実以のブログ
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

小泉八雲著、平川祐弘訳『怪談・骨董』より『ある女の日記』

河出文庫2024年
表紙の写真はこちら
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309420851/

たまたま主人公の名前が祖母と同じであるせいか、朝ドラ『ばけばけ』は
わりと熱心に視ています。祖母もドラマのヒロインと同じように
最初の結婚は破綻、怪談が好きで、怖い話のテレビ番組などを
よく視ておりました。ただ容姿はヒロインになれるほど可憐ではなく、夫に
去られたのではなく、自分が出てしまい、離婚となりました。

 


この『怪談・骨董』は昨年秋に図書館に設けられていた朝ドラコーナー
で見て未読の作品があったので借り、返却後に購入しました。

買ったものには『ばけばけ』の宣伝帯がついています。

 

『骨董』の中の『ある女の日記』は怪談ではなく、亡くなった女性の針箱にあった手記。貧しい境遇に育ち、妹より後に30歳近くに嫁ぎ、3回出産するも
子供は皆亡くなり、本人も早世。と言ってみれば不幸な人の話ですが、
八雲はただ「不幸」で片付けるべきではなく、「日本の庶民の女の考え方や
感じ方、喜びや悲しみを英語に訳してみよう」と思い、「この優しい女の魂に敬意を払い、たとえいまなお現世にとどまりこの訳文を読んだとしても、多少なりともいやな気分になることのないよう、この原稿を注意深く扱いたい」と書いています。


数年は学校に行ったらしく、仮名文字は上手だが漢字をあまり知らず、東京の下町の言葉で手記を書いた「ある女」が当時としては適齢期を過ぎた29歳まで未婚だった理由等詳しい事情は不明。明治25年の9月25日の夕方、向かいの家の人が38歳の並木氏の後妻になる話をもってきて翌々日に岡田氏なる人の家で見合い、その場で岡田氏が「相談する人もおられないのだから幸運は見つけた場所で拾うのはよくございませんか」と言い、並木氏が10月1日というのを岡田氏は「夜勤で家を空けるのも心配だから」というのでいきなりその翌日に嫁ぐことになります。その夜、女は家族に挨拶し、翌日は一人であれやこれやと買い物をして午後は髪結いと、夜、岡田氏の妻に介添えされて並木宅へ行き、三々九度の盃。

 

並木氏は善人だが細かなことでも几帳面でやかましいと亡くなった先妻の父は言いましたが、意外にも結婚生活は現代でいうラブラブ。二人で芝居を観たり、浅草寺にお参りしたり、お酉様へも行き、二人分の春着を仕立てる縫物が楽しかったと記します。「会ったこともない人と夫婦になったが今では人も羨む身、咲き乱れる花より愛しい人と共に年老いて最後は共に葬られたい」という意味の小唄を自作。

親族の集まりで夫が初めて筆者が仕立てた春着を着てくれたのを喜び、その場で自分たち夫婦と妹たち夫婦が詠んだ歌を記録。

漢字は多くは知らなくても歌が詠めるってことは

さほど教養が低い人たちでもないのかしら。

 

三崎座で『妹背山』、春木座で『黄鳥墳』(うぐいすづか)、金沢亭で浄瑠璃の『三十三間堂』と観た芝居の劇場や題名、参詣した神社仏閣、花見へいった場所などを細々と記録していることでこの女の暮らしが幸せな楽しいものであったことがわかります。今なら写真を撮り、ブログにアップするのでしょうが、この時代は書き留めておくことが大事だったのでしょう。


明治30年(1897)6月8日午後4時に男の子を出産、予定日が8月なので未熟児、今なら保育器に入れるでしょうが「昼も夜も抱いて温かくしてやる」しか対処できず、翌日午後6時半に死亡。母と呼ばれるのが一日限りだった悲しみ…それでも9月8日は二人で芝居見物、10月8日には一人で春木座で『大久保彦左衛門』を観劇。芝居が悲しみを忘れさせてくれたのでしょうか。


翌明治31年8月に女児を出産、はつと名付け、百日が無事に過ぎるまで気をもみ、翌年3月には初節句を祝い、内裏雛、小さな箪笥や鏡台が贈られます。しかし4月29日にはつの具合が悪くなり、5月2日に死亡。この時は医者を呼んでも来なかったので来ず、翌々日に女自身がおぶって医者へ、つまり診察のおくれがよくなかったのかと悔いる夫婦に医者は「あの病気では最初から最良の治療をしても助からなかった」と言います。「この子とわたしたちの縁は、きっと前世から弱くて薄いものだったのだ」と思うことにするがやはり病みついてしまう女。同じ年なのかどうか9月4日に女の妹の幸が肺病で死亡。かねてからの取り決め?で下の妹の芳が後妻になります。同じ月に夫婦を取り持った岡田氏が亡くなり、婚礼に葬式と出費が重なっての金銭の苦労。


