!」
と思わず大声で叫んでしまった。
視覚障害のわしには、ドラムの中で開店する洗濯物を直接見ることはできないが、音を聞くだけでこの最新式の洗濯機クンの素晴らしさが想像できるのである。
奥さんも、子供たちも、
「お父さん、まだ見とるん?そんなにおもしろいかね?」
と、あきれ顔で聞いてくるが、洗濯機事態を目で確認できないわしにとっては、選択できている事が音で確認できる洗濯機は実に興味深い存在なのである。
次の日も、その次の日も、洗濯機が回りだすと、じっと黙って洗濯機の前にかがみこみじっと音を聞いている自分がいるのであった。
※あれから1年・・・・・。
相変わらず、わしは、洗濯をするのが好きである。
1年前に購入したこのドラムシキ洗濯機は、毎日一生懸命仕事をしてくれている。
これから何年働いてくれるのか?
末永く大事に使っていこうと思う。
従来の渦巻き式からドラム式の最新機種を購入したのである。
以前使用していた洗濯機、脱水の時に、「ガタガタ」とものすごい音がして、選択時間も早くなったり遅くなったりと調子が悪かったのである。
今回購入したドラム式洗濯機、テレビで宣伝していたこともあり、選択・脱水時の音の静かさと、感想もできる代物である。
購入したドラム式洗濯機が我が家に届く火に、ひと悶着があった。
今までの洗濯機と比べると幅・奥行きとも随分大きく、洗濯機を設置する御風呂・トイレ・洗面台がある部屋へのドアを通過することができるかどうかが微妙であった。
設置業者が訪れて、そのドアの幅をメジャーで計り、持ち込んだ洗濯機の幅を計り、
「これはきわどいな。ギリギリ入るかもしれないけど、ひょっとしたら洗濯機とドアの両方に傷がつくかも?どうされますか?」
とのたまった。
しばらくの沈黙後、答えを出せずに躊躇していた後ろで、
「とにかくやってみてください。」
と、奥さんが言った。
後から聞いたところでは、遠めに洗濯機の幅とドアの幅を見比べて、野生の感で、
「こりゃ、通る。」
とひらめいたそうである。
こんな時に、視覚障害のわしは、手で触って入るかどうかなんてわかる訳でもなく、判断する事ができなかったのである。
その結果、お見事、何の問題も無くスーーと洗濯機は通過した。拍手。
あの心配は何だったのだろう?
翌日、早速朝の選択の時、どのように動くのかをじっと洗濯機の前にかがみこんで見ることにした。と言うよりは聞くことに下。
今までの渦巻き式と違い、ドラムの開店する小さな音と、洗濯物が中でグルグル回り上になり下になり斜めのドラムの中で落ちていく「パタパタ」というかすかな音しか聞こえない。
脱水時には、「ヒューーン」という小さめなジェット音が聞こえ、
「スゲーー!」
と思わず大声で叫んでしまった。
視覚障害のわしには、ドラムの中で開店する洗濯物を直接見ることはできないが、音を聞くだけでこの最新式の洗濯機クンの素晴らしさが想像できるのである。
奥さんも、子供たちも、
「お父さん、まだ見とるん?そんなにおもしろいかね?」
と、あきれ顔で聞いてくるが、洗濯機事態を目で確認できないわしにとっては、選択できている事が音で確認できる洗濯機は実に興味深い存在なのである。
次の日も、その次の日も、洗濯機が回りだすと、じっと黙って洗濯機の前にかがみこみじっと音を聞いている自分がいるのであった。
※あれから1年・・・・・。
相変わらず、わしは、洗濯をするのが好きである。
1年前に購入したこのドラムシキ洗濯機は、毎日一生懸命仕事をしてくれている。
これから何年働いてくれるのか?
末永く大事に使っていこうと思う。
再放送:視覚障害者の見る夢って?
視覚障害者が見る夢ってどんなんだろう?
