はじめに

信じられないことに、前回の更新から1ヶ月ほど経ってしまっていました。。。

 

何をしてたのか思い出せませんが笑、それなりにインプットはしてきたと思うので、これから書いていければと思います。

 

今日の投稿は、最近途中まで読んだ本の「感想」です。

Pennycook, A. (2024). Language Assemblages. Cambridge University. 

 

では早速、みていきましょう!

 

  第1章の感想

実はまだ、第1章と参考文献リストくらいしか読んでいないのです。。。

というのも、150ページくらいですしまあまあ簡単に読めるかと思ったのですが、language assemblagesという新しい概念、哲学的な説明、そして著者のアツすぎる思いによって、全然読み進められなかったのです汗

 

ですので、読んだところまでをこわけにしながら、このブログを書いていければと思います。

とりあえず今回の投稿では、第1章の内容についてです。

 

ものすごく雑にまとめると、以下のような感じになるでしょうか。

 

    

ことばというものが存在することを唯一の現実としてその構造などについて議論するのはもういいだろう。ことばは社会的な行為・実践であり、assemblages(集合体?)なのだ。

 

著者の考えが分かる部分を1箇所抜粋してみましょう。

 

"languages are not pregiven entities but rather are assembled, gathered from a range of different elements and experiences, the products of social and ideological processes" (pp. 14-15)

 

この一文を見ると、「何の」集合体かが分かりますね。

様々な要素や経験、社会的そしてイデオロギー的な過程の産物の集合体がことばなのだということです。

だから、「最初から〇〇語というのがあって、そのルールはあーでこーで、その言語に特有の教え方は〜で…」のような議論はもういいだろうという、これまでの言語学や応用言語学への挑戦のような本なのだと思います。

 

これまでの言語学習・教育観へのアンチテーゼという意味では、このブログでも書き続けているtranslanguagingも似たようなところがありますが、language assemblagesが言語を前提としないのだとすると、この概念はさらに先に行っているという感じがします。

 

日本ではまだまだtranslanguagingの考え方が広まり始めたばかりというところで、その真意が伝わってはいないような状態ですので、この本を読んで思ったのは、「周回遅れにされる!」ということでした。

そのくらいの勢いで、新たな概念を打ち出してきたなあという印象です。

 

とはいえ、この本の参考文献リストをみても第1章の内容を読んでも、translanguagingとは親和性があるようなので、その共通点や相違点に注意を払いながらこの本を読み進めていければと思います。

 

 

  おわりに

どこの誰だか忘れましたが、この本について「著者の気持ちが全面的に出過ぎている」的な批判をしている人がいましたが、僕も似たような印象を持ちました。

 

おそらく、language assemblagesという概念をいち早く世に出したかったのではないかと推測します。確かにこれは、インパクトがすごいです。

 

そういう意味では、position paper的な要素が強いこの本ですが、translanguagingの研究家である僕からすると、刺激的でthought-provokingなのは間違いありません!

頑張ってなんとか読み進め、この新しい概念を理解していきたいと思います。

そして頑張って更新もしていきたいと思います!