実以のブログ -58ページ目

今日は秋分の日 母と散歩しました

秋がきたらやってみたいことは?

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夏の間、暑すぎたり、忙しすぎたりして、本も軽く読めるもの
しかトライできなかったので、落ち着いて読書がしたいです。
長編だったり、重厚なテーマのものも読んで、ブログに
書きたいです。
 
それから映画も、たぶん劇場には行けないけど、録画したまま
なかなか視ていないものをちゃんと視て、感想をブログに
書きたいですね。
 
それからガンをわずらっている80代の母を散歩に連れ出したり、
花を見せてやりたいです。音楽も、もう劇場に連れて行くのは
体力的に無理そうだけどたくさん聴かせてやりたい―
 
今日も午前中、買い物兼散歩に出て、公園で白と黄色のタマスダレ、
ランタナを見ました。
 
ちょうど近所の神社が秋祭りで、お社の脇の木造の建物が実は
舞台であることを知りました。カラオケ大会をやる予定だったようです。
ここで邦楽や歌舞伎の上演もあったらいいのに。
 
お昼ご飯の後、スーパーで見つけたきれいなお彼岸用の生菓子を
家族で食べました。母は柿の実の形をした菓子をおいしいと
言ってくれました。
 
母と共にいる時間は一刻も無駄にできない気がします。
だから仕事で忙しくてつらいけど、家の中では明るく、
楽しくするつもりです。
 

山法師の実 この花の名は

涼しくなってきたので母を車椅子に乗せて近所の
公園に散歩へ行ってきました。 そしてハナミズキだと
ばかり思っていた木が実はヤマボウシだったことに
気がつきました。 
 
そういえばこの木の花はハナミズキよりもおそく、かなり暑くなってから咲いていました。そしてブツブツの
ついたさくらんぼのような実。 雨上がりでしたので
草の上に落ちていました。食べられるとのことですが
虫がついているものが多くて口に入れる気には
なれません。でも可愛いです。 写真の右がハナミズキ
(たぶん)、左がヤマボウシです。
 

 
それからこれも公園の芝生に生えている草の花、
清楚できれいなのですがネット検索しても
名前がわかりません。

どなたかご存知の方がいらしたらこの花の名を
教えていただければ幸いです。
 
 

星新一 『城のなかの人』角川文庫1977年

ショートショートの名手の5編の時代小説。

表題作は豊臣秀頼の幼少時から大坂城落城までの心理が描かれています。襖も天井も家具も食器も仕えてくれる女性たちも何もかもが美そのものの中で育つ幼い秀頼。彼が眼にした美ではない存在、それは太閤さまとよばれる老人だけ。時折彼を苦しめるのは人の首が

出てくる悪夢、それは秀頼が生まれたために破滅した人々の怨み? 太閤がなくなり、大坂城に入ると彼はこの豪華な城が人格を持っていて自分を見つめているように感じます。天下分け目の戦いの前に拝謁に来たのは家康と三成。戦いの後、彼は三成のまねをして失敗したのだと教えられます。秀吉が昔、信長の孫を「旗印」として戦い、天下人になったように三成は秀頼を旗印にしようとしたのだと。彼は自分をめぐる人々が父や母でさえ、「旗印」として見ていたことに気づくのです。そして大坂冬の陣の後、堀が埋められた城の姿を見て彼は城の外にあった邪悪な現実を知るのでした。

 

落城の時、自分の人生を回想してどこかおかしいと笑ってしまう秀頼。著者は戦時中に教育を受けた人ではありますが、大企業の跡取りとして青春時代までは恵まれた環境で育った人のようです。でも社長を継いでから経営危機に苦しんだとか。そんな星自身の

人生が秀頼を通じて語られているようにも思います。

 

『春風のあげく』は幼馴染の美女が藩主の側室になる直前、密かに関係をもった武士の忠之進が主人公。彼の愛する千代が遺した男子が実は自分の子であると確信した忠之進は勘定奉行として能力を発揮して城代家老になりますが…父だと名乗れなくても「親子の血のつながりのなかには、理屈を越えて理解しあえるものがあっていいはずだ」と忠之進。でも藩主の方は自分に似ている家老がうっとうしくて…出だしは

