実以のブログ -72ページ目

土方歳三VS梶井基次郎

ここ一年にあった諸々のことで自分がいかに判断力がなく、甘い人間であることを痛感し、うつ状態になっている私。ある友人からずいぶん前にはしていたけれど長いことしていない事をやってみるといい―と言われました。そこで私は久しぶりに司馬遼太郎の長編小説を読んでみました。以下は私の滅入っている脳内の幻想です。現実、史実とは無関係であることを申し上げておきます。

 

 

実以の脳内の台所。

幕末から明治頃の軍服を着て髪をオールバックにした男がテーブルの上のレモンを

切っている。

 

実以: あなたはもしかして土方歳三さん? どうして和泉守兼定でレモンなんか切っているのはなぜ?

 

土方: ここの台所では黒羽二重を着た浪人者が刀をくるりとまわしながら羊羹を切っていたことだってあるだろう。

 

実以: あの人は眠狂四郎、刀をくるりとまわすのは円月殺法(注1)っていうんですって。ああするとどんな相手でも斬られてしまうの。敵を催眠にかけるらしいのだけれどどういう理屈なのかは今一つわからない。そうかあなたがレモンを切っているのは私が司馬遼太郎の『燃えよ剣』を読む合間に梶井基次郎の『檸檬』を読んだからね。

 

キッチンの入り口ののれんがゆれるぞろっとした着物をきた男がはちみつを持ってあらわれる。

 

実以: 梶井基次郎さんかしら。

 

梶井: ひさしぶりだね。君が高校生の時以来だよ。

 

実以: そう、あなたの作品は教科書に載っていた『檸檬』しか読んだことがないからこの機会に他の作品も読んでいるの。心身を病んだ人の繊細で変わりやすい心持がしっかりと言葉にされていて、すばらしいと思うの。

 

梶井: しかし…(土方を指さして)この人のお話に比べれば、どうも眠いと思ってやしないかね。

 

実以: ごめんなさい…。

 

梶井: 私だってもう少し長生きできればねえ。

 

注1)このブログを読んで下さった皆さんも野菜やお肉がどうもうまく切れないな

と思ったら、キッチンで包丁をくるりとまわしてみてはいかがでしょう。きれいに

切れる…かもしれません。ただその様子を家族に見られると頭がどうかしてしまったと

心配される可能性もありますが。

歌の発表会のお知らせ

メルアド変更のお知らせと近況

ラーメン博物館でティータイム

菓子を贈ってくれた友人へのお礼の品を買うために新横浜ラーメンは博物館に行きました。

ついでに年越しそばならぬ年越しラーメンを頂こうかと思ったのですが、冬休みに入ったせいか店内のどの店にも行列ができています。さほど空腹でもなかったので広場に設けられた沖縄風バーのカウンター席でサンダーギー(沖縄風ドーナツ)とホットのさんぴん茶(ジャスミン―ティー)を頂きました。





さんぴん茶の丈の高くとってのないカップの模様がすてきです。

サンダーギーもおいしくて二つで80円とリーズナブル。


昭和30年代の街を再現した広場とあって当時の歌謡曲が流れていました。それが少しうるさいと

感じながらも図書館から借りてきたばかりの松本清張の短編集を少し読みました。


オタク趣味なお菓子たち

11月に信州へ行ったおり、上田城址公園へ立ち寄りました。幸村公はじめ、上田のおもてなし

武将隊の方々にごあいさつした後、城門にテディ幸村をセミのようにはりつかせて写真撮影。(笑)

前足に磁石が入っていて鉄にはくっつくのです。


こんな私の歴史オタク趣味にあわせてお菓子を地元の友人が贈ってくれました。その名も

「花と武将」




中身はミルクと黒糖のクッキーでした。さらには「真田旗じるし」なるガレットも。





中心部にナッツが入っていてとてもコクのあるガレットでした。そして一番おいしかったのは

クルミのお菓子エンガディーナ。初めて知ったお菓子の名前です。




エンガディーナは東京か横浜でも売っているのをみつけたら買ってみようかと思います。

怒涛の秋から冬―その3 高井鴻山記念館から善光寺

小布施と言えば栗。北斎館の前で大きくて温かい栗を買って大満足!