明治33年(1900年)2月20日三番目の男児を出産するが8日目に死亡。

 

自分のせいでこんなつらい思いをしたからには夫の愛が離れるのではないかと心配するが彼は「天命致し方これなく」と繰り返すのみ。しかし「この世で自分のために空が晴れることはない」という悲しみの故か女の体にむくみが出て、それが消えたと記したところで日記は終わり。

悲劇的な短い女の人生…でも読んだ後、不思議と温かな気持ちになります。

八雲がこの女の記録を世に出してくれたことに感謝したくなるのです。

静かではありますが勇気が湧いてくるのは、短い人生ではあっても

確かに幸せがあること。夫の愛を感じ、子供を愛し、芝居や祭りを楽しむ…

 

だからあらすじだけ見ると不幸でもどんな人生も生きるに値するのですね。
今、自分が不運だと落ち込んでいる人がいたら、この作品を読むことを
お勧めします。
 



この本の巻末にある注によればこの日記を書いた女性の死後、並木氏の3度目の妻になったのが小泉家に奉公していた女性で先妻の針箱から手記を発見し、小泉夫人に渡したとのこと。手記しか資料がないはずなのに夜勤の多い「小使」である夫並木氏の月給が10円ほど、夫婦の住まいがが六畳と三畳の二間であること等が終わりに書かれているのはそのためですね。ドラマ『ばけばけ』の中でも主人公一家に奉公する女中は活躍していますから、この顛末もスピンオフでドラマ化してほしいですね。

 

初めての大船観音寺参拝、原爆の火(及び勝手に朝ドラ企画)

3月11日の続きです。
『生誕100年 永井路子展』の鑑賞を終え、鎌倉芸術館を出て、

天候がよいので駅の反対側にある大船観音寺へ参詣して

みようと歩きだしました。

その道すがらこの日初めて知った永井路子氏の前半生について考えていました。

実父母ではない人々に、それでも愛情深く育てられた少女時代…

朝ドラ『ばけばけ』のヒロインに似ています。

ただ『ばけばけ』のトキさんよりは時代もちがうけど

教育の機会に恵まれ、学びの中で出会った人と結ばれる…

 

小説を書き始めたのも愛する人との暮らしを守るためだったと、

私が昔聴いた講演では言っていました。

そして大作家となっても謙虚な生き方を貫く…

 

そのうち永井氏は朝の連続テレビ小説のヒロインになるのではないだろうか? 題名は『ひろ子からみち子へ』かな? 黒板先生の役は
きっとイケメン俳優が扮するのだろう…語りは『ばけばけ』の「へび」と「かえる」のように北条政子や日野富子かな? 「私たち、いつもいろいろな人から語られてるから、たまには私たちのことを語った人のことを語りたいです」などと勝手にドラマの企画を考えつつ、大船観音寺の参道へ。

結構、きつい坂道でした。

 

 

 

 


大船観音寺HP
https://oofuna-kannon.or.jp/about-us/

 

今まで遠くから眺めるだけだった白衣観音像。恐慌や戦争などなど完成までにはいろいろあったとのこと。最初の計画では立像だったのが地盤の問題など諸々の理由で胸像になったのだそうです。
 

日本人もそうでない人も平等に供養するという思いから造られていった…そのせいか、観音様なのにどこか国際的?頭にふんわりかかる布に聖母マリア像を連想してしまいます。宗旨はちがうけれどミケランジェロのピエタに似た美しさを感じるのです。

 

全くこの観音様が映画の『大魔神』のように立ち上がって歩き出してしまうのではないかと思うほど、よくない世相です。

 

白衣観音の中にはひざまずいて祈るための台が設けられており、その辺もなぜかカトリック教会を思い出してしまいました。どこか国や宗派のちがいを越える慈悲を感じるお寺です。境内に奉納されている灯籠には中華系か韓国系の方かと思われる名前のものもありました。私たちは一緒に平和を目指せるはずなのです。道はけわしいですが。

 

白衣観音の胎内へ向かう通路で若いお坊さんとすれちがいました。参詣客のご婦人の一人がお守り等の売店のスタッフに「お寺ということは檀家があるのですか?」と尋ねていましたがスタッフの方もよくご存じでないようでした。設立から複雑な歴史があるのでよくあるお寺とはちがう運営なのかもしれません。ともあれ初めて参詣できたことを感謝し、ちょうど3月11日ということもあって震災で被害を受けた方々、今起きている戦争で苦しんでいる方々のために祈りました。

 

白衣観音の前から坂を下って慈光堂へ参拝。

この御堂の前の紐は中の観音様の手につながっているのだそうです。

そう思うと握ると心が休まるような気がしました。

 

