小学3年生でヤマハのジュニア専門コースを修了した私は、4年生から父のいるタイへ引っ越しました🇹🇭
6歳で買ってもらったグランドピアノは、船便で海を渡りました🚢
首都のバンコクは大都会❗️高層ビルが立ち並び、特に通勤の時間帯は、何時間も渋滞してしまうほど車で溢れかえっていました🚗🚌🚙🚕🛻
住んでいたマンションの近くにあるアソーク通り🏙️
自宅マンションは、グランドピアノが小さく見えてしまうほどとても広く、メイドさんと運転手さん付きの暮らしが始まりました❣️
タイは日本からの駐在員が多いため、転校先のバンコクの日本人学校には2000人以上の子ども達が通っていました🈵
日本人学校では東京出身の子どもが多い中、大阪出身の私は少数派。母から「大阪弁で喋ったらいじめられるよ」と言われ、当時慣れない標準語を話していました🗣️
ピアノのことは、転入してすぐ学年中に知れ渡り、早速学校行事での伴奏を任されました🎹
ですが、ピアノが弾けることや、はっきりとした物言いは、同調圧力の強い校風の中ではどちらかというと悪目立ちしました👿
転校して初めてもらった成績表を見た時、あれ?と思いました。交野の小学校では常に一番良い成績をもらえていた音楽の成績が、何故か3だったのです🤔
音楽のテストで失敗したわけでも、授業態度が悪かったわけでもありません。寧ろ、授業中いつも騒がしかった男の子達の方が5をもらっていたのです💦
その子達に「お前ピアノ弾けるのにダッサ!」と言われ、私はどうしても納得がいきませんでした😠
その時はよくわかりませんでしたが、翌年になって、音楽専科の先生の故意によるものだったことがわかりました💦
クラスでも、次第に「髙田さんばっかりずるい」「自慢ばっかり」という声があがるようになり、クラスメートからは妬まれるようになりました😔
私だって何もせずに弾けるようになったわけではないのに。当時はそのような気持ちで一杯でした。「悔しいなら努力すればいいじゃん❗️」と言い放ってしまうところも、皆の反感を買ったのだと思います😥
ちょうど思春期が始まる頃で、時期的なものもあったと思いますが、人気者だった頃とのあまりの違いに、私は愕然としました😓
この後、人生を変える出会いがあります❣️
エピソード一覧はこちら♪