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鎌倉歴史文化交流館 企画展『没後800年 北条政子―鎌倉を生きた女性たち』及銭洗弁財天の白梅

鎌倉歴史文化交流館の企画展

『没後800年北条政子―鎌倉を生きた女性たち』の
展示は別館で一度外に出てから入ります。
 

展覧会サイト
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/rekibun/2025_12_hojomasako.html

 

岩崎家の所有であった頃に造られたものといわれる三つのアーチ状の横穴、

その左隣に中世に遡る「やぐら」が望める庭園もすてき。

澄んだ湧き水?もあります。


本館の展示はほとんどが写真撮影が許可されていましたが、

企画展『北条政子』は撮影可能なものと不可のものがありました。


『吾妻鏡』の承久の変の際の政子の御家人たちへの言葉の部分の展示。

最近の歴史番組によれば、政子が尼将軍と呼ばれたのは、

その権力を皮肉られたのではなく、実際に将軍としての役割を果たしていたからとのこと。

『吾妻鏡(関東将軍次第)』には実朝と頼経の間に「平政子」

すなわち北条政子の名前があり、実朝の後の将軍として
認められていたことがわかります。


名君として名高い唐の太宗の著書『貞観政要』の複製も展示。

政子も『貞観政要』を仮名で書かせて読んでいたとのこと。


室町時代に書かれた『樵談治要』。

女性が政治を行うことの正当性と政子が『貞観政要』を読んでいたことを伝えています。


源義経、藤原泰衡など頼朝の奥州攻めで亡くなった武将たちの

鎮魂のため建立されたと言われる永福寺遺跡から出た

数珠と白磁の壺ががとてもきれいです。



頼朝と政子が住んだ大倉幕府跡から出土した南宋時代の青磁劃花文碗。
この花のライン、好きです。



同じく大倉幕府跡から出た漆の皿と白磁四耳壺。

政子が使っていたとしたら、趣味がいいですね。



鎌倉中期から南北朝時代の武家屋敷の遺構と考えられる

今小路西遺跡から出た鏡、櫛、はさみ等

女性の暮らしをしのばせる品々。

 

写真ではわかりにくいけれど鏡の模様には平安時代の繊細さがあり、

鎌倉時代初期のものと考えられるとのこと
政子もこういうのに顔を映していたのかしら?

同じく市内で出土した紅皿。花の形が可愛いですね。


江戸時代までの政子像の変化についての説明。



幕末、慶應3年に二代目歌川広重が描いたにかれた風刺画『鎌倉栄餅春』の
中の江戸城大奥風の北条政子。


明治時代に出た『かるたあわせ鎌蔵武勇六家仙』に時政や義時らと描かれた
北条政子。義経と実朝も服装が思い切り明治風。



北条秀司の戯曲『北條政子』、私も読んだことのある永井路子の

小説『北条政子』の原稿も展示されていましたが、写真禁止でした。

北条秀司の戯曲、読まなきゃ。

展示を見た後、銭洗弁財天まで歩きました。途中、休業していた飲食店の
垣根から咲いていた紅梅。

 



銭洗弁財天の金運を呼ぶ湧き水でクレカ洗っちゃいました(笑)
ここの境内では白梅が見ごろでした。

 


 

鎌倉歴史文化交流館 ハンズオンコーナー等

2月13日、企画展『没後800年 北条政子―鎌倉を生きた女性たち』
を鑑賞するために鎌倉歴史文化交流館へ行きましたl

ここへ行くのは初めて、スマホが教えてくれた道が引っ越し作業中か

何かで通行止めになっていてちょっと迷いつつ到着。

北条政子の展示は別館の考古展示室でしたので、

先に本館の常設展示を見ます。

 

最初に迎えてくれたのが畠山重忠所用の大鎧の模造。

頼朝でも義経でもなく、畠山重忠。

大河ドラマの影響で近年人気なのでしょうか。


順路1の通史展示室で鎌倉の歴史のダイジェスト映像を

足休めがてら視ました。
昔、講演を聴いて直接お会いしたことがある

歴史小説家の永井路子氏がアップで登場されたので

懐かしさと同時に若い頃の元気が少々戻ってくる思いが
いたしました。

 

永井路子についてはこちら
https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009250692_00000