いくらか山本周五郎風?ですが結末はショートショートのようにありゃりゃ。

 

凶作の時、武士たちの意識が甘すぎるために破滅していく藩の姿をやはりショートショートのようなクールな視線で描いた『すずしい夏』。『はんぱもの維新』は幕末、誰よりも優秀で進んだ考えを持ちながら悲運をたどった小栗上野介の物語。小栗から見ると「はんぱもの」ばかりが新しい世を作ってしまったのです。

 

一番面白く、クスリとしながら読んだのが『正雪と弟子』。江戸幕府に反逆しようとした人物として知られる由井正雪をある種のペテン師?として描いています。軍学者、といっても彼の軍学は昔の合戦を語る講談みたいなものなのですが、抜群に面白いのでやがて

大名からも呼ばれ、そのうち彼の門弟になると仕官できるかもと思った浪人たちが集まり…。由井正雪といえば子供のころ祖母が視ていた『徳川三国志』という番組で中村敦夫が演じていて、ドラマの内容はわからないながら中村氏の威厳のある総髪姿を記憶しています。

 

時代劇の中ではしばしば江戸幕府方のヒーローのライバルとして登場する正雪、でも星にいわせれば「よくよく埋めるのが好きな男」。何かを面白く語っているだけの人間が学者のようになっていってしまったり、満たされない人々を吸引して大きな組織を作ってしまう、現代ではオウム真理教とその事件のような…軽妙な筆致でありながら現実の危うさ、恐ろしさと向き合っているお話だと思いました。

 

子規庵の庭

正岡子規の旧宅子規庵へ行きました。

子規が愛したケイトウがきれいです。

芙蓉の花は庭の女王のようでした。



子規が臥せっていた部屋のへちまの棚。大きなへちまがぶらさがっているのをみると気持ちが和みます。

これはミズヒキ。地味ですが秋の風情のある花。赤いミズヒキはよく見かけますが白いのは初めて。雪のようで涼しげ。

子規庵のスタッフの方のお話では今年は猛暑で庭の草花を育てるのが例年より大変だったそうです。

ハードな日常を忘れ、リフレッシュすることができました。

リビングで朝顔

今の季節=9月前半は公園でもサルスベリもムクゲも盛りを過ぎて
花が少なく、花屋さんに行っても私の予算ではあまりぱっとしたものが
手に入りません。
 
なので毎朝、ベランダで咲く朝顔の花を摘んで、水を入れたイチゴのパックに
浮かべて母に見せます。「かわいいねえ」と言って喜んでくれます。
 

母は歩行困難が進んできていて、リビングからベランダに出るのも
難しいのです。先日、ケアマネさんに頼んで家の中の移動に
使う歩行器を借りました。これでトイレに行く途中に転倒する心配は
少なくなりました。
 
ベランダの朝顔、一応、花は毎朝のように咲かせてはくれていますが
生育はあまりいいとは言えません。ハダニが発生してしまっていて…
集合住宅のベランダのような雨が降ってもぬれない場所で育つ
朝顔には乾燥のせいでハダニが出ることは珍しくないそうです。
 
植物に雨が降り注ぐということはただ水分を得るということばかりではなく、
虫や病気を防いでもいるのですね。
 
実は母は元気だったころ、わりと園芸が好きでした。持家ではありませんが
庭のある家に住んでいたころはバラや萩や南天やいろいろなものを
育てていました。父の定年を区切りに田舎から関東へ来てしまった理由の一つは、その庭を建物の持ち主の都合でつぶされてしまったからでもありました。
 
私はどうも母からいわゆる「緑の指」を受け継いでいないみたいで
今年の夏は朝顔の他、コスモスと千日紅の種をまいてはみましたが
…うまく育ちませんでした。勤め先の移転もあってあんまりゆったりと
草花に向き合う気持ちになれなかったからかもしれません。
 
