はじめに
今回の投稿は、僕のお笑いブログで書いた内容について、少し補足して書いていきます。
なぜお笑いブログの内容?と思われるかもしれませんが、この記事は英語落語家の大島希巳江さんの書かれた文章に関してなので、この英語教育ブログの内容にマッチしております。ご安心ください笑
また、今回のタイトルは「英語教育とtranslingual」としましたが、translanguagingについて考えるのは次回に回します。今回はユーモアに関して、少し書きたいと思います。
大島さんの記事を読んで(ねこさん先生のお笑いブログより)
このテーマを書かれていたのは大島希巳江さんという方で、僕はこの方を今教えている中1の英語の教科書で知りました。彼女は英語落語をされている方で、いくつか見たことがあるのですがとても面白かったです。
その方が書かれていたのが、「異文化コミュニケーションと笑い」というテーマです。「異文化」というと何か海外の人と日本人の違いのようなイメージを持ちますが、大島さんも言われているように近くの人も我々にとっては本来は異文化です。
そのような異文化を持つ人々とのコミュニケーションと笑いの関係ですが、やはり「日本人」という「全体」の傾向はあるようです。
たとえば、日本人はいろいろな背景を共有しているので、「言わなくてもわかる」という環境が日本には多いです(高コンテクスト社会といいます)。ゆえに、笑いにおいても「共感」が大切なのです。たとえば、先ほど書いたエスニックジョークはあまり日本人にピンとこないことが多く、それゆえにウケないということもあると思います。
また、ネタが「内向き(内輪ネタ)」になりがちだということも書いてありました。これも「共感」できるネタがウケるから、というところに関係があると思います。
これらのことをM1に絡めて考えても、非常に納得がいくと思います。M1は国民的イベントになっているので、老若男女が笑えないとダメです。よって、エスニックジョークのようなものは受け入れられていません(生放送ということもあると思います)。また、「内輪ネタ」については、日本国民を「内」から外していけないということが言えると思います。自分が関係ない(=共感しづらい)ネタは、日本のお客さんは笑ってくれないでしょう。そうなるとM1での勝利は難しいですよね。だから共感できるネタがM1ではウケるのです。
最後になりますが、大島さんはユーモアが自己表現につながり、異文化コミュニケーションに役立つと述べていることを紹介します。このへんは僕の英語教育ブログでがっつり語りたい内容ですが笑、大事なことなので書いておきました。
ユーモアを持って自分を表現すれば、海外の人にも受け入れてもらえると思います。臆せずどんどんやっていきましょう!
冒頭にも書いてありますが、僕が大島さんを知ったのは自分の教えている中学1年生の英語の教科書でした。いくつか彼女の英語落語の映像を見たのですが、とても面白かったです!
このブログとの関連で言うと、ユーモアが異文化コミュニケーション(たとえば英語圏の人々との会話)に役立つという事です。
ステレオタイプかもしれませんが、たしかに海外(欧米)ドラマを見ていると、皮肉であったりジョークであったり、ユーモアを用いた会話が日本語の会話より多い気がします。
僕自身も英語で話している時の方がジョークを言う傾向があると思います。まさにidentity shiftですよね!
相手の言いたいことを理解するためにも、英語のユーモアに対応できるようになる必要があると思いますが、自分でも使えたらより会話は弾むように思いますよね。
おそらくそういう理由からだと思うのですが、僕がアメリカ留学のときにいた英語のプログラムでは、ジョークを披露する「パフォーマンス課題」のようなものがありました。
まだ英語も話せないし、ましてやジョークをいうなんて日本語でもしたくないタイプなのに、やらされてとても気分としては最悪だったのですが笑、今思えばあの課題の意図もわかります。
ちなみに僕は、「ネタ」なんて持ち合わせていなかったので笑、必死にTwitter (現:X)で「アメリカンジョーク」と検索して笑、以下のようなネタを披露しました。
ネタ:結婚において、男性が求められる4つのring
- engagement ring 婚約指輪
- wedding ring 結婚指輪
- suffering 苦しみ
- enduring 忍耐
これがアメリカンジョークだったのかよくわかりませんが笑、そこそこクラスメイトにはウケていました(先生からは、もっとはっきり"ring"と言うようにとダメ出しされました笑)。
クラスメイトにはブラジル、アンゴラ、サウジアラビア、中国、韓国の人がいたので、やはりユーモアは異文化コミュニケーションに役立つといえそうですね!
おわりに
ユーモアは英会話において重要な知識・スキルだと思います。
だからこそ、僕の留学の時の英語の授業では上記のような課題があったのでしょう。SLA(第二言語習得論)の研究に強い大学だったので、おそらく「先進的」な取り組みをしていたのだと思います。でもそれも、もう10年近く前の話です。果たして日本の英語の授業は、この10年でどのような進化をしてきたのでしょうか。
そもそも論ですが、英語の授業でジョークを発表させるなどというのは、「ことば」というものをどう捉えているかが反映された結果だと思います。
というのは、たとえば日本の多くの人のように、ペーパーテストでいい点数を取るために英語を「勉強」するのだとしたら、ジョークの練習など必要ないでしょう。一方、もしことばを「異文化コミュニケーション」のためのものだとするならば、英語圏の文化をより深く理解するためにも、ジョークの発表をさせるのも理解できるはずです。
「言語観」そのもののアップデートが、日本の英語学習・教育には求められているのかもしれませんね。
次回は今回のテーマの「ユーモア」とtranslanguagingを掛け合わせて、色々と考えていこうと思います。
参考文献
大島希巳江 (2010) 「異文化コミュニケーションにおけるユーモアの役割」, 木村洋二編 『笑いを科学する:ユーモア・サイエンスへの招待』新曜社, pp. 98-109.