ガラスケースの中には江戸時代に出た『頼朝一代記』がありました。

治承4年の挙兵の場面。頼朝は義経に比べると人気なさげなのですが、

こんな草紙があるのですね。

江戸時代後期の源平合戦図屏風も展示されていました


中世展示室には武具や馬具の他、この時代に中国から渡ってきた

青磁、白磁などの陶磁器が多く陳列されていました。

 

 

こんなに小さい破片ながら赤と白の魚が泳ぐ皿

 

大陸由来の品々は鎌倉武士にとってステイタスだったとのこと。

 

日本国内の各地からもいろいろ鎌倉に来ています。

 

この時代にまじないに用いられた札や人形もありました

 

楽しかったのは発掘品に触れることができるハンズオン展示。

永福寺遺跡のから出た瓦は重くて大変でした。

 

 

陶磁器類のハンズオンコーナーでは中国から来た青白磁梅瓶と

赤間ヶ関硯に触れて祈りました。

「パンダがまた日本に来てくれるように」と

「少しでも字を書くのがうまくなるように」と。

 

近世、近現代展示室の「大正関東地震被災資料」

当時の暮らしを物語るインク壺や徳利、ガラス瓶。



鎌倉小原牧場の牛乳瓶。青いガラスでおしゃれですね。


つづく
 

 

金谷ホテル歴史館・侍屋敷及びお土産

今回の旅、最後の観光は金谷ホテル歴史館。金谷ホテル創業者金谷善一郎が自宅の
一部を改装して開業した金谷カッテージ・インの建物と資料館。

入場料は隣接するレストランのレジで支払い。レストランの中から渡り廊下を通って
見学。

資料館ではガラスケース内に陳列された宿帳や昔使っていたカトラリーなどを鑑賞。
その後、入った金谷カッテージインの建物は現存する江戸時代の侍屋敷としても
貴重ですね。パンフによれば日光奉行所役人の住居として建てられたものを1800年頃
金谷家が拝領したとのこと。やはり代々優秀な家系だったのですね。スタッフの方が
江戸時代からの部分と明治になってカッテージイン開業のために増築した部分の境目を
教えてくれました。江戸時代からある部分は明治に増築された部分に比べて天井が低いのです。それは刀を使いにくくするつまり安全確保のため。刀をふりあげれば天井につかえてしまうのです。玄関をあがった控えの間の襖をあけるとそこは階段。それも武家風の安全のためとのことです。


イザベラ・バードが滞在した部屋は小さな滝と川のある裏庭に面していて、水の音が絶えず
聞こえていました。昼も夜もさぞかしここちよかったことでしょう。今までいろいろな
現存する江戸や明治の御屋敷を見学したけれど、ここが一番「私も住んでみたい」
気分になりました。

昼食は金谷ホテル歴史館のレストランでビーフシチューのセット。パンもシチューも
最高に美味でした。


ホテルに荷物を取りに戻る途中、友人が「太郎杉」を教えてくれました。昭和30年代に
周辺開発のため伐採されるところを裁判で争って守られた樹なのだそうです。

こういう樹に出会ったら、手をふれてパワーを頂きたいところですが、道路の交通量が多すぎて断念。
でも日光ではこの川の流れを眺めているだけでも元気がわいてきます。


河岸から見た金谷ホテルの建物。


ホテルの前庭から見える男体山。

金谷ホテルに戻って荷物を受け取り、
タクシーで東武日光駅へ。友人が手配してくれた特急けごんに乗って帰ります。
座席がよく設計されているのか、とても心地がよくて眠ってしまいました。

父の夕食にと、東武日光駅で湯葉ばら寿司(850円)を買いましたが、
帰ると父は寝てしまっておりましたので、自分で食べました。
おいしくて彩りもきれいでした。


 

他に今回のお土産は金谷ホテルの売店で買った「金谷カステラ」


このホテルのマークである笹竜胆は金谷家の家紋とのことです。カステラにも
しっかり笹竜胆…中村屋とコラボとのことでおいしいカステラでした。


同じくホテル売店で買ったのが「きぬの清流・とちおとめ餡」
とちおとめの餡というのに興味をひかれました。

形からは最中かと思ったのですが、パイ?に近いお菓子。いくらか赤い
いくらかいちごの味のする餡がサンドされておりました。

外装の色がピンクなのも気分があがりますし、もし今勤めていたら、

これを職場への栃木土産にする
でしょう。

それから金谷ホテル歴史館売店でバーゲン価格となっていたマグカップ(¥400)と
トートバッグ(¥500)。

実は我が家の家紋もおそれながら丸に笹竜胆。家紋付きの
カップとバッグが手に入ってラッキー?

