実以のブログ -59ページ目

崎村裕『百年後の友へ―小説・大逆事件の新村忠雄』―オウム死刑囚のニュースを聞いて

「この人たちみんな同じ日に処刑されていたら、ぼくらの記録が破られるところだったね。

まあ、おめでたい記録じゃないけどね」

 

オウム真理教事件の死刑囚7人執行のニュースが流れた日、実以の脳内の茶の間に1人の青年が現れて言いました。彼の名は新村忠雄。明治43年に発覚したいわゆる大逆事件、あるいは幸徳秋水事件で捕えられ、翌年1月に処刑された12人の1人。これほどの人数の死刑執行がほぼ同時に行われたのは近代以降の日本では他に例がないそうです。

 

 

 

今回の報道を聞いて私はこの『百年後の友へ』を本棚から引っ張りださずにいられませんでした。

暑い上に残業が多い今、読み返すには適した本とは言えないのですが、大逆事件については多くの本が出ていても新村忠雄のことを中心に掘り下げた本は他にないのでこの機会にブログに書いておこうかと。

 

オウム事件はなぜか大逆事件を連想させます。もちろん幸徳秋水と麻原彰晃は全然ちがうし、幸徳らの思想、社会主義、共産主義とオウム真理教もぜんぜんちがいます。何よりもオウム事件は実際にこの教団のメンバーによって多くの人が命を奪われ、苦しんだ事実がありますが、明治43年の事件はそうではありません。捕えられた人々の罪は皇族に危害を加えて国家を転覆しようとしたとされましたが、現在ではそれが当時の政府のでちあげと言ってもいいフレームアップであることが判明しています。

 

明治20年に長野県埴科郡屋代町に生まれた新村忠雄。この本によれば新村家は「雑貨屋を開き、また田畑を所有していた」とのことなので比較的裕福に育ち、学校の成績もよい方だったようです。16歳の時、浅草で牧師をしていた従兄を頼って上京。2年後に故郷へ戻ってメソジスト長野教会で受洗、このころから幸徳らが発刊した『平民新聞』を読んだり、社会主義、共産主義思想を持つ人々と交流していきます。明治41年7月、21歳の時、雑誌『高原文学』の編集兼発行人となりますが発行禁止に。この年11月に故郷の家を出て都内の友人茂木一次のところへ行き、自活の道を探りますがうまく行かず、書生兼飯炊きのような形で幸徳秋水のもとで暮らすことになります。

 

この頃、幸徳と彼の元に集まってくる同じ思想の人々が茶飲み話のようにして「暴動を起こして二重橋から皇居へ入り、番兵を追い払って天皇に無政府共産の詔勅を出してもらったら?」とか、「爆裂弾を天皇の馬車に投げて帝と言えども神様ではなく、ケガもすれが

血も流す人間だと多くの人に知らしめたら?」というようなことを話したことはあったようです。それが後に天皇暗殺、国家転覆計画=死刑に値する罪とされるのです。

 

明治41年から42年にかけて2か月、前橋監獄へ収監された後、3月から8月まで新村は紀州新宮の社会主義者で医師の大石誠之助の元で過ごします。このことが大石ら紀州の社会主義者たちを事件に巻き込んでしまうことになります。

 

東京に呼び戻された新村は、9月、雑誌『自由思想』を発禁後も出したかどで請求された罰金の金策のために、故郷へ戻ります。そして郷里に近い明科町の製材所の職工となった同志の宮下太吉に爆裂弾作りに必要な薬品や道具を調達します。宮下はブリキ缶で爆裂弾を作り、山中で投げて実験を行い、それが露見して逮捕されます。新村忠雄の兄、善兵衛は何も知らずに弟のために薬研を借りてやっただけで懲役8年の判決を受けてしまいます。

 

この本も含め、私が読んだ数冊のこの事件に関連した本によれば、幸徳秋水は事件の名前になってはいても首謀者などではありませんでした。ただ彼の愛人だった菅野スガと新村、宮下太吉、園丁だった古河力作の四人の間では「爆裂弾で皇族の馬車を襲ったら?」というようなことが話しあわれ、実際に宮下は爆裂弾を作ったのです。

 

この事件で刑を受けた人々には天皇暗殺計画など身におぼえがなく、幸徳と親交があっただけのいわば冤罪の人が多いのですが、そういう点では新村は冤罪ではありません。本人も発覚したら命はないと覚悟はしていたようです。それにしても「爆発物管理法違反」といった罪だけで襲撃未遂ですらないのですから、死刑になるべきではありません。

