
畳にバスタブ? 父のコレクション?
要介護4になった父のために7月中旬から訪問入浴を利用しています。

畳の上でお風呂に入るなんて妙なものです。父の和室には仏壇があり、
母や祖母、曾祖母、大正時代に亡くなった曽祖父らの位牌が並んでいます。仏間が風呂場になるとは先祖代々の霊もびっくりしているかもしれません。
介護ベッド脇に組み立て式の浴槽を置くスペースを作るために父の部屋にあった家具を移動し、大量の物を運び出しました。
両親の本やCD、洋服、道具箱など諸々のものは押し入れや納戸には
入りきらず、リビングに並んでいます
父の定年退職を機にここへ引っ越してきてから30年近く、実にあれこれや
ためこんでいます(お金以外)
特にあきれるのは肩こりや足腰の痛みを抱えた父が買った健康機器のあれこれ。
亡くなった母が言っていました。「うちのお父さんはよそのお父さんが骨董や切手を集めたりする代わりにこういう変なもの(健康器具)をコレクションするのよ。宣伝文句ほどの効きめはないけど買うのが趣味みたい」
既に処分しましたけど、現役のころはエアベッドやウォーキングマシンを
買ったこともあったようです。母いわく「歩くのに何で機械が要るのかしら?
散歩に行きゃいいのに」
枕元の引き出しから出てきた単3電池で動くミニマッサージャー。
ピンクの方は既に母から私がもらっていましたが、もう一つ、
グリーンのものが発掘?されました。ペアで買ったのでしょうか?

これは2020年頃でしたか、「寝ながら肩こりを治したい」ということで、
はるばる有楽町のビッグカメラまで行って買ったマッサージピロー。
この時に椅子の背にとりつけて背中から腰をほぐす機器と足を突っ込んで足裏とふくらはぎを揉む機器も買いました。

店のスタッフからは座るだけで全身をほぐす大型のマッサージチュアを勧められましたが置く場所がない(使わなくなった時の処分も大変)なことを私が
説いて阻止しました。思えばあれが父が都心に出た最後。
仏壇脇の隅から発掘?した時、思わず「なにこれ?」と叫んだのが
この肩たたき機。肩にひっかけて使うのですが、
重くて持つだけで手がだるくなるので私は使う気になれません。

わりといろいろな機能がついています。

ちなみに電源をいれて「リズムたたき」にすると、特撮番組?などに出てくる
マシンガン風武器のような音が出るので、何だか勇ましい気分になります。子供ならあるいは心が子供の方なら肩にのせる方を前に向けて科特隊ごっこをしたくなる…かもしれません。
電池式ミニマッサージャーは今後も我が家で使いますが、
マッサージピローと肩たたき機は手放す予定です。ただ写真でわかるように
どちらも肩にあてる部分が傷んでいますから売り物にはならないかしら?
それでも一応、リサイクルショップに持っていってみようかしら。
アメンバーの皆様でもしもほしい方がいたら連絡下さい(笑)
寝たきりは痛い
7月だというのに近所のスーパー近くでこんなにきれいに咲いているバラを
見つけました。

