Re;balance(リバランス)整体を中心に、お体の不調や痛みでお困りの方へ、“あなた”最適な解決策を提案すること。安心・安全・効果の高い医療サービスの提供を目指す、とりつかせいプラクティス.整骨院の日々の気づきのブログです。
必要性は自然と湧き出しているただ、それを必要性として認識しているかただの障壁として見過ごすのか見過ごしているのなら、まだ平穏なのかもしれません。余計な障壁として、排除する方向に舵を取っているとすると、それは、必要性が自然に向かって来るのと、相反する方向にあるので、過ぎ去れば、まだ平穏でも、まともに対峙した時は少し大変です。自分に繋がったゴムがボールに着いていて、蹴ろうが、投げようが、また自分の元に戻ってくる強く蹴ったり、投げたりすると、余計に勢いを増して戻ってくる必要性として認識して、少し冷静に穏やかに対峙してみる。すると、お互いの意見の食い違いや勘違いがある事に気がつく。分かって欲しい、理解して欲しいから、何度も何度も、目の前に現れる。こちらも、表面的には遠ざけようとはしているけれど、どこかで気にしているから、引き寄せる。お互いにわかり合いたいと思うからこそ、離れても近づく。そうやって、腰痛とお付き合いしてきました。たまに、姿を現すから、切っても切れないんだなって思いますが、今となっては、姿が見えても、挨拶して、軽くお茶でもできるような関係になっているので、懐かしのお友達みたいな感覚です。人間関係も、物事や環境、状況との関係も、身体に現れる、症状なども、どこか似たような関係がありますよね。
この方は、チャックウイルソン さん《チャック》と言えばっ‼️口の中、のど から 食道や胃腸、肛門 までの消化管と呼ばれるところは、身体の内側ですが、外側です。ドーナツの穴はドーナツの中身ではないように、内側の空間ですが、外側です。空間は閉じることもあるし、開けることもある開閉が自分の意図と合うか合わないか部屋に入って、閉ざされると落ち着き、少し落ち着いたら、また外に出ようと思うでも、落ち着ける空間がそこにはなく、意図に反して、開放されているとすると、落ち着かず、休まらない休みたい時に休み動きたい時に動く閉ざしたい時に、しっかりと閉じ開けたい時には、しっかりと開ける口唇(くちびる)、歯、舌 といった、3重の構造で、その空間を開けたり、閉ざしたりしています。お口にチャック は なかなか 意味深ですね。最近では、お口にマスクですが、何かに覆われているのと、晒されているのでは、意識の向かい方が変わります。身体に服を着るのは、まぁ、当たり前になっていますが、このまま、お口や顔にも、服を着る事が当たり前になるのか、どうなのか。どちらでも構いませんが、一つづきの皮膚の役割は多岐に及びます。『あ』『い』『う』『え』『お』『ん』 『にっ』しっかり開けて、しっかり動かす、しっかり閉めて、にっと笑顔🤗これは、お忘れなく
『わぁ〜キレイ』『可愛い〜』受付にお花があると、皆さんすぐに目が行くようです。素晴らしい感性ですよねそもそも、始まりは・・・『受付周りに、華が無い』と言うこともあり、来院されている方が、観るに見かねて、お花や植物を持ってきてくださいました。室内という人工物のなかでも、ほんのわずかでも、自然を感じられる。日々の成長や変化を確認出来るのは、少し心が安らぐのかもしれません。自然と植物に目が行く、キレイな花は、近くで見てみたくなる。この『自然』とってところがポイントですよね。言葉を変えれば、『勝手に』『自分の意志とは無関係に』でしょうか。理想的な姿勢は、自然とそうなる。勝手にそうなる。逆に言えば、そうしない方が難しい。疲れると、大半の状況で、身体は下へ沈み、後ろへ下がります。つまり、自然と上に行く勝手に前に行くでは、自然 上に 向かった先にはなにがあるのか?勝手に前に向かう その先には何があるのか?【○○ と○○】 ですよね。随分ともったいぶりましたが、答えがあるのやら、無いのやら・・・(笑)冒頭の写真の植物は『数珠珊瑚(じゅず さんご)』という名前らしいです赤いのは、花? それとも、実?これは、実ですよね?いやいや、こういう花なんじゃない??え?花ですか?だって、ほら、このツボミが膨らんでこうなるから、これは花よ!!ヘェ〜、珍しい花もあるんですねー答えは、実 でした。(笑)不思議なモノ、興味や関心のあるモノを、真剣に見ている時って、自然と目が大きく開きます、そして、身体の存在を忘れてませんか??次回まで引き伸ばそうとしましたが、ついつい、答えを導いてしまいました。そう。【 実 と 花 】 です。すみません。【 興味 と 関心 】 です。姿勢 と 興味 関心 は とても、親密な関係性ですおしまい。