 

友人の茂木一次が書くところによれば新村のルックスは「好い男というほどではなかったが、色白で目鼻立ちも整い、ことに笑うと笑窪が深く目立ってみえた」。また大石誠之助によれば「大言壮語する」傾向があったとも。

 

いくらか頭よさげ、プライド高めの文学青年。そう、現代でもよく見かけるタイプです。私は新村が尊敬すべき人物なのかどうかちょっと首をかしげてしまいます。彼らの計画が成功していたらよかったとも思えないし、社会主義や共産主義にも賛成ではありません。ただ平凡な人間ではあっても自分なりに考え、行動した結果、歴史のうずに巻き込まれていった姿を私たちは忘れてしまうべきではないと思います。

 

ちなみに佐木隆三の『小説・大逆事件』、瀬戸内晴美の『遠い声』では新村忠雄は菅野スガに恋して革命計画に深入りしてしまうことになっています。彼の短い生涯に年上の女性とのロマンスがあった―とする方がストーリー的には面白いですね。

 

オウム事件に話を戻すと、大逆事件とは事件の本質も関わった人々もまるきり違うのですけれど、事件が社会につきつけた複雑な、重い何かが共通しているのではないでしょうか? 

 

今、オウム事件については「まじめだった人が…、優秀な青年がなぜ?」という記事や番組が多く、そういうのは多くの人の興味をそそるのでしょうけど。あまり重要なことではないように思います。どんな人でもそうなる時はなるのですから。

 

それより気になるのはこれからのこと。オウムの後継団体への監視や捜索。安全のために必要というのも

わかるけど、ある宗教なり思想なりを「危険」と断じる空気はいかがなものかと。それをいうなら危険がまったくない宗教ってあるのかと―例えば我が家は仏教で私は一時期、カトリック教会へ通っていました。

 

オウム真理教の犯罪は犯罪で死刑の執行も被害にあった人々にとっては必要な区切りかもしれません。でも仏教やカトリックがオウム真理教とちがって全く人殺しなどしたことがないかと言うと―そんなことは

ありません。

 

私の家は浄土宗なので家の墓には念仏=南無阿弥陀仏と刻まれています。オウム事件への社会の向き合い方に注意していかないと、念仏はこの度違法になったから墓にはお題目を刻みなさいとか、仏教は違法になったから墓には十字架を建てなさいなどという

世の中が来てしまわない?とも限らないのではないでしょうか。

 

ムクゲとオシロイバナ 夏の雑草の楽しみ

アジサイの花が盛りを過ぎ、今、散歩の楽しみはムクゲの花。

 

7月8日、家の近くの公園のムクゲが満開になりました。

 

先週までは上の方しか咲いていなかったのですが、目線近くのところの

花も開いたので車椅子の母も喜んでみていました。

 

 

これは同じ公園にある濃いピンクの八重咲きのムクゲです。

 

ムクゲの近くにはオシロイバナもたくさん咲いています。

 

 

近所の集合住宅の裏手のツユクサとユウゲショウも風情があります。

 

芝生の中に生えているアカツメクサとクローバーを摘んで「むかしあめ」の

瓶にいけてみました。雑草ですが涼しげでかわいいですね。

蕃のストロングコーヒー、歌舞伎とおやき?

6月25日、歌舞伎座で『巷談宵宮雨』の幕見券の販売が始まる前、

GINZANAGANO(銀座にある長野県の物産館)で一休み。野沢菜の

おやきを頂きました。1階売り場の冷凍庫にあるおやきを選んで温めてもらうのです。添えられている漬物が暑い中を歩いてきた私にはとっても

ありがたかったです。汗で塩分が失われているので。

 

 

幕見券を買った後、劇場に入る前に美川隊員こと西恵子さんの喫茶店

蕃に立ち寄り、「ストロングコーヒー」を飲みます。前の晩、夜更かしをしたので観劇中に眠くならないように。西さんにはごあいさつしませんでしたが

いつも癒されるカフェですね。

 

なぜ『巷談宵宮雨』を観たいかというと以前に友人と観た『吹雪峠』と同じ

著者の芝居だということ。それから2年前の夏にBSで放送された

1970年制作の『日本怪談劇場』の『宵宮雨』を視て、原作の歌舞伎も観たくなったのです。

 

