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母緊急入院 11月の朝顔、シルバーのバラ

2014年に大腸がんの手術を受け、2015年6月までで抗がん剤治療を中止し、在宅医療を

受けていた母。11月初めに家で転倒。その後、立てなくなりました。立てなくなったのは

転んでけがをしたのではなくて、がんが悪化したからでした。在宅医に点滴をしてもらって一時的に起きられるようになったのですが、数日後に嘔吐と激しい下痢、それがおさまった後は急速に食欲も落ちてしまいました。

 

秋に余命3ヶ月から6か月と言われていたのですが、なんとなく年内は大丈夫と思い、

私は11月中旬に友人と温泉旅行の予定を入れていたのですが急きょキャンセル。

 

ほんの2週間ほど前まで、あちらこちらにつかまりながらも自分のベッドからダイニングの椅子、そしてトイレまでは歩いていたのに…そして車椅子で散歩し、近所の神社にお参りし、秋晴れを楽しんでいたのに。

 

前回まで連れていっていた高島屋のばら展に行くのはもう無理そうなのでこの秋は

バラを母に買ってやるよう心掛けていました。これは黄色いバラとなでしこ。母がダイニングのテーブルで楽しんだ最後の花になるかも?


 

その次に買ったのがこの淡い紫のバラ。花屋さんの値札には「シルバー」と書かれていました。一本70円だったのがお財布にうれしい? 買った時にはつぼみでしたが母のベッドから見える棚に置いているうちに開いてきました。

 

食欲がなくなった母に何とか元気になってほしくて、この2週間いろいろ買ってみました。これは母がわりとおいしいと言ってくれたコンビニのロールケーキ。それから栗かぼちゃの即席スープとバナナは少しは食べてくれました。

夏が終わり、すっかり枯れた感じになっていた青い朝顔がなぜか今頃花を咲かせました。それもこんなにみずみずしい花で母も私もはげまされました。

 

在宅医に「酸素の濃度が落ちている」と診断され、11月21日に緊急入院しました。

このピンク色の菊―1本108円でこのボリューム―ひょっとすると母が家で楽しんだ

最後の花になるかもしれません。


 

入院した日、胸に点滴、鼻に酸素の管を入れた母がつながれたモニターはしょっちゅうピーピーとなっていて不安でした。24日に見舞った時は酸素は抜いてあっていくらか

落ち着いた様子でした。でもお医者様の話では肺の働きが落ちていて、もう看取りの段階とのことです。心をしっかりもたなくては。

 

 

 

 

 

秋の楽しみ―ウルトラショップと産直市

母のおしりの始末(笑)やら散歩やら、買い物やら自分の通院やらで週末もつぶれてしまい、今はまとまったレクレーションの時間はとれません。

そんな中でも小さな喜び、楽しみを見つけることにしています。

 

10月中旬、帰りの電車がしばらく止まった時、東京駅で降りて久しぶりにキャラクターストリートに行きました。特別好きなキャラクターとか買いたいものもないのですが、ぶらつくと面白いのです。

 

ウルトラマンショップの店先では『ウルトラマン』第28話に登場する三面怪人ダダがハロウィンの旗やカボチャを持たされておりました。

 

 

なぜハロウィーンにダダなのか? もしかすると地球人にとって仮装をやりやすい星人だからではないでしょうか。 あの大きな頭をボール紙?でつくって

白と黒にぬり、オレンジ色の目と口をつけて、ダダ模様のTシャツを着ればそのまま、渋谷に行けそうな。手は黒手袋をしているだけですし。これがバルタン星人となると頭を作るのも難しそうなら、ハサミ状の手もつけないと様になりません。

 

これも10月後半のこと、上野駅で開催された新潟と庄内の産直市に行きました。以前に春日山に行った時、お目にかかったことのある上杉景勝公と女足軽のつばめさんにごあいさつして写真を撮らせていただきました。

 

 

これが産直市の戦利品?です。母に食べさせる梨にみそ、梅干しにふきみそ。日常的に使えるものが買えてラッキーでした。

 

ふきみそを買ったと父に話しますと「おばあちゃんがよくふきみそを作ってくれたっけ」といいました。おばあちゃんとは二十数年前に亡くなった父の母です。その頃は庭にふきのとうが生える家に住んでいました。私は祖母によく似ていると言われます。変わった本が好きで歴史が好きで、わがままなところが(笑)。