わしは中途の視覚障害なので、夢の中ではバッチリ見えている。見えているとは言っても、夢の中の頭の中では、
「わしは目が悪いけぇ、気をつけなきゃぁ。」
といつも思っている。
特に、自動車免許も持っていた事もあり、車やバイクを運転している夢もよく見る。
「あーー、免許証は持っているけど、期限は切れていなかったかなぁ?目が悪い事が警察にばれるとやばいなぁ。」
と、ビクビクしながら運転をしているのである。
鳥になって飛ぶ夢もよく見る。
パタパタと両手を羽ばたかせて走ると、体がフワーと浮いて飛べるのである。
空高く舞い上がり、雲の中をとおり、はるかかなたに海や山を見ながら飛ぶのである。
はるか下の景色もよく見えている。
しかし、最近ちょっと気になることがある。
夢の中で遭遇する人の顔が、みな人形のような顔をしているのである。
わしの今の視力では、人の顔を判断することはできないので、夢の中でも徐々に人間の顔を認識できなくなっているのだろうか?
※ あれから1年・・・・・・。
最近も相変わらず夢をよく見る。
それも訳のわからない夢が多いようである。
バイクや車を運転する夢もよく見る。
舗装された道路から山道に入る。
多くの人が連なって続いている。
道はだんだん細くなる。
そのうち、行き止まりとなり引き返す。
すると断崖絶壁の状態となっている。
このままでは前へ進めない。
やむなくバイクから降りて、その絶壁をそろそろと下へ降りる。
そこには川が流れていて、そして土手を登る。
そこは今まですんでいた世界とは全然違っている。
記憶を亡くしたわしは両手をはがいじめにされて誰かに連れ去られる。
うーーん。よくは覚えてはいるのだが、この夢がが何を示唆しているのか?
よー、わかりましぇん。
わしは中途の視覚障害なので、夢の中ではバッチリ見えている。見えているとは言っても、夢の中の頭の中では、
「わしは目が悪いけぇ、気をつけなきゃぁ。」
といつも思っている。
特に、自動車免許も持っていた事もあり、車やバイクを運転している夢もよく見る。
「あーー、免許証は持っているけど、期限は切れていなかったかなぁ?目が悪い事が警察にばれるとやばいなぁ。」
と、ビクビクしながら運転をしているのである。
鳥になって飛ぶ夢もよく見る。
パタパタと両手を羽ばたかせて走ると、体がフワーと浮いて飛べるのである。
空高く舞い上がり、雲の中をとおり、はるかかなたに海や山を見ながら飛ぶのである。
はるか下の景色もよく見えている。
しかし、最近ちょっと気になることがある。
夢の中で遭遇する人の顔が、みな人形のような顔をしているのである。
わしの今の視力では、人の顔を判断することはできないので、夢の中でも徐々に人間の顔を認識できなくなっているのだろうか?
※ あれから1年・・・・・・。
最近も相変わらず夢をよく見る。
それも訳のわからない夢が多いようである。
バイクや車を運転する夢もよく見る。
舗装された道路から山道に入る。
多くの人が連なって続いている。
道はだんだん細くなる。
そのうち、行き止まりとなり引き返す。
すると断崖絶壁の状態となっている。
このままでは前へ進めない。
やむなくバイクから降りて、その絶壁をそろそろと下へ降りる。
そこには川が流れていて、そして土手を登る。
そこは今まですんでいた世界とは全然違っている。
記憶を亡くしたわしは両手をはがいじめにされて誰かに連れ去られる。
うーーん。よくは覚えてはいるのだが、この夢がが何を示唆しているのか?