フラクタル構造⇨「自己相似性」「図形の全体をいくつかの部分に分解していった時に全体と同じ形が再現されていく構造」(フラクタルについて、だいぶ前にも書いたような、、、この画像に見覚えが、、、ま、いっか)価値観や正義、大義の食い違いや、対立集団と集団 に 起こる問題 は個 と 個 にも 起きています大きな もの の中には、小さな同じモノがあり、その小さなものの中に内包されているものは、より大きな観点がある個 の 中にある 価値観 は、各臓器にあり、各細胞にあります。様々な価値観のせめぎ合いが、日々の健康であり、不調や好調のバランスは、各々の価値観の主張それぞれの価値観には間違いはないのだろうけれど、主張の仕方によっては、全体の調和が乱れてしまう結果を招くこともあります。単に、誰かの何かを表面的には否定は出来ない難しさがありますよね。何やら、右の眉毛の終わり際に、“ニキビ”らしきデキモノ。と思ったのも、束の間。少し、深めの角度で腰を捻ったせいか、腰に痛みがこうなると、何がいけなかったのかな?どこの筋肉が硬いのか?どの関節が?と、内臓が疲れてたかな?ここ最近の食事は?と、原因探しをしてしまいがちですが、何も悪くないんです。右の眉毛付近にニキビらしき存在が出現したところから、なんとなく予想はついていたんです。『走りたくない』勝手に自分の中のノルマに、勝手に疲れて、勝手に追い詰めてる。結果がコレです。自分の意識の中の勝手な主張の対立は、きちんと身体の中にも反映してくれています。なんて、愛おしい(笑)
『折れて良かったよ』小学6年の夏。ドッジボールでボールを投げた途端に、肩に激痛。『変に捻り過ぎたかな?』回しておけば、良くなるっしょって、グルグル🌀回してました。少し時間が経つと、どんどん痛い。腕が上がらなくなってきて。家に帰る頃には、手が浮腫んでパンパン。姉に、『あんた、それ骨折だよ』と、告げられても、最初は信じ難く。『はっ⁉️骨折⁉️』『ドッヂボールで投げただけだよ❓❓』(漫画の主人公じゃあるまいし🤣どんだけの破壊力だよ🤣)ま、朝にはよくなるっしょと、ぐっすりと睡眠をとり翌朝パンパンに腫れた腕、肩がほぼ動かせず。。。病院へ行き、レントゲンを撮る事に。そして、結果発表何故か、笑顔の先生(後に高校生の時にも、骨折でお世話になるのだが、この先生は基本ニコニコ顔らしい・・・ま、暗い顔されるよりは良いのかもしれないが。。。)『骨折ね』またさらりと、告げられる。『マジ』『ボール投げただけで折れる』『でもね。これ、折れて良かったよ』(いやいや。。。骨折して良いわけないでしょ。。。多少なりともショックだよ(笑))『これ、見て。ほら。ここ折れてる線ね。綺麗に折れてる』(骨折に綺麗とか汚いとかは知らないから・・・)『あとね。ここ、骨に穴が開いてて、その中に水が溜まっているのね』『良性の骨嚢腫って言うんだけど、でも、これ今回折れたことで、中の水が出て、そこに新しく骨が出来て、この穴埋まると思うよ。』『あぁ。。。そうなんですか』(さらりと難しい事言ってくれるじゃない)(しかも、なんて??骨嚢腫?ヤバいやつじゃなくて??)実際に、骨折が治っていく過程で、その骨の空洞は埋まり、良くなりました確かに、結果として、“折れて良かった” んです。経験者 や 知識として既に知っている人 は、実際に今、体験している人に対して、《大丈夫安心して》という、意味を含めて、【良い経験になる】【この事が起きて良かった】と言います。でも、実際に体験している側からすれば、今この瞬間は【良いワケがない】のです。これが、過去の経験者と現在の体験者との違いですよね。今の立場だと、どちらも解ります。解るからこそ、言ってあげたいけど、言ったとて、当事者、体験者からしたら、どう受け取るかは分からない。むしろ、マイナスに働くのではないかと考えてしまいます。不調が起きてしまった。今、現在、とても不調。気をつけていたのに、痛めてしまった。様々な状況はあります。でも、表に出てくる痛みや不調は、その身体の自浄作用のような面も少なからずあって、それくらい、身体からするとSOSな状況なのです。だから、結果として振り返ったら《良かった》と思えることの方が多いです。当時の僕のように、《骨が折れた事》が《骨嚢腫》と呼ばれるモノを解決した。くらい、明らかであれば、納得がいくかもしれません。ただ、《振り返る未来》を想像できないほど、今が辛いって事もあります。僕も初めて骨折した時や高校生の大会前に骨折した時などは、どう考えても、【悪夢】としか思えなかったです。人に対して、面と向かって、挨拶しようとしても、頭ではわかっていても、言葉が出ない、吃ってしまう。身体は元気なつもりだけど、思った通りの言葉が出ないって、『これ、どうすりゃ良いワケ』な状況もありました。僕の経験など、たかが知れてますが、体験者としての経験もあるからこそ、解ってはいるけど、《良かったね》とは言えない。そう思えば、あの当時の病院の先生ってスゲーです結果、①小学生 腕の骨折②中学校 腰痛(椎間板ヘルニア)③高校生 足首の骨折と、同じ先生にお世話になりましたが、いつも、良い笑顔で、『うん!折れてるま、2ヶ月位で良くなるよ!リハビリ頑張って!』『うん!ヘルニアね!背骨の中に注射打てば楽になるよこれ、注意事項だからよく読んでおいて!』余計な心配をさせない、良い未来を想像させるといった意味では、この先生の笑顔は僕にとって、とても意味があったんだと思います。それだけ、インパクトがあったので、20年経ってもしっかりと記憶に刻まれてます。今、この現状が、【better 】であり【best】である。