 

日光二荒山神社、大猷院

2月7日、日光の旅の続きです。

前日にもお会いした?勝道上人銅像に朝のご挨拶をして輪王寺境内を通り、
日光二荒山神社に参拝。福と縁結びの神とのことで…お金に縁ができるようお祈りしました。この神社にもいろいろと見るべきものがありますが、介護を抱えての弾丸ツアー?の
ため、お参りのみ。

 

本殿前に設置されている大きなラピスラズリを掲げた
金色のうさぎがかわいいですね。

ここでは節分の福豆もいただきました。
家に帰って食べたところ、香ばしくてとてもおいしい御豆でした。どういう
炒り方をしているのでしょう。

 

大猷院仁王門、真っ赤な筋肉もりもりの体に青いひれ、金色の角みたいに見えるのは髪を束ねる布? 

彩色が鮮やかで迫力満点の密迹金剛と那羅延金剛。


大猷院(たいゆういん)サイト
https://www.rinnoji.or.jp/history/temple/taiyuuin.html

大猷院サイトには「祖父である「家康公」(東照宮)を凌いではならないという遺言により、

金と黒を使用し重厚で落ち着いた造りになっています」とありますが、
通訳ガイドをしている友人の話では大猷院は東照宮を建立した職人らが円熟期に入って取り組んでいるので、

東照宮よりさらに洗練された魅力があり、東照宮だけ見て、
大猷院を見過ごすのはもったいないのだそうです。


手水舎も重要文化財。

写真ではわかりにくいですが天井に龍が描かれています。


家光の忠臣、梶定良(梶左兵衛佐定良・1612~1698)の位牌を祀る龍光院。
ここから先は立ち入り禁止となっていましたが、左の灯籠の列の向こうに
小さな滝があり、そこから流れる水の音に心が洗われるようでした。


龍光院については詳しくはこちら
https://www.rinnoji.jp/signboard/qr0013.html

 

ちょっと急な石段をあがり、二天門へ。屋根を形作る木材の先にも葵の紋所が…確かに
東照宮よりもさらに繊細な作りに思えます。


 

緑の顔にロイヤルブルー?の地の服と鎧、背景の赤い炎にも金色の縁どりの持国天。


赤い顔にやはりロイヤルブルー?の地の服と鎧、花菱?の赤い模様がちょっとかわいい?
増長天。


真っ赤な顔に逆立った茶色い髪、緑のスカーフ?ちょっと愛嬌のある雷神…
むかし話絵本に出てくる雷様風

緑色の顔に髪はカールしている?風の入った袋もおしゃれな花柄、下界に何か不思議な
ものを見つけたような表情の風神。

 

二天門を出たところの展望所からは先ほど龍光院と石灯籠の列を見下ろすことができます。
説明には天上界から人間界を見下ろした風景を思い出させるとありますが、
人間界こんなに静かかしら?

 


鐘楼も

 

鼓楼も凝った造り…

 


夜叉門の顔と体が赤い毘陀羅(びだら)、着ている服がちょっとかわいい?


緑の体に金のスカーフ、立てている指がちょっとかわいい?阿跋摩羅(あばつまら)


 

白い体に頭には角、緑の水玉のブーツ風?履物がかわいい?犍陀羅(けんだら)


そしてHPで「全国でもめずらしい仏様」という烏摩勒伽(うまろきゃ)

青い顔と体に金色の服、その下から象の顔をした水色のパンツ?がのぞいています。確かに珍しいかも。
「阿跋摩羅(あばつまら)、毘陀羅(びだら)、烏摩勒伽(うまろきゃ)、犍陀羅(けんだら)」
この四人の夜叉の名前をおぼえて、つらい時に呪文のように唱えたら…何とかなるかも?
そして夜叉たちの背後の金色の大輪の牡丹の唐草…夢に出てきそうな気がしました。

