new暴れん坊商人~視覚障害者の呟き~ -96ページ目

家族みんなで食事

 今日、下の娘が中学校の自然学級から帰ってきた。
 2泊3日のお泊りであった。

 上野お兄ちゃんも、珍しく早く学校から帰ってきた。
 そこで、久々の家族4人揃っての夕食であった。

 ギョウザと野菜炒め、何てこと無いおかずではあったが、皆で食べると箸が進む。
 娘の自然学級のことなど聞きながら、楽しく過ごせた。

 飯を食ってしばらくして、妻とウォーキングに出かけた。
 もちろん、わしは暗いとなると全然見えない。
 けんど、いつもの妻の手引きなので安心である。
 お城の周りをグルリと一周。
 約50分間の歩きである。
 ある曲がり角でプンと花のにおい。
 お堀で鳴いている食用が得るの「グワー、グワー」という音。
 慣れてくると、いろいろな音や匂いがあるのに気が付く。
 わしも全盲になるとこんな感じになるのかなぁ?
 ほとんど見えていなくても、少しは視力に頼っていた自分を認める。

 いつもの朝のその場だけの、畳部屋の足踏みと違い、心地よいからだの疲労感を覚える。
 今日はゆっくり寝れそうじゃ。

病院通い

今日は内科と眼科の受信のために病院へ行った。

 まずは、家から歩いて5分の所にある内科へ、血糖値の測定と、血中のコレステロールを下げる薬をもらいに行った。
 いつもはそれほど患者さんはいないのだが、今日は待合室が込んでいた・・・?らしい。
 受付に保険証と診察カードを提出して、空いている席を探す。
「この席空いてますかぁ?」
と右手を突き出して座ろうとする。
「はぁ?」
とご老人の声。
 どうもわしが眼が見えにくいことがわからないらしい。
「その患者さんは目が不自由なんですよ。」
と看護師さんの声。
 だが、どなたも
「ここが空いてますよ。」
とのサポートが無かった。
 まあ、こんな日もあるわなと、気にせず自分で手探りして席を探す。
尿糖を調べ、血圧を調べ、携帯式の測定器で血糖値を調べた。
 血圧は、135の78、まあまあ。気持ち高め香?
 血糖値は空腹時で108と、正常内の数値であった。

 最近も続けて、朝の40分程度の軽い運動と週に2~3日程度に飲酒を抑えていることもあり、徐々に、代謝機能が回復しているらしい。
 4週間分の薬をもらって、次は眼科へ。

 今日は一般の診察とともに、3年に一度の障害年金の更新手続きのための診断書を書いてもらわなければいけない。
 事前に先生には言っていたので、前回の診察時に、視野検査は済ませていた。
 相変わらず、両目とも周辺部にまだら状の視野は残っているものの、中心部は、左目の左斜め下に、ほんのわずかな視野が残っているのみであった。
 中心部の他の場所は、真っ暗ではなくなんとなく見えてはいるものの、全てがつぶれて白けていて使い物にならないようである。

 眼圧を測り、久しぶりの視力検査をする。
 右目は懐中電灯の光のオン・オフがわかる程度。
 左目は、裸眼で手が振られているのが判る程度。
 矯正して左目はどうにか0.01の視力である。
 黒く丸い輪はなんとなく見えるものの、左側に空きがなければどこが空いているのかわからない。
 眼圧は異常なし。
 眼底の検査では、網膜以外は異常なし。非常にきれいなレンズだそうな。
 まさに、少女マンガに出てくる、キラキラ干しのような瞳だ・・・そうな?!
 網膜色素は随分変性し、色が変わってしまっているが、視神経はけっこうそのままの状態で残っているらしい。

「所見は、依然と変わりませんね。」
と、その場で診断書を書いてもらう。

 以前は総合病院で診察を受けていたところ、診察への待ち時間にくたびれ、診断書を書いてもらうとなると、何日も待たされていたので、ここへ転居してからは、ここの個人病院へ通っている。
 薬はもらってはいるものの、もともと効き目は保障されていないものであり、飲んだり飲まなかったりである。
 けんど、今後のいろいろな手続きのためには、わしの目ん玉の状態は、定期的に記録を残しておかないといけないと思っているので、一ヶ月に一度は薬をもらいに、3~4ヶ月に一度は診察を受けている。

「暴れん坊商人さん。朗報ですよ。とうとう網膜色素変性賞に聞く薬が開発されましたよ。また、人口網膜を移植すると、確実にもとの視力が戻りますよ。おめでとうございます。」
なーーんて言ってくれる日は来るのかしらん。
 そうなったらうれぴいのになぁ!

