劇団東演公演『血を売る男』
9月28日、シアターXの劇団東演公演『血を売る男』を鑑賞いたしました
公演サイト
https://t-toen.com/stage/170.html
この物語の中で重要なモチーフとなっている「血」のイメージのある赤いラインが印象的な舞台。客席から見て左の壁にはこの家の老人の90歳の誕生祝の集合写真、右の壁には結婚式のカップルの写真…でも夫のチンミンは落ち込んだ様子…自分の方に原因があって子供が持てないことがわかり、迎えてくれた妻に「別れてもいい」とさえ言い出す…そこへ現れたのは祖父の許三観…高齢のために妻と長男に先立たれていることも忘れてしまった老人の回想…1950年の祭りの日…25歳の許三観は結婚宣言…でも相手は未定。先立つものは金…そこで友人たちに誘われ、売血に…

血を売る時は水をたっぷり飲んでから白衣に「売血頭」と書いた悪代官風?
の医者のところへお土産を持って参上、茶碗2杯の採血の後はレバニラ炒めと温めた紹興酒。紹興酒は温かいのに限るとか…
三観がアタックしたのは揚げパン売りの美人、許玉蘭。血を売った金で玉蘭とデートした後、赤く包装した酒瓶とタバコを持って玉蘭の家を訪問、これは求婚のきまりごとのようで…玉蘭には何小勇というイケメン風の恋人がいますから断るつもりですが、一人娘の玉蘭がちがう姓の家に嫁ぐとこの家が絶えてしまうけれど、たまたま同じ姓の自分となら「許」の家が続くと言う三観の言葉で玉蘭の母は承諾してしまいます。しかも小勇には玉蘭との交際は楽しんでも入り婿となる気がないことがわかり…にぎやかな結婚式の場へ…
十年の歳月が流れ…やんちゃな三人の息子たちがチャンバラ遊びをするにぎやかな許の家…しかしいじめられていた弟を助けようとした長男の一楽が鍛冶屋の息子にケガを負わせてしまったことから一楽の本当の父が何小勇であることが判明してしまいます。「ああ、私は前世でどんな悪いことをしたんだろう」と嘆く玉蘭…三観は鍛冶屋へ払う治療費を何小勇に払ってもらおうとしますがもちろん拒まれます。
飢饉の時、ほんの少し砂糖を入れたうすいトウモロコシのおかゆを食べる許家…父に子供たちに豚肉の醤油煮について語る場面を観て…中華料理店に行きたくなりました。
またまた売血で調達した金で家族にうどんを食べさせに出かける三観…でも自分の血が流れていない長男には自分の血ではうどんを食べさせられないと50銭を与え、やきいもを買うように言います。長男一楽は何小勇の元へ行き、うどんを食べたいと訴えるのです。長男本人には罪がないとわかりつつも揺れ動く三観。
文革の時代になると母の玉蘭は「妓女」と書いた札を首にぶら下げられ、皆につるし上げられます。評判の美人だった玉蘭は確かに夫でない男の子を生んではいますが、それは成り行きで男を惑わす悪女ではありません。そして上の二人の息子は農村へ送られ、長男は病を得て戻ってきます。得意の売血は採血したら2か月過ぎなければ次は実行できないのですが、他の街へ行けばできるので、行く先々の街で血を売りながら
長男が入院する上海へ行く…売血旅行?を計画する三観…
とまあ、お芝居の筋を書いていくときりがないのですが、飢饉や鉄の供出、文革など時代のうねりに振り回される庶民の姿を描く長編小説がまったく退屈なところがない舞台劇になっているのに感嘆。父として妻子を守り抜こうとするかっこよさも勝気な妻との関係から浮気に走る弱さも持つ主人公。彼をめぐる人々も身勝手な一方、三観の息子の治療費を助ける優しさもあります。
子供が持てないことに苦悩していたチンミン夫妻は終幕で自分たちに可能な
方法で解決しようと決心します。考えてみるチンミンは長男一楽の子なので
三観とは血のつながりがないのですが…「血は伝わっていなくてもじいちゃんの心意気はオレに伝わっている」と感じるのです。
傷つきもがきながらも前に進んでいく許三観を25歳から90歳超まで演じられた主演俳優能登剛氏はもちろん、医者、食堂の主人、看護師、幼い子供などさまざまな役を演じ分けられた全俳優陣の演技も見事なステージでした。