原爆の犠牲者の慰霊と核兵器廃絶を祈る石碑。被爆した石、ケロイド瓦。

 

広島原爆の火が燃え続ける石灯籠。復員兵の方が自分のカイロに移して持ち帰ったものを分火したとのこと。こうした場所が関東にあるのを今まで知りませんでした。 今、まさに世界中の人に見てほしい炎です。

原爆の火の石灯籠について詳しくはこちら。
https://www.kanaloco.jp/news/social/article-1200460.html

 

桜はまだ咲いていませんでしたが、白い水仙が花盛りでした。


 

鎌倉芸術館(松竹大船撮影所跡地)『生誕100年 永井路子展』

3月11日、俳優の星光子さんも訪れた鎌倉芸術館で
『生誕100年 永井路子展』を鑑賞いたしました。星さんのブログの

写真にある「共に生きる」の額、私も見ました。

 

 

展覧会サイト

 

 

今となっては口にするのもはばかられますが…若い頃、ほんの一時期、
歴史小説とか書いてみたいなと思っていました。そう永井路子のような
作家になりたかったのです。ああなんと大それたことか…

なぜ永井路子かというと、作品を多く読んだということもありますが、
20歳前後の頃、たまたまお目にかかり、お話をする機会に恵まれたのです。

永井路子の夫で歴史学者の黒板伸夫氏は、私が子供に紙芝居をよみたくて日曜学校のリーダーをしていたカトリック教会の信者で、

ミサで一緒になったことも多く、また黒板氏が教授を務めた

清泉女子大学の市民講座で百人一首などの講義を受けたことも
あります。

 

永井氏と直接お話する機会を得られたのはやはり清泉女子大学で

催された講演会の後の茶話会でのことでした。当時の私は歴史上の人物でも悪人と言われる人に妙に興味をひかれており、この公演の前に永井氏の著書『歴史を騒がせた女たち・外国編』を読み、その中でも清王朝末期に権勢をふるった西太后の章が興味深かったと話し、西太后についてもっといろいろ調べてみたいと申しました。

 

すると永井氏は西太后について中国で書かれたものを原書で読めるようになることが大事と答えて下さいました。つまり中国語を勉強しなさいということ。その時の勤め先近くに早朝クラスのある中国語学校があったので何となく通い始めました。そして何となくその学校に張り出された求人で入ったのが昨年まで働いていた職場です。


零細企業ですが女性が30年以上も正社員として働けたのはラッキーだと
言って下さる人もまれにいますから、何となく…何となくばかりで恐縮ですが、永井路子と西太后には足を向けて寝られない気がしてこの展覧会を鑑賞しました。

 

会場につくとまず永井氏の故郷、古河市のコーナーで椅子に腰かけて20分ほどの講演映像を視ました。題は『魅惑の人 鷹見泉石』。鷹見泉石は渡辺崋山が描いた肖像で知られ、この肖像は芸術的に高く評価されて国宝ですが、これが描かれた理由も歴史的に重要だととのこと。あの大塩平八郎の乱の鎮圧を藩主の代理で菩提寺に報告へ行く時の姿。だから烏帽子を被った正装の絵になったのだそうです。崋山が蛮社の獄で自害しましたが、泉石も危なかったそうです。永井氏いわく、もしこの時泉石が崋山と同じ運命をたどっていたら、

もっと注目されたのであろうが、助かったが故に歴史に埋もれてしまい、功績が知られていないのだそうです。泉石像とその由来は下記のサイトでもごらんになれます。

 

https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&webView=&content_base_id=100147


脚の疲れがとれた所で展示を見ます。
年表を見ると出生の事情は複雑で実の父母には育てられていません。
朝ドラ『ばけばけ』のヒロインを思い出しました。でも育ての親たちには
惜しみない愛情を受けたようです。3歳の時の小さな足形、手形、
幼少時の宝物として展示されていた人形用(現代で言えばリカちゃんサイズ)の蒔絵硯箱や、ピクニックセット(小さな布のケースに入った小さなナイフやフォーク、スプーンにランチボックス?らしき消しゴムほどの大きさの小さな箱)

こうしたものがよい状態で保存されていることから、

幸福な子供時代がしのばれるのです。

 

12歳で古河高等女学校へ入学、16歳で東京女子大学へ入学!…

少女時代から秀才だったのですね。ああこのことをもっと前から知っていたなら、私は小説書いて見ようなんて気は起こさなかった?かも。少なくともあの時、永井氏の前で西太后の話なんかしなかったかも…