涼しくなってきたのでこれからは母にもっといろいろな花も気も
楽しませてやるつもりです。

松本清張 『死の発送』角川文庫1984年

以前通信販売の仕事をしていました。商品の発送とか受け取りには何かと思うように行かなかったり、ミステリアス?なことが起こるものです。

  

そんなわけで題名に惹かれて読んでみました。いわゆる鉄道ミステリーの一つではありますが、犯罪の舞台になるのは珍しく客車ではなく、貨物列車です。この小説が書かれたのは昭和36年から7年にかけてのこと。鉄道による貨物輸送が今よりずっと盛んだった時代です。

 

 

 

 

カバーの紹介文によれば

 

「東北本線・五百川駅近くで死体入りトランクが発見された。被害者は東京の三流新聞

編集長・山崎治郎。しかし東京・田端駅からトランクを発送したのも山崎自身だった

…!」

 

亡霊が自分の死体をトランクに入れて発送?怪談めいたこの作品の題名の由来にもなっているこの殺人が発覚するのは、物語の三分の一ぐらい、第3章からで

それまでは出所したばかりの公金横領犯岡瀬正平の謎の行動とその死が語られます。

 

25歳の若さで巨額の横領事件を起こして服役していた元公務員の岡瀬は刑期を終えて出所。岡瀬を見張るよう山崎に命じられたのは部下の記者底井武八(そこいたけはち)。何やら鎧武者みたいな名前ですが底井が事件の謎を追う主人公。岡瀬の使い込んだ金のうち

一億円ほどが行方不明、岡瀬は使ってしまったと自白していますが、山崎はどこかに隠しているのではないかとにらんでいたのです。

 

叔父の営む雑貨屋に身を寄せてつつましく暮らしているかに見える岡瀬を、その向かいの菓子屋に部屋を借りて張り込む底井。岡瀬は府中の競馬場に行ったり、神楽坂に行ったりしますが、突然母の墓参のために福島県の飯坂温泉へ出かけ、そこで殺されてしまいます。

 

岡瀬の死体は墓のある寺の近くで発見され、墓石を動かした形跡があったことから山崎と底井は岡瀬が横領事件発覚する前に亡くなった母の墓に金を隠していて、それを奪われて殺されたのかとも考えますが…山崎は失踪、そしてトランク入りの死体に。

 

底井は山崎の事件が起こった時、福島競馬のために府中競馬場の馬を載せた貨物列車が運行され、岡瀬と関わりのあった厩務員の末吉が同行していたことから調教師の西田、西田が管理している名馬の馬主である元議員の立山を調査していきます。

 

『ゼロの焦点』もそうですが、読み終えた後の整合性のようなものよりも読んでいる途中を楽しむべき小説です。とりわけ私が面白いと感じたのが山崎の遺体発見の報が入る直前、底井が神楽坂で岡瀬と関係があったと思われる芸者をつきとめていくくだり。芸者衆がよく利用する喫茶店に入り、十七、八のウェイトレスに山崎の写真を見せたら山崎がある女性と来たと言うのですが、店側がその娘を使いに出してしまい、底井の捜査の邪魔をします。

 

 客商売の家では、ときとして、自分のお得意に迷         惑のかかりそうな話を避けたがるものだ。底井武八は、あの店では警察の刑事と見られていた。

 だから、店の者があわてて彼女をはずさせたのではなかろうか。それも余計なおしゃべりをさせたくないという単純な心理からであろう。(第三章失踪より)

 

 

 

 スターバックスやドトールではいくらお得意になってもこんなサービスは期待できませんね。底井はこの喫茶店のレジ係の女性の名前と住所を置いてあったハガキから知り、亀戸駅から飯田橋まで尾行し、偶然を装って話しかけ、なんとか岡瀬の馴染みの芸者の

置屋へたどりつきます。この「ちょっときれいなレジ係の女」宮部良子の描写があまりにていねいなので、私は彼女が後々事件にからんでくるのかなと思ってしまいました。著者は亀戸から飯田橋まで通勤して喫茶店で働く、そういった地味な仕事を続ける女性たちを見つめ、温かな心で描きだしているのでは、そんな気もします。