政治の迷走に翻弄される庶民の姿は万国共通…と思いつつ、同じような血のつながらない家族の物語で日本ならこういう展開にはならないなと感じさせるところもあり、中国と中国人にむきあっていくヒントも与えられたように思います。
我が家の血筋も途絶えようとしています。私も血は伝えらなくても心、なるべく
いい心を自分以外の人に伝えていけたらいいのですが。
パンダ中秋節及びありがた山のコシヒカリと完熟マンゴーサイダー
9月20日、神田の図書館に予約しておいた本の受け取りに行った後、
上野公園噴水広場の『パンダ中秋節』へ行きました。この噴水広場では
いろいろな催しがあるのですが、今まで戦国武将博と陶器市を見たことぐらいしかありません。でも…いよいよ上野の山もこの秋限りですから…


いろいろなお店を見て歩きました。
『毎日パンダ』で知られる高氏貴博さんのブースではシャンシャンの絵葉書を
頂きました。これが今回の一番の収穫かな?

上海風の焼餅を買い、公園の石に腰掛けて食べましたが、上海風だからか
味が薄く…ああいうところでは四川風のものを食べた方がおいしかったかしら?
9月27日、旦那様の実家が新潟の友人から岩船産コシヒカリが10キロも送られて来ました! 米が高い中、失業も控えているので感謝感激! まさにありがた山です!

生協で予約している米の供給も今は止まっています。我が家では毎日2合しか炊きませんからこれがあれば予約米が来るまでしのげるかもしれません。
ついでですが、地域恒例の公園掃除の後、珍しい?というか私としては初めてみる「完熟マンゴサイダー」なるものをいただきました。

ガラスの瓶は見事にマンゴ風でかわいいのですが、無色透明のサイダーです。
飲んでみると確かにマンゴ風の味はしますが、あまり完熟した感じはしません(笑)。成分にマンゴ果汁は入っていないようです。

数十年ぶりの生パンダ、及び初めての敬老?体験
9月17日、午前、父の訪問医療を終えた後、いつもなら午後から出勤しますが、この日は一日有休をとり、上野動物園へ。
上野で働くのもあとわずかと思いますと、やはりパンダを見ておきたかったのです。行ってみると敬老の日企画ということで、無料で入れました! 人生初めての敬老経験です!
入場口前に長蛇の列ができる日もありますが、平日午後とあって比較的空いていて、パンダもシャオシャオが10分程度、レイレイが30分程度の待ち時間で見ることができました。
双子パンダがいる「パンダの森」にはやはりエサとなる竹がたくさん植えられております。かぐや姫が来てもいいくらいに…

シャオシャオ君は忙しく動き回っていて写真を撮るのがたいへんでした。
長く待たされたのレイレイの方、並んでいる途中で「エサの交換」をするとの
ことで列の進行がとまった時間もありました。でもそのおかげで飼育員さんが
エサを運ぶ様子も見られました。

エサを新しくしたばかりのせいか、レイレイのすさまじい食べっぷりに
圧倒されます。

パンダを見るのは中学生の時、初代上野パンダのカンカンとランランを
見て以来…しかもその時はお昼寝タイムだったのか2頭とも動いておらず、
母と「ぬいぐるみそっくりだね」などと話しておりました。
だから動き回るのを生でみるのは初めてかもしれません。
列をなして待っている間の客を楽しませるためのいろいろな掲示。