東京女子大学は戦争の影響で19歳で繰り上げ卒業したものの、

戦後に東京大学の聴講生になって日本経済学を学ぶ…私が昔聴いた講演の中でも「私は20歳の時、終戦を経験したことが自分にとってとても大きかった」とおっしゃっていました。だから学ばなければという思いに駆られたのでしょう。この聴講生の時に黒板伸夫氏と結婚。小学館に入社したのは結婚後のこと。文金高島田、打掛姿の永井氏と黒板氏の婚礼写真も拝見しました。

永井氏が小学館時代に編集していた『女学生の友』『マドモアゼル』や

永井路子の名前を使い始めた『人物往来』等雑誌の現物。そして直木賞受賞作『炎環』の原稿や初版本、直木賞受賞記念の腕時計。そして永井氏の著作が原作となった大河ドラマ『草燃える』、『毛利元就』のポスターや台本も展示。吉川英治文学賞受賞作で最澄を描いた『雲と風と』、『毛利元就』の原作『山霧』はサイン入り本を持っています。家にあるのと同じ本がガラスケースに収まっているのを見るのはちょっと不思議な気分でした。


展示物は写真撮影禁止でしたが、展覧会の様子は下記の「もっと知りたいかまくらナビ」 様のXでご覧いただけます。

https://x.com/kamakura_kankou/status/2024694067423302100

 

2023年に亡くなる間際まで身辺にあった品も展示されていました。
その中にレンズが紫色?私にはそう見える眼鏡(サングラス?)があります。
あれは非公式の場、大学のクリスマス会の折だったか、永井氏が

銀色の飾りのついた明るい紫のカーディガンをお召しになっていたのを思い出しました。紫色が好きでまた似合う色だったかもしれません。

『雲と風と』を出した時の講演では黒のシンプルなワンピースに
朱色のテープ状のネックレス?石や金属ではなくて中華模様の布でよくあるネックレスよりも長さがあって胸のあたりまで下がるものをつけていました。仏教の偉人、最澄というテーマにあわせての装いだったのでしょう。


最初に聴いた鷹見泉石についての講演で「ダイヤの指輪や毛皮のコートは買わない」とおっしゃっていました。つまり自分は贅沢をせず、古河歴史博物館、古賀文学館などの設立に寄付。

 

あらためて永井氏、黒板氏夫妻と面識を得られた幸せを感じ、また『炎環』『歴史をさわがせた女たち』シリーズなどを再読したい、一方でまだ読んでいない『氷輪』『岩倉具視』は読まなきゃと思いました。



 

 


 

早春の花々、双子のミニトマト、ウィンナーコーヒーの思い出

3月7日、晴れて暖かかったので久しぶりに父を車椅子で公園に連れていきました。

「南夕子の樹」と私が勝手に呼んでいるシモクレンの樹が

満開になっていました。


遠距離通勤をしていた昨年より時間があるはずなのに、咲き始めに気づきませんでした。


就職支援のセミナーに出たり、履歴書や職務経歴書を作ったり、それを送って
書類選考で落ちたり、バタバタしていたせいでしょう。



母が大好きだったハナモモもユキヤナギも満開です。



この日、父は体調がよかったらしく、自分で車椅子をまわしたがりました。

弟は風邪をひいたと言って医者に行きました。そんな体調なのに翌日は
日曜出勤しました。

同じ日、近所のコミティハウスへ行く途中でゼニアオイが咲いているのを見つけました。この花を見るのは何年ぶりでしょう。



生協で買ったミニトマトの中に「双子」がありました。双子のまま、バランスよく

実っています。これは初めて見るもので何となく縁起がいい気分に

なりましたので写真を撮ってしまいました。

 

スーパーで1パック430円のとちおとめを買いましたが、同じ店にロールカステラがなかったので一袋198円の「不ぞろいパンケーキ」に載せ、ホイップクリームでイチゴパンケーキアラモード?にしてみました。

弟には「いちごどら焼きか?」と言われました(笑)。

 

翌日にはサンド風にしました。

 

前回も買ったホイップ済の植物性のクリームですから、ウィンナコーヒーにしてもおいしくないので、余りはパンに塗っていただきました。

ウィンナーコーヒーといえば、素敵な思い出があります。

銀座の松屋裏にあった我が美川隊員こと女優の西恵子さんが経営されていた喫茶店『蕃』でウィンナーコーヒーをオーダーしたところ、運んできたコーヒーに
マダム自らがクリームを入れてくださったのです。美川隊員に眼の前でうずまき状に生クリームをしぼっていただけるなんて、あれを越えるウィンナーコーヒーにはこれから出会うことはないでしょう。筆者が書いていることが

わからない方は『ウルトラマンA』をご覧ください。
 

佐助稲荷神社と川喜多映画記念館

3月6日、2月にも参拝した銭洗弁財天を再訪。

前回持って来られなかった家電量販店系のクレカを洗いました。

このクレカでミシンと88鍵のキーボードを買う?かもしれないので…

よい買い物ができるようにと…我ながら欲が深い? 

