再放送:子供から見た視覚障害者とは?
わしが通勤の途中で時々遭遇する子供がいる。
散髪屋の隣の長屋に住んでいる、3歳くらいのおぼっちゃん。
わしは良く見えないので気が付かなかったが、その長屋の2階から、毎日白杖カンカン通勤しているわしを見ていたようだ。
ある夕暮れ、いつものとおりに、帰宅の途中でその長屋の前を通り過ぎる時、そのおぼっちゃんがタッタッタッと近寄って来て、
「おじちゃん、その白い棒はなんなん?」
と聞いてきた。
「あのね、おじちゃんは目がよく見えんので、この杖を目の変わりに使っとるんよ。」
と答えたのである。
それから数日して、またその子が近寄ってきた。
「おじちゃん、がんばってね。がんばってね。」
それだけ言って、立ち去って行った。
その子の親が私の事を、
「あのおじちゃんはね、目が悪印んよ。可哀想じゃね。」
とでも教えたのだろうか?
子供はそんなことを言われたかどうかはわからんが、素直な気持ちで励ましに来てくれたのかもしれない。
その優しさに、力づけられたのであった。
↓
※ あれから1年・・・・。
最近、あの子の姿を見ることがないなぁ?
どうしたのでしょう?
毎日、その子の家の前を通ってはいるのだが・・・。
けんど、最近は大人より、中学生や高校生のこどもたちのほうが、障害者に対してさりげない態度をとってくれるのかも知れない。
交差点ですれ違っても、わしの進路を邪魔して立っていた時などは、
「すいませんでしたぁ。どうぞぉ。」
と声を出して道を譲ってくれるのだが、
通りすがりのおばちゃん、おじちゃんなどは、息を殺してちょっと横にずれるだけである。
「どうせ、この人は目が見えないのだがら、気づかれないようにしよっと。」
とでも考えているのかも知れない。
ちょっと、考えすぎ貸しらん。
散髪屋の隣の長屋に住んでいる、3歳くらいのおぼっちゃん。
わしは良く見えないので気が付かなかったが、その長屋の2階から、毎日白杖カンカン通勤しているわしを見ていたようだ。
ある夕暮れ、いつものとおりに、帰宅の途中でその長屋の前を通り過ぎる時、そのおぼっちゃんがタッタッタッと近寄って来て、
「おじちゃん、その白い棒はなんなん?」
と聞いてきた。
「あのね、おじちゃんは目がよく見えんので、この杖を目の変わりに使っとるんよ。」
と答えたのである。
それから数日して、またその子が近寄ってきた。
「おじちゃん、がんばってね。がんばってね。」
それだけ言って、立ち去って行った。
その子の親が私の事を、
「あのおじちゃんはね、目が悪印んよ。可哀想じゃね。」
とでも教えたのだろうか?
子供はそんなことを言われたかどうかはわからんが、素直な気持ちで励ましに来てくれたのかもしれない。
その優しさに、力づけられたのであった。
↓
※ あれから1年・・・・。
最近、あの子の姿を見ることがないなぁ?
どうしたのでしょう?
毎日、その子の家の前を通ってはいるのだが・・・。
けんど、最近は大人より、中学生や高校生のこどもたちのほうが、障害者に対してさりげない態度をとってくれるのかも知れない。
交差点ですれ違っても、わしの進路を邪魔して立っていた時などは、
「すいませんでしたぁ。どうぞぉ。」
と声を出して道を譲ってくれるのだが、
通りすがりのおばちゃん、おじちゃんなどは、息を殺してちょっと横にずれるだけである。
「どうせ、この人は目が見えないのだがら、気づかれないようにしよっと。」
とでも考えているのかも知れない。
ちょっと、考えすぎ貸しらん。