よー、わかりましぇん。
再放送:伊達めがね
わしは正真正銘の視覚障害者である。よって、メガネをかけようがかけまいが視力の回復はほとんど望めない。
まだよく見えていた頃は、メガネをかけることで、裸眼で0.3くらいの視力が1.0くらいまでにはなっていた。
最近は、かけてもかけなくてもさほど変わらないので、自宅にいる時や会社でパソコンに向かっている時はめがねを外してすごしている。
昔は、黒縁のメガネが、わしのトレードマークだったので、しばらく会っていない人には、わしの姿がピンとこないかもしれない。
つい先日、会社からの帰り道、いつもどうにか見えていた街頭の明かりがぼんやりとしていて、白杖をカンカンしているとは言え、何か危なっかしい感じである。
目元に手をやると、外を歩く時はかけているメガネがない。会社の机の引き出しにしまったままであるのに気がつく。
0.01の視力であるとは言え、少しはメガネをかけることで、視力が回復している事に気が付いたのであった。
RP患者の間では、肝細胞を網膜に移植することで、新しい視神経が増殖し、視力の回復が望めるのでは?との話題が聞かれるようになった。
10年後くらいにはその治療法が確立するのでは?とも言われている。
もしそうなれば、もう一度、自動車免許を再発行して、自分の運転でドライブをしてみたいものである。
果たして、10年後の未来派どうなっているのやら?
※あれから1年・・・・・。
相変わらず、通勤時以外はメガネを外してすごしている。
まだ少しは視力は残っているとはいえ、ものを見ようとする意思があまり働いていないようである。
今日、目の調子がいいので、テレビに出演している人の顔を確認してやろうと、メガネをかけて横っちょの視野で見ようと試みた。
かすかにその人の顔の一角が見えたが、逆に、
「これが人の顔なのか?」
と不気味に感じてしまった。
このままいくと、医療が進歩して、視力が蘇った時には、どうなっちゃうんでしょうねぇ?
人の顔を認識できるのでしょうかねぇ?
まだよく見えていた頃は、メガネをかけることで、裸眼で0.3くらいの視力が1.0くらいまでにはなっていた。
最近は、かけてもかけなくてもさほど変わらないので、自宅にいる時や会社でパソコンに向かっている時はめがねを外してすごしている。
昔は、黒縁のメガネが、わしのトレードマークだったので、しばらく会っていない人には、わしの姿がピンとこないかもしれない。
つい先日、会社からの帰り道、いつもどうにか見えていた街頭の明かりがぼんやりとしていて、白杖をカンカンしているとは言え、何か危なっかしい感じである。
目元に手をやると、外を歩く時はかけているメガネがない。会社の机の引き出しにしまったままであるのに気がつく。
0.01の視力であるとは言え、少しはメガネをかけることで、視力が回復している事に気が付いたのであった。
RP患者の間では、肝細胞を網膜に移植することで、新しい視神経が増殖し、視力の回復が望めるのでは?との話題が聞かれるようになった。
10年後くらいにはその治療法が確立するのでは?とも言われている。
もしそうなれば、もう一度、自動車免許を再発行して、自分の運転でドライブをしてみたいものである。
果たして、10年後の未来派どうなっているのやら?
※あれから1年・・・・・。
相変わらず、通勤時以外はメガネを外してすごしている。
まだ少しは視力は残っているとはいえ、ものを見ようとする意思があまり働いていないようである。
今日、目の調子がいいので、テレビに出演している人の顔を確認してやろうと、メガネをかけて横っちょの視野で見ようと試みた。
かすかにその人の顔の一角が見えたが、逆に、
「これが人の顔なのか?」
と不気味に感じてしまった。
このままいくと、医療が進歩して、視力が蘇った時には、どうなっちゃうんでしょうねぇ?
人の顔を認識できるのでしょうかねぇ?