面白いのはこの注意書き…よく眠れてない方、朝食を食べない方は
パンダお断り? 熱中症などで具合が悪くなる人がよほど多いのでしょうか。

レッサーパンダも可愛いのですが、やはりちょこまか動いて写真が難しい…
暑い日ですからプールですいすい泳ぐケープペンギンにも癒されます。
優雅なフラミンゴたちにも魅せられました。
混みすぎていなければ、大人になっても動物園は楽しめるところですね。
昭和100年 光と影…ギャラリー路地裏から怪獣酒場新橋蒸留所 ”展示会やります”
ちばてつや様のブログで知ったこの展覧会…
有楽町、銀座あたりも最近変化が激しいので、スマホを便りにたどりつきました。
不勉強ながら…小学生の時、クラスの男子が騒いでいた『あしたのジョー』の作画で知られるちば氏以外の方のお名前は初めて知りました。
「ここ、入って行っていいのかな?」と思ってしまうほど奥まったところに
入口のあるギャラリー、でも入ってみると静かで落ち着いて作品と対面できました。

作品の一部はこのサイトで見ることができます。
https://www.g-rojiura.com/2025/09/07/20250907-%E6%98%AD%E5%92%8C100%E5%B9%B4%E5%85%89%E3%81%A8%E5%BD%B1/
ユーモラスではありますが、さまざまな思いがつまっていそうな作品ばかりで
鑑賞するのにわりと時間がかかってしまいました。
クミタ・リュウ氏の句画集を買いました
https://books.rakuten.co.jp/rb/18252876/
なぜか道に迷ってしまい、戻ってみることにしたので…買うことを決めました(笑)。
ギャラリー路地裏から近い山手線の駅は新橋…そういえば、新橋には怪獣酒場新橋蒸留所があることを思い出しました。

すぐに入れるだろうか、女性一人で入れる雰囲気だろうか…まずは行ってみることに。


行ってみたら、空席あり、待たずに入れてほっとしました。ただジャミラの口に手をいれてでヒーローに変身できたり、地球防衛隊でないことを証明しなければならないのは川崎にあった怪獣酒場と同じ。あの「怪獣天下」の掛け軸がお座敷にあった酒場は閉店してしまったとのこと。

私と同じくらい年齢の女性のおひとり様の先客もいました。

アルコールはだめなのでノンアルのカクテルを…ワイアール星人の「グリーンモヒート」を頂こうと思いましたが、売り切れとのことなのでエースキラーの「超人レッドジンジャー」…「超人のごとく黄金の輝きを放つジンジャーハイボール」とのこと。
お料理はブラコ星人の「海老とアボガドの人間牧場ジェノベーゼ・バゲット添え」お昼をちゃんと食べていなかったのでパンがついているのがうれしい…アボガドは父がきらいで家では買わないので外で味わえてラッキー。
エースキラーのハイボールは甘くておいしくて癒されました。ただ浮かんでいた緑色の物体はゼリーか寒天かな?と思ったのですが、着色しただけの氷でした。
ノンアルコールのカクテルをちゃんと頂くのも記憶にあるかぎり、これが初めて…次回はガッツ星人の「いかなる戦いにも負けないフルーツトニック」にトライしたいと思います。
それまでにガッツ星人がどのシリーズのどんなお話に出てきたかとフルーツトニックについて勉強しなきゃ…
もしかすると最後の?人間ドック
9月11日、勤め先近くの健診センターで人間ドックを受けました。
ものすごく早く家を出なければならないので、父の朝食用に前夜にコンビニ弁当を買っておきました。朝食後の洗い物をしている時間が取れないのです。
前夜の夕食の時間も早くする必要がありますから、勤め先近くで頂きます。
昨年までは上野駅構内のTSたんたんでヘルシーなヴィーガンラーメンを
食べておりましたが、5月に閉店してしまってその後、あまり行きたい店も
ありません。迷ったあげく公園口を出たところのスターバックスでホットドッグ。久しぶりに食べるとおいしかったけど、これだけで明日の検査終了までもつのかなあ…と思いつつ
エントランスやラウンジにすてきなオブジェや花が飾られ、案内スタッフも
おしとやかなこの健診センターへ行くのもこれが最後になるでしょう。
40代初めまで私は人間ドックを受けたことがなく、「大人?というものは
ずいぶんお金をかけて健康診断をするものだな」と思っておりました。ここ10年ほどは受けておりましたが、今年はもう定年になったからいいかなあと思いつつ、ついついこれまでの習慣で申し込んでしまいました。
終わった後の楽しみは食事…これも物価高のせいか、数年前よりは
質素になっているような…3種類ぐらいメニューが用意されて
選ぶことができた年もありました。
あんかけ雑穀ごはんの隣にあるのは薬膳スープということですが、クコの実が一つ入っているだけの液体です。