本殿の市杵島姫命へ参拝した後、

その脇の石段を昇って上之水神宮にもお参り。

 

お社の脇から流れ出している小さな滝の音に癒されます。

 

その後朱色の小さな橋のある下之水神宮、

いわゆる七福神が全て祀られている七福神社へも参拝。

その後、境内の茶屋の脇の鳥居を通って

以前友人からパワースポットとだと教えてもらった

佐助稲荷神社を訪れました。

 

銭洗弁財天へ入った時のトンネルとはちがう道、
住宅街の中の曲がりくねった狭い道ではありましたが、

距離的には広い道路へ出るよりも
近かったようです。


連なる赤い鳥居とたくさんの白い陶器の狐…確かに不思議な、

ひょっとすると異世界へ通じていそうな、

いかにもパワーの得られそうな…ところでした。

ホタルについての掲示がありました。

夏にはこの鳥居に沿った小さな流れにホタルが
出るのでしょうか。

たくさんの陶器の狐たちに圧倒されます。



初めて参拝に来られたことの感謝と今後のことを祈りました。


澄んだ水をたたえた霊狐泉の前のベンチで休憩させて頂きました。


佐助稲荷という名前の由来は「佐殿」(すけどの)と呼ばれていた源頼朝を

助けたからとのこと。信州出身の私は「佐助」と聞くとすぐ「猿飛」と連想してしまうのですが、猿飛佐助の方がこの神社から名前を

お借りしているのかもしれませんね。


神秘のパワーをチャージした後、川喜多映画記念館へ向かいます。

鎌倉駅へ戻って小町通から入ろうかなと思いましたが、

グーグル検索をしていますと駅まで戻らなくても
行ける道が出てきました。

住宅街の中の曲がりくねった道をときどき立ち止まって

スマホを見ながら歩きます。


途中、巽神社という今まで来たことがない神社へお参り。

美しく咲いた水仙と出会いました。


小さな踏切を渡ってたどりついた川喜多映画記念館。


開催中の「サスペンス・ミステリー映画の奇しい(あやしい)世界」を

鑑賞します。



展覧会サイト
https://kamakura-kawakita.org/exhibition/the_beguiling_world_of_suspense_and_mystery_films-2/


ミステリー関連とのことなので興味を持って来たのですが、

自分がミステリーの本を読んだ量ほどミステリー映画を観ていないことを痛感。

題名は聞いたことがあるけど観ていないか、ひょっとすると一度ぐらい

テレビなどで視たかもしれないけど内容を記憶していないか(笑)。

それでも個人的にはシチコック作品の中では一番好きな

『ロープ』のポスターが見られたのはラッキー。

館内は写真撮影禁止ですが、

下記の記念館様ブログの写真に映っています。

記念館ブログ
https://kamakura-kawakita.org/2025/12/%e7%89%b9%e5%88%a5%e5%b1%95%e3%80%8c%e3%82%b5%e3%82%b9%e3%83%9a%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%83%9f%e3%82%b9%e3%83%86%e3%83%aa%e3%83%bc%e6%98%a0%e7%94%bb%e3%81%ae%e5%a5%87%e3%81%82%e3%82%84%e3%81%97/

旧川喜多邸別邸は非公開ですが、

記念館前に設けられた遊歩道から外観を見ることができます。


記念館の資料コーナーで本を見ながら足休めをさせて頂いた後、

父に頼まれた払い込みをするために鎌倉駅近くの郵便局へ。

もう少し早い時期に来ていたら河津桜が見ごろだったようです。


払い込みの後、郵便局近くの大巧寺を参拝。

安産にご利益とのこと。子供は産みませんが、

何か役立つものを生み出せたらと思うのです。



大巧寺の境内に「ロゼ・フローラ」という

小輪のおしゃれなピンクの椿が咲いていました。

 

『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』で断捨離? 沈丁花の思い出

日光金谷ホテルに泊まった夜、部屋のテレビをつけたら、ミラノ・コルティナ
オリンピックのフィギュアスケートのショートプラグラムの中継でした。
坂本花織選手の踊る『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』を視ながら…自分にも
グッバイしなければならないものがあるのを思い出しました。

浅田真央選手がフリーの演技でハチャトゥリアン『仮面舞踏会』のワルツを踊っていたころ、
この曲を頭の中で流しながら当時働いていた店の中を掃除していました。今は
『タイム・トゥ・セイ・グッバイ』を口ずさみながら、セイ・グッバイできるもの
を探す、つまり断捨離できるものを探っています。

だぶん20代の頃買ったケーブル編みのフード付プル―オーバー。

ショート丈でフード付、色はアイボリーなので水色や紫、緑、

ピンクなどのハイネックTシャツやセーターと組み合わせて
ずいぶん重宝しました。

 

今となってはかつてかわいく見えていたフードが邪魔です。
写真ではわかりにくいですが袖口もかなり傷んでいます。

ですので…腹巻?に転生させられないかなと考えております…

それじゃ断捨離にならないか?