新編 坪田譲治童話集 新潮文庫1979年

秋になったら落ち着いて読書も長編をじっくりとなどとブログに書いてはみたものの、疲れていると食欲がなくなるように、日ごろ好きな読書もどうもボリュームがあるものには手が出せず、童話ならいいかなと思ったのですが…。

 

この小さな本に33編、そんなに読めるかなあと思いつつ、読み終えてしまいました。でも童話と申しましても、なんと申しましょうか、ヘビィな展開のものが目立ちます。

 

おそらく発表された年代順なのでしょうが、冒頭の2編、『正太樹をめぐる』『枝にかかった金輪』は読み終えた後、これ童話なの?って感じ。主人公正太少年は太い松の樹の周りぐるぐる回っている。樹のところから見える自分の家がクルリと回るたびに見えたり隠れたりするのが面白い…そう子供の頃ってそういう他愛もないことが面白くてたまらないのですよね。ですがこの正太くん、庭の椎の木から落ちて亡くなっているのです。結末で正太のお母さんはもういないはずの子供が樹の周りを回る姿を見たり、金輪をまわす音を聞いたり。とにかく正太くん、お母さんが大好きで家事をしているお母さんに自分の方を向いてほしくて、人形に乱暴してみたり、かくれんぼしてみたりしているうちに高い樹に登ってしまったのです。何だかこの母恋しさというのか、親の気をひきたい気持ち、自分の幼い頃にもありました。

 

『小川の葦』は昔話風の語り口。おじいさんの大切な葦を遊びに使ってしまった少年。「元通り刈って来い」と叱られて葦を探しに行って水死します。『金の梅、銀の梅』は子供の病死を子供の目線で描いています。

 

そういえば…小学校高学年ぐらいの時、母にこの著者の『善太と三平』のお話を読むことを勧められて、図書館で借りたところ、兄の善太が亡くなってしまう結末にショックを受けました。母に話すと、母も「えっそんな話だったっけ」と言っていました。今回読んだ本にも善太と三平のものが入っています。

 

ただこうした子供の死を描いた童話を子供に読ませておくことも必要なのかもしれません。人生には思わぬことが起こるということ、自分に万一のことがあれば自分の母も正太の母のようになってしまうのだと学ばせておくために。

 

『異人屋敷』という話に登場する女の異人はカトリックの修道女。修道院で飼っている犬を異人の年よりが魔法で?犬にされたにちがいないと思ったり、写真を撮る機械を布をかぶって使うのを越後獅子のようだと思ったり、幼い子供の眼からみた異文化が語られます。そしてこの修道院、火事で廃墟になります。『どろぼう』は善太のひいおじいさんが米を盗まれる話です。

 

『笛』では善太少年が呼子笛に夢中になり、問題行動。子供が何かにのめり込む姿をありのままに描き出しています。とにかく人恋しさ、学校のつらさ、物欲に恐怖、虚栄、子供の意識の捉え方がぞっとするくらいリアルです。

 

『ひるの夢よるの夢』は戦災孤児の少年が家族揃って食卓を囲んでいた日や学校で勉強していた日を夢に見ます。いい夢のこともありますが、一緒に釣りをしていた友達に「お前浮浪児だろう」と言われてしまったり、お母さんがガケシタにいるから「トビ降りるんだな」と言われたり…自殺願望?著者は実際にこういう身の上の少年の話を聴いてこの作品を書いたのでしょうか。

 

童話というか子供向けにしてはあまりにテーマが重くて深くて、一つのお話だけでブログを一つ書くべきなのではないかと思ってしまいます。まあ童話というのはあくまでも語りの形式、子供だけがターゲットではないのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

81歳の誕生日 秋色アジサイ、ツツジの狂い咲き

10月末、母が81歳の誕生日を迎えることができました。母の好きな黄色いバラの入ったブーケをプレゼント。バラはしおれた後、花びらを乾かして

小さなお守り袋に入れてやろうと思っています。

 

 

 

数年前まで家族の誕生祝いにはレストランに行っていたのですが、最近は母のたべる量が少なくなっていて外食は無理。誕生日に一番近い日曜日のランチには近所のファミレスにカットステーキの入ったプレートを注文。我が家ではめったにないぜいたくです。

これはどちらかというと母より弟と私が食べたかったのですが(笑)。

 

今年は夏の暑さ、秋の台風など気候が異常なせいか、木々がきれいに色づいていないのが気になります。去年の秋、母と楽しんだ近所の神社と公園のケヤキも黄色くならず、緑のままくすんでいる感じ。その代わりといってはなんですが、これも気候が異常なせいか、ツツジが狂い咲しています。母が来年ツツジが咲くころまで元気かどうかわからないので、ちょっとうれしいです。

これは母が散歩のたびに「かわいい」という小さな柘植の木。通り沿いの駐車場の入口にあります。まるく刈り込まれているのがまるで帽子でもかぶっているようで、夜になると小人になって動き出しそう?

