【都立家政】とりつかせいプラクティス.整骨院 /量子場調整/Re;balance整体
何が正解で、何が不正解か、

身体に良い常識とは何でしょう?

非常識とは本当に非常識でしょうか?

そして、日々変化する身体にとって、

一定の法則のような健康法はあるのでしょうか?

“健康の常識は常に自分の身体の中にあります”

自身の身体と心と素直に対話が出来た時、その時に良いと感じたものこそ、

あなたにとって最高の健康法です。

『健康の軸』となる、自分自身の身体を創っていくお手伝いをさせて頂きます。

たくさん〝気づき”たくさん、自分自身を知り、より健康に、より楽しい生活を送っていきましょう。
  • 24Jun
    • 《Re;balance》しよーぜ!の画像

      《Re;balance》しよーぜ!

      Re;balance=本来の位置、状態に再調整する当院で行っている、Re;balance整体は、何か特殊な技術があるわけではなく、最初にも述べましたが、『本来の位置、状態に再調整する』という考え方なんですね。本来の位置、状態に再調整する・・・しかも、“出来るだけ自然に”この考え方の中で、僕が今できる、今まで学んできたものを組み合わせて、その時点で考え得る最高であり最適な施術の提供を目指しています。なので、1年もすれば、やっている内容や手技がまるっきり変わっていることもあります。事実、2年前の施術方法と今では、7割くらい違うかもしれません基本的には、①『骨格や筋肉』ーー《骨組み・構造》②『内臓の働き』ーー《生命維持の為のシステム》③『神経系』ーーーー《本人の意思や意図と身体を繋ぐネットワーク》大枠で言うと、この3つの状態を整える施術です。つまり、何をするのですか?何でもします し 何でもしません。『本来の位置、状態に再調整する』という考え方に沿うのであれば、何でもします。❝何でもしたい❞のほうが、合ってるかもしれません。逆に、過度な刺激になる事は、ご要望があっても、しない場合もあります。家の冷蔵庫にある材料を見て、その家にある道具と調味料を使って、おいしい料理を創るかの如く(少しかっこよく言い過ぎかもしれませんが)現状を診て、聴いて、触れて、触れるべきか、押すべきか、引くべきか、はたまた、揺らすのか・・・煮るのか、焼くのか、蒸すのか・・・これは、その時々の、その方の身体の状態で、かなり変わってくると思います。そして、施術自体で、何をするかというよりも、大切な事があります。その変化した事実に、本人に気がついてもらい、その変化自体がご自身の力であって、“気がつくという事”そのものが、自分の成長となり、現在の状態を修復していくのに、必要なエネルギーである。(←これは量子場調整®の考え方ですね。)これを、体験を通して、お伝えすることが、まず目的の一つであると考えています。相手は ヒト という 生命体 ヒトの身体は物理体であると同時に、生命体でもあります。細胞一つ一つに、意思があるように感じます。表現が上手なのが、脳であって、言葉にしたり、表現をします。でも、脳が一番偉いか、凄いかといえば、少し違います。それぞれに役割と得意分野があるだけで、優劣はないと思います。筋肉が硬いのは、内側の内臓の不調を訴え、それを保護する為のものであったり、過敏になっている神経は、何かトラブルのシグナルでもあるので、私だけを診て、どうにかして!ってゆーお願いではないんですね。目で見える事実と、目では見えない真実顕在的な表に出ている事と、潜在的な表には出ていない事意識的な事、無意識的な事、言葉に出す事、言葉に出さない事とーっても、難解なようで、実は、単純だったり、その時々の表情や表現方法が複雑に見えて、とてもシンプルだったり誰よりも一番、身近にいる存在が、自分の身体になります。より良い、パートナーシップを築けると良いですよね。関係性がこじれちゃった時には、《Re;balance》しよーぜ

  • 21Jun
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      何でも出来ない安心感 と 何でも出来る怖さ

      『明日の朝、目覚めたら、あなたは、何でも出来ます。』『出来ない事が一切なくなります。』『以上。では、おやすみなさい。』寝る前に、こう言われたら、明日を楽しみに、ぐっすりと眠れるでしょうか?もし仮に、そのような事が起こったとして、自分は、それをどのように使えばいいのか。使わないほうがいいのか。  少しだけ、迷います自分だけが、何でもできた場合、それを喜ぶ人、疎む人、どのようになるのか。もし、自分だけではなく、全ての人がその状態になったら、どのようになるのか。だいぶ、混迷していますヒトは、動物の中でも、あまり身体能力の高い種類ではありませんね。走る速さ。力の強さ。持久力。環境に適応する力・・・身近にいるワンちゃんや猫ちゃんのほうが、よっぽど身体能力は高いかもしれません。でも、果たして、本当でしょうか?ヒトの能力の限界とは、どれほどなのでしょうか?野生のヒト として、自然環境で生き抜ける力というのは、あるのでしょうか?何でも出来る力 と、聞いて、ちょっとした恐怖心を抱くのは、僕だけでしょうか?自制心や精神力の未熟さ故なのかもしれませんが、何でも出来る事を想像すると、期待や希望はもちろんありますが、同時に怖さもあります。自信に満ちている時と、自信を失っている時期待感 と 喪失感膨張する期待感の先に、怖さを感じ収縮する喪失感の先に、少しの安堵を感じる出来ない なら することも ない出来る から する可能性も ある『出来ちゃっていいの??』『出来ないくらいが平和じゃない??』自分が自分に気を遣って、自分の『出来る』を抑制してはいないでしょうか?気を遣う事、集団で生活をする事、人から教わる事全て、必要な事です。でも、本来の『出来る』を、過度に抑制しているという、側面もあるのではないかと思います。自分が想像、想定しているよりも、一歩、二歩くらい先の、能力は、皆さん(もちろん自分も)に備わっていると個人的には思います。というよりも、その仮説、想定があるからこそ、施術という仕事が出来ているのだと思っています。単なる個人的な妄想を、押し付けている訳ではありませんし、何かにお祈りしている訳でもありません。壊れた何かを、修理しているのではなく本来の能力を、少し解放する自分でも制御できないのは、困りますが、持っているのに、出せていないのは、それはそれで、もったいない気もします。そう。もったいないんです。出来る事もあれば、出来ない事もある出来る事よりも、出来ない事の方が多く感じるかもしれません。出来た過去 よりも、今はまだ出来ない、これから出来るかもしれない未来のうが、多いのは、結構な事ですよね出来ない事  望むところだ『出来ちゃっていいの』 『出来ちゃってください』綺麗に、まとまりました。おしまいです。