そして唐門…昨年まで時々行っていた上野東照宮を思い出しました。

ほぼ同じ年代に同じ人物(徳川家光)が建てたのですから。

でもこちらの方が落ち着いて上品な感じ。まわりの環境のちがいもあるのでしょう。

 

秋草が彫刻された白い扉が雰囲気をひきしめています。

白龍や丹頂鶴などの彫刻を眺めているだけで何時間もあきないでしょう。

本殿の中も金色で龍がいっぱいの天井や獅子や白象の絵を見ましたが、写真撮影禁止でした。


本殿参拝の後、順路に従って家光の廟の入口、皇嘉門を鑑賞。

白い丸みを帯びた台形の入口の建物…浦島太郎のお話に出てくる竜宮城のようです。
竜宮城は海の中ですし、地上にある場合でも江の島とか、行ったことはないけれど
下関の赤間神宮とか海に近いところにあるイメージ、うっそうとした樹々の中に
建つのが不思議な気もしましたが、この竜宮様式は中国明代に盛んだったものが
日本に伝わったとのことで特に海と縁が深いわけではなさそうです。

徳川家光は子供の頃、春日局に浦島太郎のお話を聞かせてもらったことが
あるのだろうか…などと考えつつ、石段を降りて街へ向かいました。

日光金谷ホテルの朝食、いちごの食べ比べ、山にかかる雲

2月7日、午前7時17分、部屋の窓からの景色。心なしか山々が昨日より

近く見えます。天気が悪くなる前兆です。

]

朝食のメニュー.。飲み物はオレンジジュースにしました。

大きなオムレツにサラダ

そしていちごの食べ比べ。

手前がとちあいか。向こうがとちひめ。とちひめは果皮がうすく、

遠くへ運ぶのには向かない品種なので、ここでしか味わえないとのこと。・

 

朝食後9時20分、部屋の窓から。先ほどまで見えていた山々が

雲で隠れています。

天気予報より早く雪が降り出すかもしれないので

チェックアウトしました。

 

朝のホテル本館。もともとは地下だったというエントランス。

 

ホテルの前庭の池。雪の山?の先から出る噴水がかわいいですね。

 

この写真の右後方、石灯籠の脇から見えている平屋が展示室「金谷の時間」。

 

創立者金谷善一郎の若き日の写真。

ヘボン博士の写真と博士が編纂した『和英語林集成』の現物も展示されていました。

 

金谷ホテルの前身、金谷カッテージインの明治17年頃の写真。

金谷一族の写真。

 

昔使われていた、鶴と桜、ツツジの豪華な刺繍のクッション。

ちょうど現在放送中の朝ドラ『ばけばけ』のヒロインも明治維新で禄を失った武士の娘。でも金谷善一郎は『ばけばけ』の主人公一家のおじいさんやお父さんとちがって商才があり、もとは東照宮の楽人の家だからいくらか財産もあったのかな?などとごちゃごちゃ考えつつ、川を渡って昨日も行った輪王寺の境内を通り、徳川家光の廟所、大猷院へ向かいます。


ホテル近くの神橋(しんきょう)。この川の流れを見ていると力がわいてくるような思いがしました。




 

 

日光金谷ホテルの歴史ツアー、ディナー 初めてのホテルバー

日光金谷ホテル3階の部屋の窓から、午後4時10分前の眺め

 

部屋でお茶を飲んだ後、長い曲がりくねった廊下を歩いてプールへ。

今は使われない季節だけど、欧米のドラマや映画に出てきそうなプールに
日本風の建物の組み合わせが面白いですね。

プールサイドの建物の中にはここからの景観の解説図がありました。


先ほど訪れた輪王寺の伽藍が木立の中からちらりと見えます。


午後5時にロビーからのホテルの歴史ツアーに参加。このホテルの歴史に
興味を持つ人は多いらしく、沢山の人でロビーが満席でした。

ホテルのチェックインカウンターの壁には創立者の金谷善一郎、「ヘボン式ローマ字」の発案者として有名なジェームス・カーティス・ヘボン博士、英国の女性旅行家イザベラ・バードの写真がかかっています。日光東照宮の楽人(雅楽の奏者)だった金谷善一郎と来日したヘボンとの出会いから金谷ホテルが始まったとのこと。イザベラ・バードはヘボンの紹介で金谷ホテルの前身となる「金谷カテッジイン」に逗留し、それを著書『日本奥地紀行』に書くことによって日光の素晴らしさを海外へ伝える―現在のインフルエンサーのような役目を果たしたとのこと。