ここに来るといつも楽しみ生ハーブティー、天然の緑が目の保養にもなります。食事の後、白いカップに注いでみました。
デザートは黒糖生姜アイスクリーム。
いつもはこの後、午後から働くのですが、今回は有休にしました。
近くの台東区立書道博物館へ。
展示のテーマは「根岸のたからもの」とあって、やや寄せ集め感はありましたが、1階の「元禄赤穂事件」コーナーの片岡源五衛門の大石内蔵助宛書状は興味深いものでした。宮本武蔵が書いた絵『岩上鶺鴒図軸』も初めて生で見ました。歌川広重の『東海道五十三次』には中村不折自身のコメント風に「私が子供のころ、絵本がわりにこれを見ていました」と
説明がついていました。この博物館は展示物の説明が面白いのです。

仏像や画像石のある本館も鑑賞。館内は基本撮影不可ですが、庭はOKとのことでしたので撮らせていただきました。

明治時代の蔵もあります。
以前来た時にはこのつくばいに金魚がいたのですが今はいないようです。
近くの子規庵も訪れたかったのですが、この日は公開日ではなく、残念。
10月までにもう一度、この辺に来るかもしれません。
父、さりげなく90歳…コーヒーを変える、長持ちしているランチバッグと職場?
9月に入り、父がさりげなく、90歳になりました! お祝いというほど豪華ではありませんが、上野駅で『北海道さんまと小海老天の彩り重』(税込980円)を買いました。さんまが入っているお弁当は珍しい気がします。父が食べたがらなかったので、自分で食べました。おいしかった!
暑い間、家から出なかったせいか、父は時々、今が朝か夜かわからなくなるようです。涼しくなったら誕生祝いもかねて近所のファミレスに連れていこうと思います。
そして私も…さりげなく誕生日を迎えました。誕生日に入手してドライフラワーにしてお守りにする花はピンクのバラにしました。

そしてさりげなく毎朝入れるコーヒーを変えました。青い袋のものは父がおいしいというので、今までずっと買ってきたものですが、最近、一袋1000円するのです。それを同じ店で売っている黄緑とベージュの袋のもの…一袋600円少しに変えました。幸いにも父は気づいていません。物価高で普通に食べて暮らしているだけでどんどんお金が減ります。今はさりげなく、飢饉の時代なのかもしれません。そしてさりげなく打ちこわしも起きているのかも。

昨年7月に勤め先近くのセリアで買ったウィリアムモリス柄のランチバッグ、今も使っています。いちご泥棒の方はファスナー周辺がちょっと傷んだので修理しましたが、今まで100円ショップで買ったランチバッグはすぐに裂けてきてしまったので、これは当たり?なのでしょうか。ランチボックスの大きさがこの袋にあっているからかもしれません。「いちご泥棒」のボトルも使っています。