 

 

近所の公園で夏に咲いたアジサイの花房がそのまま赤くなっているのも母は喜んで眺めています。

母がもう一度、紫やピンクに咲いたアジサイを見ることができますように。

 

 

 

平岩弓枝 ハサウェイ殺人事件 集英社文庫 1982年

平岩弓枝の名は子供の頃、祖母が視ていたホームドラマの脚本家としておぼえました。その頃は脚本家というのがどういう仕事なのかも知りませんでしたが。

 

以前に『御宿かわせみシリーズ』のどれかを読んだ記憶があるのですが、主人公カップルの人格がいかにもテレビドラマの主役風に理想化されていて、また彼らの情愛の描写がねちっこくて個人的には好きになれませんでした。テレビドラマで有名な人の作だからいたしかたないかとも思いますが。

 

この著者の現代ものを読むのは初めてかもしれません。現代ものと申しましても昭和30~40年代に書かれたものなので時代を感じさせるところがあります。

 

 

六編の短編がおさめられていますが表題作はハサウェイという人が殺されるのではなく、

ハサウェイというデザイナーのファッションショーでタキシードの似合うイケメンモデルが楽屋で配られた麦湯の青酸カリで死にます。ファッションショーの世界などまるきり知りませんが21世紀に入ってからはどこの業界でもあまり麦湯を配ったりしないでしょう。飲み物はたいていペットボトルで各自用意。

 

裏切った男への復讐、世間に知られたくない過去、一人の男をめぐる姉妹の確執―モデルと見まごう美人刑事、タレントとしても活躍する染色家、清純派スターと助監督の情事、女にだらしない病院長―表題作と『夏の翳』『オレンジ色の口紅』『右手』は筋立ても登場人物もテレビドラマ風。これもそういうドラマを制作する側の人の作だからなのでしょう。

 

この本の中で私が好きなのは『石垣が崩れた』。売れっ子作詞家と流行歌手の夫婦が軽井沢の別荘でガス漏れ事故で爆死。その死の背景には太平洋戦争中の東京で子供の身に起きた悲劇が浮かんできます。

 

『青い幸福』は戦争未亡人である姑と才女タイプで主張の強い嫁との確執がついに犯罪に? 姑が大切に育てていた草花を嫁が「雑草」と言ってのけたり、留守中に若夫婦が勝手に引っ越して別居してしまったり…こうした家庭に起きる雑事を通じて嫁姑の価値観、意識のへだたりを描き出すのはさすがにホームドラマの名手。昭和48年に書かれたとのこと。21世紀の今ならこの嫁のような女性は最初から旦那の親とは同居しないでしょうね。

 

ワレモコウ、トルコギキョウ

数年前に誕生日に買ったワレモコウをドライフラワーにしたお話をブログに

書きました。大したことはないのになぜか私のブログの中では妙にアクセス

数が多いのです。 ワレモコウは女優の星光子さんが好きだと言っている

花だからでしょうか。IMG_20181014_164005887.jpg

 

昨年の誕生日はヒースを買いましたが、今年はまたワレモコウと白いリンドウ

を買ってみました。誕生日は今月ではなく、先月です。 そう私は異次元人

ヤプールから不採用通知をもらった乙女座の精。(このギャグの

『ウルトラマンA』に詳しい人しか理解してもらえませんが)

 

母はガンをわずらう前の60代のころ、通信教育で絵を学んでいました。

そのころ描いたトルコギキョウの水彩を喜んで眺めていたので、

先日ピンクのトルコギキョウを買ってみました。 母が描いたのは白に

紫の縁取りのトルコギキョウでしたけど。

いつも見ても繊細で優雅な花です。

 

頭が重すぎて折れてしまったつぼみが二つ。シャンパングラスに入れて

切り花長持ちの水を入れておいたらだんだん開いてきました。何だか

アイスクリームのようです。

 