イザベラ・バードは昨年初めに観た演劇公演『トップガールズ』の登場人物の一人、思わぬところで再会?いたしました。

チェックインカウンターに置かれた松の盆栽と灯籠風の照明も素敵。

 

二階の昔、食堂として使われていた部屋。伊藤若冲が描いた『花卉図』に似ている天井、ギリシャ神殿風?の柱に彫り物のぼたんの装飾。


壁には十二支の彫刻、その下の台には昔は扇風機が載せられていたそうです。

驚くべきことに一番古いこの本館、建設当時の1階が現在の2階、現在、エントランスのある1階は地下を掘って作ったとのこと。掘手はなんとその頃のホテル従業員だったとか。

現在のエントランス上部の彫刻の写真。周りの長押?がガラス戸をふさぐように取り付けられているのはもともとはここが入口?だったせいでしょうか。



 

東照宮にもあるけどこのホテルにもある『眠り猫』

 

ディナールームの暖炉の上にも迦陵頻伽の彫刻があります。



夕食のオードブルはかぶのムース

 

カボチャのポタージュ

 

メインディッシュは「オーストラリア産仔羊とカブのロースト ジュ・ダニョー、
栃木県産色々きのこのガレットを添えて」(長い)

 

ソフトクリームにいちごのムース、豪華なデザートがうれしいですね。

 

部屋に一度、引き取ってテレビで冬季オリンピックのフィギュアスケートの団体戦を視てから1Fのバーへ。先ほどのホテルの歴史ツアーでバーカウンターが大谷石と聞いて興味を持ったのです。その際入口のテーブルにあったメニューで価格をチェックしてこれなら何とかなりそうだったせいもあります。(1人様あたり¥600のカバーチャージあり)

平素、アルコールを飲まず、カクテル類の知識もない私。ノンアルコールカクテルのメニュー4種のうち、名前から適当に選んだシンデレラなるカクテル。オレンジとパインとレモンのシェイク。ショートカクテルとのことで、この形のグラスで出てきました。


金谷ホテルのバーについて詳しくはこちら

 

 

シンデレラと言いますが…子供の頃読んだアンデルセン童話の『人魚姫』のさし絵で、魔女が人魚姫に与えるしっぽが脚になる薬がこういうグラスに入っていたのを思い出しました。

こぼしながらもロングカクテルを選んだ友人と乾杯。乾杯するなら量のある
ロングカクテルにすべきでした。

童話の『シンデレラ』のような幸運がこれからの人生にあるといいなと祈りつつ、お風呂につかって寝ました。

日光への旅 輪王寺三佛堂、宝物館

2月6日、友人の誘いで日光へ行きました。

 

上野東京ラインで宇都宮駅へ

 

栃木県はイチゴ王国とのこと。いちごの鏡に

 

巨大いちご…

いちご提灯…

 

模造ですが、いちごのプランターもありました。

 

宇都宮までは新幹線を使えば早く行けるのですが、日光線の本数が

少ないため、日光駅へ着くのは在来線でも新幹線でも同じになってしまいます。でも日光線ホームには居心地のよい待合室が設けられていました。

 

JR日光駅から世界遺産めぐりのバスに乗車。

 

勝道上人像前バス停で降りて輪王寺へ

 

堂々たる上人の銅像

勝道上人について詳しくはこちら

 

 

輪王寺の本堂でもある三佛堂

 

 

 

ここから参拝するだけなら無料ですが、堂の名前にもなっている

三体の仏像を拝観できる内陣に入るのは有料です。

 

 

堂内は撮影禁止ですが、輪王寺HPの動画で千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)という三体の金色の大仏は紹介されています。

 

三佛堂内陣にはとても大きな金ぴかの仏様、左が馬頭観音、中心が阿弥陀如来、右が千手観音。千手観音の脇には「おさすりあみださま」が置かれています。「体の悪い部分をさすることにより、その部分がよくなると古くから信仰されています」とのこと。つまり膝が悪い人はこの像の膝をさすってお祈りすればよくなるかも…善光寺のおびんずる様と同じご利益です。感激したのは像の脇に畳をおいた台が用意されていたこと。今とにかく脳内がごちゃごちゃモヤモヤな私、頭にご利益を頂きたいので台に載って「おさすりあみださま」の御頭をさすらせていただきました。善光寺にはこういう台がないので、小柄な私は、御頭には手が届かず、御手までしかさわれませんた。
 