手引きの誘い

昨日の土曜日に、神戸で開催された、「視覚障害者パソコンCD講習会」に出かけた。
 先週に続いて2回目の出席である。
 
 神戸まで最寄の駅からJRの新快速電車で40分かかる。
 最寄のJRの駅まで歩いて25分。
 やっと駅まで行き着いたが、この駅は現在改装中であり、中のホームの様子がすっかり変わっていた。

 先週訪れたときに、改札口に立っていたJRの若い職員に、
「階層のため、中のホームの様子が変わってから、初めて入るので、新快速がとまるホームまで誘導をお願いできますか?」
と頼んで、快く連れて行ってもらった。
 そこで、今回は、自分ひとりで、前回の記憶を頼りに、白杖片手に、自動改札を通り抜けた。
 しばらく歩いていると、
「手引きをしましょうかぁ?」
と、若い男性の声。
 そのさりげないサポートの依頼に、
「お願いできますかぁ。」
と彼の右ひじをお借りした。
「どこまで行かれるのですか?南蛮船の電車に乗るか決めていらっしゃいますか?」
と、質問される。
「よく、手引きの仕方を知っていらっしゃいましたね?」
と聞いてみると、実は、彼も弱視で、神戸盲学校に通っていたとのこと。
 なるほど、それで視覚障害者の気持ちがわかっているのだなぁ。
「どうも助かりました。ありがとう。」
と電車の中まで連れていってもらい席に座った。
 無事、会場まで行き着き講習を受けた。
 
 夕方の4時に講習会が終了し、またJRの新快速に乗った。
 しばらくすると、わしの体をとんとんとたたいて、
「座ってください。」
と、席を譲ってもらう。
 体が悪いのではないので、どうしようかと思ったが、せっかく席を譲っていただいたので、
「ありがとうございます。」と座る。
 自宅の近くの駅に着き、電車から降りようとすると、
「どこまで行かれますかぁ?」
と聞かれる。
 どうやら、先ほど席を譲っていただいた方らしい。
 ずっと、わしのことを気にしていたらしい。
「お城側の中央改札口から出るのですが。」
と言うと、わしの左手をがっちりつかんで一緒に誘導をしていただけるらしい。
 初めて視覚障害者の誘導をされるのか、ちょっとぎこちない。
 そこで、
「すいませんが、右ひじをつかませていただきますか?」
とお願いをする。
 すると、周りの様子を気にされながら、いつもの手引きのスタイルになる。
 これで安心して誘導をお願いできた。
 
 今日は、なんとラッキーなのかなぁ。
 こちらからお願いしなくても、さりげない手引きをしてくださる方が、いらっしゃるのだなぁ。
 そう言えば、5年前に大阪のリハ施設を訪れるために大阪駅に着いた時にも、若いお兄ちゃんが、
「どこまでいかれますかぁ?お手伝いをしましょうかぁ?」
とさりげない手引きをしてもらったなぁ。
 その時の半そでのTシャツからにょきっと出た、ちょっと汗ばんだ右ひじの感触を思い出した。

 しょうしょう眼が見えにくくなっても、ちょっとした援助を受ければ、一人でどこでも出かけられるものである。
  心のなごんだひと時でした。

再放送:宵越しに持たないもの・毎朝持ちたいもの

 いつも参考にさせていただいているブログで、件名の投稿、

宵越しに持たないもの・毎朝持ちたいもの

を聞かせていただき、どこの家族も同じなんだなぁと感じた。

このブログの投稿のような状況になった時、わしはいつも思う。
「自分が昔、中学校・高校の時はどうだっただろう?」
 そう言えば、中学校に入ってからは、両親とはまともに口も聞かず、ふてくされた顔をして別行動をとっていたなぁ。
 親のちょっとした言動にも原を立て、突っ張って毎日を過ごしていたなぁ。
 けど内心は、小さい子供の時と一緒で、できるだけ家族で楽しく笑い合って過ごしたかった。
 しかし、そのような思いの反面、違った行動をとってしまっていたんですよねぇ。

 わしはいつも思う。
 朝、一番の、
「おはよう。」
 学校、会社に行く時の、
「いってきまーーす。」
「いってらっしゃーーい。気を着けてねぇ。」
 学校・会社から帰って来た時の、
「ただいまぁ。」
「お帰りーー。」
 この言葉を、「うふビーム」を出しながら言えたら、きっと明るく毎日が過ごせるのではないのかなぁ?