でもこのランチバッグをお弁当を持って出勤するのもあとわずか…なんと申しましょうか…今の勤め先を10月で…アイドル風に言うと卒業します。8月末に経営側から通告されました。不景気で借りている部屋を一つ引き払うので、既に定年になっている人はお払い箱ということで…
昨年、再雇用はされたものの…父の介護に自分の体力…そして勤め先の業績…65歳まで今の働き方を続けるのは無理かなと自分でも思っておりました。でも再雇用後1年というのはいささかショックではあります。客などにやめる理由をきかれたら「定年で」と答えることになりそうですが、本当は昨年だったのですから年齢を若く詐称?の疑いがかかりそうですし…
一方、零細企業ながらも私のような者を三十数年間も働かせてくれたのは
大河ドラマ『べらぼう』風に言えば「ありがた山」という気もします。
すてきな人にたくさん会えました。
今後のことはまだ考えがまとまりませんが、まずは介護をしながら無理なくできる仕事を探すこと、今まで介護&遠距離通勤でできないでいたことをしようと思っています。
大河ドラマ『べらぼう』と言えば、先日『ありがた山とかたじけ茄子(なすび)』というサブタイトルの回がありました。私も自治会で知りあった方から借りて耕作している畑でとれた「かたじけ茄子」をいただきました。
母が生きていればきっと絵に描きたいと言い出しそうなつやつやしてかわいい茄子です。切って冷凍し、カレーやみそ汁の具としておいしく頂きました。
小田原の思い出、武者行列?のミニタオル ”ツブコン2025”
俳優の星光子さんがブログで「小田原生活がすっかり気に入ってしまった」と
おっしゃっています。
星さんのブログを読んで2015年の「小田原北条祭り」を見物したことを思い出しています。
全くの偶然なのですが、俳優の阿藤快さんが初代北条早雲に扮された最後の祭りになりました。2010年からずっと早雲役をされていて、この年の秋に急死されているのです。
馬上の阿藤さんの早雲の銅像そっくりの堂々たる武将姿が心に残っています。
他に気づいたのは武者行列に女性の姿がとても多かったこと…
星光子さんの女武者姿も見られたらうれしいですね。
実はこの日見たもので一番の収穫は小田原天守閣内で展示の
「北条新三郎氏信(しんざぶろううじのぶ)所用と伝わる具足」
ドラマや映画やいわゆる武将隊の方々が着けている甲冑の
華やかさは全くない鉄のかたまりなのです。
下記のサイトで写真が見られます。
持ち主が討ち死にしたと説明あるからかもしれないのですが、
地味なばかりでなく、背筋がぞっとするような、どの時代も
変わらない戦いというものの恐ろしさが伝わってくるのです。
趣味として歴史が好きな方々に一度は見ていただきたい
甲冑です。
この時のお土産に買ったミニタオル。
20センチ四方の小さい品ですが、小田原城のイラストにかわいい武者行列…
見ていると楽しくなります。
グレーに茶色に白い馬にまたがる鎧武者…
ピンクに黄色に緑の着物を来た姫君?たち…
これまでなぜか秘蔵してきましたが、使うことにします。
あんかけ焼きそばとヌガー?
先日、仕事で疲れすぎてしまったので通勤途中に最近できた
れんげ食堂を初めて利用しました。わりといつも行列ができているのですが
この夜はすんなり入れました。
あんかけ焼きそばを注文、チェーン系なのに出てくるのにわりと
時間がかかり、オーダーがちゃんとまわっているのか心配になりました。
次回は汁そば系に挑戦?してみようかなと思います。
中国のアモイを旅行してきた同僚からちょっと珍しいお菓子をもらいました。
ヌガーというのでしょうか
ラズベリー?味なのでしょうか。上についているのは乾燥ラズベリー?
ともあれおいしいお菓子です。
海外旅行はずいぶん行っていません。これからも行けないような
気がするので、こういうお土産がとってもありがたく感じます。
特別展『国宝に見る薬と食べ物』(神奈川県立金沢文庫)
8月23日、耳鼻科の診療とアレルギーの薬を受けとってから見ようかと思っていた神奈川県立金沢文庫の特別展『国宝に見る薬と食べ物』を鑑賞しました。金沢文庫の展覧会を見るのは初めてです。京急に乗るのも久しぶり。
海水浴シーズンだからでしょうか? 乗った車両が新幹線か何かのように
ゴージャス、普通の切符で乗っていいのでしょうか?もっと長く乗りたかった?