 

先にも書いた通り、貨物列車と客車との運行がこの犯罪を成立させています。登場人物の一人、立山の所有するヒノデカップは丸一日以上かけて東京から福島まで運ばれます。

 

 競馬場関係の厩務員たちに確めると、家畜輸送車は、それに積んだ牛、馬、豚などに停車中水を与えたり、カイバをやったりするので輸送時間が長くかかるとのことだった。(第六章工作より)

 

今は競馬馬や家畜はトラックで運ばれているのでしょうか。私は競馬にはくわしくないけれど、子供時代、いかにも馬や牛が乗りこめそうな大きな引き戸のある貨物列車は走っていました。

 

ネットでもどなたかがおっしゃっていましたが、結末は唐突です。清張の作品としてはやっつけ仕事風?

死人が自分を発送したかのような怪奇現象も犯罪を発覚しにくくさせてもいないのです。何だか車を使わずに公共の交通機関だけで殺人死体遺棄事件を決行したらこうなっちゃたみたいな。

 

21世紀では少なくなった個人経営の喫茶店、馬の乗った貨物列車、駅からのトランクの発送(今なら

宅配?)、出勤途中、喫茶店でソーダ水を飲む女

(今なら自動販売機?あるいはコンビニ?)菓子屋の

菓子屋の2階を間借りして仕事する新聞記者など細部のレトロ感が魅力のミステリーです。

 

 

 

 

久しぶりの散歩 早く涼しくならないかな ちょっと心配

9月2日夕方、雨がやんで涼しくなったので久しぶりに母を
車椅子散歩に連れ出しました。晴れれば猛暑、涼しければ
雨とこのところなかなか散歩できなかったのです。
 
晴れた日でも午後6時ごろなら涼しいのですが…どうもそこまで親孝行に
なれなくて…それに6時ごろは母は父との朝食時間なのでその習慣を
変えるのも難しく…。
 
 
近所の公園で紫式部の実が色づいていました。
 

 

実はこのところいくらかですけど、食欲が落ちていて、朝食後に梨を

いつも半分、細かく切って食べさせるのを、「食べきれない」と言い出したり。

 

それからいっそう歩行困難になってきて、ベッドからトイレまで行く途中で

転んだりします。 だから家の中で使える歩行補助具を使わせようかなと

思っています。

 

最近読んだ新聞記事によれば、歌手の高橋真梨子さんのお母様もガンをわずらっておられて、娘のクリスマスコンサートに車椅子で来るほど元気だったのに容体が急変してその年のうちに亡くなったとか。母もそんなふうに

ならないといいと思いつつ、見方を変えればラッキーな終わり方かも

と思ったり。

 

涼しくなったら母もまた元気になれますように。

 

 

 

 

アトリエ第Q芸術にて―イラスト展と舞踏

8月23日、夏休みが取れたので藤井マリの舞踏を観に成城学園前の

アトリエ第Q芸術へ行きました。前回は仕事が終わってからだったので

7時半開演のぎりぎりに到着でしたが、この日は6時頃到着。

 

 

2階がカフェ兼ギャラリーになっているとのことなので、ひょっとして

キッド・アイラックホール地下のブックカフェにあった本があったり

しないかなと思いましたが、それらしきものは見当たりません。

 

イラストレーターの後藤貴志さんの展覧会が催されていました。子供の

頃の人形遊びやままごと、童話の本を思い出させるかわいらしい

絵です。一番気にいったのは『美食』という作品。

 

本の表紙も手掛けていらして、どちらも面白そうな本なので今度読んで

みようかしら?