  • 04Jun
    • ぐるぐる進む か ぴょんぴょん進む か の画像

      ぐるぐる進む か ぴょんぴょん進む か 

      これは、直線。地点 A は 地点 B よりも、左側にあります。さて、地点 A を、今 だとすると、地点 B は、過去ですか?未来ですか?これは、どちらでもいいんですがよく時間軸として、時間の経過を直線的に表す事ってあります。数学とかで馴染み深いのは、時間経過とともに、左から右へ進んでいく地点 A が 《今》 であれば、地点 B は 《未来》 となります。これは、円 ですね。もし、先ほどの直線が、あの先も進んでいって、その先端が、ぐるっと一周して地点 A の後端にたどり着くと、先ほどの時間軸の直線は、曲線を描いた後に、円になったことになります。円になると、同じ軌道と周回する事になるので、地点 A から みて 地点 B は、《未来》 で あって、《過去》 にもなり得る。一周目は、目新しい《未来》であった、地点 B が、2週目ともなれば、もはや経験した《過去》になります。時間は経過しているのに、行きつく先は、経験された《過去》これは、少しつまらないかもしれません。退屈かもしれません。でも、もしかしたら、色々な意味で、繰り返しで周回しているだけなのかもしれないって思う事もあります・・・(笑)これは、螺旋です。タイプにもよりますが、この絵の様な螺旋の形であれば、見る方向、角度を変えると 円 にも見えます。先ほどの、円とは違い、地点 A から 地点 B を通過した時間は、再び、地点 A に戻る事は無さそうです。(この先、螺旋を描きながら、戻ってくる可能性はありますが)但し、形状は似ている為に、同じ地点 A ではないものの、2週目に訪れた、地点 A´ は、なんとなしに、地点 A と似ているような・・・という、錯覚を覚えるかもしれません。 螺旋というカタチは、回転要素のある曲線が、垂直方向に “位置をずらし” ながら進む状態です。“位置をずらし”ながら進む。 これが、円とは決定的に違う所ですよね。同じような周回であっても、確実に違う という事が大切だと思います。繰り返しの周回ではなく、どの方向かはわからないけれど、《進んでいる》という事の認識です。これは、先ほどの螺旋上にある、地点A を 時間の経過と共に、A → A´ → A´´ → A´´´ として表してみました。円 と 螺旋 の違いは、周回の中で、位置をずらしている という事でした。位置をずらしてはいるけれど、やっぱり同じような周回をしている。のは、変わらない。であれば、地点A から、地点 A´ に周回してきた時点で、また同じような周回を待たずとも、地点A´´へ行けないものか・・・地点A を出発して、時間を過ごす中で、再び 地点A付近 にたどり着く。『同じような光景』だけど、『確実に自分も、環境も変わっている』という、気づき。このAとA´ との 《違い》 。  良く言えば、《変化・進化》 に、気が付く 。それ自体が、垂直方向の位置的な変化を起こすのだと思います。 地点A から 地点A ´ までの途中の道のりのなかで得た経験や、細かな“気づき” 。一つ一つは、小さいかもしれないけれど、その“小ささ”が故に、忘れがちな貴重なモノです。“小さな気づき”そのものが大切かと言うよりは、その“小さなことにも気が付ける能力”が備わった事の方が大切です。(細かい事を気にして、いつまでも固執してしまうのとは、異なりますよ)その気が付ける能力 と 地点A 付近 での、地点 A´ への移行時の感覚これをきっかけにすることで、地点A´を出発して、また同じ周回を待たずして、地点A´´への移行は、恐らく出来るのだと思います。周りを見て、時間の進み方が、なんとなく違うな・・・と、感じる方は、このように、時間軸を“ぐるぐると進む” というよりは、“ぴょんぴょんと進む” ような感じがします。ぐるぐる でも ぴょんぴょん でも どちらでもいいかと、個人的には思います。というか、自分自身でも ぴょんぴょん な 経験は無いと思うので、なってみたい願望はありますが。。。でも、じっくり周回していくのも、それはそれで良いと思うんですね。ただ、円 であるよりは、 螺旋 であったほうが、進歩、進化があって、楽しいとは、思います。でも、円 は 円 で、また楽しいのか何が、お伝えしたいかと言うと、同じような光景、同じような状況であっても、必ず、以前の光景や状況とは、異なる部分、以前では、認識も出来なかった事があると思います。それに気が付けること、些細なことでも、気が付けたという事実。その、“コト”自体が、 地点A から 地点A´ への “移行/シフト” のきっかけになると思います。それが、その人自身の、成長だと思うんですね。《変化》に気が付ける こと、《変化》を拒絶せずに受け入れていけることが、成長なんじゃないかと思います。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『必ず、治ります』広告制限や、法規制により、この表現は、整骨院では使えません。でも、本当に苦しんでいる方からすると、この言葉が一番救いでもあったりします。確証がない。保証ができない。から、使わないのか。自信がないから伝えていないだけではないのか。表現上、使えなくなった事に少し安堵していないか。これは、自分をえぐる問いですね・・・『大丈夫です。必ず、変わります。』その方にとって、良い方向の変化・進化になるような、“きっかけ”が、出来るだけ速やかに、施せるように、現状が、辛く、苦しい状況の方に、ぐるぐる と繰り返す のではなく、ぴょんぴょん と軽やかに、進んでいけるような、施術をしていきたいものですお互いに、成長していきましょういつもより、まとまった  かなおしまい。  