この日初めて知ったこと、馬頭観音が動物や交通安全にご利益があるのは知っていましたが、「馬が草をむさぼり食うように、煩悩を食い尽くす」仏様でもあるとのこと…今の私には煩悩がたくさんなので、何が大切なのか
悟ることができるよう、馬頭観音には特に熱心にお祈りしました。

 

 

上野の寛永寺建立400年を記念して三佛堂の中で天海大僧正の木造が

公開されていました。上野で天海を祀っている寛永寺開山堂(両大師)には

働いている間はよく訪れて癒していただきましたから、あらためて

お礼を申し上げました。撮影禁止でしたので、これはポスターです。

かなり大きな像で、赤い衣に黒(もともとは緑?)の袈裟をつけ、

今にも動いたり、話したりしそうでした。

 

三佛堂の裏の護摩堂を見学した後、宝物殿へ

東照宮の陽明門に昔は置かれていた風神、雷神像が展示されていました。

風神は緑、雷神は赤に塗られて極彩色。

その他20世紀になって描かれた徳川十五代将軍の肖像も並んでいました。

見てよかったのは13代将軍徳川家定の描いた『日ノ出山遠山烏図』の掛け軸。障害を持っていたとも言われる家定、そう思っているせいか赤い太陽や山の描き方がいくらか子供の絵のようにも見え、でもどこか才能も感じさせる不思議な絵でした。それから江戸城吹上御庭図『御鳥籠』も興味深く見ました。将軍家が飼う鶴や孔雀を入れた鳥籠…というには大きな檻に近いものが

並んでいます。そう今の動物園のような感じ。

 

宝物館から入れる逍遥園。

この冬初めてみた雪。

 

池も凍っていました。

 

3時過ぎまで庭園を散策した後、スマホを便りに友人が先にチェックイン

している日光金谷ホテルに向かいました。迷いつつ、きょろきょろしつつ…

パンダとけんちんうどん、見てないオオサンショウウオ、ビャンビャン麺

今の自分の精神状態では愁嘆場を避けたいので、関連ニュースは視ないようにしておりましたが…上野動物園にいたジャイアントパンダのシャオシャオとレイレイ、無事に中国へ渡ったとのこと…そちらでも元気で人気者で
ありますように。

特別パンダファンでもないのですが…パンダが5頭もいた時期に働いていたことはラッキーだったかも…そのころは観に行きませんでしたが、上野で働くのもこの秋かぎりとなった9月と10月、3回ほど上野動物園に行きました。

11月のレイレイ、レイレイの方がシャオシャオより長く待ちました。

なぜかレイレイは後ろ姿を拝む?ことが多かったのです(笑)

 

同じ日のシャオシャオ、この時は時間制限なしで見れました。いつまで

見ていてもあきないものです。

穴に入って考え事?のシャオシャオ

 

この二本脚で立って?顔を上にあげて伸びをするようなポーズ…もちろん

そのままに二足歩行はしませんが、繰り返します。ある時のレイレイは

ひんぱんにこの動きをして、まるでダンスしているように見えました。

 

気になったので、スタッフの方に訊いてみますと、推定だが、置いてあるエサの水分が少なくなってくるとおいしくなくなるので、「取り替えて!」という飼育員へのアピールと思われるとのことです。


節約のためにいつも家からおにぎりを持っていったのですがその度に心ひかれていたのがパンダ舎近くのレストランのけんちんうどん。


3度目にようやく食べました。これがなかなかおいしいと私は思うのです。
パンダのかまぼこも可愛いですし。

これからはどんな動物がけんちんうどんのかまぼこになるのでしょう。

キリン?サル?ハシビロコウ?…動物たちのけんちんうどん戦国時代のはじまり? これを機会にいろいろな動物の魅力にスポットがあたるといいですね

けんちんうどんぐらい、上野まで行かなくてももっと家の近くでおいしい店を
さがそうと思います。しかしこの秋、行くといつも「公開を中止しています」との
ことでいまだ一度も見ていないのが水族館のオオサンショウウオ。