 

これはケーキを擬人化した?『ケーキの皆様』

 

鑑賞しながらカモミールティーをすすっておりますと、藤井マリが舞踏の前の

気持を整えるためにコーヒーを飲みに来ました。久しぶりに楽しいおしゃべり。

 

 

藤井の舞踏は前回と同じく、地下のセラールーム。本日は窓が開いていたので地下から見た玄関付近を写真に撮りました。

 

 

今回は舞踏中で電車の窓から撮影した映像が流れました。終わった後で

効果担当の早川氏に尋ねたところ、北海道で撮ったとのことです。

ついでにキッドアイラックのブックカフェの本の行方も伺いました。

オーナーが引き取ったとのことです。あのカフェの本には近年出版される

本が持たないすごい力を感じていたので、今後も有効利用されることを

祈ります。

 

帰る時に気がついたのですが、地下のドライエリアへのはしごが

ありました。今は使われていないようですけれど、本当に個性豊かな

家ですね。

 

 

三島由紀夫 『美徳のよろめき』(新潮文庫1960年)

高貴に育った上品な二十八歳の夫人、倉越節子が娘時代に一度だけ接吻したことのある同年代の男と恋に落ちる物語。

 

1990年代に藤谷美和子がヒロイン、その恋人土屋を阿部寛、そしてナレーションが岸田今日子のドラマを視て原作も読みたくなって入手した本です。その当時、「自分の両親に気に入られるようにしろ、でなければお前とはつきあう価値がない」と主張する、人間はいいけどうっとうしい人と別れたばかりだったので、ドラマでも小説でもこのカップルが共にいられる時そのものを心行くまで味わい、楽しんでいる姿がうらやましくてなりませんでした。それから昭和30年代前後のものではありますが、舞台となっている上流階級の暮らしぶり―土屋の毛深い腕に光るアレキサンドリヤ石のカフスとか、ヒロインが愛用するジャン・パドゥのジョイという香水とか、ハイシーズンになる前の避暑地へ旅とか、銀の珈琲ポットとか…を想像して夢見心地になっておりました。

 

 

ウィキペディアによれば著者の三島由紀夫はこの小説を「ムキになって書いたのではなく、シャレタ小説を書きたくて」書いたと言ったとのこと。確かにおしゃれな小説です。でもただ舞台設定や登場人物をおしゃれな言葉で語っているというだけではなく、ヒロインの心理の変化や出来事を描写する文章がすばらしく、読んでいると心が別世界に運ばれてしまいます。

 

小説中に地名は出てきませんが、節子と土屋が旅したのは、当時、汽車で4時間、5月に暖炉をたいている、そしてハイソサエティの紳士たちがゴルフに来る、その中に偶然、節子の伯父がいて危うくホテルのロビーで鉢合わせしそうになる、といった点から推定しておそらく軽井沢でしょう。彼らは情事の後、何にも着ないで朝食を食べます。もちろんルームサービスです(笑)。

   

二人は体の上に焼けたパンの粉を平気でこぼし、銀の珈琲ポットの厚さにあわてて脇腹を引込めたりしながら、朝食を摂った。それは決して、かつて節子の空想をあれほどに悩ませた淫らな食事ではなかった。むしろ子供らしい無垢な朝食だったと云っていい。(本文第九節より引用)

 

育ちの良い節子にとって、この不作法な朝食は未知の価値観を知ってゆくきっかけになります。後半の方でジンフィズを暗くした部屋に持って来させる場面もあります。人目をしのぶ恋でも食事を運んでくれる、つまりある程度高級な宿しか使わないのですね。私はこの小説の気分だけ味わいたくて、夏、万平ホテル…へは到底泊まれないからあそこのロビーへ行き、土産物の売店を見て、カフェで確かブドウのジュースだったか?を飲んで帰って来たことがあります(笑)。そのジュースが当時の価格で600円ほどして私には高価でした。

 

今年の夏はいろいろあって疲れました。どこか避暑地へでも行って休みたいけど、そのお金と時間がないのでこの本を読みかえし、いくらかつらさを忘れることはできました。20代の頃ほど夢見心地にはなれませんが。

 