  • 24Apr
    • 大切 且つ 最大限 使わせて頂くの画像

      大切 且つ 最大限 使わせて頂く

      例えば、一人乗りの船があって、船自体は、水の上でバランスを取って、浮かびます。水の上で浮かぶように、造られた船なので、よっぽどのことがない限り、ずっと浮いて、風や波の影響を受けながら、移動をし続けます。“結果” “目的”としての移動は出来ますが、“手段” として移動しようとしても、自然の影響に背くことは現段階では出来ません。己の都合では、まだ移動を手段とては使えません。移動を手段として使う為には、動力とそれを操るモノが必要になります。器 と 動力 と 指示この三つが揃わないと、己の都合通りには、進めない。自然の影響 が 己の都合 と 合致したら、案外楽なのかもしれませんが。それはそれで、退屈になってしまうのかもしれません。目的が手段となり、また新たな目的に向かい、また、それが手段となって、次の目的に向かう。器 と 動力 と 指示 が揃うと、案外なんでも出来る ような気になります。実際、何でも出来てしまうのかもしれません。何でも出来るから、なんでもしようと思う。目的と手段を、繰り返し変えながら、何でもしていくうちに、手段であったはずのモノが、また目的になっている。でも、手段として当たり前のように、使っていたものを、再び、目的として目指そうとすると、案外、簡単でない事に、気がつく。例えば、健康な身体、元気な自分 は 手段 でしょうか? 目的 でしょうか健康な身体、元気な自分 を 手段として、当たり前の様に使っていた時には、気がつきもしなかったけど、いざ、目的として据えてみると。。。その目的は、簡単なこと 難解なこと 楽しいこと いずれにせよ、目的として、それに固執するよりは、手段として最大限活用したほうが、きっと楽しいと、僕は思います健康な身体 を 手段 として使う なんて、言葉で見ると、とっても身勝手な都合に見えてしまう気がしますが与えて頂いたモノを、敬意を払って最大限使わせて頂くって事も大切です

  • 23Apr
    • サボテンの花の画像

      サボテンの花

      まず、サボテンの花が一つ咲きました。サボテンの花は、だいたい1日でしぼんでしましますそして、サボテンにある小さな芽?が、ぐんぐん育ちましたにょきにょきと育って、初めての光景にすこし戸惑いました『この状況大丈夫なの』でも、本当に、状況は一変。同時に咲きました。連休前に、咲いて、皆さんに見ていただけて、僕以上に、サボテンさんが喜んでくれている気がしまーす

  • 22Apr
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      サングラスの人

      同時に思えるようなものでも、やはり、場所が離れると、何かを伝えるには、時間がかかるのは、物理的な世界では必ず起こる事です。でも、離れていても、時間はかからないって、思っちゃうことっていっぱいあります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー“お昼休みはウキウキウォッチング♪”お昼になると、黒いサングラス🕶をかけて、マイクを持ったおじさんが、楽しそうにしているテレビ番組がありましたね。夏休みなど、お昼の時間に家にいると見ることが出来る番組でしたので、とても楽しみにしていたのを思い出します。お昼 の 同じ時間に、同じ番組を見ている人が、日本中にたくさんいるって事も、場所は離れているのに、テレビ画面を同じように見ていて、同じ映像と音声を、同じ時間、同じタイミングで共有するという、なんだか不思議な感覚がするなーって思っていました。地球の遠く離れた場所では、朝と夜が違うこっちが朝のときに、夜の場所もある時差という事を、なんとなく知った時にも、不思議な感覚と、《自分以外》の範囲って、自分が思っている以上に大きいのだなというようにも思いました。姉が、大学と就職の為に、離れた地へ行った時にも、なんだか、確かめたくなり、『お昼休みはウキウキウォッチング♪』が本当に、同じ時間に始まっているかを確かめた事がありました。僕の中では、北の北海道から南の沖縄まで、微妙にタイムラグが発生しているんじゃないかとも薄々思っていました。『メダカの学校』の輪唱のように、『お昼休みは〜🕶』  『お昼休みは〜🕶』     『お昼休みは〜🕶』             『お昼休みは〜🕶』と、なっているんじゃないかと。実際は、同時でした。同時なんですねー。ただ、電話で確かめただけですし、自分で確かめた訳ではないので、真偽は定かではないですが、同時でした。東京の真ん中らへんで、実際にサングラスの方が歌っている。その映像と音声を、離れた場所で、同時に見たり聞いたりできる。電波とは凄いものです。ただ、その共有している映像を見ている人同士は、同じモノを共有出来ていても、実際に、そのサングラス🕶の人と、その映像を見ている人で、会話をしようとすると、やはり、タイムラグが生まれるようです。リアルと仮想の間には、その変換の時間はどうしても生まれる。実際の『🕶』が体験している時間とそれを写した『🕶』映像を見ている人が見る『🕶』の時間とには、少なからず時間差は生じます。同時に思えるようなものでも、やはり、場所が離れると、何かを伝えるには、時間がかかるのは、物理的な世界では必ず起こる事です。相手と向き合って、相手の反応を確かめてその時間差があることを、まず認識する。在って然るべきものとして、認識して初めて、コミュニケーションが円滑にいくのかもしれません。反応の速度は、個々に違います。その相手との関係性の深さ、浅さでも変わってくるくるものです。手を動かす、足を動かす、普段通り動かせている時には、意識しないと思いますが、手や足から遠く離れた、頭(脳)からの信号の伝達、電波によって、動いています。離れた場所に何かを伝える時には、少なからず時間差は生じます。コミュニケーションが円滑に進まないと感じたときには、相手としっかりと向き合えていない時かもしれません。世界同時通話もうこんな事も可能です。電波の凄さです。ラジオ体操で、手と足を同時に動かすこれを、凄い事だと捉えるか、出来て当たり前と捉えるかインターネットが通じなくなったときに、繋がらずにイライラするか、無い事が当たり前だと、一旦落ち着くか。自分にも今更出来ないかもしれませんが。そんな事を、ふと思います。