展覧会サイト
https://www.pen-kanagawa.ed.jp/kanazawabunko/tenrankai/ichiran/r7/20250718kusuritotabemono.html
金沢文庫駅からバスで称名寺の門前へ、まずはここに参拝。

前から名前を知っていた称名寺へ来られたことを仏様に手を合わせて感謝。
庭園をぐるりと回り、鎌倉時代の隧道を通って金沢文庫へ。
「隧道を通る」というからトンネル風のところをずいぶん歩くのかなと想像していましたが、ごく短い隧道でほっとしました。

午後2時からの学芸員のレクチャーを聴きました。
展示室1階に展示されていたのは「鎌倉の市中にも薬がなくなった」という手紙。当時の鎌倉は人口が多い大都市。そこに薬がなくなったというのは非常事態だったとか…これは下記金沢文庫様Xでも取り上げられています
【薬と食べ物】今週の古文書はこちら!当時大都市だった鎌倉で、薬が不足している状況が記されています。まるでコロナ禍の時のマスク不足を思わせますが、金沢文庫文書には、地方でも医師や薬が不足していることに言及したものもあります。現代にも通じる社会問題に、中世の人も直面していたのですね。 pic.twitter.com/vWIL5Ms27J
— 神奈川県立金沢文庫 (@Kanagawa_bunko) August 29, 2025
その隣に「ここは田舎だから薬が手に入りません」という手紙も。
展覧会ポスターの一番上は目薬の用法を書いています。耳かきのようなものですくって眼のすみに入れなさい…耳かきを使うというところから現在とちがって当時の目薬は液体ではなかったことがこれでわかるとのこと。
同じくポスターの一番下は白檀とか丁香、甘草など私にも読める文字が
あります。「薬種日記」という名ですが、要は薬材の名前と価格のリスト。
麝香が飛びぬけて高価なのだそうです。
他に読みやすい楷書?で書かれていたのが『寿命経御修法一七ヶ日支度事』。寿命を延ばすための法要の護摩に必要な道具や原料が書いてあります。長生きしたくてこれをやってみちゃう人とかいそう。白檀、丁子などと共に
真珠、琥珀という文字も見られます。真珠燃やすのかしら?
薬の原料になる杏の種、杏仁の在庫が全て火事で焼失したと綴る『範義書状』、「この膏薬は貼ったら効き目がなくなるまではげません」という効能書き等など、昔の人の生活感がびんびん感じられるこれらの文書は本来ならば保存する必要を感じないもの…なぜ遺ったかといえば、今でいう「裏紙」として
お坊さんたちが学習帳?として利用したためだそうです
食べ物コーナーでは「少なくて申し訳ないのですが柚子1籠400個、栗1籠300個、蜜柑1籠300個を送りました」にびっくり。栗はともかく柚子や蜜柑が
400も300も一籠に入るのかしら? 大きい籠、そのころの蜜柑は小さかった?
展覧会ポスターの真ん中の文書、金沢貞顕書状は執権の北条貞時が酒宴を開いてばかりで文書の決済が進んでいないのを嘆くもの…貞時は鎌倉幕府最後の執権、高時の父。
太平記などに書かれている酒と遊興におぼれる高時のダメ執権ぶりは
実は貞時がしたことである可能性があるとか。勝った側が滅ぼした相手を「こういうやつだから殺したのだ」と自分たちを正当化するためにそう記録する…
ここでは滅びた北条氏も鎌倉幕府初期は掃討した和田氏などが悪い奴だったように書いているのだそうで。

来る時には気づかなかったのですが、隧道の中には浮世絵の金沢八景の
浮世絵のパネルがありました。
「金沢八景」の元はあの「瀟湘八景」
これは先日根津美術館でみた「漁村夕照図」の日本版?「野島夕照」
暑かったけど頑張って行ってよかったと思います。
松本清張『腹中の敵』―新潮文庫『佐渡流人行 傑作短編集〔四〕』より
1965年初版。2025年現在、出回っているものの表紙はこちら
新潮文庫サイト
https://www.shinchosha.co.jp/book/110905/
我が家にあるのは1976年2月17刷、祖母か父が買ったものと思われます。
この本の表題作は江戸時代が舞台ですが、『腹中の敵』、『秀頼走路』『戦国謀略』『ひとりの武将』と最初の4編は戦国時代から大阪の陣までが舞台。