   来週の火曜日、その日が来てみると、節子は久々に、身じまいと化粧との、目的のある新鮮なたのしみに溺れた。下着に凝っていたので、絹の焦茶のスリップを着る。そのスリップのへりは、沈んだうすい冬空のような青で染めたレエスでふち取ってある。その上から薄茶のシース・ドレスを着る。(本文第3節より引用)

 

焦茶に青の縁取りって何やら着こなしの難しそうな下着だなどど思ってしまいます。粋がって黒だの茶だのの下着を買ってしまうと、上に着る物もそれが透けたりしない色や素材にしなくちゃなならないから面倒くさい…まあ貧乏人には難しそうな配色の服も着こなしちゃうからこのヒロインの服飾の趣味は「洗練されている」のでしょうか。

 

ヒロインの節子は人目をひきつける絶世の美女ではありませんが、抜けるように色が白く、胸のあたりはグラマーでないものの、脚は長くてまっすぐ、首から肩の線が優美。つまりやせ形のようです。そうしたご婦人によく見られるようにいくらか貧血で月経困難症みたい、生理がよく遅れるのだそうで…三島はこうしたヒロインの体質や体調も個性を描きだすのに巧みに利用しています。とまあ病人ではないものの、丈夫とも言えない女性が土屋とつきあっていた一年ほどの間に3回も!中絶…終わりの方ではいっそう痩せて、女医に「麻酔は心臓に危険であるから、麻酔なしの手術をしなければならない」と言われてしまいます。それがこの小説が書かれたころの医療水準なのでしょう。おしゃれなラブストーリーと記憶していたけど、よく読んでみるとヒロインはけっこうご苦労なことで…。

 

この小説はいわゆる人妻の不倫を扱った小説やドラマを「よろめき」ものと呼ぶようになったきっかけになったとのことです。よろめきはよろめきであって、倒れたり、転がったりはせず、元の体勢になるのです。物語の終わりで節子は土屋と駆け落ちしたりせず、別れを告げます。そこに至るまでの恋の成り行き、心理の変化を綴る文章もとても繊細です。そして土屋の方も別れを受け入れ、追いかけるような言動はしません。だから彼らはあくまで「優雅な」恋人。冒頭で著者は節子を「野心がないという点では節子は優雅であった」と語っているように、彼らはお互いにこの恋をきっかけに自分の人生を変えようなどという期待、例えば今より自由な暮らし方をするとか、財産家になるとか(笑)は持ちません。そんな「野心」の必要のない恵まれた身分の人だからということもありますが。

 

一見すると平穏な暮らしに戻ったようでいて、土屋との恋とそれがもたらした諸々の喜びと苦しみによって以前とは比べものにはならないくらい広い世界、さまざまなものの捉え方を知ってこれからの人生を歩んで

ゆくのでしょう。

 

いわゆるよろめきものの小説はあまりたくさん読んでいないのですが、不倫の果てに夫を殺してしまう『テレーズ・ラカン』や自殺してしまう『ボヴァリー夫人』は「よろめき」じゃなくて「転がり」なのかしら?

 

 

 

 

ジェームス・ヤッフェ『ママは何でも知っている』

料理上手のママが警官になった息子が語る事件を解決していく短編集。大好きなクリスティのミス・マープルシリーズと同じ初老の女性が安楽椅子探偵になるお話というのでずいぶん前に入手した本ですが、暑さと激務で図書館に行く時間と気力が出ない今、読み返してよい気晴らしとなりました。

 

ママはプラチナブロンドをプラトニックブロンドとか、青酸カリを炭酸カリと言い間違えたりしますが、人間観察の鋭さはピカイチです。 息子つまり警察が犯人の目星はつけてはいるけれどどこか腑に落ちないといった話を聴いて、その目星が外れていることを指摘していきます。「お父さんの従姉のサディと水道屋」、「肉屋のフェインバーグ」「ジュリアス伯父さんとワールドシリーズ」など自分がこれまでに出会った人々を引きあいに出すところ、ミス・マープルに似ていますね。

 