無数の可能性が広がり、その中の選択肢の一つを選んだに過ぎないのですが、その瞬間の体験は一つしか出来ません。違う選択肢を選んでいたら、、、と、他の選択肢を思い描けば、それは、選択肢の数だけ無限に広がります。この選択が【better】だ 【best】だいや、だから、そう簡単には思えないのよ💨まさに、今、“それ”を、体験している者とまさに、今、“それ”を、観察している者この両者の差は、なかなか埋まるものではないのかもしれませんし、埋まる事がいいのかもしれませんし、埋まらない方がいいのかもしれません。『“それ”で、良い』『体験』は、霧のかかった景色のようなもので、一見すると、何も見えない、すぐ近くのものしか見えない。『観察』は、霧の晴れた景色遠くまで見渡せます。『・・・』『どっちでも良いっ』最後まで辿り着いた皆様いつも有難う御座いますおしまい
ここに、浮き輪が一つ。空気が全く入っていないわけでもなけれど、たくさん入っているわけでもない。空気が抜けている浮き輪には、シワが寄ります空気が入る容量よりも実際に入っている容量が少ない為に、“持て余している” 状態。だから、綺麗なドーナツ型になっていない。この状態の浮き輪を持って、海に飛び込むのであれば、それは、ただのお荷物になってしまう。でも、本来、浮き輪は、空気がしっかり入っていれば、海の中で浮かぶ事が出来て、波に揺られて、気持ちの良い海水浴が出来ます。『海水浴 気持ちよく出来ています』『はて』ヒトの体も、浮き輪です。真ん中の穴が、少し小さいけれど、確かにドーナツ状というか浮き輪状です。一般的な、姿勢の傾き や 骨の歪み は、空気入れがまだ未完成な浮き輪です。空気入れがまだ未完成な浮き輪のシワを伸ばしても、結局は、どこかにシワが寄ります。器 に 対して 中身が 少ない からです。そして、その器は、良くも悪くも、柔らかく、それ自体では、自立出来ない。中身が少ない状況で、頑張って、空気が入っているように振る舞えば、器がもちません。ましてや、海の中に入れば、その “頑張り” は虚しくも、表在化し、沈みます。解決策はただ一つ。【空気を入れる】だから、呼吸 なのです。骨の歪み、姿勢の傾きや捻れ、筋肉の硬さこれらは、空気入れが未完成な 浮き輪≒体 で、重力のかかる空間≒海 に、浮かぼうとして、沈んでしまいそうになっているのを必死に耐えた結果です。空気入れるまでは、シワが寄ってヨレヨレの浮き輪も空気をパンパンに入れたら、綺麗にハリが出ます空気入れて、準備が整ったら、あとは浮き輪に任せて、気持ち良い海水浴が出来ます『海水浴 気持ちよく出来ています』『地球浴 気持ちよく出来ています』
そもそも歪なんだ整う ことが 不自然 で 保つ事に無理がある歪さを、受け入れる事歪さを真正面から受け入れてその歪さを最大限に活かすバランス感覚を身につける事元気だったり、疲れたり、感情が昂ったり落ち込んだり、様々な状態を表す事が自然で、固定的に何も変わらない方が不自然ってこともあります。と言いつつ。雨の隙間を見つけて、車を洗う。綺麗に保ちたいから。少しでも、綺麗に保ちたいと、足掻く事も、また自然なのかもしれません。正解の無い問題を永遠と解き続ける終わりのない道を進み続けるここに面白さがあるんだと、思います。『今日はまた雨が降りますよ?(笑)』こんな雨続きの天気の中で、しかも、これから雨が降るここは確定している日で、しかも、現在進行形で雨が降っているのに、車を洗うって・・・『ついに、御乱心なされた・・・・』って、恐らく思われているかもしれませんでも、どうせ明日、汚れるから、また汗かくから、今日はお風呂入らなくて良いか。また食事はするんだし、歯は磨かなくていいか。とは、なりませんよね。そもそもの歪さ、進化、退化という変化がある事も自然。歪さを整えたい、変化に対応したい という 想いも自然の中で生きるモノとしては自然な姿なのかもしれまん。いっけん、歪 に 見えるものも、大きな観点、視点で捉えると、より大きな美しさがあったり、細部を見るとよくわからない模様、パターンであっても、全体像からすると、綺麗な全体の一部であったりもしますしね。
『絶対に大丈夫ですか?』『絶対に大丈夫だと思いますか?』『だから、それを聞いているんです。』『そう。だから、こちらもそれを聞いているんです。』その絶対性 は 自分の中でのみ存在します。自分以外の人や状況に対しては、相対性、可能性でしかないのかもしれません。これも、かもしれない。『絶対に大丈夫』と 私は言う『絶対なんか無い』と、あなたは言うこれは、どちらも正解です。この議論は、どちらかもしくは、お互いが譲歩しない限り終わりません向いている方向が異なる絶対に大丈夫 という 絶対と絶対なんてものは存在しない という 絶対これは覚悟 と 可能性 の 話 になります。無限の可能性の中 での 決定 は、本人以外は出来ません。絶対が存在する可能性も絶対が存在しない可能性もどちらも、可能性はあります。ただ、絶対に大丈夫 と いう 本人の覚悟 は本人が、絶対という可能性を選んだ結果です。選んだ時点で絶対は存在します。そして絶対に大丈夫になります。その 覚悟 は、結果はどうあれ、真実です。『絶対なんか存在しないから、軽々しく絶対なんか言わない方が良いよ』これも、可能性の話で言えば、間違ってはいないですよね。ただ、他人 は 他人 の 覚悟 を測ることも出来ません。確かに、絶対の乱用は、自他共にその信用を失う可能性はあります。でも、何かに挑む時には、その覚悟を持って臨むことって大切ですよね。『絶対に大丈夫 だと 思うのですが、応援してくれますか?』『of course ‼️』
