再放送:視覚障害者にできること・できないこと
今は できるできないを
気にしすぎて、
持っているものが
出し切れていないのではないか。
授かっているものが
生かし切れていないのではないか。
これは、ある方のブログで紹介されていた、昨年の4月に亡くなられた、国語教育者の大村はまさんの最後の詩の一文である。
4年前に今の職場に復職して、一つの壁にぶつかって思い悩んでいた時に偶然見つけた言葉であった。
約10年前から徐々に視力が低下し視野が狭まってきた頃、
「今目が見えにくくなっている、私ができる範囲内で精一杯やっていればいいんだ。」
と思っていた。
しかし、その仕事内容は、周りの従業員からも、上司からも、1年前に入社した社員の半分以下の成果しか認められていなかったのである。
「これで私の今の会社での生活は終わったな。」
と正直言って思った。
欲年、会社を休み、大阪の視覚障害者専門のリハビリテーションセンターで生活訓練を受けながらパソコンを使った情報処理の職業訓練を約9ヶ月間に渡って受けた。
そこでは、同じ視覚に障害を持った方々が、自立するために会社に職場復帰するために、また少しでも生活の質を向上するために、毎日目標を持って明るく楽しく訓練を受けていた。
そこであることが判った。
昔、私が考えていた、
「今の私ができる範囲内で一生懸命やっていればいいんだ。」
と言う事は、所詮それ以上改善されるものでは無く、交代すれども決して前進するものではなかったのである。
しかし、その施設で訓練を受けるうちに、今までにないやればやるだけ自分の身に付いていくスキルを実感していったのである。
視覚障害の私たちにとっては、墨字の文章を自分の目で読んだり、文字を書いたりすることは、非常に困難である。
それはどうひっくり返ってもできないのだから、目で見なくても、その情報を耳で聞くことによって認識・確認できる方法はないかと模索し、その方法が見つかったならば、そのスキルを限りなくマックスまで高めていく。
そうすることで、
視覚障害である私が、
持っているものを
出し切って、
授かっているものを
活かしていけば良いのである。
自己啓発でそのスキルを磨けば見縛ほど、視覚障害であるかないかは関係なく、今の会社の中での生き残っていける、私の存在価値が見出され、周りの社員にも認めてもらえるのでは?と、まさに「目から鱗」であった。
よっしゃ、まだまだいけるでぇ!
※あれから1年・・・・・。
最近、この1年前の重いが薄れてきているなと感じることがある。
ある程度、視覚障害者であるわしが、会社の中での存在価値を認めてもらい、自分なりに仕事も確立できてきた気がする。
けんど、このような状態を今後、何年か続けていくには、今一つ足りないものがあるような気がするのである。
それが何なのか、わからないんですよねぇ?
ただ、あの4年前の職場復帰した当時のわくわくするような感覚がこみ上げてこないんですよねぇ。
これって、贅沢なのかなぁ?
どうにかせんといけんですね。
気にしすぎて、
持っているものが
出し切れていないのではないか。
授かっているものが
生かし切れていないのではないか。
これは、ある方のブログで紹介されていた、昨年の4月に亡くなられた、国語教育者の大村はまさんの最後の詩の一文である。
4年前に今の職場に復職して、一つの壁にぶつかって思い悩んでいた時に偶然見つけた言葉であった。
約10年前から徐々に視力が低下し視野が狭まってきた頃、
「今目が見えにくくなっている、私ができる範囲内で精一杯やっていればいいんだ。」
と思っていた。
しかし、その仕事内容は、周りの従業員からも、上司からも、1年前に入社した社員の半分以下の成果しか認められていなかったのである。
「これで私の今の会社での生活は終わったな。」
と正直言って思った。
欲年、会社を休み、大阪の視覚障害者専門のリハビリテーションセンターで生活訓練を受けながらパソコンを使った情報処理の職業訓練を約9ヶ月間に渡って受けた。
そこでは、同じ視覚に障害を持った方々が、自立するために会社に職場復帰するために、また少しでも生活の質を向上するために、毎日目標を持って明るく楽しく訓練を受けていた。
そこであることが判った。
昔、私が考えていた、
「今の私ができる範囲内で一生懸命やっていればいいんだ。」
と言う事は、所詮それ以上改善されるものでは無く、交代すれども決して前進するものではなかったのである。
しかし、その施設で訓練を受けるうちに、今までにないやればやるだけ自分の身に付いていくスキルを実感していったのである。
視覚障害の私たちにとっては、墨字の文章を自分の目で読んだり、文字を書いたりすることは、非常に困難である。
それはどうひっくり返ってもできないのだから、目で見なくても、その情報を耳で聞くことによって認識・確認できる方法はないかと模索し、その方法が見つかったならば、そのスキルを限りなくマックスまで高めていく。
そうすることで、
視覚障害である私が、
持っているものを
出し切って、
授かっているものを
活かしていけば良いのである。
自己啓発でそのスキルを磨けば見縛ほど、視覚障害であるかないかは関係なく、今の会社の中での生き残っていける、私の存在価値が見出され、周りの社員にも認めてもらえるのでは?と、まさに「目から鱗」であった。
よっしゃ、まだまだいけるでぇ!
※あれから1年・・・・・。
最近、この1年前の重いが薄れてきているなと感じることがある。
ある程度、視覚障害者であるわしが、会社の中での存在価値を認めてもらい、自分なりに仕事も確立できてきた気がする。
けんど、このような状態を今後、何年か続けていくには、今一つ足りないものがあるような気がするのである。
それが何なのか、わからないんですよねぇ?
ただ、あの4年前の職場復帰した当時のわくわくするような感覚がこみ上げてこないんですよねぇ。
これって、贅沢なのかなぁ?
どうにかせんといけんですね。