「被害者へ送られてきた手紙にはアンダーラインがいっぱいあったか?」、「現場近くの映画館で事件の夜に『風と共に去りぬ』は上映されていたか?」「被害者の婦人は人の名前をなかなかおぼえられないたちだったか?」など、ママが息子にする事件に関係なさそうな妙な質問がユーモラス。でもこれが警察が気がつかない事件の核心をついているのです。

 

ブロンクスに住むママが息子と嫁に手料理をふるまう金曜の夜が舞台というわりには作品中に登場する料理がヌードルスープ、レバー・コロッケ、牛肉の蒸し焼き、ピノクル・クラブ・サンドウィッチ、りんごのストルードルなど、もともと西洋料理も含めてグルメ知識の乏しい私にはピンとこないメニューが多く、食欲がわいては来ませんでした(笑)。ロースト・チキンとピーチパイは食べたことあるけど。

 

個人的に一番好きなのは『ママ、アリアを歌う』の巻。開演三十分前に、立見席の切符を先着順に2ドル50セントで売り出す―日本の歌舞伎座の幕見席に似た制度がメトロポリタンにあるのですね。ママ曰く「オペラのはじまる前に3時間立ちんぼうして、オペラがはじまってから3時間立ちん坊する権利を買う」、そんなオペラマニアの二人の老人。一人はマリアカラスの、今一人はレナータ・テバルディの熱狂的なファン、彼らの言い争いが殺人に?

 

夫が破産して自殺、泣く泣く持ち物を売り払った夫人の怨念がこもったミンクのコートの怪談話から夫婦愛が浮かび上がってくる『ママと呪いのミンク・コート』も捨てがたいですね。作中でママは自分の空想上のミンク・コートの話をします。実際にはミンクを

入手できなくてもミンクよりすてきなもの=夫や息子の愛につつまれて生きてきたのですね。

 

ブロンクスのママはミス・マープルの後継者?の1人ではあるのですが、ミス・マープルのようにお嬢さん育ちではありません。ママ自身もその夫メンデルもユダヤ移民2世であることが最終話で語られます。ユダヤ系には商売で成功する人ももちろんいますが彼らはそうじゃなかったようで、この物語の冒頭でママは語り手の息子に商売人にはならないよう希望しています。

 

ママは不躾なくらい飾りけのない女で、なれない相手を面くらわせることがしばしばあるのだ。たとえアメリカ合衆国の大統領が夕食にやってきても、ママは粗末なふだん着でお迎えし、いつものようにヌードル・スープを出し、いつものように手きびしい調子で彼の施政について意見をのべるにちがいないのである。(『ママの春』より)

 

ぜひトランプ大統領にそうしてほしいですね。

 

初めて読んだ時には気がつかなかったこと。

著者のジェームズ・ヤッフェ、グーグルで調べてみるとイェール大学卒業でコロラドカレッジの名誉教授とのことなので、知的エリートの方だと思うのですが、何となく社会の格差の問題などについて関心、あるいは問題意識のようなものを持っていたのではないかと感じました。日本で言えば松本清張のように。

 

例えば『ママは賭ける』のお話にはいばりちらす演劇人の客にしつこくいじめられる老人の給仕が登場します。そして登場するオペラのチケットを買う経済力がないので立見席の常連となっている老人たちの姿。そして妻のねだる贅沢品を買ってやるため蔵書を売ってしまう博士=本当は見かけより裕福ではないのに見かけだけは優雅にしたい人間。妻の死の悲しみから研究も学生指導も手につかなくなり、青春時代からの親友だった学部長に解雇される学者。大学を中退して秘書として働かざるを得なくなるその娘。家族の前ではグレた態度を取りながら密かに自活するための技術を学ぶ少年。

 

高学歴でも高収入でもないけれど、ブロンクスのママのようにいつも前を向いて堅実に生きようとする人々に寄せる著者の愛情と共感が、快い読後感につながっているのではないでしょうか。

 

ところでこの本の巻末解説で紹介されている同じく安楽椅子探偵らしいプリンス・ザレスキーのシリーズを読んでみようかと思っています。図書館へ行く気力が出てきたら。