父の在宅介護に七転八倒しています。何から書いたらいいものか?
7月初め、退院の日、介護タクシーのドライバーさんに車椅子で住まいの中まで連れてきて頂き、車椅子からベッドへの移動もしていただきました。寝かされても父は具合が悪そうで、「首が痛い」と言い続けているので、何度か姿勢も変えて頂きました。小柄な女性のドライバーさんでしたので、申し訳ないことでした。
これが午前のお話で、午後、訪問医療の先生と訪問看護師さんが来ました。こんなふうに家族以外の人が自宅に出入りするというのはあまり経験がないことです。
さらに訪問看護師さんがいろいろな処置をしている間に近所の薬局に出かけて頂いたばかりの処方箋の薬を受け取りました。午前に出かけて午後にまた出かけるなどという経験もあまりありません。薬局で薬を受け取って帰ろとする時、スマホに「後、どのくらいで戻れますか?」と看護師さんからの電話、まああわただしいこと!
ともあれ、処方された薬のうち、舌の上に直接垂らすリスペリドンという鎮静剤を看護師さんに服用させてもらって父はようやく落ち着いたようでした。
「痛い」、「具合が悪い」と言い続ける父に私が振り回され過ぎていたのでしょうか。帰り際、看護師さんから「お父さんと距離をとって下さい」と言われました。その言葉で私も少し気持ちが落ち着きました。
父を観察していると、不快を訴えているのに、呼吸はいびきをかくような
眠っている感じになっていることがわかりました。「首が痛い」「背中が痛い」という言葉もどこか寝言のような…つまり認知症と約一か月間自宅でないところで過ごしたことからくるせん妄状態なのです。もちろん本人はつらいのですが、
即座にその痛みを取っておとなしくさせることはあきらめて、じっくり向き合うことにしました。時間のゆるすかぎりではありますが。
退院後、初めてケアマネさんが来た時にも父は痛がっていました。。ケアマネさんが言うには「痛いでしょうね。ずっと寝ているから」。同じ状態の老人で父のような訴えをする人は珍しくないそうです。
退院直後の父は食事も水分も口に持って行かなければ摂取できませんでした。訪問医の先生からは「脱水状態」と診断され、在宅で点滴を受けることになりました。看護師さんに元は洋服をかけていた壁のパイプにハンガーで点滴の袋をつるしてもらって父の腹部に腹につないでもらいます。数時間後、点滴が終わったら家族がはずして、お腹につながれたチューブは丸めて医療用紙テープで皮膚に止めます。患者はうっとうしいし、家族は面倒ですね。
一週間ほどで父が少ないながら食事をとれるようになったので、
点滴は終わりました。それでも食欲旺盛とは言えませんので、
メイバランスのドリンクやブリックゼリーも与えています。

食事を出すと「ずっと寝ているからお腹もすかないなあ」とぼやく一方で
成城石井の「焼鮭&おかか野沢菜ごはん弁当」を買ってやると
シイタケの煮物以外すべて食べてしまったのでびっくりさせられたりも
します。
ちなみにこれは自分のために買った「夏のお楽しみ弁当」。星型の
医師からは一日水分だけで1リットル飲ませるようにとのことですので、
吸い飲みにとろみをつけたスポーツドリンクを入れていつも介護ベッド脇の
テーブルにおいています。
ところが「とろみエール」なるものの主成分は
デキストリンつまりでんぷんのせいか、吸い飲みの中にかびが生じやすい
のに気づきました。だから吸い飲みは一日使ったら洗って乾燥させた方が
いいから二つほしいな、買おうかなと思いつつ、家の中をかきまわしていたらもう一つありました(笑)。