もうすぐ母の誕生日、バラか菊かドライフラワーに向いた花をプレゼントする

つもりです。以前のワレモコウのブログにも書きましたが手元にある白魔術の本によれば、誕生日にもらうか買うかした花をドライフラワーにして

保存しておくとその後1年間のお守りになるそうです。

松本清張 『菊枕』(新潮文庫 傑作短編集1『或る「小倉日記」伝』

近所の花屋で小菊とダイアンサスを買いました。秋らしい風情、しかもこれで

350円。どちらもたくさん枝分かれして咲いていますので一本ずつでも

なかなかのボリュームなのです。

 

菊を花ばさみを切った時の匂いをかぐとなぜか元気が出てくるような

気がしました。そういえば菊の花には薬効があるというのでお茶にしたり

食用にしたりしますね。そんなことを考えていて読みたくなったのが

『菊枕』。この短編が入っている写真の本を引っ張りだしました。 精神が不調な時、なぜか拾い読みしたくなる本です。

舞台に立てそうなほどの美貌を持ちながら九州の中学校の美術教師の

妻になってしまったヒロインぬい。野心のない夫との暮らしに満足できず、

ヒステリックになっていた彼女は俳句を始めて才能を発揮します。当代随一の俳人宮萩栴堂が主宰する有名俳句誌『コスモス』に入選するようになったぬい。栴堂を太陽のように慕うぬいがその長寿を願って作るのが菊の花をつめた枕。

 

俳句に打ち込むあまり、家事や子育ては夫まかせ。あまりに自負心の強すぎる彼女のふるまいは俳人仲間、特に同性に好かれません。「自分より地位の高いもの、才藻の豊かなもの、権勢のあるもの、学歴のあ るものをはなはだしく悪んだ(にくんだ)」評されます。

 

必死に作った菊枕を夫に無理に旅費を出させて栴堂に渡しに行くぬい。でも

感謝もされず、さらに栴堂に無理に近づこうとするぬいの言動は他の門人たちに危険視されてしまいます。

 

彼女は自分が思うように成功しないのは貧しい田舎教師の妻だからだと思い込み、そのコンプレックスから自分の弟子にも攻撃的になります。俳句を作るために一人、髪を振り乱して山の中を歩きまわったり…精神に異常をきたした彼女はやがて俳句も振るわなくなります。栴堂への崇拝は変わらず手紙を

書き続けますが師の関心は得られません。外遊の途中、門司に立ち寄った

栴堂を追いかけようとした彼女の狂気―ついに精神病院に収容。

 

病院に来た夫の圭助にぬいはしぼんだ朝顔の花をつめた袋を

渡します。「あなたに菊枕を作っておきました」と。

 

  圭助は涙が出た。狂ってはじめて自分の胸にかえったのかと思った。

 

と結ばれるこの小説。ヒロインのモデルは俳人の杉田久女で彼女に冷たかった栴堂のモデルは高浜虚子なのだそうです。久女の立場からみると

いささかひどすぎる小説とも言われています。そういう問題はさておいて

あくまで小説として味わってみると不思議なことに読後感がいいのです。

 

ぬいの中央俳壇、それを象徴する存在である栴堂へのあこがれ、一方で

感じる劣等感、焦燥が中部地方の山沿いに生まれそだった私には身に覚えのあるものだからかもしれません。私にはぬいのような美貌も才能もありませんがね。

 

それから結末に涙を流す旦那様がいい人だから。「俳句の鬼」嫁に振り回されつづけたように見える結婚生活も必ずしも不幸でなかったのかな

と思うのです。 

 

この短編集には表題作の他、『笛壺』、『石の骨』などハッピーエンドではないのになぜか繰り返し読んでしまう作品が入っています。機会があれば

それらの感想もブログに書きたいと思います。

 

杉田久女の俳句もちゃんと読んでみるべきかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒイラギモクセイ、ハナミズキの実(誤食)

体育の日の三連休はすべての日、母を車椅子に乗せて散歩へ連れていきました。

 

公園では先日、ブログに書いたキンモクセイが盛りを過ぎて代わりにヒイラギモクセイが白い小さな花を咲かせていました。上の写真がまだつぼみだった10月7日で下の写真がその翌日です。10月13日の朝にもまだ少々花が残っていました。

ランタナは昨年秋はもっとたくさん花が咲いていたと記憶しているのですが、今年は夏の異常な暑さのためか、株がずっと小さくなってしまっています。

そういえばこの秋は木々のようすもちょっと変。家の近くにあるトチやハナミズキの葉がほとんど落ちてしまっています。昨年は10月前半にこんな風になっていたかしら?近所の神社にお参りするたびに境内にあるケヤキの大木に触れてパワーをもらうのですが

ケヤキの葉も何だか緑色のまま、端が黒く変色しているような?―きれいな紅葉が見られるかしら?