『日本怪談劇場』では鼠退治の薬を盛られる破戒僧竜達の役は

十七代目中村勘三郎でした。それから太十の女房を演じた阿部洋子と

いう女優さんの演技が江戸の女性の生活感にあふれていてすごいものでした。

 

歌舞伎の竜達は現中村芝翫、十七代目勘三郎に比べると凄みにかけるけど

これは恐怖よりユーモアを強調した演出のせいもあるのでしょうね。

太十もドラマより若い感じだったし。

 

梅雨時にぴったりの楽しい観劇でした。

 

さくらんぼ、ガクアジサイ、椿の実 七夕のお願いごと

 

ちょっと高価なので毎日というわけにはいきませんが時々さくらんぼを買って母に食べさせています。さくらんぼといえば太宰治。また読んでみようかな。

 

近所の集合住宅の裏手にはガクアジサイが咲いています。真ん中のツブツブがだんだん開いていくのですね。アジサイとはまたちがった可愛らしさ

があって母を喜ばせています。

 

ガクアジサイの近くの椿の樹に真っ赤な実がなっています。

 

星流れ星七夕のお願いごとは何?ニコニコキラキラ

 

この椿の樹が次に咲かせる花も母に見せてやることができますように。

それまで元気で家で過ごせますように。

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アジサイ観察日記

7月に入った今は盛りを過ぎつつありますが、6月には母との散歩ではアジサイの美しさを堪能しました。

これはよく散策する公園の隅のアジサイの6月4日の写真です。

 

同じ株の6月7日、淡い紫とピンクの流れのようになっています。

 

そして6月18日、満開ですね。

 

道路にはみだして咲いている枝があり、車椅子の母も目の前で楽しむことができました。

 

時々お参りする神社近くのアジサイは公園のものよりやや遅咲き。これは

17日の写真。

 

近くでアガパンサスも咲いています。

 

24日は雨上がりで特に輝いていました。

 

ひし形のかたまりのように咲いているものも。

 

この株は7月に入ってもしばらく楽しめそうです。

アジサイが母にこの夏を元気に過ごす力を与えてくれますように。

アジサイが仕事の変化を迎える私を支えてくれますように。

巷談宵宮雨 宇野信夫著作集 青蛙房

6月25日、歌舞伎座で『巷談宵宮雨』を幕見。その予習のために読みました。

装丁に時代を感じさせます。表紙も見開きも和紙貼りで風情があります。口絵はこの歌舞伎に登場する破戒僧竜達を演じる六代目尾上菊五郎。


女犯の罪で妙蓮寺住職の座を追われ、日本橋で晒し者にされた竜達を引き取ったのは甥の太十とおいち夫婦。一間しかない太十の住まいで眠りこける竜達。竜達が花屋の花屋の娘に生ませた娘おとらはこの夫婦に育てられていたのですが妾奉公へ追いやられてしまっています。それが奉公先から逃亡してしまったと桂庵の老婆がおいちに話している場面から始まります。その夜、竜達は自分が住職をしていた寺の庭に埋めた百両を取って来てくれるよう太十に頼みます。太十夫妻は三十両ぐらいの分け前を期待しますが、竜達は二両しか渡しません。そんな時賭場で知り合った元壺ふり勝蔵。病気で薬売りに転職を余儀なくされた勝蔵から鼠退治の薬を買い、それを鯰といっしょに竜達へ食べさせて殺します。犯罪は成功したかに見えますが竜達は成仏できず…。

 

宇野自身が書いている前書きによれば、これを書いたのは昭和十年七月。浅草の橋場に住んでいた時、狭い庭はじめじめして、日が暮れると蚊柱が立ち、隅田川をゆくポンポン蒸気の音が聞こえる家でのこと。「その頃の私のもっとも好んだ人物、もっとも好きな情景を背景にして出来た。だから、私としてはもっとも愛着の深い戯曲だ」と著者は言います。そのせいか幽霊話ではあるのですが、おどろおどろしさやはあまり感じません。太十夫婦は竜達にたたられますが、しつこく脅かされたり、苦しめられたりせず、あっさりとした最期。恐怖よりも文政年間の江戸の下層に生きる人々の個性が際立ちます。後家をたらしこんで寺の住職になるもやはり女がらみで没落する竜達、そんな伯父にたかってきた太十夫婦。妾奉公を受け入れらない竜達の娘おとらが駆け込むのは早桶屋徳兵衛の家。それは徳兵衛の女房おとまが育ての親のおいちよりもおとらに優しいから。生活に疲れ、金への執着心に振り回されているようで、どこかに愛情や思いやりも持っている彼ら。