  • 21Apr
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      自分のプロの自分

      自分 が いる と 同時に 周囲にも 自分以外がいます。自分の事をよく知ってくれている人もいればそうでもない人もいます。自分以上に自分の事を知ってくれている人もいるかもしれません。何かに対して、人並み以上に知っている人を『何かのプロ』と、言うこともあります。プロ や プロフェッショナル昔、仕事を始めたてのころに、諸先輩方に仕事として、お金を頂くのならば、その時点で、相手に対して、プロになると、教わりました。確かに、お金を頂く、対価を得て、何かを施すその関係性のなかで、プロフェッショナルという枠が生まれることもあります。何かに拘りを持って、それを行なっている自分以上にその事に関して、知っているまたは経験しているそんな方々は、僕からしたら『プロ』であると思っています。僕自身は、今の仕事をし始めて、15年になりました。人の身体に関しては、『プロ』でありたい。というか、そうでなければいけないと思っています。ただし、『身体』に関してです。身体は、【ヒト】を構成する、要素に過ぎません。身体の中に、感情や精神等、そのあたりを含めても、【ヒト】の構成要素の一部です。“そのヒト”を、そのヒト以上に知り得る事は可能なようで、不可能なことでもある気がします。既に、生まれた時点で、自分は自分のプロになります。自分以外が自分以上の自分のプロにはなり得ないのではないでしょうか?自分を体験する中で、自分を知って、自分を経験して、自分のプロ度を高める。その要素の一つに、身体があります。身体だけでも、とっても奥が深い。自分の要素全部を自分自身で知っていくのは、恐らく時間がかかりすぎると思います。こと『身体』に関しては、色々とお伝えできる事があるかと思います。整骨院、整体、治療院といった所にいく時は、思いがけず、痛みが出てしまったり、不調になってしまったり、自分が好んでその状況に進んだ訳ではないので、あまり関わりが無い方が、良いと思うかもしれません(笑)それでも、その痛みというきっかけ、不調というきっかけから、自分の身体に関して、知ることが出来るという恩恵も少なからず有ると思います。一番身近なパートナーである、自分の身体に関して、興味が湧き、体ってなんだか奥深くて難解なようだけど、可能性があって面白い!と、思っていただけるような、経験をしていただきたいなと思っています。自分が自分の一番のプロフェッショナル!!

  • 20Apr
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      水が美味しい のは 何故か?

      何故、この水は、こんなにもおいしいのですか?雨が降り注いだ、山々のお陰なのか、そもそも、その山々や地形は、美味しい水を作り出すためのものなのだろうか?恐らく、水 本人に聞いても、『そうなってからの私に、その意味を問われても、そうなるような意図が働いたのであろう、としか言いようがない』『けれど、また再び水として生まれ変わるなら、今よりももっと美味しい水になりたい』ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー結晶化された固形物それ自体に意味があって、ある種の結論結晶化される過程で、なにかしらの意図が反映された結果が結晶化や固体化意味は意味であって、見方や解釈は変えられるけれど、その意味そのものを変えることは、おそらく出来ないのではないかと思います。結晶化される過程の意図何と何を組み合わせて、どんなカタチにして、どれくらいの大きさで、どれくらいの硬さで、、、単なる偶然の産物であるのかもしれないし、何かしらの意図が働いているのかもしれない、それが、本人の意図であるならば、今から変える事も、できそうですよねしかも、その結晶化された物質が、変動的であって、代謝というサイクルを持つのであれば、なおさら、今から作られるもののほうに、重きをおいたほうが、無理がない気がします。今、目の前の結晶化されたものの、意味を深く知りたいとは思うけど、恐らく本当の意味はなかなか複雑で、確証がないから想像するしかない。想像は膨らみ、いかなる様相にもなるから、楽しいけどちょっと危ない事もあるので、ほどほどにしておいたほうがいい時もありますしね。意図を変えて、変わった結晶を見て、その意味の変化を知る事ができたら、意味には意図が反映されていることも知る事ができそうです。意味には意図が反映される美味しい水 が 何故、美味しいのか?水 本人や それを取り巻く環境 達 の 意図が反映された結果 です。その意図とは、おいしい水 を 作ろう というよりも、もっと大きな意図の様な気がします。恐らく、意図は、少し大きめのほうが、結果が美しいものになるのかもしれませんね