〈目の機能の発達時期〉 と 〈首すわりの時期〉この2つには関連性がありそうな事を前回までに書きました。そして、目の機能といっても、赤ちゃんも見えていない訳ではなく、ぼんやりとは見えている、明るいか暗いかくらいの認識くらいです。少しずつ少しずつ自分が『何かを見る』という明確な意思と、それに伴った視覚的な機能、そしてぼんやりとしていた視界がクッキリとして来る。明/暗だけの識別から、形状や色などもわかる様になり、自分が見たいものとそうで無いものがある事、そしてその選択は自分で行えるという事を体験を通して睡眠と覚醒の線引きを発見していくのだと思います。 《視覚の発達》《覚醒と睡眠時の明確な線引き》《首の筋肉及び頭を支えるバランス能力の活性》この3つの条件が首すわりの必要条件だとすると、【大人なのに首が座らない】理由①ー視力の低下によって、見たいものが見えなくなった 視力の明確な低下がなくても、そもそも見たいものが無い、もしくは、見たくないモノが目の前にある理由②ー何らかの理由によって、しっかりと眠れない もしくは、しっかりと起きれない(覚醒しない) 理由③ー中脳(目の奥のほうにある)への血流の滞りによって、本来のバランス能力が低下しているこのような要因が重なると、首や背骨を地面に対してバランスを保たながら起こしている状態を継続する事が難しくなり、筋肉で無理やり支えようとします。⇨つまり、姿勢を維持するためのインナーマッスル(深層筋)の働きが弱くなり、アウターマッスル(表層筋)が過度に使われるという状態になります。アウターマッスルは、動かす為の筋肉なので長期間支えるということは、少し苦手なんですね。⇨結果、肩こりや腰の痛み、頭痛などを引き起こしやすくなるこの様に、首が座らない状態では、誰かに支えてもらうか、寝ている事が一番の対処ですが、そうも言ってられません。対処①ー目を閉じて、情報をなるべく入れない、目や脳を休める ー目を温める、頭を冷やす (温冷は好みが分かれるので、好きな方を)対処②ー脳を休める ⇨〈何もしない〉という事が、脳を休める事になる人がいれば、 ⇨〈何かをする〉という事が、脳の休息になる人がいます。 どちらにせよ、気分が少しでもスッキリする事をしてもらう事が、脳の休息になるのだと思います。何も不安もなく、新鮮な興味関心に囲まれて、気分上々で日々を過ごせれば、何も問題はないのかもしれませんが、悩む事、課題に向き合う事も、それ自体が、生きる意味なのかもしれません。何もない穏やかで平穏な日々を望み、それが良いと感じるのは、慌ただしい日々があるからこそでもあるかもしれません。急に、もっともらしいことを書いてしまいましたが。。。【首 と 目 と 意識】 終了です毎度のことですが、最後まで辿り着いてくれた方、本当に貴重なお時間ありがとうございます。頂いたお花ですバッチリ主張してます
【環椎後頭関節】頭と首の境目ですね。なんか良い例えないかと。。。ゴルフボール と ティー の関係性ですね。まさに『乗せている』に近いです。頭は綺麗な球形ではないので、もっと不安定ですが、その不安定さを補うのが、筋肉だったりします。前回もお見せしましたが、これらの筋肉ですね。ただ、筋肉があるから、頭が首の上に乗っているかと言うと、そうでもない様です。立ったまま、座ったまま、顔を起こしたまま寝れる人がそんなに多くはいない様に、睡眠状態になると、筋肉の緊張が抜けていき、だんだんと倒れるような状態になります。筋肉は変わらずそこにあるのに、睡眠状態では、背骨を地面に対して垂直に起こしている姿勢を継続できません。覚醒時(起きている時)と睡眠時(寝ている時)に、決定的に違うのは、意識の所在ですよね。そもそも意識に所在があるのかって話になりそうですが、“比較すれば、違う”ってことにしておきましょう。少し、話を戻しますが、ゴルフボールに対して、ティーの大きさは、ティーの上でボールが安定する大きさです。もしあの上に、バスケットボールを置いたり、ラグビーボールを少し傾けて置いたら、ちょっと安定しなさそうですよね。それか、よっぽど安定する位置を見つけるかになります。人の頭と首の関係性は、ティー と 傾いたラグビーボール くらい不安定です。(しかも重さは、軽めのボーリングの球くらい)加えて、そのボールにヒモでぶら下げた、重りがもれなくプレゼントされています。⇨下顎(アゴ)ですね。(また厄介なのが登場したと思われがちですが、顎があるから、噛み合わせがあるから、頭も安定するって側面もありますが、顎も入れるとまた話が長くなるので、今回は割愛します。)