北斎館を見た後、栗の木片をしきつめた道を歩いて高井鴻山記念館へ。鴻山の絵や書を鑑賞した後、書斎の脩然楼へ。写真は鴻山が佐久間象山ら幕末の英傑たちと語りあった二階座敷からの眺めです。彼らはかなり身の危険を感じていたようで、刺客に踏み込まれた時に逃げるための抜け穴が押入れの中に、廊下には非常口が設けられていました。



                





中国で出た日本のガイドブックを見たことがあります。長野県の章には小布施に関する記述が多く出ていました。中国語ですが編集はオーストラリアの会社のものでしたから英語圏の価値観で書かれていると思われます。北斎と縁が深いためか小布施は世界の注目を集めているのでしょう。高井鴻山記念館も載っていました。同時代に同じ地方で活躍した佐久間象山については名前も出ていませんでした。





眼を閉じると鴻山が象山に言っています。「日本だと有名どころから奥さんをもらって日曜夜の国営放送のドラマに時々出ているあなたの方が有名だけど、海外進出は私の方が先みたいだねえ」と。       

             





友人の車で須坂の醸造所に連れて行ってもらい、味噌を買い、その近くのフードコートでそば定食を食べた後、長野駅で友人と別れました。駅前のホテルにチェックイン。少し休憩した後、一人で善光寺へ出かけます。とりわけ信心深いわけでもありませんが善光寺の境内に入り、山門を見上げるとほっと心が落ち着くのを感じました。今年は家族の病気などいろいろなことがあり、いくらかつらい一年でした。本堂で手をあわせ、とにもかくにも毎年恒例の墓参兼信州旅行に来られたことを感謝し、今を乗り切ることができるように祈りました。

                




暮れ六つの鐘が響いてきます。子供の頃の七五三から何度も来ている善光寺ではありますが、こんな時刻までいたのは初めてのような気がします。心にしみる鐘の音でした。帰り道、土産物店が閉まって暗くなった参道の先に中央通りの商店街の明かりが見えるのがとてもよい風情でした。まだ開いていた土産物店で夕食用におやきをいくつか買い、そのぬくもりを手に感じながらホテルに戻りました。













怒涛の?秋から冬その2―信州の旅・岩松院にて


11月7日夜、東京駅から長野駅行きの深夜バスに乗りました。長距離バスの旅は初めてです。子供の頃、バスや自家用車でひどい乗り物酔いをした思い出があり、今まで個人の国内旅行はすべて電車でした。




お茶の水のスーパー銭湯で入浴した後、東京駅へ。閉店間際で半額になったお弁当を買い、八重洲口のバス待合室で頂きます。銭湯が気持ちよかっただけに居眠りして乗り損ねないかちょっと緊張。バスがトイレ付でないのもちょっと心配でしたが席につくと昼間の疲れが出てすぐ寝てしまいました。時刻通りに着いたのですが、まだあたりは暗く「長野駅前」

に来たはずが駅がどこかもわからず、そばにあったコンビニに駆け込んでコーヒーを買い、

店員さんに「駅はどちらでしょう」とたずねてしまいました。次は昼間が長い季節に利用することにします。



恒例の墓参を済ませた後、故郷の友人の車で小布施へ連れていってもらいました。まずは葛飾北斎の鳳凰の天井画のある岩松院へ。車をとめた場所近くの畑ではりんごがたわわに実っていました。

  


リンゴ畑

10年以上前に勤め先の後輩を連れて来た時、住職さんが説明をしてくださって本尊の方に頭をおいて―つまり仏様に足を向けなければ寝転んでみてよろしいとのことでしたが、今では本堂に椅子が置かれておりました。ちょっとがっかりな変化。


ところで前回訪れた時には天井画の方しか記憶していなかったのですがここ岩松院はあの賤ヶ岳の七本槍の筆頭、福島正則が眠る所でもありました。最近、松本清張の『転変』という短編を読んで正則が晩年、信州に居たことを知ったのです。