 

 

家のベランダの朝顔はもうほとんど枯れているのに公園の朝顔はまだ花盛り。去年もかなり寒くなるまで咲いていました。どうやらベランダのものとは品種がちがい、宿根朝顔ですね。おそらく琉球朝顔とよばれるものでしょう。そう思ってみると花の色が家のものより派手で熱帯風な感じがします。母は喜んで見ていますが、公園管理では雑草扱いされていて刈り込まれたこともあります。それでもしぶとくつるを伸ばしています。生き残っているようです。

ハナミズキの実を拾ってかえり、6粒ほど折り紙で作った三宝にいれておいたところ、ふとみるとなくなっていました。母にきいたら「食べちゃった」とのこと。ハナミズキの実は有毒だというのでよほど♯7119に電話しようかと思いました。でも考えてみるとあの木に来る鳥は食べてるみたいだし…ともあれ、あれから一週間たちましたが母に異常はありません。ネットで調べてみると食べてみた人の話ではすごく苦いとか。それから葉や実には毒性があって、触れると皮膚炎をおこすかも? 今まで知らずに赤く色づいたハナミズキの葉や実を素手で拾ってきて仕事でディスプレイに使ったりしてました(笑)。

 

 

アストリッド・リンドグレーン作 石井登志子訳 川のほとりのおもしろ荘 岩波少年文庫195

小学生の頃、リンドグレーンの『やかまし村』や『長くつ下のピッピ』のシリーズが好きで図書館で何度も借りていました。並みはずれて小柄で運動神経も鈍く、勉強も落ちこぼれ、今でいうスクールカーストの低い子供だった私にとってつらい現実を忘れさせてくれる逃れ場が本の中のやかまし村。そして大人やいじめっ子の男の子を怪力と大量の金貨で組み伏せるピッピは自分の怨み?を晴らしてくれる存在。今思うとひたすらクリスマスや誕生日や復活祭を楽しむ子供たちの暮らしや破天荒なヒロインの活躍を描き、「こういう人になりなさい」と教訓風なところがないことにもひきつけられたのでしょう。

 

近年になって『暴力は絶対だめ』という本を読み、リンドグレーンが「戦争をしたくなければ子供をたたかないこと」という考えを持ち、ただただ楽しいお話を創るだけの人ではなかったのだと知りました。

 

この『川のほとりのおもしろ荘』は私の子供の頃にはまだ翻訳されていませんでした。リンドグレーンの上記以外の著作も読んでみようかなと思い、手にとってみました。表紙に描かれた主人公マディケンと妹リサベットはやかまし村の子供たちに似ていて楽しげに踊っています。でも舞台になるのはやかまし村よりは都会、小さな街です。主人公たちのお父さんは新聞記者でお母さんはアルバという美人の女中と家庭を切り盛りしています。

 

ワルプルギス祝日の前夜祭やお母さんの誕生日のピクニック、両親の旅行中に「りんごが丘」へ行って干し草の車に乗ったりと楽しいやかまし村風のトーンで物語が進みますが、やかまし村やピッピよりも何と申しましょうか。社会派?の本です。

 

人柄はゆかいだけれど働かずに酒場に入り浸るきらく荘の二ルソンさん、その息子のアッベはまだ十五歳なのにクリングラ(クッキーの一種)を焼き、母親が売って暮らしをたてていますが、借金のかたに大切な家具を失いそうになります。また自分の買いたかったサケを譲らなかったアルバを恨んだ町長夫人がダンスパーティで陰険な仕返しをする場面もあります。

 

中でも考えさせられた登場人物は妻子を失ったが故に精神に異常をきたした老人リンドピクストと貧困のために攻撃的、反抗的になっているクラスメイトのミイア。

 

姉妹の母の誕生日の章でリンドピクストはリサベットを捕まえ、「あんたにはもうひとりあるじゃないか。わしにはひとりもおらん。わしにもこんなちいさな子がほしいのだ。それでこそ、世の中公平というものだろう」と主張します。さらにクリスマスに生まれた

赤ん坊のカイサもマディケンが子守している間にリンドピクストにさらわれそうになります。でも母もマディケンもこの老人を力で攻撃したり、犯罪者呼ばわりしたりせず、お菓子や子猫でその場を切り抜けます。

 