500年生きるというケムールさん、地球人も生後90年たつと
水分摂取が大変なのですよ。
私はといえばアキレス腱が痛いです。立っている時間が多いからでしょう。
おむつ替えや陰部洗浄など看護師さんがするのを見て学び、
自分でもおっかなびっくりでやっております。
何だかこの立時間が多くて疲れる感じは
30代半ばで事務所から店舗へ配置換えになったころの
つらさを思い出させます。
何だかまとまりませんが父の介護については今後もぼちぼちとブログに書いていきたいと思います。
父の退院、母の裁縫箱
誤嚥性肺炎で6月初めに入院した父は約一か月入院しました。
この度は命はとりとめましたが、この病気にかかるということは老衰が進んで
いる証拠。
担当医の先生は「ご立派だと思いますよ。日本人男性の平均寿命は80代前半なのに大腸がんに脳梗塞に肝膿瘍までわずらって90歳というのは」
立派なのかどうか不明ですが、へんに生命力が強い?…
7月初めに退院しましたが、入院する前は室内は歩けて、お手洗いも一人で
行けていたのが、ほぼ寝たきり状態で要介護4と認定されました。
入院中に今後の父の暮らしについての打ち合わせのため、病院に行った時、
近くの池にスイレンが咲いていました。でも岸から遠いところにしか
咲いていないので写真はこれが精いっぱい。
この池にはカモもいました。このカモ君たちは人に慣れているのか、
岸近くへ泳いできて愛嬌をふりまいてくれました。動物を眺めるのは
気持ちが和むものです。
6月最終週は介護ベッドをレンタルしたり、ポータブルのバスタブによる
入浴サービスをお願いする関係から、父の部屋を中心に家の片付けで
徹夜はしなかったけれど徹夜したくなるくらいばたばたしておりました。
そんな中…長年使っておりました洗濯機が排水できなくなりました。
急いで買い替えしましたが、納品、設置ができるまでに約一週間…
その間、弟はコインランドリーで、私は浴室で桃太郎のおばあさんのごとく
手洗い…しぼって浴室内につるして、しずくがたれなくなったらベランダへ。
洗濯機の買い替えで何が大変かといえば、古い洗濯機が搬出された後、
新しい洗濯機を設置する前の防水パンの掃除…限られた時間のなかで
カビ除去スプレーをかけてゴシゴシ、ゴシゴシ。
しかもちょうど同じ時間に退院したばかりの父のところへ訪問看護師さんが
来ていました。ひそかにあきれてたかも? 時間をずらしたかったのですが、
不可能だったのです。
介護ベッドは父の退院前に設置できましたが、ベッド脇にバスタブを入れられるめどがついたのは退院して一週間後。入浴を実施できたのは約2週間後。
父の部屋から運び出した本棚やマッサージ機や道具箱などなどで今、リビングダイニングは大変なことになっております(笑)。
そんな中、母の使っていた裁縫箱を処分しました。
写真のようにだいぶ古びております。ハサミなどをいれていた引き出しの
取っ手もなくなってますし。
蓋の蝶番が壊れ、ありあわせのネジで修理した後があります。もうお役御免ですね。
何かに利用できるかも?というような思いで保存していた品も手放すべき時が
きているのでしょう。
少しずつ片付けていくつもりではありますが、今はなれない成人のおむつ交換やベッド上の上方移動や着替え作業でへとへとです。
介護や片付けなどについて少しずつブログに書いていきたいと思います。
書くことで自分の気持ちも整理できていくかもしれません。
いろいろなことがあり、自分が正気なのが不思議なくらいではありますが、
この経験が私をよい方向へ変えてくれますように。
何となく絵画が学べる特撮番組はいかが
7月から始まるウルトラマンシリーズの番組名は『ウルトラマンテオ』とのことです。
番組サイト
「テオ」とはどこかで聞いた名前ですね。
そうあの偉大な画家を生涯支えたといわれる人と同じ名前。
もしかしてこのテオさんにはヴィンセントという名前のお兄さんがいたりしないでしょうか? カラータイマーが『ひまわり』の形をしていて、手を十字に組むと『星月夜』のような光線を出し、耳がセブンのアイスラッガーのような武器になる…
巨大ヒーローとなったゴッホの想像図です。
パイプがご用意できず申し訳ございません。
最近、制作が終了したとのことですが、あのスーパー戦隊シリーズ…
関連サイト
あのシリーズの元祖『秘密戦隊ゴレンジャー』が放送された時、
筆者は既に小学校高学年になっていてこの類の番組を
視なかったので、あまり知識がありません。
5人ほどしかいないのに大戦隊と称したり、人件費削減のためか
3人になったこともあったようですね。
それでもメンバーにジャパン、フランス、アメリカなど国の名をつけた
『バトルフィーバーJ!』は数話視たことがあります。
番組サイト
他にもいろいろな国や地方をメンバーにしてそれらの
さまざまな文化、歴史等を織り込んだ番組を作ったら
面白いのにとも思いました。
30代でアイルランドを旅した時、私があのドラマを企画したら
緑の戦士は「バトル・アイルランド」にして、
マスクにシャムロックの葉をつけさせるだろうと考えました。
緑豊かな国ですから。
シャムロックについてはこちら
「バトル・スコットランド」を登場させるならマントがタータンチェックかな?
もしも視聴する子供たちがなんとなく絵画を学べる戦隊シリーズを作るなら、
やはり「バトル・ゴッホ」は黄色の戦士でしょうか。
赤の戦士、リーダーは葛飾北斎かしら?
マントかボディに赤い富士山が描かれた「バトル・ホクサイ」。
番組名は『絵画戦隊ペインターファイブ』?
5人が力を合わせて繰り出す技は「カナガワオキナミウラ」?
青の戦士は…ピカソに「青の時代」があるけれど、
亡くなってから70年経っていなくて、関係者が存命な人は
何かと面倒ですね。
ついでではございますが、誤嚥性肺炎で入院していた父は命はとりとめました。しかし退院しても寝たきりに近くなるようです。そんなわけで介護ベッドが搬入するため、父の部屋のあれこれを運び出さなければならず、バタバタしているところへ洗濯機もこわれかかり、買い換えることになりました。
というわけでストレスがかかる中、息抜きにつまらぬことを考えております。
何となく何かが学べる?ヒーロー番組については
続きを書きたいと思いますが、
メンバーにつきましては全て折り紙のやっこさんで表現させていただきます。
何卒ご了承くださいませ(笑)。
白百合、アガパンサス、母の?アジサイ
5月末、買い物に出た時、スーパー近くの寿司屋の店先に白百合が咲いているのに気づきました。
さわやかな写真が撮れたと思ったのですが、パソコンで拡大してみると花びらの端にわずかに傷みが見られます。先日アップした白いアマリリスもそうですが、純白の花は傷みが目立ちやすいですね。
ちなみにこの日、熱を出して食欲のない父のためにプリンか
ケーキを買おうかと思っていたのですが、コンビニスイーツといえども400円以上するなど高く、結局いつも買う100円ちょっとのロールカステラを買いました。
このユリを小さくしたような花をたくさんつけるのがアガパンサス。発熱外来の医院近くで咲いていました。6月9日の写真ですから今はもっと青みが強くなり沢山開いているでしょう。