 

他に罪で江戸を追われた男とその子分だった左官屋、病で視力を失いつつある左官屋の妹を見舞う悲劇『雪地獄』、武州熊谷の指物師と義賊との友情を描く『因果小僧六之助』、宇野にとっての現代劇である『大根役者』『下町』『戦後五年の冬』など6つの戯曲がこの本に入っています。

 

中でも衝撃的だのが『戦後五年の冬』

 

ふゆ:あんな人じゃなかったんです。それァ元々チャキチャキはしてなかったけど、おっとりしたうちに、どっかハッキリしたとこのある人だったの。まるっきり人間が変わっちゃって。戦争で苦労したせいなんだから、時がたてばまた元に戻ると思ってたら、二年たっても三年たっても―何年たっても、益々気が抜けちゃうばっかり―やんなっちゃうわほんとに。

 

尾沢:(中略)一体、この情けなんてやつは強い者と弱い者がハッキリしてるときにこそ、その強者と弱者の間に上品に存在してるものなんです。敗戦日本―つまり弱い者揃いだ。弱い者ばかりでメソメソやってるんだ。そういうところに情けはありません。又あっちゃいけねえ。(以下略)

 

軍隊で下役だった尾沢のタクシー会社に雇われ、立場が逆転した輪タクの運転手和三郎と曖昧宿で働く妻ふゆ。ふゆの朋輩れいちゃんのところへ家庭ごっこを楽しみに来る会社員鳥羽。もとはりっぱな旅館の女将だった曖昧宿のママ。経済は復興してももどってこない何かと向き合う人々。

 

宇野の前書きによれば昭和27年3月に新派で上演された時、ヒロインふゆの役は初代水谷八重子が演じたそうです。こういう戯曲が新橋演舞場で上演され、スター女優が取り組んでいた時代が日本にあったのですね。

 

 

 

 

七夕のお願いごとは何?



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戦争がなくならないのはきっと、食べられない人たちがいるから、

やっていけない人たちがいるから、戦争のおこらない世界に

なりますように。

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七夕のお願いごとは何?

ガン闘病中の母、足腰を痛がっている父がこの夏を元気で

乗り切れますように。

それから私がこの夏起こる仕事の変化を乗り切れますように。

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G・K・チェスタトン ブラウン神父の秘密(創元推理文庫)

私が初めて読んだ推理小説は児童向け雑誌に載っていたコナン・ドイルの『まだらのひも』。やはり同じ雑誌の特集記事だったか、あるいは付録の小冊子だったかでいろいろな名探偵をマンガ風イラストで紹介していて、ポアロやマープル、明智小五郎や金田一耕助の名前だけは知りました。ブラウン神父もその一人。

 

大人になってから図書館で借りて数冊読んでみました。その中でもブラウン神父の博識と人間洞察力の鋭さに衝撃を受けたのが『俳優とアリバイ』という劇場支配人殺しのお話。以下は犯人をいかにしてつきとめたかを語るブラウン神父の言葉。

 

「ある女がどういう人物なのかを知りたいと思ったら、本人を見てはいけません。(中略)

まわりの男たちを見てもいけません。(中略)見なくてはいけないのは、その女の身近にいる別の女性、ことに目下の女性です」

 

 

 

私は20代から30代にかけて10年ほど一人の女性の上司の下で働いていました。苦学して大学を出た人で仕事もスピーディ、人柄もよく、数年間はよい関係でしたが、双方の生活環境の変化もあってうまく行かなくなり、配置換えになりました。今、あの頃のこと、彼女のことを思い出すと、いつもいつも彼女の言動に賛同していたわけでもないのに、知らず知らずのうちに彼女に似た面を持っている自分に気がついて愕然とします。よいところもそうでないところも…。そう女性は女性にそれも「目下の女性」にはありのままの自分をさらしてしまう…今は私が二人のアルバイト女性の、一応?上役です。彼女たちに私の真実の姿が映ってしまうのか? そういう戒めのために時々読み返そうと『俳優とアリバイ』が収録されている『ブラウン神父の秘密』は入手しました。

 

梅雨時のウツウツした気分を何とかするために再読してみますと、幸か不幸か記憶力が落ちていて『俳優とアリバイ』以外のお話はあらすじを全部忘れておりました。

 

目次を見ても雨の日の読書向きです。

『大法律家の鏡』

パーティでもないのに庭木にイルミネーションをつけ、そのあかりが池に映るのを楽しんでいた判事が被害者。現代とはちがい、この小説が書かれた1920年代にイルミネーションを家に取り付けるのは大変なことだったのでは?