 どんなに沈鬱な雰囲気でいても、誰かが、いや、親が、「うふビーム」を出しながら、ニコッと笑って話し出せば、必ず子供たちも、「うふうふ」と答えてくれますよ。
 家族の皆、そんな雰囲気でいられる事を心から望んでいるのですから。

 そんな雰囲気に戻った時、
「これがわしの求めている本当の幸せなのかなぁ?」
なーーんて感じるのでした。

 ※あれから一年・・・・・。
 最近、この「うふビーム」を忘れかけていたなぁ。
 毎日のいろいろなことが気になって、気にし始めるとどうにもならなく・・・。
 イライラすることも多いような気がする。
 いかんいかん。
 こんな時こそ、「うふビーム」を出しながら、家族の皆と話をせねば。
 ウフ
 ウフ!
 たら ウフウフ!!

独身時代の悪夢

 大学生になった時から、一人暮らしを始め、結婚するまでの8年間の独身時代、今から思うと随分無茶をしていたような気がする。

 まずは着るもの。
 大学時代は、とにかくエドウィンのGパンとBVDのTシャツ。
 就職してからは、Yシャツとネクタイばかりであったが、それも含めて洗濯物は、真ん中のコタツを境に左右二つのゴミ袋を置いて、かたっぽの袋に汚れ物を入れていく。
 その汚れ物袋が一杯になったら、それをサンタさんみたいに、背中にかついでコインランドリーへ。
 洗濯乾燥したものをそのまま袋に入れて、元の位置に。
 そしてもう一つのゴミ袋に今度は汚れ物を入れていく。
 毎日着るものは、さっき選択した袋から出して着る。
 こんなもんでした。
 
 食べるもの。
 学生時代は、学食の定職の回数券をまとめて買う。
 仕送りが少なくなると、小銭をかき集めて、卵と安いウィスキーを買って、ゆで卵にして食い、ウィスキーを飲む。
 これでたいてい途中で気持ち悪くなり、少量の食事ですむ。
 
 就職してからは、毎日何を食っていたか思い出せない。
 たまに自分で、肉や野菜を買い込んで、野菜炒めをしたり、おでんを作ったりしていたような??
 
 休みのたびにパチンコに行き、後は仕事に打ち込んでいましたなぁ。
 
 そして、26で結婚して、二人の子供に恵まれ、今にいたる。
 早44年が過ぎました。
 今後はどんな人生が待っているやら?
 まあ、家族と共に、自分で自分の人生は切り開いて行きませう。

再放送:奮闘!回転寿司

 回転寿司のクルクル回る皿のネタが見えにくくなったのはいつ頃だっただろうか?
 昔は眼の前を通り過ぎるお皿に乗っている、ネタを見ながら、
「次はこれ言ってみようかのう!」
なんて、ウキウキ気分で回転寿司に通っていたなあ?
 
 今ではどこでお皿が回っているかわかるでもなく、
「次は光物のアジね。」
なんて、家族の皆に言い聞かせ、
「ハイ、アジを眼の前に置くよ。」
なんて言われ、手でつかんでその感触と、香り、口に含んだ時の歯ごたえを頼りに、御寿司を楽しんでいる。
 
 回転寿司屋でも眼の前を通り過ぎるお皿に何のネタが乗っているのか、
「次はハマチです。」とか、
「「次は、納豆巻きです。」
なんて、しゃべってくれたらいいのになあ。
 
 視覚障害者同士で回転寿司屋に行ったらどうなるのだろうか?
 その時は、寿司を握っているお兄ちゃんに食べたいネタを田述べ場いいか。
 どうにかなるのかなぁ?
 結構、眼の前をお皿が回っているのにも関わらず、少しでも新鮮な握りたての御寿司を食べたいと、インタホーンで注文している人もいるしね?
 