2018年に亡くなった母が大好きだった公園のアジサイの
6月16日の写真です。

まさに満開、見とれながら写真を撮っている時、一羽のモンシロチョウが
ひらひら飛んできて足元に来ました。何だか母の魂?のようにも思えて
「おかあさん」とつぶやいてしまいました。

ここのアジサイの不思議は青い花とピンクの花が混じって咲いていることです。

アジサイは酸性土壌だと青い花、アルカリ土壌だとピンクの花になると言われます。庭のアジサイの色が昨年と変わったことから死体発見につながるミステリードラマも以前視たことがあります。原作を探して読んでみたいものです。
実際にはアジサイの品種などによっていろいろのようですが、ここのアジサイはこんな風に一つの花房の左側の青みが強く、右側がピンクとハーフ&ハーフ?で咲いているのもあります。

暑くなったし、このアジサイの形に似たハーフ&ハーフのアイスクリームコーンでも食べたくなりましたが、高いのでまだ食べておりません(笑)。
クレオメの思い出、初めての肺炎
1970年代後半のお話です。
祖母のいとこ=当時60代の女性がその父親(当時90代)と
暮らしておりました。最初その父の方が発熱し、肺炎を起こし、
看護しているうちその女性も感染し、二人とも入院。
父親の方が命をとりとめて娘の方が亡くなってしまいました。
「あのおじいさん、よほど生命力が強いんだねえ」
いとこの葬式に行く時、祖母が言っていました。この数年前に
会った時、そのおじいさんは胸元まである真っ白な長いひげがあり、
作務衣にちゃんちゃんこだったか和装で、何だか昔話の本から
抜け出したようにも思えました。後から聞いたのですが、
元教員で戦時中、森鴎外の『護持院河原の敵討ち』を
授業で取り上げたことを問題視され、終戦まで
教職を追われていたとのこと。
父を遺して亡くなった娘の方は戦争で夫を失って以来独身で
やはり教員だった人。一度妊娠したけど胞状奇胎で、
そんなこともあって一時期精神を病んで家にこもっていたとか。
祖母と父によれば私はこの方によく似ているそうです。
理屈っぽくて色気のないところが…
ともあれ、私たちがこの父娘と同じ運命にはならずに済んだようです。
6月20日現在、私は平熱で咳もあまり出ません。
胸元のもやもやがとれませんが来週には病院に父の面会と
今後の打ち合わせに行きます。
6月9日、医者に行く途中、近所の公園でクレオメが咲いているのを見ました。