断捨離については…父を看取れば一部屋空きますから

そんなにしゃかりきにやらなくても
…という気もします。

私の今考え得る自分のエンディングは今の住まいで一人、

息を引き取り、腐る前に誰かに見つけてもらって焼いてもらうこと…

一方で経済的にきびしくなり、管理費や光熱費の負担が大きくなって、

今の住まいに住み続けるのも難しくなったらどうしよう、

てなことも考えます。

そうなったらどこでも暮らせるところへ行きますが…

2018年に亡くなった母と散歩の時、

よく眺めていた近所のマンション前の沈丁花が
今年も咲き始めました。


この花の香りはさらに懐かしい思い出を呼び起こします。
高校を出て上京して初めて住んだ家の庭にも沈丁花が咲いていたのです。

学校の学生課で紹介されて初めて下見に行った時、

この花の香りに包まれてここに住もうと
決めました。

 

ついでにいいますとこの沈丁花の根元にはスズランも生えていました。
沈丁花とスズランを見るたびに心が和むのはこの時の記憶のせいでしょう。


風呂なし、トイレ共同の3.5畳で小さな流しがついていました。

窓際にちょっとだけある板の間に冷蔵庫置いていました…

スペース的には人生の最後はあの程度の
空間とそこに収まる程度のものがあればいいのではないか、

そんな気がしています。
バスとトイレはついていた方がいいですが(笑)。

でもあの小さな部屋へ帰っていくとすれば、

ずいぶん断捨離しなければなりません。
新聞記事によればタレントの光浦靖子さんがカナダに移住するにあたり、
持ち物をトランク2個ほどに減らしたのだそうです。

それに見習えるといいのですけれど
欲の深い私にできるのでしょうか? 

これまでの30年ほどで手に入れた本や服や諸々を整理するのに、

ひょっとするとこれからまた30年かかったり?

しないように心がけていきます。
 

ひなまつりマシュマロ、モヤモヤしつつの発掘?品

 

横浜美術館に行った日に100円ショップで

ひなまつりマシュマロを買ってみました。
我が家のひなまつりのお祝いはこれだけ(笑) 

袋はかわいいけれど中身は緑、桃、白の
ひし餅カラーではなく、ほんのり桜色、

いちおう中に餡らしきものは入っています。

 

2025年11月から離職し、失業給付手続きを取り、

しばしあこがれの?専業主婦?生活をしています。

すぐに次の仕事を探すつもりではいたのですが、ちょうど
離職前後から父に不思議な認知症風症状が出て、

今までのようなフルタイム、遠距離通勤、

残業有の仕事は無理な感じになり、

今後のことではモヤモヤしております。

私が家にいて介護し続けるのが父にとっては一番快適ですし、

その方が私も楽…


でもひょっとするとあと30年ほども続く人生を

社会との関わりを持たずにやっていけるかというと…不安。
就職支援セミナーによれば60歳から65歳で

働いていない人は全体の25%しかいないそうです。

 

どう考えても私が働かなくていい裕福な4分の1に入るとは思えません。


なかなかこれからのことについて考えがまとまりません。そんなこんなで
もしも無職状態になったらやろうと思っていた身辺整理、

読もうと思っていた本を読む、やりたい勉強等も驚くほどはかどりません。

 

はかどらないながらも
少しずつ片付けているうちに発掘?したものもあります。

コアラ柄のキッチンミトン。勤め先の同僚がオーストラリア旅行のお土産に贈ってくれたものです。

しまい忘れておりました。ちょうど今使っているものがかなり傷んで中綿が
見えていますので、見つかってラッキーです。料理がいくらか楽しくなりそう。


これも同僚から中国か韓国のお土産にもらったハンカチ?らしきもの。



生地はハンカチよりふきん?に向いているような―でもふきんにするにしては

おめでたい凝った刺繍がされています。ちょうど今使っているふきんが古くなっているので
タンスの底から台所へ進出してもらうことにしました。

ご当地キティのミニタオル。富士山の絵と「相模」の文字がありますから、
おそらくは小田原か鎌倉で買ったとも思われますがはっきりしません。

持ち歩くにはいささかカワイ過ぎるので洗面所でフェイスタオルとして使うことにしました。

 

亡くなった母が何か作るつもりでいたらしいグレーのウール風の布。

父が車椅子に乗る時、膝が寒いというのでひざ掛けにしようと思い、

なんとなく縁を縫ってみました。

 

