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『現代・河原乞食考』を読んで

 山城新伍著『現代・河原乞食考~役者の世界って何やねん?』(解放出版社)を読み終えました。

昨年著者が亡くなられたばかりの時は、図書館でも何人か予約が入って、かなり待たされそうでした。暮れに図書館に行くとあっさり借りることができました。豪快で思うままに生き、発言している芸能人というイメージがありましたが、繊細な感覚の持ち主で、また「役者は本来、河原乞食、つまりはみだし者なのだから、弱い者、差別される側に立つべきだ」という考えを貫かれたようです。

 
 著名な脚本家の子息である俳優の結婚式で、花婿をほめるつもりで「芸能界は育ちの悪い、出来の悪い人間が多いと聞いていたのに、彼は例外」とスピーチした大会社の副社長にくってかかった話。

 また被差別部落出身の若者とヤクザの娘の結婚式の仲人をつとめた時、押しかけて来たマスコミに「ヤクザの娘は幸せになっちゃいけないんですか?」とといかけたこと。

 著者の葬儀に、別れた奥様とお嬢様は参列なさらなかったそうです。寂しい最期のようにも見えます。でもそういう家族もあってもいいのかもしれません。縁を切ると決めたからには、亡くなった後になって同情やあわれみなど示さずにいる奥様もお嬢様も信念のある潔い方々と思えます。

ゴッホは殺されたのか

本当に久しぶりのブログ更新です。生きてます!私。

暮れから年末にかけて次の本を読みました。


「ゴッホは殺されたのか―伝説の情報操作」

小林利延著 (朝日新書2008/2)


この本によれば、ゴッホの死は自殺ではなく、他殺です。

1890年7月の彼の死の原因となった銃創は

「肋骨をかすめて弾丸は腰を貫通し、股のつけ根の

右側に達している」これは、自分で撃つのは難しい

やり方。自殺ならたいてい頭か心臓を撃ちますものね。

目撃者は誰も存在せず、ゴッホは脇腹を抱えて宿に帰って

来て、自分をピストルで撃ったと周囲の者に言いました。

そのピストルも見つからないまま。

容疑者は彼の理解者で、生涯をかけて支え、愛し続けた弟のテオ。

テオは心から惜しみなく、兄のヴィンセントに尽くしていた

わけではなく、彼には彼の生活があり、それを兄に壊されることを

怖れての犯行。ゴッホは母となった女性しか愛せないという傾向が

あり、その気持ちがテオの妻、ヨーに向けられた可能性もあるとか。

またこれまでゴッホ研究は、兄弟二人が亡くなって十年以上後、

ヨーによって出版された『ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ弟への書簡集』

を主な資料としているのだそうです。しかしこの本はヨー未亡人に

よって兄弟愛の伝説を創作するような形に編集されていると

著者は言います。


昨年、テレビで滝沢修主演の「炎の人」を視ました。あの劇の中では

牧師として炭坑労働者を助けられないことに絶望して画家になるのですが、

これも事実とはちがうようですね。上記の本では牧師になるための国家試験の

勉強がうまく行かず、精神を病んで画家を志すのです。以下は同書66頁からの

引用です。


母親は「どこへ行っていても、何かをしていても、ヴィンセントは風変わりな

言動と、人生に対する奇妙な考え方や見方で何事もだめにしてしまう」と手紙を書き、

(中略)またピーテルセン牧師は両親に「ヴィンセントは、自分自身で自分の幸福を

だめにしてしまうような人に見える」と書き送っています。(ヨーの『思い出』より)


今でいう何らかの人格障害か、発達障害のあった人なのでしょう。すばらしい絵を

遺した人ですが、生きている時は本人も家族も大変だったのですね。


新年早々、こんな本を読んでいる私って一体?

土俵とガッツポーズ

 いささか古いお話で恐縮です。仕事が忙しくて後でじっくり読もうと思ってとっておく新聞記事がたまって

しまうのです。本日、3月9日、2月15日付の朝日新聞の「耕論」を読みました。テーマは『「品格」ってなに?

大相撲初場所で復活優勝した朝青龍が土俵上でガッツポーズをとったことを、横綱審議委員会が「品格に

欠ける」と評したこと。

 コラムニストの泉麻人さんは「自分なりに結果を出せば、あとは何をしても個人の自由と朝青龍は

考えているのでしょう」とおっしゃっています。

 で「ガッツポーズ」からの連想なのですが、昨年来、私の心の恋人である体操の冨田洋之さんが

アテネオリンピックの団体決勝で最後の鉄棒の演技を終えた時、やはりガッツポーズをしています。

 朝青龍関がこのシーンを視たことがあるのかどうかは知りません。私は相撲のことも、朝青龍の

こともよく知らないのです。でも彼がこれを視たらこんなふうに思うのではないでしょうか?