再放送:すいませんじゃなく、ありがとう。
わしの視力は、左目0.01、右目が光を感じる程度。視野は限りなく0である。また、やもうのため、暗い所では該当以外は何も見えない。かろうじて周辺部に残っている視野で、周りの状況を確認している。
このような状況で毎日白杖を使って前方の危険を回避しながら通勤をしている。
そんな中、いつも一緒になる方?と思われる人によく助けられている。
「信号が青になりましたよ。」
「ちょっと先で工事をしていますよ。手引きをしましょうか?」
などなど。
そう言われた時に、いつも私は、
「ありがとう。」
と素直に感謝の気持ちを表現している。
以前は、「すいません。すいません。」
と、ペコペコと誤ってばかりであった。何か視覚障害である私が、健常者と一緒に道を歩いているのが、とても他の人にとって迷惑な存在ではないかと思っていた訳である。
しかし、ふと考えると援助依頼を申し出ていただいた方にとって、
「すいません。」と言われるよ理は、「ありがとう。」といわれた方が、うれしいのでは?と考えた訳である。
「すいません。」では、私、助ける人、あなた助けられる人、の構図であるが、
「ありがとう。」では、助ける側も助けられる側も同じ視線で、コミュニケーションを保ちながら生活をしていけるのでは?と考えた訳なのである。
そうすれば、今度遭った時には、
「こんにちは、今日は良い転機ですねぇ?」
などと、障害と言う事を抜きにして、自然な形で暮らしていけるのかなぁ?
これって、甘いのかなぁ?
※あれから一年・・・。
相変わらず、いつもの交差点で、
「青になりましたよぉ。わたりましょうかぁ?」
と、声賭けをしてくれる人は決まっている。
そして、新たに、時々弁当を買っているコンビニのお姉ちゃん。
あてすっぽうで選んでいる、おにぎりや弁当・ハンバーガーをレジに持っていくと、
「これはツクネバーガーですけどよろしいですかぁ?」
と気を利かして聞いてくれるのである。
以前は、わしからレジで、
「これはいったいどんな種類の弁当ですかぁ?」
といつも聞いていたからである。
もちろん、お金を払った後、店を出るときは、
「ありがとねぇ。」
と声をかけている自分がいる。
このような状況で毎日白杖を使って前方の危険を回避しながら通勤をしている。
そんな中、いつも一緒になる方?と思われる人によく助けられている。
「信号が青になりましたよ。」
「ちょっと先で工事をしていますよ。手引きをしましょうか?」
などなど。
そう言われた時に、いつも私は、
「ありがとう。」
と素直に感謝の気持ちを表現している。
以前は、「すいません。すいません。」
と、ペコペコと誤ってばかりであった。何か視覚障害である私が、健常者と一緒に道を歩いているのが、とても他の人にとって迷惑な存在ではないかと思っていた訳である。
しかし、ふと考えると援助依頼を申し出ていただいた方にとって、
「すいません。」と言われるよ理は、「ありがとう。」といわれた方が、うれしいのでは?と考えた訳である。
「すいません。」では、私、助ける人、あなた助けられる人、の構図であるが、
「ありがとう。」では、助ける側も助けられる側も同じ視線で、コミュニケーションを保ちながら生活をしていけるのでは?と考えた訳なのである。
そうすれば、今度遭った時には、
「こんにちは、今日は良い転機ですねぇ?」
などと、障害と言う事を抜きにして、自然な形で暮らしていけるのかなぁ?
これって、甘いのかなぁ?
※あれから一年・・・。
相変わらず、いつもの交差点で、
「青になりましたよぉ。わたりましょうかぁ?」
と、声賭けをしてくれる人は決まっている。
そして、新たに、時々弁当を買っているコンビニのお姉ちゃん。
あてすっぽうで選んでいる、おにぎりや弁当・ハンバーガーをレジに持っていくと、
「これはツクネバーガーですけどよろしいですかぁ?」
と気を利かして聞いてくれるのである。
以前は、わしからレジで、
「これはいったいどんな種類の弁当ですかぁ?」
といつも聞いていたからである。
もちろん、お金を払った後、店を出るときは、
「ありがとねぇ。」
と声をかけている自分がいる。
再放送:子供から見た視覚障害者とは?