でもこんな風にブローチでとめてみるとストールにするのも

悪くない…気はしますが、

やはり縁はミシンで縫った方がきれいですね。

 

母のミシンは壊れていたので処分してしまいました。

自分用のミシンを買おうかと思いますが、

その前に仕事探さなきゃ。

2月に入り、何となく父がデイサービス利用を

受け入れつつある感じになってきたので、
少しずつ今後のことを考えています。

仕事を探すなら…書店か図書館(司書資格ないけど)か、

本に関わる仕事かなと思うのですが、

その辺でしたら一応、経験がありますから。

でもどうなることやら。
 

 

横浜美術館リニューアルオープン記念展「いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年

2月27日、横浜美術館で『いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』

を鑑賞しました。韓国についても現代美術もあまり詳しくないのですが、

この展覧会は見ておきたいと思ったのです。

 

展覧会サイト
https://yokohama.art.museum/exhibition/202512_jkart1945/

第1章の「はざまに―在日コリアンの視点」のコーナーでは衝撃を受けました。
まずはマンホール画家と言われた曺良奎(チョヤンギュ 1928~~没年不詳)。
この方のことは初めて知りました。展示されていた『密閉せる倉庫』『マンホール B』などの作品にはつらい仕事に従事する者が感じる抑圧が写し取られている感じで、家には
ほしくないけど描いてくれたことには感謝。これほど自由に真実に迫る芸術表現をしていた画家が1960年に北朝鮮に帰国し、その後消息不明、晩年にはどんな暮らし、
どんな思いでいたのでしょうか。このコーナーは写真禁止でしたが、『マンホール B』は上記展覧会サイトで、『密閉せる倉庫』は下記のサイトでごらんになれます。

https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/31796?page=2

白 玲(ペクリョン(1926 –1997 )の『私も祖国へ』の前でも立ち尽くしました。

1959年北朝鮮へ向かう直前の母子の絵。女の子は花を持たされています。

これは明るい未来に歩き出すための記念写真?のような絵。

お母さんが優しく「これ持ちなさい」という声が
聞こえてきそうです。この絵は下記のサイトでごらんになれます。

https://2029mag.musabi.ac.jp/column/4599/

国際結婚によって北朝鮮に渡った女性たちの写真と映像、インタビューで構成された
林典子(1983–)『sawasawato』にも見入りました。こういう道を歩む女性には
「愛する人についていく」という一途な素朴な人というイメージがありましたが、
1950年代に国立大学で経済を学んだ知性と信念を持つ人もいました。住んでいると
思われる部屋の中にいる女性の写真もあり、それを見る限りぜいたくではないものの
快適に暮らしていると見える人もいました。ともあれこうした真実の姿をもっと
広く知られる必要があると思います。
このコーナーの展示写真はこちら
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/31796/pictures/5


第2章 『ナムジュン・パイクと日本のアーティスト』では映像を見ましたが、少々私には
難解でした。

第3章「ひろがった道─日韓国交正常化以後」では写真撮影が許されていました、
部屋の壁がこういうのでもいいなと思ったのが李禹煥(リ・ウーファン1936–)の
『線より』


そして『点より』

こういう柄のチュニックかブラウスがほしいです。似合わないかな。



高松次郎(1936–1998)の『波の柱』も置くところがあれば家にほしいです(笑)。


郭徳俊(クァク ドッチュン(1937–2025)の『12等分の世界全図』

そしてアメリカ大統領と自分の写真を重ねた作品『フォードと郭』『レーガンと郭』
『クリントンと郭』にも衝撃を受けました。

『トランプと郭』もあるといいのに。

 

第5章「ともに生きる」では2024年の横浜トリエンナーレでも見た富山妙子の
「光州のピエタ」や美しい海の生物たちと一緒に戦死した人々の骸骨を描いた
「南太平洋の海底から」がありました。ピエタのようなことが今も世界で起きているのがつらいです。「光州のピエタ」は展覧会サイトでごらんになれます。


現代美術は今一つ難解と思いながらも3時頃から閉館間際までいました。
帰りにミュージアムショップでとてもラッキーな買い物をしたのですが、
そのお話はまた後日。

ランドマークプラザの春節企画の三国演義の関羽ら、

京劇のヒーローたちのオブジェもきれいでした。





 

♪どうしてもどうしても確定申告…及び自家製いちごミニショート

日光金谷ホテルのいちごの食べ比べについて書いた記事、多くの皆様に読んでいただいているようです。

 

先日、スーパーでとちおとめが400円ちょっとで売られていたので、
家でも買ってみました。いちごミルクロールケーキとホイップクリームも買って
ミニショートケーキ風に…

 

ケーキがピンク色なので、昨シーズン作ったものよりもさらにかわいくなり、

父が喜んで食べてくれました。

 