クレオメの花を初めて見たのも70年代後半のこと…母と二人で歩いている時、道端の高いブロック塀の前に咲いていました。この塀の家の人が種をまくか植えたのでしょう。母は「きれいな花だね」と感嘆していました。灰色の塀が背景でしたから、より華やかにかわいらしく感じました。
クレオメ(Cleome)という名がわかったのはその頃、家に送られてきた園芸会社のカタログに載っていたからです。花の形が蝶に似ていることから和名をセイヨウフウチョウソウ(西洋風蝶草)というそうです。確かに風にゆれると蝶のようです。
6月18日、2度目の内科医の診療を受けた日のクレオメです。大きく咲き進んでいます。母がもし生きていて見せてあげたらやはり「きれいだねえ」と喜ぶでしょう。

細長いつぼみが開くと蝶の形になるのも、開く直前のつぼみの形も不思議。
花びらより倍も長いおしべとめしべがクモの脚みたいにも見えるので
英語名はスパイダーフラワー(spider flower)とのこと。
確かに美しい花ですが、一体どんな構造になっているのかと
ついついじっと見入ってしまいます。ひょんなことから動き出したり、
飛んだりしそうな…悪い宇宙人がエネルギーを送ると
ピンク色の巨大なクモ怪獣?になりそうな気もしてしまいます(笑)。
母と散歩でよく見ていたガクアジサイも見ごろを迎えています。

軽いながらも肺炎と言われてビビりましたが、
38度熱が出た時でも父とちがってずっと食欲はありました。
ステーキや焼き肉をもりもりというわけには行きませんが、
パン、餃子、ラーメンなどの炭水化物は食べたくてたまりません(笑)。
2度目の内科受診の後、温かくて滋養のつきそうなものが食べたくて
中華料理店で鳥そばをいただきました。久しぶりでおいしかった
…昨年前半までは体調が落ち込んだ時は上野駅構内にある
ヴィーガンラーメンの店へ行っておりましたが、そのようなところを
家の近くでも見つけておくべきかもしれません。
白いアマリリス、父の緊急入院、野沢菜しぐれ
5月中旬、父を散歩させた公園の花壇に白い大きな花が咲いているのが見えました。ユリかと思って近くへ行くと白いアマリリスでした。初めて見ます。

