『戦争の記憶-横浜と軍隊の120年』(横浜都市発展記念館)
既に終了した展覧会で恐縮ですが、4月10日、横浜都市発展記念館の『戦争の記憶-横浜と軍隊の120年』を鑑賞いたしました。

展覧会サイト
http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/feature.html
雨、風の強い日でしたので少し迷いましたがやはり見ておこうと思ったのです。
明治44年の『東京市全図』。


展示物の撮影が許されていたのはここまででした。
横浜の近現代の始まりはやはりペリー来航から…『黒船来航画巻』や「ポーハタン」艦上の宴会図など。
神奈川区にある砲台跡、日の出町にあった軍事拠点だった太田屋陣屋、三春台の兵隊山など自分にもなじみのある地名が登場して、ずしんと来ました。
西南戦争の死者の慰霊碑、招魂社(野毛山)があることも初めて知りました。
この時、太田房次郎なる若者が徴兵されていく図を描いた『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』(1877)では黒い軍装をまとった房次郎に父が自分の小指を切って渡していました。
1908年に来たアメリカ艦隊についてのコーナーは黒船ならぬ『白船来航』。
『米国艦隊歓迎演芸梗概』(1908)の冊子の表紙は花盛りの桜に朱塗りの橋。
いろいろな出来事の記念として人気があったのは絵葉書とそれをまとめた
絵葉書帖だったようです。『日露戦争関係絵葉書帖』(1905)、『陸軍特別大演習絵葉書』(1921)、『海軍大演習観艦式記念絵葉書』などには桜や紅葉などの挿絵も入っていました。第一次世界大戦後の『平和記念絵葉書』(1919)には各国の国旗とオリーブの葉の輪、上半身は裸でロングスカートの平和の女神?が描かれておりました。
1939年、日米関係が悪化する中でワシントンで亡くなった駐米大使斎藤博の遺骨を届けるために来たアストリア号についての展示には浅草の雷門前で観光するアメリカ兵たちや満開の八重桜にキスしながらアイドル風に微笑む若い兵士の写真がありました。
第2次大戦中、「本土決戦―地域の軍事化」のコーナーには戸塚海軍病院の看護婦の帽子が展示されていました。茶色のビロード風の生地で正面に大きなリボンが縫い付けられ、小さな赤十字がついています。
「敗戦と占領軍の駐留」のコーナーでは占領軍向けのバーやホテルの宣伝カード、映画やスポーツなどのエンタメガイド、東京や横浜の観光ガイドが展示されていました。面白いと思ったのはお土産用の煙草セット。銀色で彫金?で桜?の模様をつけた盆に富士山や横浜税関の建物や椿?の模様の灰皿、シガレットケースの蓋では赤い着物を来た日本髪の女が港を見ています。写真撮影禁止でしたが、下記Xでごらんになれます。
https://x.com/yoko_tohatsu/status/2019914702994960533/photo/2
この展示を見た後、同じ建物にある横浜ユーラシア文化館の常設展示も鑑賞。
3~5世紀のシリアの美しいガラス香油瓶。
この日は『戦争の記憶』展示のボリュームがあって疲れていたので、今回はあっさり。また天気のよい日に行きます。