巨大化する前の超獣ハンザギランと同種ですから、一度見たいのですが
(筆者の書いていることがわからない方は『ウルトラマンA』第47話
『山椒魚の呪い!』をご覧下さい。
番組サイト

 

 

ついでですが、家グルメ?で家の近くのファミリーマートで冷凍の𰻞𰻞麺(ビャンビャンめん)買ってみました。


NHKBSで放送された『2時間でまわる兵馬俑』という番組で視てトライしたくなったのです。上にのせた青菜は家にあったものです。


おいしいことはおいしいけれど、とにかく辛くて食べた後、甘いものが
ほしくなりました。

暑い時にはこの辛さが快く感じるかもしれません。夏にリトライしてみようかしら?

ペットボトル湯たんぽにご用心、及び秋冬に楽しんだスイーツ

温かい飲み物のペットボトルに魔法瓶の湯を入れたミニ湯たんぽを時々使っています。11月末の寒い朝、このミニ湯たんぽによると思われるやけどを右の脛に見つけました。あまり痛みはなかったので絆創膏を貼って1週間ほど様子を見ましたが、なかなか治らず、しかもお風呂上りに絆創膏をはがすといやなにおいがするので、感染症?になるかもと怖くなり、12月前半、皮膚科を受診しました。

「やけどから異臭がしたら医者にかかるようにということなので」と看護師さんにいうと「まず患部をお風呂で石けんで洗ってください」と言われました。先生からは「年内は治りませんよ」と宣言され、ショック。湯たんぽのやけどは「変な言い方ですがこんがり焼けてしまってますからね」とのこと。

というわけで軟膏を処方され、お風呂上りにぬり、絆創膏を貼り…面倒でしたが、1月中旬にようやく治りました。やけどの跡は残ってますが、もうあまり水着とかにはならないので気にしません…以上、みっともないお話ですが、これも人生の1ページ。

皮膚科の近くで梅が咲いていました。


ちなみにこの近くのコンビニで時々買うのがヤマザキのミニスナックゴールドのラム・レーズン。レーズンとカスタードの組み合わせがすてき。ちょっと大きすぎて一度に一つは食べられませんが。


 

ちなみにミニスナックゴールドの普通のタイプは家の近所にも売っているのですが…


ラムレーズンは大きな街へ行かないと売っていません。不思議…。
ちなみに1月後半からは同じ店に行ってもラムレーズンは見かけなくなりました。 一体なぜ?レーズンが不足?

ついでですが、100円ショップで見つけたストロベリーツイストマシュマロが
父に好評でした。マシュマロは歯が悪くても食べやすいので時々買ってやります。

 

それからクリスマス前に友人から贈られたシュトレン。実に美味でした。これをもらいましたから我が家ではクリスマスには他に特別に何も買いませんでした。本当ラッキー!

ペットボトル湯たんぽは就寝中は使わないことにしましたが、懲りずにパソコン下にはおいています。私も今年は足ではなく、食べるものをこんがり焼きたいと思います(笑)。

 

『エミリ・ディキンスンのお料理手帖』松尾晋平 監修 / 武田雅子 鵜野ひろ子 共訳

1990年4月 山口書店刊(本体定価2500円)

表紙の写真はこちら(復刊ドットコム)
https://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=49821


アメリカの詩人エミリ・ディキンスン(1830-1886)が得意とした料理についての本。縦24.4㎝ 横24.7㎝ ほぼ正方形、若干横長のペーパーバックであまりみかけない不思議な形状の本です。書籍商の通信販売部で働いていた1997年頃、仕入の係に頼んで取り寄せてもらいました。入荷した時からちょっと古びていて当時の上司に「ずいぶん古い本ね。よく入手できたね」と言われたのを憶えています。

エミリ・ディキンソンについては初めて知ったのは学生時代の英文学の授業、イェイツやエマーソンなどいろいろな詩人や作家を知りましたが特にディキンソンに興味を持ったのは生涯独身で家族と住む屋敷から出ずに隠遁生活を送ったと教わったからでした。当時の私は進路などが思うようにいかず、厭世的になり、自分もエミリのように世間に出ずに閉じこもって生きられたらいいのにと思ったのです。エミリがいつも白いドレスを着ていたというのにも憧れました。