  • 19Apr
    • ポイント切り替えの画像

      ポイント切り替え

      (画像はネットからお借りしました。)【ポイント切り替え】今走っている線路から、別の線路へ移行する際に複数の線路同士を繋ぐ線路があります。別の線路へ移行して、進行方向などを変えたい場合などに設置されています。線路上を走る電車には、車のように直角に曲がったり、Uターンのような急旋回はできません。ポイント切り替えをしたとしても、急な方向転換とはいきません。《箱根登山鉄道》に代表されるスイッチバックというものは、180度進行方向を変えますが、電車自体を転換するというよりは、後ろと前を変えて、進行方向を変えます。ヒトで言えば、前向きに歩いている状態で、『あ、忘れ物した!』と思って、引き返そうと思った時に、振り返るのではなく、一旦立ち止まって、前向きに歩いていたのを、身体の向きを変えずに、そのまま後ろ向きで歩いて引き返す状態です。歩く方向であれば、如何様にもの方向は変えられるかもしれませんが、時間軸や、身体の状態で考えた時に、電車の進行とちょっと似ている部分があると思うんですね。忘れ物をしたからといって、時間を遡って過去へ戻って取りに行ったり、予定が重複してしまったからといって、時間にちょっと待ったをして、90度方向転換して、同じ時間に別の場所で、2つの予定を遂行する事は、ちょっと無理がありますよね。身体の状態も、不運にも怪我をしてしまって、物理的に傷ついた組織を、次の瞬間、元通りにしたり、『あの時、あんなことしなければ・・・』と、後悔の念で、きっかけとなった時まで遡って、やりなおしたりも、少し無理があるかと思います。出来る事なら、、目の前で、不調を訴える方、痛みから解放されたい方に、そのような、元に戻って原状回復や遡って、やり直しのように、してあげたいと、思う事もしばしばです。ただ、時間は一定方向に進みますし、身体の状態も、時間と共に進行・変化していきます。同じ時間軸ではありますし、同じ身体ではありますが、『ポイント』を切り替えておくことで、次の瞬間から、別の方向へ向かいます。身体や細胞は、良くも悪くも、癖やパターンを作ります。それはそれで、身体の為でもあるのですが、そのパターンが修復過程には少し遠回り過ぎる場合があります。その時には、『ポイント切り替え』をしてあげることで、身体の進行・変化方向が、快方へと向かいやすくなるパターンへ変わっていきます。もちろん、線路と同じで、切り替えた時には、大きな変化はない場合もあります。でも確実に、そのポイントを切り替えておくことが、身体にとって良い方向への道しるべになります。と、まぁ。説明はこのようには出来ますが、変わった線路を、確実な数値や見える形で、示すことが難しい場合もあるのが、歯がゆい所ですが、1日、1日、着実にコツコツと、一つずつ丁寧に。お一人お一人、お一人ずつ正確に丁寧に。ただひたすら、ただ、それだけ。そんな毎日ですが、もう4月後半になるのですね!今日は、これでおしまい。

  • 18Apr
    • 式の画像

      数学の難しい式はいきなり式を見ても、恐らく解き方はわからない。ただ、導いてもらえたら、出来るようになる。難しいけれど、絶対に出来ないモノでもない。ただし、その課題に取り組もうと思うかどうか、そこに関心すらなければ、難しいかろうが簡単だろうが、前には進まないですよね。そもそも、何故、こんなわけもわからない式を解かなければいけないのか?誰のために?解いた後になにか喜ばしいことが起きるのでしょうか?自分の課題であって他人の課題ではない事、そして、自分の為の課題である事、その認識がまずないと、解こうという意欲すら湧かない。何か得があるのか?数学の式を解いたところで、得はないかもしれません。けれど、自分の身体のこと、健康に関する事だとしたらどうでしょうか?不意に起きた、身体の不調今まで経験もしたことのない痛みこれらの課題をクリアにしていく時に、身体自体の状態や取り巻く環境、食事や生活習慣、様々なモノが要素としてある中で、不調を引き起こした要因を明るみに出していく過程は、式を解いていく過程とすこし似ている気がしています。答えはあるようで無いのかもしれません。答えを導く事が目的ではないこともあります。式を組み替えて、様々な共通項やそうでないものを並び替えていくら過程で、自分自身の癖や身体に合う合わないが少しずつ解けていくのだと思います。自分の身体の事が、自分が一番分かっていない事ってよくあります。自分の身体なのに、勝手に痛くなって、勝手に不調になるなんとなく、それが嫌で、この施術の世界に関心を持ったのかもしれません。健康マニアになれということではないですが、体って面白い!可能性がまだまだある!って事を、お伝えできたらなと思います。