 最近の回転寿司屋は、お寿司だけでなく、ラーメンやケーキなどのデザートなどなど何でも回っている鬼は驚いてしまう。
 これなら、小さいラーメンにお寿司を3皿くらい食べれば、昼飯時の定職代わりなるかもね?
※あれから1年・・・。
 今でも、相変わらず、回転寿司にはよくいく。
 食いたいねたを、言っといて、あとはひたすらそれを家族がとってくれるのを待っている
 最近、好きなお店は、「河童寿司」
そこでも、席の前にマイクがついていて、それに向かって、
「はまちとタコとイクラね。」
と注文すると、それを握ってくれる。
 あっ、その注文の品は、皿に石版を書いてやっぱしクルクル回ってくるのを取らなければいけないんじゃった。
 残念。

カップヌードル

 今日は、会社は休みである。
 妻は仕事、子供たちは学校。
 お昼ごはんは、妻が作ってくれていた弁当を食った。
 それと、お汁代わりに、カップヌードルのミニカップを食った。
 もちろん、あの日清のカップヌードルである。
 
 このカップヌードル、いつからあったっけなぁ?
わしがまだ小学校の低学年であった35~6年前、確か空き倉庫の屋根裏部屋に造った秘密基地で、お湯をわかして食ったけなぁ?
 その時、友達のどんくさい「しんちゃん」が足を滑らして、屋根裏部屋から下に落っこちたけなぁ?
 懐かしい思い出である。
 
 今や、何千種類というカップヌードルが販売されてますよねぇ。
 けんど、行き着くところは、この日清のカップヌードルではないでしょうか?
 それも、一番ノーマルなやつ。
 
 実は、わしが勤めているスーパーが所属するIグループでは自社のストアブランドとして、この日清のカップヌードルを見本に、なんちゃらバリューのカップヌードルを販売しているんですよねぇ。
 味は、眼をつぶって食ったら、どれが本間門の日進のカップヌードルかわからんほどそっくりです。
 この自社独自のストアブランドの商品を作る時は、見本となる商品よりうまく・性能もよく造ってはいけないそうです。
 結局のところ、その品種で一番よく売れている商品にお客様は慣れている訳でして。
 食ってみて、使ってみて、限りなく本間門に近くなければだめなんだそうです。
味と使い勝手が一緒で、価格が安くて、初めてその商品は売れるって訳です。
 しかも、自社で大量製造大量販売できるので、原価が安いんでもうかる訳です。 
 皆さんも、ジなんちゃらかマなんちゃらのスーパーで買い物をするときに、なんちゃらバリュのカップヌードルを探して食ってみてくださいな。
 けっこういけますよ。

点字読み取り装置開発?

 こんな記事見つけました。
 
指サックで点字読み取り・人造ロボットの皮膚使い
 
 指サック型の点字読み取り装置が開発され、これを付けてなぞるだけで、点字で書いてある内容を読み上げてくれるそうな。
 将来的には、胸ポケットに入るくらいの大きさに改良されるとのこと。
 こりゃ、ええですねぇ。
 中途の視覚障害者にとっては、点字を指先で読み取ることは、なかなか困難でして・・・。
 点字を書くのはけっこうすぐに覚えられるので、ちょっとしたメモは点字で書いて、読み取る時は、この装置で音声で聞き取れば、役にたちまっせ。
 じっくり読書をしたい時にも、点字で書かれた本を指先でなぞりながら、音声で聞いてやればええかもね。
 
 いかがでしょうか?

登用セミナー

 先週の木曜日と金曜日に、会社での登用セミナーに参加した。
 以前のブログでも書いたように、見えにくくなってからぴったりと止まっていた登用昇格。
 とにかく社員として、筆記・面接試験を受けて合格し、資格・グレードが上がらないと、給料も上がらないのである。
 昨年筆記試験を受け、今年になって面接試験を突破し、なんと18年ぶりに登用昇格したのであった。
 
 そこで、登用語の社員を集めて、マネジメントの基礎知識に関するセミナーが開催されたのであった。
「久々に教育が受けられるでぇ。」
と、ウキウキ心弾ませて参加した。
 事前に購入したB5のノートパソコンに、事前に配布されたテキストをスキャナで電子データとして取り込み、これで万全と意気込んでいた。

 しかーーし、人生それほど甘くはなかったんですねぇ。
 セミナー開始直後、いきなり2枚の用紙が配られて、事前に配布されたテキストの理解度テストだそうな。
「ありゃぁ!こりゃ見えんでぇ。どないしたらええねん。」
となすすべもなく、
「あなたは、これはしなくていいですよ。」
と講師に言われたものの、事前にわかっていれば、これも電子データで用意することもできただろうになぁ。
 