 「冨田選手だって金メダルが決まった瞬間にガッツポーズをとっているのに品格がないなんて

言われないじゃないか?なのにおれにはクレームがつくのは、冨田とはルックスがまるでちがうからか?

おれが外国人だからじゃないのか?」

 日本の国技である相撲は祭礼に起源をもつスポーツです。だから土俵の上はオリンピックの

体操のマットの上や、同じ格闘技でもプロレスやボクシングのリングとはちがう、それらの上には

ない神聖なものが宿っていると横綱審議委員会をはじめとする伝統的な日本人は考えています。

 だから人間同士の肉体のぶつかりあいで頂点にたった者でも、土俵の上ではその人間を越える

神聖なものに対して敬意を示してほしいのです。

 私が不思議に思うのは、朝青龍がモンゴルから日本に来て、稽古を重ね、横綱にまで登りつめる

過程で、相撲部屋の親方など彼を指導してきた周囲の日本人が相撲の神聖さについて教えて

きたのだろうか?と言うことです。

 これは一歩まちがうと「神道を信じろ」という宗教の押しつけになってしまいそうで、文化背景の

ちがう相手に理解させるのは難しいのかもしれません。

 私は朝青龍のファンではありません。でも相撲で頂点を極めた人なら、他のところでは

どんなに思うままに振る舞ってもいいけれど、土俵の神聖さは認めてほしいと願っています。


アメリカン・フィーリング

 子供のころ視ていた「まんが日本史」というアニメのテーマソング「風のメルヘン」を聴きたくなって

YOU TUBEでサーカス(歌手の)を検索しました。この曲はなかったけれど、このグループのヒット曲

「アメリカン・フィーリング」の映像がみつかりました。

 本当にすばらしい歌声で、メロディも美しい曲です。でも歌詞は微妙?です。

 おそらくアメリカを旅してきた女性?が飛行機の中で恋人からの手紙を読んでいる歌なのでしょう。

題名通り、「Feeling in America~」というフレーズが何度も繰り返されます。

手放しでアメリカを賛美し、あこがれている曲です。この曲がヒットした頃、70年代後半の日本人は

アメリカに対して、自由で進んでいる国という「かげりひとつない」青空のような、あこがれを

もっていたのでしょうか?

イラク戦争を経て、サブプライム問題で世界の不況をおこした現在のアメリカをイメージすると

歌いにくい曲です。オバマさんはちょっとはよくしてくれるんでしょうか?

などと思いながら、このところ寝る前のエクササイズしながら聴いています。


大物俳優とのクリスマス

  カトリック系女子大学の学生だった頃、修道院のクリスマスミサに参加した時のことです。

 近所にお屋敷のあるスター俳優が、聖堂の最前列に奥様とお嬢様と三人で座っているのに 

 びっくりしました。 

  ミサが終わった後のパーティにも参加してシスターや学生と談笑しています。テーブルの上には

 「○山の△さん」(その方が当時出演していた連続時代劇の題)をチョコペンで書いたクリスマスケーキが

 あり、奥様が手際よく切り分けてくれました。それが大変おいしかったので、私は奥様にどこで買ったのか

 たずねてしまいました。三笠会館のものだとか。

  でもその俳優さん本人には話しかけることができませんでした。「***侍視てました!」と言い、

 めったに直接おめにかかれない方に会えた喜びを表して、 話しかけたり、おしゃくをしたりしている

 学生たちもいましたが。私も本当はたずねてみたかったのです。「いったい何を求めてここに

 いらしたのですか?」と。

  後でシスターの一人が話してくれたところによると、この俳優夫妻は奥様が妊娠してもすぐ流産して

 しまい、長い間子供に恵まれなかったそうです。この時連れてきていたお嬢様ー当時小学校の高学年

 ぐらいでしたーを身ごもっていた時、ちょうど前ローマ法王のヨハネ・パウロ2世が来日しました。奥様は

 テレビの画面に映った法王に向かって「どうかこの子は産ませてください」と祈りました。その結果無事に

 出産することができたので、夫妻は信者にはならないまでもカトリックには親しみをもっていたのでしょう。

  俳優でもスポーツ選手でも作家でも、有名な方というものは、このクリスマスのように仕事ではない時に

 私たちのような一般人に会った時、どう接してほしいのでしょうか?ちやほやして握手やサインや写真を

 とらせてもらうことを求めた方がいいのでしょうか?それと普通の人が普通の人にするように淡々として

 いた方がここちいいのでしょうか?