そんな不安定な所なので、普通に考えたら、すっごく疲れそうだし、安定させるために、強力な筋肉が支えてくれないとって思います。ただ、首の筋肉は、数こそ多いですが、一つ一つはそんなに大きくもないし、むしろすごく細かくて繊細な筋肉ばっかりです。【環椎後頭関節】この部分、例えば一見、首は関係なさそうな、腰の症状、膝の症状、足首の捻挫であっても、必ずここは触れさせて頂き、チェックします。それだけ、重要なポイントです。調子の良し悪しと、このポイントの状態はかなり関係性はあると個人的には感じます。この部分を触らせて頂き、チェック⇨施術⇨再度チェックこれを繰り返す中で、違和感を覚えることがあります。硬くて動きにくいのは確かだけど、、、もし仮に今の状態で、硬さが取れたとして、、、んー。何かと、似てる。『あ。』『首が座ってない』生まれたばかりの赤ちゃんは首が座っていませんね。ですから、自らの力で顔の位置を動かしたりは出来ません。ましてや、頭を首の上に乗せた状態を自立的にすることなど、考えただけで怖いですよね。もちろん、あそこまでグラグラとしているわかではありません。筋肉もあるし、支えていない訳ではありません。でも、不安定だからこその、周辺組織の過度な緊張があるのだと感じます。赤ちゃんが首が座ってくる時期は、3、4、5ヶ月目くらいと言われます。この時期は、だんだん、目で見るものがしっかり“コレ”とわかり出す時期です。はっきりと、自分が見たい対象に意識を向けて見る、そして、それが何か、自分の手かそうでないかが、はっきりとしてきます。目の機能、自分の意思と眼球の運動が連動し、見たいものを見るという事が可能になると、睡眠 と 覚醒 との間が明確になってきます。この睡眠と覚醒の間の明確さが、首が座ってくる時期なのだと思います。首が座る⇨背骨全体にも波及し、寝返り等が可能になる⇨背骨を起こして、座れる⇨脚と腕をつかってハイハイ・・・つまり、目の状態、意識的な覚醒と首(背骨)とは、かなり緻密に関係し合っていることがわかりますよね。大人になって『首が座っていない』って、どういう事?と、疑問を残して、今回は一旦終了します。今回もここまで辿り着いた方々、貴重なお時間をありがとうございます
目の使い過ぎで、首が疲れる、頭痛が起こるこういった経験のある方は多いのではないでしょうか?目と首の関係は、何かしらあるのは、経験として知っているかもしれません。では、首に関係する目の使いすぎというのは、単に、何かを見る行為そのものが、その疲れを引き起こすのでしょうか?行為そのものというよりも、どの様な使い方かによる部分が多いかもしれません。固定的な視点での長時間の使用が、一つの問題点になります。左右を見る、上下を見る、遠くを見る、近くを見るこのような目の働きを行うのと同時に、首の筋肉にも動きが伴います。例えば、①目で右側を見て、顔は左側に向ける②目で左側を見て、顔は左に向けるこの2つを比べると、違いがはっきりと出ると思います。他にも、①目の前数センチの所にある指の指紋を見ながら、首を左右に動かす②腕を伸ばした先にある指の指紋を見ながら、首を左右に動かすこの2つでも首の緊張は違いが出ます。頭と背骨をつなぎ、頭を支える筋肉の深層筋【後頭直筋】や【頭斜筋】等背骨を細かくつなぎ、背骨の回旋(捻り)に関係する筋肉【横突棘筋】・・・多裂筋、半棘筋、回旋筋これらは、単独で動くというよりも、協調しながら動きます。というより、首から腰まで 24個ある背骨を1つ1つ、筋肉によっては、数個飛ばしで、橋のようにつなぐ筋肉なので、上が動けば、下も連動して動いてしまうといった関係性です。細かいレベルで言えば、目を大きく動かすことは、首から腰、骨盤レベルまで影響があります。逆に言えば、目をそこまで大きく動かさない、しかも近い距離のモノを見ることが、長時間続くとなると、目の疲れはもちろんですが、首から背骨、骨盤までの疲労や緊張を起こす可能性があります。ですので、目を使う事が終わったり、休憩が取れるのであれば、遠くを見たり、左右、上下に大きくゆっくりと眼球を動かして、目を動かす筋肉のストレッチを行うなどしてもらうと良いかと思います。両端視・・・中央を見るのとは反対の目の使い方です。スマホ、PC画面を注視するとなると、中央に視点が寄ってしまいがちです。眼球を顔の中心に向かって近づける動きを輻輳(ふくそう)と言います。焦点距離をより近くに(自分寄り)にすると起きる動きです。この反対の動きを、開散(かいさん)と呼びます。両目を互いに外側に向けるというのは、きほんてきには出来ないと思います。焦点距離を遠くに(自分から遠ざける)と、少し広がる感じはすると思います。遠方凝視といって、遠くを広い視野角で見ると、開散(かいさん)と呼ばれる眼球の運動が起こります。この開散の動きを、もう少し分かりやすく行うやり方を紹介します。ご自身の左右の人差し指を腕を伸ばした位置で、真ん中に置きます。次に、両手を左右に広げる形にしていきます。この時に、顔や目は動かさず、前を見ています。ただ、視界の中に左右の人差し指が入っている事は、確認しながら、徐々に手を広げていきます。