  • 17Apr
    • 噛み合わせ と 運動のフォーム【後編】

      『噛み合わせ と 運動のフォーム【中編】』『噛み合わせ と 運動のフォーム 【前編】』《運動のフォーム》同じ競技の中でも、それぞれ人によってフォームは違います。もちろん、基本となるところはあるのでしょ…ameblo.jp               の続きになります。顎関節、噛み合わせ地球の重力下において身体を垂直に立てて行動をする時には、顎関節、噛み合わせの影響は避けては通れません。噛み合わせの不具合による、頚椎や頭蓋骨へんお影響、及び、それに伴う姿勢や重心、荷重位置の変化には、一定のパターンが見られます。口を軽く開けて上下の歯が当たらない状態  と口を閉じて上下の歯が軽く触れる状態とでは、首の動きが変わります。歯が軽く触れているほうが動きが良くなると思います。ただし、一つの要素が加わると、口を開けて上下の歯が触れていなくても、首の動きが良くなる場合があります。《舌》👅 です。軽く口を開けて、舌先を少し口から出すくらいにしてもらうと、首の動きは軽いのではないかと思います。基本的には、力を入れる時や、姿勢を安定させる時には、上下の歯が全体に軽く触れているくらいのほうが、首周りの筋肉の状態や頭の位置が安定しますので、身体全体としても安定しやすいです。ただ、口を開けて歯が触れていなくても、舌の状態や位置という要素が加わると、また結果が変わってきてしまいます。バスケットボールプレーヤーのマイケルジョーダンは 舌を 出してプレーをします。運動しながら、舌を出すというのは、やってみようと思っても、なかなか出来ません。集中していながらも、いい具合にリラックスもしている、《ミッドアルファ》という脳波の状態で、緊張しすぎず、リラックスしすぎずの、良い状態なんだそうです歯列の位置 と 舌の状態と位置という、要素を基準に置きながら、身体は無意識のうちにその人に合ったフォームを作り出しているのだと思います。スポーツ選手のフォームを見ると、体を敢えて傾けてたフォームや独特で特徴的な選手もいます。あとは、痛みに耐えている時の顔って思い浮かぶでしょうか?どちらかの目を閉じて、痛そうーな顔しているときありますよね。あれも、身体が痛みに耐える時、全身に力を入れて身体の危機的状態をなんとか回避しようとしている、一種のフォームです。片目を無意識に閉じているのも、恐らくそちら側の歯をぐっと食いしばったほうが安定するのでしょう。フォームや姿勢は、日常の中にありとあらゆる場面で、その状況に合わせて変化します。その変化の際に基準の一つになるのが、噛み合わせ や 舌の状態、位置になります。逆に言えば、噛み合わせや舌の状態が、そのフォームに合っていないと、身体に無理な負担が知らず知らずのうちにかかってきてしまうことになります。 当院の施術では、主に、この噛み合わせ、顎位を基準にしてその方のフォーム、姿勢を評価しているんですね。『口を開いてください。』『カチカチと何度か噛んでください。』『グッと噛んでください。』意味もわからずに、こんな掛け声をかけられていると思っている方もいるかもしれません。限られた施術時間のなかで、簡単に説明ができると良いのですが、僕自身の説明力の乏しさで、不明点を抱えている方もいるかもしれません。できる限り、わかりやすく説明はしていきたいと思っていますので、興味のある方は、ご質問していただければと思います。【噛み合わせ と 運動のフォーム】おしまい

  • 16Apr
    • 噛み合わせ と 運動のフォーム【中編】

      『噛み合わせ と 運動のフォーム 【前編】』《運動のフォーム》同じ競技の中でも、それぞれ人によってフォームは違います。もちろん、基本となるところはあるのでしょうが、テレビで見る一流のアスリートの方々のフ…ameblo.jp               の続きになります。【フォーム】とは想い を 現実に 変換する 時の一つのきっかけスポーツで言う、フォーム(型)というのは、ある意味で、そのスポーツにおけるパフォーマンスでの、その表現者・パフォーマーの意図や想いを、形・パフォーマンス・結果に繋げる、仲介者のような存在です。そのフォームが完成されているとしたら、その想いは、高確率で表現され、想い通りのパフォーマンスや結果が繰り返されることになります。いかに、フォーム作りが大切かというのは、そのあたりかと思います。では、決められたフォームで、決められた結果がどんな人でも出ないのは、そのフォームとそのフォームを使うパフォーマーとの間にまだ何らかの変動要素があるからになります。ヒト(身体)をその一定のフォーム(型)に収めるとき、スッキリと収まる時と、スッキリと収まらない場合があります。誰かにとっては、良いフォームであっても、違う誰かにとっては、そうでない場合がある。逆に言えば、見るからに崩れているフォームであっても、その人にとっては、最高のフォームであることもあります。外見的なフォームの善し悪しではなく、その人の身体の状態にあったフォームというのが、結果として、良い表現・良い結果をもたらすのではないかと思います。《その人の身体の状態に合った》これが、一つの悩みの種ですよね。状態に合ったというのは、何か基準はないのだろうか?経験として試行錯誤していくなかで、模索していくしか手段はないのだろうか?模索したところで、果たして見つかるものなのだろうか?姿勢が安定する時、集中する時、力を入れる時、多くの人が無意識的に行うことがあります。噛み合わせを合わせるただ、これには確かに例外もあり、バスケットボール選手のマイケルジョーダンは、プレー中に舌を出してプレーをします。この状態は身体にとっては緊張と緩和のバランスが良い集中力の高い状態らしいのですが、かなり稀なケースです。それらを含めると、噛み合わせ だけで、姿勢やフォームは語れないのですが、歯列、舌といった、口腔のバランスには、フォームや姿勢、運動との関連は深くあります。【後編】へ続きます

  • 15Apr
    • 噛み合わせ と 運動のフォーム 【前編】

      《運動のフォーム》同じ競技の中でも、それぞれ人によってフォームは違います。もちろん、基本となるところはあるのでしょうが、テレビで見る一流のアスリートの方々のフォームを見ても、それぞれの個性があるように思えます。恐らく最初は、誰かの真似から始めるのでは無いでしょうか?そして、自分なりにやりやすいように、変化していき、練習や試合などを積み重ねながら、一番自分に合ったフォームというのを模索して獲得していくのだと思います。この中で、《一番自分に合う》というのは、どのように決定されるのでしょうか?スポーツなどの結果が点数などに表れるものに関しては、結果が良かった確率とか、自分のイメージした結果が出る確率が高いフォームというのが、要素の一つになるのでしょうか?この辺りは、それを実際に模索したご本人でしか分からない部分もあると思います。その本人すらも、明確には分かっていなく、経験的に積み重ねた結果である事のほうが多いかもしれません。【フォーム】 とは想い を 現実に 変換する 時の一つのきっかけではないかなと思います。スポーツだけでなく、日常生活にもフォームは色々と関係しますしね^ ^その当たりを次回に!!【中編】へ続きます