天井画と蛙合戦の庭を堪能した後、写真の正則の廟の前で手を合わせました。眼を閉じれば大河ドラマの主人公となって意気揚々とした真田幸村の脇からそっと福島正則が顔を出して「私も幸村に負けず劣らずの悲運の武将なんだけどな、というか幸村よりずっと行動範囲広いから私が主役になればお客が増える観光地も多いと思うけど、上田のおもてなし武将隊の演武にゲスト出演させてもらえないかな」とおっしゃっている様子が。正則の魂に語りかけます。年老いたあなたは信州で幸せでしたかと。


信念を貫いて大阪の陣に散った幸村。関ヶ原で家康につき、一時は大大名となりながら家康に信頼されず没落した正則。考えてみると見事に対照的な武将の姿ですね。










怒涛の?秋から冬―歌の発表会と衣装

私はブログの名を女流錯家(作家?)などとしているくらいだからもっと文章を書く生活がしたいのです。ブログももっと書きたいのですが、このところずっとパソコンに向き合う時間が取れなくて。自分が書くどころか皆さんのブログを読んでコメントするのがやっと。


8月末にカルチャースクールの発表会でオペラ『フィガロの結婚』の『恋とはどんなものかしら』を歌うことを決めました。受講料と発表会の参加費を払うのが精いっぱいで衣装にお金をかけられない私は黒のロングスカートに上はありあわせのフォーマルブラウスを着て歌おうかなと思っていました。でも9月に上田のおもてなし武将隊がたまプラーザに遠征にいらした時の演武を観て考えが変わりました。せっかくだからオペラの時代の衣装―忠実に時代考証とは行かなくても特徴を取り入れた服で歌ってみようかと。恋とはどんなものかしら』を歌うケルビーノは少年ですが演じるのはメゾかソプラノの女性。衣装も演出によってはわりとひらひらした『ベルサイユのばら』風のを着ています。クローゼットの奥にあった服―母が昔作った服なのですが、コートなのかワンピースなのか作った本人にもわからない―に壊れたUV日傘の生地を縫いつけて、どうしてもできる斜めの縫い目を隠すためにリボンをつけたり、そんなわけで9月、10月はひまさえあれば裁縫をしていたのです。


ケルビーノのアリア


その結果、18世紀スペイン貴族の小姓というより、星の王子様、森蘭丸、天草四郎に伊東マンショなどと様々な説の飛び交う衣装になってしまいました。(笑)なんとなく日本の戦国時代風になったのはやはりおもてなし幸村公の陣羽織が脳内にあったからかしら?



靴もステージ用パンプスなど買うお金がなく、自作?しました。といいましても家にあった靴にやはり日傘の生地をぬいつけた靴下カバーをかぶせてレースとリボンをつけたのですが。ちなみに土台?となっている靴は以前に人からいただいたイタリア製の夏用パンプスです。まともに買うと高価なものかもしれません。私はパンプス系の女性的なデザインの靴は苦手で履いていると必ず足が痛くなってしまうのですが、不思議とこの靴だけは苦痛を感じませんでした。やはりイタリア製だからでしょうか? 似たデザインの日本製の靴に比べると微妙に作りがちがうように思います。傷みが目立ってきたので捨てるつもりでいたのを活用することができました。


11月初めの発表会の出来はといいますと―応援に来てくださった方々の応援に力を得て今の実力?は出せたかな?という感じです。でも歌の先生の評価は私より長く勉強されている方々に比べるとまだまだ。 それから今回、衣装を着てみて、自分の姿勢の悪さにショックを受けました。陣羽織風衣装を着てもどうにも猫背気味で武将隊の方々のように威風堂々とした立ち姿にならないのです。これから年齢と共におこるであろう体の故障を防ぐためにも姿勢の改善には本気で取り組まなくては。 お礼を申し上げるのがおそくなってしまいましたが、この私のまずい歌を聴きにお忙しい中お運びいただいた方々に心より御礼申し上げます。あれから一か月、陣羽織?と靴は収納しましたが、腰に巻いていた甲冑?はしまう場所が見つからず、壁掛け?になっています。