  それはその人にも、その場によってもちがうでしょうね。

盟三五大切を観て

11月23日、友人と歌舞伎座へ行き、昼の部を鑑賞しました。歌舞伎座のお弁当は高いので、いつも

三越の地下でおにぎりなどを買うのですが、今回友人につきあってはじめて八角形の入れ物にはいった

お寿司を買いました。寿司の味はイマイチですが、添えられていた煮物がおいしかったです。もしかすると

歌舞伎座の「幕の内」もおいしいのかしら。もしこのブログを読んで下さった方で食べた方がいたら

教えていただけませんか?

 「盟三五大切」は以前に台本を読んでから見たいと切に願っていた芝居。期待通り息をもつかせぬ展開の

すばらしい舞台でした。鶴屋南北の作品でよく知られているのは「四谷怪談」ですが、自分が読んだり、

観たりした中ではこれがいちばんすぐれているように思います。

場内の照明が落とされ、凍りついた表情で花道を歩いてくる黒い着物の仁左衛門。「五人斬り」「小万殺し」

など南北らしい残酷さやグロテスクさの中に「愛」と「金」を求めてやまない人間の姿が浮かびあがって

きます。源吾兵衛が殺人鬼になってしまったのは「金」を失ったからではなく、小万の「愛」が偽りだと

知ったから。彼はどうころんでも主君の仇討ちをして命を捨てるという未来しかない自分の悲しい人生を

小万にあたためてほしかったのです。小万の首と茶漬けを食べようとするシーンはグロテスクなのに

源吾兵衛の悲しみも見事に表現されてます。現代にも同じような犯罪者がいますよね。

 

ベートーベンと武田信玄

 前章の甲府旅行に同行した友人は、行きの電車の中でベートーベンのピアノ三重奏「大公」をウォークマンで

聴いていました。クラシック音楽に親しんでいる彼女はこの曲は武田信玄のイメージにあっている、自分なら信玄が主人公のドラマのテーマ曲にするだろうと言うのです。堂々として気品のあるシンプルなメロディのどこかに

哀愁がふくまれているところ、特に曲の終わり、ピアノがだんだんテンポアップして柔らかな弦楽器の音色で終わるところが、天下を望めずに陣中で死んでしまう悲運の武将に似合っていると。

 ベートベンが地下でこれをきいたらびっくりするでしょうね。

 帰りの電車の中でウォークマンを借りて私も聴いてみました。なんとなく彼女に同感できるような気もしました。

このブログを読んでくださった方に、信玄に興味をお持ちの方がいたら、一度「大公」を聴いてみてください。

武田信玄の石けん

 香りが気にいっていたスパモイストという石けんを買いに近所のドラッグストアに行ったら、もう置いていませんでした。今はたいていの人がボディシャンプーを使うせいか、売っている石けんの種類が少なくなっています。詰め替え用にしても袋のゴミは出る液体に比べると、使えば跡形もなくなる石けんの方が環境にいいように思いますが。

 石けんといえばずいぶん前に甲府へ旅行した時のこと。今の恋人?は冨田洋之ですが、当時は武田信玄だったんです。武田神社や甲府善光寺をみてまわってみやげ物屋に入ると、「信玄公ソープ」なるものが一体250円で売られていました。甲府駅前にある信玄像をかたどった石けんです。

 クスッとしてしまいました。使えば溶けて崩れるのが石けんの宿命です。信玄を崇拝している人が、

この石けんを使えるでしょうか?喜んで使うのは宿敵の上杉謙信か?織田信長?

同行した友人がいうには、お風呂でつかうのではなく、玄関やトイレにおいて香りを楽しむものなのだろうということですが、そういうところに恋人?を置きたくないですね。


はじめまして

 神奈川県在住、40代女性、美以と申します。特技は替え歌やパロディを考えること、それから不思議な夢をみることです。

 例えば、先日、ぺ・ヨンジュンが勤務先の営業マンになっていて、朝礼に出たり、商品を台車に載せてゴロゴロ

押している夢をみてしまいました。私は彼のファンじゃないのですが。

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