  • 14Apr
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      訳は分からないよりは

      お経と一緒。同じ時間であるならば、訳の分からない事よりは、少しでも訳がわかったほうがいいって思う。親族の法事の際に、何度かお経を聞いた事があります。その時間自体は、個人的には嫌いじゃないって思います。なんでしょうか?声の質でしょうか?リズムでしょうか?でも、長い時間聴いていると、やっぱり、何のこと言っているんだろうか?という、素朴な疑問が沸いてきます。意味なんて理解しなくても、それを聞く事自体に意味があるのかもしれません。お経の真意は、わかりません。でも、同じ時間を共有するならば、やっぱり、訳分からないよりは、訳が分かったほうが、有意義じゃないかなって思います。『それ、そっくりそのままお返しします。』自分が相手に思うことは、相手も自分に思っている事という事って、結構あります。自分の行いが、相手にとって、お経になっていないかもし、お経があのリズムでなく、お話風だったら?あんなに聞けないかもしれないもし、訳文を手渡されて、意味を読む事に意識が向きすぎてしまったら、また何かが違ってしまうのかもしれない意味を理解することに重きをおきすぎているのか、理解できなくても、意味がわからなくても、それ自体に意味がある 事もあるかもしれません。楽器の音の鳴る仕組みや構造が理解できなくても、その演奏者が聞き手に、その意味や想いを届ける意思をもって、演奏すれば一音一音の音階がわからなくても、素晴らしい音楽として聴くことが出来るそこに、訳を知りたい疑念、余念は生まれるだろうか?訳を知りたいという、余念を抱く隙すら作れないくらいの、影響力を持つ存在を目指していきましょうそしたら、言葉ではなく、細胞それ自体が意味を理解していくのかなぁーおしまい。よしっ新装迷走ブログ再開(笑)

  • 25May
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      独楽

      ジャイロ効果(ジャイロこうか)とは、一般的には、物体が自転運動をすると(自転が高速なほど)姿勢を乱されにくくなる現象を指す。(Wikipediaから引用)独楽(こま)独楽は、様々な形があり、大きさも色々です。コンパクトで軽い独楽は、回しいやすいですが、大きく重い独楽は、最初こそ回しづらいかもしれませんが、一旦軌道に乗せられれば、力強く長く回ります。ただ、どちらも大切なのは、中心の軸です。中心がしっかりしていなければ、ただの重荷⇆中心がしっかりいているならば、回転の糧となり、良いウェイトになってくれる逆にウェイトがない独楽は安定しにくい側面もあるかもしれません。重荷だと思っていたモノや、余計で必要のないと思っていたモノも、中心の軸がしっかりすることで、それすらも、回転エネルギーの源になる可能性もあります。不要なモノを不要と思って、苦悩するか、軸を整えて、その不要すらも糧にしていくか。回転が速いと、止まっている時には不思議な模様すらも、綺麗に見えますしね^_^

  • 24May
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      スタンダード

      世の中のスタンダードが変わる変わるといっても、同じ瞬間は無いので、常に変わっているものですが。何かを変えようとする時、変えることの必要に迫られる時自分の意志によって、変わろうとするのか自分の意志に関係なく、変えられてしまうのか、この二つは大きな差がある気がします。そのスタンダードは、本当に意味のあるものか、意義のあるものなのか?単に拒んでいる訳ではなく、その意味や意義を疑っている変えるのは、そう難しくは無い気がつかないうちに変えられてしまう事は、寂しくは無いか?とふと、思いましたが、とは言うものの、自分が気がつかないうちに変わっている事の方が、多いですよねσ(^_^;)

  • 23May
    • 猛獣との会話

      不安や恐怖は未知な対象や自分の予測の範囲を超えた対象に向けられます。鋭い牙や爪を持つ動物も、その動物が何を思い、何をこちらに伝えたいのかが分かれば、それほど怖くはないのかもしれませんよね。コミュニケーション=意思疎通での障壁は、勝手な予測と相手の思いがけない反応にあるのだと思う。失敗が何度でも許されるならば、勝手な予測などしないのだけれど、失敗が重なる事が、取り返しのつかない事になることもあるから、少しややこしい。やはり、ある程度、予測しなければいけない。所謂、空気を読む ということになります。ただ、空気を読む といっても、英語で書かれた本は、日本語の知識だけではとうてい読めないのと同じで、その空気にとってのコミュニケーションツールが何かもわからなければ、読もうとしても、ただ勝手な予測や解釈に過ぎなくなります。予測による、try & error or success挑戦と体験(予測通りor 予測と違う)を、繰り返すのは、どうしても必要らしい。コミュニケーションは習ったところで、最初からパーフェクトに出来るというほうが、まず難しく、というより、誰しも完璧な人はいないというのが、真理なのだと思います。ただ、大切なのは、コミュニケーションにおけるその『体験』をどう捉えて、どんな『経験』として、積み上げられるか。例えば、自分が思い描いた予測とは異なった体験をした時に、『予測が外れた』自分の範囲を超えた貴重な体験。と捉える事が出来たならば、次回の挑戦にまた活用が出来ます。とまぁ、失敗はマイナスじゃなくて、むしろプラス!そもそも、失敗なんて無いんだ!というような事は、よく目にもしますし耳にもします。それが出来たら何の苦労もしませんよね。どんな状況でも、その渦中にいる時は、どんな言葉もどんなアドバイスも『分かるけど出来ない』が正直な所だと思います。『予測とは異なる体験』に段々とうっすらと恐怖や不安といったものが付き纏うようになります。いつしか、『体験』自体が恐怖や不安になってしまっているのかもしれません。という事はですよ、コミュニケーションの障壁は、勝手な予測と相手の反応でなく、自らの『体験』なのかもしれません。では、障壁となる体験は悪なのか、その瞬間の体験には良し悪しはなく、その体験をどのような経験として振り分けるかで良し悪しは変わります。体験は自らの身体を通して行われます。事象 と 体験 の間には、自分の体が介在します。身体がどんな状態で、その体験をするのかで、その体験がどんな経験になるかが、変わるとも言えると思います。身体の調子がいい時にする体験と身体の調子を崩している時にする体験これら二つの体験によって蓄積される『経験』には、ちょっとした差が生まれます。身体の調子を取り戻しながら、体験を繰り返す事で、過去の『体験』のちょっとした誤解に気がつく時が来るかもしれません。不安や恐怖にもちょっとっした誤解があったかもしれません。そこに気がつけたなら、コミュニケーションにおける、ツールや対象はそんなにも問題ではなくなるかもしれませんよね