 

『顎ひげの二つある男』

郊外にすむ裕福なバンクス一家の朝の食卓というホームドラマ風に始まるのに真相はとても陰惨な事件。

 

『ヴォ―ドリーの失踪』

野原と畠に囲まれた肉屋、

雑貨屋、仕立て屋、たばこ屋、レモン水の店だけの

商店街、そしてその裏手を流れる川。失踪したヴォ―ドリー卿の行方をさぐるブラウン神父と英国の田舎を散策している気分になれます。

 

 

『世界で一番重い罪』 

ブラウン神父が姪の婚約者の真の姿を見ぬくお話。

 

『メル―の赤い月』

題名は小説中で盗まれるルビーの名前。この小説が書かれた時代の英国の上流階級の東洋趣味が感じられる作品。

 

『マーン城の喪主』 頭が三つある?ともうわさされるマーン候の城が稲妻に照らされ、あわてて雨をさけるピクニックの人々の会話から始まる物語。

 

ホームズやポアロに比べると日本での知名度が低い?…ブラウン神父。映像化されているのに、私の知る限りお金を払わなくても見られるチャンネルで放映されません。

 

日本ではカトリックがあまりポピュラーでない、信者数の多くない宗教だからでしょうか?ブラウン神父の物語の根底に流れている哲学、世界観が日本人には難解なのかもしれません。

 

 

 

 

父が独身時代に買ったと思われる昭和31年発行の世界推理小説全集の『ブラウン神父』もあります。こちらも読み返す機会があったら感想をお話ししましょう。

 

 

 

 

 

藤井マリ舞踏『月と林檎とレモン虫』

6月21日夜、成城学園のアトリエ第Q芸術で藤井マリの舞踏『月と林檎とレモン虫』を

観ました。

 

会場は日本画家高山辰夫の自宅兼アトリエだった建物です。外側から見ると特に変わったところはない家ですが、入ってみると芸術家の住まいらしく趣向がこらされています。

 

たとえば藤井の舞踏が行われた地下のセラールーム。地下室にも関わらず大きな窓があり,開けるとそこには空間(ドライエリア)があって、昼間なら地上から光が差し込むようになっています。壁に取り付けられた絡んだロープのデザインの照明器具もおしゃれですね。

 

 

建物の感じは下記のサイトがわかりやすいです。

 

https://web.archive.org/web/20171121011418/https://camp-fire.jp/projects/view/34141

 

成城学園前駅徒歩2分と交通の便もよく、こんな住まいで暮らしてみたいものです。

 

仕事が終わってから7時半の開演ギリギリにに到着。庭の植え込みがカラフルにライトアップされていました。セラールームはすでに人がいっぱいで空いていたのは座布団席?だけ。

 

 

 

この日の新聞を持った藤井が登場。まずは床に横たわって全身に広げた新聞を掛け、それから起き上がります。舞踏を文章にするのは難しいのですが、藤井の動きに合わせて音楽担当の北瓜やよひ氏がペットボトルやさまざまなものを使って音を出します。藤井と北瓜がたがいに新聞を読み上げるシーンもありました。ちょうどそれが私が購読している新聞でこの朝読んだ記事なのでとても面白く感じました。

 

公演後に聞いた話では舞踏開始後、何分たったら照明を変える、CDを流すという時間については打ち合わせをしていたけれど、後は全て即興とのことです。パフォーマー二人だけでなく、照明やその他の効果のセンスもすごくよかったのですが、担当された早川誠司氏はこのアトリエのチーフディレクターでかつては明大前のキッドアイラックホールの責任者だった方でした。これも帰ってからネットで知ったのですが。

 

 

 

キッドアイラックホールもその地下にあったブックカフェもとてもすてきな空間で2016年末でなくなってしまい残念に感じていました。次回は8月23日に藤井の舞踏があります。仕事が休めれば時間に余裕を持って訪れてセラールーム以外の部屋も見たいと思います。アメンバーの皆さんでもし興味がある方がいらしたら実以に連絡ください(笑)。

 

https://www.seijoatelierq.com/