両手を広げて行き、左右の人差し指が視界の中から消えるギリギリまで行ったところで、人差し指の指先を『見る』意識をします。(実際には、左右で離れたものをクッキリ見るのは、不可能だとは思いますが、見る意識が大切です。)普段行うことが多い、中央視の逆ですね。両端視。この運動は、首の痛みや頭痛をお持ちの方も、割と効果的ではないかと思います。どんな運動、体操もそうですが、普段動かしていない部分を意識的に動かしてあげることが、普段使い過ぎているところへの休息となります。試してみてもらえればと思います細々と小難しい内容になってしまいました本当にお伝えしたかった事は【首 と 目】の関係ではなく【首 と 目 と 意識】なんです電車の中とかで、コクっコクっと、眠そうにされている方いますよね。まさに睡眠 ⇆ 覚醒 を 繰り返している 現場になります。眠る・・・即ち、意識が覚醒時とは違うトコロへ向かいます。眠りながら、直立出来ている人はいるかもしれまさえんが、大多数の方は難しい事かと思います。背骨を地面に対して垂直に起こす、そして、その上に頭を乗せておくこの状態を、意識が睡眠状態になると維持することが困難です。同時に、目を開けたまま、というか、何かを見たまま、眠るということも困難です。 睡眠状態 と 覚醒状態 と 目 と 首(姿勢)この辺りを次回はもう少し書いてみたいと思います。最後まで、読んでくださりありがとうございます
久しぶりに 体組成計【オムロくん】 と 向き合う『フムフム。。。』『体重、体脂肪は、あまり変化はないか。。。』『体脂肪はもう少し減らしていきたいな。。』『ん?内臓脂肪・・・』『数値が以前より上がっている。。。』『オムロくん、君に僕の何が分かるのかい?』『そうやって、数値が上がった事を見せつけて、普段の行い、生活習慣の乱れを間接的に指摘しているんだな。。。』『体重の増減がなく、体脂肪率もそこまで変わらない、なのに、内臓脂肪の指数が増えている』『つまり、相対的に筋肉量が減って、内臓脂肪が増えている。。。君はそう言いたいわけだ』『で、内臓脂肪が増えるという事は、食生活とくに、脂肪への変換されやすい深夜の飲食が疑われる。。。と。』『オムロさんは、いつでも全てお見通しって雰囲気出しますよね。なんか冷たくも感じますよ!もう少し暖かい目で見てくれません?』【オムロくん】『。。。』そう。オムロくんは、何も言ってません。ただ、数値を示しただけ。こちらが勝手に解釈して、勝手に誇大妄想をしているだけ。でも、客観的な数値やデータって、それ自体は確かに、特別なメッセージ性はないはいずなのに、何故か、解釈のなかで、何かしらのメッセージを自分で創りがちですよね。歪んでいる、筋肉が硬い、左右差があるこれも、ただの状態なので、特別な意味はこの時点ではないけれど、やっぱり少しネガティブに受け取る可能性があります。伝え方、表現力って大切です。何も伝えないのも、誤解を生むし。何か伝えても、真意は伝わらない事もあります。【NEWオムロくん】【スーパーオムロくん】になって、可能性を示して、やる気スイッチがON!になる伝え方、表現ができるようになるとイイですよね。
【医食同源・薬食同源】健康は食事から明日からお弁当には、健康に良いモノを入れてね唐あげ、ハンバーグ、揚げ物・・・大好きだけど健康になる為には!豆腐ハンバーグ、野菜、ご飯も玄米にまだまだ、健康になりたいから、もっと体に良いお弁当作って!スーパーフード弁当だ!もっと!もっと!とある日、お弁当を開けると『頂きます』『自他に感謝』と、書かれた手紙。身体に良いモノ、良い栄養を取ることが食事でしょうか?美味しい 事が、一番に大切なことでしょうか?食事の本来の目的は、食によって、生かしてもらえている事への感謝なのかもしれません。食べられるモノは、食べられるために生まれてきたわけではない、けれど、食があるからこそ、生きられる。治療や医療も、身体があってこその命、その身体に対する感謝それを実感してもらう為の手段に過ぎないのかもしれませんと、夜中に食事をする事が多いヒトの戯言です
久々に、若い年代の人と会話。同じ点数でも、最終的な評価は、評価する人の好みじゃあ、誰に評価されるかって言う『運』にかかってくるこれって、『クソゲー』っすね。会話のリズムの速さ、頭の回転の速さに若さを感じました(笑)点数だけの評価 よりは、『マシ』な気もするけど。何を持って、『神ゲー』と言うのかは分かりませんが、もしかすると、人生は『クソゲー』だ。という人の方が、多いのかもしれません。昔から、流行には敏感だと勝手に思っていたけど、20年前に専門学校の先生が『iPod』を持って、『これからは、コレの時代』って言ってたのを、『そりゃないぜ、先生』って、うっすらと笑っていた自分。その頃から、多数派では無い自分がうっすらと見え隠れしてきた気がします。だから、自分が良いと思っているものを、人に勧めること強要することはしないようにしています。それでも、『人生』って・・・いや、人生はまだわからん!(笑)『人・ヒト』って面白い。ゲームよりゲームだよって、伝えてみよーかなー