頭にシラミがいて皆にきらわれているミイア。マディケンとミイアがけんかした時、校長先生はミイアだけを叱ります。それはマディケンには新聞社で働いているお父さんがいるけれどミイアには父親がいない―つまり社会的立場が弱いから。

 

ミイアは試験の日、クラス中にチョコレートを配り始めます。「ストックホルムにいるお父さんからお金が送られてきた」と言って。でもそれは校長先生の部屋に忍び込んで盗んだ財布の金でした。発覚すると校長先生はみんなの前でミイアにムチでぶちます。ミイアは校長先生にあやまるかわりに反抗的な言葉を吐くのでした。

 

ミイアは確かに悪いことをしたのです。いくら自分にひどいことをした人間のものであっても盗んではいけません。それでもマディケンとその両親は校長先生が悪いと考えます。ミイアにしてはいけないことをしたのだとわからせるのにムチは使うべきではないのだと。

 

初めてリンドグレーンの本を読んだ頃、私のクラスにもミイアのような子がいました。どうも父親がおらず、母親も病気でおばあちゃんに育ててもらっているらしく、そのせいか体に異臭があり、シミのついた下着を着ていることがある女の子でした。マディケンや

ミイアより高学年になってからでしたが、ミイアと同じように自分からみたら理不尽な理由で先生に体罰を振るわれたこともあります。

 

それから数十年の人生の中でリンドピクストのような人にも出会いました。心の病のために周囲を困惑させる言動をする人。その人に私はおもしろ荘の人々のような優しさを持つことがはできませんでした。これらの経験についてはまた別の時にブログに書いてできればより多くの人の意見をきいてみたいと思っています。

 

まさに「平和な世界を望むなら弱い立場の人を苦しめてはいけない」という著者の考えが現れている作品です。おそらく子供時代にこれを読んでいたらそうしたことは理解できなかったかもしれません。

 

この『川のほとりのおもしろ荘』は『おもしろ荘の子どもたち』の続編だそうです。小学3年の私が最初に読んだリンドグレーンも三部作の最後の『やかまし村はいつもにぎやか』。子供のころのようにまた順番を逆に読み始めてしまったなと苦笑しております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キンモクセイの花、梨の切りおき、余命宣告?

この週末、天気はあまりよくなかったのですが朝は

雨が降っていなかったので、母を近所の公園に

連れていきました。

 

そしてたっぷりキンモクセイの花と香りを楽しみました。

去年もキンモクセイが咲いているのに気がついて

はいたのですが、写真をとろうと思っている間に台風が

来てあっという間に散ってしまったのです。

そしてこの公園の近くに住んで20年ほどにもなるのに

はじめて気がついたのです。ここにキンモクセイの木が

10本ほどもあることに。なんてウカツなのでしょうね!

みかん色の小さな小さな花、そのやさしい香り―

不思議なことに花に顔を近づけてもあまり匂わないのに、そばを歩いていると吹いてくる風に香りがあるのです。キンモクセイには母も私も元気をもらいました。

 

 母と季節の花々を見る時、いつも祈ってきました。 

「来年もこの花をいっしょに見られますように」と。

でもいよいよ余命3か月から6か月とのこと。

 

来年の春、白木蓮や桃や桜を見せてやれるといいのですが、ことに母の大好きなアジサイはもう見せてやれないのかしら? 母は病気のことで大騒ぎされるのを

望まないので私もなるべく平常心で乗り越えようとは

思うのですが、なかなか受け入れるのが難しいです。

誰よりも受け入れが難しいのが父です。そう母より

父が心配―。

 

母は肺に転移があるので、苦しい症状が出ないよう

咳や呼吸によいと言われる梨をこのシーズンも

毎日のように食べさせています。でも仕事の状況が

変わって以前より1時間早く家を出なくてはならなく

なったので、朝、皮をむいて切る時間がとれず、

前の晩に切り、ふた付きの容器に入れてスポーツドリンクをかけて冷蔵庫に入れておきます。

 

切った梨の変色防止には塩水か砂糖水をくぐらせるといいとのことですので、スポーツドリンクは塩水でもあり、砂糖水でもあるので(笑)。

 

これは少し前までベランダで咲いていたコスモスです。

母は歩行困難でベランダに出るのも難しいので

時々家の中にいれて見せていました。

 

これからも家には花を絶やさないようにして

母を楽しませてやるつもりです。 花屋さんで500円代のミニブーケを買うことが多いのですが、これからは

800円ぐらいのも…時々は買ってやろうかしら?

 

秋のバラの季節もやってきますしね。何とか明るく、

平常心でいたいものです。