つぼみもきれいです。

ところで父の車椅子散歩はあれが最後になってしまうかもしれません。
というのは6月初めに父が入院してしまったからです。
数か月前から食欲が落ちてきているのは感じていました。特に朝、起きた時
「気持ち悪い、具合悪い、食べたくない」というような意味のことを言っていました。それでも体温は平熱で、寝たいだけ寝かせておくと
のろのろでも起きて自分で着替えをしていました。
5月末に訪問医療の先生が来た時には体温も血圧も正常でしたが
その翌朝、起こした時に「頭が痛い」というので検温すると37.2度でした。
ただしばらくすると起き上がってごはんとつけものを食べて
テレビを視ていたので、この日行く予定だったデイサービスを
休みたくて発熱したのかなと思ったのですが。
翌日、父を起こすと起きてたちあがりはしたものの、
「頭が痛くてたまらないからすぐに頭痛薬をくれ」と言います。
頭痛薬をのむには何かお腹に入れる必要があります。
それでロールカステラを小さく切って食べさせ、
家にあった鎮痛剤をのんでもらいました。
尋常ではないと思い、訪問医の先生に連絡、その翌日に臨時往診してもらい、血液検査をして、カロナールとオーグメンチンの処方箋をもらいました。
ところがオーグメンチンの在庫が最寄りの薬局にありませんでした。
入荷しにくい薬とのことです。
ちなみにこの薬はこの翌日出る血液検査によっては
のまなくてもいいかもしれないとのことなので翌日、
別の薬局へ行くことにしました。
次の日、訪問医から電話があり、「やはり血液検査の結果では炎症の可能性があり、入院した方がいい病状、オーグメンチンは入院を待たず一刻も早くのませるべき」と言われたのでバスに乗ったところにある大きめの薬局へ
走りました。家に戻ってカロナールとオーグメンチンをのませると
いくらか頭痛も体温も動きにくさも落ち着いたようでした。
病院は決まったものの、受け入れが可能なのは翌日、
しかも父を運ぶ福祉タクシーの手配がつかず、
結局入院できたのは午後でした。
入院する前の晩、薬を服用させる前に少々のご飯と
前回のブログで紹介を忘れていた信州土産です。父が好きそうな品ですが
真空パックなのでもっと日が経ってから食べさせるつもりでした。
でもふと思って開けてみました。
パッケージの写真ほどの存在感がなく、昆布やしらたきや
トウガラシが目立ちます。どれも発熱し、食欲の落ちた老人に
適したものとは言えません。海藻やこんにゃくで窒息すると
大変なことになりそうで。
でもひょっとするとこれが父の最後の食事になるかもしれないのです。
父に「味見してみる?」と訊いた上で
比較的喉を通りそうなものを選んで、少しのご飯と口に運びました。
すると「うまいな」と言ってくれました。「お茶漬けにすればおいしいぞ」とも。
とブログをお読みの介護中の皆さんにはまねしてほしくないことを
してしまいましたが、、父は何とか生きているようです。
病院から何の連絡もありませんから。
診断は誤嚥性肺炎ということです。
父を入院させた翌日から私に喉の痛みと微熱が出ました。
家で静養しても治らず、2日後には一時的ですが
38度台の熱と咳もひどくなりました。
特に夜、寝ているとお腹から絞り上げるような?咳が出て
とまらないのがつらいです。
この手の症状があると面会ができないらしいので病院に問い合わせると
コロナとインフルエンザでないことがわかれば病院指定のマスクをするなど
条件付きで面会できるかもしれないとのこと。
というわけで発熱外来を受診しました。
コロナもインフルも陰性でしたが、レントゲンと血液検査の
結果、軽い肺炎を起こしかけているとのこと…
幸い、発熱外来で処方してもらった薬を服用してからいくらかよくなりつつ
あるようですが、本日(6月13日現在)、まだ熱と咳が出ます。
いささか親不孝ではありますが、来週まで
面会に行かず、ごろごろしようと思います。
信州初夏の旅 お土産編
5月の信州の旅で会った友人からたくさんお土産をもらいました
このうち『おばすて味噌かけくるみ』と『おばすて味噌キャラメルポップコーン』は
テレビを視ながらまたたくまに食べてしまいました(おいしかった!)
風雅なパッケージに入った『そばの華』は中心部に煎ったそばの実のある
クッキーです。やさしい味でこちらはゆっくり頂いております。
『アップルシナモン』は我が家にとっては贅沢品のブルガリアヨーグルトと
いっしょにいただきました。これも美味でした。
柳町の菱屋さんで自宅用に買ったのは『華城下』なる味噌。こちらは今使っている味噌が終わったら味わってみます。
とまあ、もらってばかりの私です。
ついでですが、旅から帰ったら弟がベランダでなんとなく育てているらしい
菜の花が貧弱ながら今頃さいていました。
信州初夏の旅2026 つづき 上田城址公園の枝垂れ桜の実、人生で最も高価な天ぷら
5月の信州の旅、2日めです。
宿泊は上田第一ホテルでした。エントランス脇にアイリスが咲いていました。
またこのホテルの前にもスズランが生えているのに気づきました。もう1週間早く来ていたら花が見られたでしょう(我ながらスズランへのこだわりが怖い)

前の晩、コンビニで買っておいたパンとロビーの無料コーヒーで朝食。チェックアウト後、ホテルに荷物を預けて散策に出かけました。。
この日は水曜日なので池波正太郎真田太平記館も上田市立博物館も休館。
上田城址公園の山極勝三郎の胸像にご挨拶。

GWが終わったばかりだからか、上田城址公園のあちらこちらが
工事中。バリケードにお城の紹介記事がありました。
枝垂れ桜の実。
春の花も美しいですが、実にも観賞価値がありますね。
そしておもてなし武将隊の幸村様にも謁見。