ただホイップクリームの箱をよく見たら植物成分のもので、そのせいか

余りでウインナコーヒーにしてみましたが、

あまりおいしくありませんでした(笑)。

 

ようやく面倒な確定申告の計算をし、電子で提出しました。

毎年、この頃になると「医者の領収証さがして~」とか私が騒ぎ出すので家族が閉口しています。「どうしてもやらなきゃだめなのか、やったって返ってくるのはわずかなもんだろうが」と言われるのです。

NHKのミラノ・コルティナオリンピックのテーマソングのサブが
「♪どうしても~ああどうしても~」という歌詞。
「♪どうしても~ああどうしてもやらないと犯罪で~」と替え歌を頭の中で歌いながら、確定申告書を入力―実は30過ぎの頃、ふと思ってかんぽの個人年金保険に入り、数年前から年金をもらっているのです。「まだ働いているからの受け取りを先延ばしできないのか」と郵便局で訊いたけど不可能だということでした。いわば自分が積み立てた貯金をおろしているようなものなので、
確定申告しなければならないのは面倒なのですが…

7年前に亡くなった母が春になると喜んで眺めていた近所の公園のミニラッパ水仙が今年も咲きました。



父がぶつぶつ言いながらもデイサービスに行ってくれるようになったので、
職探しにとりかかっています。

住んでいる自治体の公共図書館の業務補助募集に応募しましたが、書類選考で落ちてしまいました。正直、さして待遇がいい求人ではなく、ただあの図書館に行くのに交通費を出してもらえると思うだけでわくわくしてたのですが(笑)。そういう不埒な考えを見抜かれてしまったのですね。
 


 

 

 

 

レモンのマット、せいろとお気に入りのスプーン

今月の選挙は投票日が旅から帰った翌日なので疲労が心配で、

期日前投票をしました。


期日前投票の場所は家の近所ではないのですが、

帰りに立ち寄った100円ショップで
レモンの柄の水切りマットを見つけました。



家にある白魔術の本には

「レモンの果実には料理やハウスキーピングの腕をあげる力があり、

イラストやイミテーションでもOK。エプロンやクロスにはこの模様のものを
一枚は持っておくとよい」とあります。

白魔術の効果はあまり期待できませんが、

ささやかなものでも心から好きになれるものが

手に入るとうれしいものです。

今回の選挙はきっかけも結果もあまり気に入らないのですが

1つだけはいいこともありました。

2月の祝日、近所のコンビニで中村屋の肉まんが

値下げになっておりましたので、せいろで蒸してみました。



我が家のせいろは直径13センチ、内径11.5センチの小さなものです。

以前うっかり「大きな肉まん」なる商品名のものを買ったら入りませんでした(笑)。

これにぴったりくる鍋はないので、小さめの片手鍋の中に、

小さな陶器を入れて水を注ぎ、陶器の上にサニーレタスと
肉まんを入れたセイロを載せる、つまりセイロが水に

沈没しないようにして蒸します。

先日、朝の情報番組でせいろの料理を紹介していましたが、

材料によって火の通りにちがいがあるので、

例えばニンジンと大根は別々に下ごしらえを
電子レンジ等でしていてずいぶん面倒くさそうでした(笑)。

だいたいレンジで下ごしらえをするなら

せいろを使う意味が感じられません(笑)。

正直、芋類をせいろで蒸すのは手間かかりすぎな気がしますが、

肉まんやシュウマイ、冷凍餃子は見た目もおいしそうで食べる時、

しあわせを感じます。

もう一つの幸せな時間…生協で買った乾燥したクコの実をカップに入れ、

温かいコーヒーや紅茶を注ぎます。

 

クコの実は眼にいいとのことなのですが、
クコで飾るような凝った料理を作る趣味はありません。

乾燥クコはレーズンなどとちがい、

そのまま食べるにはやや硬いのでこうして飲み物でやわらかくします。
 

その時に必ず使うのがなぜか金のクマのティースプーン。

確か外貨預金を始めた時に景品でもらったものですが

可愛くて見る度に気持ちが和むのです。


こういうことをブログに書いていることを話した友人たちの中には
「私、自分の日常を書くのって意味を感じなーい!」という反応をする人も
います。「私はこんな無駄なことに時間や手間を使わないわ」とちょっと
見下した感じで…

 

たしかに無駄だと笑われるのは承知で、なんと申しましょうか、

これからの世の中も自分の暮らしも変わっていきそうで、
実際数年前と変わっていますから、

ささいなことでも幸せや喜びは書いておく
必要を感じるのです。

 

老後の暮らしへのアドバイスといったネット記事にも「健康食品の購入などは

見直すべき」とあります。テレビコマーシャルをしているような品々ほど

高価ではありませんが、クコとの関係?も見直すべきでしょうか。


 

 

 

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>