ちなみに今、歌のクラスでは『サムソンとデリラ』の『あなたの声で心は開く』を学んでいます。『水戸黄門』の由○か▽るさんの役が歌いそうな歌です。といっても時代劇ファンの方にしかわからない例えですね。弱点をさぐるために男を誘惑する歌です。今のところ誘惑するどころかフランス語歌詞の口がまわらなくて困っております。

将来的に歌唱力が着いたら、オペラ『ルサルカ』の『月に寄せる歌』を歌うのが夢です。もしかしたら?南夕子風の白いドレスを着て―これも特撮ファンの方にしかわからないかしら?私には到底着こなせないとは思いますが、美しい星光子さんの立ち姿は見習いたいと思います。


シアタ・クラシックス MINI COLLETIONSⅡ 6つの小品集

決して派手なお芝居ではないのに心の奥に刻まれて忘れられなくなるのがシアタークラシックスの公演。今、家に病人を抱えているので予約が必要な何かをするのがおっくうなのですが、それでも何とか都合をつけて観ました。

開場時間の1時間前に着いたので、お昼を頂こうとバーガーショップに入りました。バーバーショップと申しましても私が普段出入りしているようなのとはちがって本格的な

お店だったようで。確かにお肉はジューシーで美味。でもExpensive? 

コーヒー付で1000円をちょっと出てしまいました。




閑話休題。今回鑑賞した小品たちの中で印象に残った一つは母をホームに預けることを決めた女性がぬいぐるみを相手に語る「エミリー」。私も今、両親の衰えに直面しているので。

エミリーが両親に向かって「あなたがたを赦す」というと、母は「赦すというのがどういいう意味かわからない」と答えたとか。そう母はエミリーに赦してもらわなければならないようなことは何もしてないと思っている―そこが根深い問題。この公演のお芝居は偶然かもしれないけれと、観る度に私自身の問題を思い出させるのです。父と母の命が

尽きかけている今、自分たちの関係を見直し、考えています。虐待されていたわけではない、愛情を注いでもらったのは感じている、でもきれいごとばかりではありません。

それから未亡人マイテの家に亡夫の肝臓を移植された男性ティムが訪ねてくる『やすらぎの後継者』。ティムは肝臓を与えられたことを感謝していることを伝えようとしますが、マイテは突然の病による夫の死から完全には立ち直っていません。「ティム」と呼んでくれと言っても「ミスター・ライリー」と呼び続けます。それでも写真を見て、夫の思い出話をするマイテ。彼女は母国で親が決めた相手との間に生まれた子を連れてアメリカへ渡ってきた移民でした。生きるのに必死で固まって生きていた彼女の心をときほぐしてくれたのが彼女の夫だったのです。夫の母は外国人の嫁との結婚には反対でした。でもマイテ自身も成長した息子が黒人と結婚しようとした時には人種差別主義者になってしまって最初は

反対したと。臓器移植にしても移民にしても人種差別にしても―それなりに冷静な意見を持っているつもりでもいざ自分の身にふりかかるとなると―短い戯曲の中に現代の世界が

抱えるさまざまな問題が写し出されていました。

主演していた芝居が不評で2週間で終わった女優が精神病院でセラピストに語る一人芝居『クレア』。若き日、彼女のキャリアが開けた時に流れていたという『アルルの女』のファランドール。それはクレアのいわゆる勝負時に聴く曲となるのですが、彼女の精神の変調を表面化させてしまったのもこの調べ。鏡が割れて飛び散り、そのかけらの一つ一つに自分が今まで演じてきた役が映っていたと語るクレア―演技をするということはその役になって生きること。そういう作業を日常的にするのは心身に負担がかかり、時に心身のバランスを崩すこともあるのでしょう。

今回も心の財産になるお芝居でした。




フィガロの結婚―歌の発表会