『おはようございます!!』早朝、近所の球場近くをランニングしていると野球のユニホーム姿の中学生に突然、最敬礼の挨拶。『あ、違っ(いますよ。僕は関係者ではないから、挨拶はしなくても・・・)』ん?挨拶は関係ない人にはしてはいけなくないよな?突然の事で、咄嗟に出そうになった言葉を一旦止めてその次に出た反射的な言葉『ありがとうございます』(会釈)オンライン でも もしかしたら同じ現象は起きるのかもしれないけれど、オフライン での 言葉のやりとりは懐かしい気持ちと、有難い気持ち です。『おはようございます!』『有難うございます』言葉のキャッチボールとしたら、少し変ですが、素直な返答が出来て良かったです。今度はびっくりせずに、挨拶が普通に出来ると良いですよね。咄嗟の反射、反応は、その素直さが出ます。姿勢も何かに対する反射、反応の連続の結晶みたいな面もあります。喜びや楽しさ、新鮮さに対する反応と不安や恐怖、悩みに対する反応びっくりせずに、普通に感謝、そして普通に挨拶です
形がそこにあるからって、自由に使えるものだと思わないほうが、つじつまが合うような気がします。クッキーの型はそこにあるのに、材料をこねずにそのまま流し込んでもクッキーは出来ません。車もガソリンや電気が全くなかったら、重い鉄の塊。すま〜とふぉん も、充電が無くなれば、リンゴのマークのついた印籠くらいにしかなりません。『このリンゴのマークが目に入らぬか!!』(笑)(何言ってるの?この人・・・)(これは、年代が別れますよね)形としてのモノは、そこにあるのに、使い方も、作り方も知っているのに、動かない。おいしいクッキーが焼けない。これは、大変もどかしいですよね。型は先人の叡智から頂いています。あとはその中身をしっかりつめること自分の身体でいう、ガソリンや充電、クッキーの材料は、何でしょう?骨や筋肉は、既にそこに備わっています。血液?酸素?栄養?ありがたいことに、それらは、よっぽどではない限り、枯渇はしません。それ以外って・・・寝ている 時 と、起きている時 では、何が有って、何が無いでしょうか?そうそう!それです!ソレッそれを、全身にスムースに行き渡らせるために、呼吸の状態 と 噛み合わせ を チェックしているんです呼吸 は ソレを全身に隙間なく行き渡らせる役割噛み合わせ は その全身を自由に使う為のガイド役とでも、言いましょうか時間や季節などの概念が無かった時代に月や太陽の動きなどをガイドに暦が出来たと言われていますよね。赤ちゃんも、顎や喉の周りの筋肉が発達する事で、頸が座り、そして、歯が生えて来ると、立つということが可能になります。顎や歯というのは、身体にとっては、重要なガイド役になります。歯や顎は、大切に
石橋を叩いて渡る叩いて、叩いて、それでも叩いて、ほんとに大丈夫?叩きすぎて、橋が壊れちゃって、渡れもしない準備は大切でも準備しすぎてもタイミングを逸してしまえば、準備していないのと一緒準備しなくても大丈夫かも結果、そんな器用な人間でもないみたい準備できる事はしているつもりだけど、準備の想定を軽々と超えてくる事がけっこうあります。『テストはギャンブルじゃない』よくもまぁこんな事を言っていた時期もありました準備して想定するから、想定範囲の結果が出るつまり、想定範囲の準備をすれば、想定範囲の結果は得られるという、自信はとうの昔に崩壊していますが、最近は、少し出来るかもしれないなんて、思えてましたが、簡単に心は折れかかるものですカラダもそれなりって、僕から見れば、かなりの準備をしてくれています。それでも、その想定を超えて来た結果が、身体の不調です。昨今の花粉症と名付けられた、身体の過剰な反応も、準備していたモノの想定を超えた結果です。それが、量なのか質なのか、種類なのかは定かではありませんが、『ここまでなら、大丈夫だよー』『気にせず過ごしなー』って、範囲を少しずつ超えていくなら『ちょっと、無理してるかもー』『すこーし、準備に時間取らせてー』って、合図を送れるけど、許容範囲を一気に突き抜けちゃう場合もしくは、小さな合図に気が付かなかった場合『ちょいと、無理だわ』カラダもココロが折られる訳です。いや、違うな、カラダさんは、そんな、どこぞの自分のように、簡単にココロまで折られるような存在じゃないいつでも、諦めずにそこにいてくれます。あとは、準備しよう、備えよう、身体に寄り添おうとするかどうかです。症状が出るのは、カラダが諦めていないから落ち込むのは、その逆に、まだ期待しているからそう思えると、ちょっと前向きになれる気がしませんかね僕は割と単純なので、めちゃくちゃ前向きになります(笑)そもそも、前や後って概念を置き去りにしているので、自分がどっち向いているかも分かってないのかもしれませんが(笑)後ろ向きで進んだって、進んでるんだから、それは、前進とも言えますよね(まぁた、訳わからん事を…)『これって、梅ですか?!桜ですか!?』ともかく、綺麗に咲いてました