わしが通勤の途中で時々遭遇する子供がいる。
散髪屋の隣の長屋に住んでいる、3歳くらいのおぼっちゃん。
わしは良く見えないので気が付かなかったが、その長屋の2階から、毎日白杖カンカン通勤しているわしを見ていたようだ。
ある夕暮れ、いつものとおりに、帰宅の途中でその長屋の前を通り過ぎる時、そのおぼっちゃんがタッタッタッと近寄って来て、
「おじちゃん、その白い棒はなんなん?」
と聞いてきた。
「あのね、おじちゃんは目がよく見えんので、この杖を目の変わりに使っとるんよ。」
と答えたのである。
それから数日して、またその子が近寄ってきた。
「おじちゃん、がんばってね。がんばってね。」
それだけ言って、立ち去って行った。
その子の親が私の事を、
「あのおじちゃんはね、目が悪印んよ。可哀想じゃね。」
とでも教えたのだろうか?
子供はそんなことを言われたかどうかはわからんが、素直な気持ちで励ましに来てくれたのかもしれない。
その優しさに、力づけられたのであった。
↓
※ あれから1年・・・・。
最近、あの子の姿を見ることがないなぁ?
どうしたのでしょう?
毎日、その子の家の前を通ってはいるのだが・・・。
けんど、最近は大人より、中学生や高校生のこどもたちのほうが、障害者に対してさりげない態度をとってくれるのかも知れない。
交差点ですれ違っても、わしの進路を邪魔して立っていた時などは、
「すいませんでしたぁ。どうぞぉ。」
と声を出して道を譲ってくれるのだが、
通りすがりのおばちゃん、おじちゃんなどは、息を殺してちょっと横にずれるだけである。
「どうせ、この人は目が見えないのだがら、気づかれないようにしよっと。」
とでも考えているのかも知れない。
ちょっと、考えすぎ貸しらん。
散髪屋の隣の長屋に住んでいる、3歳くらいのおぼっちゃん。
わしは良く見えないので気が付かなかったが、その長屋の2階から、毎日白杖カンカン通勤しているわしを見ていたようだ。
ある夕暮れ、いつものとおりに、帰宅の途中でその長屋の前を通り過ぎる時、そのおぼっちゃんがタッタッタッと近寄って来て、
「おじちゃん、その白い棒はなんなん?」
と聞いてきた。
「あのね、おじちゃんは目がよく見えんので、この杖を目の変わりに使っとるんよ。」
と答えたのである。
それから数日して、またその子が近寄ってきた。
「おじちゃん、がんばってね。がんばってね。」
それだけ言って、立ち去って行った。
その子の親が私の事を、
「あのおじちゃんはね、目が悪印んよ。可哀想じゃね。」
とでも教えたのだろうか?
子供はそんなことを言われたかどうかはわからんが、素直な気持ちで励ましに来てくれたのかもしれない。
その優しさに、力づけられたのであった。
↓
※ あれから1年・・・・。
最近、あの子の姿を見ることがないなぁ?
どうしたのでしょう?