 しばらく講義があり、次は、5~6人のグループワークが始まった。
 ここでも、次から次へと配られる配布物。
 これを見ながら、ケースワークとしてみんなで話し合い内容を模造紙に書き込んで、それを見ながら発表するのである。
 当然、その配布物も見ることはできず、話し合いには参加できるものの、模造紙に書かれた文字を見ながら発表などできる訳でもなく・・。
 
 正直言って、まいっちゃいました。
 久々に、自分が眼の見えない視覚障害者であることを痛感しましたです。
 こんなな避けない思いをしたのは、会社を休む前での5年ぶりである
 一緒のグループの30台前後の社員も、40歳半ばの墨字が読めないおっさんに戸惑っている様子であった。
 その中で唯一となりに座った若者は、最初はとまどいながらも、次々と配られる配布物の内容を、熱心に声を出して読み上げてくれた。
 ありがたかったです。
 けんど、当然、聞きながらではスムーズにグループワークが進まず、どうしても遅れがちになってしまったです。
 
 あーー、疲れました。
 身体的にも精神的にも疲れましたです。
 週が明けて、やっと今日、この話題を書き込むまで回復しましたです。
 けんど、今日も、事後課題としてやらなければいけない、再度の理解度テストと、自分の職場での問題解決のための実行計画を、パソコンで自分なりに作成していますです。
 まあ、ぼちぼちやりますですたい。

再放送:盲人と接するために

 「あなたのランプの灯を,いま少し高くかかげてください.からだの不自由な人々のゆくてを照らすために。」
ヘレン・ケラー

これは、社会福祉法人 日本盲人職能開発センターが発行している、
盲人と接する人々のために
の文頭に書かれている文章である。
 
 わしは、3年前、約1年ぶりに今の会社に職場復帰した時に、このマニュアルを同じ部署の社員に事前に配布し、読み合わせをしていただいていた。
 おかげで、わしが新たな部署に配属された後に、さりげない援助・誘導をしていただいた。ありがたいことである。
 
 わしは、このマニュアルの存在を知る前に、職場復帰を目前にして、最後の人事部長の面談を受けた。
 その時、
「あなたは視覚障害と言うことでコンプレックスを持っていないでしょうか?視覚障害者自身はもちろんだが、同じ職場で働く健常者も、同じように、その職場に障害者がいると言う事で、プレッシャーを感じているんだよ。」
と聞かれた。
 わしは、その時こう答えた。
「私は、視覚障害者と言うことでコンプレックスやプレッシャーを感じると言う事は卒業しました。今は、頭の一つ上で物事を考えられるようになりました。」
 これって、半分は、強がって言っていたものの、まんざら間違った表現でもないと思っている。
 約9ヶ月間、生活訓練を中心にしたパソコンを使っての情報処理の訓練を受けてきた事で、これから仕事をする上での自信も蓄えていたのである。
 
「失われたものをかぞえるよりも、残されたものをかぞえよ。」
「リハビリテーションとは「障害者に潜在的能力を自覚させ、みずからの可能性を主体的に追求できる手段をそなえられるようにすることである。」
(by  スコット・アレン)
「百聞は一見に如かず。」
「見えない人は「百聞は一触に如かず(Touching is believing)」
(by Seeing isbelieving)
 
 これらの言葉は全てこのマニュアルの中に書かれていた。
 訓練を受けている中で、学んだ事の大切さがこのマニュアルに集約されていた。
 
 ただ、視覚障害者として、生活&仕事をして行く上で、ここに書かれているような奇麗事だけでは生き残っていけないのも現実である。
 時には、、健常者には想像もつかない苦悩と葛藤があり、それをある程度乗り越える事によって、少しずつでも前進して行けるのである。
 
明日は今日より美しい。
明後日は明日よりさらに美しい。
 この言葉を信じて、明るく生きて行きたいですね!

※あれから1年・・・・・。
 今、聞きなおしても、このマニュアルには心にしみる言葉が書かれていますですねぇ。
 このマニュアルを読んでいただけるだけで、晴眼者の方が視覚障害者と接する時に、随分楽な気持ちでいられるのではないかと思います。
 けんど、視覚障害者の行動や思いは、なかなか理解できないじゃろうなぁ?