はじめに

 

梅雨入りをして、ジメジメ&暑い季節になりました。

こんな季節は体調を崩しやすいですが、なんとか生きています笑

 

今回は簡単に、最近の論文を紹介します。

 

(Khor & Canagarajah, 2024) 

(Im) migrant women's translingual literacy practices as problem-solving and learning resources: perspectives from a community-based English literacy program.

 

translanguagingに関する最新の研究の一つですね。

ではさっそく、見ていきましょう。

 

  アメリカの移民女性の研究

この研究はtranslanguagingの最新の研究の一つなのですが、アメリカの移民女性6名に焦点を当てているのが特徴的です。

 

確かに僕がこれまで読んできたtranslanguagingの研究は、大学生やK-12と呼ばれる日本で言うところの幼稚園から高校生までを対象にしたものが多かったです。

 

移民の女性は、いろいろな事情があってアメリカに来ていますが、家族の仕事の都合で自分の国でのキャリアを捨てて移住することもしばしばあるようです。

確かに僕の知人にも、アメリカではないですが同じように教職のキャリアから離れて海外で「専業主婦」になった人がいますし、つい先日アメリカに移住した生徒(と家族)も知っています。

 

この研究では、移民女性6名がいかにしてtranslanguagingをしながら問題解決や言語能力の発達をしているかについて分析されています。

ここでは細かいところは言及しませんが、気になった点を3つ紹介します。

 

 

母語identityが拠り所

研究対象となっていた家族のいる移民女性は、自国では自分の仕事がありました。それはもちろん、母語での高いスキルによって成し遂げられたものです。

そういった背景を踏まえて、母語をもとにしたidentityを駆使しながら(=translanguagingしながら)英語力を高め、アメリカでの生活を良くしようと奮闘している姿が見られました。

 

第二言語や外国語としての英語学習・教育で見落とされ(あるいは軽視され)がちなことの一つに、「母語というベースがあること」があると思っています。

それにより、母語の能力、そしてそれに紐づくidentityを無視(軽視)した英語学習・教育が展開されていることを、これまでのブログでも散々指摘してきました。

 

translanguagingが最近注目されてきていることは嬉しいのですが、これによってもっと母語の能力やidentityに光を当てる風潮になっていって欲しいと思います。

 

移民女性のidentity shift と孤立

自国でのキャリアを離れてアメリカに移住することで「専業主婦」となった人がいました。

これは想像にたやすいと思いますが、大きなidentity shiftですよね。

母語の通じない他国に行くだけでなく、自国でのキャリアをもとにしたidentityが使えなくなるのですから、「自分は一体何者なのか」となってしまいそうです。

 

さらにいうと、「専業主婦」の問題として挙げられていたのが、社会とのつながりの薄さです。

この孤立は、研究対象者にも大きな影響を与えているようでした。

 

この問題の解消につながるのが、literacy centerと呼ばれるところです。「語学学校」のような「英会話教室」のようなところでしょうか、ここで得られる人とのつながりや、英語学習に励む中で受けたポジティブな効果は研究対象者たちをempowerしたようでした。

 

・・・

この「専業主婦」問題ですが、日本でも見聞きしたことがあるわりと身近な問題ではないでしょうか?

いまでは共働きも普通になってきましたが、やはり出産を機に「専業主婦」や「パートタイマー」になる人もまだまだ多いですよね。

それにより、社会からの孤立感を感じている人も一定数いるように思います。

 

ここで思うのが、日本でも「英会話教室」や「語学学校」が、このような問題の解消につながればいいなということです。

「専業主婦」に限らず、世の中でなんらかの「生きづらさ」を抱える人々が「居場所(=space)」と感じられる「語学空間」の形成は、日本社会においても重要な課題になっているように思いました。

 

 

指導者と周囲の人間の姿勢

日本でも「英会話教室」のような場所が人々の「居場所」になれるのではないかと期待する一方で、現状では様々な問題を抱えています(これまでのブログにも書いてきましたね)。

 

その一つが、「English-only」のポリシーです。

確かに英語を学ぶ上ではインプット・アウトプットが大切になるのは当然のことで、レッスンにおいては「英語縛り」をするメリットはありますが、人間存在の多様性を認める現代においては、少し過剰なやり方であると言わざるを得ません。

さらにいうと、上述したように第二言語や外国語の学習では、学習者には母語やそのidentityという「資源」(resources) があるわけですから、それを駆使して英語学習に励んだ方がより効率的でさえあると思います。

 

今回紹介している研究では、literacy centerの指導者やクラスメイトが母語の使用に寛容である場面が描かれていました。

「英語力」向上という大義も大切ですが、その大義の元で母語やそれに基づくidentityが犠牲にされる必要はありません。

ましてや「居場所」として機能しているliteracy centerですから、学習者には温かくあるべきです。

 

そう考えると、日本の一般的な学校の英語の授業は学習者にとってあたたかい「居場所」となっているでしょうか?

「教えたら学ぶ」という学習観のもと、指導者は「教えたのになんでわからないんだこの子は!」とイライラしていないでしょうか?

その怒りを、「できるようになるまで付き合う」という「優しさ」という名前に変換したことにして、画一的なやり方で追試をさせたりしていないでしょうか?

学習者の多様なidentitiesに対応すべく、指導者は学び続けているのでしょうか?

学習者やその保護者は、「英語教育はこうあるべき」という「信念」のもと、「あたらしい」英語学習・教育を「意味がない」ものとして拒絶していないでしょうか?

 

 

  まとめ

最後は思いが溢れてしまいましたが笑、今回紹介した論文を読んで、日本の英語学習・教育についても改めて考えることできました。

もちろん、僕自身だってまだまだ改善しなければいけないことが多いですので、日々精進していきたいと思っております。

 

このように、「最新」の論文に時には目を通し、時代遅れの教育者にならないよう気を付けていきたいと思います。

このブログの読者の皆様もこのように思ってくれると嬉しいですし、是非周りの人にも紹介していただけると嬉しいです。