毎日、その子の家の前を通ってはいるのだが・・・。
けんど、最近は大人より、中学生や高校生のこどもたちのほうが、障害者に対してさりげない態度をとってくれるのかも知れない。
交差点ですれ違っても、わしの進路を邪魔して立っていた時などは、
「すいませんでしたぁ。どうぞぉ。」
と声を出して道を譲ってくれるのだが、
通りすがりのおばちゃん、おじちゃんなどは、息を殺してちょっと横にずれるだけである。
「どうせ、この人は目が見えないのだがら、気づかれないようにしよっと。」
とでも考えているのかも知れない。
ちょっと、考えすぎ貸しらん。
再放送:中途失明という響き
わしが視覚障害になった原因の病気は「網膜色素変成症」である。
以前、大阪の視覚障害者のリハビリテーションセンターで生活訓練を受けながら、情報処理の訓練を受けていたのであるが、そこに来ていた視覚障害者の3分の1は私と同じ病気が理由で視力の低下や視野の欠損をおこしていた。
この病気では、各人で見え方や進行状況が違うのである。
わしはそれでも少しは見えているのであるが、いつ完全に見えなくなってしまうのかはわからない。
まあ、神のみぞ知る!て感じかなぁ。
仕事では、毎日パソコンを使用している。
しかし、毎日朝から晩までパソコンの前に座り音声にて仕事をしていると、
「こんなことを定年まで続けるんかいのお?」
と落ち込むこともある。
けんど、仕事は仕事として、割り切っていかにゃあおまんまを食っていけんしね。
今は、完全に見えない状態ではない。
少しでも見えている内に、頭の中にいろいろな景色などを記憶しておこうと思っているのであった。
以前、大阪の視覚障害者のリハビリテーションセンターで生活訓練を受けながら、情報処理の訓練を受けていたのであるが、そこに来ていた視覚障害者の3分の1は私と同じ病気が理由で視力の低下や視野の欠損をおこしていた。
この病気では、各人で見え方や進行状況が違うのである。
わしはそれでも少しは見えているのであるが、いつ完全に見えなくなってしまうのかはわからない。
まあ、神のみぞ知る!て感じかなぁ。
仕事では、毎日パソコンを使用している。
しかし、毎日朝から晩までパソコンの前に座り音声にて仕事をしていると、
「こんなことを定年まで続けるんかいのお?」
と落ち込むこともある。
けんど、仕事は仕事として、割り切っていかにゃあおまんまを食っていけんしね。
今は、完全に見えない状態ではない。
少しでも見えている内に、頭の中にいろいろな景色などを記憶しておこうと思っているのであった。
再放送:障害の受容は難しい
ここのアメーバブログに引っ越してきて、数カ月が経った。
以前、投稿していたブログサイトからの引越しはいまだ完了していない。
そこで、今日より、時々、移行が完了していない記事の内、感慨深いものだけを「再放送」として、多少手を加えた形でアップしていきたいと思う。
以前、読んだことがある方は、ごめんなさい。
遠慮なく、読み飛ばしてくださいね。
==ここより再放送============
よく「私は障害を受容して、すっかり明るくなりました。」
などの言葉を聞くが、障害者当人の私にとっては、
「本当に障害を受け入れることはできるのだろうか?」
などと思ってしまう。
確かにある程度、自分の障害を受容しないと前には進めないのであるが、やっぱし見えないよりは見えた方が良い訳であり、
「障害を受容したので、もう大丈夫。」
と自分に言い聞かせて納得しているところがあるのでは?と思ってしまうのである。
まあ、最近は、
「目が見えにくいからどうしよう?」
などと考えることも少なくなり、今の自分の状態が当たり前のようになってきたような気がする。
「目が見え難いことを考えたって、どうなるわけでもなく、ぼちぼちやってけばどうにかなるでしょう。」
と思うようにしている。
これって、障害者にとっては、永遠のテーマななのかなぁ?
以前、投稿していたブログサイトからの引越しはいまだ完了していない。
そこで、今日より、時々、移行が完了していない記事の内、感慨深いものだけを「再放送」として、多少手を加えた形でアップしていきたいと思う。
以前、読んだことがある方は、ごめんなさい。
遠慮なく、読み飛ばしてくださいね。
==ここより再放送============
よく「私は障害を受容して、すっかり明るくなりました。」
などの言葉を聞くが、障害者当人の私にとっては、
「本当に障害を受け入れることはできるのだろうか?」
などと思ってしまう。
確かにある程度、自分の障害を受容しないと前には進めないのであるが、やっぱし見えないよりは見えた方が良い訳であり、
「障害を受容したので、もう大丈夫。」
と自分に言い聞かせて納得しているところがあるのでは?と思ってしまうのである。
まあ、最近は、
「目が見えにくいからどうしよう?」
などと考えることも少なくなり、今の自分の状態が当たり前のようになってきたような気がする。
「目が見え難いことを考えたって、どうなるわけでもなく、ぼちぼちやってけばどうにかなるでしょう。」
と思うようにしている。
これって、障害者にとっては、永遠のテーマななのかなぁ?