『腹中の敵』の主人公は丹羽長秀。信長が浅井、朝倉を滅ぼし、怖い信玄が病死した翌年の正月、元旦の宴から始まります。お祝いムードの中、信長がかの有名な『敦盛』を舞うと、髭面の柴田勝家が「浅井が城はちいさい城や」、とりすました顔の明智光秀が「一天四海をうち治めたまえば」とそれぞれに舞い歌い、そこへちょこちょこと出た羽柴藤吉郎が「死のうは一定~」。羽柴は下手なのですが皆は大笑い、盛り上がり…少し所在なさげな気分で笑っていた丹羽長秀にささやいた羽柴へのさげすみをささやいたのは滝川一益…
この本に収録されている『流人騒ぎ』『左の腕』はテレビ東京でドラマ化されていますが、朝倉義景や浅井久政・長政父子の首が肴?のこの宴も戦国オールスターの個性が現れていて映像か舞台にしたら面白いのではないでしょうか。

「へらへら笑っているが雑草のようにしぶとい」藤吉郎に長秀は当初「先輩が後進の者に持つ寛容な好意」を持ち、信長から「藤吉めがその方にあやかって姓の一字を所望しているが」と聞いてもいやな気はしません。しかし低い出自から鉄砲の腕を買われてとりたてられた滝川一益は「その出世の仕方が藤吉郎とやや似たところがある」せいかに明確な敵意がある様子。
そして長秀の「鷹揚な平静」も少しずつ破れていきます。「少しずつ」になってしまうのは長秀が織田家とは同格の家柄に生まれ、信長に仕えたのも十五歳からと自らに誇りがあり、「一益づれといっしょになってはならぬ」という意識があるからです。

本能寺の変が起こり、近在の大名だけで明智を討とうか、それとも秀吉の備中からの引き返しを待つか?二つの考えが長秀の心に去来した時、共にいた織田信孝から「勝家が越中から戻るのを待っては?」と言われ、勝家のことをまるきり忘れ、秀吉のことしか考えなかった自分にあきれる長秀。そしていわゆる清州会議では信長の後継者を孫の三法師丸を推す秀吉に賛成意見を言ってしまい、すぐに後悔します。「卑怯でもよい、陋劣でもよい
なぜ秀吉に反対しなかったのだ」と。そして勝家、一益らが秀吉を捕えて切腹を迫る計画を知ると秀吉に知らせて逃がすのです。秀吉が伸びるのは嫌でも殺すほど憎んでいないから、「丹羽五郎左衛門ほどの者が秀吉づれを畏れ、見殺したとあっては意地がたたぬ」と。でもこの行いの後、自分の人の良さが呪わしくなったのでした。
天下人となった秀吉から越前国など所領を与えられると立場が逆転したことを痛感する長秀。そして天正十三年、北ノ庄に暮らす長秀を訪ねてきたみすぼらしい旅僧…それはかつての滝川一益…秀吉への反感をそのまま行動に出した結果没落したのですが、一益の方が自分より立派なのではないかと感じてしまう長秀。

現代でいう癌と思われる病に伏した長秀は病床で切腹、自ら腹の中から取り出した一物…癌?を秀吉になぞらえて切り刻むのでした。
秀吉が出世していくことを見抜く賢さと倫理に反することが出来ない善良さを持つゆえに思いのままに行動できない…でもそれを受け入れて悟りきることもできない…長秀の苦悩は現代人にもありそうです。長秀は一益より劣っているわけではなく、むしろ多くの人が長秀のような苦悩、割り切れなさを引き受けることが、穏やかな世の中にしていくためには必要なのではないか、そんな気がしてきます。
長秀の心理の変化をたどることで歴史の変化も描いていく清張の筆力を感じる短編です。
ちなみにブログ中の写真は丹羽長秀とは関係なく、石垣と石段は
小諸城址のものです(念のため)。





































