ただし授業の後で先生にきいてみましたが、ディキンソン家はアマースト大学の理事らを輩出する…つまり名家の生まれなのでエミリは働きに出なくてもよかったのでしょう。 私の家ではそうはいかないからあきらめました(笑)。白いドレスもすぐ汚れますし(笑)。

 

岸田今日子主演でディキンスンの人生を描く一人芝居『アマーストの美女』を観たり、この詩人についての本を読んだりしてエミリは少女時代には活発で、ボストンに行ったり、家から離れた学校で学んでいることも知りました。屋敷から出なくなったのも社会に出るのが怖くてという消極的な心からではなさそうなのです。ちなみに『アマーストの美女』は驚いたことに今でも公演サイトがヒットします。
パルコ劇場サイト
https://stage.parco.jp/program/000506

 

この芝居の中でも語られますがエミリの詩作は生前には注目されませんでした。『エミリ・ディキンスンのお料理手帖』前書きにも「彼女は当時のアマ-ストの町では、詩人としてよりも、ライ麦入りインディアン・ブレッドとジンジャーブレッドを作るのが上手だということで知られていました」とあります。

第一部『詩人エミリとお料理』の第Ⅰ章では、エミリの料理の腕は家族や友人たちに買われていたこと、ディキンソン家の暮らし、行事、ワイン作りなどについての記述、第Ⅱ章ではエミリが書いた、あるいは用いていたと考えられるジンジャーブレッド、コーンケーキ、プディング類などのレシピが紹介されています。エミリがパンやお菓子を入れて寝室の窓からおろし、庭で遊ぶ子供たちに与えるのに使った籠、ディキンソン家のデカンターとワイングラス、紅茶セットなどの写真もあります。ワイングラスは「ローズ色」とのことで、ブドウの実、葉、つるの模様がすてきですが写真がモノクロなのが残念です。

 

第一部の最後にはディキンソン家の献立の一例があります。気になるのは病人用の「ビーフティ」―赤身の牛肉を少量で煮出した滋養飲料とありますが、牛すき鍋の煮汁でも同じ効果が得られないでしょうか(笑)。



第二章『詩とレシピ』は左のページにはエミリの代表作の詩を日本語、原語対照で、右のページには料理の写真…写真はカラーですが、影の部分も多く、落ち着いたディキンソン家の雰囲気を感じさせます。表紙の写真は「ライスケーキ」。ケーキもその皿も敷いてある布も似たベージュ色なので、お菓子というより軽食のように感じられます。ちなみに裏表紙はブラックケーキですが、名前ほど黒くはなく、日本でもよく売られているパウンドケーキに似ています。この章の54ページ以降は写真の料理類のレシピを日本でも作りやすいようにアレンジして記述しています。

私はこの本の料理を作ったことは一度もなく、もっぱら眺めて楽しんでおります。同じく文学関連の手芸、料理関連本である『赤毛のアンの絵本』のカラーページのように花やレースやピンク色全開の華やかさはありません。でも
青いガラスの脚付き皿に載せられた白いプディング『ホウムステッド・シャルロット・リュス』や透明なグラスで固まったワインゼリーの写真は美しく、同じページの「不可能はワインのように味わった者を高揚させる…」と写真と関連ありげな詩の言葉もかみしめています。ちなみに日本で漫画の題名になったクローバーと蜂の詩はブラックケーキの写真のページにあります。亡くなった母もこの本をパラパラと見て「すてきな本だね」と言っていました。


ここまで書いてきて気がついたのですが、同じ類の本で家にあるのは『赤毛のアンの手作り絵本』(鎌倉書房)と『メアリー・ポピンズのお料理教室』(文化出版局)と思っていましたが、アンとメアリー・ポピンズは架空の人ですが、エミリ・ディキンソンは実在したのですから少しこれら2点とは意味合いがちがうのかもしれません。

エミリの詩を原語でしっかり味わえる英語力が筆者にはないのですが、そのわかるようなわからないようなところに生きるつらさが吸い込まれていくように感じます。

「捕らわれの身ですって、バラの救援を送り込みましょう」という詩にちなんだバラだけはピンクですがその他はエミリ・ディキンソンの白いドレスにちなんで白い花の写真を入れてみました。