太鼓の鉄人
今日、家族でショッピングセンターに買物に行った。
そのショッピングセンターで昼飯にオムライスの専門店に入った。
そこでは、オムライスをベースに、ノーマルなケチャップ、デミグラスソースのチキンカツ、ビーフシチューなどがそえられているのであった。
わしは、ビーフシチューぞえのオムライスを食った。
昔ながらの洋食屋さん風の味で、なかなかおいしかった。
その食い物屋さんの隣にゲームセンターがあった。
そこには今回の題名でもある「太鼓の達人」があった。
このゲームは、歌混じりの音楽にそって、画面に赤色と青色の印が出るのに合わせて、備え付きの太鼓をリズム欲叩くのである。
そういえば、下の娘が先日、PSPのゲームソフトでこれと同じやつを買っていた。
「こんなゲームのどこがおもしろいんかいのぉ?」
と思っていたのだが、実際のゲームセンターにある本体を目前にすると、これがなかなか迫力がある。
最初は、周りの見物人を気にしていた子供達も、最後はリズムに合わせて本気で太鼓を叩いていた。
最近のゲームは変わっているのですねぇ。
わしもやりたかったのだが、画面に出る太鼓を叩く合図が見えんのであきらめた。
家に帰って、先日購入したノートパソコンを畳の部屋に持ち込んだ。
その部屋で有線でつないだLANでインターネットヲ楽しんだ。
最近はまっているのは、例の「ギャオ」の無料の画像配信サービスである。
少々古い映像ではあるが、これがなかなか楽しめる。
1週間ごとに4話ずつ放映される「ドカベン」のアニメを聞くのである。
昔の映像の記憶があるので、音声を聞きながら、頭の中で思い浮かべて楽しんでいる。
やっぱし、畳の部屋で寝っ転がって好きな事をしているのはええですねぇ?
20年前の大学時代の下宿生活を思い出すのである。
ちょっとはまっちゃいそうです。
そのショッピングセンターで昼飯にオムライスの専門店に入った。
そこでは、オムライスをベースに、ノーマルなケチャップ、デミグラスソースのチキンカツ、ビーフシチューなどがそえられているのであった。
わしは、ビーフシチューぞえのオムライスを食った。
昔ながらの洋食屋さん風の味で、なかなかおいしかった。
その食い物屋さんの隣にゲームセンターがあった。
そこには今回の題名でもある「太鼓の達人」があった。
このゲームは、歌混じりの音楽にそって、画面に赤色と青色の印が出るのに合わせて、備え付きの太鼓をリズム欲叩くのである。
そういえば、下の娘が先日、PSPのゲームソフトでこれと同じやつを買っていた。
「こんなゲームのどこがおもしろいんかいのぉ?」
と思っていたのだが、実際のゲームセンターにある本体を目前にすると、これがなかなか迫力がある。
最初は、周りの見物人を気にしていた子供達も、最後はリズムに合わせて本気で太鼓を叩いていた。
最近のゲームは変わっているのですねぇ。
わしもやりたかったのだが、画面に出る太鼓を叩く合図が見えんのであきらめた。
家に帰って、先日購入したノートパソコンを畳の部屋に持ち込んだ。
その部屋で有線でつないだLANでインターネットヲ楽しんだ。
最近はまっているのは、例の「ギャオ」の無料の画像配信サービスである。
少々古い映像ではあるが、これがなかなか楽しめる。
1週間ごとに4話ずつ放映される「ドカベン」のアニメを聞くのである。
昔の映像の記憶があるので、音声を聞きながら、頭の中で思い浮かべて楽しんでいる。
やっぱし、畳の部屋で寝っ転がって好きな事をしているのはええですねぇ?
20年前の大学時代の下宿生活を思い出すのである。
ちょっとはまっちゃいそうです。