拡大、拡張 する チカラと縮小、収束 する チカラこれ、どちらも大事です。気温が上がる日照時間が長くなる身体は拡大、拡するエネルギーに移行しようと準備しています。大きく息を吸いこみたくなるような陽気のときは、それと同量、同等な位、しっかりと息を吐きましょう。身体を大きく伸ばした後には、同じくらい小さく縮めてください。拡張 と 収束 身体のこの二つの要素を意図的に行うことで、今までよりも、より片方の要素の輪郭がハッキリしてきます。吐く と こんなに 吸えるんだ吸うと と こんなに 吐けるんだ当然の事を、少しやかましく書いてみました(笑)
『キミの最後の仕事だよ。』今まで、食器を担当してもらっていたけど、今日は、このシンクと排水溝を歯ブラシくんと共に綺麗にしてもらいたい!そして、この掃除をもって、スポンジくんは、引退キミの意志は、また新しいスポンジくんに引き継がれるから排水溝の掃除はお好きでしょうか?僕は、嫌いなので、汚れないうちに綺麗にしょうと思うので、掃除をして綺麗になる様を見るのが好きなので、これは結果好きなのでしょう(笑)特別に汚している意識がなくても、やっぱり排水溝や水回りは汚れてきてしまいます。水が循環している所は、勢いのある水流が流れっぱなしであれば、汚れないのでしょうが、一度、流れが緩やかになったり、滞ったりすると汚れが溜まってきてしまいます。川も流れが止まらない、上流もしくは川の中央付近には綺麗な水が流れますが、下流の勢いが弱くなったところや、川の隅のほうは、どうしても滞りが出来てしまします。体内の血流も、心臓を源流とした川のようなものです。心臓から出発して、大動脈→細動脈→毛細血管→(動静脈吻合)→細静脈→大静脈→心臓といった形で、心臓を中心にループしています。このループの中に、フィルターの役割をして、毒素や不要物の振り分けをするのが、肝臓、腎臓、脾臓といった臓器になります。このフィルターが目詰まりしたり、働きが弱くなったりすると、むくみ や 身体の怠さ、疲れやすさなどを感じやすくなる要因になります。ここ数日、昼間の気温が高くなって、少し過ごしやすくなりました。春とまではいきませんが、ちょっとだけ活動的になる時期に備えて、体も血流量を少し増やしていきます。流れる水の量が増えれば、それだけフィルターの役割も大きくなります。万全の状態で、この時期を迎えられれば、問題はないかもしれませんが、冬の時期の疲れや、慢性的な疲れ不調などを持ち越して、この時期に突入すると、疲れや身体の重さ、強いては、肝臓の働きの弱さによって、花粉症などのアレルギーの症状も出やすくなります。そんな・・・肝臓、腎臓って、お酒も飲まないし、そこまで身体に負担のかける生活はしてないし・・・ご自宅の排水溝も、自然の川も、意図して滞ってしまっている訳ではなく、勢いある水流をずっと保てる場所とそうで無い場所は必ずあります。季節の変わり目は、どうしても、血流量や気温の上下によって、血管そのものの拡張性の変動があるために、その人自体の活動が変わらなくても、身体は大きな変化をします。気候や季節、その日の体調によって、活動量をコントロール出来れば良いのですが、社会活動をしていると、それが叶わない場合の方が多いです。フィルターの役割をする臓器は、スポンジのようなものです、そして、腎臓、脾臓はほぼ背中側、肝臓は右半身の大部分を占めます。このあたりを、伸ばしたり縮めたりすることで、臓器の拡張と収縮の動きを補助してあげるような、ストレッチも有効だと思います。●身体を冷やさない●水分+ミネラル補給を忘れない●適度に運動、ストレッチと、まぁ、なんの面白みもない事ですが、この辺りを見直して頂けると良いのでは無いかと思います
鏡を一番最初に見た記憶は、もう定かではないですし、今更、今までの記憶をリセットして、鏡に映った自分を見て、改めてどう感じるのか?といった、感覚はおそらく味わえない感覚なんだと思います。《自分は自分を魅力的な存在として見ているのだろうか?》【神鏡】神社にお参りに行くと、鏡があります。あれを、神鏡と言うそうです。神社に行き、二礼二拍手一礼 と、一応、基本に沿ってお参りをさせてもらわけですが、拝殿の奥の方に大きな鏡があるなぁ〜何故、鏡なんだろ?鏡に向かって、お辞儀して、手を合わせてるんだ〜なんて、神社はよく行かせてもらう割には、その辺りの予備知識があまり無いので、神社の鏡に関しては、いつも疑問に思っていました。そして、毎度お参りをさせてもらう度に、鏡に向き合って、お辞儀と手を合わせる事を繰り返す中で、『まず自分をよく見ろ』って事なんだろなーと、何となく思いながら、参拝をしていました。そして、やっと調べてみました。神話の中の話らしいですが、有名な神様が、その昔、岩間に閉じこもってしまってる時に、自分の映る鏡を見て『この綺麗な人は誰?』って、鏡に映った自分に惹かれて、外に出たと。『いやいや、待て待て』『んなことある!??』と、失礼な話ですが、神話に対してケチをつけそうになってしまいました。ただ、●鏡を一度も見たことがない●自分の姿を自分で見る術が無いこの条件下で、自分自身を初めて見るという事って、現代ではそう経験できないと思います。もし、出来たとして、はたして自分は自分を見て、魅力的と思えるだろうか?そう思えるだけの事は出来ているだろか?『あれ!??』『何、このカッケー人』『何、このキレイな人』ついつい、見惚れちゃう、憧れちゃうそんな自分に成れるといいっすね