  • 22May
    • 影響を与え、受けている

      【部分】は【全体】の影響を受けもするし、影響を与えもする【全体】は【部分】の影響を受けもするし、影響を与えもする部分的な不調であっても、ちゃんと全体の問題へと影響を与えます逆に全体的な不調と思っているものが、部分的な問題からの影響だということもあります過去に怪我をした、足首の捻挫での足首の骨のズレが、膝や股関節、腰、肩、首へ影響を与える事もあります。ただ、さかのぼれば、走り方やジャンプをする時の全身的な運動の癖が、結果として、捻挫を引き起こしたという事もあり、そして、その全体的な運動は、実は、視力や効き目、目の使い方による身体の回旋動作のアンバランスから生じる・・・と、ストーリー展開すれば、何通りも考えられるのですが・・・(笑)部分 と 全体 の影響が、相乗的もしくは相補的に働き、それが何層にも積み重なっている状況セルフケア等で緩和されるものであれば、そこまで問題は重なっていないのでしょうが、やはり、長期間抱えているお悩みなどでは、問題が重なり、絡み合って、本当の問題が見えにくくなっている事があります。『本当の問題は何なの!??』因果関係の世界に慣れ親しんだ感覚だと、必ず、結果には原因が存在する という認識が強く根付いています。(私自身も迷走することも多々ありますが・・・)だからこそ、何が原因なんだ、何が悪かったのか?と、躍起になって、今の現状をどうにかしようとします。現時点から『どうにかしようとする』事は、ある意味、未来へと意思を馳せていますが、『何が悪かったのか?』という、ある意味、過去へ思いを馳せている方に、比重がかかりすぎる事は少し注意が必要です。原因や問題は探すモノではなく、気が付くモノだと思っています。一つ一つ、現段階での課題、問題を解消していくなかで、ふと気が付く時が来ます。立ち止まって、考える時も、もちろん必要だと個人的には思います。ただ、比重として、過去どうだった? よりも  未来はどう在りたい? のほうにウエイトを置くことが大切ではないかと思います。部分は全体に影響を及ぼし、全体は部分に影響を及ぼすそれは、個人の中だけでなく、個人と個人の間、集団の中でも同じことが言えます。相手の回復は、自分の回復となります。相手の良好な状態は、自分の良好な状態にも影響を及ぼす。僕は、自分の健康はすごく大切にします。同時に、御縁があって関係性がある方の健康も大切にします。それは、相互的である以上、そうなって然るべしなのです今日は、久しぶりに、フル稼働で施術を行わせて頂きました。『久しぶりだし、体力持つかな・・・』と、朝は少し不安もありましたが、以前よりも、体力を消耗する施術ではなく、共により良い状態に成る 施術が出来てきたのかなと思いました!(^^)!

  • 21May
    • 分け与える ゆとりの画像

      分け与える ゆとり

      『受付周りが寂しいから』と気を遣って頂き、ご自宅で育てたお花を持ってきて頂いています。いつも目に入る所にあるせいか、忙しい時や、一日終わった時などに、ふと癒されている自分がいます。植物という自然が、人工的な屋内にあるというのが、なにかほっとさせてくれる気がします。目から見える光景、耳から聞こえる音、鼻で嗅ぐにおいこれら全て情報です。時間に追われている時、一日の終わりで少し消耗しているとき、この花を見ると、少し気持ちに余裕が生まれるのは、少し消耗が緩和されるのは、それは、この花が持ち合わせている《余裕・ゆとり》なのだと思います。その《余裕・ゆとり》と対峙すると、その《余裕・ゆとり》を少し分けてもらった感じがします。となると・・・自分の余裕の無さ、消耗というのを、分けてしまっているのかな??そこは、お互い様で在れるように、僕も花にとって、有益なものを分け与える事ができる存在でありたいですね。

  • 20May
    • 許せる範囲 番外編

      『元は一緒の仲間』血液のこの言葉。体にとって必要な存在である、血液 と 腎臓でお別れした、結果的に不必要であったモノ何故、元は一緒の仲間だったのでしょう?摂取された食物は、口→食道→胃→十二指腸→小腸といった順に消化されます。消化というのは、『裏ごし』です。食材をきめ細かく、なめらかにする。小腸までの間に、出来る限り小さく、細かくしておき、小腸という最終『万能こし器』で、裏ごしして、そこを通れたモノは、血液と出会い、通れなかったモノは、そのまま次は大腸へと向かいます。僕が習った解剖、生理学では、『血液に出会う』と習います。ただし、あくまでも『説』ですが、『出会う』のではく、『成る』という事もあるという学説もあるのです。成る?小腸で、最終的に裏ごしされたモノが、血液に成る。ん?そんな、小腸を通過したら、いきなり血液に変身!?詳しく言えば変身というわけではないですが、大まかに言えば、変身です。要するに、血液はまた違う場所でつくられた特別な存在であったものが、実は、今日食べたモノが、ダイレクトに明日の血液になっていると言ってもおかしくはないかもしれない。というお話です。血液と出会った、あのモノ。もしかしたら、元々は同じ食材だったかもしれない。必要 と 不必要 のその裏には、少し儚いストーリーがあるかもしれません。