その後、柳町の武田味噌の店、菱屋で自宅用に味噌を買いました。

昼食は前回ここを訪れた時、閉まっていた手打百藝おお西に入りました。
この店の前にある兵馬俑のレプリカをどうやって中国から持ってきたのか
伺いたかったのです。
飛行機の席を取ったのではなく、船で送ってもらったそうです。
この日お勧めの山菜(山うど)の天ぷらと発芽そばを頂きました。


発芽そばについてはこちら
おお西様HP
https://www.ohnishisoba.com/?page_id=66
ちなみに店先に「山菜天ぷら」1650円と書いてありましたので
山菜の天ぷらそばが1650円なのかと思いましたが、山ウドの天ぷらだけで
このお値段でした! おそらく私にとって空前絶後の高価な天ぷら!
おお西様店先のカメさんとつくばいが涼し気。

昼食後はホテルで荷物を受け取り、これ以上出費しないように
早々に新幹線で帰りました(笑)。
信州初夏の旅2026 長野県立美術館『東山魁夷館コレクション2026 第Ⅰ期』
5月の旅の続きです。

友人の車で長野駅まで送ってもらった後、バスで善光寺大門へ。
恒例の善光寺参りをいたします。

本堂にスロープができていました。これで車椅子やベビーカーでも
おびんずる様の腰をありがたくなでさせていただいた後、
長野県立美術館へ

『東山魁夷館コレクション2026 第Ⅰ期』を鑑賞します。

展覧会サイト
https://nagano.art.museum/exhibition/higashiyama2026_1
『花明り』は有名な絵ですが実物を見ると桜の描き方の緻密さにため息。
会場は撮影禁止でしたが、こちらでごらんになれます
https://www.higashiyama-kaii.or.jp/%E8%8A%B1%E6%98%8E%E3%82%8A/
『あぶり餅』はこの御餅を売っている店の絵ですが、そばで見るとどちらかというとラフなタッチなのに離れてみると店の活気、餅のおいしさ?が感じられるほどリアルなのが不思議。
複製ですがこちらでごらんになれます。
https://cdbid.waterhop.sbs/index.php?main_page=product_info&products_id=2799362
そしてぜひ実物を見たかったのが『緑響く』。私はこの絵のクリアファイルを
友人に贈り、その後自分でもほしくなって買ってしまいました。クリアファイルの写真ではわかりにくいかと思いますが、実物を見ると中心部の緑の樹の間に吸い込まれそうな気分になりました。水に映る白い馬や樹々の影の描き方も絶品です。平日で空いていたのでこの絵の前のベンチに掛けてしばしぼうっとしてしまいました。

奥穂高渓谷の夕暮れを描いた『夕静寂』も滝のマイナスイオンが漂ってきそうで、つらい時に眺めるためにクリアファイル買いました。

東山魁夷が15歳の時に描いた自画像も展示されていました。とてもかわいい
少年だったようです。下記でごらんになれます
https://www.higashiyama-kaii.or.jp/%E8%87%AA%E7%94%BB%E5%83%8F/
1944年、36歳の時に描いた『すみれ』はとてもかわいい絵ですが、すみれの花の色が紫ではなく、見事に藍色。藍色のすみれがあったのかそれとも絵の具の色が変わったのか? ちなみにこの画像は見つかりません。
絶筆の『夕星』。ちなみに読み方は「ゆうせい」ではなくて「ゆうぼし」。

「これは何処の風景と云うものではない。そして誰も知らない場所で、実は私も行った ことが無い。つまり私が夢の中で見た風景である」とのこと。
そのせいか幻想的…画面左と右で生えている樹がちがい、
あるいは季節もちがうような…描かれた4本の樹の高さや形が皆違うのも何かを語っているような? これもクリアファイルではわかりにくいですが星の描き方もどこか絵本風?
作品は撮影禁止ですが通路に図書の展示コーナーがありました。そのうち
読んでみたいものです。
足休めを兼ねて魁夷の画業を紹介する映像も見ました。
帰り道、善光寺のお守り等の販売所の裏で、
咲き残りのスズランを見つけました。

善光寺参道に垣根にスズランが生えている宿坊がありますが今年は
花が終わってしまっていましたからラッキー。

バスで長野駅に向かい、駅ビルで夕食用のお焼きを買い、しなの鉄道でホテルを予約した上田に行きました。







































